また大好きな類人猿のお話をしますね。 類人猿ボノボの「カンジ君」のことをごぞんじかしら?彼は英語を聞きとって理解して、特製のボノボ用単語キーボードを打ち込んで返事をしたりして、人間とさまざまなコミュニケーションができます。 わたしにとって類人猿の話をする時、それは動物のことというよりも、親しい人間の友人のことを話すようなほのぼのとした気持ちになります。 類人猿の友人たちのすばらしさ、大切さを、なるべく多くの方に知って頂いて絶滅危惧種の彼らを、少しでも守ってあげたいと願っています。 ボノボは、はじめのうちチンパンジーの仲間とみられていて、ピグミーチンパンジーと呼ばれていましたが、彼らの生態の真実がわかるにつれ、「ボノボ」という名前がつけられました。 ボノボのことは素人の私よりも、専門家の説明に任せた方がいいでしょうか? ボノボ 出典 : フリー百科事典『ウィキペディア( Wikipedia )』 ボノボのことを、10年以上前にNHKテレビで取り上げたことがあります。 NHK スペシャル「天才ザル カンジ君、驚異・類人猿の知能」 NHKスペシャル「カンジとパンバニーシャ:天才ザルが見せた驚異の記録」 関心のある方は、NHKビデオライブラリで、上記の映像を見ることができます。 カンジ君のことが、書かれているスミソニアンマガジンの文章です。 (英語の苦手な方は、yahooやniftyの翻訳サービスで、ページをそっくり日本文にしてお読みください。 今、ボノボのホームページを覗いて下さった方はおわかりでしょうが、ボノボは食べ物を我が子のみならず、他の仲間に分配するという「思いやり」にあふれた類人猿です。 また、争い事が嫌いで、仲間と平和に楽しく生きる知恵を持っています。 彼らのことを知れば知るほど、彼らにひきつけられます。
次の霊長類。 そしてその中でも人間に近いとされているのが類人猿です。 この類人猿には、ゴリラ、チンパンジー、オラウータン、シロテテナガザルなど有名な霊長類の仲間が属していますが、そのなかでも異色であるのが「ボノボ」でしょう。 photo by LaggedOnUser スポンサーリンク 作家の貴志祐介さんの作品に、「新世界より」という作品があります。 この作品の中で出てくるのは1,000年後の日本人なのですが、今の日本人とは少し違うのです。 この未来の日本人の暮らす世界では、「ケンカ」、「争い」、「同族を殺すこと」などは起こりません。 「しない」のではなく、「起こらない」のです。 その代わり、小学校を卒業するくらいの年齢になると、同性愛の文化が始まります。 親友をつくるような感覚で、同姓でまるでカップルがするようなコミュニケーションを取ります。 手をつなぐことやキスはもちろん、その先まで発展します。 ・・・この1000年後の日本人たちは、実は「ボノボ」の遺伝子を組み込まれている、という設定なのです。 ボノボは、ある種の同族間での緊張状態になると、相手とのコミュニケーションによってそれを緩和します。 photo by LaggedOnUser 子孫を残すため以外にそういった行動をとるのは人間とボノボだけだそうです。 同じ霊長類、似た見た目であるチンパンジーなどは同族であろうとも殺すことを厭いません。 知性がある分、子どものような遠慮のない残酷さを見せます。 しかし、チンパンジーと同様に高い知能を持つボノボではありますが、「争いを避ける」本能が働くのです。 ちなみにこのチンパンジーとボノボ。 どちらも道具を使うことができ、仕組みを覚えることができる賢い類人猿。 しかし、その目的が少し違うのです。 チンパンジーは例えば「餌をとるために道具を使う」という類のことには大変長けていますが、協調性を伴うことには向いていません。 逆にボノボは、協調性を要するようなことに長けています。 そのかわり野生のボノボはほとんど道具を使うことはみられません。 photo by Jeroen Kransen 争いを避け、協調性を重んじるボノボ。 他の世界であれ、こんな生き物は他にいません。 この特長は、ボノボの生態にもヒントがあるのではないかといわれています。 ボノボの赤ちゃんは他の霊長類よりも頼りない時期が長く、また大人になると、二足歩行の時間が長くなります。 そう、人間にどこまでも近いのです。 この奇跡の猿は、実験でも巣晴らしい知能を見せてくれています。 たとえば、通常動物が怖がる火をマッチでつけて焚き火をする。 さらにその火でマシュマロを焼く。 キーボードの仕組みを理解する、ビデオゲームで遊ぶ・・・ まるで人間の子どものような知能です。 このボノボ、今から数千年後、数万年後まで生き残ったとしたら、いったいどのような進化を見せてくれるのでしょうか。 それまでどうか、絶滅などせずに生きながらえて欲しい人間の親戚です。
次の兄のカンジ、妹のパンバニーシャ、二人っきりの兄妹。 二人はやっとの事で「相手」が教えてくれた言葉を覚えた。 話す事は出来ないが、「相手」が話す言葉は理解できた。 理解ができても話せないので、身振りで「相手」と コミュニケーションを取る事を覚えた。 カンジはとても優しい性格でいつもパンバニーシャのことを 気遣っていた、食べるものも兄妹で分け合い、自分のものさえ 妹にあげてしまうことも珍しくなかった。 また、言葉を教えてくれた「相手」にさえも気配りをしていてた。 あるとき、いつもの匂いではない「相手」の体調を気にかけ 「大丈夫?今日は匂いが違うよ」と身振りで問いかけもした。 あるとき、その「相手」がパンバニーシャをいじめようとした。 カンジは何故か分からなかったが、割って入った。 「いじめるなら、僕をいじめて」とパンバニーシャの前に立ち、手を広げ 首を横に振り、自分を指差したのだ。 カンジとパンバニーシャはボノボという類人猿、「相手」という「人」が 知能の実験の為に教えた言葉を素直に学んだ兄妹だった。 彼らに言葉を教えた事が良かったのかは分からない、既にそれまでの仲間とは 暮らしていけなくなっていた事を思うと不幸といえる。 「妹をかばう」行動は唯一、つがう(可能性の)相手を守る行動だったにせよ ボノボがもつチンパンジー以上と言われる「知性」に根ざしたものが 「守る」より「かばう」という 攻撃性の少ない、身を挺する行動がソレといかに関係するのかが 僕にとっての問題なのだ。 10年以上前にカンジの行動をテレビで見て以来僕はずっとそれを考えている。 サルに出来る事を今の社会は出来ずにいて、それが「知性の増大」によって 担保されるならそれはとても切ない話だろう、そして、同時にこういう風に 言葉にすると、なんとも薄っぺらな事になってしまうのは痛切に自分の 「知性」の無さを感じてしまうのもある。 いずれにしてもこれの答えはもう少し考える時間が僕には必要と言う事だ。
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