ありふれた会話や仕草を。 凄くありふれた内容の、全然ありふれてない映画『Keiko』

コイワズライ/Aimerの歌詞

ありふれた会話や仕草を

もくじ• Aimer エメ 「コイワズライ」はどんな曲? Aimerの『コイワズライ』は、 アルバム『Sun dance』に収録されています。 Youtubeにはスタジオライブリハーサルverが公開されていて、そちらも必見です! AbemaTV「白雪とオオカミくんには騙されない」主題歌 『コイワズライ』が主題歌となっている『白雪とオオカミくんには騙されない』は、AbemaTVで放送されている恋愛リアリティショーです。 恋をしたい女子高生5人がイケメン男子5人と恋に落ちていきます。 男子メンバーの中に、恋を邪魔するオオカミがいるというのが、この番組の特徴です。 Aimer エメ 「コイワズライ」歌詞の意味を解釈 では『コイワズライ』の歌詞の内容を見ていきましょう。 一人でいるのは寂しくて、心も寒いから、私の凍えた手を君に温めてほしいと願っています。 僕の気持ちはずっと変わらないと誓えるでしょう。 思いは言葉にすることはとても難しくて、上手く伝えようとしても、思いはため息となってただ零れるばかりです。 大切なことほど伝えるのに戸惑ってしまい、いつも笑って誤魔化してしまいます。 ありきたりな出来事すぎて、ふとすると簡単に日々の生活の中に埋もれて溶けていってしまいそうだからです。 ですが、君と過ごす時間はきらきらと輝く大切な時間で、決して忘れたくはありません。 君に「 会いたい」と伝えることは簡単にはできなくて、ただ近くで君が幸せでいることを願います。 「好きだよ」と伝えたいですが、伝えることで壊れてしまうことにも怯えています。 きちんと伝えなければ気づいてもらえずに、お互いの気持ちを見逃してしまうことは分かっているはずです。 空にキラリと星が光ったかと思えば、それは 私の涙でした。 しかしそんなときは、無理していつも笑顔でいる必要はありません。 泣きたいときは泣いてもいいです。 悲しいとき、寂しいとき、そんなネガティブな気持ちのときにこそ、自分に正直になれます。 明日になったからといって、大人になったからといって、すぐに 大事だった人を忘れる必要はありません。 自分の気持ちに嘘をつく必要はありません。 星が輝く夜に、願い事をしましょう。 君のことを思っていたことは忘れたくありません。 ありふれた日々に感じていた幸せや、君の面影を、この恋が消えたとしても、その景色だけは僕の心に残していたいのです。 今は切なく、寂しく感じていても、それが将来私にとって大事なものになるでしょう。

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フジテレビ/ありふれた奇跡

ありふれた会話や仕草を

第4回課題文 解説 今回は82通(!)のご応募をいただきました。 どうもありがとうございます。 ちょっとびっくりしましたが、面白がっていただけたのでしたら幸いです。 とはいえ、僕も訳してみて、これはさりげないようで難しいなあ……という感じでした。 課題を出しておいて何だ、と思われるかもしれませんが、僕のほうも「これってどう訳せばいいんだろう」と、ちょっと答えがすぐには見えないものを今回は選んでみた次第です。 まだ確たる答えにたどり着いていないので、みなさんと一緒に考える機会があるのがありがたいです。 今回の課題文で大きなポイントになるのは、僕が思うに三つあります。 それぞれ、みなさんの訳例をピックアップしながら、僕なりに考えたことを解説したいと思います。 If she were the size she was a year ago, none of them would have fit, but now she had her pick. The shopgirl zipped her into an off-white silk sheath with a slit down the middle of the back. Is it for any particular occasion? Her nose tickled as if she were about to sneeze. She was just as skinny as Sabrina, although she must have worked hard at it — spin class, salad dressing on the side. The shopgirl nodded, her eyes dancing around the room. 多少凝るなら、「ブティックという名の宝石箱」でもいいかもしれません。 とはいえ、比喩表現については、翻訳者はあまりに解説しすぎず、イメージだけを提示してあとは読者に想像をめぐらせてもらうほうがいいと思います。 これが僕にとっては最大の悩みどころで、応募者のみなさんからも、「ここが難しかった」というコメントを多数いただき、ちょっと安心した次第です。 僕が目にしたなかでは(といっても数回だけですが)、三つめの「鬱々」という意味で使われていることが多く、今回も、やり取りの文脈ではこの意味が一番近いと思われます。 僕も三日間考えましたが、妙案はどうにも浮かばず……。 まず、こうした表現を訳す際の僕のポリシーを挙げると、こうなります。 原文が言葉遊びをしているのであれば、もう一つの策として、ルビで原文の音や文字通りの意味を示し、二つの表現の間に語呂合わせがあることを出すという解決方法があります。 これに頼らざるをえない場面も、翻訳をしていると多々あります(最近だと、「ダチョウの時代」という表現が「事なかれ主義の時代」を指している例に出くわして、どうにも日本語で再現できずにルビに頼りました)。 ですが、日本語で何か語呂合わせを作れるのなら、そのほうが「翻訳した」という充実感がありますから、なるだけ挑戦してみるというのが僕の方針です。 今回ですと、「死ぬ」を指す表現として、「成仏する」「三途の川を渡る」や「無縁仏になる」などで、語呂合わせを作れそうでも(作れなさそうですが)、原文の場面がアメリカの文化を前提としている以上は、あまりに日本的にはせず、より中立的な表現の範囲で工夫できるかを考えるべきかと思います。 もちろん、応募者のみなさんは誰も仏教用語を使用されていませんでしたので、僕は一瞬ではあれ「卒塔婆」で何か語呂を考えようとしたおのれを恥じました。 それだけで頭が痛くなってきましたが……。 以上を踏まえて、みなさんから寄せられた案をいくつかピックアップしてみたいと思います。 いい案があれば、また教えていただけたらと思います。 2:登場人物の仕草をどう訳すのか 身体的な仕草の表現は、今回の文章にあちこち顔を出しています。 個人的には、前回の課題の誤訳も踏まえて、どの部位が取り上げられているのかをしっかり考えたい箇所です。 それに加えて、文学作品においては、なにげない仕草が感情の表現になっていることがよくあります。 これも一種の比喩表現と言えるでしょうか。 そのあたりは、あまりに説明的になりすぎず、自然な流れで訳すことを意識してみたいと思います。 Sabrina smoothed her hands over her hips, felt their sharpness through the liquid fabric. この文章は、前半と後半に分かれています。 まず前半は、サブリナが試着したワンピースが体に合っているのか確かめている動作を表現し、後半は、ワンピースの下にある自分の体が、病気のせいでやつれてしまっていることを示しています。 この前後には、場所をそれ以上特定する情報は出てきませんから、場面を想像して考えるほかなさそうです。 ワンピースを試着して鏡の前に立つ、という経験は、男性として生きてきた僕にはないのですが、妻と買い物に行ったときのことを参考にするなら、まずは服の腰回りが自分に合っているかどうかを確かめる動作になるかと思います。 それに加えて、文の後半で、突き出てしまっている骨が感じられるという情報がありますから、それがより分かるのは、やはり「腰」ということになるでしょうか。 腰骨が浮いてしまっている、という彼女の姿は、想像するにはちょっと辛いのですが。 みなさんがどう訳されているのか、いくつか挙げてみます。 確かに、ここはどちらでも意味が通りそうな箇所です。 死が近い、というサブリナの言葉に不意をつかれて、ちょっとどう答えたものか戸惑う心の内が見える箇所です。 ・お腹の前で手を重ねた ・腰を抱くように腕を組んだ ・腹の位置で腕を組んだ ・両手を胸の下で組んで いわゆる「腕組み」の一種と言えなくもないのですが、胸の前で腕を組む動作が、「自信」のニュアンスを含んでいるのに対して、今回はお腹の前で腕を組んでいますので、どちらかと言えば、やや防御的な姿勢だと言えるかもしれません。 そう考えると、この場面は、「お腹を抱えるように」という、ちょっとだけ比喩のニュアンスを交えて、ただし「守る」とまでは言い過ぎないような形で訳すのが妥当なあたりかな、と思います。 The shopgirl nodded, her eyes dancing around the room. 目の動きで感情を伝える表現は、どうしても文化によって約束事が違うせいで、そのまま訳しても意味が伝わりづらいケースが多く出てきます。 目玉をぐるりと回す、というだけでは、「呆れている」という感情は日本の読み手には伝わりづらいので、動きを訳すよりも「呆れた目になる」とするほうがかえって正確な訳かもしれない、といったように翻訳者泣かせの表現はいくらでもあります。 今回の一文で大事なのは、「このワンピースはほんとうに似合うのか」とサブリナに問われた店員の女性が、頷いていると同時に、サブリナにしっかりと目を合わせることができていない、という点だろうと思われます。 通常であれば、営業職の人は相手の目をしっかりと見てお勧めしなければならないわけですが(これは営業だけでなく会話一般にも当てはまります)、この店員にはそれができていません。 それだけを取り出せば失礼とも言われそうなのですが、ここはサブリナの死期が近いという情報を受け止められないという心の揺れがそのまま表れているため、逆に、「似合っているのだが、それを死期が近い人にどう勧めたらいいのかわからない」という気持ちがサブリナに伝わっているという場面になると思います。 それが後押しして、サブリナはそのワンピースを買おうと決心することになるわけです。 その「直視できない」という目の動きが、英語では「部屋のあちこちを踊る」という表現になっていますが、日本語でその動きに一番近い目の動きとしては、「目が泳ぐ」というものが挙げられるでしょうか。 ただし、それだと心の動揺というよりは「やましさ」「隠し事」という面が出過ぎる可能性もあるので、目が「あちこちをさまよう」というほうが、今回はぴったりくるかもしれません。 こうした身体表現に関しては、 という辞典が出ています。 これはかなり評価が高い本ですし、僕も折々にお世話になります。 目なり手なり、具体的な表現のニュアンスをとてもよく教えてくれます。 とはいっても、最終的には、翻訳する自分が、その仕草になるように体を動かしてみて、場面と照らし合わせてみて、どんな心情がそこにあるのかを思いめぐらせる、という「実演+想像」が、最大の調べものではないかという気がします。 英語でアクションシーンが描写されているときなども、僕はよくその動きを家で実演して、家族からは不審がられています。 3:会話の表現 会話のセリフは、それぞれの登場人物の性格や、会話をするふたりの間柄を伝えてくれます。 とはいえ、どんな口調で訳すべきかとなると、なかなか難しく、実際にその場面を演じてみる訳者もいるそうで、そうなると訳者兼役者といったところですね。 僕は電車でたまたま隣にいる人が会話しているのを耳にして、そうかこの口調はぴったり合いそうだ、と気づいたりします。 今回は、店員と客の会話ですから、店員は丁寧な言葉づかい、客であるサブリナは、もうひとまわりくだけた感じだと想定するのがよさそうです。 そのあたりは、たとえば日本のデパートに入っているブランドショップでの店員の応対をイメージしてもらえれば、わりとすんなり訳せる箇所かと思います。 すごくシンプルな一文ですが、僕から見て、これは相当な難物です。 その言葉によって、聞かされた自分も悲しい気持ちを共有し、同情していることを相手に伝える役割があります。 しかし、日本語でこれにぴったりくる表現があるかというと、僕はどうも出会えていなくて、せいぜいが「それは気の毒に」というあたりでしょうか。 そのヴァリエーションとして、村上春樹氏が「気の毒したね」と翻訳したという例もあります。 言葉に詰まるというよりは、型通りの表現を借りつつ、うまくその場をしのごうという感じでしょうか。 そうすると、「失礼しました」あたりのニュアンスもありなのですが、どうにも日本語で同情を示すと同時に詫びるような日常的な表現がないのが苦しいところです。 多少脱線になりますが、「それは大変なことを」とすると、サブリナの大変な思いと、自分が大変な勘違いしていたことを両方指すことができるかなと思うのですが……。 まずは、この発言が店員のものなのか、サブリナのものなのか、明示されていないので、そこが一つ目の分かれ目になります。 店員の言葉と解釈した場合は、「私なら着古します」といった訳がありえます。 次の分かれ目は、ワンピースを「着倒す」か、「このまま着ていく」か、という点です。 サブリナのセリフとしての訳が、この点に関してはちょうど半々くらいに分かれました。 僕は後者の「このまま着ていく」だと思っています。 まず、ワンピースを試着したままの会話ですから、通常であれば自分が着てきた服に着替え直して、買った服は包んでもらう、という流れになると思います。 ただし、この主人公サブリナは死期が近いわけで、つまりは彼女に残された時間はそれほどありません。 気に入った服があれば、家に帰って着替えるなんて悠長なことは言ってられない、今すぐ着て街を歩きたい、という思いから、「(似合うなら)このまま着ていくわ」と彼女が言っているだと考えるほうが、この場面はしっくりくるだろうと思われます。 4:細かい表現 なにげない単語レベルでも、どう訳すべきかちょっと迷う言葉が、今回はけっこう多かったと思います。 少なくとも僕はあちこちで迷ったり悩んだりしました。 ここは「店に~がかかっている」という意味で用いられていますので、「~がかかっている」あるいは「~が並んでいる」あたりがちょうどいいでしょうか。 日本語での「ドレス」は、わりと正式なウェディングドレス、カクテルドレス、イブニングドレスなど、僕から見て、やや華やかなデザインのものを指すケースが多いでしょうか(勘違いだったらすみません)。 今回は上等なワンピースというほうが近いのかな、と思います。 ちなみに「シースドレス」という単語もあるにはあるらしいのですが、やはりそれですぐに形を思い浮かべられる読者はそれほど多くないと思います。 ここは体にぴったり沿ったデザインであることが、着られる・着られない、痩せた体が手でも感じられる、という前後の文脈において大事ですから、それがすぐに伝わるように、「細身」などの日本語にしてあげたほうが親切な箇所です。 このあたりの業界用語についての質問もいただきました。 僕が心がけているのは、文学作品である以上、誰でも物語に入れるように書かれているはずなので、作品が最初から意図的に壁を作っていないかぎりは、用語のレベルで分かる読者と分からない読者の間に壁を作ってしまうのは避ける、ということです。 その意味もあって、僕は訳注もあまり好きではありません。 分からない地名なり固有名詞なりが出てきても、今はすぐに携帯電話で検索できますから、物語をなめらかに進めることのほうが大事だと感じています。 みなさんの訳でも「特別な機会」や「特別なイベント」、あるいは「特別な日」や「パーティ」や「特別な理由」など、さまざまに工夫されていました。 僕も最初「パーティ」にしていましたが、気合いの入ったデートでも着ることはあるし……と思い直して、何でも入るように「特別なご予定」としてみました。 それぞれ「スピンクラス」「脇にサラダのドレッシング」とすると、何を意味するのか、ちょっと伝わりづらくなってしまいます。 目下のところの僕の案は、「エアロバイクの教室に通い、サラダにはドレッシングをかけない」というものです。 ここは「現金」とはっきり訳すべきところです。 海外ドラマ、とくに『Sex and the City』あたりをご覧になっていた方ですと、ファッション関係での買い物に際して、客はまず間違いなくクレジットカードを取り出します。 高額な買い物に際して現金を持ち歩く習慣は、アメリカではまずありません(フランスでもないようです)。 ですが、ここでのサブリナは現金を取り出します。 その理由は、クレジットカードが前提とする「未来の引き落とし」という時間は、サブリナには残されていないからです。 彼女が生きている間にすべて使い切るつもりで現金を持っていること、それくらい自分の時間が短いと思っているということが、カードではなく現金を取り出すという行為に凝縮されている場面です。 今回の課題文は物語の冒頭だけですから、物語がどんな終わりを迎えるのか、せっかくなので次のページでご紹介します。 結末を知りたくない方は、 にお進みください。 米文学者・翻訳家 藤井 光 ふじい・ひかる/1980年大阪生まれ。 2002年北海道大学文学部言語・文学コース卒業。 2007年同大学院文学研究科言語文学専攻博士課程修了。 現在、同志社大学文学部英文学科准教授。 主な訳書にアンソニー・ドーア『すべての見えない光』、ダニエル・アラルコン『夜、僕らは輪になって歩く』、テア・オブレヒト『タイガーズ・ワイフ』(以上、新潮社)、マヌエル・ゴンザレス『ミニチュアの妻』、サルバドール・プラセンシア『紙の民』(以上、白水社)、ロレンス・ダレル『アヴィニョン五重奏』(河出書房新社)など。 著書に『ターミナルから荒れ地へ 「アメリカ」なき時代のアメリカ文学』(中央公論新社)。

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コイワズライ/Aimerの歌詞

ありふれた会話や仕草を

楽曲名「コイワズライ」とは 「コイワズライ」を日本語に直すと 【恋煩い こいわずらい 】になります。 この言葉は ある人を恋い慕う気持ちが つのったあまりに病気のようになること。 という意味を持っていて、 これに陥りやすい人の特徴は• 片想いをしている• 恋愛経験が少ない• 気持ちを相手に伝えることができない• 自分に自信がない• 公にできない恋をしている などが挙げられる。 本楽曲に共感性を感じる方は、このうちのどれかに当てはまるのではないでしょうか。 そして 「恋煩い」の代表的な症状は• 食欲がなくなる• 睡眠欲がなくなる• 溜め息が多くなる• 体重が減少していく といったものがあります。 「コイワズライ」 この楽曲名が歌詞の内容と どう関与しているのでしょうか。 敢えて 「カタカナ表記」に なっている理由にも迫っていきます。 と、その前に楽曲情報を。 「白雪とオオカミくんには騙されない」主題歌! 今回紹介する 「コイワズライ」は AbemaTVで送られるリアリティ番組 「白雪とオオカミくんには騙されない」 の主題歌になっています。 下の動画は、SPECIALトレーラー映像。 「コイワズライ」の視聴ができるとともに、番組の雰囲気を把握できるかと思います。 どちらかを未視聴の方は、 この機会に是非ご覧ください。 なぜ、楽曲解釈の前に番組紹介を挟んだのかと言うと、「コイワズライ」はAimerが番組のために書き下ろした楽曲だからです。 軽快なギターに乗せた文面では 10代の淡い恋模様 が歌われています。 これらを踏まえた上で、 更に楽曲に迫っていきます。 MVの意味・解釈 現時点でMVはございません。 公開され次第、公開いたします。 では、本題の歌詞に迫っていきます。 歌詞 泣き虫を笑って 強がりは気づいて わがままを許して 気まぐれに付き合って そばにいたくて 寒いのは苦手 かじかんだ手取って 繋いでみせて ねぇ 苦しさを分かって ずっと続く愛しさをわかって そんな心はいつだって そっとため息こぼす だから伝えたいことって いつも伝えられなくって 不器用に笑って 誤魔化すんだよ ありふれた会話や仕草を 少しも忘れてたくはないよ ゆらりひらり 白雪のように 溶けてしまわないように 嘘つきは嫌いで 曖昧を選んで 会いたいを隠して 笑顔を祈ってる ねぇ 伝えたいことって いつも伝えたくなくって すれ違ってばかりで 見逃すんだよ 色づいた街灯の明かりが 少しも優しくなんかないから 空にキラリ 瞬くように 涙は踊っていた 悲しくなっても 寂しくなっても 泣きたくなっても いいんだよ 悲しい時こそ 寂しい時こそ 大事なことがあるんだよ 悲しくなっても 泣きたくなっても 恋しくなっても いいんだよ 明日になっても 大人になっても いつまで経っても 色づいた街灯の明かりが 少しも優しくなんかないけど 空にキラリ 瞬いている 星降る夜に願いを ありふれた会話や仕草を 少しも忘れてたくはないよ ゆらりふわり 白雪のように 恋が消えたとしても 寂しくなっても 切なくなっても 恋しくなっても いいんだよ 寂しい恋こそ 切ない恋こそ 大事なものにるんだよ 悲しくなっても 寂しくなっても 泣きたくなっても いいんだよ 悲しい時こそ 寂しい時こそ 大事なことがあるんだよ スポンサーリンク 歌詞の意味・解釈 1番 泣き虫を笑って 強がりは気づいて わがままを許して 気まぐれに付き合って そばにいたくて 寒いのは苦手 かじかんだ手取って 繋いでみせて 前提として本楽曲の主人公は いわゆる 「恋煩い」を患っています。 恋心の強さ故に悩み苦しんでいるのです。 この文面は恋心を抱いている相手に対して ~して と、様々な事柄を要求しています。 一見すると 「重たい」と感じてしまう文面ですね。 しかし、そうではないのです。 これだけ要求するのには理由があります。 ねぇ 苦しさを分かって ずっと続く愛しさをわかって そんな心はいつだって そっとため息こぼす だから伝えたいことって いつも伝えられなくって 不器用に笑って 誤魔化すんだよ なぜこんなに ~して と要求しているのかと言うと 「コイワズライ」ゆえに苦しいから。 叶えてもらうことで安心したいから。 本楽曲の主人公は恋している相手に自分の気持ちを伝えられないでいる。 だから 「~して」と綴られる内容は、 相手に直接伝えることができない心の内なのです。 こんなに悩んでいるのに、 君の前では下手くそに笑って、 恋故の苦しみを誤魔化している。 強き恋心故の、あるあるですね。 サビ1 ありふれた会話や仕草を 少しも忘れてたくはないよ ゆらりひらり 白雪のように 溶けてしまわないように ここで分かるのがぼんやりとしていた 「相手との関係性」です。 主人公が患った 「コイワズライ」は、付き合っている最中に芽生えたものではなく、片想いをしたことで芽生えたもの。 そして、ここで一つの仮説が生まれます。 この仮説を踏まえると、 サビ1およびその後の歌詞の情景 が腑に落ちます。 だから、その時点で 物理的距離が離れてしまうのも時間の問題なのです。 そう考えると、どんな情景に置き換えても 雪みたいに思い出が溶けることを恐れる という主人公の感情には共感が持てます。 では、2番に続きます。

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