東京 03 島田 しんすけ。 島田紳助が引退した理由の真相を引退会見から暴く

石橋貴明と島田紳助が不仲だと言われるのはなぜ!?石橋のモノマネに紳助がブチ切れた!?

東京 03 島田 しんすけ

島田紳助の引退会見は衝撃的で世間を賑わせた。 普通の視聴者なら「なぜ急に引退するんだ」という疑問もあっただろう。 あの引退会見で紳助は前提として もう芸能界からいなくなるわけですから、守るべきものも何もありませんから、吉本興業にもすべて正直に喋りましたし、今日もすべて正直に喋ろうと思っております。 と前置きをして引退する理由を話しはじめた。 紳助は本音を話すときにネクタイの結び目を触るクセがある 紳助の番組をよく見ている人は知っていると思うが、 紳助は 本音や真実を話そうとする時にいったん自分のネクタイの結び目を触るクセを持っている。 特にスーツを着ている『行列のできる法律相談所』の時はそれが顕著だった。 例えば、「これマジメな話するけどホンマに・・・」と前置きする場合だ。 引退会見の時も同じだった。 ただし、事件の話の内容のすべてが正しい真実とは思えない言い回しをしている。 「十数年前の僕が解決できない悩み」という話をする前にネクタイの結び目を触っていたことから、 紳助本人はこの「十数年前の僕が解決できない悩み」が非常にキーポイントだったということがわかる。 「十数年前の僕が解決できない悩み」とは右翼団体とのトラブル 「十数年前の僕が解決できない悩み」と会見で話たこの悩みとは、 関西ローカルで放送されていた『紳助の人間マンダラ』という番組での発言が問題になっている。 紳助は街宣車に文句をつけて「皇室の菊の紋」を侮辱するような発言をしたトークをした。 そして、その放送を耳にした右翼団体が激怒したのだ。 激怒した右翼団体は関西テレビ放送の前で大音量で街宣する攻撃をされたと言われている。 これが事件の発端だ。 では、なぜ紳助はそんなことをテレビで発言したのか? それではなぜ紳助は番組のトークでそんな発言をしたのか。 これは 関西ローカルと全国区放送の番組の性質の違いにある。 問題になった発言があった『紳助の人間マンダラ』という番組は関西ローカルの番組だ。 そもそも関西ローカルの番組というのは• 番組製作のお金がない• 枠をはみ出す面白さを良しとする風潮• 企画ありきではなく、芸人や出演者に完全に任せる傾向 このような独特の特徴がある。 なので紳助に限らずを見ていればわかるように、 どんどんぶっちゃけて話すトークがすごく好まれる。 つまり、全国区なら控えようとするような内容でも、 関西は何でもしゃべってしまえというような雰囲気もあるために、 このようなきわどいトークもそこまで考えずに話たのだと想像できる。 神経質で気の小ささが伺える紳助の性格があらわれている 紳助はこのように裏社会と繋がっている団体を大きく敵に回してしまったことを相当悩んだのだろう。 これは引退会見でも言っていた「どうしようもない」という状態だったということが伺える。 どうしようもないことが起こったんで、自分自身が本当に(芸能界)を辞めようと思いまして と発言している。 この辺で相当悩んで芸能界の引退を考える程落ちてしまうのが紳助の神経質な性格がよくあらわれていると思う。 「昔からの友人であるAさん」=W氏にしか頼るしかなかったのか? 紳助が引退会見で表現している「昔からの友人であるAさん」は元ブロボクサーのW氏。 団体とのトラブルについて紳助はのW氏に相談した。 この渡辺氏は義理人情のある人だと言われているそうだ。 おそらく紳助もW氏に関しては非常に信頼を置いていたのだろう。 そして引退会見で表現している「組織のBさん」というのは誰もが知る日本最大の組織の上層部のH氏。 紳助はW氏を通してH氏が団体とのトラブルを解消してくれたと話している。 つまり、団体の攻撃は止んだということだ。 紳助は心境としてもどうしようもない状態のために、 もう彼に頼るしかなかったのかもしれない。 吉本興業はタレントを守ってくれないのか? しかし、ここで不思議に思うのが、 なぜ紳助はそんなW氏に頼るしかなかったのだろうか。 吉本興業は紳助をなんとか守ることはできなかったのかという疑問が残る。 芸能人としての晩年の紳助はドル箱ではあったことは確かだ。 十数年前の紳助だとそこまでドル箱と呼べるランクではなかったのだろうか。 最悪、吉本は紳助がそのトラブルがあった時点で引退してもかまわないと考えていたようにも思える。 会社としての保身? これはやはり吉本興業が法人としての保身を最優先しているからのように見える。 吉本自体がそのトラブルで紳助をかばうことをすることはしない。 それぐらい芸人は 一商品という扱いなのだろう。 吉本は毎年毎年大量のNSC生を資格条件ほとんどなしで募集している。 どんどん人を集めて商品として使えうタレントだけを絞っていけばいいという感覚なのだろうか。 紳助が結局組織の人に解決してもらわないといけないのは、 紳助自体が 会社は自分を守ってくれわけではないという感覚を持っていると言えるかもしれない。 吉本と紳助の対立 しかし、吉本が紳助をかばわない理由というのも見当たる。 紳助は吉本を敵対するような発言を連発していたこともあるのだ。 紳助が慕っていたB&Bの島田洋七は吉本を辞めている。 にもかかわらず、2007年には洋七の映画に紳助は出演している。 これに関しては吉本の上層部の人間には良くは思われていない。 また、橋下市長が府知事時代にワッハ上方をつぶしてしまうという話をしていた時に、 紳助は「記念館とかいらん」とテレビで発言したそうだ。 これにも、紳助が吉本興業に対して良く思っていないという感情と、あえて敵対した発言をしていると考えられる。 昔から会社とこんな関係ならば団体とトラブルになっても会社はかばってくれなくても当然かもしれない。 「これまでお会いした回数は4,5回だと思われます」はウソ? 引退会見で流暢に事件の説明をしている中、違和感のある箇所がある。 まずの箇所の引用。 そして十数年間のお付き合いの中で1回も会ってないかというと、そういうことはありません。 あった回数はえー、自分の記憶の中で約4,5回だと思われます。 これを言ったあと紳助は肩をすくめるような動作をとる。 こんな感じだ。 これも紳助のクセの1である。 これは「約4,5回」と言ったことに関して 攻撃をされないか防御をしようとしている心理が働いているだろう。 「自分の記憶の中では」と前置きしている時点でその数字はいくらでもかまわないわけだ。 記憶の中なのだから。 実際、紳助はH氏を自宅まで招待をしているという話も出ている。 つまり自分では4,5回ではないのを認識しているのではないかと思う。 回数はサバを読んでいる気がする。 組織の人間を特別視しているからこそ特別ではないことのアピールが多かった そして、紳助はW氏を通してH氏と交際をしていたことに関して、 「他の芸能人や先輩方と同じように」 という言葉を強調する。 これは紳助がH氏を特別視していたからこその裏返しだろう。 オレのバックにはあのH氏がついている 紳助はH氏と交友するようになったのいいことに、 何かあると「オレのバックを誰やと思っとるんや」というような旨の発言をするようになったと言われている。 紳助の性格から、H氏との交友で自分は最強の組織に守られているというような感覚を持っていたように思える。 しかし、これは非常にこわいことだ。 同じ芸人や吉本の後輩がこういう言い方をされるともう島田紳助が相当恐ろしい存在に思えてしまうだろう。 ただでさえ恐い存在だと思うれるキャラクターなのに・・・。 H氏との交際を絶交するわけにはいかなし紳助 吉本興業からH氏とのメール見せられた紳助がとった判断は芸能界の引退だったわけだが、 これは裏を返せば、もし芸能界を更に続けていくことになるとH氏および組織の人間とはいっさい絶好をすることになる。 そうするとこれまで味方をしてくれた 最大の組織が最大の敵となってしまう可能性があるわけだ。 紳助の性格上、それに耐えることはできないと判断したように思える。 紳助は生きることに対しては非常に真面目な性格だ。 今後の人生もまだまだやりたいことをやっていくつもりだろう。 そこで、組織と敵対するようなことだけは絶対にしたくなかったはずだ。 つまり、「H氏との絶交」と「トークに脂が乗っている状態での芸能界の引退」を天秤にかけたときに、 紳助は「トークに脂が乗っている状態での芸能界の引退」を選択した方が有利だと判断したということだ。 紳助が引退することに関しての奥さんのコメントがオモシロイ 記者がこんな質問をした。 「奥様、ご家族、身近な方はなんとおっしゃっておりますか?」 の質問に対して あー嫁はあのー「自分のやりたいようにやったらいいよ。 自分の思うように生きてください」と。 という奥さんのコメントがかなり投げやりでオモシロイなと思った。 紳助と 奥さんとのドライな関係がうかがえる。 最後に・・・ 引退会見で松本人志や上岡龍太郎の名前を出すところが紳助らしい。 自分をプロデュースする才能に溢れる紳助が、 最後に自分を飾って格好つけたかったんだなと感じる。 そんな引退会見だった。

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紳助が森三中・大島を大罵倒・・・番組はお蔵入りさせていた ひでえ

東京 03 島田 しんすけ

この日、有吉が番組のCM明けに、王者である・に怒りの形相で掴る様子が放送された。 これはに放送された『』にて、当時のMC・さんが、楽屋へ挨拶に来なかったと噂されるに本番中、激怒した騒動のである。 この放送後、有吉はで「。 できて幸せでした。 で、って何?」と。 また、翌日に放送された自身の番組『のDAY NIGHT 』 系 では、「『』で紳助さんを…。 を本番中に恫喝するっていう。 そういうをやったわけだけども、それでもマジだと思ってる奴がいるだろうなって思ったの。 そういうバカがいるんだろうなって思うと、『不思議な世の中になったなぁ』って」と、一部で本当の激怒だと捉えてしまうに釘を刺した。 とはいえ、のほとんどは有吉の意図を理解し、などでも絶賛の声が飛び交うなど、大きな話題を集めた。 今回、それほど多くの人間が反応したということは、当時のにとっても、紳助さんの激怒事件は衝撃的な出来事だったに違いない。 そんな中、放送の番組『土曜YOの大放送』 では、が紳助さんがMCを務めていた頃の『』のを語った。 塙宣之は「紳助さんが、本当に怒ってたよね」と、当時の収録中に紳助さんがマジギレしていたを暴露。 それによると、番組ではに正解することで賞金が貰えるため、芸人たちは正解を重ねていたようだが、ある時、紳助さんが「芸人での1等賞をマジで狙ってる奴、ありえねぇからな!」と激怒していたとのこと。 なので、芸人たちは終盤わざとを間違えて、俳優陣が1位になるよう調整していたというのだ。 こういった当時の空気感や騒動について、に放送された番組『』 にてが、「あの時にひな壇にいた全員は黙ってたわけじゃん。 なんか凄くない? それって物凄い闇を感じる話だよね」と語っており、現役時代は誰もが紳助さんのことを恐れていたのかもしれない。 島田紳助 関連ニュース•

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島田紳助が引退した理由の真相を引退会見から暴く

東京 03 島田 しんすけ

島田紳助さんが引退したのは、2011年8月のこと。 その3ヵ月後の2011年11月、石橋貴明さんが自身のレギュラー番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』の撮影中に、 島田紳助さんの引退会見のものまねを披露したそうです。 その日は石橋貴明さんの50歳の誕生日だったみたいで、共演者の人達が「サプライズパーティー」でお祝いしたとのこと。 50歳にして引退を決意しました』と、島田紳助さんの引退会見のセリフを言ったそうです。 このことを知った島田紳助さんは激怒し、これが二人の喧嘩の噂の発端になったみたいです。 youtube. トイレや楽屋の前で何度かすれ違ったにも関わらず、東京03が島田紳助さんに対して 挨拶しなかったことが原因。 また、東京03が番組中にやる気がなかったように見えたことも怒ったと言われています。 このことについて、 石橋貴明さんは、「みなさんのおかげでした」で、東京03がゲストで出演した際に、「挨拶しろ!」と言いながら東京03に迫りました。 また、東京03は傷が癒えないうちにネタにされたので、めちゃくちゃ動揺していたとのことでした。 その時ちょうど石橋貴明さんは「とんねるずのみなさんのおかげでした」の楽屋にいました。 そこには取り巻きとも言われる、おぎやはぎやバナナマンなどの、東京の若手芸人たちもいて、楽しく談笑している最中だったようです。 知らない番号から電話がかかってきた石橋貴明さんは、「誰だよ?」と電話をとると、島田紳助さんの声を聞いて表情がかたくなっていったそうです。 そして、島田紳助さんは石橋貴明さんに 「石橋か? 紳助や。 ワレ、ワシのマネしていい気になっとるらしいな! いいかげんにせーよ」と強い口調で言い、がなり立てたとのこと。 その後、島田紳助さんの主張はさらにヒートアップしていき、わめかれ続けた石橋貴明さんは辟易し、携帯をスピーカーモードにして周囲にいた芸人たちに聞かせました。 それから島田紳助さんの文句が一段落したところで、石橋貴明さんは島田紳助さんに 『芸能界引退したヤツが何言ってんだ。 バーカ』と捨て台詞を吐いて、電話を切ったそうです。 その理由が…• 芸能界のトップに君臨していた島田紳助の傲慢な態度が気に入らなかった• 後輩であるおぎやはぎの2人が島田紳助さんの番組に馴染めないと相談をしてきた• 尊敬しているビートたけしさんが島田紳助さんを嫌っていた とのこと。 ビートたけしさんは、島田紳助さんと1980年代に『オレたちひょうきん族』で共演したことがあるみたいですが、それ以降は滅多に共演はしていないそうです。 また、ビートたけしさんの親友と言われている所ジョージさんが『行列のできる法律相談所』に出演した時に、島田紳助さんから、さんざんいじられたことにも腹を立てたとのこと。 そして、ビートたけしさんは島田紳助さんの「親友」と呼ばれている明石家さんまさんに、 「よくあんな奴(島田紳助)と付き合ってるな」と言うほど裏では嫌いだったと噂されています。 ビートたけしさんも、石橋貴明さんも仲間を大切にする性分みたいなので、島田紳助さんに反感を抱いていたのでは?と言われているみたいです。 しかし、石橋貴明さんが島田紳助さんを嫌いな理由に、それとはまた別の噂もあるようです。 そこには、ビートたけしさんを尊敬している気持ちがベースにあったみたいなので、その影響もあって、石橋貴明さんは島田紳助さんを嫌っていたということは事実なのでしょう。 しかし、島田紳助さん個人に不満を抱いていたというよりかは、関西の芸人の勢いが強かったことに反感を持っていたみたいです。 そのトップに君臨していたのが島田紳助さんだったので、レギュラー番組も多く、頭がキレる島田紳助さんが邪魔だったのかもしれません。 だけど、引退後にしか島田紳助さんをイジることができなかったなんて、本当に押されていたのでしょう。 しかし、 「ひょうきん族」の真裏で放送していた番組にもとんねるずは出演していたため、島田紳助さんから「他局の方々」という扱いを受けることに…。 とんねるずは、「ひょうきんベストテン」で「一気!」を披露しましたが、歌い始めると共演者たちから、 「ビール瓶で殴られる、顔面にケーキをぶつけられる、狭い透明の壁に押し込まれゴミを投げられる」など、半ご〇しにされたとのこと。 」「フジテレビ命だよ? 」と言って、降参したそうです。 他局への出演に対し、当時は今よりも厳しかったのでしょうか? そんなとんねるずには、八方美人な印象を受けてしまいますよね。 ということで、このことがきっかけでお互いに仲が悪くなり、 とんねるずと島田紳助さんの共演はNGになったようです。 とんねるずへの仕打ちはやりすぎな気もしますが、当時のとんねるずも色々とやりすぎていたのでしょう。 以上、石橋貴明と島田紳助の喧嘩についてのまとめでした。

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