アマビエチャレンジ 海外。 2ch NEWS FLASH

アマビエが海外ベトナムのネットニュースでも話題になっていた!【ベトナム】

アマビエチャレンジ 海外

1.アマビエブームと「アマビエチャレンジ」の起こり (1)アマビエブームの特徴 2020年2月27日、「疫病退散にご利益があるというアマビエの力を借りよう」「コロナウィルス対策としてアマビエのイラストをみんなで描こう」との発想から、妖怪掛け軸専門店が、妖怪ファンを除き一般には殆ど知られていないアマビエの解説とイラストレーションをTwitterに投稿した。 この考えに賛同した多くのTwitter利用者が「アマビエチャレンジ」「アマビエ祭り」などのハッシュタグを付けて、イラスト、漫画、動画、ぬいぐるみ、フィギュアなど様々な作品を作り、その写真を次々に投稿した。 (2)アマビエの「すがた」を通じた社会記憶 アマビエ(歴史的仮名遣:アマビヱ)は、日本に伝わる半人半魚の妖怪。 光輝く姿で海中から現れ、「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。 私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ。 」と告げたという。 江戸時代後期の弘化3年(1846)に肥後国(現・熊本県)でたった一度だけ出現しただけの極めて稀少な妖怪(怪異)だ。 この話は挿図付きで瓦版に取り上げられ、遠く江戸にまで伝えられた。 予言に忠実に、「私の姿を描いた絵を『瓦版で』人々に見せる」ことを早々に実現したわけだ。 海中からの出現、豊作や疫病の予言、その姿を写した絵による除災、3本以上の足による直立という外見などが共通している。 〔アマビエの出現を伝える瓦版(1846年)。 京都大学所有、京都大学附属図書館収蔵〕 アマビエ・アマビコブームは過去に2度起こっている。 さらに20年以上を経た明治15年(1882)にも、東京の絵草紙屋(娯楽書や浮世絵の店)で「三本足の猿の像」が「コレラ病除けの守り」として販売されたことが記録されており、疫病の流行時に自然と思い出される社会記憶として成立していたことが窺える。 しかし、新聞が一般に流布した明治中期以降2020年まで、社会からアマビエが求められたことはなかった。 現代よりも社会の単位が小さかった時代には、社会の数に応じた伝承や記憶があり、口述や絵によって知識や記憶を受け継ぎ、それが肌感覚を持った社会記憶として人々に定着していた。 近代化による「新聞」というマスメディアの登場によって、社会の単位が拡大し、コミュニティに依存しない均質化された情報が流布するようになって、生きた「伝承」を個々の力で繋いでいく必要性が薄れたためであろうと推測する。 2.「アマビエチャレンジ」による情報伝播 (1)アマビエの認知度 前述の通り、アマビエは過去にたった一度しか公的な記録がなく、極めて「レア」な妖怪・怪異の類であるため、社会的認知度は極めて低い。 今回のブームの端緒となった一度目のTwitter投稿から1か月後の時点で「言い伝えの内容まで知っている」という人の割合は6. 今回のケースにおいても、SNSを利用する個々人が拡散していったアマビエに着目した様々なメディアが最新ニュース・トレンドとして取り上げた。 7%とこれに次いで高い(図3)。 このムーブメントに様々な事業者が呼応し、タワーレコードは、公式ウェブギャラリー上でクリエイターから寄せられたアマビエ作品を公開した。 その後様々な企業や個人クリエイターが続々とTシャツやアクセサリー、和菓子など様々な商品を開発していったことで、SNSを駆使する一部の消費者間で起こった密やかな流行が猛スピードで一般社会に広まっていった。 出所:「アマビエに関する調査」株式会社JTB総合研究所(2020) 3.不安定な状況における「貢献したい意識」の発露 (1)現代の流行は「恩恵に預かる」のではなく「貢献する」ため 江戸期、明治期におけるアマビエ・アマビコブームは、市井の人々が抱く疫病への不安に応える形で、民間伝承に基づいた「商材」としてアマビコの図像が販売されることにより起こった。 要因はともあれ、どの時代にも起こり得る「(その時代に必要な)商品のブーム」が起こったにすぎない。 それらと比較すると、今回の「アマビエチャレンジ」は様相を異にしていることがわかる。 2011年の東日本大震災直後は、「自粛」や「旅行控え」という消費者行動が目立った。 全国の消費者が被災地に思いを寄せ共感することによって、被災地以外の地域においても消費や娯楽活動が一時的に停滞した。 2016年に発生した熊本地震の際には、「買って地域を応援しよう」という行動が一般化した。 大都市圏に所在する被災地のアンテナショップには開店前から行列ができ、「寄付つき商品」も数多く発売された。 このたびの全世界的な疾病という危機においては、被災地とそれ以外の地域という区切りがないうえ、未知の脅威はある一瞬に起こるのではなく、日々状況を変化させながら継続する。 そのため、正解がわからない不安定な状態が長く続くことになる。 このような社会環境のなかで、「自分も部外者ではない」、「正解がわからない中でも、なにかに貢献したい」という消費者意識の高まりが、今回のアマビエチャレンジに結び付いたのであろうと考える。 (2)不安定な社会状況におけるSNSの役割 SNSは、危機発生時にはデマや風評の元凶となることがある。 その一方で、大きな資金や影響力がない一般人が社会に貢献するためのプラットフォームにもなり得る。 今回のムーブメントについては、「少しでも効力があればよい」「効力は期待しないが、人が少しでも明るい気持ちになればよい」と好意的に捉える人の比率が10~20代という若年層で高い(図4)。 「質」や「個性・多様性」、「リアルであること」に共感しやすいと言われるZ世代(1996年〜2012年生まれ)を含む若年層が、歴史的かつ土着的な伝承に価値を見出し、賛同していることが興味深い。 SNSの情報は「リツイート」によって原文のまま拡散されることから、第三者によって編集されにくいという特徴を有する。 デジタルネイティブ世代がアマビエの「身体的特徴ルール」と「拡散の意義目的」をきちんと守って発信したことによって、キャラクター(外見)が独り歩きすることなく、その存在意義と拡散目的が歪曲されることなく伝えられた。 アマビエの伝承に実利的な効果があるわけではないことを理解しつつも、土地に根付いた「伝承」をファンタジーではなく「何らかのリアル」であると捉える視点を持つ世代が、コア層にしか知られていなかった日本のレアな妖怪(怪異)を世界的な潮流にまで押し上げたと言っても過言ではないだろう。 出所:「アマビエに関する調査」株式会社JTB総合研究所(2020) 4.「伝承」は「情報」ではなく物語性があるもの (1)「伝承」のもつ価値 では、「伝承」とは、その価値とはなにか。 日本の津々浦々は、土地固有の歴史、神話、妖怪などの伝承の宝庫である。 妖怪を取り扱う漫画やアニメが定期的にベストセラーになり、2016年に江戸東京博物館で開催された「大妖怪展」は50日間で20万人を超える大ヒットを飛ばした。 日本において、妖怪はその存在を信じられているかどうかを別として、ごく一般的な存在として知られ、幅広い層に支持されている。 妖怪や怪異というものは、「それがここにいた・いる」という情報発信をされるために生きているものではなく、社会にとって必要な場面において存在感を放つものだ。 誰かの商業的な創作によるものでなく、口伝によって継承されてきた日本あるいは地域の伝承は説得力を増し、現代に息吹を繋げる。 総務省消防庁は、2004年から2006年にかけて各地に残る災害に関連する伝承の集約を行い、ウェブサイトで情報を公開している。 地域に伝わる災害伝承を把握することで、地域住民の防災意識を高めることを目的として掲載されているものだ。 河童は水害としばしば結び付けて語られるため全国に伝承が分布しているし、増水した川からの音を「妖怪の声」とする伝承は、川の動きを注視し川から人を遠ざける目的があったものであろう。 コミュニティを守るための伝承のみならず、個人の危機に対応するための伝承も多くある。 例えば「ヒダル神(ヒダルがみ)」は人間に空腹感をもたらす憑き物とされ、行逢神または餓鬼憑きの一種。 これに会うと、急に体が重くなり歩けなくなる。 所謂ハンガーノックだ。 「山越えをする際にヒダル神に会ってしまったときのために、ヒダル神に供えるためのおにぎりを予め持っていくべき」という伝承は、想定外のハンガーノックへの具体的対応策と言える。 余分に持っていくおにぎりで自身の命が助かるという事実が「ヒダル神」をリアルな存在とし、その伝承の信憑性を高める。 (2)地域における伝承の伝えかた 妖怪や伝承を観光誘致に繋げようとする地域は多い。 遠野のかっぱ淵、岩手県の座敷わらしなどは有名どころであるし、徳島県西部の山城町には、子泣き爺をはじめとする160以上の妖怪関連の伝承がある。 歴史資源の少ないアメリカでは、UFOやUMA、都市伝説などをモチーフにした「クリプトツーリズム」(「化け物ツーリズム」と訳されることもある)という町おこしの概念があり、2010年代に日本でも僅かに話題になったものの、定着には至っていない。 伝承とそれに登場する妖怪が「愛らしいもの」「親しみがあるもの」としてキャラクターとしての魅力を有することは確かだ。 しかしそのキャラクター性は、伝承・妖怪の魅力の半分にすぎない。 過去の時代における社会状況や地理的環境、地域の暮らしぶりによって伝承が必然的に生まれたこと、日本人ならではの感性で視覚化されて「妖怪」という実体を持ったことのわかりやすさ、そしてそれが人々に心から求められていた理由があること。 これらが揃ったときに、今回のアマビエブームにみるように、伝承が「リアルな価値」を発揮する。 因みに、我が家の台所にはもう10年以上前から、友人に貰ったアマビエストラップが吊るされている。 妖怪や怪異は、なかなか逢うことはないけれども、それがあることで社会や生活がきっと少しだけ豊かになる。 日本人が受け継いできたその感性が海を渡って世界に理解されたことを嬉しく思うとともに、これを契機として地域における伝承が持つ資源価値の見直しが図られることを期待する。

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妖怪アマビエ、世界中に広まる 独特の風貌が人気?

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この節のが望まれています。 ( 2020年3月) アマビエは、後期に製作されたとみられるに類する刷り物に、絵と文とが記されている。 (現・)の夜ごとに海に光り物がおこったため、土地の役人がおもむいたところ、アマビエと名乗るものが出現し、役人に対して「当年より6ヶ年の間 は諸国で豊作がつづく。 しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ。 」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行ったとされる。 瓦版に3年中旬( )という記載があることから、その年に出版されたものであると考えられている。 姿形については添えられた挿絵(アマビエを目撃したとされる役人がその場で姿を写した物の写しであると記載されている)が存在しているが、本文には「図の如く(原文 : づの如く)」とのみ記載されており 、具体的な言葉ではどのようなかたちのものであったかについての特徴は書き留められていない。 肥後国海中え毎夜光物出ル所之役人行 見るニ づの如く者現ス私ハ海中ニ住 アマビヱト申 者也当年より六ヶ年之間諸国豊作也併 病流行早々私シ写シ人々二見せ候得と 申て海中へ入けり右ハ写シ役人より江戸え 申来ル写也 弘化三年四月中旬 [ 図 ] アマビエについての記録の類は、上記1種類の瓦版でしか確認されていない(熊本県にそのような目撃譚や伝説が伝承されて来た事実も確認されていない)が、類似性の高い内容が記載されていると呼ばれる妖怪の資料群との比較から、アマビコが誤記された例のひとつではないかという説が、1999年にによって指摘されている。 姿かたちなどは異なるが、予言と除災という内容を持つほぼ同様な性質で描かれた妖怪たちは、ほかに、、、ほうねん亀、亀女など数多く存在しており、これらも瓦版や写本などのかたちで残されている。 アマビコとの類似点 [ ] 尼彦の肉筆画(明治時代以降のものと考えられている ) 湯本豪一所蔵 と称される妖怪についての図と話は、江戸時代後期から明治中期にかけての資料や新聞記事などで確認されている。 いずれも海中からの出現・豊作や疫病の予言・その姿を写した絵による除災・3本以上の脚部をもつ絵姿・「しばた」(柴田・芝田などと表記される)という姓の目撃者などの共通要素がある。 アマビコ及びそれに隣接すると見られる資料群は確認される年代の幅が前後に広いことから(弘化より少し早いから、にかけて散発している)、 、長野栄俊 などは、アマビエをアマビコと同種のもの・名称の誤記例であると考えている。 (現・)の海に出現したとする資料が最も確認例は多く、アマビエを肥後国に出たとする話もこの影響下にあると考えられる。 (明治9年)に「 尼彦入道( 読みの推定:あまびこ にゅうどう)」あるいは「」という名で新聞記事に報道されているアマビコに類する絵札の例でも「肥後国青沼郡」や「肥後国青鳥郡」の海に出現したされている(ただし、そのような郡が実在しないことは報道でも指摘されており、当時としても疑わしい話であると見なされていたと考えられる )。 ほかに、(現・)に出たとされる「尼彦入道」の例も1件ある。 (明治8年)に報じられた「 天日子尊」 の例は、海ではなくのに現れたとされる。 このように、名称や細部の内容が異なっていても本文全体の趣旨はほとんど同一のものであり、アマビエもこのような例のひとつであったことがわかる。 の絵はどの例でも大抵奇妙な姿で描かれているが、アマビエの絵にくらべるとに似た、毛の生えた獣のようなかたちで描かれることもある (『越前国主記』の 海彦 の例などもそれに近い)。 またアマビエの文には採用されていないが、 あま彦(『青窓紀聞』。 14年のもの )や 尼彦(所蔵)の絵 など、肥後国 に出たとされるアマビコには「猿の声して人を呼ぶ」など、猿のような声をしていたという点が登場する。 アマビエやアマビコの海中出現はに由来する可能性があるとも指摘されている。 山童(早稲田大学演劇博物館所蔵) 山童 [ ] (現・) の山中に「 山童(やまわらわ)」と名乗る妖怪が現われ、「今年から五年間は五穀豊穣だが、悪い病気が流行して多くの人が死ぬ、我が姿を見る者は病をまぬがれて長寿になる」と告げた、という内容の資料(所蔵) も確認されている。 この「やまわらわ」のような例は、出現場所が海でなく山の中であるという違いはあるものの、三本足の外観や予言の内容など、共通した特徴があり、湯本豪一はアマビコ・アマビエとの関連性を指摘している。 創作でのアマビエ [ ] アマビエは江戸時代に制作されたのひとつとして、1970年代以降に写真図版つきで書籍などでしばしば紹介されており、それらを参考資料にした創作の中で用いられている。 2000年代以降は、湯本豪一による他の同趣向の妖怪やアマビコを中心とした新たな資料紹介 がつづき 、にでおこなわれた「日本の幻獣-未確認生物出現録-」という資料展示の会期中には、・アマビエなどのがグッズ販売されたりもした。 2月から3月にかけて、に関連して「アマビエのイラストを描く」という行為が広く創作活動の場で注目され、「新型コロナ退散の願いを込めた作品」としてアマビエが様々に創作のうえで作られる行動( アマビエチャレンジ)が見られたこと などは、大きなイメージの転換として特記できる。 水木しげる [ ] ・は、妖怪図鑑のための一枚絵としてアマビエを描いている。 この絵は、『』(1984年)のために描かれたもので、その後も『』や『』など水木による各種妖怪図鑑にも収録されている。 水面から半身を出した姿で描かれており、アマビエに腕を描き込んでいるのが特徴である。 水木しげるは、西洋では海の生物にはすべて予知能力があり、海から人魚が予言を告げる伝承も珍しくないことから、アマビエを西洋の人魚に近いものであろうという解釈を著書で述べている。 しかし、西洋の人魚の予言の多くは不運の前兆のみであるいっぽう、アマビエは予言のみならず疫病を治すことについても言及している点が、大きく異なるとも述べている。 の 隠岐のアマビエ像は、この妖怪図鑑などにおける水木としての「アマビエの絵」を立体化したで、に延長された(の先祖である武良(むら)氏の発祥地である縁から)2010年に設置された妖怪のひとつである。 地区(旧・)の南側の入り口 (中村川沿い、沿い)に設置されている。 水木しげるの漫画作品では『』(『悪魔くん ノストラダムス大予言』、1996年)でに仕える使徒の一員として登場している。 『』にアマビエは出演していないが、(2007~2009年)に準レギュラーキャラとして登場している(声 -。 初登場は(19年)放送の「妖怪アイドル!? アマビエ」)。 近いうちに起こる出来事を予知する能力があり、いつも唐突に閃いて予言するが、その内容の大半は対処する間も無いほどすぐに起こる出来事の予言か、どうでもよい出来事の予言で、ほとんどは役に立たない。 海の中でひとりぼっちで暮らしていた妖怪であるとキャラクターされている。 が作成した拡大阻止を呼び掛ける。 アマビエをモチーフにしている に発生したは、に入って世界的なと化した。 2月下旬には、日本でもやを中心に、防疫対策として人の物理的交流も経済活動も大幅な自粛を余儀なくされた。 イベントの休止や学校の休校措置などもはじまり、そのような鬱屈した社会情勢にあった同年 、「疫病退散にご利益があるというアマビエの力を借りよう」「コロナウィルス対策としてアマビエのイラストをみんなで描こう」との発想から 妖怪掛け軸専門店「大蛇堂」が、アマビエ解説と共に作品をに投稿したところ 、この考えに賛同した多くのTwitter利用者が「アマビエ」「アマビエチャレンジ」「アマビエ祭り」など を付けてアマビエを自己流にアレンジした作品(イラスト、、、、、、、、 、その他小物など)を次々に投稿するという動きが起こった。 多数の作品がTwitterに投稿され、それらがリツイートされる動きは3月に入っても大きくなってゆき、5日にはのイラスト素材サイト「」にも「アマビエ」のイラスト素材が登場した。 ・トキワセイイチが漫画『アマビエが来る』をTwitterに投稿したのは6日で、これにも大きな反響があった。 原資料であるを所蔵する附属図書館からは6日に投稿があり 、数日のうちに5,000を超える「」が寄せられた。 ソーシャル分析ツール「ForSight(フォーサイト)」でキーワード「アマビエ」を含むツイートを調べると、2月は日に10件程度であったものが、3月1日は162件と微増し、3日になって4,737件と急増、そして、7日には38,646件と爆発的に増えていることが分かる。 ・アマビエを研究にとりあげている長野栄俊は、『ふーぽ』のコラム(2020年3月11日)で、この創作活動をおこなう人々たちのあいだでのアマビエイラストのブームについて言及しており、2020年3月の流行に際してのアマビエはもともと存在していた「予言」の要素についての言及が人々の間で取り沙汰されている点が全く見られず、より単純なとしての特徴のみが拡散していると分析している。 2020年4月にが発令されて以後は、3月時点に較べて社会全体への自粛要請がさらに進んだが、3月以降アマビエがテレビ番組や新聞といったマスコミでも報道され、一挙に世間に広く知られる「護符」的な存在としてニュースとなった結果、創作の範囲だけでは無く各地のさまざまな事業者が「新型コロナウイルスの終息」をうたってアマビエのかたちを模した商品を販売したり、商品のラベルデザインに採用したりするようにもなった(、、、酒類、清涼飲料水など)。 また、4月7日からはが新型コロナウイルス感染症のWeb向け対策啓発の広報アイコンとしてアマビエのイラストを用いはじめた。 このイラストは、2020年6月19日から厚生労働省が配信を開始した「」の起動画面にも全く同じものが用いられている。 信仰とアマビエ [ ] 2020年4月ごろから、護符やの印判にアマビエを用いはじめるやも日本各地で見られるようになった。 いずれも新型コロナウイルスの流行以後・自粛期間・緊急事態宣言後に「疫病退散」の祈願のためとして用いられはじめており、「疫病よけの効果があるとされている妖怪 」や「疫病よけの妖怪 」などと称されてることからも、2020年2月以降に創作活動として拡大をした「護符」的な存在としてのアマビエのブームやそれに関連する報道を受けて採用された例であるといえる。 おなじく4月ごろから、「新型コロナウイルス感染拡大の終息」や「再起・復帰」などの想いを込めた図柄としてをアマビエ型にしたものが各地のだるま生産者たちによって製作されるようにもなった。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• , p. 25 に全文掲載があり「當年より六ヶ年」と読まれている。 は「当年より六ヶ月」(, p. 4 で引用)とするが誤記載。 湯本豪一『明治妖怪新聞』に掲載されたコラム「妖怪『アマピエ』の正体」における誤記説が、アマビエとアマビコの流れのなかに位置づけた最初期の言及である。 『東京曙新聞』の1881年10月20日号では、当時流行していた海外由来の世界が大滅亡するという噂話と結び付けられた「天彦」の話がつくりあげられて札が売られていた例が報道されている。 そこでは「天保年間西海の沖」にてに仕える存在だと名乗る「天彦」という怪物が出現したと語られている。 これなどは明治時代に入ってからアマビコの類型に新しい要素が足された例である。 長野栄俊(ながの えいしゅん)は、1971年(昭和46年)、生まれ。 歴史研究者。 福井藩史研究のほか、奇術・妖怪の研究者。 日向国に出たとされる「尼彦入道」の図は他の「尼彦」や「尼彦入道」の図にくらべると異質なもので、脚も9本足である。 出現場所については「肥後国熊本県真字郡」と記載されるが、「真字郡」という郡は実在しない。 また「尼彦」(湯本豪一・所蔵)の例では熊本「県」とあることから()後の文章と推定されている• 湯本による解説では文中にある村名を翻刻していない。 「3月6日に京都大学附属図書館が瓦版の画像を添付してツイートしたところ、瞬く間に拡散した。 」旨の報道もされているが 、2月の末には既に投稿が始まりつつあった。 Googleマップ• 349-350. 27 巻末注28. 178-180. 71-88. , p. 株式会社東京堂出版. 2020年5月30日閲覧。 「」『』、2020年3月12日。 2020年3月12日閲覧。 2020年3月15日閲覧。 , pp. 174-175. , p. , p. , pp. 140-142. , pp. 136-137. , pp. 4—8, 24. 「流行病と予言獣」(『国立歴史民俗博物館研究報告』174集、2012年)• , p. 株式会社 fuプロダクション 2020年3月11日. 2020年3月29日閲覧。 水木プロダクション [ mizukipro] 2020年3月17日. ツイート. より 2020年3月17日閲覧。 トゥギャッター株式会社 2020年. 2020年3月14日閲覧。 東京新聞 TOKYO Web 2020年5月21日. 2020年5月28日閲覧。 , p. ジャスベル WAON 旅ネット. (ジャスベル). 2020年3月14日閲覧。 リアルサウンド ブック 2020年4月23日. 2020年5月3日閲覧。 ツイート. より 2020年3月14日閲覧。 長田健吾「」『西日本新聞』、2020年3月12日。 2020年3月14日閲覧。 2020年3月14日閲覧。 Twitter. Twitter, Inc. 2020年3月. 2020年3月14日閲覧。 Twitter. Twitter, Inc. 2020年3月. 2020年3月14日閲覧。 Twitter. Twitter, Inc. 2020年3月. 2020年3月14日閲覧。 ツイート. より 2020年3月14日閲覧。 2020年4月17日閲覧。 2020年3月14日閲覧。 「」『』、2020年3月8日。 2020年3月14日閲覧。 トキワセイイチ [ seiichitokiwa] 2020年3月6日. ツイート. より 2020年3月14日閲覧。 ツイート. より 2020年3月14日閲覧。 2020年4月9日. 2020年6月7日閲覧。 2020年4月6日. 2020年6月7日閲覧。 2020年4月20日. 2020年6月7日閲覧。 2020年5月20日. 2020年6月7日閲覧。 2020年5月5日. 2020年7月14日閲覧。 2020年5月18日. 2020年7月14日閲覧。 2020年5月23日. 2020年7月14日閲覧。 参考文献 [ ]• 『かわら版物語』、1970年。 長野栄俊「」『若越郷土研究』第49巻第2号、福井県郷土誌懇談会、2005年、 1—30、 、。 長野栄俊「予言獣アマビコ・再考」(小松和彦編『妖怪文化研究の最前線』せりか書房〈妖怪文化叢書〉、2009年)OCLC 675477472。 全国書誌番号:21663918。 『』、1991年。。 編著『妖怪事典』、2000年。 湯本豪一編『明治妖怪新聞』柏書房、1999年。 OCLC 259862594。 湯本豪一編『地方発明治妖怪ニュース』柏書房、2001年。 OCLC 675099157。 湯本豪一『日本幻獣図説』河出書房新社、2005年。 OCLC 62107441。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• 『』 -.

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Hope we can return to normal life soon and Tokyo Disney Land won't extend the reopening date. People have been sharing their sketches of amabie on Twitter, so here are two versions I drew. dwvcd I drew Amabie, a yokai said to bring a bountiful harvest and protect against epidemic if you show someone its likeness. I love this creature's concept! Si dice che disegnandolo porti fortuna. 99 ID:LyCdVUQl0. 08 ID:wso5EnAn0. 79 ID:ZWmHiiS60. 63 ID:5J1ecrXG0. 25 ID:gH63WNZH0. 75 ID:3M8pSxRo0. 30 ID:88pzkrSC0. 51 ID:bDEMfWmt0. 93 ID:HcaoGipb0. 08 ID:tSo6dUaB0. 09 ID:jQ4QXDNA0. net インターネット時代のミーム拡散力すげーな。 そして、日本の文化力の高さ強さよの。 78 ID:PXHOmLb90. 87 ID:4vTkdhRS0. 16 ID:bIWtunOA0. net 流行語大賞だな。 19 ID:ziE4qNYj0. 59 ID:PXHOmLb90. 39 ID:2DkJon3C0. 20 ID:2fTDVTCK0. 74 ID:yhmJXgm90. net 昔あったラッキーレスのようなものだな。 74 ID:jrmkrOON0. 93 ID:drWphf760. net これほど参加しやすいこともないわな、最初の一枚目がこれだから でも、「疫病が広がった際に私の絵を描き、みんなに見せよ」って言っただけらしいのに その結果どうなるかも言及してねぇのに、みんな疫病で頭おかしくなってんのな。 ただの露出狂のおっさんが「疫病が広がった際に私の絵を描き、みんなに見せよ」って言ったところで 警察以外は、逃げ惑っていくだけだろうに。 net 「疫病が流行ったら私を書いてね。 net こら、お前ら「さま」を付けろ。 アマビエさまに失礼だろ。 net まったく意味がわからん。 net 見せよってだけで どうなるというオチは何も書いてない 総レス数 635 100 KB.

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