枕草子 内容。 枕草子の原文内容と現代語訳|清少納言の生涯

【清少納言はキラキラ女子?】『枕草子』をInstagram風に超訳してみた。

枕草子 内容

『枕草子』は、平安時代中期に中宮定子に仕えていた清少納言によって書かれた随筆です。 『清少納言記』、『清少納言抄』などと呼ばれることもありました。 文章は平仮名を中心とした和文で、短編が多いことが特徴的です。 センスある文章からは、作者の清少納言が非常に知的な女性であったことを感じることができます。 また、同じ頃に中宮彰子に仕えていた紫式部が『源氏物語』を執筆しており、宮中では何かと比較されることもあったようです。 紫式部の書いた『源氏物語』が醸し出す「もののあはれ」に対して、清少納言の『枕草子』は「をかし」という心情を表現しています。 「これは素敵」、「こんなことは嫌だ」など、この時代の女性にしては珍しくはっきりと自分の考えを述べている清少納言。 彼女の世界観は現代の私たちにも十分通じるものがあります。 『枕草子』は清少納言が自然について、宮中の出来事についてなど、さまざまな事柄に対して独自の鋭い視点で書き綴っている随筆です。 内容は大きく分けて3つの段に分かれています。 その3つとは、「山は……」など、趣の深いものについて綴っている「類聚的章段(るいじょうてきしょうだん)」、宮中で仕えている時に起こった出来事を日記風に綴っている「日記的章段」、そして自然の様子や身の回りのことについて綴っている「随想的章段」があります。 たとえば、「春はあけぼの」でよく知られている第一段は「随想的章段」。 「春は明け方が良い、少しずつ周囲が白くなってきて山並みが明るくなり、紫がかった雲がたなびいている様子は非常に良いものだ。 」というように、四季折々の「良いと思うもの」について書かれています。 短くまとまった文章が多いので、古典文学作品のなかでは読みやすいものだといえるでしょう。 清少納言について 清少納言の類い稀な知性は、彼女の生まれ育った家庭環境が育んだものでした。 父親の清原元輔(きよはらのもとすけ)は有名な歌人であり、天皇の命を受けて『万葉集』の解読や『後撰和歌集』の編纂などをおこなっていた人物です。 そして曽祖父は『古今和歌集』の代表的歌人、清原深養父(きよはらのふかやぶ)。 このように、彼女は幼い頃から学問や文学が身近にあった環境で育ったようです。 父や曽祖父と同様に清少納言自身も歌を詠み、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙のひとりに選ばれました。 また、彼女の42首の歌が収められた『清少納言集』も作られています。 15歳頃、橘則光(たちばなののりみつ)のもとへ嫁いで男の子をもうけましたが、性格の不一致によって離婚。 しかしその後すぐ、藤原棟世(ふじわらのむねよ)のもとへ嫁ぎ、女の子をもうけました。 清少納言の子どもたちは、のちにそれぞれ歌人と女流作家に。 母親の歌人、作家の才能をしっかりと受け継いでいることがうかがえます。 結婚、離婚、再婚と波乱万丈な生活を送っていた彼女でしたが、27歳の頃に一条天皇の正妻である藤原定子(ふじわらのていし)の教育係を任されます。 ちなみに、一条天皇にはもう一人藤原彰子(ふじわらのしょうし)という正妻がいました。 この、彰子に仕えていたのが『源氏物語』の作者である紫式部でした。 同じような立場にいた清少納言と紫式部は、お互いのことを心のどこかで意識していたようです。 清少納言が紫式部について書き記しているものはありませんが、紫式部の夫である藤原宣孝(ふじわらののぶたか)のことを「場違いな派手な服を着ている」と『枕草子』に書いています。 それにムッとしたのかどうかはわかりませんが、紫式部は『紫式部日記』で清少納言のことを「得意げに自慢の漢字を書いているけど、間違いもあって大したことがない、こういう人の将来はいいことがあるとは思えない」と、評しています。 お互いの立場や文学の才能など共通する部分が多い2人ですが、あまりお互いのことをよくは思っていなかったようです。 定子に仕えていた清少納言でしたが、宮中で藤原道長が力をつけはじめ、その権力争いに巻き込まれてしまいます。 道長のスパイだと疑いをかけられた清少納言は、定子の側から離れることに。 この頃、『枕草子』を書きはじめたといわれています。 その後、定子に呼び戻されて再び仕えることになった清少納言でしたが、難産で定子が亡くなってしまい、宮中を去ることになり、その後は夫の暮らす摂津国へ向かったそうです。 『枕草子』を読むならまずこれ! こちらは、『枕草子』の内容は大体分かっている、という方にぜひ挑戦してみてほしい本です。 原文のみなので、現代語訳付きのものと比べるとやはり難しいと感じるでしょう。 しかし原文だからこそ、古典文学の素晴らしさや日本語の美しさを感じられるはずです。 また、ひとつひとつの章段が短いので、空いた時間を利用して少しずつ読み進めることができます。 『枕草子』の原文から、平安時代の日常を感じてみてください。 いかがでしたか?身のまわりの出来事や感じたことを、歯切れよく知的な文章で綴っている『枕草子』は現代でいうとブログのようなもの。 清少納言が現代に生きていたら、きっとSNSをうまく使いこなしてたはず!そんな彼女の才能溢れる文章が詰まった本作を、ぜひ読んでみてください。

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「枕草子」の内容からわかる平安の猫ブーム!一条天皇の「猫愛」がヤバイ!

枕草子 内容

枕草子とは? 枕草子 まくらのそうし は、平安時代の中期に 清少納言 せいしょうなごん によって書かれたとされる文学作品です。 「枕草紙」「枕双紙」「枕冊子」とも表記され、かつては「まくらそうし」「清少納言記」「清少納言抄」などとも呼ばれました。 鴨長明 かものちょうめい の『 方丈記 ほうじょうき 』、吉田兼好 よしだ けんこう の『 徒然草 つれづれぐさ 』とあわせて、 日本三大随筆と呼ばれています。 特徴としては、平仮名を中心とした 和文で書かれていること、簡潔な文章で書かれた短編の多いことが挙げられます。 なお、清少納言は漢学にも通じていました。 枕草子の内容 枕草子の内容は、一般的には次の三種類に分類されます。 なお、章段 しょうだん とは、文章の段落、長い文章の中の一段落をいいます。 「ものづくし」の 類聚 るいじゅ、るいじゅう=同種類のものを集めること 章段• 自然などを観察した 随想章段• 宮廷社会を思い起こした 回想章段 日記章段 スポンサーリンク 実際に、いくつかを読んでみましょう。 初段の「春はあけぼの~」については、こちらをご覧になって下さい。 瓜にかきたる稚児の顔。 すずめの子の、 ねず鳴きするに踊り来る。 二つ三つばかりなる稚児の、 急ぎて這いくる道に、 いと小さき塵のあり けるを 目ざとに見つけて、 いとをかしげなる指にとらへて、 大人などに見せたる、 いとうつくし。 【現代語訳】 かわいらしいもの。 瓜に描いた幼い子供の顔。 雀の子が、 人がねずみの鳴きまねをすると 踊るようにやって来ること。 二つか三つくらいの幼い子供が、 急いで這って来る途中で、 とても小さな塵 ちり があるのを 目ざとく見つけて、 とてもかわいらしい指でつまんで、 大人などに見せるのは、 とてもかわいらしい。 月のいと明きに 月のいと明きに、川を渡れば、 牛の歩むままに、 水晶などの割れたるやうに、 水の散りたるこそをかしけれ。 【現代語訳】 月がとても明るいときに、 川を渡っていると、 牛が歩くとともに、 水晶などが割れたように、 水が飛び散ったのは、 それは美しいものでした。 宮に初めて参りたるころ 抜粋 宮に初めて参りたるころ、 ものの恥づかしきことの数知らず、 涙も落ちぬべければ、 夜々参りて、 三尺の御几帳の後ろにさぶらふに、 絵など取り出でて 見せさせたまふを、 手にてもえ差し出づまじうわりなし。 スポンサーリンク 枕草子の作者は? それでは、清少納言の経歴やエピソードなどから、彼女の人となりを探っていきましょう。 作者の経歴 実名が特定できないなど不明な部分がありますが、経歴を簡単にみていきましょう。 966年頃 歌人・清原元輔 きよはらのもとすけ の娘として生まれる。 974年 父の周防国 すおうのくに への赴任に同行。 981年頃 陸奥守・橘則光 たちばなののりみつ と結婚、一子を生むも後に離婚する。 - 摂津守・藤原棟世 ふじわらのむねよ と再婚し、 小馬命婦 こまのみょうぶ=女流歌人 をもうける。 993年頃 中宮定子 ちゅうぐうていし に女房として仕える。 1000年 中宮定子が亡くなり、やがて宮仕えをやめる。 1025年頃 没する。 なお、「清少納言」は女房名 にょうぼうな=通称 であり、「少納言」は官職名です。 百人一首の和歌 清少納言は、中古三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人に数えられています。 『後拾遺和歌集 ごしゅういわかしゅう 』などの勅撰和歌集に15首が入集しており、家集『清少納言集』を残しています。 百人一首には、次の歌が採られています。 夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ 清少納言と紫式部 清少納言は、『源氏物語』を書いたとされる紫式部 むらさきしきぶ とライバル関係にあったとされてきました。 たしかに、『紫式部日記』には清少納言をけなすような記述があります。 しかし現在では、清少納言が紫式部に関する記述を残していないことなどもあり、二人は面識がなかったとする見方が有力です。 駿馬 しゅんめ の骨 『古事談 こじだん=鎌倉時代の説話集 』には、次のような清少納言のエピソードがあります。 清少納言の晩年に、彼女の家の前を通りかかった若い貴族が「 少納言無下にこそなりにけれ」と言うと、鬼のような形相をして「 駿馬の骨をば買はざるや」と言い返しました。 つまり、「清少納言も落ちぶれたものだなあ」と言われて、「駿馬の骨を買わないの? =名馬の骨には買い手がつくものよ」と返したのです。 これは実話かどうかわかりませんが、清少納言の頭の良さと性格が伺えるものといえるでしょう。 まとめ 清少納言は、約千年ほど前の平安時代を生きた人です。 しかし、ものの感じ方は現代の我々と変わるところはありません。

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5分で分かる枕草子!日本三大随筆のひとつをわかりやすく解説!

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冬は、早朝(がいい)。 雪が降っている早朝は、言うまでもない。 また、雪や霜がなくてもとても寒い早朝に、火を急いで起こして、(いろいろな部屋へ)炭を持って行くのも、(冬の朝に)大変似つかわしい。 (しかし、)昼になって、(寒さが)だんだん薄らぎ暖かくなってゆくと、丸火桶の火も、(ついほったらかして)白い灰になって(しまっているのは)、よくない =似つかわしくない。 清少納言は、中宮(=皇后)である定子(藤原道隆の娘)に仕えていた女房(=宮中などに仕える女官)です。 約300余段から成り、次の3種類に分類されます。 しかし、『枕草子』の中の定子は、キラキラと輝いていて、辛い描写はありません。 いつまでも美しい主人の姿を残しておきたいという清少納言の気持ちが込められているのでしょう。 プラスは「すばらしい・かわいらしい」、マイナスは「滑稽だ・おかしい」など。 「ああ」と声が漏れ出るようなしみじみとした感情が原義。 どう「ああ」なのか、文脈で判断することが必要。 いかにもぴったりな「似つかわしい、ふさわしい」様子、と覚えておくとよい。 対義語「つきなし」。 よろし〔=悪くはない〕? わろし〔=よくない〕? あし〔=悪い]となる。 「いみじ」単独だと、プラスの意味か、マイナスか、文脈判断が必要。 もともとは、身内の幼少の者に対して「かわいい」と思う気持ち。 「はっと気づいた」ときに目が一瞬大きくなるし、「目が覚めた」ときも同様。 すぐれている 現代語とギャップがある【畏し・恐し】のほうが重要。 相手に土下座するほど敬って大切に育てること。 「実に(じつに)おもしろい」=「本当におもしろい」。 「憂し」は憂鬱の「憂」で、マイナスイメージ。 「うし」だけの場合もある。 「すさまじ」の「さま」が、芸人がよく使う「さむっ」に見えてくると覚えられる。 「大声で騒いでいれば、評判にもなる」と覚えておくとよい。 「こちらが恥ずかしくなるくらい、相手が立派だ」ということ。 「愛づ」は賞賛する、「甚し」は「程度がはなはだしい」の意味。 読みものとしても、とてもおもしろい『枕草子』。 清少納言が考えていたことだけでなく、平安時代の宮中の様子、生活ぶりが見えてくるから、「春は、あけぼの」で終わってしまわないで、じっくりと読んでみては? 原文と現代語訳を照らし合わせながら読むことで、古文の勉強にもなる。

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