三宅 ゆかり 海上 自衛隊 結婚。 海上自衛隊の歌姫・三宅由佳莉さんインタビュー:時事ドットコム

三宅由佳莉さんの異動で見えてきたこと

三宅 ゆかり 海上 自衛隊 結婚

タイトルを見てドキッとした方もおられるかも知れませんので、最初に断っておきますが、三宅さんが結婚するという話ではありません。 さんは、入隊以来10年近く、文字通りの顔、というよりは・の顔として八面六臂の活躍を続けて来られました。 この間、三宅さんが掘り起こした、に対する国民の支持は計り知れません。 そんな三宅さんに、いつまでもとして歌い続けて欲しいというのが多くの皆さんの願いだと思います。 私もそうです。 でも同時に、これほど活躍して来られた三宅さんには、個人としての幸せも是非追求して欲しいと思わずにはいられません。 何しろ使命感の強い方ですから、ご自分の幸せを犠牲にしてまで任務を果たそうとされたりしないだろうかと心配にもなります。 その点は、以前から「結婚して、子供が生まれても、として歌い続けたい」と仰っているので、幸せな家庭を築くことを念頭に置かれているのだとは思います。 結婚のような優れて個人的なことについて、外野がとやかくいう話ではありませんが、一人の女性として充実した人生を歩み、妻として、母としての新たな感性を育んだ三宅さんの歌も是非聴いてみたいというのが、わがままなファンの切なる願いではあるのです。 隊員同士が結婚した場合、同居が維持できるよう、任務遂行に支障のない限り、勤務地等の配慮が行われます。 ですが、同時に、夫婦が同じ部隊に勤務することのないような措置が取られます。 これは、職務の公正性に疑念が生じないようにするためだけでなく、冠婚葬祭その他家庭の事情で夫婦同時に非稼動状態になると、隊力の維持に支障が出やすいからだと理解しています。 や空自にも同じような考え方があるのだと思いますが、幹部はさておき、隊員については比較的緩やかな適用となっているようです。 その点、海自は階級に関わらず徹底していますし、直ちに補職替えの措置が取られます。 とは言え、音楽隊など同一警備区内に複数の部隊がない小職域の場合、同じ部隊内で隊員同士が結婚したとしても、補職先がありません。 RetCapt1501.

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三宅由佳莉さんの結婚

三宅 ゆかり 海上 自衛隊 結婚

岡山県生まれ。 岡山県立岡山城東高等学校普通科音楽系、日本大学芸術学部音楽学科声楽コース卒業。 2009年4月に海上自衛隊に入隊。 同年9月、東京音楽隊に初のボーカリストとして正式に配属される。 13年8月、CD『祈り~未来への歌声』がリリースされた。 東日本大震災の被災地を訪れたのは、震災からひと月以上がたった4月の終わりだった。 震災直後は、歌を歌いたいとも、音楽を聴きたいとも思わなかった。 東京・世田谷区にある海上自衛隊東京音楽隊の本部に身を置きながら、ただ、一刻も早く現地に向かいたいと焦り続けた。 「何で私はここにいるんだろう。 そんなことを考え続けていました」 海上自衛隊東京音楽隊 3等海曹、三宅由佳莉氏はそう振り返る。 4月になって宮城の松島町を訪れ、被災者の前で初めて歌った時のことを三宅氏は鮮明に憶えているという。 歌い終えると、人々が彼女のもとに次々に歩み寄り、涙を流しながら握手を求めてきた。 「ありがとう。 また来てね。 そう皆さんが言ってくださいました。 来てよかった、歌を歌っていて本当によかったと、心の底から思いました」 主要な演奏会で使用される通常演奏服装で 姿勢を整えたたずむ三宅氏 三宅氏が初の専業ボーカリストを目指して海上自衛隊に入隊したのは、2009年4月のことである。 歌の好きな子どもだった。 小さな体で祖母に寄り添いながら、歌集を開いて「赤とんぼ」「夕焼け小焼け」「ふるさと」といった童謡を毎日のように一緒に歌った。 小学5年生で合唱団に入り、地元岡山の高校に進んでからは、学年に1クラスだけあった音楽専科の学級で歌を学んだ。 その後、上京して日本大学芸術学部音楽学科に入学する。 クラシックの歌唱を専門的に学びたいと考えてのことだったが、ほどなく大学の音楽教育に違和感を抱くようになった。 「歌に試験があって、点数がつくことに抵抗を感じたんです。 それぞれの人が持っている声や歌い方がその人の音楽なのだから、それを点や順位で評価することはおかしいって」 ミュージカル俳優になって舞台に立ちたいという願いもあったが、与えられた役を演じることに向いていないことに気づいて、その夢もあきらめた。 「どんな役をやっても、結局、自分になってしまうんです」 そう言って、三宅氏は笑う。 最後に、「歌い続けたい」というシンプルな、しかし揺るがぬ思いだけが残った。 その強い思いをいったんは胸にしまって就職活動に専念することにしたのは、大学4年生になってからだ。 仕事を得て、自立した生活を送りながら夢を追いかけよう。 そう考えていたときに偶然舞いこんできたのが、海上自衛隊の音楽隊でボーカリストを募集しているという情報だった。 「正直、最初は全く興味がありませんでした。 4年間お世話になった先生からいただいたお話だったので、説明会に行くだけ行って、やっぱり無理ですとお断りしようと思っていました」 入隊時を振り返る三宅氏 その意識が変わったのは、説明会で海上自衛隊東京音楽隊の具体的な活動を聞いてからである。 式典や国家行事だけでなく、地方を回ったり、学校に出向いたりしながら、日本中の人々に、そして世界各地の人々に音楽を届けていく。 それが東京音楽隊の役割だ。 一般の楽団と大きく異なるのは、それが自衛隊という「国民のための組織」に属する音楽隊であり、従って、演奏活動のすべてが「国民のため」であるという点である。 「自衛官とは人のために尽くす仕事なんだ。 汗を流すことで多くの人に貢献できる仕事なんだ。 そう知ってから、ここで歌いたいと強く思うようになりました」 内定までもらっていた企業に断りの連絡を入れ、そうして三宅氏は未知の世界へ足を踏み入れることとなった。 しかし、入隊後に待っていたのは、5カ月間におよぶ厳しい訓練だった。 立場はあくまで一人の海上自衛官である。 集団生活がスタートし、早朝6時から始まる生活のリズムを徹底的に叩き込まれた。 起床ラッパでたたき起こされ、その5分後にはグラウンドに出ていなければならない。 それから一日中、訓練が続く。 訓練は、敬礼、回れ右といった基本的な所作から、ランニング、ほふく前進、銃機器の扱いに及んだ。 さらに、海上自衛隊ならではの水泳やカッターボートの漕艇訓練などもこなさなければならなかった。 心が安まる暇が全くなかった」と自身振り返るその怒とうの訓練期間を経て、三宅氏は正式に海上自衛隊東京音楽隊の一員となった。 現在も、連日の練習のほか、企画係としてコンサートの台本や進行表の作成業務を担う。 自分のための歌から人を勇気づける歌へ 三宅氏が注目されるようになったのは、東京音楽隊長の河邊一彦2等海佐が作詞・作曲を手がけた「祈り~a prayer」での歌唱が知られるようになってからである。 自身、幼少期に交通事故で母親を亡くした経験のある河邊隊長が、東日本大震災で肉親や友人を亡くした人々を勇気づけようと作った曲だ。 曲の中にはこのような歌詞がある。 All rights reserved. 三宅氏と東京音楽隊のアルバム『祈り~未来への歌声』の冒頭で、三宅氏はこの曲をピアノとのデュオのスタイルで歌っている。 澄んだソプラノの声は、震災の犠牲になった一人ひとりの魂に、また、残された一人ひとりの心にそっと語りかけるように響く。 それはまるで、死者が生者に、生者が死者に告げることの叶わなかった最後の大切な言葉をすべて一身に引き受けて歌っているような、美しく感動的な歌唱である。 自衛官となってから歌に向かい合うスタンスがはっきり変わったと、三宅氏は言う。 以前は、歌い終わった後で「上手だった」「いい歌だった」と言われることが快感だった。 褒められるために、自分が楽しむために歌ってきた。 自分のための歌から人を勇気づける歌へ しかし、一自衛官となってからは、人を癒やし、勇気づけるために歌いたいという強い意識が芽生えた。 「自衛官になって初めて、歌を歌った後で『ありがとう』と言っていただく経験をしました。 その言葉を聞いて、東京音楽隊の隊員という仕事は、人から感謝していただける仕事なんだと改めて気づかされました。 あれが私にとっての転換点だったと思います」 自分のために歌う歌から、人のために歌う歌へ。 その大きな変化が、ボーカリストとしての幅を広げることにもつながった。 「大学で学んだのはクラシックであり、自分はクラシックの歌い手であるという意識が常にありました。 でも、東京音楽隊の演奏を聴いてくださるお客さまは、クラシックのファンだけではもちろんありません。 演歌が好きな年配の方もいれば、アニメソングが好きなお子さんもいます。 だから、それまで歌ったことがなかった演歌やアニメの歌、アイドル歌手の歌などを必死に練習して、何とか歌えるようになりました。 今でも上手に歌えているとは思いませんが、たとえ上手でなくても、お客さまに喜んでもらえるならそれでいい。 そう思えるようになりました」 『祈り~未来への歌声』には、童謡、スタンダード、ミュージカル曲、オリジナル楽曲など幅広いラインナップが収録されているが、一聴して感じられるのは、三宅氏の歌の「自然さ」だ。 クラシック、ポップス、日本の伝統曲といったジャンルごとのスタイルに一切とらわれることなく、ただ真っすぐに聴き手に向けて歌を伝えようとする率直さがアルバム全体を貫いている。 この自然さ、この率直さこそが、自衛隊入隊後、一人のボーカリストとして三宅氏が新たに獲得した力と言っていいかもしれない。 ご使用のブラウザはJavaScriptがご利用頂けない環境になっています。 当サイトはJavaScriptが有効な環境でのみ動作を保障しています。 最新の更新情報• 160回 [2019. 18掲載] 第160回 盤師 吉田寅義• 159回 [2019. 20掲載] 第159回 水族館プロデューサー 中村元• 158回 [2019. 21掲載] 第158回 競り人 森田美和• 157回 [2019. 17掲載] 第157回 京都大学総長 山極寿一• 156回 [2018. 20掲載] 第156回 デザイナー 水戸岡鋭治 他の回を読む•

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三宅由佳莉さんメキシコで歌う #1 / Presentación de Yukari Miyake en México #1

三宅 ゆかり 海上 自衛隊 結婚

経歴 [ ] 1986年12月14日、出身。 団に属し、ミュージカル女優を志した。 普通科音楽系、音楽学科コースを卒業。 ・山田美保子に師事した。 大学の卒業前に大手百貨店への就職が内定していたが、海上自衛隊がのを募集している事を渡辺馨の勧めで知り 、初となる採用枠(1人)に合格して 、にに入隊した。 自衛官としての5か月間の基礎教育訓練の後、歌手として東京都の海上自衛隊東京音楽隊に配属された。 配属から間もない11月に自衛隊最大の音楽イベント「」に出演し、のステージで独唱した。 放送のの番組「」に出演して歌唱した。 からは「出れる」と言われ、またからは「もびっくり」と言われた。 、をテーマにした『祈り 〜 a prayer(Piano version)』(作詞・作曲は東京音楽隊隊長の河邊一彦)の配信を開始。 動画がにアップロードされると、でも取り上げられるなど反響を呼び 、にファースト・アルバム『』でからデビューした。 同アルバムは、の部門で2週連続1位を獲得した ほか、企画賞 、第28回クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー 、第6回クラシック賞 の各賞を受賞した。 また、同年11月7日に東京で開催されたのコンサートに同音楽隊の太田紗和子(ピアノ)とともに出演し、『祈り 〜 a prayer(Piano version)』を共演した。 また、同年にはのやの国際親善試合などのスポーツイベントで、を行った。 -12日、東京音楽隊がを訪問して制定200周年記念日行事の軍楽祭「ミリタリー・タトゥー2014」へ参加(日本のとしては初出演、東京音楽隊としてはヨーロッパで初演奏 )し、三宅はを着て『』を歌唱した。 に発売されたセカンド・アルバム『希望~Songs for Tomorrow』が、週間アルバムランキングのクラシック部門で初登場1位を獲得した。 これにより、『祈り〜未来への歌声』以来2作連続でクラシック・チャート初登場1位の獲得となった。 発売のアルバム『響け!ブラバン・ヒーローズ』では、を歌った。 に、初のベスト・アルバム『THE BEST~DEEP BLUE SPIRITS~』が発売された。 に放送されたの「おんがく交差点」に出演。 司会ののインタビューに答え、『海のさきもり』を歌唱した。 2019年3月に中川麻梨子と相互交代する形で横須賀音楽隊に異動した。 から同年まで行われた令和元年度に音楽隊員として参加した。 人物 [ ] 日本大学への入学後にを始め 、在学中の2007年に全国大会(平成19年度全日本空手道全国大会 女子段外 の部 )で優勝した。 に、出身地である岡山県から「」(県の情報発信やイメージアップ、魅力ある岡山県づくりについてアドバイスを行う)に任命された。 自衛隊における声楽要員の拡がり [ ]• 日本ラグビー協会 2013年10月26日• 朝日新聞. 2016年11月14日閲覧。 [ ]• 時事ドットコム• 2013年9月17日. の2013年11月9日時点におけるアーカイブ。 2020年1月27日閲覧。 2013年11月9日, at the. 2013年7月17日. 2013年11月9日閲覧。 日本大学藝術学部 剛柔流空手道部OB会. 2017年8月14日閲覧。 TVでた蔵. 2011年11月28日. 2018年1月4日閲覧。 TVでた蔵. 2013年11月11日. 2018年1月4日閲覧。 MSNニュース• (、2014年2月14日) -• 2016年3月24日, at the. 日本語. BARKS. 2018年10月26日閲覧。 livedoor NEWS 2013年• 2017年10月27日. 2017年12月1日閲覧。 テレビ東京. 2019年2月9日閲覧。 東京音楽隊 ホームページ、2019年7月26日閲覧• 海上自衛隊. 2019年10月27日閲覧。 株式会社チャンプ. 2017年8月14日閲覧。 森田の採用前は航空中央音楽隊奏者の青田真子が自衛隊音楽まつりにおいて空自のボーカリストを担当していた。 映像 [ ]• 日本語 , 2019年10月21日閲覧。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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