八 ツ 場 ダム。 八ッ場ダム計画の歴史

2020年 八ッ場ダムへ行く前に!見どころをチェック

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八ッ場(やんば)ダムは、群馬県吾妻郡長野原町に計画されている。 また、大自然につつまれたたいへん静かな川原湯温泉もある。 しかし、ダムの建設によって、渓谷のかなりの部分と温泉街のすべてが水没する。 こんなすばらしい渓谷や温泉がなくなってしまうのかと思うと、胸がふさがれる。 私たちは吾妻渓谷を見学したあと、同温泉の旅館「柏屋」で八ッ場ダムの事業概要や諸問題などについて話を聞いた。 話をしてくれたのは、群馬県自然保護団体連絡協議会代表の飯塚忠志さんである。 飯塚さんは「八ッ場ダムを考える会」の副代表でもある。 1日目の夜は長野原町会議員の牧山明さんも同席し、地域の実情などについてさまざまな話をしてくれた。 1 必要性に疑問 ダム建設の必要性に基本的な疑問がある。 建設の目的は洪水調節と都市用水(水道用水+工業用水)の開発である。 しかし、洪水調節についてみれば、その効果は机上の計算である。 八ッ場ダムができることによって果たしてどれだけ大洪水を防げるのか、疑問がもたれている。 また、事業主体の国土交通省は「200年に一度の大洪水に対応」としているが、他方では「ダムの寿命は100年」と言っている。 ということは、200年に一度の大洪水が起きる頃にはダムの寿命はつきていることになる。 また、都市用水についても、需要は今後増えないと予想されている。 ダムの水は、東京、埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木の1都5県が水道用水や工業用水として利用することになっているが、いずれの都県も水使用量は横ばい又は減少傾向にある。 したがって、今では八ッ場ダムを建設する必要性はまったくない。 2 代替地が未整備なのに移転補償交渉 ダム建設によって川原湯温泉はすべて沈んでしまう。 川原畑地区も全部水没する。 長野原地区なども一部が沈み、水没世帯数は5地区あわせて340世帯におよぶ。 水没する住民と国土交通省との補償交渉が昨年決着し、個別移転補償がはじまっている。 しかし、代替地の整備はまだはじまっていない。 代替地を希望しても、代替地がまったくできておらず、自分がどこに移転するのかもまったくわからない。 また、代替地の取得価格もいくらぐらいになるのかがまったくわからない。 それで結局、補償金をもらって町から出ていかざるをえない状況に追い込まれている。 そうなると、ますます過疎化が進み、代替地に移転する人はわずかしかいなくない。 3 自然環境を破壊 ダム建設によって天然記念物の岩脈が水没する。 環境省のレッドデータブックに記載されている数多くの動植物も絶滅する。 イヌワシやオオタカなどの貴重な猛禽類にも影響が必至である。 4 酸性が強く飲料水には使えない 吾妻川は酸性が非常に強い。 それで、水を中和するために一日60トンもの石灰を投入している。 この中和費用は年間約10億円である。 しかし、それでも完全に中和されるわけではない。 川を見れば分かるように、石は茶褐色に染まっている。 そんな川をせきとめてダムをつくっても飲料水などには利用できない。 5 ダム湖は観光資源にならない 川原湯温泉は、水没地の上に移転することになっている。 しかし、移転予定地(代替地)は過去に何度も災害が発生した危険地帯である。 上は土砂崩れの恐れが高い急な勾配の山、下は人造のダム湖である。 そのダム湖も、中和生成物の堆積ダム湖になる可能性が大きい。 乳白色や緑色の藻類が水面を覆った人工湖やダムが観光資源になるとはとても考えられない。 今の川原湯温泉は、豊かな自然に包まれ、ひなびた温泉郷として親しまれているが、そんな場所に移転したら、湯治客もあまり訪れないのではないか。 6 ダムは渓谷美をだいなしにする 吾妻渓谷は、春から夏にかけて流水の量が増える。 この増水が岸壁のゴミや草木を流し、すばらしい渓谷美を形づくってきた。 ダムが建設されれば、渓谷のかなりの部分が水没する。 ダム下流部分の渓谷は残ることになるが、水量が極端に減る。 水がわずかしか流れなくなると、岸壁に草木が生えたり、汚れたりして、渓谷美はだいなしになってしまう。 1974年にはダム反対派が町長に当選した。 しかし、国と県による町政への締めつけがはげしく、町長はダム反対から賛成の姿勢に変わった。 そのため、住民は闘いに疲れきってしまった。 また、世代交代が進んだこともあって、ついに補償交渉に応じた。 8 本当にダムに賛成している住民はいない ダムができないと補償金がもらえないために、ダム建設に反対する住民はいなくなった。 しかし、本当にダムに賛成している住民はいない。 9 関係自治体と住民は多額の負担 ダムの総事業費は5047億円とされている。 ダムの本体工事はまだ始まっていないのに、すでに今年度までに1300億円がつぎこまれている。 事業単価の上昇や関連事業などを考慮すると、じっさいの事業費は5047億円を大幅に超えるとみられている。 事業費5047億円の負担内訳をみると、国2738億円、東京都653億円、埼玉県715億円、千葉県395億円、茨城県217億円、群馬県318億円、栃木県10億円となっている。 財政難にあえいでいる自治体が、不必要なダムのために多額の負担を強いられることになる。 そのため、町は、移転補償のために40億円もの起債(借金)を見込んでいる。 11 公共事業の見直し対象から除外 いま公共事業の見直しがさけばれているが、「八ッ場ダムはすでに工事が進んでいるので見直し対象から除外する」とされている。 このダムは、前述のように必要性に大きな疑問がある。 12 ダムを中止し、国と関係都県の負担で地域振興を 住民は長い長い反対運動に疲れきり、ダム建設を容認する方向に変わった。 しかし、これまで述べたように、移転再建の困難さはまったく解決していない。 それを考えれば、住民にとって最善の選択は、ダム建設を中止して地域振興をはかることだ。 温泉街についていえば、自然豊かな現在の場所でより多くの湯時客を呼び寄せられるようにすることである。 そのために必要な費用は、ダムが必要だと言い続け、地元住民に苦難を強いてきた国と関係都県が負うべきである。 飯塚さんは、ダム計画の問題点などをこのように話したあと、「ダムのために住民はたいへんな経済的精神的損失や苦痛を強いられている。 しかし今は住民が反対運動をすることは不可能になっている。 そこで、つくる必要のないダムのために莫大な額の負担を強いられる関係自治体の住民が立ち上がってくれることを期待している」と訴った。 飯塚さんや牧山さんの話を聞いて、ダム計画への疑問などが活発にだされた。 「千葉では、水道用水の需要は頭打ちになりつつある。 工業用水は需要が減り続けて余っている状態だ。 たとえば、川崎製鉄千葉工場は工業用水をものすごく使用しているが、工場を大幅に縮小するので、水の使用量はかなり減る。 こんな状態なのに、千葉県はなぜ八ッ場ダムを必要とし、水道用水や工業用水を新たに確保しようとするのか。 しかも、県は財政再建団体へ転落すれすれの危機的状態にある。 そんななかで395億円も負担するとは。 バカげているとしかいいようがない」 「代替地がまだ整備されていないのに移転補償を進めるというのは、通常の公共事業では考えられないこと。 普通は、移転先の代替地を見てもらうなかで補償交渉をすすめる。 八ッ場ダム事業の進め方は異常だ。 たとえば、「夏の渇水期にダムが干あがっている映像をテレビなどで見せられると、やっぱりダムは必要だと思う」などである。 飯塚さんはこの点について次のように述べた。 「ダムが干あがっているときに、なぜ利根川では大量の水が流れ、多量の水が海に流出しているのかを考えてほしい。 夏は洪水が起きやすい時期でもあるので、ダムの水をわざと放流し、満水にしない。 満水にしておけば、大雨時に下流に災害をおよぼすからだ。 じっさいにダム放流による災害が各地で起きている。 つまり、ダムは満水にできないので、渇水に対応できない。 ようするに、ダムをいくつ建設しても水不足は解消しないということだ。 さらに、群馬県にあるダムの多くは東京電力の水力発電にも使われている。 そうしたダムでは、電力消費シーズンの夏にダムの水をどんどん放流し、発電に利用している。 このダムが今では必要のないものになっていることも認識した。 八ッ場ダムの事実を知ってショックを受けるとともに、ダム問題をより多くの人に知らせることの必要性などを確認し、吾妻渓谷と川原湯温泉をあとにした。 〜ダム建設予定地を見学 (県自然保護連合事務局)• 〜八ツ場ダム計画の川原湯温泉を訪ねて (北澤真理子)• (中山敏則).

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首都圏で唯一建設中の「八ッ場ダム」工事 ついに村が水底に沈む

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八ッ場ダム計画関連年表 1947年(昭22) 9月 カスリーン台風により利根川流域大洪水。 利根川治水計画の見直しが始まる。 1949年(昭24) 利根川改修改訂計画の策定。 洪水調節目的をもつ上流ダム群の建設が計画される。 1952年(昭27) 5月 建設省は長野原町長にダム調査を通知。 「悪夢に似た戦争も終結を見てより早や7年、如何に国家のためとは云い乍ら、先頃になって漸く定まった雀の涙程の遺族補償の外見るべき対策何一つなく、殺され損、焼かれ損で後は一切ご破算に願われて了った今日。 何で吾等が自らの身を以て、利根川水系下流同胞の人柱たる決意を持ち合わせようという殆ど絶望に似たあきらめに到達することができ得よう。 」(長野原町誌) 1953年(昭28) 2月 ダム建設反対の住民大会が開かれる。 住民ら上京し反対陳情。 吾妻川が強酸性の河川であることから、ダム計画、表面的には一時中断。 1957年(昭32) 群馬県、吾妻川の水質改善を目的とする「吾妻川総合開発事業」の予備調査に着手。 1963年(昭38) 11月 草津町に中和工場完成。 翌年1月より運転開始。 1965年(昭40) 3月 建設省、住民にダム建設を再度発表。 5月 八ッ場ダム連合対策委員会発足。 (萩原好夫委員長) 選挙区の福田赳夫氏、蔵相就任の挨拶のため現地入り。 「ダムは42年度ごろには着工し、44年ごろには完成させたい」と建設推進を表明。 12月 住民多数派、反対期成同盟を結成。 連合対策委員会は解散。 12月 吾妻川の中和事業の一環として品木ダム完成。 1966年(昭41) 1月 選挙区の中曾根康弘代議士、現地で「ダムというものは軽々しく造るものではない」と発言し、反対派の期待を集める。 八ッ場ダム、「福-中対立」の構図に。 2月 長野原町議会、ダム反対を全会一致で決議。 7月 200名の抗議団、上京し反対陳情。 9月 長野原町長、県議会に住民768名の署名簿を添えて反対陳情。 1967年(昭42) 4月 実施計画調査に着手(8,000万円計上)。 9月 建設省、川原湯駅隣のダム賛成派宅に現地出先機関(11月に調査出張所となる)を開設。 9月 町議会、反対期成同盟773名の請願を採決し、県議会に反対陳情。 「私ども川原湯、川原畑、林、横壁の区域は急傾斜の処であるので、ダムができると殆んど水没し、再生の土地はない」(長野原町議会議事録より)。 12月 ダム反対の総決起大会開かれる。 「遠く父祖より受け継し 故郷の田畑吾が住居 湖底に沈めてなるものか ダム反対に決起せよ 」(「八ッ場ダム絶対反対の歌」より)。 1968年(昭43) 3月 現地の調査出張所、調査事務所に昇格。 4月 中之条簡易裁判所、「八ッ場地区に土地をもつ会」(一坪運動)の申し立て却下。 5月 中和事業、群馬県から国に移管。 1969年(昭44) 2月 反対期成同盟会員102名、自民党に集団入党。 3月 群馬県議会、4年間の継続審議の末、条件付き賛成派の請願採択。 自民党県議団、建設推進打ち出す。 8月 建設省、土地収用法に基づく立ち入り調査を通告するが、反対激しく作業を中止。 12月 建設省、現ダムサイト予定地(名勝・吾妻渓谷)で試錐等の調査開始。 1970年(昭45) 4月 八ッ場ダム事業は調査段階から建設段階に移行し、調査事務所は工事事務所に改称。 4月 桜井長野原町長、五選当選後にダム推進の談話発表。 7月~ 佐藤政権下、後継を狙う「角福戦争」激化。 建設省に影響力のある田中角栄幹事長、福田蔵相ペースで進められるダム事業を牽制。 建設省、現地での強行策を県、町による行政主導方針に転換。 12月 建設省、初の生活再建計画(第一次建設省案)提示。 1972年(昭47) 5月 長野原町議会、生活再建の意見書を建設省に提出。 (町議会、反対決議撤回) 9月 建設省、長野原町議会の意見書へ回答し、協力要請。 翌月、町議会は回答を返上。 1973年(昭48) 10月 水源地域対策特別措置法(水特法)公布。 11月 反対期成同盟、「自然環境を守る会」設立、署名活動開始。 1974年(昭49) 4月 反対期成同盟委員長の樋田富治郎氏、町長当選(~1990年)。 反対運動は盛り上がるが、この後、町政は県、国による締めつけに苦しむことになる。 9月 美濃部亮吉東京都知事、群馬県庁を訪ね、神田坤六知事に協力を要請。 11月 文化庁、名勝・吾妻渓谷におけるボーリング調査に伴う現状変更協議に同意。 1975年(昭50) 3月 ダムサイト予定地が当初の600メートル上流に移動したことが住民に明らかにされる。 6月 建設省、二度目の生活再建計画(第二次建設省案)提示。 11月 建設省関東地方建設局と東京都、埼玉県、千葉県、茨城県は八ッ場ダム建設促進協議会立ち上げ。 1976年(昭51) 3月 群馬県、長野原町でフルプラン説明会開催。 期成同盟、フルプラン反対の署名提出(1273名)。 4月 八ッ場ダム計画を組み込んだ利根川・荒川水系水資源開発基本計画(フルプラン)を閣議決定。 8月 神田知事、県議会福田派より「ダム建設に消極的」と批判を受け退陣。 推進派の支持を得た清水一郎県知事が就任。 国、県により反対運動の切り崩しが進められてゆく。 12月 利根川・荒川水源地域対策基金設立。 福田政権発足(~78年) 1980年(昭55) 4月 東京都、埼玉県、千葉県、茨城県は生活再建案に対する協力文書を群馬県知事に提出。 11月 群馬県は長野原町に対して生活再建案の説明会を開催。 1981年(昭56) 4月 長野原町、ダム対策課を設置。 1984年(昭59) 4月 「東京の水を考える会」発足。 1985年(昭60) 11月 町長と知事は生活再建案についての覚書を締結。 1986年(昭61) 3月 八ッ場ダムが水特法に基づく国のダム指定として告示される。 3月 水没予定地が八ッ場ダムに係る河川予定地に指定される。 7月 八ッ場ダム建設に関する基本計画が告示される(工期:昭和42年度~75年度、2110億円)。 1987年(昭62) 12月 長野原町と吾妻町は、建設省と「八ッ場ダムに係る現地調査に関する協定書」を締結。 1990年(平2) 6月 群馬県議会、八ッ場ダム促進決議を採択。 8月 利根川・荒川水源地域対策基金において、経費の負担についての協定締結。 12月 建設省と群馬県は「地域居住計画」(再建対策計画)を水没関係全世帯に配布。 1992年(平4) 7月 長野原町、群馬県、建設省の三者で「八ッ場ダム建設事業に係る基本協定」調印。 7月 水没五地区と建設省との間で「八ッ場ダム建設事業に係る用地補償調査協定」調印。 7月 「反対期成同盟」は「対策期成同盟」に変わり、反対運動の旗を降ろす。 7月 群馬県は長野原町、水没五地区に地域居住計画に基づくダム・水特法・基金3事業の素案(基金事業の事業費249億円)を説明。 1993年(平5) 4月 群馬県は土木部に特定ダム対策課を、出先機関として八ッ場ダム水源地域対策事務所を設置。 1994年(平6) 3月 建設省、付帯工事に着手。 12月 国道付替え区間を含む上信自動車道(群馬県渋川市~長野県東部町)が地域高規格道路に指定される。 1995年(平7) 9月 水特法に基づく水源地域指定が長野原町の水没五地区について告示される。 12月 水特法に基づく水源地域整備計画、閣議決定。 1996年(平8) 2月 八ッ場ダム建設促進協議会において、関係一都四県は水源地域整備事業の負担額で合意。 1999年(平11) 6月 水没関係五地区連合補償交渉委員会(萩原明朗委員長)が設置される。 7月 「八ッ場ダムを考える会」発足。 2001年(平13) 6月 「利根川水系八ッ場ダム建設事業の施行に伴う補償基準」に水没関係五地区連合補償交渉委員会が調印。 9月 国交省関東地方整備局、八ッ場ダムの完成を2010年度に延長する第一回基本計画変更。 2002年(平14) 8月 水没予定地の長野原第一小学校、代替地へ移転。 2003年(平15) 11月 国交省関東地方整備局、八ッ場ダム事業費の増額案を公表。 首都圏で反対運動が拡がる。 2004年(平16) 9月 国交省関東地方整備局、八ッ場ダムの事業費を4600億円に増額し、吾妻川の流量維持を目的に追加する第二回基本計画変更。 9月 八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会、関係各都県に対して住民監査請求。 11月 同会各都県のストップさせる会は、八ッ場ダム事業への支出差止めを求める住民訴訟を各地裁に提訴。 2005年(平17) 9月 代替地分譲基準について、国交省と水没五地区連合交渉委員会が合意書に調印。 2007年(平19) 1月 八ッ場あしたの会発足(八ッ場ダムを考える会の活動を継承)。 2008年(平20) 5月 八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会(代表:関口茂樹群馬県議)発足。 9月 国交省関東地方整備局、八ッ場ダムの完成を2015年度に変更し、発電を目的に追加する第三回基本計画変更。 2009年(平21) 1月 国交省関東地方整備局、八ッ場ダムの本体工事の入札手続き開始。 1月 群馬県、八ッ場ダムの基金事業を249億円から178億円へ減額する案を長野原町に提示。 4月 八ッ場ダム推進議員連盟1都5県の会発足。 9月 民主党政権の前原誠司国交大臣、八ッ場ダム本体工事の中止を表明。 八ッ場ダム本体工事の入札凍結。 2010年(平22) 10月 八ッ場ダムの検証作業始まる。 10月 民主党の国会議員らにより「八ッ場ダム等の生活再建を考える議員連盟」設立。 (会長:川内博史衆議院議員) 11月 馬淵澄夫国交大臣、八ッ場ダム中止方針の棚上げと検証期限を11年秋と表明。 12月 自民党の国会議員らにより「八ッ場ダム推進と利根川水系の治水、利水を考える議員連盟」設立。 (会長:佐田玄一郎衆議院議員) 2011年(平23) 1月 国交省関東地方整備局は八ッ場ダムの検証作業の会議でダム事業継続の場合、工期3年延長、事業費約183億円増額との試算結果を公表。 9月 「八ッ場ダム等の地元住民の生活再建を考える議員連盟」、「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」を公表。 9月 都議会民主党、八ッ場ダム建設見直しを民主党政策調査会へ申し入れ。 10月 国交省関東地方整備局、八ッ場ダム建設妥当との検証結果報告(素案)を公表。 10月 「八ッ場ダム検証の抜本的なやり直しを求める科学者声明」発表。 (呼びかけ人11名、賛同者69名) 11月 4日、国交省関東地方整備局、「学識経験者の意見聴取の場」を開催。 八ッ場ダム推進派の宮村忠座長(関東学院大学名誉教授)が反対意見を封じる。 11月 18日、「ダム検証のあり方を問う科学者の会」発足。 (共同代表:今本博健京都大名誉教授、川村晃生慶応大教授、呼びかけ人11名、賛同人127名)。 11月 30日、国交省関東地方整備局、「八ッ場ダム建設妥当」とする検証結果を国交省本省に報告。 12月 9日、民主党の前原誠司政調会長、八ッ場ダム本体工事の再開に党として反対の旨、政府へ申し入れ。 12月 22日、前田武志国交大臣、八ッ場ダムの本体工事予算計上を表明。 現地に赴き、八ッ場ダムの推進を訴えてきた群馬県知事、県幹部、国会議員、地元有力者らの万歳三唱に応える。 12月 23日、政府は八ッ場ダム本体工事の再開を決定(「川辺川ダム予定地をモデルとした生活再建支援法案の国会提出」と「利根川水系河川整備計画に八ッ場ダム計画を位置づけること」の2条件を付す)。 2012年(平24) 3月 「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」を閣議決定。 (同年12月の政権交代により廃案に。 ) 4月 国交省は当初予算で八ッ場ダムの本体工事費見送り。 4月 総務省、八ッ場ダムの利水負担金を支払う東京、埼玉、千葉、茨城、群馬の5都県とも人口減少を予測。 4月 利根川流域市民委員会(2006年発足)は、利根川水系河川整備計画への八ッ場ダム事業等の早期位置づけを目指す国交省に対抗して、再結成集会を開催。 9月 国交省関東地方整備局は4年以上中断していた利根川・江戸川有識者会議を再開。 12月 自公政権が復活し、八ッ場ダム事業を含む公共事業の推進を打ち出す。 2013年(平25) 1月 国交省関東地方整備局は、八ッ場ダム事業を位置づけた利根川・江戸川河川整備計画(原案)を公表。 2月 「ダム検証のあり方を問う科学者の会」は八ッ場ダム予定地の遺跡保存と本体工事の中止を求める要請書を国交大臣、文化庁長官に提出。 これに呼応して、文化関係者が「科学者の会」の要請を支持するアピールを発表。 呼びかけ人:森まゆみ(作家)、アーサー・ビナード(詩人)ら11名、賛同人346名 5月 15日、国交省関東地方整備局は八ッ場ダムを位置づけた利根川河川整備計画を策定。 11月 国交省関東地方整備局、八ッ場ダムの完成を2019年度に延長する第四回基本計画変更。 12月 政府は2014年度予算案に八ッ場ダム事業として99億3100万円を計上(本体工事費を含むと公表したが、その金額は明らかにせず)。 2014年(平26) 1月 国交省関東地方整備局、八ッ場ダム本体工事の入札手続きを再度開始。 3月 長野原町は国交省関東地方整備局の要請を受け、名勝・吾妻渓谷の八ッ場ダム予定地域内にある滝見橋と渓谷遊歩道の閉鎖を発表。 7月 しんぶん赤旗が八ッ場ダム本体工事の入札手続きにおいて官製談合があるとスクープ。 (東京湾トンネル工事で死亡事故を発生させ、入札参加資格を失った鹿島建設等が「技術提案」に参加) 8月 7日、八ッ場ダム本体工事、清水建設JV落札。 10月 JR吾妻線の付け替え工事完了に伴い、川原湯温泉の新駅開業。 11月 群馬県は水没予定地の国道を封鎖。 (生活道路である国道使用の継続を求める予定地住民の要望を拒否) 2015年(平27) 1月 22日、国交省関東地方整備局、ダム本体建設工事を開始と発表。 (本体工事の最初の段階である基礎掘削のための発破作業開始) 24日、国交省関東地方整備局、強制収用を視野に入れた土地収用手続きを開始。 (事業説明会の開催) 4月 10日、国交省関東地方整備局、八ッ場ダムの事業用地の強制収用を可能とする事業認定を国交省本省に申請。 6月 27~28日、国交省は八ッ場ダム水没予定地の強制収用に向け、東吾妻町で公聴会を開催。 公述22件のうち、賛成意見(行政関係者と議会関係者)7件、反対意見14件、起業者自らによる公述1件。 9月 7日、八ッ場ダム予定地住民の移転代替地等で有害な鉄鋼スラグが使用された問題について、群馬県、(株)大同特殊鋼など三社を刑事告発。 11日、群馬県警が強制捜査を開始。 9月 8~10日、利根川流域一都五県の住民が各都県に対して八ッ場ダム事業への支出差し止めを求めた裁判で、最高裁が上告を退ける決定を下し、敗訴確定。 2016年(平28) 2月 25日、水没予定地に残る最後の住民の一人が同月12日に移転契約と朝日新聞報道。 4月 22日、国土交通省は土地収用法に基づき八ッ場ダム建設工事の事業認定を告示。 八ッ場ダムの事業認定について、2015年4月に群馬県知事に提出された意見書139通のうち反対意見118通、その他21通であったことなどが明らかにされる。 6月 14日、ダム堤の下流に設ける「減勢工」部分でコンクリート打設開始。 8月 12日、国交省関東地方整備局は八ッ場ダムの事業費を720億円増額する第五回計画変更案を公表。 9月 21日、八ッ場ダム本体工事の第一段階である基礎岩盤の掘削工事が終了し、国交省と本体工事業者が川原湯・川原畑地区住民を対象に「八ッ場ダム基礎岩盤見学会」を開催。 10月 ダム堤体部のコンクリート打設開始。 18日、八ッ場ダムの事業費を再増額する第五回計画変更案への同意案を1都5県議会が可決。 2017年(平29) 3月 4日、本体工事定礎式。 4月 8日、川原湯神社は道路建設のため遷座。 代替地の新神社で春祭り。 6月 24日、八ッ場ダム事業による国道と県道の付替え工事完了。 7月 6日、利根川・荒川基金事業による地域振興施設として、上湯原地区にグランピングを整備すると上毛新聞報道。 宅地ではなくキャンプ場となることで、「代替地の安全対策」が不要となったことが12月県議会で判明。 7月 28日、国交省八ッ場ダム工事事務所は水没住民の移転代替地に投棄された(株)大同特殊鋼のスラグから環境基準の10倍超のフッ素が検出されたことを発表。 9月に除去作業。 12月 8日、群馬県議会・産経土木委員会における「代替地の安全対策」に関する角倉邦良議員の質問に対して、県は国土交通省がダム基本計画変更の際、5箇所としていた対象箇所のうち2箇所(上湯原地区と長野原地区)を対象箇所から除外したと答弁。 その後、国交省の情報開示資料、国会議員のヒアリング等により、代替地の安全対策、地すべり対策が2017年の早い時期に、2016年12月のダム基本計画変更時の説明資料より大幅に後退していたことが判明。 12月 22日、政府予算案閣議決定。 八ッ場ダムの2018年度予算案は過去最高額の434. 9億円。 2018年(平30) 2月 5日、群馬県国土利用計画審議会にて、八ッ場ダム湖予定地周辺の森林や原野など42ヘクタールが「都市地域」に変更。 7月 9日、群馬県は水没予定地の石川原遺跡(川原湯地区上湯原)で天明泥流に埋もれた人骨が三体出土したことを公表。 12月 9日 ダム湖予定地の上流端(JR長野原草津口駅前)に長野原町役場と住民総合センターが完成し、記念式典開催。 12月 20日、上毛新聞が八ッ場ダム生活再建9事業(大柏木トンネル、水没文化財保存センター、地域振興施設整備など)に遅れが生じ、2019年度のダム完成には間に合わないことを報道。 12月 21日、政府予算案閣議決定。 2019年度の八ッ場ダム予算案は281億円。 12月 25日、超党派の国会議連「公共事業チェック議員の会」八ッ場ダム予定地視察。 2019年(平31) 3月 4日、群馬県議会において、県は八ッ場ダム直下に建設中の発電所の完成が1年遅れ、2020年度に延長と説明。 2019年(令1) 5月 16日、「公共事業チェック議員の会」、国交省本省に八ッ場ダムの安全対策についてヒアリング。 (衆議院第一議員会館) 6月 12日、国交省関東地方整備局と清水建設JV、八ッ場ダム打設完了式開催。 6月 28日、千葉県議会に27名の議員が八ッ場ダムの地すべり等について万全の対策を求める意見書。 採択の結果、自民党など66名の議員の反対で否決。 10月 1日、試験湛水開始。 10月 12日、令和元年東日本台風(台風19号)が関東地方に襲来。 10月 13日、国土交通省は八ッ場ダムが11日2時~13日5時の間に約7,500万立方メートルを貯め、貯水池の水位が約54m上昇と発表。 10月 14日、東京電力は台風豪雨による吾妻川の氾濫で、大津発電所などから有害なPCBを含む変圧器が流出したことを発表。 10月 15日、国土交通省は八ッ場ダムが貯水率100%に達したと発表。 10月 16日、安倍晋三首相が参院予算委員会で八ッ場ダム事業の意義を強調。 赤羽一嘉国交相も八ッ場ダムが利根川の水害防止に役立ったとの認識を示した。 10月 17日、自民党の二階俊博幹事長が山本一太群馬県知事と共に八ッ場ダム視察、八ッ場ダムの治水効果を評価。 10月 30日、長野原町は八ッ場ダム事業で移転新築した長野原第一小学校を児童減少のため統廃合と決定。 11月 2日、赤羽一嘉国交相が八ッ場ダムを視察。 台風19号豪雨では八ッ場ダムが利根川の危機的状況を救ったとして、地元に感謝を伝えた。 11月 5日、国土交通省は台風19号豪雨時、利根川の八斗島(群馬県伊勢崎市)地点における上流ダム群(試験湛水中の八ッ場ダムを含む7ダム)の水位低減効果は約1メートルと発表。 12月 13日、群馬県は長野原町に、八ッ場ダムの生活再建関連100事業のうち、22事業は年度内に完了しない見込みと伝えた。 2020年 2月 4日、長野原町はダム湖周辺の地域振興や誘客を目的とした一般社団法人「つなぐカンパニーながのはら」を設立。 2月 29日、3月に予定された八ッ場ダムの竣工式が新型コロナ感染拡大防止のため延期と報道。 3月 10日、国土交通省は、9日に八ッ場ダムの試験湛水を終了し、夏の東京オリンピックに向けて水資源確保のため貯水開始と発表。 3月 24日、東京オリンピック・パラリンピックの延期決定。 3月 31日、八ッ場ダム完成。 4月 1日、ダム運用開始。

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八ッ場ダムは疑問だらけ

八 ツ 場 ダム

「ダムライター」などと名乗っているけれど、僕はこれまでどんなメディアでもダムの記事を書くときや話をするときに気をつけてきたことがある。 ダムの是非についての判断をしない、ということだ。 しないというか、もっと正確にはできないと思うのだ。 だって、自分の家の前を流れている川だったらともかく、よその地域の川にダムが必要かどうか、つまり洪水や水不足が起きるかどうかなんて、ふつうの人には分からないでしょ? だからそんな無責任な物言いはできないし、地域の反対が多くて中止になったらその判断を尊重する。 だけどその代わり造ったものは全力で応援するし、洪水や渇水に活躍したらたくさんの人に知ってもらいたいし、そのダムの地域が盛り上がるように少しでも役に立ちたい。 結果にコミット... まではしないけどできることはやる!みたいな。 そんなスタンスでやっている、ということをご理解いただいた上で、本題に入ります。 去年(2014年)の秋、八ッ場ダムの工事事務所にお願いして現場をいろいろ詳しく見せてもらった。 ダムを造るとき、まずは貯水池になるエリアに住んでいる人々に移住してもらわなければならない。 そして道路や鉄道も貯水池よりも高いところを通るように引きなおす。 また、川はダム本体の工事現場を一時的に迂回させる必要がある。 ここではそういった工事がこの数年行われていて(その間に政権が変わって中止になったり再開したりした)、ダム本体より数キロ下流から貯水池の上流の方まで、移住しなければならない人々の新しい土地を作ったりインフラを整えたり、かなり広範囲にわたって槌音が響いていた。 まだダム本体の工事は始まっておらず、その代わりによくテレビに映されていた建設中の橋が視聴者にダムだと思い込まれたりしていた。 「移住しなければならない人々」なんて簡単に書いたけど、もちろん人の都合で住み慣れた土地を離れなければならない苦労なんて経験したことない人には理解できないほど大変だろう。 現代社会で人が安全快適に暮らすためにはある程度のしわ寄せを受けてしまう人や環境があることは事実で、それをどう受け止めるか。 ダムに限らず、たいていの世の中を二分する問題はどっちを選んだとしても「ある程度のしわ寄せを受けてしまう人や環境」がなくなることはないと僕は思う。 ちなみに僕も、ダムではないけど生まれ育った家が大家さんの相続税対策で売られ、住み慣れた土地から移住しなければならなくなった経験がある。 僕だって国の政策の犠牲者だ!(すいません言い過ぎました).

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