北センチネル島の先住民とは? 北センチネル島の先住民とはいったい何者なのでしょうか? 北センチネル島はマレー半島とインド亜大陸に挟まれたベンガル湾に浮かぶ小さな孤島で、インドの領海内に位置しています。 島は手つかずのジャングルと透明度の高い海、真っ白な砂浜が広がり、とても美しい島です。 その北センチネル島に古くから住んでいるのが先住民のセンチネル族。 センチネル族に関する確かな情報は現在もほとんどなく、言語や生活習慣も分かっていません。 センチネル族は長い歴史の中で外界との接触を一切拒否していて、近づく元は誰でも襲撃する非常に好戦的な部族です。 「近づくと死ぬ」と恐れられ、今回の宣教師殺害事件の他にも過去に地元漁師2人が殺害される事件も起こっています。 youtube. そして非常に好戦的なのも本当のようで、ドローンを長い棒のようなもので威嚇し追い払う様子が撮影されています。 いったいなぜセンチネル族はそこまで頑なに外界との接触を拒むのでしょうか? その理由の1つは、推測ですが、抗生物質の発達に伴い体制が強化されたウィルスなどによる疫病から自らを守るためと言われています。 実際、世界の他の部族では最後の生存者がそうした疫病により死亡し絶滅してしまうということも起きていて、自らの種の存続を守るためにはセンチネル族の行動はある意味当然のことなのです。 センチネル族のような秘境に住む先住民は世界中が注目し、危険を顧みないバックパッカーや冒険家などが何度も接触を試みたりもしていますが、そうした軽率な行動によりセンチネル族を絶滅に追い込む可能性があるということを私たちは忘れてはいけません。
次のインド洋に浮かぶ北センチネル島。 外部との交流を拒否しており、交渉しようとすれば弓矢で応戦し、近づく漁民も殺害してしまうという。 地元政府は外部の接近を禁止じており、実体は謎のベールに包まれている。 ミステリアスな「世界最後の秘境」の実態に迫った。 (ニューデリー 森浩) 外界から隔絶「旧石器時代の面影残す」 北センチネル島は、ベンガル湾にあるインド連邦直轄領アンダマン・ニコバル諸島に属している。 諸島の南西部に位置しており、ほとんどが密林で、あたりをサンゴ礁に囲まれた約60平方キロの島だ。 「ここに住むセンチネル族は文明からの接触を拒絶している。 多くのことが現代においてもいまだ分かっていない」と話すのは、アンダマン・ニコバル諸島政府関係者だ。 関係者によると、センチネル族は狩猟や釣りで食料を確保しており、おもに野生のブタなどを狩っているという。 当然電気もないため、火をおこして自給自足の生活を過ごしているとみられる。 沿岸の浅い海域を移動するためにカヌーを使うが、オールは使っておらず、長い棒で海底を押して操作する。 男女ともに衣服を着用していない。 「生活としては石器時代の面影を残しているといえるだろう」と地元政府関係者は話す。
次の[画像のクリックで拡大表示] ベンガル湾に浮かぶインドの離島、北センチネル島で11月、米国人宣教師が死亡した。 この事件をきっかけに、立ち入りが禁止されているこの島に再び関心が集まり、島の人々の将来を心配する声が高まっている。 彼らは狩猟採集を生業とし、長らく外部からの接触を拒んできた。 (参考記事: ) 20世紀後半を通じて、北センチネル島を含むアンダマン・ニコバル諸島を管轄するインド政府は、センチネルの人々との接触を試みてきた。 しかし、その試みの多くは、海岸から一斉に放たれる矢や槍に出迎えられた(1970年代には、ナショナル ジオグラフィックのドキュメンタリー番組のディレクターが、撮影中に槍で負傷した)。 失敗が相次ぐなか、1990年代初頭に行われた2度の接触は特筆に値する。 このとき、センチネルの人々は、インド国立人類学研究所(AnSI)の人類学者を含むチームからココナッツを受け取ったのだ。 このチームに唯一の女性として参加していたのが、マドゥマラ・チャトパディヤエ氏。 子供の頃からアンダマン・ニコバル諸島の部族を研究することに憧れていた同氏は、人類学者となって6年にわたり彼らを調査、20本の論文と、著書「Tribes of Car Nicobar」を出版した。 (参考記事: ) AnSIの博士研究員だったチャトパディヤエ氏は、1991年1月、北センチネル島へ行くチームに加わる最初の機会を得た。 だが、難点が一つあった。 島々の「敵対的な」部族との接触を試みるチームに、女性が参加したことはなかったのだ。 「リスクを承知しており、傷害を負ったり死亡したりしても政府に賠償金を請求しない、という覚書を書かなければなりませんでした」とチャトパディヤエ氏は振り返る。 「両親も似たような覚書を書かされました」 無事許可を得たチャトパディヤエ氏は、センチネルの人々と接触した初めての女性人類学者となった。 あれから27年を経た今、北センチネルの島民との接触について、同氏がナショナル ジオグラフィックのインタビューで語ってくれた。 ココナッツを浮かべる 「(1991年1月の調査の)数カ月前にAnSIが送ったチームは、いつも通りの敵対的な応対を受けたので、私たちは少し不安でした」とチャトパディヤエ氏は話す。 チームは小さなボートで島に近づき、無人の砂浜に沿って煙が立ち昇る方へと進んだ。 4人のセンチネル族の男性が、弓矢を携えて海岸へ出てきた。 「私たちは、彼らの方へ向けてココナッツを浮かべ始めました。 驚いたことに、何人かは水に入り、ココナッツを回収していきました」 その後の2、3時間、ココナッツを拾うために、男性たちは何度も砂浜から水中へとやってきた。 離れた場所から、女性と子供たちが眺めていた。 とはいえ、よそ者である人類学者たちが襲われる危険性はまだあったと、チャトパディヤエ氏は振り返る。 (参考記事: ).
次の