気持ちよくするから誰にも 歌詞。 back numberの「浮ついた気持ち」という歌の歌詞は、どうゆう意味の歌...

歌詞検索サービス 歌ネット

気持ちよくするから誰にも 歌詞

7月7日は七夕です。 七夕と言えば短冊に願い事を書くことを思い浮かべる人が多いですよね。 おうちだけでなく、ショッピングモールなどさまざまな場所で笹飾りが置かれ、願い事を書くことができるのも七夕の光景です。 そんな七夕では、なぜ願い事を書くのかを知っていますか?今回は、七夕の願い事にまつわる由来やお願いの仕方、ママ・パパ、子どもたちが書いた願い事をまとめてみました。 七夕に願い事をするのはなぜ? 七夕では笹の葉に、願い事を書いた五色の色鮮やかな短冊を吊るしますよね。 涼しげで鮮やかな光景が素敵な風物詩。 でもそもそもなんで七夕に願い事をするのでしょう? 七夕といえば織姫と彦星 七夕と言えば、1年に1回、天の川を渡って織姫と彦星が出会える日ですよね。 では、なぜ年に1回7月7日なのか知っていますか?織姫とは、その名前の通り、 秋の豊作を願う際に、神様が着る着物を織る女性のこと。 織姫が一生懸命にはた織りをしているので、天の神様が牛の世話をよくする牛飼いの彦星と結婚させてくれたそう。 ただ、2人は楽しくて仕事もせずに遊ぶようになり、神様が怒って2人を天の川を挟んで引き離してしまったという悲しい物語。 そんな織姫と彦星が哀れになった神様が年に一度、七夕の日だけ2人を合わせてあげることにしたというもの。 そのために2人は七夕の日のために頑張って仕事をするようになったというのです。 実は今にも通じるような深い意味があったんですね。 また、はた織りの機械を昔は「棚機(たなばた)」と呼んでいたのが七夕の名前の由来になっているんです。 願い事は中国の乞巧奠(きこうでん)が由来 ではなぜ七夕にお願い事をするのでしょう?ここには、「乞巧奠 きこうでん 」という中国の風習が関係しています。 乞巧とは、技巧を授かるよう願う、上達を願うという意味。 つまり、織姫にあやかりはた織りや裁縫の上達を願う儀式だったそう。 笹飾りに使われるあみ飾りやひし形つなぎは、もともと布で作られた飾りだったようです。 笹飾りをするのはなぜ? 竹は、成長がすごく早いことから生命力の象徴でもあり、またその葉は殺菌力が強いため、古くから魔除けとして利用されるなど神聖なものとして扱われてきたそう。 そこで、笹の葉に飾り付けをするようになったようです。 願い事を叶えてくれるのは誰? 願い事を書いて吊るしているものの、誰が願い事を叶えてくれるのか考えたことがある人は少ないのでは。 七夕のお願い先は織姫 中国の風習だった「乞巧奠 きこうでん 」では、織姫にあやかりはた織りや裁縫の上達を願うもの。 つまりお願い先は織姫なんですね。 七夕の童謡でも、「私が書いた五色の短冊をお星さまが空から見てる」という内容の歌詞が歌われていますよね。 星にお祈りするなんてロマンティックですね。 でも、そのために努力するのは自分。 つまり、織姫にお願いをするけれども、それを実現するのは自分ということ。 子どもにそんな声かけができたら素敵ですね。 七夕の願い事の仕方やルール 七夕にはどんな願い事を書くのがいいのでしょう?漠然と書いている人も多いと思いますが、そもそもはルールなどはあるのでしょうか。 七夕は習い事の上達を願うといい 風習では、はた織りが上手な織姫にお願いをすることから、手芸の上達を願ったそう。 そこから、手習いや芸事が上手になるようお願い事をすることにつながったようです。 また、短冊に自分の字で願い事を書くことから「字が上手になりますように」「習字が上達しますように」という願いも込められるよう。 確かに、小さい子でも自分で短冊に願い事を書くことが多いですよね。 健康や子どもの成長を願うのもOK 笹飾りの竹のように勢いよく成長する様子を子どもの成長に重ねたり、けがれを祓うという意味では健康についての願い事もぴったり。 家族みんなでお願いできますね。 願い事のほかに七夕でやること 七夕でするべきことをまとめてみました。 七夕の準備から星空観測まで、子どもが楽しみながら参加できるイベントなのがポイントです。 七夕飾りをする 外せないのが七夕飾り。 笹の葉への飾りつけは、折り紙とはさみで簡単に作れるため、子どもが自分でできるのが嬉しいですよね。 たくさん飾り付けをしたら、五色の短冊を用意してみんなで願い事を書きましょう。 行事食を食べる 七夕によく食べられるそうめん。 実はそうめんはれっきとした七夕の行事食なんです。 諸説ありますが、ここにも中国の風習の名残があり、言い伝えでは7月7日に亡くなった帝の子どもが霊となって疫病を流行らせたため、子どもの好物だった索餅(さくべい)をお供え。 すると疫病の流行が治まったのだそう。 索餅とは細い糸を束ねたような小麦粉のお菓子で、そうめんの原型をも言われるそう。 それを平安時代の貴族が取り入れ、喉越しのいいそうめんに変わリ、 無病息災を祈願して 7月7日に食べるようになったそう。 天の川に例えることもできる風流な行事食ですね。 星(天の川)を見る 夜ご飯を食べ終わったら、星の観測の時間してみましょう。 都市部ではなかなか天の川までは見えないですが、きれいに光る星が見えたら盛り上がりますよね。 東の空に輝く、「夏の大三角」を構成するベガが織姫、アルタイルが彦星です。 星座盤を見ながら探してみましょう。 何をお願いする?ママパパの願い事人気ランキング 短冊を手にしたら、何をお願いしようかあれこれと考えてしまいますよね。 ママ・パパにリサーチしたところ、現実的なお願い事がたくさん挙がりました。 ランキング形式でご紹介します。 1位:健康のこと やはり健康であることが一番ですよね。 元気なママ・パパでいたいと願う人が多いようです。

次の

知恵袋の質問でよく見掛けるのですが、「洋楽は歌詞が分からないから聴かな...

気持ちよくするから誰にも 歌詞

ボヘミアン・ラプソディを見て来た。 その後からずっとtwitterやnoteで 同じように映画を見て来た人の感想を漁っている。 そしてエンドレスでクイーンの曲を聴いている。 ラジオで聞いて知っていた曲だったり、CMで聞いたことがあった曲だったり それ以外にも耳にした曲があったり、 あの曲もこの曲もクイーンだったことに軽く驚いている。 ライブエイドの年にはもう学校に通っていたけど、 多分あの時の自分にリアルタイムに印象的だったのは、we are the worldの方で あの時期テレビでよく流れていたのはそっちだった。 ライブエイドには出演しなかったようだけど、 マイケルジャクソンがやったら高いキーで歌っていたwe are the worldの MVを覚えている。 今でも歌える。 クイーンがそのライブエイドに出演していて、 歴史に残るステージだったということも そもそもクイーンのボーカルが白人ではなかったことも、今回初めて知った。 (クイーンというバンド名のせいか白人の人なんでしょ?と思い込んでた) 映画で一気にフレディのバックグラウンドを知ることになった訳だが、 明らかにそのせいで、 ボヘミアンラプソディの歌詞を読むと 必ず涙腺が緩むようになってしまった。 歌詞が生まれる源は、感情 テイラー・スイフトが別れた彼氏のことを曲にするのは有名な話だけど、 テイラーじゃなくても、多くのミュージシャンが歌詞作りをするときには 自分の実体験を歌詞にしている。 そしてそれはどちらかというと、実体験をそのまま歌詞にするというよりも その体験をしたときに生まれた自分の感情を、歌詞という形で出している。 そもそも感情が収まりきらないから、歌詞として書き殴りたくなるんだろう。 彼のバックグラウンドを知った後だと、 こんなにも「ボヘミアン・ラプソディ」の楽曲に泣けてしまうのは、 この歌が、フレディの苦悩や自己嫌悪や、両親への罪悪感、そういった フレディの感情の塊そのものだからだ。 ボヘミアン・ラプソディが生まれる源になった感情は何か ボヘミアン・ラプソディの歌詞の意味は、フレディ自身は明言を避けて、 クイーンのメンバーも意味はフレディにしかわからないよ、と言っているものの、「フレディがゲイであることを告白した歌」という説が根強いらしい。 「私は気づかなかったけど、『ボヘミアン・ラプソディ』はフレディのカミングアウトの歌でした。 自らの性的指向を明かすことができず、自分で受け入れることもできなかった頃に書かれたのです。 この歌は、自らがゲイであると密かに宣言した歌でした。 自らがリードしていたライフスタイルのために、正々堂々とカミングアウトすることができなかったのです」 本人がいつから自分がゲイだと思い始めたかははっきりしないけれど、 バンドに入る前に出会ったメアリーとは婚約までしているから、 多分ある程度の歳までは自分は異性愛者だと思っていたのだろう。 フレディがバンドメンバーになったのは1970年。 (たぶん24歳、もうこのときにはメアリーと付き合っていたらしい。 ) ボヘミアンラプソディの発売は1975年10月。 この間に フレディは 自分の性的嗜好に自覚的になって、苦悩して、悩んで、 そしてそれを受け入れて、認めた。 映画の中でも、ツアー中のホテルで恋人(メアリー)に電話しているときに、 目の前を通り過ぎた男性に見惚(みと)れるフレディが映されて、 その男の人がトイレに入って行く、トイレのドアが閉まり、 そこに「men」と(ある意味わかりきったことが)かかれている、 というシーンがあって、ああ、このシーンは、 フレディが男性に惹かれるっていうことを表しているんだな、と感じ取れた。 そしてそのあたりからフレディの性的嗜好が描写されるようになっていく。 映画にあったようにツアーの最中なのか、レコーディングの最中なのか、 とにかく日々の生活を過ごすうちに、自分が男性に惹かれている、と自覚するようになった瞬間があったに違いない。 (映画自体が、クイーンのメンバーの 監修で作られているのだからかなりの事実なんだろう。 ) 最初はそれを認めるのに抗ったものの、どこかでそれを 「ああ、もう認めるしかない、俺は男が好きなんだ」と受け入れた。 もう女性とは付き合えない、とも思ったのかもしれない。 それが歌詞に隠されながらも表されている。 Mama, just killed a man,(ママ、男を殺してしまった) Put a gun against his head,(彼の頭に銃を突きつけて) Pulled my trigger,now hes dead,(引き金を引いた、そしたら彼は死んだ) a man、は一般的に人と訳せるけれど、ここでは、本当に「男」を殺したのだ。 「 女を愛する普通の男」ではないんだ、俺はそうじゃない、そうなれないんだ、とフレディは認めたのだと思う。 Mama,life had just begun, ママ、人生は始まったばかりなのに) But now I've gone and thrown it all away-(僕はこんなところに来てしまった、全てを投げ捨ててしまった。 ) フレディがバンドに加入したのは1970年、そして1973年に出したファーストアルバムを酷評されたクイーンが、イギリスで売れ始めたのは1974年の「キラー・クイーン」だったらしい。 音楽を志したフレディが、世の中に認められ始めたことを「人生は始まったばかりなのに」と暗喩している。 そうやって、 ようやく始まったばかりの人生なのに、こんなところに来てしまった( 女を愛する普通の男じゃないという状態になってしまった)と歌っている。 1970年代当時、ゲイに対する風当たりは強かったという。 いろんなところで書かれている通り、それをオープンにできるような 世の中ではなかったらしい。 それに加えて、育ってきた宗教上の理由でもゲイになるなんてあり得なかったのに…というのが、育ててきてくれた母に対する告白、懺悔として表れている。 そもそも白人ではなく(ペルシャ系インド人だった)、そのこと自体にも差別があっただろうフレディが、それを乗り越えてようやく音楽で認められ始めたのに、 さらにゲイだと周りに知られたら、それはもう、わざわざ自分で差別される原因を作るようなものだったのだろう。 だからフレディは悩んだ。 たぶん、毎日、毎時間、毎秒悩んだ。 普通に生きられない自分を苦悩した。 なんで俺は普通じゃないんだろうって。 なんでこうなっちゃったんだろう、どこで間違えたんだろう、 ここまでやってきたのに。 でも、どうしよう、もう戻りようがない、俺はこうなっちゃったんだ。 …だけど、なんでここに来ちゃったんだろう、どうしたらいいんだろう。 どこで間違えたんだろう。 堂々巡りだ。 誰にもバレちゃいけないんだけど、 でもこの気持ちを吐き出さないと生きていけないという歌。 そういう 堂々巡りの思考が彼の中を数ヶ月、数年間巡っていたんだと思う。 そしてそういう感情のほとばしりが、 でもそれをストレートに表現してはいけないという縛りが、一見難解なこの歌詞を作り出した。 フレディは、歌に書かないと気持ちが鎮まらなかった。 それがバレたら差別される、だからそのことは言っちゃいけないんだけど、 絶対におおっぴらにしちゃいけないんだけど、でも言わないと体の中で その想いは溜まるばっかりだった。 なんとかして体の中から出したかった。 だからこの歌詞になった。 わかりにくいこの歌詞に。 そして暗喩を積み重ねていったパートの最後に、 ストレートにフレディの気持ちが 表されているのがこの部分。 絞り出すように歌われている。 I sometimes wish I'd never been born at all- 生まれてこなきゃよかった 始めに話したように私はずっとクイーンを知らなかった。 知らなかったのだけれど、ラジオではたまに聞く曲で、 曲名を知らないときから、このフレーズが好きだった。 その時はメロディラインが好きだったのだけど、 今こうしてフレディのバックグラウンドを知った上で、 そしてわかりにくい歌詞が生まれた背景を理解した上でこのフレーズを聞くと、 とにかく泣けてくる。 誰にもバレちゃいけないんだけど、でもこの気持ちを吐き出さないとやってけない、そのフレディの気持ちを思って。 何について歌っているかは直接触れられないけど、でもその苦しさを吐き出したい フレディの気持ちを思って。 そして同時にどこにもいけない堂々巡りの感情自体にも。 ある程度人生を生きてきた人なら、 誰だってこの思いを経験したことがあるはずだから。 なんで俺はこうなんだろう、どうしてこうなっちゃったんだろう、 もっと違う生き方があったんじゃないかって。 生まれてこなきゃよかった、までは幸い思ったことがないけれど、 その想いのほとばしりに心が打たれるのだ。 曲が展開するのは、フレディの心境の変化そのもの 曲を全て解説することはしないけれど、ボヘミアンラプソディは、 1パート目、2パート目、3パート目、4パート目とどんどん展開していく。 1パート目がフレディが苦悩するパートだとしたら、 2パート目は、オペラ調で、世の中の正義や権威にそれを断罪されるパート。 But I'm just a poor boy and nobody loves me 私は惨めな男の子、誰もわたしを愛さない) He's just a poor boy from a poor family(彼は貧しい家族の哀れな男の子) 2パート目の中にある上の歌詞は、まるでオペラのセリフのように感じる。 フレディが裁判台に立たされて、周りを聴衆が取り囲んでいて、 本人の独白と、周りの聴衆が、彼を噂しているようにも思える歌詞。 「みてよ、あの貧しい身なりの男の子を!」って オペラの舞台にありそうなシーンだ。 3パート目は、一気に曲調がロックに変わる。 2パート目で、徹底的に世間から批判されたフレディが、 「うるせえなぁ!お前ら俺がクイーンのボーカルだったら好きだっていうくせに、ゲイだってわかったら死ねよっていうのかよ!」みたいな激情が響く。 そして最後の4パート目に、全てを諦観(ていかん)したような、悟ったような歌詞。 Nothing really matters,(何も心配ないさ、) Anyone can see,(誰だってわかる) Nothing really matters-,(何も心配ないさ、) nothing really matters to me,(僕にはなんの心配もないさ、) Any way the wind blows…. (どちらにせよ風は吹くんだ) Anyone can see,は誰だってわかる、だが、 誰だって(俺がゲイだってことを)見ればわかる、という意味なのかもしれない。 Any way the wind blows、というのは、ケセラセラ(なるようになるさ、) という意味にも取れるし、もしゲイじゃなかったとしても、人生になんらかしらの障害はあったさ、と吹っ切れた様子にも取れる。 泣くだけ泣いて、もう涙も出なくなって、ほぅっと青空を見上げたような、 そういう感情。 そこまで思えるようになったからこそ、 曲として発表できたのかもしれない。 フレディがそういう風に思えるようになってくれて、よかった。 だって1パート目、2パート目だけだったら救いがないもの。 映画の中では、ボヘミアン・ラプソディをシングルカットするのを プロデューサーに反対されるシーンがある。 長すぎるという理由で。 でもメンバー全員で、これじゃなきゃダメだ、これがシングルカットされなきゃ、 もうこの事務所をやめてやる、っていうシーンが続く。 単純に音楽的に新しい挑戦をした曲だから、と理解していたけど、 ここまで考えてくると、もしかしたらもうこのときには メンバー全員フレディがゲイだっていうことを知っていて、 (彼もメンバーにはカミングアウトしていて) 彼の生き様を応援するために、その宣誓としてのこの曲を シングルカットするように推したのかもしれないなと思ったりする。 音楽的に新しい挑戦をしたのも、そちらに注目させて 難解な歌詞の意味をさらにわかりづらくしようとしたのかもしれない。 (まあそれは音楽素人の全くの妄想です。 ) とにかく表現は何かの感情のほとばしり はじめに書いたようにクイーンについて何も知らない。 だから今書いたこの曲の解釈は陳腐で言い尽くされたものなのかもしれない。 でも、表現に必要なのは、そういう圧倒的な感情のほとばしりだと思う。 音楽だって、twitterだって、noteだって、blogだって、 書きたくなるのは感情が収まりきらないからだ。 書かないと鎮まらないからだ。 よく言われる厨二病だって、思春期の感情のほとばしりだ。 そしてボヘミアン・ラプソディを聴いて涙するのは、 言い古された表現だけど、そのほとばしった感情が、心の琴線に触れるからだ。 誰にもバレちゃいけないんだけど、でもこの気持ちをいまは表現したい、 いまはそれしか表現できない、 ボヘミアンラプソディはそういう歌だと、わたしは感じた。

次の

墓から這い上がるアイドル!? WACKから誕生したGO TO THE BEDSの意地 — 写真・角戸菜摘 取材、文・かわむらあみり

気持ちよくするから誰にも 歌詞

【音楽通信】vol. 41 GANG PARADEからGO TO THE BEDSへ 写真左からユイ・ガ・ドクソン、キャン・GP・マイカ。 そこからまた、新しいグループ「GO TO THE BEDS」が誕生しました。 もとは2014年に結成された「プラニメ」が前身ユニットで、その後改名やメンバーの増減を経て「GANG PARADE」というグループに昇華。 その後順調に活動をしていましたが、2020年3月、事務所代表でプロデューサーの渡辺淳之介さんが、WACKのなかで最もキャリアの長いグループ「GANG PARADE」を「GO TO THE BEDS」と「PARADISES」という、コンセプトの違う2つのグループにわけました。 そんなGO TO THE BEDSが、7月22日に1stフルアルバム『GO TO THE BEDS』をリリースするということで、グループからキャン・GP・マイカさん、ユイ・ガ・ドクソンさんのおふたりに登場していただき、お話をうかがいました。 キャン・GP・マイカ。 10月6日生まれ。 2016年10月2日にGANG PARADEに加入。 ーーまずはおひとりずつ、自己紹介をお願いします。 キャン・GP・マイカ(以下、マイカ) グループの振り付けを担当しています。 美容やダイエットについて調べたり実践したりすることが大好きで、最近はスムージー作りにハマっています。 ユイ・ガ・ドクソン(以下、ドクソン) 好きなものはラーメンで、ラーメンを早く食べることが得意なんです。 最近は自転車に乗ることにハマっています。 ユイ・ガ・ドクソン。 10月21日生まれ。 2016年10月6日にGANG PARADEに加入。 ーーマイカさんとドクソンさんは、2016年にGANG PARADEに加入しています。 2020年の現在はGO TO THE BEDSとなったおふたりですが、精神的支柱だったメンバー、カミヤサキさんが5月に脱退されてどう思われましたか。 マイカ 私にとって、サキちゃんは、生みの親のような存在だったんです。 サキちゃんがいなかったらこのグループにも入っていなかったので、やめると聞いて最初はびっくりしましたし、焦りもありました。 でも、巣立った子どものような気分で「もっと強くなろう」と、あらためて思いましたね。 ドクソン サキちゃんはグループの始まりの人だから、祖先のような感じだと思っていたので、脱退はびっくりしました。 ーーそんななかで、GO TO THE BEDSとして活動していくことについては、どう感じましたか。 ドクソン 正直なところ、思いがけないことでしたね。 マイカ びっくりしましたが、クビじゃなくてよかったと思いました(笑)。 まだ頑張れる場所があるというのが、救いでしたね。 気持ちの切り替えはけっこう早かったです。 ドクソン サキちゃんがいなくなって悲しい気持ちもありましたが、これからのグループに対してのワクワクもあったので、それぞれの気持ちが心のなかに同居していました。 まさに、カオス。 マイカ しょう……焼酎? ドクソン 焼酎じゃないわ! 小宇宙(笑)!! グループ名を冠したタイトルを含め、アルバムにこめた思いを教えてください。 マイカ アルバム1枚を通して、力強いメッセージ性があると思います。 今回、メンバーが作詞させてもらっている曲も多くて、いままで以上に自分たちの心の中をさらけ出しているかも。 社長の渡辺さんが書いてくださった歌詞もあって、いまの自分たちに響くものが詰まっています。 いままでいろんなことがありましたが「こんなところで止まっていられない!」という、強い気持ちがこもっているんです。 ーー4曲目の「GO TO THE BEDS is my life」はみなさんで作詞されていて、決意表明のような曲だと感じました。 ドクソン そうですね。 「これが、私たちです」というメッセージをとくにこの曲にはこめています。 ーーマイカさんは8曲目「Where are you? 」の歌詞を書かれています。 どこかセンチメンタルな印象のあるナンバーですね。 マイカ 以前1度作詞を採用されて以来、かなり久しぶりにこの曲で、自分の作詞を採用されました。 もともと恋愛映画やドラマを観るのが大好きで、動画配信サービスで観ていた「愛の不時着」という悲恋の物語に着想を得て、想像しながら歌詞を書いたんです。 まだ自分のなかの引き出しが少ないので、作詞するときに読書するといいとまわりに言われることもあるんですが、本を読むと眠くなってしまうので(笑)。 自分の好きなものから取り入れようと思いました。 ーー実際に歌ってみて、どうでしたか。 マイカ 歌っていても、気持ちが入りましたね。 メンバーはサビの部分が大好きだと言ってくれて、うれしかったです。 この歌詞は、自分の恋愛に置き換えてもらったり、恋愛じゃなくても身近にいる大切な人を想ったり、人それぞれの気持ちに合わせて聴いてもらえたらいいなと。 ーードクソンさんは6曲目「SCREWY DANCER」の歌詞のほか、サウンドプロデューサーの松隈ケンタさんと10曲目「ROOM」の歌詞を共作されています。 とがった印象の6曲目と柔らかい印象の10曲目と、サウンド的にも対照的ですがご自身ではこの2曲の印象はいかがですか。 ドクソン 「SCREWY DANCER」は、もともと音楽がすごくかっこよくて、聴いたときに初めて頭のなかに映画のように映像が流れたので、それを歌詞にしました。 歌詞の世界観については、救いがないんです(笑)。 生きづらい世界だけど、逃げてもいいんじゃないかって、睨みながら生きるという曲になっています。 「ROOM」は、もともと松隈さんが書いた歌詞で曲ができていて、それを聴いたときに、すごく良くて。 そこに自分の言葉を足して作詞してみました。 このアルバム全体に共通しているテーマで、最初はすごく苦しんでいるのですが、そのなかで希望を見つけて、それでも生きていくというイメージ。 曲によってカラーは違うのですが、とくにこの「ROOM」はそういう、苦しいけれど、未来は楽しみでもあるという気持ちで書きました。 ドクソン そうですね、地獄のような燃え盛る炎のなかで撮影した、ダークな世界観です。 マイカ ミュージックビデオでは頭のネジが3、4本はずれた感じで、振り切ってパフォーマンスしています(笑)。 久しぶりに広い場所で動きましたね。 まるで演出のように雨が降ってきて、とても気持ちよく撮影できました。 ーー今回の撮影でも着ていらっしゃるお衣装は、アーティスト写真では卒塔婆と一緒に写っていますが、どのようなコンセプトなのでしょうか。 マイカ 墓場から出てくるという、ゾンビ林のような感じで……。 ドクソン ゾンビ林って、何(笑)!? マイカ ゾンビがたくさんいるような林(笑)。 卒塔婆には「呉音遠座別怒(GO TO THE BEDS)」と書いてあったり、骨がモチーフになっていたりしていて、全部がダーク。 墓から這い上がってくるというイメージがあって、復活を試みている人という感じで、それはグループのスタンスにも、全部にリンクしています。 ドクソン 「早く墓に入れよ!」という状況ですが、「意地でも入らない!」と(笑)。 「知らないわけない」と言われる存在になりたい ーーいまは自粛や制限が解除されたものの、新しい生活様式で行動する時期となりましたが、普段はおふたりで出かけることはありましたか。 ドクソン ふたりではあんまりないかな。 マイカ このふたりに、メンバーのココ・パーティン・ココが入って、3人で行動することが多かったですね。 ドクソン 3人でご飯を食べたりします。 マイカ この3人は事務所に入った時期がほぼ同じという同期メンバーなので、一緒にいることが多いんです。 ドクソン メンバー全員でいることも多いですよ。 自粛期間中は外出しないので、みんなでZOOMで話したりしています。 ーーZOOMではどんなお話をされるんですか。 マイカ 会っていないと、「今日は何時に起きて、何を食べた」というくだらない話から会話が始まるので、すごく話が長くなるんです(笑)。 最初はグループのことについて話をしたくてZOOMをつなぐんですが、2、3時間は世間話をしてしまって、本題になかなか入れない。 ドクソン 「これを話そう」と思っていたことを話し終える頃には、すでに3時間ぐらい経っているんです(笑)。 ーーみなさんの仲の良い様子が伝わってきますね。 ところで、おふたりはメイクやダイエットなどで気をつけていることはありますか。 マイカ 朝は白湯を飲んでいますね。 お風呂に入るときは、浴室にルームスプレーをシュッとしてから、いい匂いに包まれながらお湯に浸かることもあります。 ドクソン お湯に浸かりながらお茶を飲んでるよね? マイカ ハーブティーを飲んでる。 ほかには自粛期間にヨガマットを買ったので、おうちで筋トレもしています。 ライブができるようになったときに、体力がついていないとよくないので、おうちで鍛えて、体を絞っているんです。 メイクは、大好きな田中みな実さんが使っているものを自分でも使ったり、バズっているものを一通り買ったりしていますね。 ーー田中みな実さんの好きなところは。 マイカ あざとくてかわいいところ(笑)。 ずっとかわいいを更新しているところは、女性として見習いたいですね。 だって、「前のほうがかわいかったよね」とは言われたくないから、常に「いまが一番かわいいよね」と言われたくて(笑)。 ーードクソンさんはラーメンがお好きですが、ダイエットなど美容面で気にしていることは。 マイカ 本当、太らないよね? ドクソン うん。 でも、すごく食べるので、運動するように意識はしています。 自粛が明けてからは、たまにランニングをすることも。 以前はダイエットしていた時期もあって、やるとなったらとことんこだわってやる、ストイックな生活でした。 ただ、ダイエットするとやせはしますが、疲れるというか。 だから、いまはそれほど気にしません。 食べたいものを食べてのびのび生活するほうが幸せ。 そのほうが太らない気がします。 美容面では、あまり気にしたことがないですね。 普段は化粧を落とさないことが多くて、でもそのおかげで、肌が鍛えられています。 あえて負担をかけて、基礎力を上げているんです(笑)。 体のほうも、ジャンクフードばっかり食べていますが、病気も一切しないですし。 ーーきっと代謝がすごくいいのかもしれませんね。 ドクソン そうなんですかね。 体に悪いことをして悪いものを食べて、基礎力をあげることに成功しました(笑)。 グループのなかで私が1番健康だと思います。 ーーでは、おふたりが 1番好きな人、憧れの人を教えてください。 マイカ ひとりだけとなると、1番は土屋アンナさんですね。 小学生のときに「東京ガールズコレクション」にモデルとして出演されているアンナさんを見て、ビビビときたんです。 そこからアンナさんのことを調べていったら、モデルも演技も歌もされているオールマイティな活動や生き方に感銘を受けて。 もともと幼稚園のときからアイドルになりたいとは思っていたんですが、アンナさんの存在が、本格的に芸能の世界でがんばりたいと思うようになったきっかけだったから。 ドクソン ひとりに絞るのは難しいですが、筋肉少女帯の大槻ケンヂさんですかね。 ほかにもいる好きなアーティストの人たちにも共通しているんですが、何もなかったところから何かを生み出している方が好きなんです。 大槻ケンヂさんはそれをいくつも成し遂げていらっしゃいますし、ライブにもよく行っていたんですが、すごく楽しい。 MCも多くて、それも全部面白くて、楽しい。 もう尊敬するところしかないです。 ーー筋少のライブからご自身のパフォーマンスに影響を受けているところはありますか。 ドクソン コール&レスポンスの楽しさをお客さんとして味わったのは、大きいですね。 ライブではお決まりの、これを言ったらこう返すという、お客さんとのふれあい。 ライブに行っても、最初はよくわからなくて聴いているだけだったのが、回を重ねるごとにコール&レスポンスが自然とできるようになって、人の気持ちをうれしくさせることができるのは、すごいと思います。 ーーでは、GO TO THE BEDSさんとしての今後の目標を教えてください。 マイカ 私たちは、ライブがカッコいいグループになりたいと思っています。 そして、いままで活動してきたことを着実に超えていきたいです。 「GO TO THE BEDSが好きだったらカッコいい」という、そういう流行り方をしてほしい。 「GO TO THE BEDS、知らないわけないよね」とみなさんに言われるくらいの存在になりたいですね(笑)。 ミュージックビデオに限らず、どんなに幸せそうに見える人でも、それぞれの尺度でたぶん誰でも何かしらの地獄を感じることがあるんじゃないかと。 そんな地獄を乗り越えるためのささやかな存在になれるよう、これからも活動していければと思っています。 取材後記 個性の違うキャン・GP・マイカさん、ユイ・ガ・ドクソンさんのおふたりに、自粛は解除されましたがさまざまなことに配慮しながら、取材させていただきました。 時折見せる無邪気な表情がキュートなおふたりのいる、GO TO THE BEDSさんの1stアルバムをまずはチェックしてみてくださいね。 GO TO THE BEDS PROFILE ヤママチミキ、ユメノユア、キャン・GP・マイカ、ココ・パーティン・ココ、ユイ・ガ・ドクソンの5人からなるアイドルグループ。 2020年3月、所属する音楽事務所WACKが主催する所属アーティストエキシビジョン「WACK EXHiBiTiON」で、事務所代表の渡辺淳之介より「GANG PARADE」を「GO TO THE BEDS」と「PARADISES」の2つのグループにわけた形での結成がアナウンスされた。 7月22日、1stフルアルバム『GO TO THE BEDS』をリリース。 Information New Release 『GO TO THE BEDS』 (収録曲) 01. 行かなくちゃ? 02. GO TO THE BEDS is my life 05. パッパラパー 06. SCREWY DANCER 07. MISSING 08. Where are you? EGOIST 10. ROOM 11. GROOVE 12. VILLAIN 2020年7月22日発売 WPCL-13222 3000円(税別) GO TO THE BEDS オフィシャルサイト•

次の