いい んで すか 歌詞。 ***aiko歌詞画***

友達関係で疲れた時に聴きたいボカロ曲 ベスト3

いい んで すか 歌詞

いいんですか いいんですか こんなに人を好きになっていいんですか? いいんですか いいんですか こんなに人を信じてもいいんですか? 大好物はね 鳥の唐揚げ 更に言えばうちのおかんが作る鳥のアンかけ でもどれも勝てない お前にゃ敵わない お前がおかずならば俺はどんぶりで50杯は 軽くご飯おかわりできるよ だけども んなこと言うと 「じゃあやってみて」とかってお前は言いだすけど それはあくまでも例えの話でありまして だどもやれと言われりゃ おいどんも男なわけで 富良野は寒いわけで お前が好きなわけで ちょびっとでも分かってもらいたいわけで ちなみに、オカズって 変な意味じゃないんで 嫌いにならないでね いいんですか いいんですか こんなに人を好きになっていいんですか? いいんですか いいんですか こんなに人を信じてもいいんですか? いいんですよ いいんですよ あなたが選んだ人ならば いいんですよ いいんですよ あんたが選んだ道ならば 今まで俺は何回お前を泣かせたんだろう それに比べて何回笑わせてやれたんだろう 更には嬉し泣きっていう合わせ技もお前は 持ち合わせているから余計分かんなくなんだよ 「ごめんね」と「ありがとう」を繰り返せばいいんだよ その比率は五分と五分に限りなく近いけど 例えば999999回ずつで最期の 瞬間を迎えたとしよう 「ありがとう」の勝ちはもう間違いない 必ずや到達するよ1000000回 だってさ だってさ だってだってだってさ だって俺のこの世の最期の言葉はあなたに言う「ありがとう」 いいんですか いいんですか こんなに人を好きになっていいんですか? いいんですか いいんですか こんなにのめりこんじゃっていいんですか? いいんですよ いいんですよ あなたが望んだ人ならば いいんですよ いいんですよ あなたが望んだ道ならば あなたといる意味を探したら 明日を生きる答えになったよ 明日を生きる意味を探したら あなたといる答えになったよ いいんですか いいんですか こんなに人を好きになっていいんですか? いいんですか いいんですか こんなに人を信じてもいいんですか? いいんですよ いいんですよ あなたが愛した人ならば いいんですよ いいんですよ いいんですか いいんですか こんなに人を好きになっていいんですか? いいんですか いいんですか こんなに人を信じてもいいんですか? いいんですよ いいんですよ あなたが選んだ人ならば いいんですよ いいんですよ むしろそうであって欲しいんですよ いいんですか いいんですか こんなに人を好きになっていいんですか? いいんですよ いいんですよ あなたが選んだ人ならば あなたが愛した人ならば あなたが望んだ人ならば.

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#85 38話√美嘉

いい んで すか 歌詞

投稿者: 樹里亜+。 I can' t change• 投稿日:2010年 9月21日 火 21時16分14秒• 投稿者: 愛*似たもの同士なんだよね• 投稿日:2010年 9月20日 月 21時58分29秒• 笑 初音にもそう言いたくなかったけど自分のことしか考えてなくて 悪いなーと思ってて涙 そっか!! 結構勘違いされてるんだ!! モテるから、、好きな人。。 wかwで結構違うんだね!! 泣けるなー;;; からみづらくて><; ナリ=なりすましだよwwその人のフリしたりとか;; 詳しくなくてもおっけーwカキしておいたよ^^v そうそう 笑 なんかあの時すごい疲れたーww のっち&えすかは違うんだー 笑 あの人は苦手・・w うちも樹里亜が一番落ち着く!! 投稿者: 樹里亜+。 I can' t change• 投稿日:2010年 9月19日 日 16時42分37秒• 投稿者: 樹里亜+。 I can' t change• 投稿日:2010年 9月19日 日 16時20分43秒• うちも安心したなwww• 投稿者: 愛*似たもの同士なんだよね• 投稿日:2010年 9月19日 日 15時03分26秒• 投稿者: 愛*似たもの同士なんだよね• 投稿日:2010年 9月19日 日 14時44分6秒• 投稿者: 樹里亜+。 あなたへの想いは強く• 投稿日:2010年 9月18日 土 22時50分3秒• 嬉 YUIでオススメか~…Tonight!!!!! 聴いたことあるはず! CAN'T BUY MY LOVEゎ買った?? 投稿者: Tonight+。 アタシは冷静になる• 投稿日:2010年 9月18日 土 22時39分33秒• うちもリア友より話しやすい氏信用できる*^_^* わかる、、!ごまかしたりしたくなる気持ち。 だめじゃないと思う!無理はいけないし!!! &うちも彩乃以外にはごまかしてる…。 リア友・Net上あわせて3人の心友以外の人にはね…。 うん!! そうだよ!! w 深イイ話もここでは沢山出来るよww 書き込んでる人も少ないしさ^^*• 投稿者: 愛*君がいてくれて本当よかった• 投稿日:2010年 9月13日 月 21時37分7秒• 投稿者: 愛*約束だって守りたい• 投稿日:2010年 9月13日 月 21時29分30秒• なんかそうなるとうらやましいっていうか そう思いたくなる。。 樹里亜は強いよね、、とうちは思う。 だってうちならもうその人と話しもできなくなりそう;; そうなんだ;うちみたいになるとばれるのかも? 樹里亜やってても結構気付かれないからねw うちが鈍いのかなあ。。 PerfumeとかKAT-TUN板の子とかリア友にはごまかしたり してるから…。 投稿者: Tonight+。 投稿日:2010年 9月13日 月 14時26分26秒• 投稿者: 愛*約束だって守りたい• 投稿日:2010年 9月 8日 水 20時38分11秒•

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【TWICE】「Say Yes」徹底解剖!MV・歌詞・和訳・カナルビ

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主人を亡くして何ヶ月にもなりますが、会いたい気持ちが日に日に強くなるばかりです。 かといって、自死すれば主人に会えないと、こちらでも言って頂いたので、そんなつもりはないのですが、ただただ会いたくて会いたくて仕方がありません。 突然いなくなりました。 病気が彼を連れて行ってしまいました。 大好きでした、笑顔も仕種も、なにもかも。 部屋の蛍光灯もかえたことがない、門限は夜9時、飲み会は送り迎え、大事にしてもらった二十年余り、私なりに主人に尽くしました。 主人の口癖は「幸せだね」。 でも私の方が幸せでした。 「ただいま」の声に「おかえりなさい」と、毎日玄関に迎えに出られる、そんな普通の事が掛け替えのない幸せだったんだと、毎日思っては泣くばかりです。 愚痴ばかりでごめんなさい。 お時間を頂いて申し訳ありませんが、こんな私に明日からまた、仕事に行く力の出るお言葉をかけていただけませんでしょうか。 ご回答ありがとうございました。 それにしても素晴らしい息子様をお持ちですね。 きっと回答者様のご家庭がお互いを大切に思い合える暖かいものなのでしょうね。 子供っていつの間にか大人になっていて、びっくりさせられます。 主人の葬儀の際もいい歳をして泣きじゃくる私の手をずっと握ってくれていました。 喪主の挨拶も私に代わって立派に勤めてくれ、この何ヶ月の間、息子にどれ程助けられたのかわかりません。 うちも「お父さんだったらこう言うよね」といつも二人で言ってます。 友達から「箱入り奥さん」といわれ、何でも主人の言うとおりしてきた私ですが、もう頼る人はいないので、いつも主人の言っていた事を思い出し「お父さんどうしよう?こうして良い?」と写真に語りかけています。 なんだかお礼でなくなってしまいました、ごめんなさい。 これからも主人に感謝しながら生きていきたいと思います。 ありがとうございました。 長文になります。 おつらい気持ち、とてもよくわかります。 私もつい先日主人を亡くしました。 私たち夫婦はまだ若く、結婚して数年しか経っていません。 当たり前のような毎日を過ごしていた中で、突然、夫は亡くなりました。 質問者様のように長年連れ添った夫婦というわけではありませんので、状況は違うかもしれません。 ただ、予想もしていなかった不幸に、泣き崩れるばかりの毎日でした。 あまりのショックに、自分の存在が、足元からくずれてしまったようでした。 しばらく仕事は休んでいましたが、いまは職場へ復帰して働いています。 いまでも頭の中は主人のことでいっぱいですが、家の外に出てもずっと主人のことばかりを話していたら、周囲もとても気を遣うでしょうから、なるべく主人のことは語らないようにしています。 私がこれから申し上げることは、自分自身を奮い立たせるために自分に言い聞かせたことなので、 質問者様をはげますことにはならないかもしれません。 ほとんどは私の妄想のようなものです。 ですが、わたしはこのように考えることで、少しは気持ちが楽になりました。 私は、夫を失った自分の不幸を嘆くよりも、夫と過ごした日々がとても楽しかったことに感謝しようとしています。 夫からたくさんの思い出や、楽しい気持ちをもらいました。 それはとても幸せなことで、私の財産になっています。 夫がいない不幸よりも、彼と生きることができた喜びを称えようと思います。 今が悲しいのは、とても幸せだったからこその反動です。 そんな幸せな日々があったことをうれしく思います。 それから、自分のために泣くのはやめました。 こんな状況におかれた自分の身の上を嘆いて涙を流すのは、単なる自己愛です。 「不幸な私ってかわいそう」という自己憐憫で流す涙は、単なる自己満足だと思っています。 夫のために流す涙はあってもいいけれど、「夫を失った私」のために涙を流すのはやめました。 いつかは私も死にます。 まだ若いので、一般的な寿命をまっとうしようとしたら、あと50年は生きるでしょう。 先に逝った主人とあの世で会えるとしたら、50年先のことです。 50年後には必ず会えると思えば、 「夫は50年もかかるすごく長い単身赴任にでも出かけて帰ってきていないんだ」 と無理やり思うこともできます。 そう思い込んでいます。 50年後、あの世で主人と会えるときのために、土産話をいっぱい持っていこうと思っています。 主人が亡くなったあと、どれだけ充実した毎日を過ごしていたか、生きていて楽しいことがあったかを、50年後にあの世でいっぱい語れるように、どんどん新しいことにチャレンジしたいと思っています。 そして、あの世へ行ってから、夫に私の人生の自慢をしてやるんです。 「俺ももう少し長生きして一緒に楽しいことをしたかったな」と あの世で夫にくやしがらせてやりましょう。 ……すべて、私にとって都合のいい妄想です。 でも、こうやって考えていると気持ちが楽になります。 質問者様のように、わたしも一時は死んでしまいたいと思っていました。 今は死にたいとは思いませんが、やはり死に対する恐怖はありません。 死ねば夫に会えるのかな……とは、今も考えています。 けれど、夫は生きたくても生きられなかったんです。 質問者様のご主人もそうです。 私や質問者様には、長く生きる力が残っているんです。 その力を粗末に扱ったら、先に逝った夫や質問者様のご主人に怒られてしまいます。 与えられた命です。 最後のときがくるまで命を大切に生きましょう。 あなたが毎日暗い顔で過ごしているよりも笑って過ごしているほうが、 先に逝ったご主人も安心して成仏できると思いますよ。 お互い、前向きに頑張っていきましょう。 長文な上、支離滅裂な文章になったことをお詫びします。 大変お辛い中、わたくしのような者にお時間をさいて頂きまして、ありがとうございます。 回答者様の文章からとても聡明な方の様とおみうけしました。 「今が悲しいのは、とても幸せだったからこその反動です。 そんな幸せな日々があったことをうれしく思います。 」 おっしゃるとおりですね。 本当に幸せでした。 これから、あの人以上の人は現れる事はないと思います。 主人には感謝ばかりです。 夫婦であった時間は私達のほうが長かったかもしれませんが、きっと単純に時間では量れない程、お幸せだった事でしょう。 わたくしも回答者様を見習ってもっと前向きに生きてみようと思います。 春とは名ばかりの寒い日が続きます。 どうかくれぐれもご無理なさらないようご自愛くださいませ。 ありがとうございました。 最愛の方の突然の死・・とてもつらいですね。。 タイトルを読んだだけで涙がでてきました。 私は、身近な人が亡くなった時、魂の存在を受け入れました。 やはり、そばにいて、見守ってくれているんです。 そう考えると、心が楽になるんです。 すでに回答にもありますが、だんなさまの写真を身近に飾ってください。 また、夢で会いたいなあと思い続けていると、会えることもありますよ。 まだ亡くなられてあまり経っていないようで、つらいと思いますが、そんな時は、だんなさまがくださった、素敵な幸せな思い出の時を心の中で思い返し、見守ってくれているだんな様に感謝の気持ちで伝えてみてはいかがでしょうか。 もしかしたら少し心が楽になるかも知れません。 レビューだけでもいいので、チェックしてみてください。。 うまく回答できなくてすみません。 ご回答ありがとうございました。 結婚生活の二十年あまり、ずっと鞄に結婚式の写真とこどもの写真を入れて持ち歩いていました。 おっしゃるように、今まで何度か夢で会えました。 きっと私の事を心配してるんでしょうね。 もう主人程、私の事を解ってくれる人は出て来ないと思います。 お葬式の前の晩「この人の身体が無くなる」と思うと愛おしくて、お棺の小窓(?)から手をいれて、一晩中顔を撫でていました。 私の周りの人もみんな「姿は見えないけど見守ってくれてるよ。 」と言ってくれます。 私もそう信じています。 脈絡の無い文でごめんなさい。 ご紹介頂いた本を読ませて頂こうと思います。 ありがとうございました。 「 一人のひと 」 一人の男(ひと)を通して たくさんの異性に逢いました 男のやさしさも こわさも 弱々しさも 強さも だめさ加減や ずるさも 育ててくれた厳しい先生も かわいい幼児も 美しさも 信じられないポカでさえ 見せるともなく全部見せて下さいました 二十五年間 見るともなく全部見てきました なんて豊かなことだったのでしょう たくさんの男(ひと)を知りながら ついに一人の異性にさえ逢えない女(ひと)も多いのに 茨木のり子 「歳月」より 私は、「その時」が来たら、生きていられるのだろうかと、ふと考えます。 夫は、「後追いなんてたまらん。 気になってゆっくり死んでられない。 でも、自分の死によって相手が死んでしまうって、こんな不幸はないよな」と言い、「どんな生き方にせよ、命の続く限り生きていくのが人間の努めだと思う」と、よく言っています。 いつかこの言葉を日々の時間に沿わせて、生きていく日が来るのでしょう。 一緒に生きてきた時間を支えに、この世で誰よりも知り尽くしている夫を心の中で蘇らして、やっぱり愛していくのだと思います。 お気持ちはよくわかります。 会いたいという気持ち、大事にしてください。 その気持ちを切り替えていったらいかがでしょう。 あなたが泣いてばかりいてもご主人は喜びませんよ。 今のご自分はご主人の望んでいるあなたではないと自覚してください。 亡くなったご主人が心配しないように明るく元気にふるまってください。 「私はこんなに元気にやっている。 大丈夫だから」 とご主人に見せられるようなあなたになってください。 強くなって乗り越えて、いつになるかわかりませんが 次にご主人に会えたときに元気でやっていたのよと言えるようになってください。 いつまでも若々しくいて次に会ったときに「惚れなおした」って言わせちゃいましょう。 頑張って、頑張って生きていればきっとまたいいことがあります。 きっと旦那さんは、心配だったと思いますよ。 あなたを残したまま、この世を去るのは。。。 蛍光灯、一人で替えれるかな。。。 飲み会の送り迎え、これからどうするのかな。。。 「おかえりなさい」と返す相手がいないで、きっと一人で泣いているだろうな。。。 もし旦那さんが、天国でそんな心配をしていたら、あなたはどう思いますか? 「彼がいなくても頑張ろう」 そう思っても、今まであった景色が変わった事の現実を前に、また自分の記憶を愛おしく思うのでしょう。 本当に愛した人を失くして、気持ちの切り替えなんて、そう簡単に出来るものではありません。 あなたは、この広い世の中で、素敵な旦那さんに巡り合う事が出来ました。 旦那さんと出会ってからのあなたは、旦那さんから色々なものをもらい、素晴らしい女性に成長したはずです。 しかし、思い出して下さい。 旦那さんと出会う前の、一人の女性であるあなたを、旦那さんは好きになったのです。 今、あなたの隣に旦那さんはいませんが、また一から旦那さんと恋愛を始めていかれてはどうでしょうか? 世の中は、目に見えるもの、手に触れられるものだけが現実な訳ではないのです。 あなたの中にある思い出も、立派な現実だと言う事を理解して下さい。 それは時として、どんな物体的な現実よりも現実的なものなのです。 だから、いつでも旦那さんに会えるはずです。 少しずつ少しずつ、あなた達の愛が穏やかな愛に変わって行ったように、きっとあなたの心が穏やかな愛に満たされる日が来るはずです。 「やっぱりあなたを愛して良かった」 あなたが人生の最期を迎える時に、あなたも旦那さんもそう思い合えるような愛し方をして行って欲しいと、僭越ながら思います。 読んでいて、幸せな結婚生活をおくられてみえたのだなと痛感しました。 私の友人の話ですが、彼女も若くしてご主人を自殺という形でなくしました。 別段、夫婦仲が悪くてそうなった話ではないようです(仕事の重圧ではないかという話?) 子供もおりませんので一人取り残されてしまいましたが。 彼女、いわく、、ご主人様は近くにおられるみたいでよく出没するそうです。 もう亡くなられて5~6年はたちますが。 玄関で立っていたり、トイレから声がしたり、ご主人の部屋から好きだった歌が聞こえたり、お仏壇にオレンジの光とともに入っていったり、、、まだまだたくさんありますが、いつも気配で知らせているみたいですよ。 ?と思われるかもしれませんが、話してくれる彼女は精神病でもなんでもない健康体です。 (霊感とか強いようです) 先の法事のときも激しくろうそくが揺れたりで、彼女的には「ありがとう」ってことかな?と言っておりました ですので、目には見えませんが、きっとご主人さまも見守っているに違いありません。 彼女も日常の話、悩み、いろいろ話しかけているみたいです。 そうすると、なぜかしら自然に解決(いい案が浮かんだり)のほうにいったりするそうで、「主人が見守ってくれてる」と精神状態もいいみたいです。 あまり、参考にはなりませんが、、生身に会いたいという願いの手助けにはなりませんがそういうことも現実にはありますよというおせっかいでした。 失礼します。 Q 妻の死後、悲しみを癒すため色々やって来ました。 不幸な人のために尽くせば、それが喜びになり癒しになると言う人が多くて、視覚障害者のため音訳ボランティアをやって来ました。 少数民族を救うための活動もやって来ました。 しかし、自分の悲しみを軽減する力にはならないと感じました。 最近同じ苦しみを抱えた方、数人とメールを交換するようになりました。 彼女たちは海外のメル友を訪ねたり、あるいはジムに通ったり、わざと自分を忙しくしていると言っております。 夫の分まで、前向きに生きて行きたいと言います。 時々は夫を思い出して悲しくなり、思いっ切り泣くとも言います。 共通しているのは、前向きな姿勢です。 翻って自分なんですが、基本的な気持ちは「何もやりたくない」のです。 で、無理にやっている音訳ボランティアその他の活動も重荷に感じます。 彼女たちは一人閉じこもらず、外に出て人と接することで、悲しみを忘れているようですが、私の場合は外に出て人に接しようという気が土台起こらない。 ムリにやると非常な負担になる。 で、家に一人居て、音訳録音の準備作業とか、やることは一杯あります。 しかし、妻のことを時々思い出すというよりも、頭にこびり付いていて24時間悲しい重苦しい気分に支配されているという状態です。 メル友からのメールを読んでいる時と、返信を書いている時だけは、明るい気分になり妻のことはほとんど忘れていますが、送信完了した途端、更に以前にも増して悲しみが襲って来ます。 そしてそれがいつまでも続きます。 妻の分まで生きたいとは思えず、出来るだけ早く妻の元は行きたいという思いしか持てません。 前向きに活動できる彼女たちと、私との違いは何でしょうか? 私は男性ですが、男と女の違いでしょうか? 妻を亡くしてまだ1年を過ぎたばかりですから、もっともっと年数が必要ということでしょうか? 個人差があって、自分の場合は一生前向きになれないということでしょうか? 経験された方、あるいは何かヒントになるものがあれば、教えていただきたいと思います。 宜しくお願いします。 妻の死後、悲しみを癒すため色々やって来ました。 不幸な人のために尽くせば、それが喜びになり癒しになると言う人が多くて、視覚障害者のため音訳ボランティアをやって来ました。 少数民族を救うための活動もやって来ました。 しかし、自分の悲しみを軽減する力にはならないと感じました。 最近同じ苦しみを抱えた方、数人とメールを交換するようになりました。 彼女たちは海外のメル友を訪ねたり、あるいはジムに通ったり、わざと自分を忙しくしていると言っております。 夫の分まで、前向きに生きて行きたいと言い... この件で思うのは、ボランティア趣味もいいのかもしれませんが、それより、少しでも働かれることを お勧めしたいですね。 働くというのは、いい加減な仕事はできませんから、働くことで、物事への集中力がでますし、 なにがしかの小遣いを得ることは、少しの喜びにもなると思うのです。 昔の人も同じように伴侶と死に別れてるのですが、みんな働かないと生きていけない時代ですから、 働くことで生きていけ、また元気になっていったのではないかと思います。 たとえば農家からなにがしか仕入れて行商人みたいに売ってまわり、薄利でしょうけど、そこになにか 生き甲斐も出てくると思うのです。 僕は働くことは祈りのようなものと信じています。 働くことで悲しみを忘れている時間の出来るし、体も元気になり、後追い誘惑もなくなると思います。 僕は幸い自営業ですので、いつも働いていないとダメです。 そのことが、同じ死別者仲間より早く立ち直れた気がします。 何故悲しくなるのでしょうね。 この答えはまだ出せないでいます。 妻に対する悪い気持ちが起きたか、目の前の女性が妻だったらいいのにと思ったか、 目の前の女性へ愛情を感じたことで、忘れていた妻への愛情を思い出したか・・・。 私達の心は暗闇で解明されてない部分すこぶる多いと言われています。 多分、何故悲しくなるかはわからないような気がします。 この件があって、今お付き合いの方と、いつか愛し合うことになると思うのですが、その最中に嗚咽するのではないかと思ったりします。 これ引かれてしまいますよね。 君の美しさに感動したんだと言ってごまかしましょうか(笑)。 それで貴殿は離別だと嘘を付いたんですね。 酷すぎるとかなりのお叱りを受けました。 この件で思うのは、ボランティア趣味もいいのかもしれませんが、それより、少しでも働かれることを お勧めしたいですね。 働くというのは、いい加減な仕事はできませんから、働くことで、物事への集中力がでますし、 なにがしかの小遣いを得ることは、少しの喜びにもなると思うのです。 昔の人も同じように伴侶と死に別れてるのですが、みんな働か... Q 夫が二ヶ月前に自殺。 夫は6月頃からうつ病でした。 7年前から私とはセックスレス、ずっと浮気していると正直思ってたけれど、諦めと信じたい気持ちでいました。 7年前に浮気を疑った時は、夫と携帯の取り合いし二歳の子供の前で私は投げ倒され顔を踏み付けられ噛み付かれ、そのまま夫は出ていきました。 その間、子供が熱をだしパパと呼ぶので帰ってきてといっても帰ってこず。 調停離婚を希望すると「飛ぶよ(姿を消す)」といい、私は家も仕事も見つけ新しい生活を始めるも、離婚が成立せず学校の問題で夫の家に帰宅。 夫は以前よりも好き勝手に行動し子供とお風呂に入るともう出掛けるという生活。 仕事に加えアルバイトをしてて、それを理由にほぼ家にはいませんでした。 去年12月些細なことでケンカし、子供と過ごすべきクリスマスも正月も寝に帰ってくるだけ。 親のケンカに子供は巻込んではいけないとメールするも「貴方とは考え方が違いますから」と。 離婚を決意し、以前家出した時に何故離婚しなかったのか聞くと「あんたの母ちゃんに離婚しないでと拝み倒された」と言いました。 その時点で母は他界しており確認出来ませんが、私の母も一人で育ててくれたのでそれは絶対に言いません。 私は愛もセックスもある生活をしたいから離婚したいといい続けましたが 「浮気してないけど、セックスはまたそのうち…」「愛情はないけど情はある」 そう言われ、その後も何度か話し合いましたが、離婚はしないの一点張り。 そのうちアルバイトの仕事が減り、何故か夫はパニック。 アルバイトの収入は自分の小遣い。 逆に言えば家に必要なお金では無いので辞めても全く問題なし。 それを何度言っても夫は「お金が減る…」とそればかり。 そのうちに不眠になり、うつ病に。 その途端「捨てないで」とすがりつかれ、夫がこのままでも私がこれから頑張らなくては!と決意しました。 休職して半月、少し体調がよくなってきたら勝手に留守にし電話もとらない時がまた始まりました。 そして復職し安心した途端、夫の浮気が発覚。 一晩中謝ってくれたものの、私は実家に帰り、夫は何度も電話やメールで一緒にいてと繰り返しました。 その時点で私の母は拝み倒してなかった (私をコケにした)こと、以前も結局浮気してたこと(私が悪く言われ暴力を振るわれた)彼女とデートするために高級車を買っていたこと、セックスはまあそのうち…なんて言って自分は彼女がいて私をバカにしてた事、クリスマスも正月も彼女と過ごしていたこと、全てがわかりこの7年間を思い返すと許せる余裕がありませんでした。 その夜、夫は私の実家にきて土下座しましたが、一晩中謝ったその後で彼女に「嫁と別れることになった。 」と電話し「大好き」とメールしてたことが分かり、(彼女に電話しました)嫌がる夫にまだ提出はしないと約束し離婚届けにサインさせました。 翌日、夫は会社の先輩を連れてきて一緒に謝ってくれました。 でも夫の実家に帰って貰うようにいいました。 その時にお金を持たせるのは嫌だったのでお財布からキャッシュカードをとると(現金で6万あり)またパニックになり、カードを返してとオバケのように繰り返しました。 反省してない態度が許せず、離婚するかお金を諦めるかだと責めました。 どちらも嫌だと言い張るので、浮気してるのは確実だから調停するといってカードを返しました。 そこでやっと、「もうお金なんかいらない、勘弁して」と。 すごく必死な姿でした。 本当に必死だったと思います。 でもその時は腹が立って、今更な必死さが許せなかった。 また翌日、彼女と話し合いする日。 彼女は来ず、夫は来ました。 彼女の家に行こうと言っても勘弁してと言う夫。 夫の会社の社長の家に行くか彼女の家に行くかで車を走らせたらやっといいました。 夫はもう死ぬしかない、勘弁してといい続けましたが、彼女にも「別れるなら死ぬ」と言ってたので本気にしませんでした。 それどころか先輩と謝ってくれたときに死んだ方が価値があると言ってしまいました。 翌日、死ぬと言いに来ました。 「反省するっていうならその態度を見せるべきなのにどうして見せてくれないの!」と責めました。 その日は無事に実家に帰ってくれました。 そして、翌日朝からまた死ぬという電話。 許せなくて私自身が泣いたり喚いたりしたと思います。 私より彼女が好きなんでしょ?と聞くと「うん」と言われ、私も力尽きました。 「死にたい」という夫にもうどうなっても私には関係ないと言ってしまいました。 夫は低く唸るような声を出しました。 今思えばその時、夫がオカシイと思った気がします。 でも怒りの方が本気に出来なかったんです。 そして夫は自殺しました… うつ病だと分かっていたのに、その時はそんなこと思いやる事も出来なかった。 死ぬ前に何度も電話したのに。 帰っておいでと言うだけだったのに。 後悔し続けてます。 浮気がバレて謝っても、彼女に嫁と別れるといったのは、うつ病だからですか?決断力がない状態だから… それとも夫の元々の性格ですか? 最後は夫は本当に反省してたのですか? (うつ病だからすがっただけ?) 夫にとって私は何だったのですか? (愛情があるとは思えない) 許してたら仲良くやり直せたのですか? (私に愛情を持てるようになった?彼女を忘れる事が出来た?) 私のせいで夫は死んでしまったのですか…? うつでなければ死んでないとわかっています。 でもここまで、足掻いたのはうつだったせいなのか・・ 病気のせいだとしたら、もっと私が理解していれば・・ でも病気でなかったらまた彼女を取ったのでしょうか・・ 人生の半分を夫と過ごして来ました。 そして結婚して14年の半分、夫は浮気をし続けてきました。 浮気相手は色々変わってたようで、いない時もあったと思うのに、その隙間にも私は入り込めなかった。 それでも優しかった頃に戻ってくれたのではないかと、自分の余裕のなさを悔やんでます。 離婚で終れてたらそれで良かった。 私も浮気男には未練はない!と思ってました。 でもこんな結果になって…夫を喪ったことが苦しくて悲しくて会いたくてたまりません。 死ぬほど苦しかったのかと思うと・・ まだ子供は小学生なのに… 皆さんの意見、助言お聞かせ下さい。 夫が二ヶ月前に自殺。 夫は6月頃からうつ病でした。 7年前から私とはセックスレス、ずっと浮気していると正直思ってたけれど、諦めと信じたい気持ちでいました。 7年前に浮気を疑った時は、夫と携帯の取り合いし二歳の子供の前で私は投げ倒され顔を踏み付けられ噛み付かれ、そのまま夫は出ていきました。 その間、子供が熱をだしパパと呼ぶので帰ってきてといっても帰ってこず。 調停離婚を希望すると「飛ぶよ(姿を消す)」といい、私は家も仕事も見つけ新しい生活を始めるも、離婚が成立せず学校の問題で夫の家... A ベストアンサー 回答No. 11です。 あなたの後悔はよくわかります。 それが普通の考え方です。 一般的な脳の持ち主が順調に成長することを定型発達といいまして、あなたは定型発達の人だと思います。 でもアスペの人は非定型発達といって一般的な働き方をしない脳の持ち主で、その脳にとっては何だか変なルールの多い生きにくい社会(この社会)の中で、よくわからないながらも何とか適応しながら発達していきます。 ご主人にとっては、その変なルールのひとつに「浮気してはいけない」があったと思います。 他にも沢山理解できないルールがあったでしょう。 なぜならそのルール達は、普通の人達だけが納得して、円滑に社会生活を営むためのルールだからです。 特に結婚制度は、善悪とは関係ないただの社会制度ですから、昔から浮気問題がこれだけあるのを鑑みれば普通に考えてもちょっと無理があるかも?と思えるルールです。 ご質問のように、ご主人は今度浮気がバレたら離婚ということはわかっていますが、浮気が悪いとは思っていませんし、アスペの人達の中には、自分のやりたいことのやりたさがすごい人達がいますので、ご主人はその仲間に入るのだろうと思います。 私の夫と友人のご主人の場合は、そのやりたいことがたまたま学問の分野で職業にもなっていますので、運良く社会適応できていますが、家庭ではずっと自室に閉じこもり(寝起きも自室)好きなこと(専門分野の勉強)をやっていますので、私達妻にとって夫はいないも同然です。 家族に何かあって協力を求めるのもひと苦労か、協力を得られません。 もちろんあなた(普通の人)の望む結婚生活などできません。 もっと正確に言いますと、職業ですら彼らにとってはギリギリの社会適応で、本当ならば仕事などしないで好きなことだけをしていたいのです。 なので運悪く職を失い、お金のためにとりあえず何か全然違う仕事をしろと言ったら、それこそウツになって死にたがります。 (実は2人とも経験ずみ) 「やりたいことができないなら死んだ方がマシ」というのは、普通の人には理解できないかもしれませんが、そういう人がいるということです。 おすすめした本を購入されたとのことで、その本を読めばあなたにも理解できると思います。 私も参考に購入して届くのを待っているところです。 愛情がなくなって母親のような扱いになってしまったんですね。 あなたは単に結婚して家族になってしまったから母親の扱いになっただけで、それはどの彼女も結婚してしまえば同じ運命だと思います。 「愛情はないけど情はある」とご主人が言ったそうですが、この言葉通りなのです。 それを聞いた普通の人は、では彼女には愛情があるのかと思ってしまいますが、彼女と言う存在は、自分が楽しむために必要なただのお気に入りの「モノ」なので、 愛情はないと思われます。 もちろんご主人自身は無自覚で、彼女を大好きなことに違いありませんが正確には「大好きなモノ」と捉えて構わないと思うのです。 子供がゲームをしたい、外で皆と楽しく遊びたい、大人が持つ趣味(楽しいこと)・・・それがたまたまご主人の場合は「恋愛」だっただけで、もしご主人の趣味が魚釣りであれば、やはり家庭も顧みず、ヒマさえあれば何時でも構わず釣りに出かけたことでしょう。 他の趣味でも同じです。 ギャンブルでなかったのが幸いと思います。 なので、あなたがもし許してあげていたら、また今まで通りの暮らしが待っていたと思います。 それで揉めれば揉めるほど、ご主人のストレスが大きくなってウツになり、下手をすると就労も難しくなっていたかもしれません。 彼らのやりたいことを止めることはそれくらい難しいのです。 そしてもしあなたが発達障害を理解していてもやはり同じで、ただあなたがご主人の自分勝手な行動を許すしかないので、飽きるまで浮気し続けると思います。 どちらにせよ、あなたの望む結婚生活はご主人とは有り得ないのです。 ご主人との結婚はご主人の望む結婚生活でしか続けられません。 急に言われても理解できないと思いますが、私があなたに責任がないと言うのが、慰めでも何でもないことがご理解頂ければと思います。 この機会に発達障害をよく理解すれば、あなたのこれからの人生に必ず役立ちます(私も結婚前に知りたかったですよ)ので、今は辛くても時間をかけてこの経験を乗り越えて、是非次は幸せになってください。 回答No. 11です。 あなたの後悔はよくわかります。 それが普通の考え方です。 一般的な脳の持ち主が順調に成長することを定型発達といいまして、あなたは定型発達の人だと思います。 でもアスペの人は非定型発達といって一般的な働き方をしない脳の持ち主で、その脳にとっては何だか変なルールの多い生きにくい社会(この社会)の中で、よくわからないながらも何とか適応しながら発達していきます。 ご主人にとっては、その変なルールのひとつに「浮気してはいけない」があったと思います。 他にも沢山理解できな... Q 現代五十五歳の未亡人です。 三年前に夫を癌で亡くして、三十才の娘と二十五才になる息子と一緒に暮しております。 子供たちはそれぞれ少ない給料ですが就職して少しばかりですが生活も安定しておりますが、夫をなくして私も更年期障害に悩まされたりもしたのですけれど、最近は若いときに比べて何をやってもあまり楽しくなくて、こんなのでよいのだろうかと思ってしまいます。 私も勤続三十年で仕事を持っておりますが、若いときは仕事が休みのとき趣味を楽しんでましたが、最近は休みになると家事をこなすのが精一杯で、寝てテレビばかり見ております。 私の周りのバツ一の女性や未亡人の女性たちは活き活きと、シニアサイトなどで活躍している人が多いのですけれど、今の自分は何をやっても「こんなのやっても何の得にもならない。 」と言う気持ちが先にたって結局家でひきこもってしまってます。 この先私は死ぬまで何の楽しみも見出せずに、年老いてしまうのかと思うととても不安です。 同じような経験をした方の意見をお待ちしております。 Q 私は40代後半・夫は五歳年上です。 夫の両親と同居、義父は最近ボケて来て介護が必要です。 成人した子供が二人います。 夫は母親から甘やかされて育ち、人の話に耳を傾けることをしない人間でした。 なので私と喧嘩しても「ふふん」とせせら笑うだけ。 従って冷戦となり、長い間ほとんど口もきかずに過ごすことが、結婚後30年近く定期的に繰り返されて来ました。 数年前、リストラに遭って早期退職した夫を花束で出迎えた私。 彼も感激したのか、いつになく長いハグをしました。 それ以来二年間は実に仲の良い夫婦だったのですが、三年前のある日にまた偉そうな言葉を吐いた夫が私を激怒させ、何度目かの冷戦状態になりました。 そんな先月半ば、夫は勤務先で頭と背中に落下物を受けてほぼ即死。 私はその時ある手術で入院中、携帯の電源を切っていたので事故のことは翌朝知りました。 夫はどこの病院で手術するのかと聞きもしなかったので、家族が連絡を取ろうにも取れなかったのです。 既に息を引き取った夫の元に行きましたが、私は全然泣けませんでした。 かといって冷静でいたわけでもなく、 なんなの?どういうことになってるの? と心の中でつぶやき続けていたような…。 お通夜・告別式にも私は全然泣くことなく、ただ呆然としていたように思います。 ただ、夜寝ながら泣いていたのを子供も義母も知っています。 でもそれは夫と死別したことが悲しいのではなく、夫と分かり合えなかった悔しさ・義父を介護する私にただの一度も労いの言葉を掛けてくれなかった悔しさなどからです。 でも私が最も夫を許せなかったのは、三人目の妊娠が判明した時、「堕ろせ」とは言わなかったけど「責任が増えて小遣いが減るのは嫌だ」と言ったことです。 最後には「お前の好きなようにしろ」と言われましたが、夫がどうして欲しいのかは明白。 私も正直言って産みたくなかったので、このことはなかったことにしようと、翌日中絶して来ました。 そうと知った夫は「なんで…」と言ったきり、このことには二度と触れませんでした。 私は物凄く後悔し、やはりもう一度子供が欲しいと拝み倒して数ヵ月後に妊娠。 でも夫は大きくなる私のおなかに無関心、私もこの子を愛せるのかと自信を失いました。 そんな両親の冷たい心を知ったからなのか、七ヶ月で早産した子供は数時間後に息を引き取りました。 毎日毎日泣いてばかりいる私に、夫は「過ぎたことでいつまでもめそめそするな」と一言。 ただ黙ってそっと抱きしめて欲しかった…。 夫の嫌いなところはいくつもあったけれど、突き詰めてみるといつもこの二点に至るのです。 恨んでいるのかもしれません。 だから、突然死んでしまった夫なのに悲しくないのでしょうか。 あれから一ヶ月近く経ちますが、いまだに夫を亡くして悲しいという心境になりません。 こんな私は鬼なんでしょうか? どう心の整理をしたらいいのでしょうか? 喧嘩している最中に伴侶を亡くされた方、やはり私と同様でしたか? それとも、喧嘩中とはいえ亡くなったら悲しかったですか? 私は40代後半・夫は五歳年上です。 夫の両親と同居、義父は最近ボケて来て介護が必要です。 成人した子供が二人います。 夫は母親から甘やかされて育ち、人の話に耳を傾けることをしない人間でした。 なので私と喧嘩しても「ふふん」とせせら笑うだけ。 従って冷戦となり、長い間ほとんど口もきかずに過ごすことが、結婚後30年近く定期的に繰り返されて来ました。 数年前、リストラに遭って早期退職した夫を花束で出迎えた私。 彼も感激したのか、いつになく長いハグをしました。 それ以来二年間は実に仲の良い夫婦だっ... A ベストアンサー 今の主人が、ある日突然事故であの世に逝ってしまったら・・・。 私は質問者様と一緒です。 葬儀の最中にも涙は1滴も出ないでしょう。 お気持ちは、痛いほどよくわかります。 ココまで、同じような旦那様がいらっしゃったなんて・・・。 不思議です。 私の手術、もちろん入院も含めて、Tel1本よこさなかったし、どこの病院かも聞きもしなかったですよ。 入院の準備も手伝わないし、もちろん送っていってもくれなければ、退院の日、迎えにも来なかった。 迎えに来なかったのには看護士の方のほうがびっくりしてましたねぇ。 赤ちゃんのことも同じく!妊娠6ヶ月で死産だったのですが。 未だに主人は、その子が男の子だったのか女の子だったのか知りません。 男の子でした。 火葬の書面にサインしたのも私ひとり。 この時も入院中Tel1本無かったですよ。 全然考えてないんだな~と、主人のことですがぞっとしたのを覚えています。 ただただ抱きしめて欲しい!抱きしめて欲しかった!! そうなんです。 それが出来ないのか、判らないのか?虚しいですよね。 だから、私も質問者と同じ気持ちになると思います。 悲しいとかそんな感情じゃないんですよ。 多分、普通のご夫婦やご家族にはわからないんだと思います。 私は、主人に対してぞっとする瞬間がありましたから。 今の主人が、ある日突然事故であの世に逝ってしまったら・・・。 私は質問者様と一緒です。 葬儀の最中にも涙は1滴も出ないでしょう。 お気持ちは、痛いほどよくわかります。 ココまで、同じような旦那様がいらっしゃったなんて・・・。 不思議です。 私の手術、もちろん入院も含めて、Tel1本よこさなかったし、どこの病院かも聞きもしなかったですよ。 入院の準備も手伝わないし、もちろん送っていってもくれなければ、退院の日、迎えにも来なかった。 迎えに来なかったのには看護士の方のほうがびっくりしてました... Q 結婚して2年、夫が30代半ばの若さで亡くなりました。 私の妊娠中に病気が分かり、娘が4ヶ月のときに夫は亡くなりました。 喪主は私が務め、四十九日の法要までは自宅で執り行いました。 その後、夫のお骨を彼の実家へ渡しましたが、半年ほど経ち、義父母が、やはりお骨は妻と子の元にいるべきだと言ってきました。 (納骨はまだする気持ちにはなれないようです) 私としては、一度お返ししたお骨をまた動かすことにも抵抗があり、また今後の供養など一体いつまで見るべきなのか不安もあります。 私の両親は、まだ30代前半で乳児を抱え夫に先立たれた私の将来を心配しており、そのまま義父母が見るべきだといいます。 しかし嫁いだ以上はある程度の区切りまで私が見るべきなのでしょうか。 A ベストアンサー 義両親が言ってきたこともわからなくはないです。 「家族」であった以上、一緒にいて欲しいという願いも当然起こり得るところからです。 親というものは子の死を受け入れ難い心情があるものです。 子を失い、その妻子とのつながりを次第に失っていく結果となることが押し寄せてくる現実を耐えていかねばならないところに大きな寂しさを覚えるものと思います。 しかしながら、死別されている以上あまりに義親の気持ちにこだわりすぎていると、ご自身の将来に影響があるのは確かです。 貴女にもこれから生きていかなければならない現実が待っています。 いつかは切り離していかなければならないことなのです。 これは「死別による離婚」なんです。 今の段階で義親にこの言葉を直接ぶつけるのは酷なことですが、悲しい事実なんです。 1周忌というのは喪があけるところです。 区切りとしてはそのほうが良いかも知れませんが、この先どう転んでいくかは貴女にも、そして誰にもわからないことです。 区切る時期については貴女が決めていいことです。 再婚相手がみつかり、その方と一緒になることについては貴女と再婚相手の問題になることです。 誰がどういっても、貴女自身の決めたことに異論を唱えるのは出来ないことです。 1のご回答者様のご意見も至極当然のことであり、全面的に賛同いたします。 これはあらゆる意味でも行うべきことであると考えます。 実家での供養をお願いした以上は、もう受け取らないほうがいいと思います。 貴女にとっても大切な人であったことは間違いのないことです。 だからこそ実家にお返ししたことです。 供養の主体は実家で行い、貴女はそれに参列するだけの立場で構わないと思います。 そのあとにどうするかは、ご自身のお気持ちのままに動いていってください。 死別は悲しいことですが、残されたものは生きていかねばならない現実があるのです。 結婚生活が長く続いてきて貴女が見たいというのなら、見るべきものだろうとは思います。 子供だって父親との思い出が残るからです。 しかし結婚生活が2年ほどであり、まだお子さんがほんとうに小さいということですから、先のことを考えれば誰でも貴女の実のご両親の意見に賛成するものと思います。 義両親が言ってきたこともわからなくはないです。 「家族」であった以上、一緒にいて欲しいという願いも当然起こり得るところからです。 親というものは子の死を受け入れ難い心情があるものです。 子を失い、その妻子とのつながりを次第に失っていく結果となることが押し寄せてくる現実を耐えていかねばならないところに大きな寂しさを覚えるものと思います。 しかしながら、死別されている以上あまりに義親の気持ちにこだわりすぎていると、ご自身の将来に影響があるのは確かです。 貴女にもこれから生きていかなけ... Q 母の死からもうすぐ100日になります。 母が亡くなった後、ヘルパーさんから不思議な話を聞きました。 ヘルパーさんのお母様が亡くなった後、百箇日位まで親戚の霊感がある人から、ちょくちょく電話がかかってきてお母様からのメッセージを伝えてきたそうです。 それは、ヘルパーさんの家の中の事で、遠くに住む親戚の人は知らないはず事ばかりでびっくりしました。 百箇日が近づくと、親戚の人に見えるお母様の姿もだんだん薄くなり、メッセージも減ってきたようです。 私の母と同じ病気で亡くなった方だったのですが、亡くなってすぐの様子は 入院中に出来なかった色々な事をして結構気楽にやってるよという話だったので、死んでも無ではないんだなぁ、母も病気から解放されて楽になったかな、ということが私の支えでした。 ホーキング博士の「死後の世界はない」という発言がちょっと淋しくて、でも博士もまだ生きているわけだしと思うのですが、 「無ではないかもよ」というエピソードを聞かせて頂いたら嬉しいです。 今回は、死後の世界があるかないかではなく、(生きている人にはわからないのだから) 「無ではないかも」限定でお願いします。 百箇日過ぎたら、より前向きに生きて行きますのでよろしくお願いいたします。 母の死からもうすぐ100日になります。 母が亡くなった後、ヘルパーさんから不思議な話を聞きました。 ヘルパーさんのお母様が亡くなった後、百箇日位まで親戚の霊感がある人から、ちょくちょく電話がかかってきてお母様からのメッセージを伝えてきたそうです。 それは、ヘルパーさんの家の中の事で、遠くに住む親戚の人は知らないはず事ばかりでびっくりしました。 百箇日が近づくと、親戚の人に見えるお母様の姿もだんだん薄くなり、メッセージも減ってきたようです。 私の母と同じ病気で亡くなった方だったので... A ベストアンサー うちのじいちゃんが死んだ時。。。 霊感の強い従兄の子が、葬式で「あそこにじいさんいるよ」と言っていた。 自分は霊とか信じないタイプだから「ふ~ん」って流していたけど、その従兄の子は、葬式までうちに来た事がなかったんだよね。 んで、じいちゃんが生前、部屋の出入りに使っていた窓があったんだけど、そこから出入りしているよ~と従兄が教えてくれたのには驚いたよ。 そこの窓から出入りしているのを知っているのは、うちの家族だけ。。。 どう見ても、通常は出入りに使うような窓ではないから、従兄が知る訳ないんだよね。 「マジで。。。 ?」と思ったけど、それを聞いたうちの父ちゃんは「そうか、じいさんが歩いているか。。。 」と嬉しそうにしていたよ。 うちのじいちゃん、死ぬ時はもう歩けなかったからね。 死んでから、膝の痛みも無く、歩けるようになったんだな~と思ったな。 怖い幽霊とかは見たくはないけど、家族とか「もう一度会いたい」と言う人であれば、幽霊でもいいから会いたいと思うよね。 A ベストアンサー 多くの方が仰っていますが、残念ながら不可能だとお考えください。 というのは、現在いわゆる幽霊や死後の世界というものは人によって様々に というか好き勝手に 言われており、自称霊能力者たちに都合のいいように作られています。 彼らの詐欺的行為によってあなたのご主人との思い出を汚されてしまう可能性を考えると、おやめになられたほうが賢明でしょう。 また、テレビ マスコミ は基本的に自分たちの視聴率のみが重要なもので、そのためならば嘘を流すことも厭いません。 特に、アンビリーバボー、USO、これマジ、といったものはもちろん、特命リサーチ、あるある大辞典など、嘘や誇張の情報を平気で流しております。 あれは基本的にエンターテインメントとお考えください エンターテインメントですから芸人さんや単なるタレントなどが司会やゲストをしています。 また、あのような番組に出ている自称霊能力者が実はカルトの教祖だったりすることなどは比較的多いケースです。 ご主人が最後に何か言いたいことがあるとするなら、それはあなたの思い出の中のご主人に尋ねるのが最もよいでしょう。 Q 高校時代からの友人で、今も同じ職場で働いている親友の旦那さんが急死してしまいました。 享年27歳です。 まだ結婚してたった3年です。 子供も1歳と3歳のふたり・・。 死因はおそらく過労による心筋梗塞。 旦那さんは仕事から帰るのが夜中なので、明け方までは 普通に会話をして、それから眠りについてそのまま ほんとに眠っているように死んでいたそうです。 親友は今、旦那さんの故郷に行っています。 ですので、お葬式の日以来、5日ほど会っていません。 時折くるメールは、もう胸が痛くなるような 心苦しい内容で(苦しい、信じられないといったような)、私も旦那さんとは親しかったものですから、 ほんとにもうなんと励ましたらいいのか、わかりません。 「お願いだから後を追うなんて考えんでよね」 とは言いましたが、とても心配です。 こういうときは、とにかくがんばって乗り越えて と励ますのが一番良いのでしょうか・・・。 アドバイスお願いします。 A ベストアンサー 私も今から22年前に、主人を亡くしました。 主人は28歳でした。 私は主人がいないと何もできない人間でしたから、周りの人はどうするんだろうとずいぶん心配したみたいです。 子供は4歳と2歳でした。 なにも考えられませんでした。 でも、私には2人の子供と、黙って見守ってくれる友達がいました。 あなたの友達にも、子供さんや、あなたのようないい友達がいます。 言葉で励ますより、心の支えになってあげてください。 困ったときに助けてあげてください。 きっと2人の子供さんと立派に生きてゆかれると思いますよ。 幸いにもお友達には仕事があるみたい(決まった収入がある)でよかったですね。 (私は主人が亡くなってから仕事を探して勤めに行きました。 ) 一日も早く友達が元気を取り戻されることを祈っています。 私の言いたいことは、あまり励ましの言葉をかけないでということ。 (余計に悲しくなってきます。 )それよりも黙って見守ってあげてほしいということ。 困ったときには助けてあげて! ごめんね。 答えになってないかもしれないね。 Q 長文になります。 お許しください。 昨年の夏に愛する夫を、今年の春に愛犬を、共に急な病で亡くしました。 夫に関しては、義両親、義姉との確執もあり、死の直後から悲しみよりもその人たちへの憎しみが増す問題が多々起きて、「こんな奴らに惑わされずに、娘と二人、頑張って生きてやる!」という負けん気(?)みたいなもので奮起し、毎日必死に生活してきました。 (この頃は、過去の義家族からの様々な仕打ちさえ、逆に生きる糧となったように思え、有難いとさえ思えた)それでもさすがに、今年になり、少し私自身の心が落ち着いたと思われる頃に、はじめて本当の意味で悲しみに身を任せる時間が訪れました。 俗にいう「うつ状態」のような毎日のはじまり。 ただ、それは病気とはとらえず、最愛の人を亡くした人なら、誰もが通る過程だと割り切ることにしました。 ところがそれも束の間、3月の大震災。 せっかく「悲しんでいいんだ。 しばらく心赴くままに生活しよう」と思っていた矢先の災害。 テレビや報道から知る被災地の方々の姿に「こんなに大勢の人が突然の悲劇に見舞われながらも前を向いている。 私なんか落ち込んではいられない」という気持ちになり、また 無理やり立ち上がってガムシャラに生活を回しはじめた自分がいます。 それからまもなくしての愛犬の死・・・(こちらでも以前相談させていただきましたが、皆さまの温かいコメントもあり、また前を向いて生活していました。 ) ところが、夫の1周忌を迎えた今夏あたりから・・・また心がおかしいのです。 周囲は「おかしくて当たり前。 まだ1年だもの」と言ってくれますが、私の場合、(無理やりだとしても)元気な期間も長いので、ふっと力が抜け「どうしようもなく悲しくなり、落ち込む」期間に入ることがとても怖くて辛い。 今までの人生、自分の感情やライフスタイルを全て自分でコントロールしていた感が強い分、この「心が宙にさまよう」ような状態に、どう対処してよいのか・・・ ちなみに、夫の死後、儀家族側の墓と仏壇に夫が入ったため、自宅には夫の位牌もなく、法要にも呼んでもらっておらず、私と娘と私側の親族で私たちなりの法要を(この先も)行っています。 正確にいえば、夫側は無宗教に近く、(法律等も考慮したのか、お骨はかろうじてどちらかのお寺に納骨したものの、法要等もやることなく、手作りのような仏壇に手を合わせるような感じらしいです)とても変わった家庭で、旧家出身の私には理解できないことばかりでしたので、彼らと縁が切れたことは喜ばしい半面、夫が何の供養もされていないことに、今も憤りも感じています。 だから、位牌もお骨もない現在の我が家ですが、私たちなりに娘と購入した仏壇にお線香等をあげて、毎日手を合わせています。 心さえいつも寄り添っていれば、の気持ちで・・・ 何か普段、押さえつけている感情などが一気に噴き出ると、それが止まらない。 今後も定期的に訪れるであろうこの深い暗闇期から、どうやって抜けだせばいいのか、わからない。 最初は義家族への負けん気、次は震災に対する負けん気。 私は、何かに対して「負けん気」を持たなければ奮起できないのだろうか・・・だったら次の奮起材料は何? 取り留めのない文章で申し訳ありません。 長文になります。 お許しください。 昨年の夏に愛する夫を、今年の春に愛犬を、共に急な病で亡くしました。 夫に関しては、義両親、義姉との確執もあり、死の直後から悲しみよりもその人たちへの憎しみが増す問題が多々起きて、「こんな奴らに惑わされずに、娘と二人、頑張って生きてやる!」という負けん気(?)みたいなもので奮起し、毎日必死に生活してきました。 (この頃は、過去の義家族からの様々な仕打ちさえ、逆に生きる糧となったように思え、有難いとさえ思えた)それでもさすがに、今年になり、少し私... A ベストアンサー こんばんは。 人間は生きていれば、元気なときもあれば悲しく落ち込むこともあります。 自然界は昼があるからこそ夜もあります。 そして夜があるからこそ昼があるのです。 人は闇を恐れるあまり、必死になってその暗闇から逃れようと頑張っては見るのですが、夜の暗闇にはどうあっても巻き込まれてしまうものです。 愛した人との別離は悲しいものです。 特にもう会うことが出来ない辛さは耐え難いものです。 がむしゃらに負けん気を出そうとしているその姿、実は貴女ご自身の不安を隠そうとしている姿に他ならないように思います。 たぶん常に何かをしていなければ落ち着かないという方ではないかと拝察いたします。 難しいことかも知れませんが、もっと長期に自分が無理なく出来ることを考えてみたほうがよろしいかと思います。 短期的なものに負けん気を出していただけではダメなんです。 それでは落ち着いてしまったら気が抜けてしまうのは、誰でもそうなります。 今はご自分がこれからどのように生きていくのかを、立ち止まって考えるときがやってきたものと思います。 私がここでこのように書かなくても、たぶん貴女はご自分でわかっていらっしゃると思います。 供養のことですが、実家は実家の思うようにさせればよいことです。 その代わり貴女は貴女の思うようにご主人に心を向けてあげてほしいと思います。 供養のやり方など人によって異なるものです。 貴女はご主人にとってこの世で一番愛された奥様です。 その存在は揺らぐことはありませんし、これまで作ってきた家族関係を誇りに思うべきことです。 当然ご主人もそう思われているでしょうし、だからこそ貴女とお子さんの思いが一番届くはずなんです。 これまでどおりに供養を続け、縁を切った義実家のことはほうっておきましょう。 もう悪く考えるのはやめましょう。 何を言っても自分がつくった「家族」が一番になるものです。 三回忌が過ぎるとほとんどの人は自分の素直な気持ちがポツポツと現れてきます。 泣いてしまえば楽になることはわかってますけど、無理に泣けと言われていい大人がそう簡単には泣けません。 私は無理に泣けとはいいません。 涙が出るときは自然に出てくるものです。 そのときにそれを押さえつけなければいいだけのことです。 子供の前であってもいいではないですか。 大好きな人がいなくなることの悲しさを伝えるのも親の役目だと思います。 長期計画で何かの目標を、漠然とでもいいですから考えてみてください。 そして1日1日を大切に生きて行ってください。 貴女様の心に本当の平安が訪れるようにお祈り申し上げます。 こんばんは。 人間は生きていれば、元気なときもあれば悲しく落ち込むこともあります。 自然界は昼があるからこそ夜もあります。 そして夜があるからこそ昼があるのです。 人は闇を恐れるあまり、必死になってその暗闇から逃れようと頑張っては見るのですが、夜の暗闇にはどうあっても巻き込まれてしまうものです。 愛した人との別離は悲しいものです。 特にもう会うことが出来ない辛さは耐え難いものです。 がむしゃらに負けん気を出そうとしているその姿、実は貴女ご自身の不安を隠そうとしている姿に他な...

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