ギャルソン デザイナー。 栗原たおによるトリコ・コムデギャルソン

川久保玲

ギャルソン デザイナー

世の中に漂う閉塞(へいそく)感、そして無力感。 ファッション界のフロントランナーとして時代の最先端を鋭敏な感覚で嗅ぎ取り、あるときは時代の風潮にあらがってきた川久保玲。 「鉄の女」とも称される彼女は「今」をどうとらえ、どのように前に進もうとしているのか。 高級ブランドを扱う業界には逆風ではないですか。 「どの分野でも、商品の値段や製作費用をいとわず、新しいものを作り出そうとしている人はたくさんいます。 そうした姿勢は、どんな状況であっても人が前に進むために必要なものだからです。 私にとってはファッションこそが、そうした場なのです」 「一般の人には高くて買えない服でも、新しい動きなり気持ちがみんなに伝わっていくことが大切です。 作り手が世界を相手に一生懸命に頑張って発表し、それを誰かが着たり見たりすることで何かを感じて、その輪が広がっていけばいい。 新しいというだけでウキウキして、そこから出発できる。 でも、世の中の風潮は安定感や着やすさを求める傾向にありますね。 「すぐ着られる簡単な服で満足している人が増えています。 他の人と同じ服を着て、そのことに何の疑問も抱かない。 服装のことだけではありません。 最近の人は強いもの、格好いいもの、新しいものはなくても、今をなんとなく過ごせればいい、と。 情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。 そんな風潮に危惧を感じています」 「作り手の側も1番を目指さないとダメ。 『2番じゃダメですか』と言い放った政治家がいました。 けれども、結果は1番じゃなくても、少なくともその気持ちで臨まなければ。 1番を目指すから世界のトップクラスにいることができる。 「ファッションの分野に限らず本当に個性を表現している人は、人とは違うものを着たり、違うように着こなしたりしているものです。 そんな人は、トップモード(流行の最先端)の服でなくても、Tシャツ姿でも『この人は何か持っているな』という雰囲気を醸し出しています。 本人の中身が新しければ、着ているものも新しく見える。 ファッションとは、それを着ている人の中身も含めたものなのです。 最近はグループのタレントが多くなって、みんな同じような服を着て、歌って踊っています。 「いろんなニーズに合った様々なビジネスの形態はあってもいい。 強力なクリエーション(創造性)があるものも、即席のファストファッションも、その中間もあるでしょう。 「そういう傾向がどんどん進むと、平等化というか、多様性がなくなり一色になってしまう恐れがある。 いいものは人の手や時間、努力が必要なので、どうしても高くなってしまう。 葛藤はなかったのですか。 「全然なかった。 ただ、強気のふりも時には必要です。 今回も作品と震災の関係については、言葉少なかった。 その代わり、発表する作品はいつも全く違ったテーマや新しい手法で、世の中に強く訴えかける。 見るものを戸惑わせ、深く考えさせ、心を揺さぶる。 ぼろぼろにほつれた服を引っさげて、パリモードの伝統に風穴を開けたパリ・コレデビューから31年。 その間ずっと反骨の精神を貫いてきた。 サングラスを好み、近寄りがたい雰囲気を漂わせる。 だがインタビューではサングラスを外し、「時には強気のふりをしているだけ」とは意外だった。 大量消費社会が行き詰まりをみせ、既存の価値観が壊れる中、「ふり」をしながらでも自らを鼓舞して前に進むこと、それが新しい流れを生み出すためにきっと必要なのだろう。 (編集委員・高橋牧子) 川久保玲(かわくぼ・れい) さん 1942年、東京生まれ。 慶応義塾大学文学部卒業後、大手繊維メーカー宣伝部に入社。 69年、「少年のように」を意味する仏語「コムデギャルソン」の名称で婦人服の製造・販売を始め、73年に会社を設立。 75年、東京で初のショーを開き、81年からパリ・コレクションに参加。 同時にデビューした山本耀司さんと共に、オートクチュールを頂点とする西欧モードを揺るがす「黒の衝撃」と騒がれた。 その穴のあいた黒い服は日本でも「カラス族」「ボロルック」として流行。 その後もパッドを体につけた「こぶドレス」(96年)、縫製の代わりに粘着テープで接着したジャケット(00年)など次々と話題作を発表し、前衛派の旗手として不動の座を保つ。 朝日賞、毎日ファッション大賞、英国王立芸術大学名誉博士号、仏国家功労章などを受けた。

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sacaiデザイナー阿部千登勢とは?夫・阿部潤一(kolor)との関係も

ギャルソン デザイナー

そもそもコムデギャルソンとはどんなブランドか? 川久保怜氏がデザイナーを務め 日本の服飾ブランドとして日本、海外各地に店舗を構えます。 社長には川久保氏をはじめとして、川久保氏の血縁者を含めて牽引しています。 あおの独特の個性とスケールの広大さで異色の注目を浴びてきたブランド「コムデギャルソン」フランス語で 「少年のように」という意味であるといいます。 人々は川久保氏がデザインするファッションに驚き、時には賞賛を贈り、時に理解を示しながら今日まできています。 川久保氏は東京生まれ、慶應義塾大学を卒業後にアパレルメーカー勤務、服飾デザイナーとしてのは学んでおらず、独学でデザインを行うことで知られています。 東京に生を受けた彼女は学生運動が活発であったという時代に慶應義塾大学を卒業、母校の教育理念の影響もあってのことか、川久保氏はときどき、反骨精神を口にする。 寡黙で多くは熱弁せず、自らの理解を求めようともしないスタンスが有名です。 河久保氏の基本姿勢は常に作品が全てを物語るという考えであり、現在でもコムデギャルソンのファッションは謎が多いものです。 大所帯の会社を率いる川久保氏は元旭化成の社員であり、デザイナーや服飾教育の履修経験はないと堂々と発表しています。 一風変わったブランドであるというのに、コムデギャルソンは世界各地において200以上の直営店舗を持ち、1973年以降からCEOに就き会社を牽引しています。 その川久保氏が1980年代から発表したパリコレクションのラインナップを少しご紹介すると、2000年春夏エンフォースメント、2001年春夏オプテイカルパワー、2002年春夏エスニッククチュール、2003年春夏エクストリームアンバランスメントというように、2017年代に至るまで毎年コレクションを発表してきています。 コムデギャルソンの魅力とはどこにあるのか? とはいえコムデギャルソンのファッションは、これまでのファッション業界のコレクションを大きく覆されるものでした。 まず、彼女が発表する作品の個性を分析すると、創造性こそ働いているものの、 破壊や反骨というイメージを与え、色使いも ダークカラーでまとわれています。 このようなデザインは彼女の内側から出てくるものとされ、最も素直なデザイナーとも揶揄されています。 歴史的にはその昔、カラス族とも言われた川久保氏のスタイル。 カラス族とは全身コーディネートを黒におさめたファッションで身を固める人のことを言いました。 ファッション業界にはより美しいものを根底にデザイナーが活躍されてきたはずですが、そこへ登場した川久保氏の作品たち。 彼女の語る言葉はどこか哲学を秘めています。 哲学というのはよく考えることでしか培われてきませんが、独自の哲学が言葉に秘められていることが感じられる上に、それは道理にもあっています。 彼女が送りだした作品のなかで、彼女だけが感じる美は実は本物であり、これまでに賞賛されてきたファッションが空想なのかもしれない。 そんな幻想さえ感じさせる作品です。 人間には光と影がありますが、 影の内面をうまく表現しているとも言えます。 黒は海外ではシャネルにより発表されたリトル ブラック ドレスが有名ですが、黒は本来喪に服される色、ファッションではあまりお目見えする色ではなく、それも穴の大きく開いたデザインを発表し、広島だと揶揄されるようになりました。 例えば日本のファッションデザイナー山本耀司氏と比較した場合の違いは? 紳士服デザインを女性が着こなすことをテーマに掲げてデザインされたワイズの高級既製服は有名です。 1943年生まれの山本耀司氏が手がけるブランドの「ワイズ」。 ワイズブランドの対象年齢は幅広く受け入れられているおり2000年代では自立した女性を対象にしたスーツライン「ワイズエクスクルーシブ」を発表しました。 山本耀司氏は慶應義塾大学出身で文化服飾学院でデザインを修学しており、種々の賞を受賞している実力派でも知られています。 同時にコムデギャルソンの河久保氏とも戦友であるといいます。 山本耀司デザイナーも多くの受賞歴があり1969年より日・装苑賞、日・遠藤賞、1994年より2000年にかけてフランス・芸術文化勲章、日・紫緩褒章、日本ブランド創造貢献企業表彰、英・ロイヤル・デザイナー・フォー・インダストリー。 1972年に設立後77年に東京コレクションに出展2008年中国、北京市において もショーを展開、2011年にフランスでの芸術文化勲章最高位コマンデユール賞を賞与しています。 山本耀司氏は東京の洋裁店の出自であり、慶應義塾大学を卒業後に文化服装学院へと修学され、卒業時には装苑賞と遠藤賞の二つの章を受賞されたことを機にしてデザイナーの道へと進みます。 最も民間人にみじかなデザインは東京三菱銀行の社員の制服のデザイン、東海旅客鉄道の新制服のデザインで知られています。 株式会社ヨウジヤマモトの事業主としては、アップダウンを繰り返し存続を果たされています。 ワイズではワイズフォーリビングという生活雑貨店も展開されています。 ベッドからソファーに至るまで、ウエア、小物類に至るまで、またギフト類とアウトレットショップも展開されており、高価格帯ながらも買い求めやすいお値段になります。 フローリングで過ごす人が増えてきた昨今においては、ベットシーツやスリッパが人気のようです。 名古屋市に大型直営店も出店され、ヨウジヤマモトのアイテムが勢ぞろいします。 コムデギャルソンとのビジネス面での開きが見えたのは、周知の通りですが、既製服の出がけ方が丁寧すぎることで倒産の危機を招いたとも言われています。 河久保氏がデザイナー以外にもいかにビジネスに長けていたかわかります。 まさにコムデギャルソンの魅力というと、川久保氏の個性、ビジネスでの大所帯を牽引するカリスマ性も存分に大きいのではないかとも思われます。 コムデギャルソンの店舗数はまさに川久保氏の挑戦する力、反骨精神から来ていると思われます。 まるで男性的で競争の世界においては十分な能力だと思われます。 まとめ パリコレクションというと、多くのデザイナーがコレクションを発表し終わると次のシーズンのコレクションに取り掛かり時間が足りないと叫ぶことでも有名ですが、コムデギャルソンは春夏秋冬こそ変化しても例年発表し続けています。 川久保氏ひとりとってもデザイナーとしての内なるエネルギーはデザイナーのアーティストとしての表現から齎せられるもののようです。 自尊、ぶれない、自立というキーワードが適している川久保氏のデザイン。 現在のブランドラインの一部にはコムデギャルソン メインライン ウイメンズ。 コムデギャルソン シャツ。 コムデギャルソン パルファム。 コムデギャルソン オムなどを幅広く展開されています。 デザイナーというよりは、芸術家に近いかもしれませんが本人は否定、あくまでもデザイナーです。 本来黒は喪に服す色でしたが、ファッションに取り入れたことで一躍有名に、また大衆にも受け入れられたブランドです。 一般の女性のフォーマル服を良心的価格で発表し、店舗スタッフの教育も行き届いており、消費者に快適に買い物をさせてくれるコムデギャルソン。 ステーショナリー、ハンカチなどの小物類、靴、ワンピースと多岐に揃っており、1店舗で全て揃い、買い求めやすいことが大きな特徴です。

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コムデギャルソン : COMME des GARÇONS

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A post shared by sacaiofficial sacaiofficial on Oct 2, 2016 at 2:04am PDT 【阿部千登勢 あべ ちとせ 】 sacaiデザイナー 1965年11月9日生まれ 岐阜県出身 sacai初のバッグコレクションで協業したKatie Hillier ケイティー・ヒリヤー と。 経歴 1987年、名古屋ファッション専門学校服飾科卒業後、「ワールド」に入社。 1989年 COMME des GARCONS コムデギャルソン に入社。 パタンナー、ニットウエアの企画を経験。 1996年 結婚・出産育児を機に退社 1999年 自身のアパレルブランドsacaiを立ち上げる 2003年 秋冬コレクションからNYで展示会を行う 2004年 春夏コレクションからはパリで展示会を行う 2006年 sacai gem サカイジェム 、セカンドラインsacai luck サカイ ラック をスタート 2007年 毎日ファッション大賞受賞 2008年 メンズラインをスタート 2009年 「MONCLER S」のデザイナーに就任 2011年 東京・南青山に初の直営店をオープン 2015年 二度目の毎日ファッション大賞受賞 2016年 sacai luck休止し、sacaiへブランドを統一 二度の毎日ファション大賞受賞 阿部千登勢は2007年に一度目の毎日ファッション大賞を受賞し、2015年には二度目の大賞を受賞。 それまでに二度以上の大賞受賞したのは、川久保玲 COMME des GARCONS 、三宅一生 ISSEY MIYAKE 、山本耀司 Yohji Yamamoto 、高橋盾 UNDERCOVER の4人である。 阿部千登勢手掛けるsacaiとは A post shared by sacaiofficial sacaiofficial on Aug 23, 2015 at 4:50am PDT 2006年立ち上げたsacaiのセカンドラインsacai luck サカイ ラック。 「日常の上に成り立つデザイン」をコンセプトにスターとさせた。 そして2016年休止することになるが、ブランドの次のステップとして、ブランドを統一することでブランドにsacaiに注力し、世界的にブランドの存在感を高めていく目標を掲げている。 sacaiのスタートは夫の阿部潤一の助言 sacaiをスタートさせるまでの秘話 1996年に結婚・出産育児の為、8年間務めたCOMME des GARCONSを退社。 妊娠や育児で、会社に迷惑をかけてはいけない、かけたくないという思いが強く退社したという。 出産後、生まれた子供は可愛く仕事を辞めたことへの後悔はなかったが、これまでバリバリと仕事へ打ち込んでいたこともあり、夫・阿部潤一と仕事の理想が似ていた分、子供を生んだ自分との差に不公平さを感じたと語っている。 阿部潤一にブランドの立ち上げを勧められ、資本も支援者もいない状況で育児も家事もしなければならない状況でやらない理由はたくさんあったが、だからこそ面白いかもと思い、早速子育てのかたわら服を5型を編み上げた。 作り上げた結果5型しかできなかったが、 阿部潤一がそれでもいいじゃないかと背中を押してくれ、ブランドネームのサカイも 阿部潤一のアイディアと語っている。 阿部千登勢の夫・阿部潤一とは? 【阿部潤一 あべじゅんいち 】 kolor カラー デザイナー 1965年生まれ 文化服装学院アパレルデザイン科でファッションを学ぶ。 卒業後、いくつかのアパレルメーカーを経て、2004年kolorをスタート。 kolorとは A post shared by sacaiofficial sacaiofficial on Apr 29, 2015 at 6:45am PDT オバマ大統領は日本を国賓で迎えた際、賓客の心をくすぐる計算し尽くされたおもてなしの一つとして、ファーストレディーのドレスは賓客の国のデザイナーにドレスを特注している。 元々日本ブランドを愛用するミシェル夫人は、特にCOMME des GARCONS 川久保玲 、JUNYA WATANABE 渡辺淳弥 、Yohji Yamamoto 山本耀司 、sacai 阿部千登勢 がお気に入りで、約200人の晩餐会の招待客の1人に、sacaiのデザイナーの阿部千登勢を日本から招いた。 ホワイトハウスで、sacaiの2015年春夏の最新コレクションを着用した写真をインスタグラムに投稿。 関連リンク.

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