リチャード ニクソン。 リチャード・ニクソンがソ連で少年時代を過ごしたとのウワサは本当か?

リチャード・ニクソンの名言

リチャード ニクソン

リチャード・ニクソンが波瀾に満ちた人生を振り返りつつ綴った『ニクソン わが生涯の戦い』(リチャード・ニクソン著、福島正光訳、文藝春秋。 出版元品切れだが、amazonで入手可能)は、なかなか面白い。 例えば、大統領辞任当時について、「私は生涯ではじめて、肉体的にぼろぼろになり、感情も涸れ果て、精神も燃え尽きていた。 このときだけは、これまで耐えてきたほかの危機の場合とちがって、生きる理由も、戦って守るべき大義も見出すことができなかった。 ひとは自分自身以外のもののために生きる理由を持たなければ、はじめは精神的に、ついで感情的に、さらに肉体的に死ぬ」と記している。 そして、この本の最後はこう結ばれている。 「リスクと冒険とは、人生に妙味と意義とを加えるが、それらはまた敗北や失敗という深い悲しみをもたらすことがある。 人生はローラーコースターのようなものだ。 上がるときは宙に舞い上がったような気分になるが、下がるときは息もつけない。 リスクなしには敗北もないだろうが、そのかわりに勝利もないだろう。 成功に満足してはならないし、失敗に落胆してもならない。 失敗は悲しいものだが、最大の悲しみは、挑戦して失敗することではなく、まったく挑戦しないことである。 何よりも忘れてはならないのは、破滅をもたらさない敗北であるかぎり、敗北は人間を強くするということだ」。 ニクソン珠玉の作品。 回想録という意味では、すでにこの前に出版されているが、この作品も もう一つの回想録と言える。 「ニクソン回顧録」が公的生活の面に偏っ た内容だとすると、この本は、ニクソンの私的な側面が強く出ている回 想録である。 ニクソンという、自意識過剰で内省的、かつ複雑で屈折したところの多 い男が書いたメモワールと教訓の数々は含蓄に富むものであり、幾度か の敗北と非難を乗り越えて書かれたその内容は、ただの昔話や自慢話で は収まらないような「深み」と「成熟」があると思う。 日本人で、ニクソンの考え方や信条に拒絶反応をおこす人間は結構いる と思うが、頂点とどん底を経験した人間が書いたこの本を一度読んでみ てほしい。

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アメリカ第37代大統領リチャード・ニクソンについて│公務員総研

リチャード ニクソン

第37代アメリカ合衆国大統領。 デューク大学ロースクール修了後、弁護士を経て、1946年に共和党より下院議院に初当選。 上院議員に転じた後、1953年よりアイゼンハワー政権で副大統領を務めた。 1960年の大統領選挙ではジョン・F・ケネディに敗れたが、1968年の大統領選挙で勝利し、第37代大統領に就任。 ベトナム戦争からの完全撤退、冷戦下のソ連とのデタント、中国との国交樹立などに尽力する。 京都大学英文科卒。 毎日新聞社で社会部、サンデー毎日、英文毎日記者などを歴任。 退社後、評論や翻訳で健筆をふるう。 1986年に菊池寛賞、1997年に『五衰の人』で新潮学芸賞をそれぞれ受賞 本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです さすがと思う。 一方の陣営のリーダーたる大国を率い、自国のみならず普く世界の存立、利益、将来に関わって、歴史的決断を成した人の自負と眼は。 第一視野は広いし、かつ深く、視線は遥かに遠い。 そして評価は実に辛辣だ。 正に歴史を潜り抜けて来た人のみが謂い得るそれであろう。 それ故にこの本は、リーダー論として確たるものにもなっている、と思う。 登場するリーダー達は、何より自分自身が交わった実際に基いて、実直に描かれている。 自伝作家の見解などによる肉付けや総合化も忘れていないし、中にはフルシチョフや周恩来にように、敵対乃至は競い合う立ち位置にあった場面、場面を思い起こしながら、赤裸々に記述されている。 彼らの優秀さや限界をも含めて。 しかも単に他者としての眼のみならず、彼ら自身の述懐をも混えながら。 尚且つ描く筆致も、一流の伝記作家を凌駕するほどに、卓越している。 最後に添えられた「指導者の資格について」も読ませる内容だ。 リーダーよくリーダーを知る。 こうした格言があるかどうかは知らねども、それ程の感慨をもって読み終えた。 世界がどうなるかも分からぬ今日、明日に繋いでくれる真のリーダーの登場が真に求められるが、そうしたことへのヒントを与えてくれる書でもあり、是非なる一読を推奨したい。 非常に読みごたえがあります。 いずれも、20世紀に大きな足跡を残した指導者たちについて、公平な視点から評価しています。 驚いたのは、共産主義者であるソ連や中国の指導者についても、その視点が貫かれているということです。 ニクソンは最後はウォーターゲート事件で残念な去り方をしましたが、大統領としての功績は非常に大きなものがありました。 そのことは歴史の事実と知っていましたが、まさかここまでの文才があったとは、驚きです。 敵対する国家の指導者に対しても常に敬意を払い、その指導者を偉大な指導者たらしてめているファクターについて冷静に分析しています。 品がよく、今でも色褪せることのないリーダー論です。 20世紀に比べると、21世紀の指導者たちはずいぶん小粒になりました。 今の指導者たちをニクソン氏が評価するとしたら、どんな本を書くのでしょう? 問うてみたくなります。 訳文も非常にこなれており、原文の品の良さをよく表しているのではないか(原典を読んだことはありませんが…)と思います。

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リチャード・ニクソンがソ連で少年時代を過ごしたとのウワサは本当か?

リチャード ニクソン

戦後のアメリカ大統領の中でも特に人気がないのがリチャード・ミルハウス・ニクソンである。 ニクソンを高く評価している記事などは見たことがなく、アメリカの恥!とさえ言っている記事を見たことがあるぐらい嫌われているのはなぜだろうか。 果たしてその評価は妥当なのであろうか? 大統領になる前のリチャード・ニクソン リチャード・ニクソンは1908年カルフォルニア州でクエーカー教徒の家に生まれた。 アメリカの歴代大統領は東海岸の出身者が多いため、ニクソンはこの点においても非常に珍しい存在と言える。 なおクエーカー教徒の家に生まれた大統領には他にハーバート・フーヴァーがいる。 父は農夫や大工、運転手を経て雑貨屋、ガソリンスタンドなどを経営、これが成功し一家は非常に豊かになる。 高校時代のニクソンは非常に優秀でハーヴァード大学から奨学生として招待されるほどであったというが、当時兄弟が病気を患っており、地元を離れたくないという理由からクエーカー教徒の学校であるウィッティア大学に通い、卒業後はデューク大学のロースクールで法律を学んだ。 1937年にニクソンは上から3番目という優等な成績で卒業すると弁護士として活動、二次大戦が起こると海軍に入隊し、最終的には少佐となっている。 戦後は共和党から出馬しカルフォルニア州選出の議員となり、マッカーシズムで有名なジョセフ・マッカーシーと共に共産党への弾圧に力を入れた。 この頃のニクソンやアメリカの一部の反共勢力は狂気に憑りつかれていたのか、ニクソンはあらゆる人物に共産主義者のレッテルを張り、共産主義とは一切関係ない対立候補に対しても共産主義者といって非難したことから民主党から「トリッキー・ディック」という綽名をつけられることになる。 しかしこのような姿勢は保守的な富裕層シンパの共和党内で大変高く評価され、1952年にはアイゼンハワー大統領の副大統領に就任する。 アイゼンハワーの任期終了に伴う1960年の大統領選挙においてはアメリカ歴代大統領選でも最も僅差で民主党の若き大統領候補ジョン・F・ケネディに敗北、その後ケネディが暗殺されると大統領はリンドン・ジョンソンとなるが、ヴェトナム戦争の泥沼化などもありジョンソンは大統領選の不出馬を宣言、1968年の大統領選に至ってようやくアメリカ合衆国の大統領となる。 第37代アメリカ合衆国大統領 大統領に就任したニクソンはヘンリー・キッシンジャーを外交問題特別補佐官に任命し、極東アジアへの軍事的介入を控えるとする旨のニクソン・ドクトリンを発表、ベトナム戦争から撤退するかに思えたが実際にはベトナムの隣国であるカンボジアに侵攻し、ラオスを空爆するなど言っていることとやっていることの乖離が激しかった。 その後もベトナムに圧力を加えるべくニクソンは電撃的に中国を訪問、1972年にはソ連のブレジネフと会談し戦略兵器制限交渉に署名、世界的に緊張関係が緩和し、これを「デタント」と歴史は名付ける。 そのような流れの中でニクソンはヴェトナムから撤退、アメリカは史上初めて勝てなかった戦争を体験する。 なお米軍撤退後も東南アジアの混乱は続きカンボジア内戦、ラオス内戦、中国ヴェトナム戦争など混迷を深めていくのであった。 このように外交に関しては派手な動きを見せたニクソンであったが、長引くヴェトナム戦争によって財政的に苦しくなっていったことでドルが下落し始め、ニクソンはこれに対し金本位制の停止という手段に出る。 これによってドルは変動相場制になり、ドルを基軸としたブレトン・ウッズ体制は崩壊、この事態はドル・ショック、あるいはニクソン・ショックと呼ばれる。 史上唯一任期中に辞任した大統領 任期を全うできなかった大統領は今まで何人かいた。 ある者は病気で死に、ある者は暗殺された。 自らの意思で期間中に辞職したアメリカの大統領は存在しない。 ただ一人リチャード・ミルハウス・ニクソンを除いては。 あろうことかニクソンは民主党本部に盗聴器をしかけるというウォーターゲート事件を起こしており、ニクソンの首席補佐官や内閣担当補佐官などは裁判で有罪となり懲役刑を受ける事態になる。 これを受けてニクソンは弾劾裁判が始まる前に大統領職を辞任した。 ニクソンはその後もなかなかに長生きし、1993年に死んだ。 81歳であった。 個人的なニクソンへの評価 ニクソンの評価は実に難しい。 功績もあるが失策も多く、加点式で評価するか減点法で評価するかで全く評価が異なるアメリカ大統領であるだろう。 ヴェトナム戦争の拡大をしてしまったことは失政だが、撤退したことは功績であろうし、アメリカ大統領として初めて訪中したことはやはり功績の部類に入るであろう。 日本ではあまり知られていないが麻薬取締局やアメリカ環境保護局などを設置したのはニクソンであり、その行動力は歴代大統領の中でもトップクラスであると言える。 しかしアメリカ史上最悪の政治スキャンダルであるウォーターゲート事件を引き起こした汚点はアメリカ合衆国が続く限り語り継がれることになるであろう。 その一点を持ってもニクソンがアメリカ歴代大統領の上位に来ることはないと思われる。 さらにニクソン・ショックとも言われるドル・ショックは世界経済に大きな影響を及ぼし、アメリカの権威の失墜を招き、オイルショックとともに世界的な不景気を呼ぶことになり、良くも悪くも冷戦終結へのきっかけとなった。 このことをどう評価するかは難しいが、少なくともニクソンに対し好意的な見方をするのは難しいであろう。 myworldhistoryblog.

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