話が面白くてレベルの高いジョークがとめどなく溢れてくる……。 そしてなぜか、仕事までうまくいっている。 そんなデキるビジネスパーソンの頭の中はいったいどうなっているのか。 人が最大に能力を発揮できる「フロー状態」を引き出す グローバルビジネスでの競争は厳しさを増している。 そのなかで卓越していくというシリアスな側面が必要な一方で、真面目一辺倒では、どうしてもうまく回らない局面があることも事実だろう。 厳しい時代とはいえ、遊び心やユーモアをもって前向きに取り組みたいし、またそのほうが、成果も挙がりやすい。 脳科学的にも、ユーモアの効用は非常に高いことがわかっている。 脳の神経回路は、楽観的に物事をとらえていないと、潜在能力を発揮できないようにできている。 悲観的なときの脳は、言うなれば潜在能力に蓋をして抑え込んでいる状態なのだ。 しかし現実的には、必ずしもいつも楽観的でいられるとは限らない。 そんなときでもなお、前向きに明るく、という脳の基本的な態度を育むためにユーモアが重要になる。 脳は自己暗示にかかりやすいため、悲観的なことでも面白く捉え直したり、楽しいことを考えたりするだけで前向きになり、邪魔をしていた蓋を外すことができるのだ。 脳がもっとも創造的になっているのは、「フロー状態」にあるときだ。 フロー状態とは、「集中しているけれどもリラックスしている」状態。 努力することなく自然に、脳や身体が最大のパフォーマンスを発揮できる。 私たちはつい、緊張してしゃちほこばっている状態を「集中している状態」と勘違いしてしまうが、そうではない。 目指すべきは緊張ではなくリラックスだ。 陸上のウサイン・ボルト選手が2009年の世界選手権で100メートルの世界新記録を出したときの走りは、リラックスして笑いながら走るような状態だった。 ああいうフロー状態が理想だ。 おやじギャグを連発するなでしこジャパンの佐々木則夫監督は、無意識のうちにユーモアを使って選手をフロー状態になるよう仕向けているのだろう。
次の笑いに国境はあるか? 笑いに性別は関係あるか? ゆりやんレトリィバァのネタは、そんなことを考えさせてくれる。 6月に放送されたアメリカの公開オーディション番組『アメリカズ・ゴット・タレント』で、星条旗柄のきわどい水着に、角刈りカツラ、『ファイナル・カウントダウン』をBGMにシュールなダンスを披露。 名物審査員たちにウザめのキャラで絡みにいき、そのやりとりも大ウケ。 オーディション通過とはならなかったものの、会場を盛り上げ、見事に爪痕を残した。 出演シーンの公式動画は、YouTubeで860万回再生を突破した(2019年7月26日現在)。 1000万回にも手が届きそうな勢いだ。 コメント欄は、日本語のみならず、英語の絶賛コメントも多数寄せられた。 その一方で、「笑わせたのではなく笑われただけ」「あれは嘲笑だ」などと辛らつな声も少なくはない。 さまざまな意見を、ゆりやん本人はどう受け止めているのだろうか。 女芸人としてあらたな道を切り拓くゆりやんをゆりやんたらしめる、挟持と覚悟を探った。 撮影/尾鷲陽介 取材・文/的場容子 『アメリカズ・ゴット・タレント』(以下、『AGT』)出演後、大きな反響がありました。 予想していましたか? あそこまで話題にしていただけるとは思ってなかったですね。 ただ、日本のみなさんに、「わざわざアメリカまで行ってこんなくだらんことして、アホやなー!」って笑ってもらえたらいいや、ぐらいに思ってた(笑)。 みんないろいろ言ってくださって、こうやって取り上げていただいて、ありがたいです。 番組に出てみて、アメリカの観客のノリをどんなふうに感じましたか? めっちゃあったかくて、めちゃくちゃテンション高いんです。 日本のお客さんって、ウケるときはウケるんやけど、スベったときはシーンとなりますよね。 それがアメリカでは、スベっても、ブーイングとかでお客さんが積極的に反応してくる。 どっちに転んでもテンションが高くて、「さすがエンタテインメントの本場、アメリカや!」と思いました。 ネット上では、「盛り上げてるし、笑わせてるしマジでスゴい」「英語しゃべれるって強いし、感動した」などと絶賛するコメントが多数寄せられました。 他方で、辛らつな声もありましたが、さまざまな反応をどう受け止めていますか? 実際、「笑わせてない、笑われてるだけ」ってめっちゃ言われるんですけど……、「そうやで〜」って思ってます(笑)。 そらそや、あんな裸で走り回ってたら笑われるやろ、と。 でも、別に笑われるのでもええんちゃうん、とも思います。 そら、緻密でスゴい技で笑いを取って、っていうほうが素晴らしいかもしれないですけど、結果的にみんなが笑ってくれてたら、笑わせてようが笑われてようがハッピーでいいなと思う。 そこにとくにこだわりがないというか。 あんなネタ、「ここがフリになって、あそこで伏線回収して……」みたいに計算でやってるわけない。 ほんまにまったく意味ないことやってるんで、「笑われた」っていうのもおっしゃるとおりなんですけど、「でも怒らんといて〜」って思います。 いいやん、それで笑ってくれたんやったら、と。 強いというか、考え方がしなやかですね! 「誰に何を言われても全然オッケー」というくらい、割り切っているのでしょうか? 今回に限らず、ネットっていろんなこと言われますから、正直腹立つこともありますし、勝手なことや適当なこと言いやがって! と思うこともありました。 でも最近は、いろんな意見をもらえる立場やと考えたら、まあええかと思って。 そりゃあ見てくれた人全員が「おもしろい!」とか「スゴい!」って言う人になれたらいいけど、無理やろうし。 だけど、誰に何言われても、私自身が「これが疑いなくおもしろい!」と思ってるものをやってるわけやから、それが笑われてるんか笑わせてんのかなんてどっちでもいいんですよ。 お笑いの世界で男女差を意識することはありますか? 私はまだ芸人になって浅いので、こんなん言える立場じゃないんですけど、劇場に出させてもらって最初の頃は、「さっきのネタ、男芸人さんがやったらもっとおもろかったんかなあ」とか思うことはありました。 でも、じつはまったくそんなことないとわかってきたというか、女とか男とかは関係なかった、って今は思ってます。 そうなんですか? たとえば友近さん。 ものスゴい方で、もともとネタを拝見してたし、仕事を始めてからもお世話になってたんですけど、単独ライブに出させてもらったときに、さらに衝撃を受けて。 「こんなおもしろいことあるか!? 」と思うほどおもしろいんです。 ネタも攻めてるんで、「おもしろすぎてお客さんに伝わるんかな?」と思うくらいなんですが、お客さんはそれも全部わかって、笑ってくれるんですよ。 「スゴい、私もこうなりたい!」「こういうお客さんの前でやりたい!」と思った。 それを友近さんに言ったら、友近さんが芸人になって初めて呼んでもらったライブがバッファロー吾郎Aさんのライブで、そのときのお客さんがまったく同じ感じやったらしいんです。 「私も当時、こういうお客さんの前でやりたいって思っててん」って言ってはりました。 だから、先輩芸人さんのライブで同じことを思ってはられた方が、今こんなふうにわかってくれるお客さんの前で演れてるってスゴい。 そこに男女の差はないと思いました。 芸人として精進し、そこに芸を理解してくれる良いお客さんがつくことに関して、男性か女性かはまったく関係ないということですね。 ほかにも、ハリセンボンさんも死ぬほどおもしろいし、(渡辺)直美さんもいろんな分野で活躍されてる。 どちらも、女芸人のスゴい先輩やけど、女やからどうというのはあんまり関係なくて、ただただ普通におもろい人ということで尊敬してます。 おっしゃるように、最近は女性の芸人さんの活躍が目覚ましいですが、それでもまだ、テレビ業界やお笑いの世界は男社会なのかなと感じることもあります。 女芸人としてしんどさを感じることはありますか? 芸人になって間もない頃は、「(女であることが)ジャマやな」って思ったこともありました。 だけど今は、女芸人なんはまぎれもない事実やから、「女扱いしないでください!」というのは、あるものを使わないことになるので、もったいないなと思うようになりました。 逆に、女扱いされたくないんだったら、女芸人ということを受け入れないことには始まらないとも思いましたね。 女は男とは体も違うねんから、「差別しないでください」じゃなくて、それを受け入れて、違いを出して活かしていけばいいやんけと思います。 「男だけ得してる」とか言う人もいてますけど、「うるさいねん! 黙って働けや!」って思います。 ごちゃごちゃ言うとらんと笑わせろ、と。 実際、そういう面で逆に窮屈に感じることはありますか? 私はあんまり感じません。 別に女も男も関係なくおもろかったらおもろいねんから、そんなん言わんとなんかネタやれや、と思います。 男女差からちょっと離れてコンプレックスの話になるんですけど、芸人で、たとえばデブやのに「デブ扱いしないでください」と言う人がいたとして、「おいしいのに、なんで? デブをもっと前に出したほうがいいやん」って思います。 もちろん一般の社会でそのイジりはだめですけど、芸の世界では、個性を持ってたほうが得やし、みんなそれを活かしていったらいいのに、と思ってます。 とはいえ、女性であることで、芸人という職業でも「可愛いかどうか」「エロいかどうか」という基準でイジられることもありそうですが、そのあたりはどう思っていますか? たしかに、女芸人のほうがそういう基準が入ってくるというのはあります。 でも、私は「女であることのコレがイヤ!」ということがなくて、「女芸人でめっちゃラッキー!」と思ってます。 たとえば、『AGT』のときの水着みたいなギリギリの衣装を着るのも、女やからこそ「なんしてんねーん!! 」となるけど、これが男の人やったら、この水着を着たり、もっと言えば裸になったとしても、それだけではたぶんおもろくないですよね。 それもふくめて、女芸人のアドバンテージだということですね。 そうですね。 あと、芸人は男の人が多いから、そのなかで目立てるからラッキーやなとも思います。 ……でも、好きな人の前では、唯一「おもろい女」っていうのはジャマですね。 いろんな男性に意見を聞いても「彼女におもろいとかはあんまりいらん。 可愛い人がええからなあ」って言われるし。 好きな人に「うーん、彼女が女芸人かあ」とか言われたら、そのときだけはほんまに「モデルになっとけばよかった」って思います。 ……って、なろうとしてなれるもんじゃないですけど(笑)。 そこは完全に女子なんですね(笑)。 はい、そうです。 でも、よお考えたらそんなこと言うやつとは別に付き合いたないし。 ……まあ、付き合えないんですけど(笑)。 『AGT』ではパフォーマンスに加えて、舞台上で審査員に積極的に絡んでいく姿勢もウケていましたね。 英語で、しかも「ウザめの絡み」をする……かなり勇気のいることですが、どうしてそんなにハートが強いんですか? もともとの性格なのでしょうか。 もともとではないです(笑)。 思い返すと……。 芸歴1年目のとき、大阪の「5upよしもと」という劇場のメンバーになったんです。 そのときは同期がいなくて先輩ばっかりで、しかも私はピン芸人やから浮いてました。 舞台でも緊張して、フリートークのときも先輩たちが掛け合ってるのを黙って見てるだけか、たまに入っていっても自分のボケがヘンやから、「えっ、なになに?」みたいな感じになって、噛み合えへん。 こうならへんためには、やっぱり私のことを知ってもらわないとあかん、と思いました。 おもしろくなりたいし、いろいろ教えてもらいたいから、先輩としゃべりたいと思ったんです。 それで、めっちゃ緊張したんですけど、自分から先輩たちの楽屋に入って、普通はあいさつだけで帰るようなときも、とにかくそこに居座って、ずっとしゃべりかけていました。 「いったいいつまでおんねん!」くらいの勢いで(笑)。 (笑)。 度胸がいりますね。 みなさん優しいんですけど、やっぱり先輩やし、劇場という場を作らなあかんわけやから、ビビッとした空気のときもありました。 でもたぶん5年、10年経ったら先輩方は忙しくなって、しゃべりたくてもできへんやろうから、今のうちにやっとこうと思って。 そんなことが始まりのような気がします。 なるほど。 もともとはどんな性格だったんですか? 幼稚園入るくらいまではめっちゃ恥ずかしがり屋で、家に誰か知らない人が来たら、その場で固まってた。 「電池切れてるわ、この子」ってよく言われてたと聞いたことがあります(笑)。 今とは対極的ですね。 ほんまは人見知りなんです。 だから、自分でも変わったなあと思います。 前は、緊張するからあんまり人としゃべりたくなかった。 でも、ひとりやから行かなしゃあないし、初めて行く仕事場では、スタッフさんにもあいさつしたり、しゃべったりしないといけない。 最初は緊張しましたけど、やるうちに慣れてきました。 今はもう緊張しなくなりました? いや、めっちゃします(笑)。 だけど、そんな状況を繰り返してるうちに思ったのは「私が緊張してることなんか知るかッ!」。 要するに、私の緊張なんかどうでもええわと思って。 「人からしたら、私が緊張してるとかどうでもええやんけ。 自分で勝手に思っとけや!」と。 せっかくの機会やのに、緊張でなんもできひんまま終わるのはもったいないですし……。 その境地に行き着くまで、何か決定的なできごとがあったんですか? はっきりとしたきっかけはわからないんですけど、2015年に『R-1ぐらんぷり』に初めて出させてもらったときも、舞台に出る前に袖から見てて、「これがずっと憧れてたR-1ぐらんぷりで、今一歩前に行ったらもう出られるんや」って思ったら、緊張してもしゃあないな、となったのを覚えてます。 『AGT』のときも緊張していたんですけど、「よーく考えたら、『AGT』なんて広い宇宙の地球というひとつの星の、そのうちのひとつの国であるアメリカの、ひとつの番組であって、シャチとか猿からしたらそんなんどうでもええことや」と思っちゃって(笑)。 なぜシャチと猿なのかはわかりませんが、視点が巨大すぎる!(笑) 生物とか地球からしたら、私の緊張なんてちっちゃすぎてどうでもええことですよね(笑)。 それやのに私、ドキドキしてるって、「地球から考えたら意味わからんねん!」ってなったんです。 よく言う「死ぬわけちゃうねんから」とも思いますね。 やって死ぬんやったらやりたくないですけど(笑)。 それが自己暗示みたいになっているのかもしれませんね。 緊張するときは、毎回そういう思考のパターンに入るんですか? そうですね。 「緊張してどうなんねん」と思って、毎回心のなかで「知るかーーー!」って叫んでます。 ゆりやんさんのネタは振り切っていて、『AGT』で披露したパフォーマンスも衣装も「きわどい」ですが、なぜそこに攻め込んでいくのでしょうか。 芸人を志した頃から、それをひとつの売りにしようと思っていたんですか? まったく違います。 私、漫才師になりたくてNSC(吉本総合芸能学院)に入ったんですが、下ネタどころかギャグも苦手やったし、おっきな声出したりするのも苦手やったんですよ。 それが、自分でもいったいなんでこんなことになったのか……。 以前、番組でおもろい先輩ばっかりとロケすることがあったんですけど、そこで、先輩がおっぱい出したんですよ。 もちろんおっぱい部分はオンエアされなかったんですけど、「うわー! 出してはった〜!! 」って思って。 ……私そのあと、自分がどこでどうやっておっぱい出すかばっかり考えてたんですよ(笑)。 羨ましかったんですね(笑)。 はい、羨ましかったんです。 びっくりしたというより、「いいなー、私も出したかったのに!」って。 それが、考え方が変わったきっかけですか? 「私って、ほんまはこう思ってたんや!」と自覚したというか。 そんなん言ったら性癖みたいになってしまいますけど(笑)、大丈夫になってきたんですよね。 人様には、お食事中にそんな映像がテレビで流れて迷惑かけてるんですけど(笑)、自分的には慣れてきたというか。 きわどい水着を着たりするのも、「笑ってもらうためなら喜んでやる」というふうに、抵抗や恥ずかしさはなくなってきましたか? 『AGT』のときも、のちのち映像を見てくれるやろう日本のみなさんや尊敬する先輩とかが、「あーっ、ゆりやん、何してんねん!」って言ってくれることを想像したらできたんですよね。 本番でも、このあと日本でみんなが見てくれたときに、どういうふうに反応してほしいかを考えながらやってたかもしれません。 なんと、射程は「アメリカの観客」ではなく「日本のみんな」だったんですね! アメリカの人に向けてだけやったら、あんな格好しないです。 あとは、日本にいる私の好きな人に裸をアピールするという(照)。 そうなんですか?(笑) それもちょっと入ってたと思います。 とにかく、アメリカの人たちや番組をとおして、日本のみなさんにお伝えしたいという感覚が大きかったですね。 外国の方とテンポよく英語でやりとりできるようになるまでには、英語の映画やドラマをたくさん見たり、留学生の多いダンスサークルに所属していたときの経験が活きていると以前語っていましたが、そうすればゆりやんさんのようにイキイキとしゃべれるようになりますか? なります(笑)。 それよりも、憧れてる発音の人がしゃべるのを聞いて、聞こえたとおりに言えばいいんです。 音を重視するんですね。 耳を信じてマネをしたほうがいいですね。 それと、何より大事なんは憧れる気持ちで、これがあればできるようになります。 私も中学生で習うような単語とか文法だけで会話してるんで、まだまだなんですけど(笑)。 今後、世界を視野に入れた計画はありますか? とにかくアカデミー賞を受賞したいです。 「アカデミー賞受賞の女優が、しゃべりそうでなかなかしゃべらない」というネタがあるんで、それを本当に現地でやって、日本の人に、「ゆりやん、本番でもネタと同じことやってるやん!」って思ってもらいたいんです。 これも、アメリカを介して日本の人に伝えたいのが大きいんですけど(笑)。 楽しみです。 それでは、お笑いを突き詰めるうえで目指すところは? 本当は、みなさんに伝えられるようなお笑いにしないといけないと思いますし、私が今おもしろいと思うことを、一緒に共有できるようになりたいなと思います。 もちろん全員におもしろいと思ってもらいたいんですけど、まずは「ゆりやんがやるってことはおもろいってことやな」って思ってもらいたいですね。 最近思うのは、おもろい・おもろない、というのは、やってる人がおもろいかそうでないか、ではなくて、受け取るほうの感じ方ひとつやなということです。 だから、そんなに深く考えずに見てほしいです。 私のネタに関しては、とくに意味とかないんで(笑)、深く考えずに見て笑ってくれたら、それが一番幸せです。 今回インタビューをさせていただいた、ゆりやんレトリィバァさんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。 ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。 当選者発表日/8月5日(月)• 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから8月5日(月)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき8月8日(木)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。 キャンペーン規約• 複数回応募されても当選確率は上がりません。 賞品発送先は日本国内のみです。 応募にかかる通信料・通話料などはお客様のご負担となります。 応募内容、方法に虚偽の記載がある場合や、当方が不正と判断した場合、応募資格を取り消します。 当選結果に関してのお問い合わせにはお答えすることができません。 賞品の指定はできません。 賞品の不具合・破損に関する責任は一切負いかねます。 本キャンペーン当選賞品を、インターネットオークションなどで第三者に転売・譲渡することは禁止しております。 個人情報の利用に関しましてはをご覧ください。
次のみなさんは 「ローソクもらい」というものをご存じですか? 「ローソク出せ」ともいうらしく、北海道のある地域で夏になると行われるものなのですが・・・ 北海道以外の地域の人には「ローソクって火をつけるローソク?そのローソクをどうするの?」と疑問ばかりが浮かびそうですよね。 今回は「ローソクもらい」についていろいろ調べてみましょう。 「ローソクもらい」の意味や由来とは? 「ローソクもらい」とは七夕の夜、子どもたちが浴衣を着て提灯を持ち、地域の家々に「ローソクちょうだい」とローソクをもらいに行くもので、現在はローソクではなくお菓子が一般的になっているそうです。 「ローソクをくれないといたずらをするよ!」という内容の歌を歌いながら子どもたちがやってきます。 ハロウィンを想像する人も多いかもしれませんが、 日本でハロウィンが流行するずっと以前からローソクもらいは行われています。 富良野市や室蘭市、函館市とその周辺市町では7月7日に、そのほかの地域では8月7日に行われることが多く、七夕からお盆にかけて行われる地域もあります。 関連: 関連: はっきりとした由来はわからず、 北海道に移住してきた青森県の人たちが、ねぶた祭りの風習を持ち込んだのではないかと考えられています。 戦前まで、 ねぶたの照明はローソクだったため、ねぶた祭りの前になると家々をまわってローソクを集めていたそうです。 また、青森県だけではなく北海道の道南でもねぶた祭りが行われており、江戸時代(1603年~1868年)の後期の「松前紀行」には函館では七夕の日にねぶたが繰り出されていると記されているようです。 現在は、火災の心配や防犯上の理由で、提灯ではなくLEDライトを使ったり、夜間ではなく昼間に行う地域も増えているようです。 また、子どもたちがローソクをもらっても使い道がないし、うれしくないだろうし・・・ということでお菓子をあげることが一般的のようです。 歌はどんな歌詞なの? 子どもたちが歌う歌は地域によって少しずつ異なるようです。 「ローソクもらい」がどういうものなのかわかりましたね。 北海道以外では馴染みのない行事なので、北海道へ引っ越したばかりの人は、「ローソクちょうだい」とやってきた子どもたちに、本当にローソクをあげることもあるそうで、そういう場合は子どもたちががっかりするんだそうです。 歌詞とは異なる内容になってしまいますが、昔から伝わる歌を歌いながらやってくる子どもたちにお菓子を渡し、笑顔が見られるといいですね! 関連: - , , , , , ,.
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