その戦いは敵の勝利で終わるものの、深手を負わせることには成功した。 相手の目的はデンジを連れ去ること。 銃を持ったゴロツキたちがデンジを車に載せようと動いている。 いっぽう場面は変わって銃を持った人間たちに襲われたマキマさんは、死んだかのように思われたが「これは返り血、私は撃たれなかった」とピンピンしていた。 マキマさんは駅に迎えに来た部下に「黒瀬くん…法務省から終身刑以上の犯罪者を30人ほど借りてきて、天童ちゃん…近くにある出来るだけ標高が高い神社を貸し切って」という指示を出すのだ。 マキマさんが何をするのか。 それはゴロツキたちの一掃。 目隠しをした犯罪者に「三島シュウゾウ…と言いなさい」と名前を復唱させるとデンジの周辺にいたひとりがマキマさんに操られるかのように全身を握りつぶされて死んでしまうのだ。 まるで生贄。 マキマさんの能力の具体的な説明や代償、過去などはこれから明らかになっていくはずだ。 アキ君もまた狐の悪魔の力を失い、呪いの刀には残り二年という寿命を宣告される。 そんな満身創痍のアキ君の前に現れた天童&黒瀬は「やめないならもっと強い悪魔と契約して特異課に貢献してもらわなきゃいけないみたいです」と覚悟を迫るのだ。 そんなふたりに「家族を殺した奴も…バディを殺した奴もまだ生きてる。 なのになんでやめれるんですか?」と即答するアキ君は、未来の悪魔と契約することになる。 ひとりは寿命半分。 もうひとりは両目と嗅覚と味覚をささげているという。 そんな悪魔にアキ君は最悪な死に方をすると宣告され、右目を差し出すことになるのだ。 新キャラも続々と描かれる 銃で死ぬのは人間のデビルハンターたち。 生き残るのどれも人外となった者たち。 サメの魔人・暴力の魔人・クモの悪魔・天使の悪魔……彼らがデンジたちとどういう関係を築くことになるのか……5巻の発売を楽しみに待っていたいと思う。
次の15,593• 3,708• 7,479• 2,018• 217• 1,634• 497• 598• 169• 116• 11,304• 103• 1,478• 1,568• 540• 277• 372• 544• 130• 273• 365• 196• 295• 226• 330• 446• 213• 126• 428• 238• 116• 139• 2,188• 774• 398• 114• 258• 176• 151• 129•
次のだからお互いに同じ映画を見て、「あれかっこいいよね」って話していたものから引き出されるデザインが多い印象です。 あと、僕も藤本先生も、デザインに関してはディテールよりも、本質がしっかりしているデザインがかっこいいって思うタイプなんです。 どんな奇抜なデザインをしていても、その本質に目新しさがないと意味ないんですよね。 根本が考えられているデザインに惹かれるんだと思います。 僕の言葉で言うと、そういうデザインは「強度が高い」んです。 具体的には、チェンソーマンは狂暴でイっちゃってるっていうキャラの本質が、デザインからすぐに伝わるのがすごいなって思います。 そういうところは僕がやりたいところでもあるので、藤本先生の作品を見てるとすごく刺激を受けます。 キャラクターの性格で言うと、『ファイアパンチ』のトガタとか、藤本先生の描くキャラクターにはその人間性の中心にギャグがすでに含まれているんです。 だから、はたから見るとギャグにしか思えない行動も、そのキャラクター的には大真面目にやっているという構図ができる。 またそのキャラクターのギャグ要素がストーリーを動かしていくっていう作り方が、藤本先生の作品の根幹にあるような気がします。 そういえば主人公のデンジは藤本先生に似ています。 彼の語尾は完全に藤本先生のそれですもんね。 ご本人も「俺はよぉ、そのためだったらよぉ」とか、そういう口調でしゃべる時があるから(笑)。 『ファイアパンチ』もそういう作品だと思います。 僕たちは作品を評価する時の基準のかなり大きい部分が、「他の作品と違う感覚」とか「新しい見せ方」っていうところに占められています。 「こんなの見たことない!」っていうものを見た時の喜びが大きいんです。 ただし、単に変わっているだけではダメで、本当にその世界が存在すると思わせてくれる「マジ感」っていうのが必要なんです。 藤本先生の作品も、物語全体のスケールは壮大で次から次に展開が変化するんですけど、最終的には具体的な、手の届く感情に帰結させていこうとするんです。 そこに「マジ感」を感じられるというか。 そのあたりは『寄生獣』とか『シグルイ』などの名作に通ずるところがありますね。 でも、藤本先生はその好きなものをそのままの形でボーンって出しちゃう。 それを見ると「これ大丈夫か!? 」って思う時もあるんですが、読者にはそのまま受け入れられている。 だから『チェンソーマン』の悪魔も、デザイン的にはそれほど意外性はないですよ。 「あ~思っていた形が出てきた!待ってました!」っていう感覚で、デザインそのものには驚きはあまりありません。 ただ、それをそのままやるんだっていうところに「え~!? 」って思うことがあります。 具体的に言うと、デンジが変身するチェンソーマンのデザインについても、「とってつけた感じ」をあえて出していると感じました。 チェンソーの部分を自然に馴染ませるデザインは、藤本先生はやりたくないんだろうな、と思います。 あと、少し話はそれますが、第3話で藤本タツキという名前がビルの看板として出てくるのですが、「あえてやるチープさ」というか、そういう部分がすごく良いなと思いました。 あとでご本人に聞いてみたらアシスタントさんが勝手にやったと言っていましたが(笑)。 でもそれをOKにするのがすごく良いですよね。 そういう粗削りな部分というか、そのままドンって置いてある感じっていうのは、藤本先生が意識的にやっている部分だと思います。 担当:そういうことをやれる勇気がありますよね。 普通は不安になるようなことも「行っちゃえ!」とアクセルを踏む勢いがある。 賀来:そうですよね。 素材がそのままの形で出てくるような料理でも、お皿ぐらいは整えようかなって思うし、そのまま出すにしても「あえてそのまま出したんですよ」って説明したくなるんですけど、藤本先生にはそういうところがない。 そこはすごいなぁと思います。 変身後のデンジのデザインも、普通だったら「もう少しなんか足しちゃいたいな」って思うんですけど。 頭に取っ手が付いている感じも藤本先生らしいんですよね。 普通はチェンソーの化物をデザインしようとすると、刃の部分だけをメインにすると思うんですけど、藤本先生の場合は道具そのものが頭に乗っている感じになるんです。 あと、藤本先生と僕のデザインの仕方で違う点を挙げるとすれば、藤本先生は笑いの要素を取り入れているところですね。 僕はデザインする時、どうしても「かっこいい」ってことばかりにこだわってしまって、それは自分の欠点だと思っているんですけど、藤本先生は僕の好きなデザインの感性に加えて、結構大きな分量で笑いが入っている。 それはストーリー的にもそうです。 そこは憧れるところですよね。
次の