小川未明。 小川未明さん|すぎなみ学倶楽部

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小川未明

ふたりの 気 ( き )むずかしい、おじいさんが、 隣 ( とな )り 合 ( あ )わせに 住 ( す )んでいました。 一人 ( ひとり )のおじいさんは、うさぎを 飼 ( か )っていました。 白 ( しろ )いのや、 黒 ( くろ )いのや、なかには、 毛色 ( けいろ )の 変 ( か )わった 珍 ( めずら )しいのやらがおって、それを 大事 ( だいじ )にして、 我 ( わ )が 子 ( こ )のように、めんどうを 見 ( み )てやっていましたが、 隣 ( となり )のおじいさんが、 毎朝 ( まいあさ )、 大 ( おお )きなせきをして、うさぎを 驚 ( おどろ )かすので、そのたびに、 眉 ( まゆ )をひそめて、 口 ( くち )のうちで、 小言 ( こごと )をいっていたのです。 また、こちらのおじいさんは、 隣 ( となり )の 家 ( うち )では、ろくろく 庭 ( にわ )も 広 ( ひろ )くないのに、うさぎなどを 飼 ( か )っているので、まだ 暗 ( くら )いうちから、うさぎがけんかをして、キッ、キッ、といったりする、そのたびに 目 ( め )をさまさせられて、うるさいことに 思 ( おも )っていました。 「こんな、 狭 ( せま )い 場所 ( ばしょ )で、あんな 生 ( い )き 物 ( もの )などを 飼 ( か )うばかがあるものか……。 」と、せきをするおじいさんはいったのです。 おじいさんが、こういって、 怒 ( おこ )るのも 無理 ( むり )はない。 よく、うさぎが、 垣根 ( かきね )の 下 ( した )の 方 ( ほう )のすきまから、 紅 ( あか )い 目 ( め )と、とがった 唇 ( くちびる )を 出 ( だ )して、こちらのおじいさんが、 丹誠 ( たんせい )している 草 ( くさ )の 芽 ( め )や、 盆栽 ( ぼんさい )の 葉 ( は )などを 食 ( た )べたからでした。 ある 朝 ( あさ )のこと、うさぎを 大事 ( だいじ )にしているおじいさんは、いちばんかわいがっていた 黒 ( くろ )いうさぎが 垣根 ( かきね )のすきまから、 隣 ( となり )の 庭 ( にわ )に 植 ( う )わっている、 木 ( き )の 葉 ( は )かなにかを 食 ( た )べているのを、だまって 知 ( し )らぬふりをして 見 ( み )ていました。 このとき、ちょうどせきをするおじいさんが、やはり、こちらで、うさぎが 自分 ( じぶん )の 家 ( うち )の 方 ( ほう )へ顔を 出 ( だ )しているのを 見 ( み )つけましたので、ひとつおびやかしてやろうと 思 ( おも )って、 足音 ( あしおと )をたてぬようにそばへ 寄 ( よ )って、 大 ( おお )きなせきをうさぎの 頭 ( あたま )の 上 ( うえ )でしたのでした。 うさぎは、びっくりして 逃 ( に )げ 出 ( だ )しました。 これを 見 ( み )たうさぎのおじいさんもやはり、びっくりしました。 この 後 ( ご )のことです。 黒 ( くろ )いうさぎが、せきをするようになりました。 うさぎを 飼 ( か )っているおじいさんは、これは、 隣 ( となり )のおじいさんが、このあいだ、うさぎにせきをうつしたからだと 思 ( おも )いました。 うさぎが、あちらへ 頭 ( あたま )を 出 ( だ )したのが 悪 ( わる )いから、 表向 ( おもてむ )きに、どうこういうことはできなかったけれど、おじいさんは、このことでぷんぷん、 怒 ( おこ )っていました。 「うちの 黒 ( くろ )いうさぎへ、 隣 ( となり )の 老人 ( ろうじん )が、せきをうつしたのですよ。 」と、おじいさんは、くる 人々 ( ひとびと )に、 告 ( つ )げていました。 「へえ、うさぎが、せきをうつされたのですか?」と、 近所 ( きんじょ )の 人 ( ひと )たちは、みょうなことがあればあるものだと、わざわざ 黒 ( くろ )いうさぎが、せきをするのを 見 ( み )にやってくるものもあった。 すると、 黒 ( くろ )いうさぎが、 小 ( ちい )さな 頭 ( あたま )を 上下 ( うえした )に 動 ( うご )かしながら、せきをしたのです。 人 ( ひと )たちは、 腹 ( はら )を 抱 ( かか )えて 笑 ( わら )いました。 「うさぎに、せきをうつすなんて、みょうな 老人 ( ろうじん )があったものだ。 」と、こんどは、みんなが、せきをするおじいさんのうわさをしました。 「どんな 顔 ( かお )のおじいさんですか?」と、いうものもあれば、 「 変 ( か )わった、おじいさんですね。 」と、いったものもありました。 「こんど、 通 ( とお )ったときに、どんな 顔 ( かお )をしているかよく 見 ( み )ましょう。 」と、みんなは、 口々 ( くちぐち )にいいました。 せきをするおじいさんは、 自分 ( じぶん )のうわさが、そんなふうに 拡 ( ひろ )がっているとは 知 ( し )りませんから、 平気 ( へいき )で 道 ( みち )を 歩 ( ある )いていたのです。 子供 ( こども )たちは、 右 ( みぎ )の 眉毛 ( まゆげ )の 上 ( うえ )に、 大 ( おお )きな 黒子 ( ほくろ )があって、 白 ( しろ )いあごひげのはえているおじいさんが、つえをついて、あちらへゆくのを 見 ( み )ると、 「あのおじいさんだよ。 」と、 指 ( ゆび )さしたのでした。 太郎 ( たろう )は、 学校 ( がっこう )で、 図画 ( ずが )の 時間 ( じかん )に、おじいさんを 描 ( か )きました。 そこで、これに、「うさぎにせきをうつしたおじいさん」と、 題 ( だい )をつけました。 先生 ( せんせい )は、これを 見 ( み )て、どういうわけかわからないので、 首 ( くび )をかしげていましたが、 太郎 ( たろう )に、どういうことかとたずねたのです。 太郎 ( たろう )は、 近所 ( きんじょ )に 住 ( す )んでいる、うさぎのおじいさんから 聞 ( き )いたままのことを 話 ( はな )しますと、なぜだか、 先生 ( せんせい )ばかりでない、 他 ( た )の 生徒 ( せいと )たちも、みんなが 大 ( おお )きな 声 ( こえ )を 出 ( だ )して 笑 ( わら )いました。

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小川未明さん|すぎなみ学倶楽部

小川未明

明治〜昭和期の小説家,児童文学作家 生年 明治15 1882 年4月7日 没年 昭和36 1961 年5月11日 出生地 新潟県中頸城郡高田町 現・上越市 本名 健作 学歴〔年〕 早稲田大学英文科〔明治38年〕卒 主な受賞名〔年〕 日本芸術院賞〔昭和26年〕,文化功労者〔昭和28年〕 経歴 明治38年「霰に霙」を発表して注目をあび、40年処女短編集「愁人」を刊行。 さらに新浪漫主義の作家として「薔薇と巫女」「」などを発表。 この間、早稲田文学社に入り、児童文学雑誌「少年文庫」を編集、43年には処女集「赤い船」を刊行した。 大正に入ってからは社会主義に近づき短編集「路上の一人」「小作人の死」などを発表するが、昭和に入ってからは小説を断念して童話執筆に専念する。 大正時代の童話に「牛女」「赤い蠟燭と人魚」「」などの名作があり、昭和期には8年の長編童話「雪原の少年」をはじめ多くの童話集を出した。 また「赤い雲」「」「海と太陽」などの童謡作品も発表し、詩集に「あの山越えて」がある。 戦後の21年児童文学協会初代会長に就任。 26年童話全集で日本芸術院賞を受賞し、28年には日本芸術院会員、また文化功労者に推された。 「定本・童話全集」 全16巻 講談社 がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊) 20世紀日本人名事典について の解説.

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小川未明のおすすめ童話|日本のアンデルセンを読む

小川未明

小川未明(オガワ ミメイ) 1882年新潟県高田(現上越市)に生まれる。 坪内逍遥や島村抱月から指導を受け、ラフカディオ・ハーンの講義に感銘を受ける。 卒業後、早稲田文学社に勤務しながら、多くの作品を発表する。 1925年に早大童話会を立ち上げ、翌年、東京日日新聞に「今後を童話作家に」と題する所感を発表し、童話専念を宣言する。 1946年に創設された日本児童文学者協会の初代会長を務め、1961年没。 童話の代表作としては「月夜と眼鏡」のほか、「金の輪」「赤い蝋燭と人魚」「野薔薇」などがあげられる。 「2019年 『月夜とめがね』 で使われていた紹介文から引用しています。 」 小川未明のおすすめランキングのアイテム一覧 小川未明のおすすめ作品のランキングです。 ブクログユーザが本棚登録している件数が多い順で並んでいます。 『小川未明童話集 新潮文庫 』や『赤い蝋燭と人魚』や『童話迷宮 上 Bunch Comics Extra 』など小川未明の全1375作品から、ブクログユーザおすすめの作品がチェックできます。

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