国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 雪国のあらすじ「長いトンネルを抜けると」

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国境の長いトンネルを抜けると雪国であった

東亜日報より 2019. 26 韓国の李洛淵首相(左)との会談に臨む安倍晋三首相=2019年10月24日午前、首相官邸、岩下毅撮影 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 夜の底が白くなった。 信号所に汽車が止まった」 日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成の小説「雪国」の有名な書き出しだ。 李洛淵(イ・ナギョン)首相が繊細な文章を書くことの重要性を周りに話す時、よく引用する文章だ。 主張せず、自然に入ってくるような分かりやすい描写という意味合いだ。 そのためか、李首相がもともと日本通だと思っている人はかなり多い。 しかしながら、実際は違う。 李首相が日本に詳しくなるのは30年前、記者時代に東京特派員の内定を受けてからだ。 その頃李首相は日本語をほとんど話せなかった。 KATUSA(在韓米軍指揮下に所属する韓国陸軍兵)として兵役を経験し、英語の方が得意だった。 必要に迫られ、李首相は語学学校で日本語の授業の初級と上級を同時に受講した。 文法を学んだと思ったらフリートーキングに参加するような状態だった。 刺激を受けるためだったという。 初心者レベルから日本語と格闘して6ヶ月。 日本の国民的小説家、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」「こころ」などを読めるようになった。 ところが、東京は語学学校とは違った。 赴任して間もなく、居酒屋に行ってみたらメニューがよく分からない。 書いてある言葉は分かっても、メニューの特徴やお酒との相性などはよく分からない。 知人に居酒屋で知っておくべきリストをファックスで送ってもらい、まるまる暗記し始めた。 「一人前」など食事の場で当たり前になっている日本の文化も知った。 少したつと、何かの集まりがあれば、李首相が注文を担当するようになったという。 李首相は政治家になっても、時々、東京特派員のようだった。 故盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が民主党の大統領候補だった2002年11月ごろ。 彼のスポークスマンだった李首相は、盧元大統領と、当時、国民統合21の大統領選候補だった鄭夢準(チョン・モンジュン)との候補者一本化について取材に来た日本の記者が韓国語で質問したのに対し、日本語で返答した。 日本の記者は「韓国語分かります」と言ったが、李首相はそのまま日本語で話した。 結局日本語の対話となった。 横にいた筆者(私)は、この場面を見守りながら、日本語を話せるという自己顕示というよりも、自身の努力で得た知日派のブランドを維持したいという切実さを感じた。 最近、李首相が日本の関係者と話す時に日本語で話したと強調するのも、この過去の場面とオーバーラップする。 李首相は、あえてカテゴリー化すれば、生まれながらの「サラブレッドの知日派」ではなく、「努力型の知日派」というところか。 李首相が日本を訪れ、天皇陛下の即位の礼に参列して安倍晋三首相と会うことが決まった後、様々な予測が出てきた。 日韓首脳会談の土台を築けるのではという期待感もあれば、これ以上の関係悪化を止める程度の状況管理にとどまるだろうという見方もある。 しかしながら、これとは別に李総理にはさらなるミッションがあると考える。 文在寅政権の中にも、30年間「戦闘的」に日本を知り、経験しようとした知日派がいた、というメッセージを日本の人たちに伝えることだ。 これは、今すぐに成果を出すこと以上に重要なことだ。 日韓の葛藤がなぜここまで深刻な事態になったのか。 以前とはあまりにも変わってしまった安倍政権の日本がまず問題なのだろうが、文在寅政権も、日本の内情をよく知る人物が対日問題に取り組んでこなかった。 知日派の李首相が、昨年10月の大法院(最高裁判所)の元徴用工判決以降、対日問題の水面上に登場するまでに1年かかったというのが現実だ。 日本は自分たちをよく知る人物を送ってこない文在寅大統領をそれだけ冷たい目線で見ていただろう。 これは米韓同盟の問題が出てくるたびに「文在寅政権に米国をよく知る人物はいないのか」という質問が出るのと同じ脈絡だ。 外交も結局は人がすることなのだ。 (2019年10月22日 イ・スンホン政治部長) (翻訳・成川彩).

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親しみを込めて、「サイデンさん」と呼ばれることもあります。 日本人初となる川端康成のノーベル文学賞受賞に貢献したサイデンさんは、 川端は日本語で書いた自作が世界で読まれ評価されたのは訳者であるサイデンさんの貢献が大きいと言い、 「ノーベル賞の半分は、サイデンステッカー教授のものだ」と賞金を半分渡しました。 川端康成からストックホルムでの授賞式に一緒に行ってくれるよう頼まれ同伴したそうです。 英訳と原文の違い (原文)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 この有名な一文は主語が無く、英訳で表現するのがとても難しく、 (英訳)The train came out of the long tunnel into the snow country. と訳されている。 主語が無くても成立する日本語とは違い、英語には主語が必要というか必須になります。 そこで英訳には、The trainを主語としました。 など、原文と英訳の違いを探すのも楽しみの一つです。 日本の小説家であり、文芸評論家。 大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の作家。 1968年、日本人として初のノーベル文学賞を受賞。 代表作は 『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など。 また川端康成は新人発掘の名人でもあり、ハンセン病の青年・北條民雄の作品を世に送り出し、 佐左木俊郎、武田麟太郎、藤沢桓夫、少年少女の文章、山川彌千枝、豊田正子、岡本かの子、中里恒子、 三島由紀夫などを後援し、数多くの新しい才能を育て自立に導いた。 多くの名誉ある文学賞を受賞したが、1972年72歳でこの世を去った。

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日韓関係の鍵握る? 知日派・李洛淵首相のさらなる東京ミッション:朝日新聞GLOBE+

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省略されているのは、 「(汽車に乗った)島村が」 あるいは、 「(島村の乗った)汽車が」 どちらか、ということですね。 なかなか難しいですが、後に続いている文を含めて検討してみます。 【 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 夜の底が白くなった。 信号所に汽車が止まった。 向こう側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。 】 この文脈からすると、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 夜の底が白くなった。 信号所に汽車が止まった。 」という冒頭部分は、島村の視点で客観的に見たり感じたりした光景であると考えていいような気がします。 よって、わたしとしては、『(汽車が)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 』という意味に解釈したいと思います。 過去のご質問を思い出しました。 日本語に主語があるか、ないかという質問でしたね。 「日本語の文は『主語』と『述語』から成り立つのが基本である」という立場の人 B. 「日本語はの文は『述語』だけで成り立つ」という立場の人 このように分かれはするものの、「乗り遅れた」という文をみれば、「これだけでは意味が分からない。 『~が』『~に』が無いとね」というでしょう。 「(わたしが)(電車に)乗り遅れた」とすれば、問題ありません。 すなわち、どちらも「わたしが」という「主語」(または「主格補語」)を必要とする場合があることは同様なのです。 の立場では、「主語」「述語」に「電車に」という連用修飾句(帰着点を表す位格)が必要になります。 の立場では、「述語」以外に「わたしが」という「主格補語」とそれ以外にも、「電車に」という連用修飾語が必要とな ります。 そうすると、どちらも同じじゃないかと言うことになりそうです。 しかし、違います。 「富士山だ。 」「あっちへ行け。 」「いい天気だな。 」だけで一文になると考えるのが、B. の立場です。 の立場だと、これらは「主語の省略」とか、「主語が不要な場合」とかいう説明がいります。 さて、今回のご質問には上記のことと係わりなく、「主語」(または「主格」)を言わないのが普通と回答しました。 文法上の問題ではなく、表現法上の問題なのです。 「汽車」が主語または主格とすると、乗客とりわけ島村からすれば放置されたような感じだし、といって「島村が」とするのも、変です。 そんな長いトンネルを自力で抜けてきたとも感じられませんから。 結局No. 5の方がおっしゃる「視点」というのも当たっているかも知れません。 ちょっと角度を変えて映画のシーンを考えてみましょう。 いくつかのカットからなる汽車の中のシーンは、車内の(島村を中心とする)乗客と暗い窓ガラス。 その窓に乗客の姿が反射して映し出される。 汽車の車輪がレールに触れて出る音とトンネルの壁に反響する騒音。 次のシーンでは突然その音響から解放されて、相変わらず暗い窓ガラスの下方だけが仄白くなる。 (「夜の底が白くなった。 」という描写がくる)これが「トンネルを抜ける」の部分です。 決して無いだろうと思うシーンは、「トンネルの出口が映る。 そこから汽車が顔を出す。 」です。 これだと、確かに「汽車がトンネルを抜ける」ですね。 しかし、そうではなくて汽車と乗客が一体となったものが抜けた感じがします。 国境の長いトンネルは特定の意味を持つようにも考えられますが、「国境」は古い国名の「上野(こうずけ)」と「越後」の国境で、現代で言うなら「群馬」と「新潟」の県境に過ぎません。 「清水トンネル」が開通した三年後にこの「雪国」が書き始められました。 作者の川端が湯沢温泉に通うようになったためにこの作品ができたわけです。 全長10kmに近いこのトンネルは確かに長く、当時としては最長を誇ったといわれます。 余りに長いために、当時では珍しく電化されていたということです。 また谷川岳という高山の下を通っていたためトンネルと平地との高低差が大きく、トンネルの両側にループ状の線路を延ばして勾配を調整していたようです。 次のUrlを参照 当時としては珍しい、このトンネルについて触れることもなく、「国境の長いトンネルを抜けると」とさらりと表現したところは、主人公島村(ひいては作者)の目指すのが湯沢温泉であったことを示していると言っていいかと思います。 なお、最初は単線だったため、上りと下りを交互に通すため、信号所を設けて列車の待避場所を作ったのでしょう。 「夜の底が白くなった。 」の部分が、前回言った「新感覚派」らしい表現で、若いときのわたしは何とも感激したものでしたが、その後いろいろな表現法にふれて、いまではそれほどには思いません。 NO6です。 追記させて頂きます。 先日酔ったついでにした回答に、ご丁寧に返答頂き、恐縮です。 さて、今日も通常通り酔っていますが、それでもお返答が嬉しかったので、追記致します。 「国境の長いトンネルを抜けると」の表現が、実は曲者だと、思っています。 何故、トンネルなのか?何故、長いのか? 私には、彼が、「別世界」を強調しているように、思えます。 通常読者が帰属する世界から、長くて、暗いトンネルを視覚的に、抜けさせること によって、読者の視線や思考を、常では無い、別世界に導く(私に言わせれば、強制的に)、 仕掛けに思えます。 小説で最もエネルギーを投入されるのは、最初の一文でしょう。 その目的は、結局、読者を自分の構築する世界に引き込む事だと思います。 そうしなければ、読んでもらえない。 しかし、この文章が、上手すぎるのか、力が強すぎるのか、解りませんが、 私には作為が強すぎるように感じられます。 「夜の底が白くなった。 」 この辺りで、臭くて堪らなくなります。 おしゃれで、素敵な、独創的な表現ですが、「夜に底なんか無い。 」と凡才は 思ってしまいます。 だから、2行でこの本を捨てました。 質問者さんが、何の目的でこの質問をされたか存じませんが、まあ、アル中の たわごと、思って頂ければ幸いです。 この方の小説は、個人的には、鼻に付いて、嫌いだったので、雪国も、 この辺りの、文章で、嫌気がさして、読んでいません。 もう、何十年も昔の話です。 今回、改めて、この一文を読んで、独断で、読者7割、主人公3割、位に 感じました。 詰まり、この物語に、川端は、読者を強制的に引き込みたかった、と言う 印象を受けました。 引き込んで、それを次の瞬間、主人公目線に置き換える。 そんな狙いを感じます。 いつのころからか、このような純文学は臭くて、付き合いきれなくなりましたが、 それでも、偏見の目線で見ても、うまい、と言う事かも知れません。 でも、作為の塊のようにも、思います。 まあ、文学と別世界の、年寄の愚痴なので、通説とは違うと思いますが。 >トンネルを抜けたのは、誰が、あるい何が、ですか? そういう主格を言わないのが日本語なのです。 まして「新感覚派」と呼ばれた「ヤーサンアリ・クーワバッタ」のようにできるだけ修飾語を省こうとしたのだから。 (もっとも、「新感覚派」としての特徴は、横光利一の方が目立ったのですが) 「乗っている乗客と汽車が一体となったもの」が、トンネルを抜けたのです。 E・G・サイデンステッカー さんは、源氏物語を訳したほどの人ですが、英訳となれば主語を書かざるを得なかったのでしょう。 「列車」を主語にしていますね。 もっとも、人間がトンネルを抜けるという感覚にはなりにくいですね。 しかし、「ヤーサンアリ」とか「シンアムーラ」としたのは、日本人と思われる西田晃氏によるのでしょうね。 これはこれで、楽しいコメントですが。 『スノー・カントリー』 ヤーサンアリ・クーワバッタ著 西田晃訳 その列車は長いトンネルの中から出て、スノー・カントリーに入った。 地球は夜の空の下に横たわっていた。 列車は信号の止まりに引き上げられた。 車の反対側にずーっとすわっていたところの少女がやってきて、シンアムーラの正面の窓を開けました。 雪の冷たさが注ぎ入れられた。 私はアホなので、他人の意見のうけうりだけでおしまひにします。 [参考] YASUNARI KAWABATA, Snow Country、translated by Edward G. Seidensticker.

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