東京 タワー 設計 者。 東京タワー

内藤多仲

東京 タワー 設計 者

時代 西暦(年号) 日付 出来事 参考(写真) 編集 昭和 1957年 昭和32年 05月08日 管理会社となる日本電波塔株式会社(民間会社)が「大阪の新聞王」と呼ばれた前田久吉により設立。 , 06月29日 地鎮祭が行われ着工を開始。 07月15日 設計図の作成が終了。 (設計者・内藤多仲、日建設計) 09月21日 塔脚第一柱を設置、定礎式が行われる。 1958年 昭和33年 10月09日 愛称「東京タワー」を決定。 10月14日 80mのアンテナを取り付けて竣工。 12月07日 プレオープン・公開開始。 12月23日 完工式挙行、正式オープン。 1959年 昭和34年 01月10日 NHK教育テレビジョンがVHF1chで放送開始(同年4月にNHK総合テレビジョンと入替)。 02月01日 日本教育テレビ(NET、現在:テレビ朝日VHF10ch)で本放送開始。 03月01日 フジテレビジョン(VHF8ch)本放送開始。 09月20日 南極観測隊・カラフト犬(タロとジロ)の記念像の除幕式を挙行。 1962年 昭和37年 03月29日 昭和天皇・皇后両陛下が東京タワーを見学。 1964年 昭和39年 04月12日 日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現在:テレビ東京・VHF12ch)で本放送開始。 1965年 昭和40年 12月24日 イルミネーションが連夜の点灯。 1966年 昭和41年 01月02日 来塔者数が3000万人達成。 1967年 昭和42年 07月28日 特別展望台オープン。 1970年 昭和45年 03月20日 東京タワー蝋人形館が3階にオープン。 1971年 昭和46年 08月18日 来塔者数が5000万人となる。 この時、5000万人目の方に記念品として冷蔵庫・カラーテレビ・ギフト旅行券・オートバイなどの記念品が贈られる。 1973年 昭和48年 10月10日 体育の日に大展望台までの外階段を駆け上る体力テストを開始。 1977年 昭和52年 07月11日 タワー大神宮を創建。 1989年 昭和64年 01月01日 変なライトアップ開始。 平成 1989年 平成元年 07月25日 来塔者数が1億人達成。 1994年 平成6年 04月 「東京タワートリックアートリートギャラリー」がタワービル4階にオープン。 1995年 平成4年 01月 来塔者数が1億2000万人となり、日本の総人口に相当する人数が来塔したことを記念してキャンペーンを行う。 1996年 平成5年 12月 大展望台外壁を黄赤色から白色へ変更。 1998年 平成7年 12月23日 東京タワーの開業40周年を記念して、イメージキャラクター「ノッポン」誕生。 双子の男の子である。 2002年 平成14年 03月19日 特別展望台・大展望台をリニューアルオープン。 営業時間を年間を通して22時までに延長。 2003年 平成15年 10月10日 デジタルラジオ推進協会が地上デジタル音声放送の実用化試験放送をVHF7chの帯域で放送開始。 2005年 平成17年 03月19日 タワービルをリニューアルオープン(名称:「フットタウン」へ変更)。 12月25日 大展望台にハート形のイルミネーションを始める。 2006年 平成18年 09月29日 来塔者数が1億5000万人達成。 2009年 平成21年 05月08日 ロゴマークが再び変更。 12月31日 開業以来営業してきたタワー大食堂(タワーレストラン)が営業終了。 2010年 平成22年 03月29日 当時、建設中の東京スカイツリーが高さ338mに到達する。 東京タワーは日本で2番目に高い建造物となる。

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昭和の象徴でもある東京タワーについてです。 調べてみると意外な事実が沢山ありました。 その一部をご紹介していきたいと思います。 東京タワーとは 東京タワー(とうきょうタワー、Tokyo Tower)とは東京都港区芝公園四丁目にある東京地区の集約電波塔で、1958年(昭和33年)12月23日に完成しました。 一般的に東京のシンボル・観光名所として知られています。 昼間障害標識として、頂点より黄赤色と白色を交互に配した塗装となっています。 この黄赤色と白色は赤と白のツートン・カラーだと思われていますが、実は「インターナショナルオレンジ」と白なんです。 この色は航空法で定められ勝手に変えることはできません。 また、現在は7等分に分けられていますが、建設当時から昭和61年までは11等分に塗り分けられていました。 当時、各局が建てていた電波塔は150メートルほどの高さで、送信範囲はおよそ半径70キロ程だったようです。 電波塔が乱立するという景観的な問題もあり、航空安全の面でも危険が予想されました。 さらに電波塔の位置が各局バラバラだから、視聴者はチャンネルを変えるたびに、アンテナの位置も微調整しないといけない。 こうした問題を一気に解消させるために、東京タワー建設されました。 東京タワーの建設場所 当初は上野公園付近への建設も検討されたが地下にある東京礫層地盤に基礎を打ち込むため、より浅い所にこの地盤がある現地域に決定しました。 東京タワーの設計 東京タワーは、当初からただの総合電波塔としてだけではなく、見た目にも美しい東京の新名所、さらには「日本のシンボル」となることを目指して建設されたそうです。 とはいえ、地震や台風の多い日本の風土で、300メートルを超す鉄塔を建てるのは至難の業。 設計を手がけた建築構造学者の内藤多仲博士は、すでに名古屋のテレビ塔や大阪の新通天閣など30ちかい鉄塔を手がけた巨匠でしたが、そんな彼ですら計算尺を手に(驚く事に当時電卓が無かったようです)3ヶ月もの間、構造計算に明け暮れ、作成した設計図は1万枚におよんだといわれています。 東京タワーの着工から完成まで 1957年(昭和32年)6月29日に増上寺の墓地を一部取り壊して建設が開始され、7月15日に最終的な設計図が完成し、9月21日には鉄骨の組み立てが始まりました。 建設中の1958年(昭和33年)6月30日に昇っていた鳶職1人が強風に煽られて転落死し、この塔の麓にある増上寺で葬儀を行ったそうです。 実際の工事期間は、昭和32年(1957年)6月29日から昭和33年(1958年)12月23日までのわずか1年半。 昭和34年初頭の開業がすでに決まっていたから、異例のスピード工事で完成させたようです。 現場では常時400人もの関係者が、朝の6時から夜の6時までフル稼働だったそうです。 鳶の職人たちは、想像を絶する高所で30センチほどの足場をつたいながら作業していたようです。 他にも鍛冶工や塗装工など、工事にたずさわった人の延べ人数は、なんと21万9335名になったそうです。 東京タワーの材料 建設に伴い結果的に約4. 2kt(4200t相当)の鋼材が使用されましたが、その中でも特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には朝鮮戦争後にスクラップされたアメリカ軍の戦車が使われているそうです。 これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず、またアメリカにとっても旧式戦車を売却して新型戦車を製造した方がメリットが高かったからだそうです。 アナログな職人の手作業 驚くことに東京タワーは、すべて鳶の職人たちが手作業で組み立てたそうです。 もちろん鉄骨はクレーンで運び上げますが、そこからが彼らの独壇場。 部材の穴に800度に熱せられたリベット(鉄のピン)を差し込み、ハンマーで一気に打ちつけ見事に接合させる。 このリベットは、下にいる職人さんがあらかじめ炉の中で加熱していて、必要になると鉄製の箸ではさみ、なんと上の作業場へ放り投げるそうです。 それを上で待ち構えていた別の職人さんが専用の筒でキャッチするそうです。 (笑) 7. 東京タワーの耐久性 タワーは地震の多い日本の風土に合わせ柔軟な構造に設計されているので、時間をかけて緩やかに揺れ、徐々に吸収される仕組みになっています。 これは基礎工事の違いからくるもので、塔脚基礎は1脚に8本ずつの深礎脚柱(直径2mの鉄筋コンクリート柱)が東京湾海面水位(20m)まで地中深く達しており、1脚だけでも4,000tの重圧に耐え、更に各脚は地中で直径5㎝の鋼棒20本で対角線上に結ばれています。 鉄塔は約90mの風速に耐え、関東大震災以上の地震にも耐えられる設計になっています。 黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色 ほぼ5年に1度の周期で約1年かけて外観塗装を補修するそうです。 作業時間は日の出から営業を開始する9時までに限定されています。 最上部のアンテナを除く270mまでの塔体の上から順に足場を組み、まずケレン落としと呼ばれる下作業をし、下塗り、中塗り、上塗りと3工程が行われます。 全てハケを使い人の手によって塗られるのです。 総塗装面積94,000㎡に使うペンキの量は、34,000リットル、延べ約4,200人が作業に当たります。 ちなみに使用する塗料を石油缶(18リットル缶)に置き換え、縦に積み重ねると東京タワーの2倍の高さになるそうです。 東京タワーの電装 平成元年1月1日午前零時より点灯されているライトアップはデジタルアンテナ部分12灯、特別展望台上部16灯、特別展望台から大展望台まで40灯、大展望台下部16灯、大展望台からタワービル屋上まで84灯、塔脚部12灯の計180灯で構成されており、1年間で2回変更します。 春・秋・冬はオレンジ色のライト(高圧ナトリウムランプ)、夏はシルバーライト(メタルハライドランプ)となっています。 ランプは切れることはありませんが、万一切れた場合は直接人の手で交換します。 気になる電気代ですが、1日平均で21,000円程度だそうです。 東京タワーの来塔者数 過去の来塔者数の最高記録は、年間で約520万人(昭和34年)、月間で約71万人(昭和34年8月)、1日で約4万人(昭和35年3月30日)という記録が残っています。 まさに東京の日本の名所なのです。 (平成10年、1億3千万人達成。 ほぼ日本人口の1人が1回昇った計算になります。 ) 現在新東京タワーが建設中ですが、完成したあともこの旧東京タワーの魅力は失われず、むしろ増して行くと思います。 いまから50年も前に作られた鉄塔が今なお現役で活躍していてその美しさも衰えぬまま残っているのが素晴らしいですよね。 最近行ってなかったので、初詣に増上寺にいきがてら見たいと思います。 横内 康弘.

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タワー六兄弟

東京 タワー 設計 者

今回紹介するのは、oh-skyさんが投稿した「東京タワー外階段上りRTA」という動画です。 投稿者メッセージ(動画説明文より) 2020年5月28日より営業を再開した東京タワー 期間限定で外階段が開放されているので、RTAに挑戦してきました 緊急事態宣言の解除に伴い、5月28日より営業を再開した東京タワー。 メインデッキまでの外階段は、通常は土日祝のみの開放ですが、5月28日〜6月14日までは平日も開放されていました。 投稿者のoh-skyさんが、この外階段を登るというリアルタイムアタックにチャレンジしました。 一段目に足を上げたら、計測開始です。 今回のレギュレーションは、ノースキップ、マスク着用、ノー三密です。 地上高125メートルのメインデッキまで、600段の階段を1段ずつ上ります。 しばらく進んでいくと、前方に家族連れを確認。 蜜を避けて、オーバーテイクできるタイミングをうかがいます。 このように、他のプレイヤーも同じコースを走行するため、開始するタイミングの見極めが重要な競技となっています。 家族連れを追い越して、どんどん上っていきます。 なお、このコースにはエレベーターはなく、下りは別の階段となっているため、途中で諦めることはできません。 階段も残すところあと100段ほどになってきました。 531段目で赤い階段が終わり、いよいよ展望台の中へ突入します。 ですがここで立ち止まってしまいました。 扉の先には撮影スポットがあり、家族連れの撮影が終わるのを待っています。 ここで大幅に時間をロスしてしまいました。 待つこと数分、撮影が終わり、先へ進むことができました。 クリアと書かれた壁がありますが、まだここはゴールではありません。 床がカーペットに変わったら、いよいよ最終局面です。 階段を上りきり、ついにゴールです。 記録は13分36秒でした。 投稿者によると、2ヶ月にわたる自粛生活が響いたのか、「思いの外キツかった」とのことでした。 しかし最後まで完走したことに「完走するだけでもすごいんだよなぁ」「登れただけでも凄いわ」というコメントが寄せられました。 視聴者コメント RTA リアル東京タワーアタック 東京タワーはゲームだった…? レギュがキツすぎるってハッキリわかんだね 完走出来てるあたりすごいわ 駆け上がるのは他の人に迷惑だからこれが正解 —あわせて読みたい— ・登山でRTA、遭難でラップ人生。

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