家 めし 鹿島。 「鹿島神宮」

「鹿島神宮」

家 めし 鹿島

新型コロナウイルスの影響を受けて営業自粛をしている飲食店を応援する目的で 「プロの家めし」を立ち上げました。 私は若い頃に仕事の取材で訪れたフレンチレストランの出会いで、それまでは大嫌いだったワインを好きになりました。 飲食店との出会いで「人生の楽しみの幅」が広がったんです。 素敵な飲食店が1店舗でも経営を続けられる。 微力ながらその一助になればと思っています。 ぜひプロの料理人が作ったごはんをおうちで楽しんでください。 そして、コロナウイルスが終息した暁にはぜひ飲食店へ足を運んでください。 日本全国を対象に掲載するお店も募集しています。 (掲載料無料) 掲載店の近隣エリアへInstagram広告を使って拡散します。 広告費も無料です。 Googleマイビジネスを使った集客セミナーも無料でプレゼントいたします。

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光武酒造場

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「旧乗田家住宅」江戸時代後期、在郷武士の居宅を訪ねてみた!佐賀鹿島『肥前浜宿』

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割と慌ただしく起きて、から「」へ。 どのくらいの町なのか、よく把握できていなかったんですが……名古屋って都会なんだな、と改めて思いました(都会の水ばっか飲んでいてはいかんですな)。 駅から徒歩で行けるようですが、看板に従うと……山、ですな。 山城ですか? やや曇天で、それほどの暑さではなさそうですが……歩きますか……。 途中に、「」の像がありました。 卜部座主職の家に生まれたんですね。 卜部座主ってなんだろう……。 」 とのことです。 、すごいなぁ。 伝説的な剣豪で、いろいろなお話も残っているので、それはそれで興味深いのですが、ひとまずはこの辺りで。 参道で発見したのは、「靇(りゅう)神社」。 「高靇(たかおかみ)神」と「闇靇(くらおかみ)神」をお祀りしているそうです。 思いっきり、龍神と書かれていますな。 東京・品川の「荏原神社」にもお祀りされておりました。 さて、何しろ夏休みとはいえ、平日の午前中ですから、人通りもまばらです。 そんな中、たどり着きました「」。 ……さすが神宮と名がつくだけあって、思っていたよりも全然広いです……。 朱塗りの楼門。 仏閣の門を守ると同じように、神社の楼門にも「随身」と呼ばれる方達がいらっしゃることがあります。 平安朝の狩衣(多分)を着て、大抵老人と若者という組み合わせです。 着ているものが平安朝のものだ、ということから、以降に置かれるようになったものだということがわかります。 多分、仏教の真似をしていますね。 境界を守る神が二柱一対でなければならない理由は、古代の日本にはなかったでしょうから。 比較的新しい発想なのだと思います。 拝殿と本殿。 相変わらず神社の建築様式に疎いです……入母屋造平入りっぽいけれど……うーん、 蟇股のところに彫刻があります。 虎と龍、っぽいなぁというのは確認したんですが、四神に対応しているわけではない気がします。 二代将軍が献上した、ということなので、当時の流行の意匠だったのでしょう。 これが派手になると、「権現造」、「」のような感じになっていくのでしょうかね。 ところで、参道から楼門を潜って、拝殿に参拝するためには、右に90度方向転換をしなくてはいけません。 そして、通常神社の社殿は南面しているものなんですが、どうも「」、北を向いています。 参道が直角に曲っていたら、それは怨霊を祀っている、というのが一つの判断材料なんですが(比較的古い神社の場合、です)、天下の「」ですから、そういうわけでもなさそう。 昔の参道は、もっと別のところにあったようですし、北面しているのは陸奥の勢力に対して睨みをきかせているのではないか、と考えられているようです。 さすが、日本でも有数の「武」の神です。 そう、御は「(たけみかづちのおおかみ)」。 「」、とも書かれます。 他に、「建布都神(たけふつのかみ)」、「豊布都神(とよふつのかみ)」などとも称されます。 「ノカミ」が火神「ノカミ」を斬り殺した際に、剣の鍔にほとばしった血から生まれた神です。 「」という名前から、雷神であることが想起されますが、「ミカ」というのは「厳(いか)めしい」という意味なのだそうです(「ヅチ」の「ヅ」は助詞、「チ」は「霊」です)。 つまり、「猛々しく、厳めしい霊の威力を持った神」ということです。 ですが、火神殺生の神話は、一説には「金属の剣を鍛える寓意」ではないかと考えられていますので、金属を叩いたときに生じる火花から連想された神ではないかとも思われます。 剣の神は、稲妻の形から雷神ともつながります。 ということで、多分、「剣」の神格化、が最初ではないかなと思っております。 神話では、の前に、「」とともに出雲に降りて、「」の御子神・「」を諏訪まで追い詰めた神です。 「」とのバトルでは、手が剣に変身したとの逸話もあります(このとき、「」は手足を切り落とされてしまったのではないか、という話もあります)。 また、が東征される折りには、自らの代理として「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」を授けたと言われています。 といったことから、「武神」として信仰を集めることになったようです。 創建はいつだかわからないくらい古いです。 境内の案内図が書かれています。 「鹿島の七不思議 要石 その根底ふかくて図り知れずという 御手洗 池の深さ大人小人によらず乳を過ぎずという 末無川 川の水流れ行くほど追々かれて行く末知らず 藤の花 御山の藤の花の多少によりその年の豊凶を予知すること 海の音 浪の響が上(北)の方に聞こえれば日和 下(南)に響けば雨降るという 根上がりの松 すべて御山の内の松 幾度伐れども伐り跡に芽出て枯れることなし 松の箸 鹿島の松で作る箸は松脂の出たことなしという」 いつの頃から語られているのかわかりませんが、 最後の二つは「松」の話でまとめてもいいんじゃないでしょうかね。 さ〜て、とりあえず、鹿島様に来たからには、「要石」を見ずにはいられません。 450メートル……結構あるなぁ……。 にしても勇壮な木々で。 「の森」は天然記念物に指定されているそうです。 そして、森に入った途端、涼しくなりました。 いや、本当に。 が飛んでいるのが見えそうなくらい、濃密な「森」の気配でした。 「奥宮」へ行く途中で、「熱田社」発見。 「古くは七夕社(または田畑社)」って……熱田さん関係ないじゃん。 実は、どちらも剣に関係のある神社なんですが(どちらも「神宮」を称しておりますし)。 結構歩いたなぁ……で到着、「奥宮」。 今の社殿はが奉納したのですが、それまでの社殿をこちらに遷して「奥宮」としたそうです。 つっても、奉納したのは親父の家康で、14年しか経ってないし……。 は「」の「荒魂」です。 苔むした桧皮葺(多分)の屋根が、何となく古色蒼然、で味わい深いですな。 さて、まだまだ歩きますよ〜。 じゃん、「要石」に到着〜。 「を起こす「大ナマズ」を押さえ込んでいるので、鹿島にはがない」との伝説があります。 が七日七晩掘っても掘り出せなかったそうで(罰あたんぞ……)、下の方が膨らんだ形をしているのではないか、と絵では描かれたりしますね。 昔は「龍」の頭を押さえ込んでいたらしいんですが、流行ものの「ナマズ」に取って代わられちゃったんですねぇ……切ない……。 磐座信仰の名残り、と考えるのが自然でしょうけれども、これだけ「見えない」磐座というのも珍しい。 誰か埋めたのかもしれませんねぇ……。 「枯枝に 鴉のとまりけり 穐の暮」 の句、らしいですが、ここで詠まれたものじゃないんですって。 何でもあり、ですな。 そもそも誰が立てたんだか……。 さて、「要石」から「奥宮」へ戻ります〜。 途中で見かけた彫刻。 そうそう、こういうイメージですよね、鹿島大神と大ナマズ。 「奥宮」を裏からぱちり。 ここまで来たので、もう「御手洗池」も行くしかないじゃないか、ということで。 句碑がありましたが……碑の方はまったく読めませんな。 よたよたと、結構な坂を降りまして、到着〜。 水面に写る景色を見たときは、「確かに澄んでいる」と思いました。 周囲も相まって、かなり厳かな雰囲気になります。 こちらで潔斎をしてから、参道を上がっていく、というのが本来の参拝の姿だったようです。 そばに「大国社」がありました。 本来の参道入り口から。 鳥居が立っていませんな。 そういえば、今の参道入り口の鳥居も、立て直し最中のようです。 すっかり名古屋では見ることのなくなった、「」「ギンヤンマ」などトンボがいくつも舞っていました。 ああ、よ……。 さぁて戻るか…… も、戻るのかぁ……。 で、戻る途中で通り雨が降りまして……雨合羽は持っていたんですが、出すタイミングがなく……雨宿り。 ちょうど、「鹿園」の案内板のところで雨宿りしましたので。 元々「香島」と書いた地名が、この「鹿」にちなんで「鹿島」と書くようになったのではないか、ということです。 ちょっとだけ見えた、「さざれ石」。 本殿前に戻り、御朱印をちょうだいしている間に、雨は止みました。 「高房社」。 「建葉槌神(たけはづちのかみ)」は、国譲り神話に登場する神です(『』のみ)。 「」「フツヌシノカミ」の命令で、服従しなかった「(あまつみかぼし)、又の名を香々背男(かがせお)」という星の神を退治しました。 この、星の神の話だけでもまた、本が一冊は書けそうなので、あんまり触れませんが、神話は星に関する神話が少ない、とよく言われていることは覚えておいてもいいかもしれません。 雨上がりの拝殿と楼門。 楼門の外に、・が祀られております。 多分、メインはこの遥拝所。 田野辺に鎮座している「沼尾神社」、御は(ふつぬしのかみ)。 山之上に鎮座している「坂戸神社」、御は(あめのこやねのみこと)。 「フツヌシノカミ」は、先ほども出ましたが、国譲り神話のときに、「」と一緒に天下った武神です。 「ノミコト」というのは、天岩戸神話で登場する古い神です。 引きこもった「」を誘い出すため、太を奏上した神で、その様から祭祀役を司った神だと考えられています。 …… ん?と思った方。 そうです。 「神様」なのに、「祭祀」をするんですねぇ……本来「祀られる」側、「祭祀される」側なんですが……。 これはですね、「ノミコト」が中臣一族の祖先だと言われていることと関係があるのだと思われます。 神話の中でそう位置づけることで、現実の中臣家が「祭祀」を担っていることの正統性を主張しているんですね。 で、中臣家のもう一つのが、「」。 鹿島の地は、古来中臣家の勢力下にあった、そうです。 昔の中臣家は、「祭祀」も「武力」も握っていた、強大な一族だったんですねぇ。 だから、とか出てきたんでしょうかね。 しかし、それにしても、本来「遥拝」って、格上の神社になかなか行けないからもうけるものだと思っていたのですが(の遥拝所って、結構全国的にありますよね)、そういうわけではないんですね。 それとも、「遥拝」所を設けなければいけないほど、重要なところなのか……。 「熊野社」。 「命」はいいとして、「事解男命」と「速玉男命」って誰よ? はい、「熊野神社」と「社」の御です。 「津東西神社」。 御は、「高靇(たかおかみ)神」と「闇靇(くらおかみ)神」。 冒頭の「靇神社」と同じですな。 ということは、これも八龍神のうちの一つ、でしょうか。 「社」。 御の「太玉命」は、「(あめのふとだまのみこと)」。 やはり天岩戸神話で登場する神で、「ノミコト」と同様に、勾玉・鏡などをつけた榊で太御幣(ふとみてぐら)を作って「祭祀」を行った、とされています。 神主さんが「祓いたまえ清めたまえ」ってやりますよね、あのときに振るのが「御幣」です。 この神様の末裔がで、中臣氏とともに、初期朝廷の祭祀を司った一族です。 また、この神様の神裔である「天富命(あめのとみのみこと)」が、のを率いて東国(安房)を開拓しています。 「須賀社」。 「」だった、ということです。 本当に、日本中にありますよ「」。 今は、名前は違いますけどね。 「稲荷社」。 ふう……目一杯。 他にも、回れていないところがあったりしたのですが(「宝物殿」とか)、とりあえず満腹。

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