機 皇帝 あめ の かく のみ か づち。 和辻哲郎 古寺巡礼

高龗神(たかおかみのかみ)とはどういう神なのか?【1】ここだけは紹介しておきたい!|聖地 日本の神社|「月の光」

機 皇帝 あめ の かく のみ か づち

『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)は、南北朝時代に公卿の北畠親房が、幼帝のために、吉野朝廷(いわゆる南朝)の正統性を述べた歴史書。 神代から後村上天皇の即位までが、天皇の代毎に記される。 史的著述の間に、哲学・倫理・宗教思想と並んで著者の政治観が織り込まれている。 — 「」より。 神皇正統記 巻一 大日本 ( おほやまと ) 者 ( は ) 神国 ( かみのくに )也。 天祖 ( あまつみおや )はじめて 基 ( もとゐ )をひらき、 日神 ( ひのかみ )ながく 統 ( とう )を 伝 ( つた )へ給ふ。 我 ( わが )国のみ此事あり。 異朝 ( いてう )には其たぐひなし。 此故に 神国 ( かみのくに )と 云 ( い )ふ也。 神代 ( かみよ )には 豊葦原千五百秋瑞穂 ( とよあしはらのちいほのあきのみづほの )国と 云 ( い )ふ。 天地開闢 ( てんちかいびやく )の 初 ( はじめ )より此 名 ( な )あり。 天祖 ( あまつみおや ) 国常立尊 ( くにのとこたちのみこと )、 陽神陰神 ( をがみめがみ )にさづけ給し 勅 ( みことのり )にきこえたり。 天照太神 ( あまてらすおほみかみ )、 天孫 ( あめみま )の尊に 譲 ( ゆづり )まし 〳 〵しにも、此名あれば 根本 ( こんぼん )の 号 ( な )なりとはしりぬべし。 又は 大八州国 ( おほやしまのくに )と 云 ( い )ふ。 是は陽神陰神、此国を 生 ( うみ )給しが、 八 ( やつ )の 嶋 ( しま )なりしによ[つ]て 名 ( なづ )けられたり。 又は 耶麻土 ( やまと )と 云 ( い )ふ。 是は 大八州 ( おほやしま )の 中国 ( なかつくに )の名也。 第八にあたるたび、 天御虚空豊秋津根別 ( あめのみそらとよあきづねわけ )と云神を 生 ( うみ )給ふ。 これを 大日本豊秋津州 ( おほやまととよあきづしま )となづく。 今は四十八け国にわかてり。 中州 ( なかつくに )たりし上に、 神武 ( じんむ )天皇 東征 ( とうせい )より 代々 ( よよ )の 皇都 ( くわうと )也。 よりて其名をとりて、 余 ( ほか )の七州をもすべて耶麻土と云なるべし。 唐 ( もろこし )にも、 周 ( しう )の国より 出 ( いで )たりしかば、 天下 ( てんか )を周と 云 ( いひ )、 漢 ( かん )の 地 ( ち )よりおこりたれば、 海内 ( かいだい )を漢と名づけしが如し。 耶麻土 ( やまと )と云へることは 山迹 ( やまあと )と云也。 昔 天地 ( あめつち )わかれて 泥 ( でい )のうるほひいまだかわかず、山をのみ 往来 ( わうらい )として其 跡 ( あと )おほかりければ 山迹 ( やまあと )と 云 ( い )ふ。 或 ( あるひは )古語に居住を 止 ( と )と 云 ( い )ふ。 山に居住せしによりて 山止 ( やまと )なりとも云へり。 大日本とも大倭とも 書 ( かく )ことは、此国に漢字 伝 ( つたはり )て後、国の名をかくに字をば大日本と 定 ( さだめ )てしかも 耶麻土 ( やまと )とよませたるなり。 大日孁 ( をほひるめ )のしろしめす御国なれば、其義をもとれるか、はた日の 出 ( いづ )る所にちかければしかいへるか。 義はかゝれども字のまゝ日のもとゝはよまず。 耶麻土と 訓 ( くん )ぜり。 我国の漢字を訓ずること多く 如此 ( かくのごとし )。 おのづから 日 ( ひ )の 本 ( もと )などいへるは 文字 ( もんじ )によれるなり。 国の名とせるにあらず。 〔 裏書云 ( うらがきにいふ )。 日のもとゝよめる哥、万葉[に] 云 ( い )ふ。 いざこどもはや日のもとへおほとものみつのはま松まちこひぬらん〕 又古 ( いにしへ )より大日本とも 若 ( もし )は大の字をくはへず、日本ともかけり。 州 ( しま )の名を大日本豊秋津といふ。 懿徳 ( いとく )・ 孝霊 ( かうれい )・ 孝元 ( かうげん )等の御 謚 ( おくりな )みな大日本の字あり。 垂仁 ( すゐにん )天皇の御 女 ( むすめ ) 大日本姫 ( やまとひめ )と 云 ( い )ふ。 これみな大の字あり。 天神 ( あまつかみ ) 饒速日尊 ( にぎのはやひのみこと )、 天 ( あめ )の 磐船 ( いはふね )にのり 大虚 ( おほぞら )をかけりて「 虚空見日本 ( そらみつやまと )の国」との 給 ( たまふ )。 神武の御名 神日本磐余彦 ( かみやまといはれびこ )と号したてまつる。 孝安 ( かうあん )を 日本足 ( やまとたらし )、 開化 ( かいくわ )を 稚 ( わか )日本とも 号 ( がうし )、景行天皇の御子 小碓 ( をうす )の 皇子 ( みこ )を 日本武 ( やまとたけ )の尊となづけ奉る。 是は大を 加 ( くはへ )ざるなり。 彼此 ( かれこれ ) 同 ( おなじ )くやまとゝよませたれど 大日孁 ( おほひるめ )の義をとらば、おほやまとゝ 読 ( よみ )てもかなふべきか。 其 後 ( のち ) 漢土 ( かんど )より 字書 ( じしよ )を 伝 ( つた )へける時、倭と 書 ( かき )て此国の名に 用 ( もちゐ )たるを、 即 ( すなはち ) 領納 ( りやうなふ )して、又此字を耶麻土と訓じて、日本の 如 ( ごとく )に大を加へても又のぞきても 同 ( おなじ )訓に 通用 ( つうよう )しけり。 漢土より 倭 ( わ )と 名 ( なづ )けゝる事は、昔此国の人はじめて 彼土 ( かのど )にいたれりしに、「 汝 ( なんぢ )が国の名をばいかゞ 云 ( い )ふ。 」と問けるを、「 吾国 ( わがくに )は」と云をきゝて、 即 ( すなはち ) 倭 ( わ )と名づけたりとみゆ。 漢書 ( かんじよ )に、「 楽浪 ( らくらう )の 〈 彼土 ( かのど )の東北に 楽浪 ( らくらう )郡あり〉海中に 倭人 ( わじん )あり。 百余国をわかてり。 」と 云 ( い )ふ。 もし 前漢 ( ぜんかん )の時すでに 通 ( つうじ )けるか 〈 一書 ( いつしよ )には、 秦 ( しん )の代よりすでに 通 ( つうず )ともみゆ。 下 ( しも )にしるせり〉。 後漢書 ( ごかんじよ )に、「 大倭 ( だいわ )王は耶麻 堆 ( たい )に 居 ( きよ )す。 」とみえたり 〈耶麻堆は山となり〉。 これは 若 ( もし )すでに此国の 使人 ( しじん ) 本国 ( ほんごく )の例により大倭と称するによりてかくしるせるか 〈 神功皇后 ( じんぐうくわうごう )の 新羅 ( しらぎ )・ 百済 ( くだら )・ 高麗 ( かうらい )をしたがへ給しは後漢の末ざまにあたれり。 すなはち漢地にも通ぜられたりと 見 ( みえ )たれば、文字も 定 ( さだめ )てつたはれるか。 一説には 秦 ( しん )の時より 書籍 ( しよじやく )を 伝 ( つたふ )とも云〉。 大倭と云ことは異朝にも領納して 書伝 ( しよでん )にのせたれば此国にのみほめて 称 ( しよう )するにあらず 〈異朝に 大漢 ( だいかん )・ 大唐 ( だいたう )など云は 大 ( おほき )なりと称するこゝろなり〉。 唐書 ( たうじよに )「 高宗 ( かうそう ) 咸亨 ( かんかう )年中に倭国の 使 ( つかひ )始てあらためて 日本 ( にほん )と号す。 其国東にあり。 日の 出所 ( いづるところ )に 近 ( ちかき )を 云 ( い )ふ。 」と 載 ( のせ )たり。 此事我国の古記にはたしかならず。 推古 ( すゐこ )天皇の御時、もろこしの 隋朝 ( ずゐてう )より使ありて書をおくれりしに、 倭皇 ( わくわう )とかく。 聖徳太子みづから 筆 ( ふで )を 取 ( と )りて、 返牒 ( へんでふ )を 書 ( かき )給しには、「東天皇敬白西皇帝。 」とありき。 かの国よりは倭と 書 ( かき )たれど、返牒には日本とも倭とものせられず。 是より 上代 ( かみつよ )には牒ありともみえざる也。 唐の咸亨の 比 ( ころ )は 天智 ( てんぢ )の御代にあたりたれば、 実 ( まこと )には 件 ( くだり )の 比 ( ころ )より日本と 書 ( かき )て送られけるにや。 又此国をば 秋津州 ( あきづしま )といふ。 神武天皇国のかたちをめぐらしのぞみ給て、「 蜻蛉 ( あきづ )の 臀舐 ( となめ )の如くあるかな。 」との給しより、此名ありきとぞ。 しかれど、 神代 ( かみよ )に 豊秋津根 ( とよあきづね )と云名あれば、神武にはじめざるにや。 此外 ( このほか )もあまた名あり。 細戈 ( くはしほこ )の 千足 ( ちたるの )国とも、 磯輪上 ( しわかみ )の 秀真 ( ほつま )の国とも、 玉垣 ( たまかき )の 内国 ( うちつくに )ともいへり。 又 扶桑 ( ふさう )国と云名もあるか。 「東海の中に扶桑の木あり。 日の 出所 ( いづるところ )なり。 」とみえたり。 日本も東にあれば、よそへていへるか。 此国に 彼 ( かの )木ありと云事きこえねば、たしかなる名にはあらざるべし。 凡 ( およそ ) 内典 ( ないてん )の 説 ( せつ )に 須弥 ( しゆみ )と云山あり。 此山をめぐりて 七 ( ななつ )の 金山 ( こんせん )あり。 其中間は皆 香水海 ( かうすゐかい )なり。 金山の 外 ( そと )に 四大海 ( しだいかい )あり。 此海中に四大州あり。 州ごとに又 二 ( ふたつ )の 中州 ( ちゆうしう )あり。 南州をば 贍部 ( せんぶ )と云 〈又 閻浮提 ( えんぶだいと ) 云 ( い )ふ。 同 ( おなじ )ことばの 転 ( てん )也〉。 是は 樹 ( うゑき )の名なり。 南州の中心に 阿耨達 ( あのくたつ )と云山あり。 山頂 ( やまのいただき )に池あり 〈阿耨達こゝには 無熱 ( ぶねつ )と 云 ( い )ふ。 外書 ( げしよ )に 崑崘 ( こんろん )といへるは即この山なり〉。 池の 傍 ( かたはら )に 此 ( この )樹あり。 迊 ( めぐり )七 由旬 ( ゆじゆん ) 高 ( たかさ )百由旬なり 〈一由旬とは四十里也。 六尺を 一歩 ( いちぶ )とす。 三百六十歩を一 里 ( り )とす。 この里をもちて由旬をはかるべし〉。 此樹、州の中心にありて最も高し。 よりて州の名とす。 阿耨達 ( あのくたつ )山の南は 大雪山 ( だいせつせん )、北は 葱嶺 ( そうれい )なり。 葱嶺の北は 胡国 ( ここく )、雪山の南は 五天竺 ( ごてんぢく )、東北によりては 震旦 ( しんだん )国、西北にあたりては 波斯 ( はし )国也。 此 贍部 ( せんぶ )州は 縱横 ( じうわう )七千由旬、里をもちてかぞふれば二十八万里。 東海より西海にいたるまで九万里。 南海より北海にいたるまで又九万里。 天竺は 正中 ( たゞなか )によれり。 よ[つ]て贍部の 中国 ( ちゆうごく )とす也。 地のめぐり又九万里。 震旦ひろしと云へども五天にならぶれば 一辺 ( いちへん )の小国なり。 日本は 彼土 ( かのど )をはなれて海中にあり。 北嶺 ( ほくれい )の 伝教大師 ( でんげうだいし )、 南都 ( なんと )の 護命僧正 ( ごみやうそうじやう )は 中州 ( ちゆうしう )也としるされたり。 しからば南州と東州との 中 ( なか )なる 遮摩羅 ( しやもら )と云州なるべきにや。 華厳経 ( けごんきやう )に「東北の海中に山あり。 金剛山 ( こんがうせん )と 云 ( い )ふ。 」とあるは 大倭 ( やまと )の金剛山の事也とぞ。 されば此国は天竺よりも震旦よりも東北の大海の中にあり。 別州にして 神明 ( しんめい )の皇統を 伝 ( つた )へ給へる国也。 同 ( おなじ )世界の中なれば、天地開闢の初はいづくもかはるべきならねど、三国の説 各 ( おのおの )ことなり。 天竺の説には、世の始りを 劫初 ( こふしよ )と云ふ 〈 劫 ( こう )に 成 ( じやう )・ 住 ( ぢゆう )・ 壊 ( え )・ 空 ( くう )の 四 ( よつ )あり。 各二十の増減あり。 一増一減を一小劫と 云 ( い )ふ。 二十の増減を一中劫と 云 ( い )ふ。 四十劫を 合 ( あはせ )て一大劫と云〉。 光音 ( くわうおん )と 云 ( い )ふ 天衆 ( てんじゆ )、空中に 金色 ( こんじき )の雲をおこし、 梵天 ( ぼんてん )に 偏布 ( へんぷ )す。 即 ( すなはち ) 大雨 ( だいう )をふらす。 風輪 ( ふうりん )の上につもりて 水輪 ( すゐりん )となる。 増長 ( ぞうちやう )して天上にいたれり。 又大風ありて 沫 ( あわ )を 吹立 ( ふきたて )て空中になげおく。 即大梵天の宮殿となる。 其水次第に 退下 ( たいげし )て 欲 ( よく )界の諸宮殿 乃至 ( ないし )須弥山・四大州・ 鉄囲山 ( てちゐせん )をなす。 かくて万億の世界同時になる。 是を 成劫 ( じやうこふ )と云也 〈此万億の世界を三千大千世界といふなり〉。 光音の天衆 下生 ( げしやう )して次第に住す。 是を 住劫 ( ぢゆうこふ )と 云 ( い )ふ。 此住劫の間に二十の増減あるべしとぞ。 其初には人の身 光明 ( くわうみやう )とほく照して 飛行自在 ( ひぎやうじざい )也。 歓喜 ( くわんぎ )を 以 ( もちて ) 食 ( じき )とす。 男女 ( なんによ )の 相 ( さう )なし。 後に地より 甘泉 ( かんせん ) 涌出 ( ゆしゆつ )す。 味 ( あぢはひ ) 酥密 ( そみつ )のごとし 〈或は 地味 ( ちみ )とも云〉。 これをなめて 味着 ( みちやく )を生ず。 仍 ( よりて ) 神通 ( じんづう )を失ひ、 光明 ( くわうみやう )もきえて、 世間 ( せけん ) 大 ( おほき )にくらくなる。 衆生 ( しゆじやう )の 報 ( むくい )しからしめければ、黒風海を 吹 ( ふき )て 日 ( にち )・ 月 ( ぐわち )二輪を 漂出 ( へうしゆつ )す。 須弥の半腹におきて四 天下 ( てんげ )を照さしむ。 是より始て 昼夜 ( ちうや )・ 晦朔 ( くわいさく )・ 春秋 ( しゆんじう )あり。 地味に 耽 ( ふけり )しより 顔色 ( がんしよく )もかじけおとろへき。 地味又うせて 林藤 ( りんどう )と云物あり 〈或は地皮とも云〉。 衆生又 食 ( じき )とす。 林藤又うせて 自然 ( じねん )の 秔稲 ( かうたう )あり。 諸 ( もろもろ )の 美味 ( びみ )をそなへたり。 朝 ( あした )にかれば 夕 ( ゆふべ )に 熟 ( じゆく )す。 此 稲米 ( たうまい )を 食 ( じき )せしによりて、身に 残穢 ( ざんえ )いできぬ。 此故に始て 二道 ( にだう )あり。 男女の相 各 ( おのおの )別にして、つひに 婬欲 ( いんよく )のわざをなす。 夫婦 ( ふうふ )となづけ 舎宅 ( しやたく )を 構 ( かまへ )て、共に 住 ( すみ )き。 光音の諸天、 後 ( のち )に 下生 ( げしやう )する者 女人 ( によにん )の 胎中 ( たいちゆう )にいりて 胎生 ( たいしやう )の衆生となる。 其後 ( そののち )秔稲 生 ( しやう )ぜず。 衆生うれへなげきて、 各 ( おのおの ) 境 ( さかひ )をわかち、 田種 ( でんしゆ )を 施 ( ほどこ )しうゑて食とす。 他人の田種をさへうばひぬすむ者 出来 ( いでき )て互にうちあらそふ。 是を決する人なかりしかば、衆 共 ( とも )にはからひて 一人 ( ひとり )の 平等王 ( びやうどうわう )を 立 ( たて )、 名 ( なづけ )て 刹帝利 ( せつていり )と云 〈 田主 ( でんしゆ )と云心なり〉。 其始の王を民主王と号しき。 十 善 ( ぜん )の 正法 ( しやうぼふ )をおこなひて国ををさめしかば、 人民 ( にんみん )是を 敬愛 ( きやうあい )す。 閻浮提の 天下 ( てんげ )、 豊楽安穏 ( ぶらくあんをん )にして 病患 ( びやうげん )及び大寒熱あることなし。 寿命 ( じゆみやう )も 極 ( きはめ )て 久 ( ひさしく ) 无量歳 ( むりやうざい )なりき。 民主の子孫相続して久く君たりしが、 漸 ( やうやく )正法も 衰 ( おとろへ )しより寿命も 減 ( げん )じて八万四千歳にいたる。 身のたけ 八丈 ( はちぢやう )なり。 其 間 ( あひだ )に王ありて 転輪 ( てんりん )の 果報 ( くわはう )を 具足 ( ぐそく )せり。 先 ( ま )づ天より 金輪宝 ( こんりんほう ) 飛降 ( とびくだり )て王の前に現在す。 王 出 ( い )で 給 ( たまふ )ことあれば、此 輪 ( りん )、 転行 ( てんぎやう )してもろ 〳 〵の 小王 ( せうわう )みなむかへて拝す。 あへて 違 ( たがふ )者なし。 即 ( すなはち )四大州に 主 ( あるじ )たり。 又 象 ( ざう )・ 馬 ( め )・ 珠 ( しゆ )・ 玉女 ( ぎよくによ )・ 居士 ( こじ )・ 主兵 ( しゆひやう )等の 宝 ( たから )あり。 此七宝 成就 ( じやうじゆ )するを金輪王となづく。 次々 ( つぎつぎ )に 銀 ( ごん )・ 銅 ( どう )・ 鉄 ( てち )の転輪王あり。 福力不同 ( ふくりきふどう )によりて果報も次第に 劣 ( おと )れる也。 寿量 ( じゆりやう )も百年に一年を減じ、身のたけも同く一尺を 減 ( げんじ )てけり。 百二十歳にあたれりし時、 釈迦仏 ( しやかぶつ ) 出 ( い )で 給 ( たまふ ) 〈或は百才[の]時とも 云 ( い )ふ。 是よりさきに 三仏 ( さんぶつ ) 出 ( い )で 給 ( たまひ )き〉。 十歳に至らん 比 ( ころ )ほひに小三 災 ( さい )と云ことあるべし。 人種 ( じんしゆ )ほと 〳 〵 尽 ( つき )てたゞ一万人をあます。 その 人 ( ひと )善を 行 ( おこなひ )て、又寿命も増し、果報もすゝみて二万歳にいたらん時、鉄輪王 出 ( いで )て 南 ( なん )一州を領すべし。 四万歳の時、銅輪王出て東・南二州を領す。 六万歳の時、 銀輪 ( ごんりん )王出て東・西・南三州を領し、八万四千歳の時金輪王出て四天下を 統 ( とう )領す。 其 報 ( むくい ) 上 ( かみ )に 云 ( いへ )るが如し。 かの時又 減 ( げん )にむかひて 弥勒仏 ( みろくぶつ ) 出 ( いで )給べし 〈八万才の時とも云〉。 此後十八けの減増あるべし。 かくて大火災と云ことおこりて、 色界 ( しきかい )の 初禅梵天 ( しよぜんぼんてん )までやけぬ。 三千大千世界同時に 滅尽 ( めつじん )する、これを 壊劫 ( ゑこふ )と 云 ( い )ふ。 かくて世界 虚空黒穴 ( こくうこくけつ )のごとくなるを空劫と 云 ( い )ふ。 かくの 如 ( ごとく )すること七けの火災をへて大水災あり。 このたびは第二禅まで 壊 ( ゑ )す。 七々の火・七々の水災をへて大風災ありて第三禅まで壊す。 是を大の三災と云也。 第四禅 已上 ( いじやう )は 内外 ( ないげ )の 過患 ( くわげん )あることなし。 此四禅の 中 ( なか )に五天あり。 四 ( よつ )は 凡夫 ( ぼんふ )の住所、 一 ( ひとつ )は 浄居天 ( じやうごてん )とて 証果 ( しようくわ )の 聖者 ( しやうじや )の 住処 ( ぢゆうしよ )也。 此浄居をすぎて 摩醯首羅 ( まけいしゆら )天王の宮殿あり 〈 大自在天 ( だいじざいてん )とも云〉。 色界 ( しきかい )の 最頂 ( さいちやう )に 居 ( きよ )して大千世界を統領す。 其天のひろさ 彼 ( かの )世界にわたれり 〈 下天 ( げてん )も広狭に 不同 ( ふどう )あり。 初禅の梵天は 一四 ( いちし )天下のひろさなり〉。 此上に無色界の天あり。 又四地をわかてりといへり。 此等の天は小大の 災 ( さい )にあはずと 云 ( いへ )ども、 業力 ( ごふりき )に際限ありて 報 ( はう ) 尽 ( つき )なば、 退没 ( たいもつ )すべしと見えたり。 震旦はことに 書契 ( しよけい )をことゝする国なれども、世界 建立 ( こんりふ )を 云 ( いへ )る事たしかならず。 儒書には 伏犠 ( ふくき )氏と 云 ( い )ふ王よりあなたをば 云 ( いは )ず。 但 ( ただし )異書の説に、 混沌未分 ( こんとんみぶん )のかたち、天・地・人の 初 ( はじめ )を云るは、 神代 ( かみよ )の 起 ( おこり )に相似たり。 或は又 盤古 ( ばんこ )と云王あり。 「目は 日月 ( じつげつ )となり、毛髪は 草木 ( さうもく )となる。 」と云る事もあり。 それよりしもつかた、 天皇 ( てんくわう )・地皇・人皇・ 五龍 ( ごりよう )等の 諸 ( もろもろの )氏うちつゞきて多くの王あり。 其間 数 ( す )万歳をへたりと 云 ( い )ふ。 我朝の初は 天神 ( あまつかみ )の 種 ( しゆ )をうけて世界を建立するすがたは、天竺の説に似たる方もあるにや。 されどこれは 天祖 ( あまつみおや )より 以来 ( このかた ) 継体 ( けいたい )たがはずして、たゞ一種ましますこと天竺にも其 類 ( たぐひ )なし。 彼 ( かの )国の初の民主王も衆のためにえらびたてられしより相続せり。 又世くだりては、その 種姓 ( しゆしやう )もおほくほろぼされて、 勢力 ( せいりき )あれば、下劣の種も国主となり、あまさへ五天竺を統領するやからも有き。 震旦又ことさらみだりがはしき国なり。 昔世すなほに道ただしかりし時も、賢をえらびてさづくるあとありしにより、一種をさだむる事なし。 乱世になるまゝに、 力 ( ちから )をもちて国をあらそふ。 かゝれば民間より出でゝ位に居たるもあり。 戎狄 ( じゆうてき )より 起 ( おこり )て国を 奪 ( うば )へるもあり。 或は 累 ( るい )世の臣として其君をしのぎ、つひに 譲 ( ゆづり )をえたるもあり。 伏犠氏の後、天子の 氏姓 ( ししやう )をかへたる事三十六。 乱 ( みだれ )のはなはだしさ、云にたらざる 者哉 ( ものをや )。 唯 ( ただ )我国のみ 天地 ( あめつち )ひらけし初より今の世の 今日 ( こんにち )に 至 ( いたる )まで、 日嗣 ( ひつぎ )をうけ給ことよこしまならず。 一種姓 ( いちしゆしやう )の中におきてもおのづから 傍 ( かたはら )より 伝 ( つた )へ給しすら猶 正 ( せい )にかへる道ありてぞたもちまし 〳 〵ける。 是しかしながら神明の御誓あらたにして余国にことなるべきいはれなり。 抑 ( そもそも )、神道のことはたやすくあらはさずと云ことあれば、根元をしらざれば 猥 ( みだりがは )しき始ともなりぬべし。 其つひえをすくはんために 聊 ( いさゝか ) 勒 ( ろく )し侍り。 神代より 正理 ( しやうり )にてうけ伝へるいはれを 述 ( のべむ )ことを 志 ( こころざし )て、常に 聞 ( きこ )ゆる事をばのせず。 しかれば 神皇 ( じんわう )の 正統記 ( しやうとうき )とや 名 ( なづ )け 侍 ( はべる )べき。 夫 ( それ ) 天地 ( あめつち ) 未 ( いまだ ) 分 ( わかれ )ざりし時、 混沌 ( こんとん )として、まろがれること 鷄子 ( とりのこ )の如し。 くゝもりて 牙 ( きざしを )ふくめりき。 これ 陰陽 ( いんやう )の 元初 ( げんしよ )未分の 一気 ( いちき )也。 其気始てわかれてきよくあきらかなるは、たなびきて 天 ( あめ )と成り、おもくにごれるはつゞいて 地 ( つち )となる。 其中より 一物 ( ひとつのもの ) 出 ( いで )たり。 かたち 葦牙 ( あしかび )の如し。 即 ( すなはち ) 化 ( け )して神となりぬ。 国常立 ( くにのとこたちの )尊と申。 又は天の御中主の神とも号し奉つる。 此神に 木 ( もく )・ 火 ( くわ )・ 土 ( ど )・ 金 ( ごん )・ 水 ( すゐ )の 五行 ( ごぎやう )の徳まします。 先 ( まづ )水徳の神にあらはれ給を 国狭槌 ( くにのさつちの )尊と 云 ( い )ふ。 次に火徳の神を 豊斟渟 ( とよくむぬの )尊と 云 ( い )ふ。 天 ( あめ )の 道 ( みち )ひとりなす。 ゆゑに 純男 ( じゆんなん )にてます 〈純男といへどもその相ありともさだめがたし〉。 次 ( つぎに )木徳の神を 泥土 ( うひぢ ) 〈蒲鑒反〉 瓊 ( にの )尊・ 沙土瓊 ( すひぢにの )尊と 云 ( い )ふ。 次 ( つぎに ) 金 ( こん )徳の神を 大戸之道 ( おほとのぢの )尊・ 大苫辺 ( おほとまべの )尊と 云 ( い )ふ。 次に土徳の神を 面足 ( おもたるの )尊・ 惶根 ( かしこね )の尊と 云 ( い )ふ。 天地の道相 交 ( まじはり )て、 各 ( おのおの )陰陽のかたちあり。 しかれどそのふるまひなしと云り。 此諸 ( もろもろの ) 神 ( かみ ) 実 ( まこと )には国常立の 一 ( ひとはしらの )神にましますなるべし。 五行の徳 各 ( おのおの )神とあらはれ給。 是を六代ともかぞふる也。 二世三世の次第を 立 ( たつ )べきにあらざるにや。 次に 化生 ( けしやう )し給へる神を 伊弉諾 ( いざなぎの )尊・ 伊弉冊 ( いざなみの )尊と申す。 是は 正 ( まさし )く陰陽の 二 ( ふたつ )にわかれて 造化 ( ざうくわ )の 元 ( はじめ )となり給ふ。 上 ( かみ )の五行はひとつづゝの徳也。 此五徳をあはせて万物を生ずるはじめとす。 こゝに 天祖 ( あまつみおや ) 国常立 ( くにのとこたちの )尊、伊弉諾・伊弉冊の 二 ( ふたはしらの )神に 勅 ( みことのり )しての給はく、「豊葦原の千五百秋の瑞穂の 地 ( くに )あり。 汝 ( いまし ) 往 ( ゆき )てしらすべし。 」とて、 即 ( すなはち ) 天瓊矛 ( あまのぬぼこ )をさづけ給。 此矛又は天の 逆戈 ( さかほこ )とも、 天魔返 ( あまのさか )ほこともいへり。 二神このほこをさづかりて、 天 ( あま )の 浮橋 ( うきはし )の上にたゝずみて、矛をさしおろしてかきさぐり給しかば、 滄海 ( あをうなばら )のみありき。 そのほこのさきよりしたゝりおつる 潮 ( しほ )こりて 一 ( ひとつ )の嶋となる。 これを 磤馭盧嶋 ( おのごろじま )と 云 ( い )ふ。 此名に 付 ( つき )て秘説あり。 神代、 梵語 ( ぼんご )にかよへるか。 其 所 ( ところ )もあきらかに 知 ( しる )人なし。 大日本 ( やまと )の国 宝山 ( ほうせん )なりと云 〈 口伝 ( くでん )あり〉。 二神此嶋に 降居 ( くだりまし )て、 即 ( すなはち )国の中の 柱 ( みはしら )をたて、 八尋 ( やひろ )の 殿 ( との )を 化作 ( けさく )してともにすみ給。 さて陰陽 和合 ( わがふ )して夫婦の道あり。 此矛は 伝 ( つたへて )、天孫したがへてあまくだり給へりとも 云 ( い )ふ。 又 垂仁 ( すゐにん )天皇の 御宇 ( ぎよう )に、大和姫の 皇女 ( くわうぢよ )、天照太神の御をしへのまゝに国々をめぐり、 伊勢 ( いせの )国に 宮所 ( みやどころ )をもとめ給し時、 大田 ( おほた )の命と云神まゐりあひて、 五十鈴 ( いすず )の 河上 ( かはかみ )に 霊物 ( れいもつ )をまぼりおける所をしめし 申 ( まをし )しに、かの天の逆矛・ 五十鈴 ( いすず )・ 天宮 ( あめのみや )の 図形 ( づぎやう )ありき。 大和姫の命よろこびて、其所をさだめて、神宮をたてらる。 霊物は五十鈴の宮の 酒殿 ( さかどの )にをさめられきとも、又、 滝祭 ( たきまつり )の神と申は 龍 ( りゆう )神なり、その神あづかりて地中にをさめたりとも 云 ( い )ふ。 一 ( ひとつ )には大和の 龍田 ( たつた )の神はこの滝祭と同体にます、此神のあづかり給へる也、よりて 天柱国柱 ( あめのみはしらくにのみはしら )と 云 ( い )ふ御名ありとも 云 ( い )ふ。 昔磤馭盧嶋に 持 ( もて )くだり給しことはあきらか也。 世に 伝 ( つたふ )と云事はおぼつかなし。 天孫のしたがへ給ならば、神代より 三種 ( さんじゆ )の 神器 ( じんぎ )のごとく 伝 ( つた )へ給べし。 さしはなれて、五十鈴[の]河上に有けんもおぼつかなし。 但 ( ただし )天孫も玉矛 者 ( は )みづからしたがへ 給 ( たまふ )と云事 見 ( みえ )たり 〈 古語拾遺 ( こごしふゐの )説なり〉。 しかれど矛も 大汝 ( おほなむち )の神のたてまつらるゝ、国をたひらげし矛もあれば、いづれと云事をしりがたし。 宝山にとゞまりて不動のしるしとなりけんことや 正説 ( しやうせつ )なるべからん。 龍田 ( たつた )も宝山ちかき所なれば、龍神を 天柱国柱 ( あめのみはしらくにのみはしら )といへるも、 深秘 ( じんぴ )の心あるべきにや 〈凡 神書 ( しんしよ )にさま 〴 〵の異説あり〉。 日本紀 ( にほんぎ )・ 旧事本紀 ( くじほんぎ )・古語拾遺等にのせざらん事は 末学 ( まつがく )の 輩 ( ともがら )ひとへに信用しがたかるべし。 彼 ( かの )書の 中 ( うち )猶一決せざること多し。 況 ( いはんや )異書におきては 正 ( しやう )とすべからず。 かくて、此 二 ( ふたはしらの )神相はからひて 八 ( やつ )の 嶋 ( しま )をうみ給ふ。 先 ( まづ )、 淡路 ( あはぢ )の 州 ( しま )をうみます。 淡路穂之狭別 ( あはぢのほのさわけ )と 云 ( い )ふ。 次 ( つぎに )、 伊与 ( いよ )の 二名 ( ふたな )の 州 ( しま )をうみます。 一身 ( ひとつのみ )に 四面 ( よつのおも )あり。 一 ( ひとつ )を 愛比売 ( えひめ )と云、これは伊与也。 二 ( ふたつ )を 飯依比売 ( いひよりひめ )と云、是は 讚岐 ( さぬき )也。 三 ( みつ )を 大宜都比売 ( おほげつひめ )と云、これは 阿波 ( あは )也。 四 ( よつ )を 速依別 ( はやよりわけ )と云、是は 土左 ( とさ )也。 次 ( つぎに )、 筑紫 ( つくし )の 州 ( しま )をうみます。 又一身に四面あり。 一を 白日 ( しらひ )の 別 ( わけ )と云、是は 筑紫 ( つくし )也。 後に 筑前 ( ちくぜん )・ 筑後 ( ちくご )と 云 ( い )ふ。 二を 豊日別 ( とよひわけ )と云、これは 豊 ( とよ )国也。 後に 豊前 ( ぶぜん )・ 豊後 ( ぶご )と 云 ( い )ふ。 三を 昼日別 ( ひるひわけ )と云、是は 肥 ( ひ )の国也。 後に 肥前 ( ひぜん )・ 肥後 ( ひご )と 云 ( い )ふ。 四を 豊久士比泥別 ( とよくじひねわけ )と云、是は 日向 ( ひむか )也。 後に 日向 ( ひうが )・ 大隅 ( おほすみ )・ 薩摩 ( さつま )と云 〈筑紫・豊国・肥の国・日向といへるも、二神の御代の始の名には 非 ( あらざ )る 歟 ( か )〉。 次 ( つぎに )、 壱岐 ( いき )の国をうみます。 天比登都柱 ( あめひとつはしら )と 云 ( い )ふ。 次 ( つぎに )、 対馬 ( つしま )の 州 ( しま )をうみます。 天之狭手依比売 ( あまのさてよりひめ )と 云 ( い )ふ。 次 ( つぎに )、 隠岐 ( おき )の州をうみます。 天之忍許呂別 ( あめのおしころわけ )と 云 ( い )ふ。 次 ( つぎに )、 佐渡 ( さど )の州を 生 ( うみ )ます。 建日別 ( たけひわけ )と 云 ( い )ふ。 次 ( つぎに )、 大日本豊秋津州 ( おほやまととよあきづしま )をうみます。 天御虚空豊秋津根別 ( あめのみそらとよあきづねわけ )と 云 ( い )ふ。 すべて是を 大八州 ( おほやしま )と云也。 此外あまたの嶋を 生 ( うみ )給。 後に 海山 ( うみやま )の神、木のおや、草のおやまで 悉 ( ことごとく )うみましてけり。 何 ( いづ )れも神にませば、 生 ( うみ )給へる神の 州 ( しま )をも山をもつくり給へるか。 はた 州山 ( しまやま )を 生給 ( うみたまふ )に神のあらはれましけるか、 神世 ( かみよ )のわざなれば、まことに 難測 ( はかりがたし )。 二 ( ふたはしらの )神又はからひてのたまはく、「我すでに大八州の国および山川草木をうめり。 いかでかあめの下のきみたるものをうまざらむや。 」とてまづ 日神 ( ひのかみ )を 生 ( うみ )ます。 此みこひかりうるはしくして国の 内 ( うち )にてりとほる。 二神よろこびて 天 ( あめ )におくりあげて、天上の事をさづけ給。 此時天地あひさることとほからず。 天のみはしらをもてあげ給。 これを 大日孁 ( おほひるめ )の尊と 申 ( まをす ) 〈 孁 ( れいの )字は霊と通ずべきなり。 陰気を霊と云とも云へり。 女神 ( めがみ )にましませば 自 ( おのづか )ら 相叶 ( あひかなふ )にや〉。 又天照太神とも 申 ( まをす )。 女神にてまします也。 次 ( つぎに )、 月神 ( つきのかみ )を 生 ( うみ )ます。 其光日につげり。 天 ( あめ )にのぼせて 夜 ( よる )の 政 ( まつりこと )をさづけ給。 次 ( つぎ )に、 蛭子 ( ひるこ )を生ます。 みとせになるまで 脚 ( あし )たゝず。 天 ( あめ )の 磐樟 ( いはくす )船にのせて風のまゝはなちすつ。 次 ( つぎに )、 素戔烏 ( すさのをの )尊を 生 ( うみ )ます。 いさみたけく 不忍 ( いぶり )にして 父母 ( かぞいろ )の御心にかなはず。 「 根 ( ね )の国にいね。 」との給ふ。 この 三柱 ( みはしら )は 男神 ( をがみ )にてまします。 よりて 一女三男 ( いちによさんなん )と申也。 すべてあらゆる神みな二神の 所生 ( しよしやう )にましませど、国の 主 ( あるじ )たるべしとて 生 ( うみ )給しかば、ことさらに此 四 ( よはしらの )神を申伝けるにこそ。 其後 火神 ( ひのかみ ) 軻倶突智 ( かくつち )を 生 ( うみ )まし 〳 〵し時、 陰神 ( めがみ )やかれて 神退 ( かんさり )給にき。 陽神 ( をがみ )うらみいかりて、火神を 三段 ( みきだ )にきる。 その三段おの 〳 〵神となる。 血のしたゝりもそゝいで神となれり。 経津主 ( ふつぬし )の神 〈 斎主 ( いはひぬし )の神とも申。 今の 檝取 ( かとり )の神〉 健甕槌 ( たけみかづちの )神 〈 武雷 ( たけみかづち )の神とも申。 今の 鹿嶋 ( かしま )の神〉の 祖 ( みおや )也。 陽神猶したひて 黄泉 ( よみのくに )までおはしましてさまざまのちかひありき。 陰神うらみて「此国の人を 一日 ( ひとひ )に 千頭 ( ちがしら )ころすべし。 」との給ければ、陽神は「 千五百頭 ( ちいほがしら )を 生 ( うむ )べし。 」との給けり。 よりて 百姓 ( ひやくしやう )をば 天 ( あめ )の 益人 ( ますびと )とも 云 ( い )ふ。 死 ( しぬ )るものよりも生ずるものおほき也。 陽神かへり給て、 日向 ( ひむか )の 小戸 ( をど )の 河檍 ( かはあはぎ )が原と云所にてみそぎし給。 この時あまたの神 化生 ( けしやう )し玉へり。 日月 ( ひつきの )神もこゝにて 生給 ( うまれたまふ )と云説あり。 伊弉諾尊 神功 ( かむこと )すでにをはりければ、天上にのぼり、天祖に 報命 ( かへりごと )申て、 即 ( すなはち )天にとゞまり給けりとぞ。 或 ( ある )説に伊弉諾・伊弉冊は 梵語 ( ぼんご )なり、 伊舎那天 ( いしやなてん )・ 伊舎那后 ( いしやなくう )なりと 云 ( い )ふ。 是を 天照太神 ( あまてらすおほみかみ )と申。 又は 日神 ( ひのかみ )とも 皇祖 ( すめみおや )とも申也。 此神の 生 ( うまれ )給こと 三 ( みつ )の説あり。 一 ( ひとつ )には伊弉諾・伊弉冊尊あひ 計 ( はからひ )て、 天下 ( あめのした )の 主 ( あるじ )をうまざらんやとて、 先 ( まづ )、日神をうみ、次に、 月神 ( つきのかみ )、 次 ( つぎに )、 蛭子 ( ひるこ )、 次 ( つぎに )、素戔烏尊を 生 ( うみ )給といへり。 又は伊弉諾の尊、 左 ( ひだりの )御手に 白銅 ( ますみ )の鏡をとりて大日孁の尊を 化生 ( けしやう )し、 右 ( みぎの )御手にとりて 月弓 ( つきゆみ )の尊を 生 ( うみ )、 御首 ( みかうべ )をめぐらしてかへりみ給しあひだに、素戔烏尊を 生 ( うむ )ともいへり。 又伊弉諾尊日向の小戸の川にてみそぎし給し時、左の 御眼 ( みめ )をあらひて天照太神を化生し、右の御眼をあらひて 月読 ( つきよみ )の尊を 生 ( しやうじ )、 御 ( み )鼻を 洗 ( あらひ )て素戔烏尊を 生 ( しやう )じ給とも云ふ。 日月 ( ひつきの )神の 御名 ( みな )も 三 ( みつ )あり、化生の所も 三 ( みつ )あれば、 凡慮 ( ぼんりよ )はかりがたし。 又おはします所も、 一 ( ひとつ )には 高天 ( たかま )の原と 云 ( いひ )、 二 ( ふたつ )には日の 小宮 ( わかみや )と 云 ( いひ )、 三 ( みつ )には 我日本 ( わがやまとの )国これ也。 八咫 ( やた )の御鏡をとらせまし 〳 〵て、「われをみるが如くにせよ。 」と 勅 ( みことのり )し給けること、 和光 ( わくわう )の御誓もあらはれて、ことさらに 深 ( ふかき )道あるべければ、 三所 ( みところ )に勝劣の義をば存ずべからざるにや。 爰 ( ここに )、素戔烏尊、 父母 ( かぞいろ ) 二 ( ふたはしらの )神にやらはれて 根 ( ねの )国にくだり給へりしが、天上にまうでゝ姉の尊にみえたてまつりて、「ひたぶるにいなん。 」と申給ければ、「ゆるしつ。 」との給。 よりて天上にのぼります。 大うみとゞろき、山をかなりほえき。 此神の 性 ( さが )たけきがしからしむるになむ。 天照太神おどろきまし 〳 〵て、 兵 ( つはもの )のそなへをして 待 ( まち )給。 かの尊 黒 ( きたなき )心なきよしをおこたり給ふ。 「さらば 誓約 ( うけひ )をなして、きよきか、きたなきかをしるべし。 誓約の 中 ( なか )に女を生ぜば、きたなき心なるべし。 男を生ぜば、きよき心ならん。 」とて、素戔烏尊のたてまつられける 八坂瓊 ( やさかに )の玉をとり給へりしかば、其玉に感じて 男神 ( をがみ )化生し給。 すさのをの尊 悦 ( よろこび )て、「まさやあれかちぬ。 」との給ける。 よりて御名を 正哉吾勝々 ( まさやあかつかつ )の 速日天 ( はやひあめ )の 忍穂耳 ( おしほみみ )の尊と申 〈これは古語拾遺の説〉。 又の説には、素戔烏尊、天照太神の御くびにかけ給へる 御統 ( みすまる )の 瓊玉 ( にのたま )をこひとりて、 天 ( あめ )の 真名井 ( まなゐ )にふりすゝぎ、これをかみ給しかば、 先 ( まづ ) 吾勝 ( あかつ )の尊うまれまします。 其後猶四はしらの男神 生 ( うまれ )給。 「物のさねわが物なれば我子なり。 」とて天照太神の御子になし給といへり 〈これは日本紀の一説〉。 此 ( この )吾勝尊をば太神めぐしとおぼして、つねに御わきもとにすゑ給しかば、 腋子 ( わきこ )と 云 ( い )ふ。 今の世にをさなき子をわかこと云はひが事也。 かくて、すさのをの尊なほ天上にましけるが、さま 〴 〵のとがをゝかし給き。 天照太神いかりて、天の 石窟 ( いはや )にこもり給。 国のうちとこやみになりて、昼夜のわきまへなかりき。 もろ 〳 〵の神達うれへなげき給。 其時 諸神 ( しよじん )の 上首 ( じやうしゆ )にて 高皇産霊 ( たかみむすひの )尊と 云 ( い )ふ神まし 〳 〵き。 昔、 天御中主 ( あめのみなかぬし )の尊、みはしらの御子おはします。 長 ( をさ )を高皇産霊とも 云 ( いひ )、次をば 神皇産霊 ( かみむすひ )、次を 津速産霊 ( つはやむすひ )と云とみえたり。 陰陽二神 ( いんやうにじん )こそはじめて諸神を 生 ( しやう )じ給しに、 直 ( ぢき )に 天御中主 ( あめのみなかぬし )の御子と云ことおぼつかなし。 〈此みはしらを天御中主の御こと云事は日本紀にはみえず。 古語拾遺にあり〉。 此神、 天 ( あめ )のやすかはのほとりにして、 八百万 ( やほよろづ )の神をつどへて相 議 ( ぎ )し給。 其御子に 思兼 ( おもひかね )と云神のたばかりにより、 石凝姥 ( いしこりどめ )と云神をして日神の 御形 ( みかたち )の鏡を鋳せしむ。 そのはじめなりたりし鏡、諸神の心にあはず 〈 紀伊 ( きの )国 日前 ( ひのくま )の神にます〉。 次に鋳給へる鏡うるはしくまし 〳 〵ければ、諸神 悦 ( よろこび )あがめ給 〈初は皇居にまし 〳 〵き。 今は伊勢国の五十鈴の宮にいつかれ 給 ( たまふ )、これなり〉。 又天の 明玉 ( あかるたま )の神をして、八坂瓊の玉をつくらしめ、天の 日鷲 ( ひわし )の神をして、 青幣白幣 ( あをにぎてしらにぎて )をつくらしめ、 手置帆負 ( たをきほをい )・ 彦狭知 ( ひこさしり )の二神をして、 大峡小峡 ( おほかいをかひ )の 材 ( き )をきりて 瑞 ( みづ )の 殿 ( みやらか )をつくらしむ 〈このほかくさ 〴 〵あれどしるさず〉。 其物すでにそなはりにしかば、天の 香 ( かご )山の 五百箇 ( いほつ )の 真賢木 ( まさかき )をねこじにして、 上枝 ( かみつえ )には八坂瓊の玉をとりかけ、 中枝 ( なかつえ )には八咫の鏡をとりかけ、 下枝 ( しもつえ )には青和幣・白和幣をとりかけ、天の太玉の命 〈高皇産霊神の子なり〉をしてさゝげもたらしむ。 天の 児屋 ( こやね )の命 〈津速産霊の子、或は孫とも。 興台産霊 ( こことむすひ )の神の子也〉をして 祈祷 ( きたう )せしむ。 天の 鈿目 ( うずめ )の命、 真辟 ( まさき )の 葛 ( かづら )をかづらにし、 蘿葛 ( ひかげのかづら )を 手襁 ( たすき )にし、竹の葉、 飫憇木 ( おけのき )の葉を 手草 ( たぐさ )にし、 差鐸 ( さなぎ )の矛をもちて、 石窟 ( いはや )の前にして 俳優 ( わざをぎ )をして、相ともにうたひまふ。 又 庭燎 ( にはひ )をあきらかにし、 常世 ( とこよ )の 長鳴鳥 ( ながなきどり )をつどへて、たがひにながなきせしむ 〈これはみな 神楽 ( かぐら )の 起 ( おこり )なり〉。 天照太神きこしめして、われこのごろ石窟にかくれをり。 葦原 ( あしはら )の 中国 ( なかつくに )はとこやみならん。 いか[ん]ぞ、天の鈿女の命かくゑらぐするやとおぼして、御手をもてほそめにあけてみ給。 この時に、 天手力雄 ( あめのたぢからを )の命と云神 〈思兼の神の子〉 磐戸 ( いはと )のわきに 立 ( たち )給しが、其戸をひきあけて 新殿 ( にひどの )にうつしたてまつる。 中臣 ( なかとみ )の神 〈天児屋命なり〉 忌部 ( いむべ )の神 〈天の太玉の命也〉しりくへなはを 〈日本紀には端出之縄とかけり。 注には 左 ( ひだり )縄の 端 ( はし ) 出 ( いだ )せると 云 ( い )ふ。 古語拾遺には 日御縄 ( ひのみなは )とかく。 これ 日影 ( ひかげ )の 像 ( かたち )なりといふ〉ひきめぐらして「なかへりましそ。 」と申。 上天 ( しやうてん )はじめてはれて、もろ 〳 〵ともに 相見 ( あひみる )。 面 ( おもて )みなあきらかにしろし。 手をのべて 哥舞 ( うたひまひ )て、「あはれ 〈天のあきらかなるなり〉。 あな、おもしろ 〈古語に 甚 ( いと ) 切 ( せつ )なるをみなあなと 云 ( い )ふ。 面白 ( おもしろ )、もろ 〳 〵のおもて 明 ( あきらか )に白き也〉。 あな、たのし。 あな、さやけ 〈竹のはのこゑ〉。 おけ 〈木の名也。 其 ( その )はをふるこゑ也。 天の鈿目の持給へる手草也〉。 」かくて、つみを素戔烏の尊によせて、おほするに 千座 ( ちくら )の 置戸 ( をきど )をもて 首 ( かうべ )のかみ、手足のつめをぬきてあがはしめ、其罪をはらひて神やらひにやらはれき。 かの尊 天 ( あめ )よりくだりて、 出雲 ( いづも )の 簸 ( ひ )の 川上 ( かはかみ )と云所にいたり給。 其所 ( そのところ )に 一 ( ひとり )のおきなとうばとあり。 一 ( ひとり )のをとめをすゑてかきなでつゝなきけり。 素戔烏尊「たそ。 」とゝひ給ふ。 「われはこれ 国神 ( くにつかみ )也。 脚摩乳 ( あしなつち )・ 手摩乳 ( たなつち )と 云 ( い )ふ。 このをとめはわが子なり。 奇稲田姫 ( くしいなだひめ )と 云 ( い )ふ。 さきに八けの 少女 ( をとめ )あり。 としごとに 八岐 ( やまた )の 大蛇 ( をろち )のためにのまれき。 今此をとめ又のまれなんとす。 」と申ければ、尊、「我にくれんや。 」との給。 「 勅 ( みことのり )のまゝにたてまつる。 」と申ければ、此をとめを 湯津 ( ゆつ )のつまぐしにとりなし、みづらにさし、やしほをりの酒を 八 ( やつ )の 槽 ( ふね )にもりて 待 ( まち )給に、はたしてかの大蛇きたれり。 頭 ( かしら )おの 〳 〵 一 ( ひとつの )槽に 入 ( いれ )てのみゑひてねぶりけるを、尊はかせる 十握 ( とつか )の 剣 ( つるぎ )をぬきてつだ 〳 〵にきりつ。 尾にいたりて剣の 刃 ( は )すこしかけぬ。 さきてみ給へば 一 ( ひとつ )の剣あり。 その上に 雲気 ( うんき )ありければ、天の 叢雲 ( むらくも )の剣と 名 ( なづ )く 〈 日本武 ( やまとたけ )の尊にいたりてあらためて草なぎの剣と 云 ( い )ふ。 それより 熱田社 ( あつたのやしろ )にます〉。 「これあやしき 剣 ( つるぎ )なり。 われ、なぞ、あへて私におけらんや。 」との給て、天照太神にたてまつり 上 ( あげ )られにけり。 其のち出雲の 清 ( すが )の地にいたり、宮をたてゝ、稲田姫とすみ給。 大己貴 ( あなむち )の神を 〈 大汝 ( おほなむち )とも云〉うましめて、素戔烏尊はつひに根の国にいでましぬ。 大汝の神、此国にとゞまりて 〈今の出雲の大神にます〉 天下 ( あめのした )を 経営 ( けいえい )し、 葦原 ( あしはら )の地を 領 ( りやうじ )給けり。 よりてこれを大国主の神とも 大物主 ( おほものぬし )とも申。 その 幸魂奇 ( さきたまくし )魂は大和の 三輪 ( みわ )の神にます。 高皇産霊の尊の 女 ( むすめ ) 栲幡千々姫 ( たくはたちぢひめ )の命にあひて、 饒速日 ( にぎはやひの )尊・ 瓊々杵 ( ににぎの )尊をうましめ 給 ( たまひ )て、吾勝尊 葦原中州 ( あしはらのなかつくに )にくだりますべかりしを、御子うみ給しかば、「かれを下すべし。 」と申給て、天上にとゞまります。 まづ、饒速日の尊をくだし給し時、 外祖 ( ぐわいそ )高皇産霊尊、 十種 ( とくさ )の 瑞宝 ( みづたから )を 授 ( さづけ )給。 瀛都 ( をきつの )鏡 一 ( ひとつ )、 辺津 ( へつ )鏡一、 八握 ( やつかの )剣一、 生玉 ( いくたま )一、 死反 ( しにかへりの )玉一、 足玉 ( たるたま )一、 道反 ( みちがへしの )玉一、 蛇比礼 ( へみのひれ )一、 蜂 ( はちの )比礼一、 品 ( くさぐさ )の 物 ( ものの )比礼一、これなり。 此みことはやく神さり給にけり。 凡 ( およそ )国の 主 ( あるじ )とてはくだし給はざりしにや。 吾勝尊くだり 給 ( たまふ )べかりし時、天照太神 三種 ( さんじゆ )の 神器 ( じんぎ )を 伝 ( つた )へ給。 のちに又瓊々杵尊にも 授 ( さづけ )まし 〳 〵しに、饒速日尊はこれをえ給はず。 しかれば日嗣の神にはましまさぬなるべし 〈此事旧事本紀の説也。 日本紀にはみえず〉。 天照太神・吾勝尊は天上に 止 ( とどま )り給へど、 地神 ( ちじん )の第一、二にかぞへたてまつる。 其 始 ( はじめ ) 天下 ( あめのした )の 主 ( あるじ )たるべしとてうまれ給しゆゑにや。 天孫 ( あめみま )とも 皇孫 ( すめみま )とも申。 皇祖 ( すめみおや )天照太神・高皇産霊尊いつきめぐみまし 〳 〵き。 葦原の中州の 主 ( あるじ )として 天降 ( あまくだし )給はんとす。 こゝに其国 邪神 ( あしきかみ )あれてたやすく 下 ( くだり )給ことかたかりければ、 天稚彦 ( あめわかひこ )と云神をくだしてみせしめ給しに、 大汝 ( おほなむち )の神の 女 ( むすめ )、 下照姫 ( したてるひめ )にとつぎて、 返 ( かへり )こと申さず。 みとせになりぬ。 よりて名なし 雉 ( きぎし )をつかはしてみせられしを、天稚彦いころしつ。 其矢天上にのぼりて太神の御まへにあり。 血にぬれたりければ、あやめ給て、なげくだされしに、天稚彦 新嘗 ( にひなめし )てふせりけるむねにあたりて死す。 世に返し矢をいむは此故也。 さらに又くださるべき神をえらばれし時、 経津主 ( ふつぬし )の命 〈 檝取 ( かとりの )神にます〉 武甕槌 ( たけみかづち )の神 〈 鹿嶋 ( かしま )の神にます〉みことのりをうけてくだりましけり。 出雲 ( いづもの )国にいたり、はかせる剣をぬきて、地につきたて、其上にゐて、大汝の神に太神の 勅 ( みことのり )をつげしらしむ。 その子 都波八重事代主 ( つみはやへことしろぬしの )神 〈今 葛木 ( かづらき )の 鴨 ( かも )にます〉あひともに 従 ( したがい )申。 又次の子 健御名方刀美 ( たけみなかたとみ )の神 〈今 陬方 ( すは )の神にます〉したがはずして、にげ給しを、すはの 湖 ( みづうみ )までおひてせめられしかば、又したがひぬ。 かくてもろ 〳 〵の 悪 ( あしき )神をばつみなへ、まつろへるをばほめて、天上にのぼりて 返 ( かへり )こと申給。 大物主の神 〈大汝の神は此国をさり、やがてかくれ給と見ゆ。 この大物主はさきに云所の三輪の神にますなるべし〉事代主の神、相共に 八十万 ( やそよろづ )の神をひきゐて、 天 ( あめ )にまうづ。 太神ことにほめ給き。 「 宜 ( よろしく )八十万の神を 領 ( りやうじ )て皇孫をまぼりまつれ。 」とて、 先 ( まづ )かへしくだし給けり。 其後、天照太神、高皇産霊尊相 計 ( はからひ )て皇孫をくだし給。 八百万 ( やほよろづ )の神、 勅 ( みことのり )を 承 ( うけたまはり )て御供につかうまつる。 諸神の 上首 ( じやうしゆ )三十二神あり。 其 中 ( なか )に 五部 ( いつとものをの )神と云は、 天児屋 ( あまのこやねの )命 〈中臣の 祖 ( おや )〉天 太玉 ( ふとたまの )命 〈忌部の祖〉天 鈿女 ( うづめの )命 〈 猨女 ( さるめ )の祖〉 石凝姥 ( いしこりどめの )命 〈鏡 作 ( つくり )の祖〉 玉屋 ( たまのやの )命 〈 玉作 ( たまつくり )の祖〉也。 此中にも中臣・忌部の 二 ( ふたはしらの )神はむねと 神勅 ( しんちよく )をうけて皇孫をたすけまぼり給。 又 三種 ( みくさ )の 神宝 ( かむたから )をさづけまします。 先 ( まづ )あらかじめ、皇孫に 勅 ( みことのり )して 曰 ( のたまはく )、「 葦原千五百秋之瑞穂国 ( あしはらのちいほあきのみづほのくには ) 是 ( これ ) 吾子孫 ( わがうみのこの ) 可主之 ( きみたるべき ) 地 ( ところ )也[なり]。 宜爾皇孫就而治 ( いましすめみまついてしらすべし )焉。 行給矣 ( さきくゆきたまへ )。 宝祚之 ( あまつひつぎの ) 隆 ( さかえまさむこと ) 当与天壌無窮者矣 ( まさにあめつちときはまりなかるべし )。 」又太神御手に宝鏡をもち 給 ( たまひ )、皇孫にさづけ 祝 ( ほき )て、「 吾児 ( わがこ ) 視此宝鏡 ( このたからのかがみをみること ) 当猶視吾 ( まさになをしわれをみるがごとくすべし )。 可与同床共殿以為斎鏡 ( ともにゆかをおなじくしみあらかをひとつにしていはひのかがみとすべし )。 」との給。 八坂瓊の 曲玉 ( まがたま )・天の叢雲の剣をくはへて三種とす。 又「此鏡の 如 ( ごとく )に 分明 ( ふんみやう )なるをもて、 天下 ( あめのした )に 照臨 ( せうりんし )給へ。 八坂瓊のひろがれるが如く 曲妙 ( たくみなるわざ )をもて天下をしろしめせ。 神剣をひきさげては 不順 ( まつろはざ )るものをたひらげ 給 ( たまへ )。 」と 勅 ( みことのり )まし 〳 〵けるとぞ。 此国の 神霊 ( しんれい )として、 皇統 ( くわうとう )一種たゞしくまします事、まことにこれらの 勅 ( みことのり )にみえたり。 三種の神器世に 伝 ( つたふる )こと、 日月星 ( ひつきほし )の 天 ( あめ )にあるにおなじ。 鏡は日の 体 ( たい )なり。 玉は月の 精 ( せい )也。 剣は星の 気 ( き )也。 ふかき習あるべきにや。 抑 ( そもそも )、彼の宝鏡はさきにしるし 侍 ( はべる ) 石凝姥 ( いしこりどめ )の命の 作 ( つくり )給へりし八咫の御鏡 〈八咫に口伝あり〉、〔裏書[に] 云 ( い )ふ。 咫説文 云 ( い )ふ。 中婦人手長八寸謂之咫。 周尺也。 但 ( ただし )、今の八咫の鏡[の]事は 別 ( べつに )口伝あり。 〕玉は八坂瓊の曲玉、々屋の命 〈 天明 ( あめのあかる )玉とも云〉 作 ( つくり )給へるなり 〈八坂にも口伝あり〉。 剣はすさのをの命のえ給て、太神にたてまつられし 叢雲 ( むらくも )の剣也。 此三種につきたる 神勅 ( しんちよく )は 正 ( まさし )く国をたもちますべき道なるべし。 鏡は 一物 ( いちもつ )をたくはへず。 私 ( わたくし )の心なくして、 万象 ( ばんしやう )をてらすに是非善悪のすがたあらはれずと云ことなし。 其すがたにしたがひて 感応 ( かんおう )するを徳とす。 これ 正直 ( しやうぢき )の本源なり。 玉は 柔和善順 ( にうわぜんじゆん )を徳とす。 慈悲の本源也。 剣は剛利決断を徳とす。 智恵 ( ちゑ )の本源也。 此三徳を 翕受 ( あはせうけ )ずしては、 天下 ( あめのした )のをさまらんことまことにかたかるべし。 神勅 ( しんちよく )あきらかにして、 詞 ( ことば )つゞまやかにむねひろし。 あまさへ神器にあらはれ給へり。 いとかたじけなき事をや。 中 ( なか )にも鏡を 本 ( もと )とし、 宗廟 ( そうべう )の 正体 ( しやうたい )とあふがれ給。 鏡は 明 ( めい )をかたちとせり。 心性 ( しんしやう )あきらかなれば、慈悲決断は其 中 ( うち )にあり。 又 正 ( まさし )く 御影 ( みかげ )をうつし給しかば、ふかき御心をとゞめ給けんかし。 天 ( あめ )にある物、 日月 ( ひつき )よりあきらかなるはなし。 仍 ( よりて ) 文字 ( もんじ )を制するにも「日月を明とす。 」と云へり。 我神、 大日 ( だいにち )の 霊 ( みたま )にましませば、明徳をもて照臨し給こと陰陽におきてはかりがたし。 冥顕 ( みやうけん )につきてたのみあり。 君も 臣 ( しん )も神明の 光胤 ( くわういん )をうけ、或はまさしく 勅 ( みことのり )をうけし神達の 苗裔 ( べうえい )也。 誰か是をあふぎたてまつらざるべき。 此 理 ( ことわり )をさとり、其道にたがはずは、 内外典 ( ないげてん )の学問もこゝにきはまるべきにこそ。 されど、此道のひろまるべき事は内外典 流布 ( るふ )の力なりと云つべし。 魚をうることは 網 ( あみ )の 一目 ( いちもく )によるなれど、衆目の力なければ是をうることかたきが如し。 応神 ( おうじん )天皇の御代より儒書をひろめられ、 聖徳 ( しやうとく )太子の御時より、 釈教 ( しやくけう )をさかりにし給し、 是 ( これ )皆 権化 ( ごんげ )の 神聖 ( かみ )にましませば、天照太神の御心をうけて我国の道をひろめふかくし給なるべし。 かくて此瓊々杵の尊、 天降 ( あまくだり )ましゝに 猨田彦 ( さるだびこ )と云神まゐりあひき 〈これはちまたの神也〉。 てりかゝやきて目をあはする神なかりしに、天の鈿目の神 行 ( ゆき )あひぬ。 又「皇孫いづくにかいたりましますべき。 」と問しかば、「 筑紫 ( つくし )の日向の高千穂の 槵触 ( くしふる )の 峯 ( たけ )にましますべし。 われは伊勢の五十鈴の川上にいたるべし。 」と 申 ( まをす )。 彼神の 申 ( まをし )のまゝに、槵触の峯にあまくだりて、しづまり給べき所をもとめられしに、 事勝 ( ことかつ )・ 国勝 ( くにかつ )と云神 〈これも伊弉諾尊の御子、又は 塩土 ( しほつち )の 翁 ( おきな )と云〉まいりて、「わがゐたる 吾田 ( あた )の 長狭 ( ながさ )の 御崎 ( みさき )なんよろしかるべし。 」と申ければ、その所にすませ給けり。 こゝに山の神 大山祇 ( おほやまつみ )、 二 ( ふたり )の 女 ( むすめ )あり。 姉を 磐長姫 ( いわながひめ )と云 〈これ 磐石 ( ばんじやく )の神なり〉、妹を 木 ( こ )の 花開耶 ( はなのさくや )姫と云 〈これは花木の神なり〉。 二人をめしみ 給 ( たまふ )。 あねはかたちみにくかりければ返しつ。 いもうとを 止 ( とど )め給しに、磐長姫うらみいかりて、「我をもめさましかば、世の人はいのちながくて磐石の如くあらまし。 たゞ妹をめしたれば、うめらん子は 木 ( こ )の花の如くちりおちなむ。 」ととこひけるによりて、人のいのちはみじかくなれりとぞ。 木の花のさくやひめ、ゝされて 一夜 ( ひとよ )にはらみぬ。 天孫のあやめ給ければ、はらたちて 無戸室 ( うつむろ )をつくりてこもりゐて、みづから火をはなちしに、 三人 ( みたり )の御子 生給 ( うまれたまふ )。 ほのほのおこりける時、 生 ( うまれ )ますを 火闌降 ( ほのすせり )の命と 云 ( い )ふ。 火のさかりなりしに生ますを 火明 ( ほあかりの )命と 云 ( い )ふ。 後 ( のち )に生ますを 火火出見 ( ほほでみ )の尊と 申 ( まをす )。 此三人の御子をば火もやかず、母の神もそこなはれ給はず。 父の神 悦 ( よろこび )まし 〳 〵けり。 此尊 天下 ( あめのした )を 治 ( をさめ )給事三十万八千五百三十三年と云へり。 自是 ( これより )さき、天上にとゞまります神達の御事は 年序 ( ねんじよ )はかりがたきにや。 天地 ( あめつち )わかれしより 以来 ( このかた )のこと、いくとせをへたりと云こともみえたる 文 ( ふみ )なし。 抑 ( そもそも )、天竺の説に、 人寿 ( にんじゆ )無量なりしが八万四千歳になり、それより百年に一年を減じて百二十歳の時 〈或百才とも〉釈迦仏 出 ( い )で 給 ( たまふ )と 云 ( いへ )る、此仏出世は 鸕鶿草葺不合 ( うがやふきあへずの )尊のすゑざまの事なれば 〈神武天皇元年 辛酉 ( かのととり )、 仏滅後 ( ぶつめつののち )二百九十年にあたる。 これより上はかぞふべき也〉、百年に一年を増してこれをはかるに、此瓊々杵の尊の 初 ( はじめ )つかたは 迦葉仏 ( かせふぶつ )の 出 ( いで )給ける時にやあたり侍らん。 人寿二万歳の時、此仏は出給けりとぞ。 御兄 ( このかみ ) 火 ( ほ )の 闌降 ( すせり )の命、海の 幸 ( さち )ます。 此尊は山の 幸 ( さち )ましけり。 こゝろみに相かへ給しに、 各 ( おのおの )其 幸 ( さち )なかりき。 弟 ( おとと )の尊の、 弓箭 ( ゆみや )に魚の 釣鉤 ( つりばり )をかえ給へりしを、弓箭をば 返 ( かへし )つ。 おとゝの 尊鉤 ( つりばり )を魚にくはれて失ひ給けるを、あながちにせめ給しに、せんすべなくて 海辺 ( うみべ )にさまよひ給き。 塩土の 翁 ( おきな ) 〈此神の事さきにみゆ〉まゐりあひて、あはれみ申て、はかりことをめぐらして、 海神綿積 ( うみのかみわたつみの )命 〈 小童 ( せうとう )ともかけり〉の所におくりつ。 其 女 ( むすめ )を豊玉姫と 云 ( い )ふ。 天神 ( あまつかみ )の御孫にめでたてまつりて、父の神につげてとゞめ申つ。 つひに其 女 ( むすめ )とあひすみ 給 ( たまふ )。 みとせばかりありて 故郷 ( もとつくに )をおぼす 御気色 ( みけしき )ありければ、其女父にいひあはせてかへしたてまつる。 大小 ( おほきちひさき )いろくづをつどへてとひけるに、 口女 ( くちめ )と云 魚 ( うを )、やまひありとてみえず。 しひてめしいづれば、その 口 ( くち )はれたり。 是をさぐりしに、うせにし鉤をさぐりいづ 〈 一 ( ひとつ )には 赤女 ( あかめ )と 云 ( い )ふ。 又此魚はなよしと云魚とみえたり〉。 海神 ( うみのかみ )いましめて、「口女いまよりつりくふな。 又 天孫 ( あめみま )の 饌 ( おもの )にまゐるな。 」となん云ふくめける。 又海神ひる珠みつ珠をたてまつりて、 兄 ( このかみ )をしたがへ給べきかたちををしへ申けり。 さて 故郷 ( もとつくに )にかへりまして鉤を 返 ( かへし )つ。 満珠 ( みつたま )をいだしてねぎ給へば、塩みちきて、このかみおぼれぬ。 なやまされて、「 俳優 ( わざをぎ )の 民 ( たみ )とならん。 」とちかひ給しかば、ひる珠をもちて塩をしりぞけ給き。 これより 天日嗣 ( あまつひつぎ )をつたへまし 〳 〵ける。 海中にて豊玉姫はらみ給しかば、「 産期 ( うみがつき )にいたらば、 海辺 ( うみべ )に 産屋 ( うぶや )を 作 ( つくり )て待給へ。 」と申き。 はたして其 妹 ( いも ) 玉依 ( たまより )姫をひきゐて、海辺に 行 ( ゆき )あひぬ。 屋 ( や )を作て 鸕鶿 ( う )の 羽 ( は )にてふかれしが、ふきもあへず、御子うまれ給によりて 鸕鶿草葺不合 ( うがやふきあへずの )尊と申す。 又産屋をうぶやと云事もうのはをふけるゆゑなりとなん。 さても「 産 ( うみ )の時み給な。 」と 契申 ( ちぎりまをし )しを、のぞきて見ましければ、 龍 ( りよう )になりぬ。 はぢうらみて、「われにはぢみせ給はずは、 海陸 ( うみくが )をして相かよはしへだつることなからまし。 」とて、御子をすておきて海中へかへりぬ。 後に御子のきら 〳 〵しくましますことをきゝて憐み 崇 ( あが )めて、妹の玉依姫を奉て養ひまゐらせけるとぞ。 此尊、天下を治給こと六十三万七千八百九十二年と云へり。 震旦の世の 始 ( はじめ )をいへるに、 万物 ( ばんぶつ )混然としてあひはなれず。 是を 混沌 ( こんとん )と 云 ( い )ふ。 其後 軽 ( かろく ) 清 ( きよき )物は 天 ( てん )となり、 重 ( をもく ) 濁 ( にごれる )物は 地 ( ち )となり、中 和気 ( くわのき )は 人 ( じん )となる。 これを 三才 ( さんさい )と云 〈これまでは我国の 初 ( はじま )りを云にかはらざる也〉。 其はじめの君 盤古 ( ばんこ )氏、天下を 治 ( をさむる )こと一万八千年。 天皇 ( てんくわう )・地皇・人皇など云王 相続 ( あひつぎ )て、九十一代一百八万二千七百六十年。 さきにあはせて一百十万七百六十年 〈これ一説なり。 実 ( まこと )にはあきらかならず〉。 広雅 ( くわうが )と云書には、開闢より 獲麟 ( くわくりん )に 至 ( いたり )て二百七十六万歳とも 云 ( い )ふ。 獲麟とは孔子の 在世 ( ざいせ )、 魯 ( ろ )の哀公の時なり。 日本の 懿徳 ( いとく )にあたる。 しからば、盤古のはじめは此尊の御代のすゑつかたにあたるべきにや。 御母豊玉姫の名づけ申ける御名なり。 御 姨 ( をば )玉依姫にとつぎて 四 ( よ )はしらの御子をうましめ給ふ。 彦五瀬 ( ひこゐつせの )命、 稲飯 ( いなひの )命、 三毛入野 ( みけいりのゝ )命、 日本磐余彦 ( やまといわれひこ )の尊と申す。 磐余彦尊を太子に立てて 天日嗣 ( あまつひつぎ )をなんつがしめまし 〳 〵ける。 此神の御代七十七万余年の程にや、もろこしの三皇の初、 伏犠 ( ふくき )と云王あり。 次 ( つぎに )、 神農 ( しんのう )氏、 次 ( つぎに )、 軒轅 ( けんゑん )氏、三代あはせて五万八千四百四十年 〈一説には一万六千八百二十七年。 しからば此尊の八十万余の年にあたる也。 親経 ( ちかつねの )中納言の新古今の序を 書 ( かく )に、伏犠の皇徳に 基 ( もとゐ )して四十万年と云り。 何 ( いづれの )説によれるにか。 無覚束 ( おぼつかなき ) 事 ( こと ) 也 ( なり )〉。 其後に 少昊 ( せうこう )氏、 顓頊 ( せんぎよく )氏、 高辛 ( かうしん )氏、 陶唐 ( たうたう )氏 〈堯也〉、 有虞 ( いうぐ )氏 〈舜也〉と云五帝あり。 合 ( あはせ )て四百三十二年。 其 次 ( つぎに )、 夏 ( か )・ 殷 ( いん )・ 周 ( しう )の三代あり。 夏には十七主、四百三十二年。 殷には三十主、六百二十九年。 周の代と 成 ( なり )て第四代の 主 ( しゆ )を昭王と云き。 その二十六年 甲寅 ( きのえとら )の年までは周おこりて一百二十年。 このとしは葺不合尊の八十三万五千六百六十七年にあたれり。 ことし天竺に釈迦仏出世しまします。 同 ( おなじ )き八十三万五千七百五十三年に、 仏 ( ほとけ )御年八十にて 入滅 ( にふめつ )しまし 〳 〵けり。 もろこしには昭王の子、 穆 ( ぼく )王の五十三年 壬甲 ( みづのえさる )にあたれり。 其後二百八十九年ありて、 庚申 ( かのえさる )にあたる年、此神かくれさせまします。 すべて天下を治給こと八十三万六千四十三年と云り。 これより 上 ( かみ )つかたを 地神 ( ちじん )五代とは申けり。 二代は天上にとゞまり 給 ( たまふ )。 下 ( しも )三代は西の 州 ( くにの )宮にて多の年をおくりまします。 神代のことなれば、其 行迹 ( かうせき )たしかならず。 葺不合の尊八十三万余年まし 〳 〵しに、その御子磐余彦尊の御代より、にはかに 人王 ( にんわう )の 代 ( よ )となりて、 暦数 ( れきすう )も短くなりにけること疑ふ人もあるべきにや。 されど、神道の事おしてはかりがたし。 まことに磐長姫の 詛 ( とこひ )けるまゝ寿命も短くなりしかば、神のふるまひにもかはりて、やがて人の代となりぬるか。 天竺の説の如く次第ありて 減 ( げんじ )たりとはみえず。 又百王ましますべしと申める。 十々の百には 非 ( あらざ )るべし。 窮 ( きはまり )なきを百とも云り。 百官百姓 ( ひやくくわんひやくしやう )など云にてしるべき也。 昔、皇祖天照太神天孫の尊に御ことのりせしに、「 宝祚之 ( あまつひつぎの ) 隆 ( さかんなること ) 当与天壌無窮 ( まさにあめつちときはまりなかるべし )。 」とあり。 天地も昔にかはらず。 日月も光をあらためず。 況 ( いはん )や三種の神器世に現在し給へり。 きはまりあるべからざるは我国を 伝 ( つたふ )る 宝祚 ( はうそ )也。 あふぎてた[つ]とびたてまつるべきは日嗣をうけ給すべらぎになんおはします。 後に 神武 ( じんむ )となづけたてまつる。 地神 ( ちじん )鸕鶿草葺不合の尊の第四の子。 御母玉依姫、 海神 ( うみのかみ ) 小童 ( わたつみの )第二[の] 女 ( むすめ )也。 伊弉諾尊には六世、 大日孁 ( おほひるめ )の尊には五世の天孫にまします。 神日本磐余彦と申は神代よりのやまとことばなり。 神武は中古となりて、もろこしの 詞 ( ことば )によりてさだめたてまつる御名也。 又此御代より代ごとに 宮所 ( みやどころ )をうつされしかば、其 所 ( ところ )を名づけて御名とす。 此天皇をば 橿原 ( かしはら )の宮と申、是也。 又神代より 至 ( いたり )て 尊 ( たふとき )を 尊 ( みこと )と 云 ( いひ )、其次を 命 ( みこと )と 云 ( い )ふ。 人の代となりては 天皇 ( すめらみこと )とも号したてまつる。 臣下にも 朝臣 ( あそむ )・ 宿禰 ( すくね )・ 臣 ( おみ )などと、いふ号いできにけり。 神武の御時よりはじまれる事なり。 上古 ( しやうこ )には尊とも命とも 兼 ( かね )て 称 ( しようし )けるとみえたり。 世くだりては天皇を尊と申こともみえず、 臣 ( しん )を命と云事もなし。 古語の耳なれずなれるゆゑにや。 此 天皇 ( てんわう )御年十五にて 太子 ( たいし )に 立 ( たち )、五十一にて 父 ( ちちの )神にかはりて皇位にはつかしめ 給 ( たまふ )。 ことし 辛酉 ( かのととり )なり。 筑紫 ( つくしの )日向の宮崎の宮におはしましけるが、 兄 ( このかみ )の神達および 皇子群臣 ( わうじぐんしん )に 勅 ( みことのり )して、東 征 ( せい )のことあり。 此 大八州 ( おほやしま )は皆是王地也。 神代 ( かみよ ) 幽昧 ( ゆうまい )なりしによりて 西偏 ( にしのほとり )の国にして、おほくの 年序 ( ねんじよ )をおくられけるにこそ。 天皇 舟楫 ( しうしふ )をとゝのへ、 甲兵 ( かふへい )をあつめて、 大日本州 ( おほやまとのくに )にむかひ給。 みちのついでの国々をたひらげ、大やまとにいりまさむとせしに、其国に 天 ( あめ )の神 饒 ( にぎ )の 速日 ( はやひ )の尊の御すゑ 宇麻志間見 ( うましまみ )の命と云神あり。 外舅 ( はゝかたのをぢ )の 長髄彦 ( ながすねひこ )と云、「 天神 ( あまつかみ )の御子両種有むや。 」とて、 軍 ( いくさ )をおこしてふせぎたてまつる。 其軍こはくして 皇軍 ( みいくさ )しば 〳 〵利をうしなふ。 又 邪神 ( あしきかみ ) 毒気 ( どくき )をはきしかば、 士卒 ( しそつ )みなやみふせり。 こゝに天照太神、 健甕槌 ( たけみかづち )の神をめして、「葦原の中つ 州 ( くに )にさわぐおとす。 汝ゆきてたひらげよ。 」とみことのりし給。 健甕槌の神 申 ( まをし )給けるは、「昔国をたひらげし時[の]剣あり。 かれをくださば、 自 ( おのづか )らたひらぎなん。 」と申て、 紀伊 ( きの )国 名草 ( なぐさ )の村に 高倉下 ( たかくらじの )命と云神にしめして、此剣をたてまつりければ、天皇 悦 ( よろこび )給て、士卒のやみふせりけるもみなおきぬ。 又 神魂 ( かみむすひ )の命の 孫 ( まご )、 武津之身 ( たけつのみの )命大 烏 ( からす )となりて軍の御さきにつかうまつる。 天皇ほめて 八咫烏 ( やたからす )と号し給。 又 金色 ( こんじき )の 鴟 ( とび )くだりて 皇弓 ( みゆみ )のはずにゐたり。 其光てりかゞやけり。 これによりて皇軍 大 ( おほき )にかちぬ。 宇麻志間見 ( うましまみ )の命其 舅 ( をぢ )のひがめる心をしりて、たばかりてころしつ。 その 軍 ( いくさ )をひきゐてしたがひ申にけり。 天皇はなはだほめまし 〳 〵て、 天 ( あめ )よりくだれる神剣をさづけ、「其 大勲 ( だいくん )にこたふ。 」とぞのたまはせける。 此剣を 豊布都 ( とよふつ )の神と号す。 はじめは 大和 ( やまと )の 石上 ( いそのかみ )にまし 〳 〵き。 後には 常陸 ( ひたち )の 鹿嶋 ( かしま )の神宮にまします。 彼 ( かの ) 宇麻志間見 ( うましまみ )の命又 饒速日 ( にぎはやひ )の尊 天降 ( あまくだり )し時、 外祖 ( ぐわいそ ) 高皇産霊 ( たかみむすひ )の尊さづけ給し 十種 ( とくさ )の 瑞宝 ( みづたから )を 伝 ( つた )へもたりけるを天皇に奉る。 天皇 鎮魂 ( みたましづめ )の瑞宝也しかば、其祭を始られにき。 此宝をも 即 ( すなはち ) 宇麻志間見 ( うましまみ )にあづけ給て、 大和 ( やまとの )石上に 安置 ( あんぢ )す。 又は 布瑠 ( ふる )と 号 ( がうす )。 此瑞宝を 一 ( ひとつ )づゝよびて、 呪文 ( じゆもん )をして、ふる事あるによれるなるべし。 かくて 天下 ( あめのした )たひらぎにしかば、大和国 橿原 ( かしはら )に都をさだめて、宮つくりす。 其 制度 ( せいど )天上の儀のごとし。 天照太神より伝給へる三種の神器を 大殿 ( みあらか )に安置し、 床 ( ゆか )を同くしまします。 皇宮・神宮 一 ( ひとつ )なりしかば、国々の 御 ( み )つき物をも 斎蔵 ( いみくら )にをさめて 官物 ( くわんもつ )・ 神物 ( じんもつ )のわきだめなかりき。 天児屋根 ( あめのこやねの )命の孫 天種子 ( あめのたねこ )の命、 天太玉 ( あめのふとたま )の命[の]孫 天富 ( あめのとみ )の命もはら 神事 ( しんじ )をつかさどる。 神代の 例 ( ためし )にことならず。 又 霊畤 ( まつりのには )を 鳥見山 ( とみのやま )の 中 ( なか )にたてゝ、 天神 ( あまつかみ )・ 地祇 ( くにつかみ )をまつらしめ 給 ( たまふ )。 此御代の始、 辛酉 ( かのととり )の年、もろこしの 周 ( しう )の世、第十七代にあたる君、 恵 ( けい )王の十七年也。 五十七年 丁巳 ( ひのとみ )は周の二十一代の君、 定 ( てい )王の三年にあたれり。 ことし 老子 ( らうし ) 誕生 ( たんじやう )す。 是は道教の祖也。 天竺 ( てんぢく )の 釈迦如来 ( しやかによらい ) 入滅 ( にふめつ )し給しより元年辛酉までは二百九十年になれるか。 此天皇 天下 ( てんか )を 治 ( をさめ )給こと七十六年。 一百二十七歳おはしき。 御母 鞴五十鈴姫 ( たたらいすずひめ )、 事代主 ( ことしろぬし )の神の女也。 父の天皇かくれまして、みとせありて即位し給。 庚辰 ( かのえたつの )年也。 大和葛城高岡 ( やまとのかづらきのたかをか )の宮にまします。 三十一年 庚戌 ( かのえいぬ )の年もろこしの周の二十三代[の]君、 霊 ( れい )王の二十一年也。 ことし 孔子 ( こうし )誕生す。 自是 ( これより )七十三年までおはしけり。 儒教をひろめらる。 此道は昔の賢王、 唐堯 ( たうげう )、 虞舜 ( ぐしゆん )、 夏 ( か )の 初 ( はじめ )の 禹 ( う )、 殷 ( いん )のはじめの 湯 ( たう )、 周 ( しう )のはじめの 文 ( ぶん )王・ 武 ( ぶ )王・ 周 ( しう )公の国を治め、民をなで給し道なれば、心を 正 ( ただ )しくし、身をなほくし、家を治め、国を治めて、天下におよぼすを 宗 ( むね )とす。 さればことなる道にはあらねども、 末代 ( まつだい )となりて、人不正になりしゆゑに、其道ををさめて 儒教 ( じゆけう )をたてらるゝ也。 天皇天下を 治 ( をさめ )給こと三十三年。 八十四歳おまし 〳 〵き。 御母 五十鈴依姫 ( いすずよりひめ )、 事代主 ( ことしろぬし )の神のおと 女 ( むすめ )也。 癸丑 ( みづのとうし )の年即位。 大和 ( やまと )の 片塩 ( かたしほ )の 浮穴 ( うきあな )の宮にまします。 天下を治給こと三十八年。 五十七歳おまし 〳 〵き。 御母 渟名底中媛 ( ぬなそこなかつひめ )、 事代主 ( ことしろぬし )の神の孫也。 辛卯 ( かのとうの )年即位。 大和の 軽曲峡 ( かるのまがりを )の宮にまします。 天下を治給こと三十四年。 七十七歳おはしましき。 御母 天豊津 ( あまのとよつ )姫、 息石耳 ( おきしみみ )の命の女也。 父の天皇かくれまして 一年 ( ひととせ )ありて、 丙寅 ( ひのえとら )の年即位。 大和の 掖 ( わき )の 上池 ( かみのいけ )の 心 ( こころ )の宮にまします。 天下を治給こと八十三年。 百十四歳おはしましき。 御母 世襲足 ( よそたらし )の姫、 尾張 ( をはり )の 連 ( むらじ )の 上祖 ( とほつおや ) 瀛津世襲 ( おきつよそ )の女也。 乙丑 ( きのとうし )の年即位。 大倭秋津嶋 ( やまとのあきづしま )の宮にまします。 天下を治給こと一百二年。 百二十歳おまし 〳 〵き。 御母 押姫 ( おしひめ )、 天足彦国押人 ( あめたらしひこくにおしひとの )命の女也。 辛未 ( かのとひつじの )年即位。 大和の 黒田廬戸 ( くろだいほと )の宮にまします。 三十六年 丙午 ( ひのえうま )にあたる年、もろこしの周の国 滅 ( めつ )して 秦 ( しん )にうつりき。 四十五年 乙卯 ( きのとう )、秦の 始皇 ( しくわう )即位。 此の始皇仙 方 ( ほう )をこのみて 長生不死 ( ちやうせいふし )の薬を日本にもとむ。 日本より五帝三皇の 遺書 ( ゐしよ )を 彼 ( かの )国にもとめしに、始皇こと 〴 〵くこれをおくる。 其後三十五年ありて、 彼 ( かの )国、書を 焼 ( やき )、儒をうづみにければ、孔子の全 経 ( きやう )日本にとゞまるといへり。 此事異朝の書にのせたり。 我国には 神功皇后 ( じんぐうくわうごう )三韓をたひらげ給しより、異国に通じ、応神の御代より 経史 ( けいし )の学つたはれりとぞ申ならはせる。 孝霊の御時より此国に 文字 ( もんじ )ありとはきかぬ事なれど、 上古 ( しやうこ )のことは 慥 ( たしか )に 注 ( しるし )とゞめざるにや。 応神の御代にわたれる経史だにも今は見えず。 聖武の御時、 吉備大臣 ( きびのだいじん )、 入唐 ( にふたう )して 伝 ( つた )へたりける本こそ 流布 ( るふ )したれば、この御代より伝けん事もあながちに 疑 ( うたがふ )まじきにや。 凡此国をば君子不死の国とも云也。 孔子世のみだれたる事を 歎 ( なげき )て、「 九夷 ( きうい )にをらん。 」との給ける。 日本は九夷の其 一 ( ひとつ )なるべし。 異国には此国をば東夷とす。 此国よりは又彼国をも 西蕃 ( せいばん )と云るがごとし。 四海 ( しかい )と云は 東夷 ( とうい )・ 南蛮 ( なんばん )・ 西羌 ( せいきやう )・ 北狄 ( ほくてき )也。 南は 蛇 ( じや )の 種 ( しゆ )なれば、虫をしたがへ、西は羊をのみかふなれば、羊をしたがへ、北は犬の種なれば、犬をしたがへたり。 たゞ東は仁ありて 命 ( いのち )ながし。 よりて 大 ( だい )・ 弓 ( きう )の字をしたがふと云へり。 〔裏書[に] 云 ( い )ふ。 夷説文曰。 東方之人也。 从大从弓。 徐氏曰。 唯東夷从大从弓。 仁而寿。 有君子不死之国 云 ( い )ふ。 仁而寿、未合弓字之義。 弓者以近窮遠也 云 ( い )ふ。 若取此義歟。 〕孔子の時すらこなたのことをしり給ければ、秦の世に通じけんことあやしむに 足 ( たら )ぬことにや。 此天皇天下を 治 ( をさめ )給事七十六年。 百十歳おはしましき。 御母 細媛 ( くはしひめ )、 磯城県主 ( しきのあがたぬし )の女也。 丁亥 ( ひのとゐの )年即位。 大倭 ( やまと )の 軽境原 ( かるのさかひはら )の宮にまします。 九年 乙未 ( きのとひつじ )の年、もろこしの 秦 ( しん ) 滅 ( ほろび )て 漢 ( かん )にうつりき。 此天皇天下を治給こと五十七年。 百十七歳おまし 〳 〵き。 御母 鬱色謎 ( うつしこめ )姫、 穂積 ( ほづみ )の 臣 ( おみの ) 上祖 ( とをつをや ) 鬱色雄命 ( うつしこをのみことの )妹也。 甲申 ( きのえさるの )年即位。 大和の 春日率川 ( かすがのいさがは )の宮にまします。 天下を治給こと六十年。 百十五歳おまし 〳 〵き。 御母 伊香色謎 ( いかがしこめ )姫 〈初は孝元の 妃 ( きさき )として 彦太忍信 ( ひこふとおしまこと )の命をうむ〉、 太綜麻杵 ( おほへそき )の命の女也。 甲申 ( きのえさる )の歳即位。 大和の 磯城 ( しき )の 瑞籬 ( みづかき )の宮にまします。 此御時神代をさる事、世は十つぎ、年は六百 余 ( あまり )になりぬ。 やうやく神威をおそれ給て、即位六年 己丑 ( つちのとうしの )年 〈神武元年 辛酉 ( かのととり )より此 己丑 ( つちのとうし )までは六百二十九年〉神代の 鏡造 ( かがみつくり )の 石凝姥 ( いしこりどめ )の神のはつこをめして鏡をうつし 鋳 ( い )せしめ、 天目一箇 ( あめのまひとつ )の神のはつこをして剣をつくらしむ。 大和宇陀 ( やまとのうだ )の 郡 ( こほり )にして、此両種をうつしあらためられて、 護身 ( ごしん )の 璽 ( しるし )として 同殿 ( おなじとの )に安置す。 神代よりの宝鏡および霊剣をば 皇女 ( くわうぢよ ) 豊鋤入姫 ( とよすきいりひめ )の命につけて、大和の 笠縫 ( かさぬひ )の 邑 ( むら )と云所に 神籬 ( ひもろぎ )をたてゝあがめ奉らる。 これより神宮・皇居 各 ( おのおの ) 別 ( べつ )になれりき。 其後太神のをしへありて、豊鋤入姫の命、神体を 頂戴 ( ちやうだいし )て 所々 ( ところどころ )をめぐり給けり。 十年の秋、 大彦 ( おほひこの )命を 北陸 ( ほくろく )に 遣 ( つかは )し、 武渟川別 ( たけぬなかはわけ )の命を 東海 ( とうかい )に、吉備津彦命を 西道 ( さいだう )に、 丹波 ( たには )の 道主 ( みちぬし )の命を 丹波 ( たんば )に遣す。 ともに 印綬 ( いんじゆ )を 給 ( たまひ )て将軍とす 〈将軍の名はじめてみゆ〉。 天皇の 叔父 ( しゆくふ ) 武埴安彦 ( たけはにやすひこ )の命、朝廷をかたぶけんとはかりければ、将軍等を 止 ( とどめ )て、まづ追討しつ。 冬 十月 ( かんなづき )に将軍 発路 ( みちたち )す。 十一年の夏、四道の将軍 戎夷 ( じゆうい )を 平 ( たひらげ )ぬるよし 復命 ( かへりこと )す。 六十五年秋 任那 ( みまな )の国、 使 ( つかひ )をさして 御 ( み )つきをたてまつる 〈筑紫をさること二千余里と云〉。 天皇天下を治給こと六十八年。 百二十歳おまし 〳 〵き。 御母 御間城姫 ( みまきひめ )、 大彦 ( おほひこ )の 命 ( みことの ) 〈孝元の御子〉女也。 壬辰 ( みづのえたつ )の年即位。 大和の 巻向 ( まきむく )の 珠城 ( たまき )の宮にまします。 此御時皇女大和姫の命、 豊鋤入 ( とよすきいり )姫にかはりて、天照太神をいつきたてまつる。 神のをしへにより、なほ国々をめぐりて、二十六年 丁巳 ( ひのとみ )冬 十月甲子 ( かんなづききのえね )に 伊勢 ( いせの )国 度会郡 ( わたらひのこほり ) 五十鈴 ( いすずの )川上に 宮所 ( みやどころ )をしめ、 高天 ( たかま )の原に 千木高知 ( ちぎたかしり ) 下都磐根 ( したついはね )に大宮柱 広敷 ( ふとしき ) 立 ( たて )てしづまりまし 〳 〵ぬ。 此 所 ( ところ )は昔 天孫 ( あめみま )あまくだり給し時、 猨田彦 ( さるだびこ )の神まゐりあひて、「われは伊勢の 狭長田 ( さながた )の五十鈴の川上にいたるべし。 」と申ける所也。 大倭 ( やまと )姫の命、宮所を 尋 ( たづね )給しに、大田の命と云人 〈又 興玉 ( おきたま )とも云〉まゐりあひて、此所ををしへ申き。 此命は昔の猨田彦の神の 苗裔 ( べうえい )なりとぞ。 彼川上に 五十鈴 ( いすず )・天上の 図形 ( づぎやう )などあり 〈天の 逆戈 ( さかほこ )もこの所にありきと云一説あり〉。 「八万歳のあひだまぼりあがめたてまつりき。 」となん申ける。 かくて 中臣 ( なかとみ )の 祖 ( おや ) 大鹿嶋 ( おほかしま )の命を 祭主 ( さいしゆ )とす。 又 大幡主 ( おほはたぬし )と云人を 太神主 ( おほかむぬし )になし 給 ( たまふ )。 これより 皇太神 ( すめおほみかみ )とあがめ奉て、 天下 ( てんか )第一の 宗廟 ( そうべう )にまします。 此天皇天下を治給こと九十九年。 百四十歳おまし 〳 〵き。 御母 日葉州媛 ( ひはすひめ )、丹波道主の王の女也。 辛未 ( かのとひつじの )年即位。 大和の 纏向 ( まきむく )の 日代 ( ひしろ )の宮にまします。 十二年秋、 熊襲 ( くまそ ) 〈日向にあり〉そむきてみつき奉らず。 八月 ( はつき )に天皇筑紫に 幸 ( みゆき )して是を 征 ( せい )し給。 十三年夏こと 〴 〵く 平 ( たひら )ぐ。 高屋の宮にまします。 十九年の秋筑紫より 還 ( かへり )給。 二十七年秋、熊襲又そむきて辺境ををかしけり。 皇子 小碓 ( をうす )の尊御年十六、をさなくより 雄略気 ( をゝしきけ )まして、 容貎 ( ようばう ) 魁偉 ( すぐれたゝはし )。 身の 長 ( たけ )一丈、 力 ( ちから ) 能 ( よく )かなへをあげ給ひしかば、熊襲をうたしめ 給 ( たまふ )。 冬 十月 ( かんなづき )ひそかに彼国にいたり、 奇謀 ( きぼう )をもて、 梟帥 ( たけるひとこのかみ ) 取石鹿父 ( とりいしかや )と云物を 殺給 ( ころしたまふ )。 梟帥ほめ奉て、 日本武 ( やまとたけ )となづけ申けり。 悉 ( ことごとく )余党を 平 ( たひらげ )て帰給。 所々にしてあまたの 悪神 ( あしきかみ )をころしつ。 二十八年春かへりこと申給けり。 天皇其の功をほめてめぐみ給こと諸子にことなり。 四十年の夏、 東夷 ( とうい )おほく 背 ( そむき )て辺境さわがしかりければ、又日本武の皇子をつかはす。 吉備 ( きび )の 武彦 ( たけひこ )、 大伴 ( おほとも )の 武日 ( たけひ )を左右の将軍としてあひそへしめ給。 十月に 枉道 ( よきりみち )して伊勢の神宮にまうでゝ、大和姫の命にまかり 申 ( まをし )給。 かの命神剣をさづけて、「つゝしめ、なおこたりそ。 」とをしへ給ける。 駿河 ( するが )に 〈駿河日本紀説、 或 ( あるひは ) 相模 ( さがみ )古語拾遺説〉いたるに、 賊徒 ( ぞくと )野に火をつけて 害 ( がい )したてまつらんことをはかりけり。 火のいきほひまぬかれがたかりけるに、はかせる 叢雲 ( むらくも )の剣をみづからぬきて、かたはらの草をなぎてはらふ。 これより名をあらためて 草薙 ( くさなぎ )の剣と 云 ( い )ふ。 又火うちをもて火を 出 ( いだし )て、むかひ火を 付 ( つけ )て、賊徒を 焼 ( やき )ころされにき。 これより船に 乗 ( のり )給て 上総 ( かづさ )にいたり、転じて 陸奥 ( みちのおくの )国にいり、 日高見 ( ひたかみ )の国 〈その所異説あり〉にいたり、 悉 ( こと 〴 〵く ) 蝦夷 ( えびす )を 平 ( たひら )げ給。 かへりて 常陸 ( ひたち )をへ 甲斐 ( かひ )にこえ、又 武蔵 ( むさし )・ 上野 ( かみつけ )をへて、 碓日坂 ( うすひざか )にいたり、 弟橘媛 ( おとたちばなひめ )と云し 妾 ( みめ )をしのび給 〈上総へ 渡 ( わたり )給し時、 風波 ( ふうは )あらかりしに、尊の御命をあがはんとて海に 入 ( いり )し人なり〉。 東南の 方 ( かた )をのぞみて、「 吾嬬 ( あづま ) 者耶 ( はや )。 」との給しより、 山東 ( さんとう )の諸国をあづまと云也。 これより道をわけ、吉備の武彦をば 越後 ( ゑちごの )国に 遣 ( つかは )して 不順者 ( まつろはぬもの )を 平 ( たひらげ )しめ給。 尊は 信濃 ( しなの )より 尾張 ( をはり )にいで給。 かの国に 宮簀媛 ( みやすひめ )と云 女 ( をんな )あり。 尾張 ( をはり )の 稲種宿禰 ( いなたねのすくね )の妹也。 此女をめして 淹 ( ひさしく ) 留給 ( とどまりたまふ )あひだ、 五十葺 ( いぶき )の山に 荒神 ( あらぶるかみ )ありときこえければ、剣をば宮簀媛の家にとゞめて、かちよりいでます。 山神 ( やまのかみ ) 化 ( け )して 小蛇 ( こへび )になりて、御道によこたはれり。 尊またこえてすぎ給しに、山神毒気を 吐 ( はき )けるに、御心みだれにけり。 それより伊勢にうつり給。 能褒野 ( のぼの )と云所にて御やまひはなはだしくなりにければ、武彦の命をして天皇に事のよしを 奏 ( そう )して、つひにかくれ給ぬ。 御年三十也。 天皇きこしめして、 悲 ( かなしみ )給事 限 ( かぎり )なし。 群卿百寮 ( ぐんけいひやくれう )に 仰 ( おほせ )て、伊勢国能褒野にをさめたてまつる。 白鳥 ( しらとり )と 成 ( なり )て、大和国をさして 琴弾 ( ことひきの )原にとゞまれり。 其所に又 陵 ( みささぎ )をつくらしめられければ、又 飛 ( とび )て 河内古市 ( かはちのふるいち )にとゞまる。 その所に陵を 定 ( さだめ )られしかば、白鳥又飛て 天 ( あめ )にのぼりぬ。 仍 ( よりて ) 三 ( みつ )の陵あり。 彼 ( かの )草薙の剣は宮簀媛あがめたてまつりて、尾張にとゞまり給。 今の 熱田 ( あつたの )神にまします。 五十一年秋 八月 ( はつき )、 武内 ( たけうち )の 宿禰 ( すくね )を 棟梁 ( とうりやう )の臣とす。 五十三年秋、 小碓 ( をうす )の命の 平 ( ことむけ )し国をめぐりみざらんやとて、東国に 幸 ( みゆき )し給。 十二月 ( しはす )あづまよりかへりて、伊勢の 綺 ( かむばた )の宮にまします。 五十四年秋、伊勢より大和にうつり、 纏向 ( まきむく )の宮にかへり給。 天下を治給こと六十年。 百四十歳おまし 〳 〵き。 御母 八坂入姫 ( やさかいりひめ )、八坂入彦の皇子[の] 〈崇神の御子〉女也。 日本武 ( やまとたけの )尊 日嗣 ( ひつぎ )をうけ給ふべかりしに、世をはやくしまし 〳 〵しかば、此 御門 ( みかど ) 立 ( たち )給。 辛未 ( かのとひつじの )歳即位。 近江の 志賀高穴穂 ( しがのたかあなほ )の宮にまします。 神武より十二代、大和国にまし 〳 〵き 〈景行天皇のすゑつかた、此高穴穂にまし 〳 〵しかども 定 ( さだまれ )る皇都にはあらず〉。 此時はじめて他国にうつり給。 三年の春、武内の宿禰を 大臣 ( おほおみ )とす 〈大臣の号これにはじまる〉。 四十八年の春、 姪仲足彦 ( をひなかたらしひこ )の尊 〈日本武の尊の御子〉をたてゝ皇太子とす。 天下を治給こと六十一年。 百七歳おまし 〳 〵き。 御母 両道入姫 ( ふたちいりひめ )、 垂仁 ( すゐにん )天皇[の]女也。 大祖 ( たいそ )神武より第十二代景行までは 代 ( よ )のまゝに 継体 ( けいたい )し給。 日本武尊世をはやくし給しによりて、 成務 ( せいむ )是をつぎ給。 此天皇を太子としてゆづりまし 〳 〵しより、 代 ( だい )と 世 ( せい )とかはれる初也。 これよりは世を 本 ( もと )としるし 奉 ( たてまつる )べき也 〈代と世とは常の義 差別 ( しやべつ )なし。 然 ( しかれ )ど 凡 ( およそ )の 承運 ( しよううん )とまことの継体とを 分別 ( ぶんべつ )せん為に 書分 ( かきわけ )たり。 但 ( ただし )字書にもそのいはれなきにあらず。 代は 更 ( かう )の義也。 世は 周礼 ( しゆらい )の註に、父 死 ( しし )て子 立 ( たつ )を世と云とあり〉。 此天皇御かたちいときら 〳 〵しく、御たけ一丈まし 〳 〵ける。 壬申 ( みづのえさる )の年即位。 此御時熊襲又 反乱 ( ほんらん )して朝 貢 ( こう )せず。 天皇 軍 ( いくさ )をめしてみづから 征伐 ( せいばつ )をいたし、 筑紫 ( つくし )にむかひ給。 皇后 息長足姫 ( おきながたらしひめの )尊は 越前 ( ゑちぜん )の国 笥飯 ( けい )の神にまうでゝ、それより北海をめぐりて行あひ給ぬ。 こゝに神ありて皇后にかたり奉る。 「これより西に 宝 ( たから )の国あり。 うちてしたがへ給へ。 熊襲は小国也。 又伊弉諾・伊弉冊のうみ給へりし国なれば、うたずともつひにしたがひたてまつりなん。 」とありしを、天皇うけがひ給はず。 事ならずして 橿日 ( かしひ )の 行宮 ( かりみや )にしてかくれ 給 ( たまふ )。 長門 ( ながと )にをさめ奉る。 是を 穴戸豊浦 ( あなとのとよら )の宮と申す。 天下を治給こと九年。 五十二歳おまし 〳 〵き。 息長足 ( おきながたらし )姫の尊と申す。 仲哀たてゝ皇后とす。 仲哀神のをしへによらず、世を早くし給しかば、皇后いきどほりまして、七日あ[つ]て 別殿 ( べつでん )を作り、いもほりこもらせ給。 此時応神天皇はらまれまし 〳 〵けり。 神がゝりてさま 〴 〵道ををしへ給ふ。 此神は「 表筒男 ( うはつつのを )・ 中 ( なか )筒男・ 底 ( そこ )筒男なり。 」となんなのり給けり。 是は伊弉諾尊日向の 小戸 ( をど )の 川檍 ( あはぎ )が原にてみそぎし給し時、 化生 ( けしやう )しましける神也。 後には 摂津 ( つの ) 国住吉 ( すみよし )にいつかれ給神これなり。 かくて 新羅 ( しらぎ )・ 百済 ( くだら )・ 高麗 ( かうらい )を 〈此三け国を 三韓 ( さんかん )と 云 ( い )ふ。 正 ( ただしく )は新羅にかぎるべきか。 辰韓 ( しんかん )・ 馬韓 ( ばかん )・ 弁韓 ( べんかん )をすべて新羅と云也。 しかれどふるくより百済・高麗をくはへて三韓と 云 ( いひ )ならはせり〉うちしたがへ給き。 海神 ( うみのかみ )かたちをあらはし、御船をはさみまぼり申しかば、 思 ( おもひ )の如く彼国を 平 ( たひら )げ給。 神代より年序久くつもれりしに、かく 神威 ( しんゐ )をあらはし給ける、 不測 ( はからざる )御ことなるべし。 海中にして 如意 ( によい )の 珠 ( たま )を 得 ( え )給へりき。 さてつくしにかへりて皇子を誕生す。 応神天皇にまします。 神の 申 ( まをし )給しによりて、是を 胎中 ( たいちゆう )の天皇とも申。 皇后 摂政 ( せつしやう )して 辛巳 ( かのとみの )年より天下をしらせ給。 皇后いまだ筑紫にまし 〳 〵し時、皇子の 異母 ( いぼ )の 兄 ( このかみ ) 忍熊 ( おしくま )の王 謀反 ( むほん )をおこして、ふせぎ申さんとしければ、皇子をば武内の大臣にいだかせて、 紀伊 ( き )の 水門 ( みなと )につけ、皇后はすぐに 難波 ( なには )につき給て、程なく其 乱 ( みだれ )を平げられにき。 皇子おとなび給しかば皇太子とす。 武内[の]大臣もはら朝政を 輔佐 ( ふさ )し申けり。 大和の 磐余稚桜 ( いはれわかさくら )の宮にまします。 是より三韓の国、年ごとに御つきをそなへ、此国よりも彼国に 鎮守 ( ちんじゆ )のつかさをおかれしかば、 西蕃 ( せいばん )相 通 ( つうじ )て国家とみさかりなりき。 又もろこしへも使をつかはされけるにや。 「 倭国 ( わこく )の女王 遣使 ( つかひをつかはし )て来朝す。 」と 後漢書 ( ごかんじよ )にみえたり。 元年 辛巳 ( かのとみの )年は漢の 孝献帝 ( かうけんてい )二十三年にあたる。 漢の世始りて十四代と云し時、王 莽 ( まう )と云 臣 ( しん ) 位 ( くらゐ )をうばひて十四年ありき。 其 後 ( のち )漢にかへりて、又十三代孝献の時に、漢は 滅 ( めつ )して此御代の十九年 己亥 ( つちのとゐ )に献帝位をさりて、 魏 ( ぎ )の 文帝 ( ぶんてい )にゆづる。 是より天下 三 ( みつ )にわかれて、 魏 ( ぎ )・ 蜀 ( しよく )・ 呉 ( ご )となる。 呉は東によれる国なれば、日本の使もまづ 通 ( つう )じけるにや。 呉 ( ごの )国より 道々 ( みちみち )のたくみなどまでわたされき。 又 魏 ( ぎの )国にも通ぜられけるかとみえたり。 四十九年 乙酉 ( きのととり )と云し年、魏又 滅 ( ほろび )て 晉 ( しん )の代にうつりにき 〈蜀の国は三十年 癸未 ( みづのとひつじ )に魏のためにほろぼされ、呉は魏より後までありしが、応神十七年 辛丑 ( かのとうし )晉のためにほろぼさる〉。 此皇后天下を治給こと六十九年。 一百歳おまし 〳 〵き。 御母神功皇后也。 胎中 ( たいちゆう )の天皇とも、又は 誉田 ( ほむだの )天皇ともなづけたてまつる。 庚寅 ( かのえとらの )年即位。 大和の 軽嶋豊明 ( かるしまとよあかり )の宮にまします。 此時 百済 ( くだら )より 博士 ( はかせ )をめし、 経史 ( けいし )をつたへられ、太子 以下 ( いげ )これをまなびならひき。 此国に経史 及 ( および )文字をもちゐることは、これよりはじまれりとぞ。 異朝 ( いてう )の一書の中に、「日本は呉の 太伯 ( たいはく )が 後 ( のち )也と 云 ( い )ふ。 」といへり。 返々 ( かへすがへす )あたらぬことなり。 昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、 桓武 ( くわんむ )の御代にやきすてられしなり。 天地 ( あめつち ) 開 ( ひらけ )て後、すさのをの尊 韓 ( かん )の地にいたり給きなど云事あれば、彼等の国々も神の 苗裔 ( べうえい )ならん事、あながちにくるしみなきにや。 それすら昔よりもちゐざること也。 天地神 ( あめつちのかみ )の御すゑなれば、なにしにか 代 ( よ )くだれる 呉 ( ごの )太伯が後にあるべき。 三韓 ( さんかん )・ 震旦 ( しんだん )に通じてより 以来 ( このかた )、異国の人おほく此国に 帰化 ( きくわ )しき。 秦のすゑ、漢のすゑ、高麗・百済の種、それならぬ 蕃人 ( ばんじん )の子孫もきたりて、神・皇の御すゑと混乱せしによりて、 姓氏録 ( しやうじろく )と云 文 ( ふみ )をつくられき。 それも人民にとりてのことなるべし。 異朝にも人の心まち 〳 〵なれば、異学の 輩 ( ともがら )の 云出 ( いひいだ )せる事 歟 ( か )。 後漢書 ( ごかんじよ )よりぞ此国のことをばあら 〳 〵しるせる。 符合 ( ふがふ )したることもあり、又心えぬこともあるにや。 唐書 ( たうじよ )には、日本の 皇代記 ( くわうだいき )を 神代 ( かみよ )より 光孝 ( くわうかう )の御代まであきらかにのせたり。 さても此御時、 武内 ( たけうちの )大臣筑紫ををさめんために彼国につかはされける 比 ( ころ )、おとゝの 讒 ( ざん )によりて、すでに追討せられしを、大臣の 僕 ( やつこ )、 真根子 ( まねこ )と云人あり。 かほかたち大臣に似たりければ、あひかはりて 誅 ( ちゆう )せらる。 大臣は 忍 ( しのび )て都にまうでゝ、とがなきよしを 明 ( あきら )められにき。

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稗田の阿礼、太の安万侶 武田祐吉注釈校訂 古事記 校註 古事記

機 皇帝 あめ の かく のみ か づち

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本作の主人公。 お調子者の白髪の少年。 愛称は「シロ」。 唐傘をよく持ち歩いている。 葦中学園高校の生徒。 17歳(第1期開始時)。 生まれ、の。 身長169。 昼休みに学校中を回って弁当を分けてもらうなど交友関係が広いが、特定の友人とつるむことはない。 刀を向けられても口先と小道具だけで危機を乗り切るなど、肝が据わっており知恵が回る。 そのために狗朗からは「いつもへらへら笑っている上に、口を開けばホラばかり吹く」と評されている。 ある日、吠舞羅のメンバー・十束多々良を殺害した疑いをかけられたことで、様々な勢力から追われる身となる。 本人には身に覚えがなく、アリバイもあったために一応の潔白を証明した。 しかし部屋から返り血の付いたワイシャツが見つかり、を自分も口にする等、真相は不明のままとなっていた。 その後学園を離れ買い出しに出た際、ふとしたことから自身の存在の不確かさ、実家や家族の記憶ですら偽りの物だったことを知る。 そのことから自己不信に陥り、狗朗に斬られる覚悟を決めるが、彼が社の「見極め」をあきらめないことを選択したため、自分の本当の日々を始めるために真実を探すことを決意した。 その際、自分を導いてくれた狗朗には少なからず感謝の念を抱いており、狗朗が危機に陥った際助けに戻るなど友好関係が徐々に生まれていった。 社の存在の不確かさの原因は、社本人や彼を取り巻く人々の記憶をネコが作りかえていたことである。 ネコの能力により自分をごく普通の高校生と認識して暮らしており、学園での記憶や周囲との関係は全てネコによって作られたものであった。 本来の社の正体は、第一王権者「 白銀の王」アドルフ・K・ヴァイスマンその人。 下界から逃げるようにヒンメルライヒ号で周遊していた所を「無色の王」キツネ煙に襲撃され、身体を乗っ取られてしまう。 しかし、「白銀の王」の能力は「不変」、すなわち不老不死であり、何者にも干渉されることがないため完全な乗っ取りは果たされず、行き場を失った力と魂はキツネ煙が使用していた少年の体に入ってしまい「伊佐那 社」となった。 その後葦中学園に落とされ、入れ替わりのショックで記憶を失っていた。 この体の少年が元はどこの誰だったのかについては、番外編的な小説(2期最終巻に付属の小冊子)で描かれている。 覚醒後は白銀の王としての絶対不可侵の力により淡島の剣を受け止めたり、シルバリーサンクトゥムの重力遮蔽効果で浮遊・移動するなどの力を見せた。 物語終盤にて、自身の記憶と名前を思い出し、白銀の王としてネコを初めてのクランズマン、クロを第二のクランズマンとする。 その後、事態の決着を図り、周防の手刀に貫かれて生死不明となった。 なお、記憶を取り戻した後も伊佐那社の名も使っており、今まで自分が出会ってきた学園の人間を「大切な友達」と称するなど、下界に対し再び関わる姿勢を見せている。 劇場版では、第1期最終話にて身体は一度消失したようで、再構成後に第二王権者「黄金の王」に保護され、飛行船に乗っている姿が描かれている。 第2期では再び地上に降り立ち、赤のクランと青のクランと連携し、ドレスデン石盤を奪おうとする緑のクランに対抗するが、力及ばずに奪われてしまう。 一度は作戦の失敗に消沈するものの、今度は緑のクランから石盤を奪い返すことを決意。 緑の基地内に侵入、狗朗やネコの力を借り緑の王・比水流と対決。 自身のダモクレスの剣をダモクレスダウンさせることで石盤を破壊、比水に勝利する。 石盤の影響がなくなった関係で不変の力を失い、借り物である体から追い出され、意識を失う。 その後、元のヴァイスマンの肉体で目覚めた。 最終話終盤にてドイツ語の教師として葦中学園高校に赴任していたことが判明。 最後には狗朗、ネコと共に以前の部屋に住んでいることが伺える。 狗朗(やとがみ くろう) 声 - 赤のクランズマンに襲撃された社の前に突如として現れた少年。 先代の第七王権者「無色の王」三輪一言のクランズマン。 学ラン風の黒いロングコートを着用し、長い黒髪を後ろで一つに束ねている。 18歳(第1期開始時)。 生まれ、のA型。 身長178cm。 「黒狗(くろいぬ)」の名で知られ、多くの組織から警戒されている。 社や菊理からは「クロ」、「クロ君」と呼ばれ、ネコからは「クロスケ」と呼ばれている。 悪しき王と思われる社を追っていたが、一言に「新しい無色の王を見極めろ」との遺命を受けていたため、その疑いが晴れるまでは社と一緒に行動することになる。 剣術、体術、家事が得意で、特に料理はバッグに専用の調理器具を持ち歩くほど。 堅物な性格で一見クールだが、一言のことになると頬を染めて彼の魅力を熱弁するなど、社が引いてしまうほどの盲信ぶりを見せる。 道に迷った時は三輪一言の格言が録音されているボイスレコーダーを再生する。 融通が利かず、シロに容易に騙されたり、ネコにしてやられるなど罠や策略には弱い。 繋げる力は空間を伸縮させ反動を利用し逃走するなど応用が利く。 セプター4のNO. 2淡島と互角に戦えるほど戦闘力は高い。 一言の愛刀「理(ことわり)」を常に帯刀しているが、基本的に戦闘には用いず、実力の遠く及ばない宗像との戦闘時にも鞘から抜かなかった。 菊理の助力もあり社の潔白は一度証明された後、ふとしたことから再び彼が殺人犯であるという可能性に直面する。 しかし、社を斬ろうとはせず、一言の言葉に従い社を「見極める」と宣言、絶望していた彼を立ち直らせた。 その後、逃亡中の場面をえがいたノベライズ版では「できれば斬りたくはない」と、社に対する情を見せている。 終盤、最後の決戦に赴く社に跪き、白銀の王のクランズマンとなった。 その後は行方不明になったシロを探している。 劇場版から第2期にかけて、兄弟子で現在は緑のクランズマンである御芍神紫と対決する。 ネコ 声 - いつも社と一緒にいる白い子猫。 15歳(第1期開始時)。 ()生まれ、のB型。 身長155cm。 薄桃色の長髪の美少女の姿と猫の姿を持つ。 アニメ本編中では、どちらが本当の姿なのか曖昧な部分があったが、ノベライズ版にて、人間の姿が本当の姿であることが判明した。 普段は認識操作能力で身を隠している。 社と狗朗には「ネコ」と呼ばれている。 一人称が「吾輩」であることから、菊理からは「ワガハイちゃん」と呼ばれる(一人称の由来は彼女が幼いころに目にした小説『』から)。 あまり物事を深く考えておらず、自分の気持ちに正直。 好きなものには全力で愛情表現をし、嫌いなものからは素直に逃げる。 頭はあまり良くない。 人間時も猫のようなしぐさを多々見せる。 辛い物が好きで、ネギ、生姜等は嫌い。 服を着るのも嫌い。 作中初めて人間の姿で社と会った時も何も着用しようとせず、社を困らせた。 暇なことも嫌いなようで、ヘリで狗朗、社とともに飛行していた際、装置を勝手にいじるなどして遊び、2人を困らせた。 自らを中心とした特定範囲の人間の知覚・認識に一度に干渉できる認識操作の異能を持つ。 その能力を用いて社の周囲の人間や彼自身の記憶を操作し、社を学校生活に溶け込ませていた。 能力はロボットの視界などの機械類には及ばず、距離が離れれば知覚操作も解除されてしまう。 出会ってからずっと社のそばにおり、彼のことをとても大切に思っている。 彼女の行動原理は基本的に社が中心である。 性質が正反対の狗朗とはそりが合わないようで、しばしば対立する。 アニメ第1期終盤、白銀の王として覚醒した社より「初めてのクランズマンになってくれ」と請われ、彼のクランズマンとして強化された異能を振るい学園島の生徒たちを避難させた。 その後は行方不明になったシロを探している。 劇場版では、第1期に引き続きシロを探している。 御柱タワー事件では、アンナが第三王権者「赤の王」に覚醒する瞬間に立ち会う。 第2期では緑の王に「雨乃雅日(あめの みやび)」と本名を呼ばれる描写がある。 異能者 赤のクラン・吠舞羅(ホムラ) 周防 尊(すおう みこと) 声 - 第三王権者「 赤の王」。 吠舞羅のキング。 赤い短髪の男。 24歳。 生まれ、のB型。 身長185cm。 仲間たちからは大きな信頼と畏敬の念を抱かれている。 寡黙で一見無気力だが気性は荒く、胸の内には激しい情動を抱えている。 草薙曰く「努力や制御を嫌う性格」。 赤の王の力として強力な炎の力と身体能力を有している。 彼と同じく赤のクランズマンは炎に由来した能力を扱う。 右腕である草薙とは最も古い付き合いで気心が知れており、殺気を感じて寝ぼけてバーの2階の部屋を燃やした後は素直に謝罪していた。 学生時代から自分を「キング」と慕っていた十束の「王はこういうものである」という言を聞き入れているものの、己の本質との間に軋轢が生まれ、鬱屈とした様子を見せることも多かった。 制御困難な巨大な力で大切なものを失うことを恐れる一方、己の中にある破壊衝動への誘惑も自覚している。 自身のダモクレスの剣の状態を理解していてもなお、自らの手で十束を殺害した犯人を屠ることを望んだ。 耳にはその十束の血が入ったピアスをつけている。 第四王権者「青の王」である宗像とは対立しているものの力は認めており、十束の事件後は「ゆっくり休むため」にセプター4に拘束されていた。 また、宗像との最後の戦いでは、楽しそうな様子で力の限り戦っていた。 十束多々良殺害事件の犯人を殺害後、ヴァイスマン偏差が限界を超え、ダモクレスダウンが起きる寸前の状態になる。 ダモクレスダウンに自分のクランズマンや町を巻き込まないように、宗像に自分を殺すよう頼み、宗像の刀に貫かれて死亡した。 享年24歳。 無口で人形のような少女。 11歳(第1期開始時)。 生まれ、のO型。 身長140cm。 仲間からはアンナと呼ばれている。 我慢強く、健気な性格。 ストレインであり、強い感応能力を持つ。 赤いビー玉を用いることで、任意の対象を遠距離から探知したり他人の心や未来を見透かすことが出来る。 普段は赤いを着用している。 両親を事故で亡くし、彼女の叔母の縁で、叔母が教師の時に生徒だった周防と知り合った。 赤色しか認識できない色覚異常がある。 吠舞羅のマスコット的な存在で、尊とは特に強い絆で結ばれている。 十束の歌を気に入っており、彼からはファン1号とされていた。 劇場版では、御柱タワー事件にて新たな第三王権者「 赤の王」として覚醒した。 出雲(くさなぎ いずも) 声 - 赤のクランズマン。 吠舞羅のNo. 「BAR HOMRA」のマスター。 金髪で紫がかったサングラスをかけている。 26歳(第1期開始時)。 生まれ、のO型。 身長188cm。 十束と共に吠舞羅の最古参で、頭脳担当。 英語も堪能。 普段は物柔らかな京都弁で話している。 尊とは学生時代からの古い付き合いであり、彼にとって「右腕」であり「兄」の様であり「友人」である(GoRAのTwitterより)。 情報通で、アンナの能力と合わせて十束多々良を殺害した犯人を追跡する。 ライターや煙草の火を火球にして飛ばしたり、炎の鞭として操る能力を持つ。 淡島世理とは王の右腕どうし気心の知れた仲であり、悪食である淡島用の酒の割り方を不本意ながらも熟知している。 また、客ではないにも関わらずバーに入り浸るクランズマンに苦言を呈しているが、吠舞羅のメンバーを常に気にかけている。 十束曰く「人が良い」性格で、アンナの食を気にして色々作る等、面倒見が良い様子も描かれている。 バーは元々草薙の叔父の持ちものであり、自身が継いだ際に調度品等を入れ替えた。 バー自体にこだわりを持っており、イギリスから取り寄せた高価なバーカウンターを傷付けた八田と鎌本は、揃ってカウンターへ向かって謝罪させられた。 尊のダモクレスダウンを阻止したいと願っているが、自らにその力がないことに苦悩と諦念を抱いている。 劇場版では、赤の王に選ばれたアンナのためにドイツまで石盤の情報を探しに行ったが、緑の御柱タワー襲撃事件が起こった際に調査を中断して途中帰国、最終的にアンナに王になるための決意を促した。 (とつか たたら) 声 - 赤のクランズマン。 吠舞羅のNo. 金髪の青年。 享年22歳。 生まれ、のAB型。 身長172cm。 周防や草薙と並ぶ吠舞羅の初期からのメンバー。 アニメ本編では1話時点で故人。 尊と草薙に出会ったのは尊が王になる前だったが、当時から尊を「キング」と呼び、「王様の家来になる」という夢をかなえるために付きまとった経歴を持つ。 誰とでも仲良くなれる性格で、吠舞羅のムードメーカーである。 草薙からには猛獣使いに例えられた。 絶望的な状況でも「平気平気」「何とかなる」と笑っていられるほど、肝が太くマイペース。 非常に多趣味で、盆栽やギター、歌、スケボー、料理など様々なことに挑戦している。 その中でも歌はアンナが気に入るほどの腕前。 その趣味の一つ、ビデオカメラ撮影に出掛けていた際に、社に酷似した少年によって殺害された。 赤の王のクランズマンとして彼も炎を操る能力を得ているが「最弱の幹部」と称されるほど戦闘力は低く、一般人とあまり変わらない。 しかし炎のコントロールと協調性は非常に高い。 時間をかければ小さな火の鳥を作って飛ばしたり、音を立てずに金属の鍵を焼ききることも可能。 王の力が暴走しがちな周防のストッパーの役割を果たしていた。 美咲(やた みさき) 声 - 赤のクランズマン。 ニット帽をかぶった茶髪の少年。 19歳(第1期開始時)。 生まれ、のB型。 身長167cm(伏見曰く、正確には166. 9cm)。 上位の3人に対しては「さん」付けで呼び、下位のものからは「さん」付けで呼ばれ、下位の者へは呼び捨てにする。 アンナは別格で敬意を持って呼び捨て。 伏見に関しては、中学時代からの親友であり相棒であるという間柄からなのか「美咲」「猿 比古 」と下の名前で呼び合っている。 短気な吠舞羅の切り込み隊長で、能力で強化したスケボーを巧みに乗り回し金属バットで殴りこみをかける。 通称・ヤタガラス。 尊を尊敬しており、チーム吠舞羅を誇りに思う気持ちが非常に強い。 考えるより先に体が動くタイプ。 セプター4のNo. 3伏見猿比古とは中学時代からの同級生で、鎮目町で同居していた時期もあるなど親友関係にあった。 2人でjungleを出し抜こうと画策した際に、逆にアプリのミッションに従った一般の利用者らに襲撃され、危ない状況に陥っていたところを周防と十束に助けられた。 その事件を契機に、特別な力が欲しいと願った八田は伏見と共に吠舞羅に加入。 加入時に受けたインスタレーションの際、相棒である伏見と全く同じ位置に吠舞羅の徴が浮かび上がった。 伏見とは「吠舞羅最速にして最強の2人組」と呼ばれていた。 その後、伏見の裏切りにより決裂し、長年に渡って複雑な関係が続いていたが、周防尊の死をきっかけに少しずつ関係が変化。 二期を通して和解した。 現在は少しずつ新しい関係を築いており、小洒落たバーに二人で呑みに行ったりもしている。 男性に対しては基本的に恫喝と暴力で接するが、女性には耐性が無く見ただけで顔を赤らめてしまう程シャイな一面もあり、伏見にはその様子を「相変わらず童貞丸出し」と揶揄される。 牛乳が苦手。 日向中学に通っていた頃は伏見に給食の牛乳を飲んで貰っていた(その代わりとして、自らは伏見の分も給食の野菜を食べていた)。 また、お化けや怪談等の非科学的なことに関して少々怖がりな面がある。 母子家庭で育ったが、後に母親が再婚、8歳年下の異父弟・実(みのる)と、12歳年下の異父妹・萌(めぐみ)がいる。 美咲を含め三兄弟の名前は八田の母が考えてつけたものであり、共通の想いが込められている。 女性的な響きの名前に対しては不満があるものの、八田自身は何となく真意に気づいており、嬉しくも感じていた。 鎌本 (かまもと りきお) 声 - 赤のクランズマン。 20歳(第1期開始時)。 生まれ、のA型。 身長185cmの巨漢。 草薙、十束に次ぐ古参メンバー。 小学生時代はいじめられっ子で八田の舎弟的存在であり、吠舞羅のメンバーとしては先輩で歳も上だが再会後は「八田さん」と呼んで慕っている。 金髪でサングラス、吠舞羅のマークが描かれたパーカーを着用し、八田と行動を共にする。 一見強面だが情に厚い質であり、面倒見がよく、休みなく活動する八田のことを心配するなど優しい性格。 隣人で幼なじみの歩(あゆみ)から好意を寄せられている(MOR 第9話)。 外見に違わず大食漢で、聞き込みの最中でさえ買い食いしてしまう。 冬の時期は肥満体であるが、夏は食欲が落ちるらしく、痩身の美男子になる(体重は夏季が60、冬季が80〜90kgほど)。 劇場版では、吠舞羅が事実上解散状態のため、食欲が落ち痩身になっていた。 草薙から指示で緑のクランからアンナを守るため、一緒に逃走していた。 赤城 翔平(あかぎ しょうへい) 声 - 年齢は20歳(第1期開始時)。 生まれ、牡羊座のO型。 身長175cm。 第一話で街中を歩く社を建物の中から発見した。 頭文字はA。 坂東三郎太とは幼馴染であり、MOR第1話・第2話の主人公的立ち位置のキャラクター。 犯罪組織「羅刹」と関わりを持ってしまった女友達を助けるために力が欲しくて吠舞羅に入った(MOR 第1-2話)。 坂東 三郎太(ばんどう さぶろうた) 声 - 年齢は20歳(第1期開始時)。 生まれ、乙女座のB型。 身長182cm。 サングラスをかけ、パーカーのフードをかぶっているのが通常装備。 頭文字はB。 細菌よりも器が小さい。 八田によく絡まれている。 MOR第1話・第2話では、幼馴染である赤城翔平を仕方なくといった体で手助けしている。 いつも人の中心にいるような明るい性格の翔平と根暗な自分を比較しては落ち込み、小さなことでねちねちと翔平を攻撃しては、周りから「器が小さい」と諌められた(MOR 第1-2話)。 千歳 洋(ちとせ よう) 声 - 年齢は22歳(第1期開始時)。 生まれ、双子座のB型。 身長175cm。 本人いわくモテる男だが、コミックの紹介欄には「女にだらしない」と書かれている。 昔は一途だったが、ひどい別れ方をされて以来、1人の女と真面目に付き合うことができなくなった(MOR 第3話)。 二日酔いにはトマトジュースが効くらしい。 頭文字はC。 出羽将臣とは腐れ縁。 生まれ、天秤座のA型。 身長176cm。 ハットをかぶり、黒縁メガネをしている。 頭文字はD。 千歳洋とは腐れ縁。 エリック・スルト 声 - 年齢は18歳(第1期開始時)。 生まれ、魚座のA型。 身長180cm。 金髪で、フードをかぶっている。 頭文字はE。 吠舞羅に入る前は、以前吠舞羅につぶされたヤクザ「氷川組」に飼われていた。 組員だった親の死後、組の犬として命じられることを何でもやってきた。 雨の日に、藤島に拾われてきた。 藤島 幸助(ふじしま こうすけ) 声 - 年齢は21歳(第1期開始時)。 生まれ、牡牛座のO型。 身長176cm。 犬猫をよく拾ってくる。 お人好しで面倒見が良い。 ゴミ捨て場でエリックを拾ってきた張本人。 頭文字はF。 青のクラン・セプター4 宗像 礼司(むなかた れいし) 声 - 第四王権者「 青の王」。 セプター4の室長。 24歳(第1期開始時)。 生まれ、のAB型RH -。 身長185cm。 銀縁の眼鏡をかけた理知的な風貌で、物腰は穏やかだが慇懃無礼な性格をしている。 趣味はジグソーパズルで、職務中にも机上に広げている。 私服は和服を好むが、外出時には洋服を着る。 茶道を嗜み、セプター4の作戦遂行中にも関わらず、陣幕の中で一人野点を楽しむマイペースな面もある。 また、自身の職務室内には畳敷きの一角があり、そこに設えた茶室では部下に茶を振る舞うこともある。 実家は造園業を営んでおり、父と兄は庭師。 ごく普通の家庭で育った。 サーベルを用いて戦闘し、青い結晶状の力を防御や移動に使用する。 また、剣を抜かないまま狗朗を軽くあしらえるほど体術にも長ける。 アニメ第1期では、同じ王であり友人でもある第三王権者「赤の王」の周防のダモクレスダウンを阻止すべく砕身した。 周防とは対立しているものの、唯一対等で気兼ねのいらない存在として認めている面もある。 普段は敬語口調で底知れぬ笑みを湛えているが、彼の前では一人称が俺になり本心を露わにする。 ネコには「ボスメガネ」と呼ばれている。 眼鏡のスペアを常備している。 実は喫煙者である。 劇場版から第2期にかけて、彼のダモクレスの剣は限界に近づいていた。 淡島 (あわしま せり) 声 - 青のクランズマン。 セプター4の副長。 22歳(第1期開始時)。 生まれ、のA型。 身長170cm。 セプター4のNo. 2として冷徹に職務に励む。 上司である宗像には純粋に敬愛の念を抱いており、常に忠実な右腕たらんとしている。 吠舞羅No. 2の草薙とはプライベートではバーのマスターと客の関係。 彼からは「ツンドラの女」と呼ばれている。 やを異常に好むが故に、どんな食材にでもあんこやずんだを合わせるという悪食であり、草薙や宗像、伏見を辟易させている。 戦闘時サーベルから発する衝撃波を用いる。 また、日頃からトレーニングに励み、腕力の強い一面も描かれている。 職務中は髪をひとまとめにし、露出の多いセプター4の制服を着用しているが、プライベートでは髪を下ろし、清楚な女性らしい服装を好む。 (ふしみ さるひこ) 声 - 青のクランズマン。 セプター4のNo. 19歳(第1期開始時)。 生まれ、のAB型。 身長178cm。 就寝する時以外はメガネを掛けており、艶のない黒髪の片側を撫でつけたアシンメトリーな髪形をしている。 常に怠惰でやる気のないそぶりを見せ、上司に向かって舌打ちをするなど態度は最悪だが、仕事の処理能力は高い。 中学時代からPCやタンマツなどの知識に長けており、当時共に過ごしていた八田に対し、お手製の腕時計(正確には腕時計型のタンマツ)を贈ったこともある。 淡島の味覚には宗像同様辟易しており、彼女の手が加えられた飲食物には極力近寄らないようにしている。 また、食べ物の好き嫌いが多く、野菜全般が嫌いなど子どもっぽい一面もある。 飲み物は人工甘味料入りの炭酸飲料を好む。 元は赤のクランに所属しており、八田からは裏切り者と思われていた。 八田のこととなると異常な感情の昂ぶりを見せるが、普段は常識人。 下の名前で呼ばれるのを嫌う八田のことを中学時代からずっと「美咲」と呼び続けている。 左側の鎖骨の位置に火傷の痕があるが、それは吠舞羅を抜けた際、八田の目の前で自ら焼いたもの。 その下には八田と共に吠舞羅に加入し、インスタレーションを受けた際に浮かび上がった吠舞羅の徴がある。 2期終盤以降は長年に渡って複雑に関係を拗らせていた八田と和解し、新しい関係を築きつつある。 クランを移ったことから赤と青の力を使うことができる。 二色の力を持つものは珍しく、劇中では彼と狗朗(1期終盤)のみ。 また、2期で潜入捜査をした際に、緑のインスタレーションも受けた模様。 戦闘では青のクラン特有のサーベルに加え、暗器としてナイフを用いて攻撃する。 ネコには「イヤメガネ」と呼ばれている。 基本二人で一部屋の寮で唯一、5号室を一人で使用しており、備付けの二段ベッドの上の段で寝ている。 実は幼少の頃に八田とファーストコンタクトを果たしているが、お互いの顔をきちんと確認できていなかったため、今現在その事件が伏見の記憶に残っているのかは定かでない。 秋山 氷杜(あきやま ひもり) 声 - 髙橋孝治 年齢は25歳(第1期開始時)。 生まれ、天秤座のA型。 身長175cm。 青のクランで最初に抜刀する隊員。 頭文字はA。 サーベル名は「垂氷」。 国防軍出身。 癖のある髪で右目を隠している。 真面目で控えめな性格。 曾祖母がいる。 寮では弁財と同室の1号室。 善条によると剣の腕は「淡島に次いでバランスがよく、要所に置けば頼もしい」。 なお、秋山・弁財・加茂・道明寺の4人はセプター4再編成前の小隊長格であり、アニメ本編での出番も比較的多い。 生まれ、山羊座のO型。 身長180cm。 青のクランで2番目に抜刀する隊員。 頭文字はB。 サーベル名は「残照」。 秋山と同じく、国防軍出身。 ストレートな茶髪を肩のあたりで切りそろえている。 無難だが、何手も先を考えて的確に行動するタイプ。 妹がいる。 寮は秋山と同室。 善条によると剣の腕は「ややおとなしいが、手堅い。 押さえに使うのがいい」とのこと。 生まれ、牡羊座のA型。 身長183cm。 青のクランで3番目に抜刀する隊員。 頭文字はC。 サーベル名は「虎徹」。 肩につくくらいの黒髪の一部を後ろで団子状に束ねている。 重厚な押さえ役だが、カッとなると猪突猛進となる一面がある。 英会話教室に通っているらしい。 寮では道明寺と同じ2号室。 善条によると剣の腕は「少々出が強い。 先走らないように気をつけてやる必要があるが、ここ一番では役に立つ」とのこと。 離婚歴があり、娘がいるが3か月に一度しか会わせてもらえていない。 セプター4に入る前は小料理屋を営んでいたが、兄が借金を残して夜逃げしたため、保証人として借金返済のために店を手放さなくてはならなくなった。 その時の最後の客として来店した宗像に勧誘されて現在に至るが、当初は料理人として雇ってもらえると思っていた。 借金はすでに全額返済済みとのこと。 道明寺 アンディ(どうみょうじ アンディ) 声 - 鬼塚真吾 年齢は19歳(第1期開始時)。 生まれ、双子座のAB型。 身長182cm。 青のクランで4番目に抜刀する隊員。 頭文字はD。 もと撃剣機動課第四小隊(剣四)小隊長。 サーベル名は「エクスカリバー」。 ウェーブがかった茶髪に碧色の瞳をもつ。 天才肌で性格はかなり天然。 ゲーム好き。 特務隊の最年少(伏見と同い年)。 実家は剣術道場。 あんことヘビが苦手。 善条によると剣の腕は「癖が強いが、あまり抑えつけないほうが活きるかもしれない」とのこと。 なお、以下の榎本・布施・五島・日高・楠原は元はセプター4再編成前の剣四隊員であり、元は道明寺の部下である。 加茂とは寮で同室であり、誤解を招きやすいことから悪口以外は「いい意味」を主張するよう言いつけられている。 榎本 竜哉(えのもと たつや) 声 - 斎藤寛仁 年齢は22歳(第1期開始時)。 生まれ、牡牛座のA型。 身長173cm。 青のクランで5番目に抜刀する隊員。 頭文字はE。 サーベル名は「たつやのつるぎ」。 長髪を首のあたりで括り、黒縁眼鏡をかけている。 PCオタク。 面倒見のよい常識派で、日高たち元剣四の問題児組の抑え役。 寮では布施と同室。 趣味に時間を使いたかったため、公務員を希望し、戸籍課に就職したものの、配属面接の面接官の中にいた宗像によって第四分室配属の辞令を出されて現在に至る。 布施 大輝(ふせ だいき) 声 - 柳田淳一 年齢は23歳(第1期開始時)。 生まれ、蠍座のB型。 身長172cm。 青のクランで6番目に抜刀する隊員。 頭文字はF。 サーベル名は「ハガネ」。 茶髪を前髪中央で分け、後ろ髪を首元で外側へと跳ねさせている。 比較的落ち着いていて、そつがない。 五島と特に仲が良く、視線でわかり合う仲である。 淡島のことを陰で「世理ちゃん」と呼んでいる。 寮は榎本と同じ3号室。 セプター4に入る前はフリーターだった。 五島 蓮(ごとう れん) 声 - 清水一貴 年齢は20歳(第1期開始時)。 生まれ、水瓶座のB型。 身長183cm。 青のクランで7番目に抜刀する隊員。 頭文字はG。 サーベル名は「ポチ」。 青みがかった黒髪で、前髪中央を房にして頭頂部でピン止めしていると思われる。 「んふふ」「〜ですねェ」といった特徴的な笑い方・口調の青年である(ただし、アニメでは抜刀のみ)。 言動がズレていて、何を考えているかよく分からない。 あまり空気を読まない天然でもある。 猫を飼っている。 寮で同室の日高には「ゴッティー」と呼ばれている。 私服は文字Tシャツが多い。 セプター4に入る前はニートだった。 本人曰く「働きたくなかっただけ」。 日高 暁(ひだか あきら) 声 - 小野大輔 年齢は22歳(第1期開始時)。 生まれ、射手座のO型。 身長187cm。 青のクランで8番目(最後)に抜刀する隊員。 頭文字はH。 サーベル名は「GSX(ぐれいとすらっしゃーえっくす)」。 短く切った茶髪の青年であり、特務隊8人の中で一番背が高い。 普段はエンジニアブーツを履いている模様。 気分屋で、怒りだすのも早ければ水に流すのも早い。 仲間思い。 よく訓練中にサボっているのを淡島に見咎められ、罰則を受けている。 剣四の中でも榎本と特に仲が良く、彼のことは「エノ」呼びである。 また、遅れて入隊した楠原と最も仲が良かったのも日高であり、「タケ」「タケル」と呼んで親しくしていた。 寮は五島と同じ4号室だが、彼の妙なコレクションに好かれてしまい、一人で部屋にいるのを怖がっている。 セプター4には大学を卒業してすぐに入隊した。 楠原 剛(くすはら たける) 声 - 小説「SIDE:BLUE」オリジナルキャラであり、主人公。 生まれ、元警視庁機動隊員。 特務隊配属当日に殉職。 享年20歳。 吉野 弥生(よしの やよい) 短編「クロと善条」の登場人物。 庶務課所属隊員。 先代セプター4のメンバー 善条 剛毅(ぜんじょう ごうき) 声 - 津田健次郎 小説「SIDE:BLUE」及びアニメ第2期の登場人物。 庶務課。 37歳(第2期開始時)。 生まれ、蟹座のO型。 身長195cm。 先代「青の王」のクランズマンであり、ダモクレスダウンを起こしかけた羽張を殺害した。 その後、宗像の強い勧誘を受け、現在のセプター4にも所属することとなった。 迅(はばり じん) 声 - 小説「SIDE:BLUE」の登場人物。 享年25歳。 先代の第四王権者「 青の王」。 迦具都に引きずられて彼もまたダモクレスダウンを起こしかけるが善条によって殺害されたことで防がれた。 彼の死後、宗像が青の王の座に就くまで、その玉座は約10年以上空位であった。 塩津 元(しおつ げん) 声 - 小説「SIDE:RED」及び小説「Lost Small World」の登場人物。 43歳(SIDE:RED登場時)。 先代「青の王」のクランズマンであり、主亡き後のセプター4をまとめていた。 湊 速人(みなと はやと) 小説「SIDE:RED」及び小説「Lost Small World」の登場人物。 先代「青の王」のクランズマン。 秋人とは双子の兄弟。 湊 秋人(みなと あきと) 小説「SIDE:RED」及び小説「Lost Small World」の登場人物。 先代「青の王」のクランズマン。 速人とは双子の兄弟。 緑のクラン・jungle 流(ひすい ながれ) 声 - 第五王権者「 緑の王」。 25歳。 生まれ、蠍座のA型。 身長175cm。 宗像には「不気味な男」と称されている。 「 白銀の王」のことを心から尊敬し、彼のファンだと自称する。 行方不明となった彼を探している。 小説「Lost Small World」では「jungle」と呼ばれる高度で多機能なアプリをばら撒き、不特定多数の人間をアプリのミッションという形で操り、吠舞羅を襲う暴徒化させるなど暗躍していた。 また、この際にjungleの悪意に気づきクラッキングを仕掛けようとした伏見に興味を持ち、そのことが彼が吠舞羅を抜けるきっかけの一因となった。 迦具土事件の被害者であり、瓦礫の下敷きになっていたところを磐舟天鶏(鳳聖悟)に助けられた。 比水が全身に身に付けているベルトは、その時に緑の王の力を制御できなかったため、当時は鳳聖悟と名乗っていた磐舟天鶏が付けたものである(漫画「ドリーム・オブ・グリーン」参考)。 第2期では社に同盟を求めるも失敗。 その後、クリスマスにドレスデン石盤を奪う。 しかし、石盤を取り戻しにきた社たちの策に負け、ドレスデン石盤を破壊されたために心臓が停止して死亡した。 享年25歳。 紫(みしゃくじ ゆかり) 声 - 緑のクランズマン。 jランカー。 30歳(第2期開始時)。 生まれ、乙女座のAB型。 身長185cm。 狗朗の兄弟子で三輪一言のクランズマンであった男だが、ある時一言に斬りかかり、敗北した後は彼の元を去った。 本人曰く、一言に挑んだのは一言との「繋がりの形」らしく、互いに相手を恨んでおらず、一言が死んだことを知った時は涙を流したらしい。 現在は緑のクランへと鞍替えしている。 オネエ言葉で喋り、肌の手入れに気を使う。 狗朗へ執着を見せる言動が目立つ。 対峙した狗朗が思わず恐怖を感じる程の実力者であり、作中では単身で黄金の王の配下『兎』を壊滅させていた。 公式サイトで最初に紹介された時は『御 灼神紫』と表記されていた。 美しいものを好み、アニメで戦うときは舞を踊るような闘い方をしている。 刀の名前は「過(あやまち)」で、師匠である三輪一言から譲り受けたもの。 (ひらさか どうはん) 声 - 緑のクランズマン。 uランカー。 28歳(第2期開始時)。 生まれ、蠍座のA型。 身長165cm。 紫に付き従う謎の忍者。 全身を覆う忍装束と加工された音声が特徴。 緑の王のクランズマンとしての能力を存分に使い、物理干渉を無視して壁や床をすり抜けてどこへでも現れるなど、その振る舞いはまさしく忍者そのもの。 実は女性。 声 - 緑のクランズマン。 オウムだが、緑の力を使い電撃のような攻撃で戦闘が可能。 緑の王比水流の媒介役としての役割も担っている。 五條 (ごじょう スクナ) 声 - 緑のクランズマン。 jランカー。 13歳(第2期開始時)。 生まれ、射手座のB型。 身長153cm。 武器は通常は棒のような見た目だが、クランズマンの能力を解放するときは鎌のような形状になる。 國常路家に仕える名家の一人息子であるが、窮屈な家を出て、jungleに参加した。 頭角を現し始めていた頃に、jランカーである御芍神紫と対戦している。 天鶏(いわふね てんけい) 声 - 第六王権者「 灰色の王」。 本名は「鳳聖悟」、42歳。 生まれ、魚座のO型。 身長185cm。 かつて迦具土事件で死亡したとされていた。 緑の王と協力し石盤を狙う。 霧の異能を使い、第2期で宗像と対決した。 1度目の対戦では「絶対守護」のサンクトゥムで宗像を圧倒し、ドレスデン石盤を奪った。 2度目の対戦では最初は宗像を押していたが、乱入したセプター4の隊員たちと協力した宗像の前に倒れる。 その後、崩壊中のjungleの秘密基地内に戻り、ドレスデン石盤破壊の影響で心臓が止まった比水と共に爆発に呑まれ命を落とした。 享年42歳。 王権者 アドルフ・K(カー)・ヴァイスマン 声 - 第一王権者「 白銀の王」。 90歳(第1期開始時)。 6月1日生まれ、双子座のB型。 身長180cm。 元ドイツ軍・ドレスデン石盤の研究を担当する研究所主任。 巨大飛行船ヒンメルライヒ号を属領としている。 半世紀以上を全盛期の姿で生きる不変にして不死、全ての始まりの王にして天上の監視者。 第二王権者「黄金の王」國常路と伍する唯一の存在。 一般人にとっては都市伝説的な存在であり、その正確な正体を知る者は少ない。 彼の能力により人や物体は浮くことができるようで、飛行船は数十年もの間、従来規則正しい法則で飛行し続けていたが、十束多々良殺害事件を境に不審な飛行経路をとっていた。 セプター4の突入時に飛行船を自爆させ、その遺体は黄金の王によって回収された。 この際死亡したのは元の身体(魂が抜けた状態)であり、魂と能力は無色の王が用いていた少年の体に移っていた。 元はドレスデン石盤を研究する研究者であり、王の力を「皆が幸せになれるもの」だと考えていた。 姉クローディアには「アディ」と呼ばれていた。 路 大覚(こくじょうじ だいかく) 声 - 、中村悠一(青年期) 第二王権者「 黄金の王」。 95歳(第1期開始時)。 生まれ、天秤座のA型。 身長210cm。 元日本帝国陸軍・中尉。 末期、日本国軍兵としてヴァイスマンとは同志であったが、クローディアの死後に決別している。 ヴァイスマンからは「中尉」と親しげに呼ばれている。 圧倒的な力を持つ、現在最強の王にして地上の支配者。 日本の金融界を牛耳り経済すら動かす存在。 クランの名称は「院(ときじくいん)」。 彼のクランズマンとなった者はその才能を最大限に引き出され、多くの者が日本経済を作り支えてきた。 その中でも異能の力を引き出された者たちで構成された独特の装束を纏った部隊は「ウサギ」と呼ばれる。 國常路の出現により、日本は敗戦国から世界一の技術大国にまで上り詰めた。 劇場版では、緑の王からシロを遠ざけるための飛行船で、シロに看取られ他界する。 享年96歳。 (みわ いちげん) 声 - 先代の第七王権者「 無色の王」。 劇中では既に故人。 享年42歳。 生まれ。 射手座のO型。 身長177cm。 無色の王の能力として未来を予言する力を持っていた。 しかしその力をみだりに振るうことはなく、山奥で隠遁生活を送っていた。 三輪神明流という流派の使い手で祖父に剣術を始め体術や槍術、古文や山での生き方など多くを叩きこまれたが、経緯は不明だが高校卒業後には家を出て最高学府を卒業しアメリカで大手証券会社に就職し多大な業績を挙た天才。 クロと生活していた村でも村人からは敬意を集められ頼られていた。 狗朗の主であり、保護者にして師匠でもある。 狗朗からは死後もなお深く敬愛されている。 前衛的な俳人であったらしく、狗朗のボイスレコーダーにいくつもの格言が録音されている。 それらはしばしば、狗朗や社の行く末を導くこととなった。 キツネ煙 声 - 柿原徹也 第七王権者「 無色の王」。 全ての事件の裏で暗躍していたキツネ型の煙。 挑発的な言動と凶悪な目付きが特徴。 過去に乗っ取ったと思われる被害者の声でも話すことができる。 本名はおろか元が誰なのか、いつ誕生したのか、そもそも人間であったのかなど劇中では一切描かれておらず不明である。 また憑依した人間の自我をも吸収するため、複数の人格が存在している(菊理や社の内にて3人で会話する描写がある)。 社曰く「君は沢山の人達の人格を取り込み過ぎて、もう自我が崩壊しかけている。 本当の自分がどれだったのか、君自身分からなくなってるんだね」。 その真の目的は七人の王を自身の能力で取り込み、全ての王の頂点に立つことであった。 対象の目から入り込んで体を乗っ取る能力を持ち、その力を用いて様々な人間を操作し、今回の事件を引き起こしていた。 とある少年に憑依して十束を殺害した後にヒンメルライヒ号を襲撃し、ヴァイスマンの能力を奪おうとするも白銀の王の能力、「不変」の力により完全な乗っ取りはできず、彼の肉体のみを奪う形となる(しかしその際、行き場を失ったヴァイスマンの「魂」は抜け殻になった少年の肉体へ宿ってしまった)。 学園島にて赤と青、両クランを激突させ周防と宗像の力を奪おうと画策し、菊理に憑依して策謀を巡らすも覚醒した社に邪魔され、社と狗朗に追い詰められた後に咄嗟に憑依した社の中に閉じ込められてしまう(これは社の作戦であった)。 最後は周防の前に社が立ちはだかり、社の体もろとも消滅させられた。 その他の異能者 御槌 (みづち こうし) 小説「SIDE:RED」の登場人物。 黄金の王のクランズマン。 再生と回復の異能を持つ。 人為的に王を選択することを目論見、当時空席であった青の王にアンナを据えようとした。 穿孔機(せんこうき) 小説「SIDE:RED」の登場人物。 穴をくり貫く能力を持ったストレイン。 花火師 小説「SIDE:RED」の登場人物。 白熱するエネルギーを操る能力を持ったストレイン。 グラスホッパー 小説「SIDE:RED」の登場人物。 高速で飛び跳ねる能力を持ったストレイン。 マリア 漫画「メモリー・オブ・レッド」の登場人物。 ストレイン。 「指きりマリア」と呼ばれる暗殺者。 ある出来事が原因で千歳をつけ狙う。 十束曰く『落ち着いて話せば気さくな良い人』。 その後も、十束へストレインの情報を教えていた。 ストレインで、ペガサスのような羽を持つが、空は飛べない。 セプター4に保護される直前に逃げ出したところをアンナに拾われ、アンナに名付けを頼まれた尊が空腹だったため「馬刺し」と命名。 その後、セプター4に保護されることになった際、馬を気に入った淡島によって、馬刺しという名前が野蛮で気に入らなかったため、「白あん煮込み豆腐」と改名される。 漫画「デイズ・オブ・ブルー」にも登場。 人権を無視されたという理由で、道明寺を毛嫌いしている。 セプター4に保護された後も不仲である模様。 一般人 葦中学園高等学校 雪染 (ゆきぞめ くくり) 声 - 社のクラスメイト。 生徒会メンバー。 17歳(第1期開始時)。 生まれ、乙女座のO型。 身長158cm。 肩まである茶色いくせっ毛の少女。 髪の先には特徴的な髪飾りを付けている。 変人であっても気にせず自然体で接することができる、親切で優しい少女。 困っている人は放っておけず、学園に入ろうとしていた狗朗を助けた。 三科に告白されたことがある。 社の昼食事情を気にかけ、手ずから弁当を作ってくるなど親しくしていたが、その実は、ネコの認識操作で社を既知の友人だと錯覚していただけであった。 終盤、「無色の王」キツネ煙に体を乗っ取られ利用されてしまうが、社によって元に戻った。 澄香(いなば すみか) 声 - 菊理の友人。 17歳(第1期開始時)。 生まれの獅子座。 一見常識人だが、三科を剣呑な目つきで見つめる一方、突然現れた人間姿のネコに頬を染めるなど、挙動が少々謎めいている。 三科 草太(みしな そうた) 声 - 清水一貴 社の友人。 17歳(第1期開始時)。 生まれの牡羊座。 エロスな映像などが好きなお調子者。 文化祭の準備中に菊理に盛大な告白をしたが、即座に振られた。 しかしまだ諦めてはいない様子。 死語を頻繁に用いる。 ネコの認識操作により社を知っていることにされており、解除された後は忘れてしまった。 しかしわずかながら見覚えがある素振りを見せ、社から「大切な友達」だと言われた際は涙を流した。 (ひゅうが ちほ) 声 - 葦中学園生徒会会長。 18歳(第1期開始時)。 凛々しい性格。 桜 声 - 葦中学園生徒会役員。 16歳(第1期開始時)。 会長に心酔している。 官邸 寒川 寛一 アニメ1期から2期にかけての日本の総理大臣。 54歳(第2期開始時)。 礼司を罷免した後、ドレスデン石版の影響が世界中に広がり暴徒が官邸にまで押し寄せてくる事態となってしまう。 暴徒襲来に前後して自分自身も異能に覚醒、壁の向こう側だけでなく秘書の衣服まで透視できる存在となった。 秘書 声 - 巨乳で容姿端麗な女性。 総理の八つ当たりにも淡々と対応する冷静な人物。 暴徒襲来に際し、寒川総理が異能に覚醒したことで服を透視されてしまう。 その他の一般人 クローディア・ヴァイスマン 声 - アドルフの姉。 享年24歳。 生まれ、乙女座のA型。 身長174cm。 人当たりが良く、アドルフのことも大事に思っていた。 によって死亡してしまい、アドルフと國常路の心に深い影を落とすこととなる。 櫛名 穂波(くしな ほなみ) 小説「SIDE:RED」の登場人物。 アンナの叔母、周防と草薙高校時代の英語教師。 田村 厚史(たむら あつし) 小説「SIDE:BLUE」の登場人物。 警視庁機動隊の巡査長で、楠原剛の先輩だった。 伏見 仁希(ふしみ にき) 声 - 小説「Lost Small World」の登場人物。 享年34歳。 伏見猿比古の実父であり、伏見木佐(声 - )の夫。 天才でありながら何事にも興味を持たなかったが、息子の大事なものを壊して憎まれることに楽しみを見出していた。 作中、内臓疾患で死亡する。 猿比古からは憎まれていたが、同時に尊敬に近い念も懐かれており、死後も猿比古にとって一種のタブー的存在になっている。 大貝 阿耶(おおがい あや) 声 - 小説「Lost Small World」の登場人物。 伏見猿比古の又従姉妹で、八田美咲、伏見猿比古の中学時代の同級生。 猿比古とは昔からの知り合いで親戚で歳も近いことから周囲からは頻繁に比較され、阿耶自身猿比古に好意と対抗心を持ち、メガネをお揃いにするなど強く意識していた。 しかし当の猿比古からはどうでもいい存在としか見られておらず、そんな彼への反発心から何度も勝負を挑んでは負かされていた。 猿比古が進学を止めたことや吠舞羅に入ったことから決別し、自分を見ない猿比古の敵となるべく「jungle」に更にのめり込み「王様」の命令で彼の端末に幻覚を見せるウィルスメールを送り、吠舞羅を抜けるきっかけの一因を作った。 宗像 大司(むなかた たいし) 宗像礼司の兄。 娘・羽実(うみ)と息子・快(かい)がいる。 非常に気さくな性格。 國常寺から剪定の腕を気に入られ、御柱タワーの屋上庭園の造園を任され、御柱タワーを訪れた際、多忙を理由に実家に帰らない礼司を淡島と伏見と共に連れ帰った。 稗田 透(ひえだ とおる) 無色の王とシロに乗り移られていた少年。 特に夢や目標は無いが、自分の境遇に腐ったりもせずに地道な毎日を送っていた、良くも悪くも万事につけて控えめな性格。 地方の孤児院で育った孤児で、中学卒業後はアルバイトを転々として生計を立てていた。 その生活の中で《jungle》にハマり下位ランカーになった。 「都内某所に行け」というミッションを受け、赴いた所、キツネ煙の無色の王に乗っ取られた。 アニメ版では2期最終話でシロが本来の肉体に戻ったあと、自意識が目覚めたことがセリフで示唆されただけだが、2期ブルーレイ7巻付属の短編小説及び『K -ALL CHARACTERS-』で本名と設定が公開された。 用語 王 大いなる力を持ち、この世の理を体現した存在。 第一から第七までの王権者が存在し、それぞれが固有の能力を持つ。 現在判明している王権者の大まかな能力は以下の通り。 第一王権者・白銀の王:…「不変」の属性を持つ。 不老不死の能力を持ち、王権者は致命傷を受けても血を流すことさえ無い。 王権者:アドルフ・K(カー)・ヴァイスマン• 第二王権者・黄金の王:…「運命」の象徴であり、人の「才」を最大限に引き出す能力を持つ。 王権者:國常路 大覚• 第三王権者・赤の王:…「暴力」の象徴。 王権者およびクランズマンは炎の力と高い身体能力を得る。 第四王権者・青の王:…「秩序」「制御」を司る。 王権者およびクランズマンは内部のものを制御できる結界を発生させ防御や攻撃、移動に転用する。 第五王権者・緑の王:…「変革」「改変」を司る。 物理法則の改変による身体能力向上や、応用による物体の透過。 コンピュータ関係との親和性が高く、端末とアプリを通じて不特定多数のクランズマンによる特殊なクランを形成することも出来る。 jungleというアプリをばらまいて、少年時代の伏見へ接触していた。 王権者:比水 流• 第六王権者・灰色の王:…「絶対守護」の属性を持ち、霧のサンクトゥムを展開する。 王権者:磐舟 天鶏 鳳聖悟• 第七王権者・無色(むしき)の王:…代替わりごとに固有の能力を発現する。 王同士の関係をかき回すトリックスターであるとされ、トランプのジョーカーに例えられる。 クランの構成員をクランズマンと称する。 所属メンバーは炎や念動力など特異な力をそれぞれのクランごとに持ち、クランを移った場合は以前のクランの力に加え新たな力を得ることもある。 ただし2色以上の力を持つことは珍しいらしく、本来ならばクランを移ることは滅多に無いと思われる。 劇中で二色の力を使っている人物は伏見猿比古(赤と青、第二期中盤からは緑も追加)と夜刀神狗朗(無色と白銀、第1期終盤〜)御芍神紫(無色と緑、劇場版〜)の3人のみ。 王の成りそこないであるとされる。 治安維持のため、青のクランの管理下に置かれる。 人間以外の動物のストレインの例もある。 ドレスデン石盤(ドレスデンせきばん) 王を喚ぶ石盤であり、その力の源。 ある日突然、この石盤に喚ばれることで王として覚醒する。 ドイツのドレスデンでヴァイスマンらによって研究されていたが、第2次世界大戦末期、國常路の手により日本に運び込まれた。 長く國常路の管理下にあったが、國常路の死後は宗像が管理している。 ダモクレスの剣(ダモクレスのつるぎ) 王が本気で力を振るうと、その上空に顕現する物体。 王の力や危険性の象徴。 王の状態に呼応しており、限界に近付くにつれ剣が崩壊してゆく。 王が死亡した際は消滅する。 ドレスデン石盤から力を引き出しきることでダモクレスの剣が落下することを王権暴発、ダモクレスダウンなどと呼ぶ。 別の王が巻き込まれ、暴発連鎖が起きることもある。 ダモクレスダウンは王を即死させることで回避できる。 赤の王・周防尊の剣はTV第1期の段階で暴発寸前にまで崩壊し始めていた。 ヴァイスマン偏差(ヴァイスマンへんさ) 王の能力の発現量を表し、一定数を越えるとダモクレスの剣が出現する。 劇中世界では1944年、ドイツで定義、計量、理論化された。 ヴァイスマン理論と呼ばれる。 クレーター(かぐつクレーター) 十数年前、先代の赤の王・迦具都玄示のダモクレスの剣が暴走・落下したことにより形成されたクレーター。 関東南部を中心に、半径数10の範囲が壊滅、70万人以上の犠牲が出た。 サンクトゥム 王が支配する広域結界のこと。 展開した結界は、王の能力に応じた色彩を有する。 この結界内では配下のクランズマンたちはさらに強い力を発揮できる。 吠舞羅(ほむら) 赤の王・周防尊に率いられるチーム。 別名赤のクラン。 主に、鎮目(しずめ)町を本拠地とし、草薙がマスターを務めるバー「HOMRA」を属領とする。 のように暴力的な性質が強いが、メンバー間の結束は固い。 合言葉は「No Blood, No Bone, No Ash」(血も骨も、灰すら残さず焼き尽くす)。 セプター4(Scepter four) 青の王・宗像礼司が室長を務める、対能力者治安維持組織。 別名青のクラン。 東京法務局戸籍課第四分室の業務の一部を委託される外部機関であるが、構成員は第四分室とほぼ同じ。 国民の人権を一時的に侵害するような強権をも行使出来る立場にある。 メンバーは皆一様に青い制服を着用、サーベルを装備する。 抜刀の際は名乗ってから抜刀するのが通例である。 緊急時を除いて、許可がなければ抜刀は許されない。 学園高等学校(あしなかがくえんこうとうがっこう) 学園島(がくえんじま)と呼ばれる一つの島全体を敷地とする巨大な学園。 生徒たちの学園生活を管理・サポートするために様々なシステムと工夫が施されている。 学生寮を備えている。 第1期では学園祭を間近に控えている。 jungle(ジャングル) 緑のクランの通称であり、同クランが配信するアプリ。 利用者に様々なミッションを課し、クリアした者にポイントを与え、j・u・n・g・l・eの各ランク分けされる(jランカーが最高位)。 ミッションには、知らぬ間に犯罪に加担してしまうような内容のものもある。 アプリ《jungle》は、美咲や猿比古が中学1年生の時から存在しており、猿比古は《jungle》がを植えつけて個人情報を吸い上げていることに気が付き、美咲との通信のために自作の暗号化メールアプリを開発していたが、後にそれすらもハッキングされていたことが判明する。 灰色の王・鳳聖悟に率いられ、全盛期は非時院に次ぐ勢力を誇った。 迦具都玄示のダモクレスダウンを止めようとして失敗し、鳳以外の全員が死亡した。 時系列 以下は公式サイトの記述 より作成。 カッコ内は年齢。 1945年• 1月 - アドルフ・K・ヴァイスマン(22)、姉のクローディア(24)と國常路大覚(20)立ち合いのもと、ドレスデン石盤の起動実験を行う。 2月 - ドレスデン空爆によりクローディア死去。 ヴァイスマンが白銀の王に覚醒。 4月 - ベルリンでヴァイスマンが國常路と決別し、飛行船ヒンメルライヒ号に乗り込む。 國常路が石盤を日本に持ち込み、黄金の王に覚醒。 1999年• 7月11日• 迦具都事件発生。 赤の王・迦具都玄示のダモクレスダウンにより多くの犠牲者が出る。 灰色の王・鳳聖悟(28)のクラン「カテドラル」が壊滅し、鳳も死去したとされる。 比水流(10)が緑の王に覚醒。 鳳、磐舟天鶏と名を変え、比水の保護者となる。 青の王・羽張迅が善条剛毅に斬られ死去。 ネコ(2)、ストレインに覚醒。 その後自分は猫であると自己暗示をかけ、猫の姿になる。 2001年• 12月 - 夜刀神狗朗(7)、無色の王・三輪一言(32)に出会う。 2004年• 1月 - 比水(15)、國常路に戦いを挑むも敗北。 4月 - 草薙(18)、同じ高校に入学した周防(15)と知り合う。 5月 - 御芍神紫(20)、無色のクランから離脱。 6月 - 草薙と周防が十束多々良(14)の見舞いに行く。 2007年• 10月 - 周防尊(19)、赤の王に覚醒。 草薙と十束が最初のクランズマンとなる。 2009年• 3月 - 中学を卒業した伏見と八田が吠舞羅に加入。 4月29日 - 吠舞羅、ストレイン矯正施設を襲撃し、櫛名アンナ(7)を保護する。 2010年• 夏 - 宗像礼司(21)が青の王に覚醒。 秋 - 伏見(16)が吠舞羅を離脱、セプター4に加入。 2011年• 9月 - 御芍神紫(28)がjungleに幹部扱いで加入。 10月 - 五條スクナ(10)、jランカーになる。 2012年• 9月25日 - 無色の王・三輪一言(42)死去。 クロ旅立つ。 10月 - 新しい無色の王「キツネ煙」が覚醒。 12月7日 - 十束多々良殺害事件発生。 12月8日 - ヴァイスマン、飛行船に乗り込んできたキツネ煙と体が入れ替わり、少年の姿で学園島に落下。 ネコによって伊佐那社の名と偽の記憶を作られる。 12月12日 - 吠舞羅が十束殺害犯を探すためマフィア事務所を襲撃する。 駆け付けたセプター4により周防が捕縛される。 12月14日 - 買い物に出たシロが吠舞羅とクロに遭遇する。 学園に逃げ帰り、子猫から人間になったネコと出会う。 12月16日 - シロ、潔白を証明するため、クロと身辺を調査するがセプター4に包囲される。 ネコの記憶操作を解き、飛行船から落下したことを思い出す。 セプター4の追跡を逃れながら、宗像に連絡。 宗像、ヴァイスマン捕縛を決定。 12月17日 - セプター4のヘリに包囲されたヒンメルライヒ号が自爆。 12月18日 - キツネ煙に接触された周防が脱獄。 吠舞羅が学園島を占拠する「学園島事件」発生。 12月19日• 学園島で爆発が起きたのをきっかけにセプター4と吠舞羅が衝突。 シロ、白銀の王の記憶を取り戻す。 キツネ煙がシロの体に閉じ込められ、周防によって殺害される。 以後、シロは消息不明となる。 周防のダモクレスダウン直前に宗像が周防を斬る。 2013年• 10月12日 - 緑のクラン「jungle」が御柱タワーを襲撃、アンナを拉致。 10月13日 - 櫛名アンナ(11)、赤の王に覚醒。 10月14日 - 黄金の王・國常路大覚(96)死去。 12月15日 - jungleの下位ランカーがミッション達成のため、吠舞羅、セプター4と衝突する。 12月16日• クロ、セプター4で事情聴取される。 宗像から属領を持たない白銀のクランを保護するとの申し出があったが断る。 ネコ、「BAR HOMRA」を訪れる。 アンナからこの店に身を寄せることを勧められるが断る。 12月17日• スクナと紫が学園島を襲撃。 紫に苦戦するクロとネコの前に白銀の王・シロが帰還。 シロの提案により、赤・青・白銀の王が同盟を結ぶ「ちゃぶ台会議」が行われる。 12月24日 - jungleが御柱タワーを襲撃。 ドレスデン石盤を持ち去る。 12月25日 - 伏見、宗像と口論の末、セプター4を離脱し、jungleにログインする。 2014年• 1月21日• 草薙と淡島、夫婦になりすましてjungleコーポレーションのパーティに潜入。 伏見、jランカーになり、jungleの秘密基地に招待される。 1月27日• 宗像が総理よりセプター4室長を解任される。 シロ、石盤破壊の研究完成させる。 1月28日正午• 石盤の力が解放され、異能者になる者が続出。 jungleの拠点に赤・青・白銀のクランが集結、最終決戦。 1月29日 - 白銀の王のダモクレスダウンにより石盤が破壊される。 比水流(25)、磐舟天鶏(42)死去。 2月7日 - ネコとシロが葦中学園に転入・赴任する。 スタッフ• 監督・キャラクターデザイン -• シリーズ構成 - 宮沢龍生(第1期)、(第2期)• シリーズディレクター - 、工藤進(第1期)• 総作画監督 - 古田誠• メカデザイナー - 大久保宏• プロップデザイナー -• メインアニメーター - 内田孝行、大久保宏、中井準・井元一彰(第1期)、岡田直樹(第2期)• 美術監督 - 野村正信(第1期)、内藤健(第2期)• 美術設定 - 岸田隆宏・鈴木信吾(第2期)• 色彩設計 - 斉藤友子• 撮影監督 - 福士享・大泉鉱(第1期)、戸澤雄一朗(第2期)• CGIディレクター - 長嶺義則(第1期)、菊地貴紀(第2期)• 編集 - 丹彩子• 音響監督 - ・田中亮(第1期)、横田知加子(第2期)• 音響効果 - 田中秀実• 音響制作 - (第1期)、(第2期)• 音楽 -• 音楽制作 -• プロデューサー - (第2期はエグゼクティブP)、林玄規、中西豪(第2期はエグゼクティブP)、大野航・亀井博司(第2期)• アニメーションプロデューサー - 岸本鈴吾• アニメーション制作 -• 話数 サブタイトル 脚本 コンテ 演出 作画監督 レイアウト キャラクター 第1期 01 Knight 工藤進 鈴木信吾 石森愛、舛田裕美 02 Kitten 杉生祐一 古田誠 鈴木祥子 03 KITCHEN 宮沢龍生 松本卓也 04 Knock-on effect 工藤進 古田誠 古田誠、鈴木祥子 05 Knife 杉生祐一 松本卓也、古田誠 内田孝行 土岐由紀、鈴木祥子 森美幸 06 Karma 来楽零 工藤進 石森愛、松本卓也 古田誠 石森愛、内田孝行 07 Key 古橋秀之 金澤洪充 井元一彰、松本卓也 土岐由紀、鈴木祥子 森美幸 08 Kindling 横峯克昌 内田孝行 09 Knell 古橋秀之 工藤進 古田誠、鈴木信吾 坂上谷悠介、立花昌之 植木理奈、河田泉 10 Kaleidoscope 来楽零 金澤洪充 井元一彰、内田孝行 松本卓也 土岐由紀、鈴木祥子 森美幸 11 Killer あざの耕平 横峯克昌 古田誠、内田孝行 坂上谷悠介、立花昌之 植木理奈、河田泉 12 Adolf-K-Weismann 金澤洪充 松本卓也、古田誠 内田孝行 土岐由紀、鈴木祥子 森美幸 13 King 工藤進 鈴木信吾、古田誠 松本卓也 坂上谷悠介、立花昌之 植木理奈、河田泉 第2期 01 Knave 宮沢龍生 鈴木信吾 金澤洪充 横峯克昌 鈴木信吾、古田誠、岡田直樹 02 Kindness 来楽零 鈴木信吾、古田誠、武本大樹 03 Kismet 鈴木鈴 横峯克昌 金澤洪充 鈴木信吾、古田誠、松本卓也、植木理奈 04 Knot 高橋弥七郎 鈴木信吾 島津裕行 金澤洪充 鈴木信吾、古田誠、立花昌之 05 Ken 横峯克昌 古田誠、内田孝行、植木理奈 06 Keeper 宮沢龍生 鈴木信吾 金澤洪充 金澤洪充 古田誠、松本卓也、武本大樹 07 Kickdown 古橋秀之 横峯克昌 古田誠、内田孝之、武本大樹、植木理奈 08 Kaput 壁井ユカコ 鈴木信吾 島津裕行 金澤洪充 鈴木信吾、古田誠、松本卓也、武本大樹 09 Kid's room 古橋秀之 鈴木信吾 金澤洪充 立花昌之 鈴木信吾、古田誠、植木理奈 10 Keystone 来楽零 鈴木信吾 島津裕行 金澤洪充 山岸徹一 鈴木信吾、古田誠、岡田直樹 11 Kali-yuga 鈴木鈴 鈴木信吾 金澤洪充 横峯克昌 鈴木信吾、古田誠、岡田直樹、武本大樹 12 Knuckle bump 壁井ユカコ 鈴木信吾 島津裕行 金澤洪充 古田誠、岡田直樹、植木理奈 立花昌之、武本大樹 13 Kings あざの耕平 鈴木信吾 金澤洪充 横峯克昌 古田誠、岡田直樹、立花昌之、植木理奈 放送局 第1期・第2期共に『』B1(第1期本放送当時は毎日放送・TBSテレビ・BS-TBSのみ。 本作より放送開始前に流れるに『 B 1』表示が行われている)。 1 2015年11月11日 第1話 KIXA-90585 KIBA-2244 vol. 2 第2話 - 第3話 KIXA-90586 KIBA-2245 vol. 3 2015年12月9日 第4話 - 第5話 KIXA-90587 KIBA-2246 vol. 4 2016年1月13日 第6話 - 第7話 KIXA-90588 KIBA-2247 vol. 5 2016年2月10日 第8話 - 第9話 KIXA-90589 KIBA-2248 vol. 6 2016年3月9日 第10話 - 第11話 KIXA-90590 KIBA-2249 vol. 狗朗の衣装デザインが若干違う(襟元にあったボタンが無い)。 また、エプロンに描かれていた犬のキャラクター(パグくん)が無くなっている。 無色の王が狐の面を被って十束多々良殺害事件を起こしていた(一話の時点で殺人犯である社?の顔は出ていなかった)。 そのため、無色の王は『キツネ面の男』と周りから言われている。 赤の王と青の王の衝突によって出たダモクレスの剣を狗朗が目撃している。 その際に衝突を止めに行こうとしたが黄金のクランズマンに止められていた。 吠舞羅をまくため、ビルの屋上へ逃げた後、狗朗はそのまま社と共に学園島まで行った。 その後、すぐに社へ料理をふるまった。 アニメ二話にあった、追いかけっこのシーンが無い。 狗朗がネコの裸に驚いていない(羞恥心が全くないわけでは無く、社の容疑の方が重大と考えているため。 これが無かったら普通に恥かしがると思われる)。 社が狗朗に「キモ」と言っているシーンが無い。 同時に頬を染めて一言のことを語るシーンが少なくなっている(アニメではコミカルだったが、やや美化されている)。 七王についての説明の際、第二次世界大戦から語ろうとしていた(しかし、社に長くなりそうだからと省略される)。 アニメではスタジアムで宗像が語った第七王権者についても、ここで狗朗が語っている。 ネコが正体を現すのは、狗朗と社が食事をしている場面。 アリバイ探しのとき、学園祭の衣装では無く制服(狗朗は私服)のまま。 ネコと菊理の初対面が寮の社の部屋となっている。 この時に、菊理はネコに自分の制服を貸している。 因幡の狗朗とネコに対する謎めいた反応が、普通の反応に変わっている。 社がふざけて狗朗を妻あつかいするシーンが無い。 かわりに因幡が狗朗を「嫁か」と言っている。 ネコが狗朗を毛嫌いしている描写がほとんど無い。 狗朗が三科自爆事件(三科告白事件)の話を聞いた後、三科の肩を叩いて元気づけて(からかって?)いるようなシーンがある。 体育倉庫天井貫通事件は、菊理ではなく生徒会長の日向から聞いた。 アニメ本編より、狗朗とネコがクラスに溶け込んでいる様子が鮮明にえがかれている。 社が自室で血の付いたシャツを見つけるシーンが、キツネの面を見つけるシーンに変わっている。 ネコが辛いモノを好む描写が無い。 劇場アニメ 劇場版 K MISSING KINGS より、全国30スクリーンにて 公開された。 キャッチコピーは「 キズナ、再び」。 周防の死により空位となった赤の王の座にアンナが就くまでの過程を描く。 スタッフ(劇場版)• 監督・キャラクターデザイン - 鈴木信吾• 脚本 - GoRA(、宮沢龍生、、、、、)• シリーズディレクター - 金澤洪充• 絵コンテ - 鈴木信吾、金澤洪充、• 演出 - 金澤洪充、横峯克昌• 総作画監督 - 古田誠• プロップデザイナー - 岸田隆宏• メカ・銃器デザイン - 大久保宏• メインアニメーター - 内田孝行• 作画監督 - 岡田直樹、古田誠、鈴木信吾• 撮影監督 - 福士享• CGIディレクター - 菊地貴紀• 美術監督 - 内藤健• 色彩設計 - 斉藤友子• 編集 - 丹彩子• 音響監督 - 田中亮• 音響効果 - 山谷尚人・緒方康恭• 音響制作 -• 音楽 - 遠藤幹雄• 音楽制作 - スターチャイルドレコード• プロデューサー - 林玄規• アニメーションプロデューサー - 岸本鈴吾• アニメーション制作 - GoHands• 製作 - K-Project(キングレコード、、、、)• スピンオフ作品「アイドルK」が同時上映予定。 脚本・演出は。 キャスト(舞台・第1期)• 伊佐那社 -• 夜刀神狗朗 -• ネコ -• 草薙出雲 -• 櫛名アンナ -• 八田美咲 -• 鎌本力夫 -• 淡島世理 -• 伏見猿比古 -• 宗像礼司 -• 周防尊 -• 十束多々良 - 椎名敦士• 雪染菊理 -• 三科草太 -• 、日南田顕久、、、緒方陽太、、、藤本貴行 第2期 「 『K』 第二章 -AROUSAL OF KING-」のタイトルで、東京 AiiA 2. 5 Theater Tokyo で、2015年8月5日から15日まで公演された。 また、大阪メルパルクホールで2015年8月19日から22日まで公演された。 脚本・演出は末満健一。 キャスト(舞台・第2期)• 伊佐那社 -• 夜刀神狗朗 -• ネコ - 楠本あずさ• 周防尊 -• 櫛名アンナ -• 草薙出雲 -• 八田美咲 -• 鎌本力夫 -• 宗像礼司 -• 淡島世理 -• 伏見猿比古 -•

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機 皇帝 あめ の かく のみ か づち

宣明暦時代には「 万倍」と記載されていました。 また、 貞享改暦後は暦注から外されていましたが、 新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。 「 一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。 特に、 仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。 但し、人に 借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。 借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。 現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。 不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。 一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。 ・正月... 丑と午の日 ・2月... 酉と寅の日 ・3月... 子と卯の日 ・4月... 卯と辰の日 ・5月... 巳と午の日 ・6月... 酉と午の日 ・7月... 子と未の日 ・8月... 卯と申の日 ・9月... 酉と午の日 ・10月... 酉と戌の日 ・11月... 亥と子の日 ・12月... 吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、 凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。 手習い、開店、事始めには最適の日です。 これから6月節の梅雨に向かっています。 季節は夏への変わり目です。 明治3年(1870)ドイツの化学者 ゴットフリード・ワグネルは、西洋の知識を授けるため有田に滞在し、陶工たちは西洋の窯業知識に多くを学びました。 その一つが石炭窯です。 それまでは山の斜面に窯を築き、薪で焚く登り窯で焼成されていましたが、平地に石炭で焼くという日本で初めての試みが、ここ有田の地でなされました。 これがきっかけとなって、明治後半からは 日本の各地に石炭窯が広がっていきました。 また、有田で使う絵具の改良にも貢献。 それまで有田焼に見られる藍色の文様は 「呉須・ごす」と呼ばれる中国の天然鉱物を使っていましたが、工業的に製造された 「コバルト」という絵具の使用法を教えました。 これを用いると呉須よりも鮮やかな色が得られ、自由に濃淡が調節できました。 しかも、呉須よりはるかに安い絵具でしたので数年で全国に広まりました。 陶器市の歴史は、明治29年(1896)3月、 香蘭社(明治7年設立の有田の磁器工場)社長・深川栄左衛門と、 有田磁器窯業組合長・田代呈一の主催で、 桂雲寺で開かれたのが始まりです。 以来、年1回開かれ、昭和23年(1948)からは4月29日から5月5日の会期となりました。 現在の陶器市は、 大正4年(1915)陶磁器品評会の時、協賛行事として開催されていた 「蔵ざらえ大売出し」が陶器市の始まりです。 初めはお遍路さん相手に窯元や商人が有田焼の半端物を売っていたものを、町青年会のリーダーを務めていた深川六助が陶磁店に呼びかけ、一斉に等外品の蔵ざらえ大売り出しを試みました。 福引き券を発行したり、駅まで無料で荷物を運んでやるなどして盛り上げました。 戦前は品評会が主でしたが、今では陶器市が盛んになり、現在の 「有田陶器市」に発展しました。 町内約4キロにわたって 有田焼の店など約700軒が並び、日本全国から70万人を越える人が訪れる規模となっています。 正安2年、壬生寺中興の祖「 円覚上人」が仏の教えを身振り手振りの無言劇に仕組んだ「 壬生大念仏狂言」を創始して栄えたと伝わります。 新撰組ゆかりの寺でも知られます。 本尊は「 地蔵菩薩立像」(重文)。 「 壬生狂言 :きょうげん」は、鎌倉時代からの伝統行事で、壬生寺で行われる「 壬生大念佛会 」で演じられる狂言のこと。 正しくは「 壬生大念佛狂言 」といいます。 「 壬生さんのカンデンデン 」という愛称で親しまれ、重要無形民族文化財に指定されています。 円覚上人が、悪疫祓いの為に「 鎮花(はなしずめ)の法会」を行ったことから始められたと伝わります。 鎮花の法会は、京都に疫病が流行ると、悪魔が花びらに乗って飛散し、人々を悩ましていると信じられていたことから、疫霊の心を鎮めるために行われました。 念佛の真意と功徳を大衆にわかりやすく伝えるための手段として、法会に狂言が用いられました。 身振り手振りの無言劇に「 持斎融通念佛」(じさいゆうづうねんぶつ)を仕組んだものを披露します。 すべての演者が仮面を付け、鐘・太鼓・笛の囃子に合わせて、一切の台詞を用いずに演じられ、勧善懲悪・因果応報の理を教える宗教劇としての性格を表しています。 境内の専用舞台に於いて、炮烙割(ほうらくわり)の狂言によって幕を開けます。 足の運びに合わせて「 ガンデンガンデン」と単調なリズムの囃子が入ります。 狂言は、朝・昼・夜の勤行のうちの「 昼の勤行」として御本尊: 延命地蔵菩薩に奉納されるものです。 最終日の夜の部をもって「 結願」とします。 壬生狂言は演劇の面でも発展をとげています。 壬生大念仏講によって伝承されている壬生狂言は、本来発祥の宗教劇からレパ-トリ- をひろげて現在では 30番の演目があります。 昭和 51年には国の 重要無形民俗文化財として、京都では第1番に指定をうけました。 また、壬生狂言を演じる 大念仏堂は、昭和 55年に国の 重要文化財に指定されました。 それはそれで幸せだったのかも知れません。 文字を知り、コミュニケーションツールが発達したことで、あらぬ誤解や思惑が人の気持ちを惑わします。 壬生狂言をご覧になることで、純粋な仏の教えに出会えることでしょう。 ・・・請け売りのにわか説法でした。 4月29日から5月5日まで壬生狂言は期間中毎日演じられます。 30の演目がある壬生狂言、どの演目が演じられるかお調べの上お出かけください。 読者の皆様、季節の変わり目です。 仏生会、 浴仏会などとも呼ばれます。 昭和に入ってから「 花まつり」という名称が一般的で、関東では4月8日、関西では5月8日にそれぞれ行われます。 寺院で行われる潅仏会では、花を飾った 御堂(花御堂)をつくり、 浴仏盆と呼ばれる水盆に 誕生仏を安置し、竹の柄杓で 甘茶を注いでお参りします。 甘茶をかけるのは、釈迦様が誕生の時に、九つの竜が天から清浄の水を注ぎ、産湯に使わせたという言い伝えからです。 正式には 五香水と呼ばれる五種類の香水を用います。 誕生仏とは、釈迦誕生の仏像のことで「 天上天下唯我独尊」といって、手は天を差し、もう一方の手は地を指す姿です。 参拝者はこの甘茶を竹筒に入れて持ち帰ります。 これで墨をすり「虫」の一文字か「 昔より卯月八日は吉日よ神さけ虫を成敗ぞする」と書いた紙を便所に張るという。 そうすれば、蛆が生じないとされていました。 明治の頃までは、竹筒を提げて甘茶をもらいに来る子供達で賑わい、門前には竹筒を売る店が並んだそうです。 潅仏会はインドから中国を経て日本へ伝わりました。 かつてインドでは、この日を聖日とし、釈迦の童形を飾って楽を奏で、香華を焚き、香水で沐浴潅洗する潅仏の式が行われていました。 中国でも盛んに行われ、日本では 推古天皇の時代から行われていました。 潅仏会を花祭りというようになったのは、明治34年から。 戦前は稚児行列・舞踊・礼讃の歌などが披露され、子供中心の祭礼でした。 日比谷公園の花祭りなどが代表的です。 一方、もともと日本には4月8日に登山し、花摘みや花見をして神を迎える風習がありました。 長い竹の先に、 石楠花(しゅくなげ)や 躑躅(つつじ)などの花束をつけて庭に立てたりしました。 また、この日は山の神や田の神を祀る行事もあり、 豊作を祈願するのが本来の 花祭りの姿だったことが伺えます。 もともとの山岳信仰に五穀豊穣祈願する催しと、釈迦誕生祭とが一緒になったものです。 伝えられている主な行事は明治時代に入ってからのものが多く、平成の今日に至っています。 今年の花祭りには、東日本大震災、原発事故収束のメドがたって欲しいのもです。 いまだに避難所暮らしの方や、仮設住宅暮らしの方には先の見えない日々が続いていることでしょう。 花祭りを機会に早期収束を祈願したいものです。 昭和天皇の誕生日です。 定義・趣旨には「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」とあります。 昭和64年(1989)1月7日、昭和天皇崩御により祝日法の「 天皇誕生日」に係る項目の改正が行われ「 みどりの日」という名称の祝日に改められました。 その後、国会での審議を経て平成19年(2007)から「 昭和の日」と改まりました。 それまでの「みどりの日」は5月4日に移動。 昭和天皇は、明治34年4月29日、大正天皇の第1男子として東宮御所にてご誕生されました。 名は「裕仁(ひろひと)」。 印は「若竹」。 称号は「迪宮(みちみや)」。 明治45年7月30日、 明治天皇の崩御により皇太子となられました。 大 正 13年、久邇宮邦彦(くにのみやくによし)王の第1女子「良子(ながこ)女王」とご結婚。 大正15年12月25日、大正天皇の崩御により、 第124代天皇に即位。 昭和3年、京都にて即位の礼と大嘗祭の大礼が執り行われました。 昭和64年1月7日、吹上御所において崩御。 御歳87歳。 歴代の天皇の中で在位期間が最も長く、また最も長寿でした。 平成元年2月24日、新宿御苑にて大喪の礼が行われ、武蔵野陵墓地にて葬場殿の儀などが執り行われました。 御陵名は、 武蔵野陵(むさしののみささぎ)です。 国民の祝日制定以前は「 天長節」と呼ばれる四大節の一つでした。 天長節は奈良時代、光仁天皇の宝亀6年(775)9月の詔勅によって初めて行われ、その後中断していましたが明治元年に再興されました。 明治天皇の誕生日は9月22日(旧暦)でしたが、太陽暦採用後の明治6年以降は11月3日に変更されました。 大正天皇の誕生日は8月31日、昭和天皇の誕生日は4月29日です。 「天長節」に対し、皇后の誕生日を 「地久節」として祝っていましたが、現在は廃止されています。 昭和の日になると昭和天皇を連想します。 印象深いのが、やはり玉音放送で、現在でも語り継がれています。 既に崩御されて30年以上を経ていますが、激動の時代を生きた功績を一寸振り返ってみましょう。 昭和史を振り返るには、九段にある「昭和館」や靖国神社に併設されている「遊就館」などが参考になります。 昭和39年の東京オリンピック、昭和恐慌、大阪万博、満州事変、大東亜戦争、高度経済成長、オイルショック、不動産バブルなどなど思い出すだけで何があったかわかるような近代史が続いています。 標高3067m。 日本百名山の一つ。 古くから信仰の山として畏敬を集めてきた峰々は、いくつもの峰を連ねる連山で活火山です。 御嶽信仰の発祥は、古代の山岳崇拝の思想に遡ります。 すなわち、神代の時代に山そのものを神とあがめて崇拝した古代人の原始宗教に端を発したものであり、その後、大和の 役小角行者:やまとのえんのおづのぎょうじゃ(大峰山開闢神変大菩薩)を開祖とする修験道と結ばれ、奈良時代から鎌倉時代 にかけての修験道全盛期を経て、後に独自の御嶽信仰の形成に至ったとされています。 御嶽教の祭神は「 大己貴命:おおなむちのみこと」、「 国常立尊:くにとこたちのみこと」、「 少彦名命:すくなひこなのみこと」を 御嶽大神と称して祀ります。 「火渡祭」 は、御嶽教の行のひとつで 、「白蛇神社」で行われる 「火渡り・刃渡り」は、 5月3日正午からです。 災難除けの鎮火祭という祝詞を上げ、陽木(杉、松、檜などの目出度い木)の薪、長さ2尺1寸36束を並べて燃やし、1時間ほどで燃え尽きたのち、まだ30㎝程に火の粉があがる上を、御嶽教の行者が素足で渡り歩きます。 行者に続き一般参拝者も渡ることができます。 また、高さ5m程の櫓を組み、はしごをかけ、刃渡り1m前後の脇差しを30㎝間隔に15本、刃を上に向けて木綿のロープで結び付け、それを素足で登りつめます。 怪我一つしないのは精神統一を極めた神業だそうです。 御嶽教の行者が素足で火渡りする姿は全国に放映され、GW初期の風物詩になっています。 HPの案内では、「 5月3日およそ昼12時30分より火渡り行事、続いて刃渡り行事」とあります。 観光をご予定の方は日時をご確認のうえお出かけください。 「 上杉神社」と「 松岬神社」の春の例大祭として始まりました。 上杉神社は、松が岬公園(米沢城址)に位置し、藩祖・上杉謙信を祀ります。 松岬神社は、上杉神社の摂社で、 上杉鷹山公、 上杉景勝公、 直江兼続、 細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政を祀ります。 「 上杉謙信」(初名は 長尾景虎)は、戦国時代における越後の大名。 越後国三条長尾家より養子相続。 天正6年(1578)越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祀られましたが、次代の上杉景勝(越後国上田長尾家より養子相続)が、会津藩を経て慶長6年(1601)米沢藩へ移封されたのに合わせて謙信の祠堂も米沢に遷されました。 5月2日の「武てい式」は、上杉謙信公が出陣の度に欠かさず行ったという軍の守護神を招く儀式で「武てい式保存会」によって忠実に再現されます。 赤々と燃えるかがり火の中で「 五沾水・ごてんすいの儀」「 軍神勧請」などが約1時間にわたって執り行われます。 武てい式に先立ち、千勝院から行進、上杉家廟所を参拝し謙信公の御霊に出陣の報告を行います。 その後、市内中心部に移動し、まちの広場にて押し前の鬨をあげ、武てい式会場へと向います。 5月3日は、上杉軍団行列と神輿渡御が市内の目抜き通りを練り歩く「 上杉行列」が行われます。 戦国史上最大の死闘といわれた上杉・武田両軍の激突、永禄4年の「川中島合戦」の再現は、上杉陣で武てい式、武田陣で三献の儀が執り行われたのちに行われます。 火縄銃の発砲、上杉謙信が単騎で武田軍に斬りこむ「 三太刀七太刀」の名場面、全軍団による総がかりで、両軍合わせ約700名もの武者が入り乱れての戦闘シーンが行われます。 会場の一部にはお土産付の有料桟敷席が設けられます。 昭和49年の模擬合戦は、日本テレビで初放映されて以来、マスコミの人気も高まってゴールデンウィークを飾る東北のまつりとして全国に知られるようになりました。 開幕祭4月29日、武てい式5月2日、上杉軍団行列・川中島の合戦5月3日です。 観光にお出かけの際、GW期間中は日差しが強く紫外線が強いそうです。 日焼け対策をなさってお出かけください。 日高神社の例祭は4月22日。 かつては陰暦正月22日に行われ、当日は防火を祈る 火防祭(ひぶせまつり)が併せて行われたが、火防祭は現在、実行委員会が主催し 4月28、29日の祭礼になっています。 江戸時代、留守家17代の水沢城主宗景公が、少年時代伊達公の名代として江戸にあったとき 、「江戸の華」といわれる火事の多いのに驚かれた。 明暦3年(1657)の火事は、江戸の大半を焦土と化した大火災で、 俗に振袖火事といわれ、この時の死亡者は10余万人を数えたと記録されています。 火災の恐ろしさを肝に銘じ、江戸での任を終えて帰郷するや火防の対策に万全の策を講じました。 人智の不足不慮の羅災を、神仏の加護によって未然に防止しようとし、 日高妙見社の日は「火」に、 瑞山神社の瑞は「水」に通ずるとして、両社に祈願し始められたのがこの祭のはじめです。 19代村景公の時代、享保20年(1735)水沢の大火の後、藩主は佐々木佐五平という者を江戸に派遣し、 町火消組の機構や操作を学ばせ、江戸のいろは組にならって6町に1つずつ組をおいて町火消組を創設したと伝わります。 火防祭りは、 京都祇園祭を模した華やかな祭りで、豪華絢爛に飾られた9基の囃屋台が市街地を練り歩きます。 屋台の上には、20人程の幼女が雛人形の如く乗せられ、太鼓と三味線と笛の音に併せて調子を取ります。 辺りが夕闇に包まれる頃、JR水沢駅前を会場に屋台同士が仁義と礼をつくした 「相打ち」と「揃い打ち」が行われます。 7つの音曲からなる 「日高囃子」は、岩手県の無形民俗文化財に指定されています。 奥州市水沢区出身で厄年を迎える男女で構成する 厄年連は、25歳厄年連、42歳厄年連の2団体が祭の前座を勤め、祭を一層盛り上げます。 日蓮を宗祖とする諸宗派のうち「 宗教法人日蓮宗」を指し、宗務院を 池上本門寺(東京都大田区池上)、総本山を 身延山久遠寺に置く57総、大、本山の連合宗派で、「 釈迦本仏論と一致派」、「 釈迦本仏論と勝劣派」、「 宗祖本仏論と勝劣派」など教義の異なる諸門流を包含する日蓮系諸宗派中の最大宗派です。 寺院数は5200ヶ寺、直系信徒は330万人。 日蓮宗は「 日蓮正宗」の他、教義を異とする分派を含む場合があります。 また日蓮宗と歴史的に関連が深く「 南無妙法蓮華経」の題目を唱える新宗教系の信徒団体としては、立正佼成会、霊友会、佛所護念会教団などがあり、直系とは別にこれら信徒団体に在籍の400万世帯の信徒が存在します。 建長5年(1253)4月28日、日蓮が生まれ故郷の千葉県天津小湊の 清澄 寺において、いかなる凡夫にも「 仏性」が秘められており「南無妙法蓮華経:なむみょうほうれんげきょう」と題目を唱えれば「仏性」が顕現するという思想を説き、「南無妙法蓮華経」の題目こそが末法の人々を救うことができる唯一の教えであると、法華経の弘通を宣言しました。 この日、日蓮宗では 「開宗会」が行われます。 暦がカレンダーになって農耕に役立ち、宗教が教育や政治に利用されて、生活に科学が活用されている時代です。 調べているうちに、いろいろな行事、催し、法会の情報を得ました。 日蓮宗の方もそうではない方も開宗会を機会に、自然に生かされている事を実感し、この瞬間に感謝しましょう。 宗派は天台宗。 本尊に「 千手観音」(国宝)を祀ります。 能や歌舞伎、浄瑠璃の演目「 安珍・清姫伝説:あんちん・きよひめでんせつ」で知られます。 この伝説は平安中期に編纂された「 大日本国法華験記」に登場します。 「ここに留まって婿になって下さい」という清姫に、安珍は「願掛けで熊野に行く途中なので帰路に夫婦になる」と約束して旅立ちました。 しかし、安珍は僧であるため、熊野でお勤めを果たしたのち、別の道を通って帰ろうとしました。 清姫は安珍が戻らないので食事が喉を通らなくなり、病気になって死んでしまいました。 そして、死んだ清姫の部屋から一匹の蛇が走り出します。 それは安珍の ことを怨む尋常でない清姫の心が変じたもの。 蛇は安珍が辿った後を追いかけて熊野まで行き、更に安珍の帰り道を見付け、潮見峠で安珍を見付けました。 安珍は恐れて、川辺の道成寺まで逃げ込みます。 蛇は怨念と化して真っ赤に燃え上がりながら道成寺へと向かいます。 安珍は道成寺の寺の者に事情を話して鐘の中にかくまってもらいました。 しかし、蛇はその鐘を見付け、ぐるぐるに巻きつき、怨念の炎で鐘は赤く焼けていました。 やがて蛇が去り、おそるおそる鐘をあげてみると、中には微かな灰だけが残っていました。 あの蛇の炎で燃えてしまったに違いない、寺の者は若い僧の冥福を祈りました。 暫くして、住職のところに夜一匹の蛇が訪ねて来ました。 それは安珍が 化したものでした。 蛇は自分たちが夫婦になったこと、二人とも蛇の姿のままであることを語り、蛇の身は辛いので助けて欲しいと願いました。 そこで住職は二人の為に法華経を読んであげました。 すると二人は、法華経の功徳により「刀利天」に生まれ変わることができました。 因みに、欲界とは「欲の世界」です。 天人、天界の神々といえど、欲があるという世界。 道成寺鐘供養では 、この二人の冥福を祈って盛大な「 鐘供養」が行われます。 会式では 「ジャンジャカ踊り」が披露されます。 長さ25mの大蛇に姿を変えた清姫が、安珍を追い掛ける姿を再現するように行列が町を練り歩きます。 川を渡り道成寺に到着すると、安珍が逃げ込んだ鐘に大蛇が巻きつき、口から真っ赤な火を吐き鐘を焼き尽くす様子が再現されます。 1000年以上前の開宗では文字ではなく、文字の読めない人にも布教したようで、わかりや易が求められていたのでしょう。 男女の関係は1000年たっても変わりません。 昨今、心当たりのある男性は道成寺鐘供養を折に、法華経のご利益で刀利天になりましょう(笑) 季節柄、日隔差の多い時期です。 宣明暦時代には「 万倍」と記載されていました。 また、 貞享改暦後は暦注から外されていましたが、 新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。 「 一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。 特に、 仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。 但し、人に 借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。 借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。 現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。 不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。 一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。 ・正月... 丑と午の日 ・2月... 酉と寅の日 ・3月... 子と卯の日 ・4月... 卯と辰の日 ・5月... 巳と午の日 ・6月... 酉と午の日 ・7月... 子と未の日 ・8月... 卯と申の日 ・9月... 酉と午の日 ・10月... 酉と戌の日 ・11月... 亥と子の日 ・12月... 吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、 凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。 暦の上では春節で、暖かい日が続いています。 時たま寒の戻りもありますので、体調管理にはお気を付けください。 稲荷山の麓に本殿を置き、稲荷山全体を神域としています。 崇敬者が祈りと感謝の念を、奥社参道に鳥居の奉納をもって表した信仰「 千本鳥居」は、今日の名所になっています。 稲荷祭は、伏見稲荷大社の年中祭事のうち最大の祭礼で、稲荷大神が年に一度氏子区域を巡幸して、広く御神徳を垂れ給う祭儀です。 4月20日に行われた「 神幸祭」で御旅所(油小路九条上ル)に遷された神璽を迎えるのが「 還幸祭」で、神璽が遷された5基の神輿を中心とした渡御列が御旅所から本社に向かいます。 還幸祭は5月上旬です。 古式ゆかしい衣装に身を包んだ供奉者など、数百名の華やかな行列は、美しく飾られた30台程のトラックに乗って約2時間、京都市内の 氏子区域を巡幸します。 本社に到着したのち本殿で還幸祭が行われます。 今年はアジア圏からの観光客も増加傾向で、訪日外国人数は記録更新しました。 政府方針で訪日外国人観光客数を4000万人にするとの目標を打出しました。 コロナウイルスの影響で今年は落ち込みそうです。 世界中の外出禁止では訪日外国人観光客も見込めません。 日ごろ暖かさを感じ、過ごしやすい時期です。 旧称松尾神社。 本社と、摂末社の四大神・衣手・三宮・宗像(市杵島姫命)・櫟谷(いちたに、奥津島姫命)・月読(月読尊)の各社を併せて 「松尾七社」といいます。 平安遷都により皇城鎮護の神として崇敬されるようになり 「賀茂の厳神」「松尾の猛神」として並び称されました。 明治4年に松尾神社として官幣大社、昭和25年に「松尾大社」と改称。 本殿は大宝元年(701)、 秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建。 以来皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永4年(1397)建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したもの。 建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りは 「松尾造り」と呼ばれます。 御祭神は 「大山咋神:おおやまくいのかみ」、「中津島姫命:いちきしまひめのみこと」。 渡来人の 秦氏(はたうじ)は古代の氏族で、酒造の技術も日本に伝えたことから、中世(一般的に鎌倉・室町時代)以降は 「酒造の神」としても信仰されるようになりました。 開拓・治水・土木・建築・商業・文化・寿命・交通・安産の守護神。 特に醸造祖神として崇敬されています。 「神幸祭」は、古くは松尾の国祭でした。 明治時代には4月下卯日に出御、5月上酉日に還御となり、さらに昭和36年からは現在の 4月20日以後の第一日曜日に出御、それから 21日目の日曜日(5月)に還御となっています。 出御祭には 松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回廻った(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し松尾・桂の里を通って、桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに駐輦されます。 醸造を生業にする蔵元では、「亀の井」の水を加えると、お酒が腐らないと伝わり、全国の蔵元から水をいただきに訪れるそうです。 近年では、パワースポットとして若い世代にも「亀の井」が注目されています。 もともと、病気平癒祈願の薬用水として広まりました。 汲みに行くと器の中に砂や小石が見られます。 布きれなどを取水口に巻いて取水するのが慣れている人の知恵のようです。 季節の変わり目です。 特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。 また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。 宣明暦時代には、 会津暦で採用されていただけで、 貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684 )渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。 文政13年(1830)に発行された「 選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。 不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。 不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。 節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。 正月・7月... 3・11・19・27日 2月・8月... 2・10・18・26日 3月・9月... 朔・9・17・25日 4月・10月... 4・12・20・28日 5月・11月... 5・13・21・29日 6月・12月... 暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。 日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。 ひと月に3~4回です。 暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。 気のせいでしょうか。 南都七大寺2番。 南円堂は西国三十三箇所第9番札所。 東金堂は西国薬師四十九霊場4番。 「 古都奈良の文化財」の一部として 世界遺産に登録されています。 天智8年(669)藤原鎌足夫人「 鏡女王:かがみのおおきみ」が、夫の病気平癒を願って「 釈迦三尊像」を本尊として建立した「 山階寺」が起源と伝わります。 後に、その子息の「 藤原不比等」が、平城京左京の現在の地に移建し「 興福寺」と名付けました。 東金堂は神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気平癒を願って造営されました。 薬師如来坐像を本尊に、維摩居子坐像、 文殊菩薩坐像、 日光・月光菩薩立像、 四天王立像、 十二神将立像が安置されます。 「文殊菩薩坐像」は、古くから学問僧の祈願仏として信仰されました。 「 文殊会」は 仏説文殊師利般涅槃経(もんじゅしりはつねはんきょ う)... 文殊菩薩を供養したいと思はば、文殊菩薩は貧窮孤独苦悩の衆生となって現れよう。 貧者に施給するは、文殊菩薩を供養することになる。 と、文殊菩薩をお祀りして、人々を救い教化し、孤児を養い育てることを祈願する法会でした。 法会の起源は「 淳和天皇:じゅんなてんのう」(786~840)のとき、勤操、泰善等が畿内、飯をつつみ、菜を加えて、諸々の貧者に施す社会福祉的な善業を、公家と協力して行なったのに始まります。 文殊会のほとんどは平安朝の末期に衰退してしまいましたが、興福寺では、江戸時代も後半享保年間にも文殊会が続いていました。 知恵、福徳、富貴の「 菩薩の知恵」にあずかろうとする稚児の行列が、浄教寺から奉納された一字書の奉額車を引いて三条通りの坂道を東金堂に向けて練行します。 他に、書道展や茶会が催されます。 「文殊菩薩」正式には「文殊師利法王子菩薩摩訶薩」。 サンスクリット語のManjusriの音写で、Manjuは美しい、魅力ある。 Sriは繁栄、栄光王者の意で、妙吉祥尊、妙徳と訳されます。 その絶大な「智慧」を象微して、獅子に乗る姿で表されます。 平成21年、 東京国立博物館等で開催された「国宝阿修羅展」の入場者数は世界一なのだそうです。 平成22年4月から「 阿修羅ファンクラブ」の会員を募集して、平成27年には会員数が2500人を超えたそうです。 平成22年から中金堂の再建中で、平成30年10月落慶します。 天平の薫りがする寄棟造り、二重屋根、裳階(もこし)屋根、桁間9件、梁間6間も建物だそうです。 阿修羅像には文字や写真では表現できない美しさがあるのでしょう。 東京での阿修羅像展示の際、国立博物館に出向いて拝観しましたが、あまりの人の多さで、ほんの少ししか拝観できませんでした。 上野では「阿修羅像」も客寄せパンダ状態だったといえます。 4月下旬です。 暖かい日が続いていますが、この頃、寒の戻りがあります。 後に、嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが、軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の 西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を合わせ祀ることになりました。 現在では、 明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際し、国を守るために尊い生命を捧げた 246万6千余柱の神霊が、身分、勲功、男女の別なく、すべて「 祖国に殉じられた尊い神霊」(靖国の大神)として祀られています。 初めは「 東京招魂社:とうきょうしょうこんしゃ」と呼ばれました。 明治天皇が初めて招魂社に参拝の折に「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」と詠まれた御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建されたものです。 明治12年に「 靖国神社」と改称。 東京の九段にあることから単に「九段」や「九 段下」とも呼ばれます。 東京都知事認証の単立宗教法人。 靖国神社本殿の祀られる祭神は、日本が関係した国内外の事変や戦争において、天皇、朝廷、政府側の立場で日本を守護するために命を捧げた戦役者です。 慰霊・顕彰・崇敬などを目的として祀っています。 「 例大祭」は、明治2年の御創立以来春秋2回斎行されています。 最も重要な祭事とされる「 春季例大祭」は、4月21~23日までの3日間、盛大に執り行われます。 期間中は、清祓・当日祭・第二日祭・直会(なおらい)の諸祭典があり、4月21日午後3時からの「 清祓」をもって始まります。 「清祓」は祭典の準備を完了し、清めの祓いをする儀式です。 22日「当日祭」は、全国から集った遺族・戦友・崇敬者をはじめ、各界代表者が多数参列のもと、午前10時、南部宮司以下の神職が御本殿に進み、生前に「 みたま」たちがお召し上りになっていた御饌、御酒や海の幸、山の幸等の神饌をお供えし、楽を奏し、祝詞を奏上して、思いも新たに戦歿者の「みたま」を慰め、平和を祈念します。 この日、午前10時半過ぎには天皇陛下の勅使がおいでになり、天皇陛下よりの御幣物を供え、御祭文を奏して御参拝されます。 23日午前10時から前日と同様に「 第二日祭」が執り行われます。 午後6時、祭典を無事奉仕出来たことに感謝する「 直会」をもって、春季例大祭の諸祭典が終了します。 ご年齢から日々の業務はなかなか難しくなっているご様子を拝察すると、早い退位が望まれます。 古事記によれば「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」とあり、神代の昔に伊邪那岐大神は本社東方の杉坂山に降臨し、麓の栗栖の里で休んだのち、多賀に鎮まったと伝わります。 奈良・平安時代には公家の信仰篤く、鎌倉から江戸時代にかけては武家からの信仰も集めました。 明応3年(1494)「天台宗の不動院」が建立され、その後、観音院・般若院・成就院の坊人たちの活発な布教により、 多賀信仰が全国各地に広まりました。 大正3年「皇祖天照大御神」の親神にあること、崇敬が全国に及ぶ事から官幣大社に列格されています。 「 お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」この唄からも「伊邪那岐大神」「伊邪那美大神」がお伊勢様の祭神「皇祖天照大御神」の親神だということです。 毎年4月22日には「 古例大祭( 多賀まつり)」が行われます。 神輿や行列、騎馬が繰り出す渡神事です。 8月3~5日には万灯祭が行われます。 「 莚命長寿の神」「 縁結びの神」として信仰を集めるお多賀さん。 境内には寿命石の史跡があり、延命利益のあるとされる「 お多賀杓子」も販売されています。 祭りの見物客も次々繰り出す行列を見ているだけで壮観さを感じます。 「 お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる 」一度は出向いてみましょう。 多賀まつりが終わると、来週にはゴールデンウイークに入ります。 この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。 江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。 これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。 このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。 現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。 三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。 節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。 ・正月... 亥の日 ・2月... 寅の日 ・3月... 午の日 ・4月... 亥の日 ・5月... 寅の日 ・6月... 午の日 ・7月... 亥の日 ・8月... 寅の日 ・9月... 午の日 ・10月... 亥の日・11月... 寅の日・12月... 午の日 建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。 また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。 「 天一神:てんいちじん」という 方角神が天上界に出かけてしまい、期間中は佳日とされています。 天一天上の間は 天一神の祟りがなく方角の 禁忌(悪い方位)はなくなるので、どこに出掛けるにも良しとされました。 このことが、縁起を担ぐ相場師に利用されたと伝わります。 かわりに期間中は 日遊神が地上に降りて家の中に留まります。 屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、自宅は清潔にしておかなければなりません。 天一神は 方角神のひとつで、 中神(なかがみ)ともいい、 地星の霊で 荒神です。 天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の 吉凶禍福を司ります。 天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされ、神の滞在する方角を「 塞がり」といってこの方角を犯すことを忌み、このことを 「物忌み」といいます。 その方角に真っ直ぐ向かうことは禁物で、どうしてもその方角に行かなければならない時は「 方違え」をします。 艮(北東) この期間この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。 今となっては迷信や神話の域だと 見過ごされしまう暦の一つです。 その昔 情報処理が発達していなかった頃、日遊神の祟りからのがれるために掃除するところから転じて、株や相場にとって、天一天上は相場を見直す時期とされていました。 入梅前5月節の「天一天上」です。 季節は二十四節気「小満」「芒種」の頃で一年間で最も過ごしやすい季節です。 旧暦3月、辰の月の中気で、新暦4月20日頃。 天文学的には太陽が黄経30度の点を通過するときをいいます。 「穀雨:こくう」とは「 百穀を潤す春雨」のことです。 また、穀物の成長を助ける雨のことで、「 暦便覧」 には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されています。 この頃は春雨のけむるがごとく降る日が多くなり、田畑を潤して穀物などの種子の生長を助けます。 種まきの好機です。 雨 が長引けばそれは 「菜種梅雨:なたねつゆ」です。 菜の花の咲く頃の長雨のことで、これを 「春霖:しゅんりん」ともいいます。 穀雨の終わり頃に茶摘み唄に詠まれた「 八十八夜」があります。 暦の上で春節、最後の二十四節気です。 来月に入り 5月の「立夏」からいよいよ夏の到来です。 関東では「アシ」、関西では「ヨシ」が一般的。 華く(はなさく)=花が咲く。 または、ボタンの総称。 原産地は中国西北部。 薬用として利用されていたが、牡丹の花が「花の王」として愛好されるようになった。 当時は「木芍薬」と呼ばれていた。 公的に制定した記録はみられないが、清国では1929年までは中国の国花であったとされる。 春牡丹:春牡丹は4~5月に開花する一般的な品種。 寒牡丹:春と秋に花をつける二季咲きの変種。 通常は、春にできる蕾は摘み取り、 秋にできる蕾のみを残し10月下旬~1月に開花。 冬牡丹:春牡丹と同じ品種を1~2月に開花するよう、特に手間をかけて調整したもの。 根の樹皮部分は「牡丹皮(ぼたんぴ)」として大黄牡丹皮湯、六味地黄丸、八味丸など漢方薬の原料になる。 薬効成分は、ペオノールで消炎・止血・鎮痛などに効く。 「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」という美女の形容として使われる言葉がある。 春の雨がこのま梅雨に入るのでは・・・ と思うような日が続きます。 まさしく菜種梅雨(なたねつゆ)のような雨です。 暖かくて、いい陽気になってきましたが、風の強い日は寒さを感じます。 教祖・ 中山みきにより伝えられた 親神天理王命を崇拝対象とする 創唱宗教です。 江戸時代末期に開かれた 黒住教、 金光教と共に「 日本三大新宗教」の一つに数えられています。 「 創唱宗教:そうしょうしゅうきょう」とは、宗教を発生形態で分類した場合に特別な一人またはグループの創唱者によって提唱された宗教のことで、日本の神道のように民間の習俗的な意識から自然発生的に生まれてきた「 自然宗教」に対して用いられます。 寛政10年(1798)年4月18日、大和国山辺郡三昧田に天理教の教祖:前川みき誕生。 13歳の時、現在の天理市三島町の中山家へ嫁ぎます。 夫に仕え、家業に精を出し、近隣との交流にも模範的な婦人でした。 天保9年(1838)10月26日、中山みき(41歳)親神天理王命の啓示。 啓示に従って親神の社と定まります。 教祖の口を通して話される言葉は、親神の思し召しといわれています。 この世の真実を説き明かされたといわれる教祖の誕生を祝う祭典は、人類の故郷「ぢば」と呼ばれる 奈良県天理市の天理教教会本部にて行われます。 江戸末期から明治時代に形成された新宗教で、近年盛んな新興宗教とは一線を画しているようです。 筆者敬白 発明の日(はつめいのひ)は、明治18年(1885)4月18日に、現在の 特許法の前身である 「専売特許条例」が初代特許庁長官を務めた 「高橋是清」らによって公布されたことを記念して、特許、意匠、商標などの産業財産権制度の普及・啓発を図ることを目的として昭和29年(1954)に制定された記念日です。 毎年4月18日。 この日を中心に、特許庁や経済産業省によって様々なイベントが開催されます。 また、発明の日を含む1週間は、 「科学技術週間」です。 アメリカの第16代大統領、 エブラハム・リンカーンは、大統領に就任する前年の1859年(日本では安政年間)の演説で、 「特許法は、発明者に一定期間、独占権を補償することによって、天才の火に利益という油を注いだ」 と述べています。 特許制度に支えられた産業を礎として、20世紀にアメリカは大いなる繁栄を遂げました。 日本においても、明治18年(1885)に特許制度が導入されてから、多くの発明者や研究者の方々が知恵を絞って研究を行い、特許を生み出し、私たちの生活を便利にしてきました。 特許制度は、日本人の技術を支え経済成長をもたらす重要な役割を果たしてきました。 (特許庁HP) 「発明の日」を機に、未来を拓く産業財産権制度の重要性について、みなさんも考えてみませんか。 種々の発明によってこれからの生活様式が、どのように変化するのか見届けたいものです。 宣明暦時代には「 万倍」と記載されていました。 また、 貞享改暦後は暦注から外されていましたが、 新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。 「 一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。 特に、 仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。 但し、人に 借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。 借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。 現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。 不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。 一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。 ・正月... 丑と午の日 ・2月... 酉と寅の日 ・3月... 子と卯の日 ・4月... 卯と辰の日 ・5月... 巳と午の日 ・6月... 酉と午の日 ・7月... 子と未の日 ・8月... 卯と申の日 ・9月... 酉と午の日 ・10月... 酉と戌の日 ・11月... 亥と子の日 ・12月... 吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、 凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。 この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。 4月節に入って「春の土用」の期間中です。 暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いています。 また、もうすぐGWです。 期間中の計画はお早めに! 体調管理にはお気を付けください。 土用は雑節の一つで、太陽が黄経27度、117度、207度、297度にあるときと定義し、 四季の変わり目に 配されています。 今月は「辰:たつ」の土用月で 「春の土用」です。 季節の入れ替わりに配されているのが「土用」ですが、毎年4月16、17 日~5月4、5日頃が「春の土用」です。 土用はあらゆるものを荒廃させ、死滅させる作用を持つとと同時に、新しいものを育む作用を持ちます。 命あるものは、腐敗、死滅して土に帰り、一方、新しい命は土の中に生じています。 すべてに「始まり」があって「旺:さかん」となり、そして終わります。 これが 「生・旺・墓」の三合の理です。 従って今回の土用は冬が終わる土用なので「 冬の土用:冬が墓」だとしている暦もあります。 一年の暦を通して「土用」では、「 春の土用」によって「冬が消滅」し、「春の勢いが陰り」、「夏が生成」されます。 特に、春の始め「2月」に生じた事柄は、「3月」に壮ん(旺)となり「4月」に終わりを迎え結果が出ます。 今月中に終結しない事柄は、来月「5月」に再スタートし「7月」には結果を出す努力をすべき、ということになります。 5月6日「 立夏 」となって暦の上では夏に入ります。 「時を得る者は昌え、時を失う者は亡ぶ」(時の運をうまく味方につけて追い風に乗る者は栄え、逆に追い風を見逃して向かい風に帆を揚げるようでは、苦難ばかりで、滅んでしまう。 )タイミングがいいことを、時の氏神が味方をした。 などと言い時を味方につけるとき、実力以上の成功に恵まれるということです。 土用の期間は 「土の気」が盛ん(旺ん)になり 「物を変化させる作用が最も働く期間」になります。 土を動かすことは勿論ですが、造作、修繕、柱立、礎を置くこと、井戸掘り壁塗りなどよくないとされています。 部屋の模様変えや押入れの整理も見送りましょう。 【土用心得】 土用の期間に入ると、抱えている問題は解決しないといわれています。 土用に入る前に方向性を決め、解決しておく事が得策です。 とはいっても、もの事が解決せず土用の期間に入ってしまったら、焦らずに先送りして現状を維持しましょう。 【土用の丑の日】 土用といえば「丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべますが、この蒲焼が普及したのは江戸時代のこと。 江戸時代後期に、あの 平賀源内が鰻屋に頼まれて 「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けしない」と宣伝。 大いに流行しました。 万葉集にも鰻が登場しますが、この頃には単に焼いていたようです。 「土用の二の丑」は4月28日(火)です。 鰻の調理方法は、東京では切腹をイメージするというので腹を切るのを嫌い、背剥きにします。 大阪では腹剥きです。 また、焼き方も異なっています。 大阪では鰻のことを「う」といいます。 そして鰻丼のことを「まむし」といいます。 これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んでマブシて食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。 いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したものです。 【土用の間日】 春の土用の「間日」は、巳・午・酉の日で、文殊菩薩のはからいで、土公神一族すべてが清涼山に集められ、土用の期間中でもこの日ばかりは土を動かしても祟りがありません。 【土用の明け】 春の土用が明けるのは 5月6日「立夏」です。 土用の期間は、なんとなく上手くいかない期間です。 「運」の良し悪しは、誰にでも当てはまりますが、「運気」は自然界の影響を受けながら巡っていまから、大自然の法則を知って、自然の恩恵を活用しましょう。 暦を詠むことは一部には大自然の叡智を身につけることなのです。 土用の時期は季節の変わり目です。 体調を崩しやすいので、健康管理には十分注意しましょう。 土用は年に4回あります。 春の土用・夏の土用・秋の土用・冬の土用 の4回で、木気・火気・金気・水気の「墓気」に当たるところが「土用」です。 この期間は各季節の替えによって18日と6時間が「土用の期間」です。 期間中は中央に位置する 「五黄土気」 と連なることで万物を腐らせる作用があります。 命あるものは、腐敗、死滅して土に帰り、一方、新しい命は土の中より生じています。 すべてに始めがあって「壮ん:さかん」となり、そして終わります。 これが 「生・旺・墓」の三合の理ですが、土用の期間中の月は「墓」にあたりますので、今月は物事が終結し、完了したり結果が出る月といえます。 (水局三合) 今月中に終結しない事柄でも、土用明けの来月には一定の終了を迎え、新しい息吹になっていきます。 特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。 また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。 宣明暦時代には、 会津暦で採用されていただけで、 貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684 )渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。 文政13年(1830)に発行された「 選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。 不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。 不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。 節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。 正月・7月... 3・11・19・27日 2月・8月... 2・10・18・26日 3月・9月... 朔・9・17・25日 4月・10月... 4・12・20・28日 5月・11月... 5・13・21・29日 6月・12月... 暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。 日~土の7曜定着前には、 ひと月に3~4回ある「 不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。 気のせいか、 暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。 別名、 飛騨山王宮日枝神社、祭神は 大山咋神(おおやまくいのかみ)です。 永治元年(1141)、飛騨国三仏寺城主である飛騨守平時輔(ひだのかみたいらのときすけ)が、狩りに出かけたところ、一匹の老狼を仕留めようと矢を射たが獲物は見当たらず、矢は大杉に深くつき立っていました。 時輔は 「大山咋神が、お使いである老狼を救われたものであろう」 と神の力を感じ、鎮護神として近江国より日吉大神を勧請し、日枝神社としたと伝わります。 この時の大杉が、日枝神社の大杉です。 養和元年(1181)、戦乱によって三仏寺城は落城し、日枝神社も焼失しました。 御神体は無事であり、慶長10年(1605)、日枝神社を高山城の鎮護神とし、現在地へ移転し 「山王権現宮」と呼ばれていました。 明治2年(1869)、神仏分離令により「日枝神社」 に改称。 現在の本殿は昭和13年(1938)再建です。 高山祭りは春の 「山王祭り」 と、 秋の 「八幡祭り」 の総称を指します。 「春の山王祭り」 は、例年4月の14日・15日に開催され、12台の屋台が引き揃えられます。 4月14日の 夜には、「曳き別れ」と呼ばれる夜まつりがあります。 夜祭りは各屋台に提灯をつけ 「高い山から」の曳き別れ歌をうたいながら、所定の町内を1巡して、 夜闇にゆれどよめく灯りのさまは、観客をファンタジックな世界へと誘い込みます。 15日は 「本楽祭」で祭は最高潮に達します。 午前から御旅所前広場をはじめ所定の場所に曳き揃えられた12台の屋台のうち 、「三番叟」、「龍神台」、「石橋台」の3台はからくり人形の技を披露します。 ご分霊は正午に出発、前日の行列に屋台の台名旗を立てた代車を合せて、氏子中を進行後、本社に還御、即時還御祭を執行して、拝殿にて千秋楽曳き払いとなります。 また、「 秋の八幡祭り」 は、例年10月の9日・10日に開催され、11台の屋台が曳き揃えられます。 10月9日の夜には、宵まつり(夜のまつり)が開催されます。 見どころは夜祭です。 提灯をつけた屋台が、ゆらゆらとどよめく灯りはとても幻想的です。 4月中旬で暖かい日が続きます。 宣明暦時代には「 万倍」と記載されていました。 また、 貞享改暦後は 暦注から外されていましたが、 新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。 「 一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。 特に、 仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。 但し、人に 借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。 借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。 現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。 不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。 一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。 ・正月... 丑と午の日 ・2月... 酉と寅の日 ・3月... 子と卯の日 ・4月... 卯と辰の日 ・5月... 巳と午の日 ・6月... 酉と午の日 ・7月... 子と未の日 ・8月... 卯と申の日 ・9月... 酉と午の日 ・10月... 酉と戌の日 ・11月... 亥と子の日 ・12月... 吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、 凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。 昭和35年制定、発明の日を含む一週間で、昭和50年から現在の日程になりました。 科学技術省の「科学技術週間推進要綱」によると、科学技術イノベーションを経済的、社会的に価値あるものとしていくためには、広く発信し対話や情報提供を進めることにより、理解と支持と信頼を得ることが大切だとしています。 一方で、東日本大震災を受けて、科学技術の可能性とリスクに関する情報共有など、科学技術と社会との関わりについて再構築していくことが要請されている。 と加えられています。 今年は全国的に早く開花ようですが、どんなに科学技術が発展しても、桜の開花時期など、自然の摂理は変えられないものです。 敬う気持ちを大切にしましょう。 季節の変わり目です。 現在は月遅れの新暦4月13日に行われます。 13日は虚空蔵の縁日に当り、13歳はこれに因んだ行事。 13歳が元服の儀と重なり、人生の転機として、通過礼儀として大切にされてきました。 関西では、七五三行事よりも盛んに行われます。 「 嵯峨の虚空蔵さん」で知られる嵯峨嵐山「 法輪寺」は、名勝嵐山の中腹に位置する寺院で、山号は智福山。 宗派は真言宗五智教団に属します。 奥州会津の柳津円蔵寺、伊勢の朝熊山の金剛證寺とともに「 日本三大虚空蔵」の一つで、古くは、今昔物語集、枕草子、平家物語などにその名が記され、知恵、芸事の上達、丑寅年生まれの守り本尊として信仰を集めます。 虚空蔵は、福徳と智恵を授けて下さることから「 知恵詣り」や「 智恵もらい」とも言います。 また、初めて巡る厄年であることから、厄除けの意も含みます。 参拝の始め、半紙に自分が大切にしている漢字一文字を毛筆でしたためます。 例)命・心・美・雅など。 虚空蔵菩薩に供え祈祷を受け、お守りと供物が授与されます。 帰宅後は親に感謝を述べ、家族で供物を頂き、成長を祝います。 参詣から帰る途中に後ろを振り返ると、せっかく授かった智恵を返さなければいけないと言われ、渡月橋を渡り終えるまでは後ろを振り向かないのが習し。 それによって空海が飛躍的に記憶力を増大させたと伝わります。 桜の満開の季節、着飾った子供達で賑わいます。 現在では中学入学の祝いとして定着しています。 親戚縁者に紅白饅頭等で内祝いをします。 男子は紋服に袴、女子は模様紋附に丸帯を正装とします。 女子はこの時はじめて化粧をして貰います。 近年幼い子供2人を置き去りにして、餓死させた母親が禁固30年の刑になりました。 稀なケースだと、特別扱いしてはいけません。 ストレスから子供を虐待する親も少なくありません。 平成の世の中、どこかが間違った方向に進んでいるのだと感じます。 普通の神経では当たり前に生きられない今の社会が、問題のない社会だとは決していえません。 子供の健やかな成長を皆がが願っている社会にしたいものです。 季節の変わり目です。 西本宮と東本宮を中心に40万㎡の境内を持ちます。 猿を神の使いとして崇拝することで知られ、俗に「 山王権現」とも呼ばれます。 平安京遷都の際には、この地が都(京都)の 表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社でした。 また 伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。 湖国三大祭りの一つとして知られる「 山王祭」は、五穀豊穣を祈る日吉大社の例祭です。 湖国に春を呼ぶ勇壮な神輿祭りで、1300年の歴史があります。 比叡山延暦寺の 僧兵が朝廷に強訴する時にかつぎ出したのが、ここの神輿で 「北嶺(ほくれい)の神輿振り」として歴史上にも有名。 祭りでは、12日夜「 午の神事」が執り行われ、奥宮八王子山の2基の神輿が担ぎ下ろされ東本宮に安置されます。 13日には十禅寺など四社の神輿が宵宮場に移され、烏帽子と鎧に身を固めた稚児や甲冑を身につけた武者らによる華やかな「 花渡り式」が行われ、稚児の花笠が奉納されます。 夜には勇壮な宵宮落しが行われます。 松明の火に照らされた神社前の産屋で、神輿を持ち上げて振り落とすのですが、この神輿4基は男神と女神に分かれ、その所作は若宮誕生の産みの苦しみを表現しているのだとか...。 振り落とされた4基の神輿を西本宮まで競って担ぎ上げ、当夜の行事を終えます。 14日は「 申の神事」が行われ、7基の神輿が山道を下り、下坂本の七本柳まで渡御。 そこで神輿は船に乗せられて 船渡御となり、唐崎沖まで渡り粟津の御供を奉納。 そして神輿船は比叡辻の若宮港に上陸し、日吉大社に帰って大祭を終えます。 翌15日には祭りが終わったことを神に報告する「 酉の神事」が営まれます。 七社の神輿は重要文化財に指定されています。 4月に入り暖かくなって来ました。 中には朝晩冷える日もあります。 旧称 松尾神社です。 本社と、摂末社の四大神・衣手・三宮・宗像(市杵島姫命)・櫟谷(いちたに、奥津島姫命)・月読(月読尊)の各社を併せて「松尾七社」といいます。 平安遷都により皇城鎮護の神として崇敬されるようになり「 賀茂の厳神」「 松尾の猛神」と並び称されて、崇敬いよいよ加わるに至ります。 明治4年に松尾神社として官幣大社に列格し、終戦後は国家管理の廃止により、昭和25年に「 松尾大社」と改称しました。 本殿は大宝元年、 秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建。 以来皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永4年(1397)建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したもの。 建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りは「 松尾造り」と呼ばれます。 御祭神は「 大山咋神:おおやまくいのかみ」、「 中津島姫命:いちきしまひめのみこと」。 渡来人の秦氏が、酒造の技術も伝えたことから、中世(一般的に鎌倉・室町時代)以降は 酒造の神としても信仰されるようになりました。 境内の「 亀の井」の水を酒の元水に混ぜると酒が腐らないという伝えが広まり、全国の酒造・醸造業者が酒水に混ぜる風習が生まれました。 全国の酒造業者から奉納された酒樽が拝殿横に並べられています。 「中酉祭:ちゅうゆうさい」とは、酒造りの祭で、「 醸造感謝祭」とも呼ばれ、酉の日に酒造りを終えるという習わしから生まれた祭りです。 ご神水は石の亀口からチョロチョロと流れ出ています。 この霊水が湧き出た時に、松尾大神が 「この水は諸病を治し寿命を延ばす」 と仰ったと伝わります。 この水をお酒に加えると腐らないとされていて、酒造の蔵元からも汲みに来ています。 例年だとこの頃京都では花見のシーズンなのですが、今年は桜の開花が早めでした。 残念ながら「お酒の祭り」に「花見」とは行きませんでした。 人類で初めて有人宇宙飛行士 ユーリ・ガガーリン少佐の「 地球は青かった!」との第一声は歴史に残る名言です。 ロケットが発明されたのは現在の中国とされ、11世紀頃の中国の文書に「 火矢」という名前で登場します。 13世紀の蒙古襲来の時にモンゴル軍が武器として大砲やロケット弾を使用していて、日本は苦戦しました。 この時日本でも真似してロケットを試作したのではないかとも伝わります。 その後16世紀ごろには、製造技術が確立して「 龍勢」と呼ばれていたと記録があります。 1963年世界で初めて宇宙に行って「帰っ てきた」女性宇宙飛行士テレシコワは「 私はカモメ」と言いました。 他にはアポロ11号で人類の月への第一歩を記したアームストロングの言葉は「 これは一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな跳躍だ」との発言は有名です。 アームストロングは後にイスラム教に改宗して修行者に。 また、アポロ14号に乗ったミッチェルは超能力研究所を設立、アポロ15号に乗ったジム・アーウィンは神の伝道師になります。 日本人として初めて1990年に宇宙を飛んだTBSの秋山豊寛氏は、その後TV局を辞めて福島県で農業をやっているのだそうです。 古くから天には神の存在が言われていますが、宇宙から戻ってきた宇宙飛行士達のその後を見ると、やはり宇宙で神の存在を感じたのかも知れません。 東日本大震災や東電福島原発事故は 私たちが知りえる科学は、決して万能ではないのです。 万が一の時の対処のし方を常日頃から心がけましょう。 「備えよ常に」の精神です。 暖かな日が続き4月も中旬です。 GWの情報も増えてきました。 寒の戻りもあります。 但し、丙戌と己丑の日は間日(まび)になります。 1日目 甲申=金尅木 2日目 乙酉=金尅木 3日目 丙戌=火生土(間日) 4日目 丁亥=水尅火 5日目 戊子=土尅水 6日目 己丑=土和土(間日) 7日目 庚寅=金尅木 8日目 辛卯=金尅木 9日目 壬辰=土尅水 最終日 癸巳=水尅火 十方暮れの「十方」とは、「天地八方」を指します。 正確には四正(しせい)方位「 東西南北」と、 四隅(しぐう)方位「 南東・南西・北西・北東」の八方位に 「天地:てんち」を合わせた 十方位のことです。 または「 十方世界」ともいい私たちが右往左往する現実の世界、すべての方角に無限に 存在する世界の全てのことを示します。 そして十方が 「四方八方閉ざされた状態」を「 十方暮れ」といい、旧暦の解説書には「 途方に暮れるの語呂合わせ」と書かれています。 または 「十方暗」「十方闇」ともいいます。 それにしても、やはり 「とほうくれ」 と読みたくなるほど、うまくいかなく「 途方に暮れる 」期間なのでしょう。 十方が暗い(暮)ので、天気が良くない日が続きます。 この時期、 雨が降っても大したことなく、降りそうで降らない曇りがちの(すっきりしない)天気が続きます。 転じて暗雲(問題)が立ち込めているが雨(解決)が降らないという中途半端な状態です。 なかなか進まないことに業を煮やして、 一挙解決に向けて事を起こしても 逆効果です。 解決どころか反対に こじらせて損失を招く恐れがあります。 十方暮れの期間は 手を尽くし、静かにじっと待つことも、問題解決です。 静かにしていれば薄日が指すのがおのずと感じらるものです。 十方に暮れるとは、 「人事を尽くして天命を待つ」の考え方を、暦に取り入れたのかもしれません。 皆様、 「ないと思うな運と災難」、時節柄お身体ご自愛専一の程 筆者敬白 大正10年に 度量衡法 が公布されても、あまり日常には普及せず、 メートル法が完全に実施されたのは昭和34年(1959)からで、 尺貫法を用いないように決められたのは、昭和41年(1966)3月31日以後です。 古来から、物の単位というのは商業や工業の産地や同業組合などで定められていたものでした。 国が形成されるようになると、一定の単位を使うよう義務づけて、取引の利便性を図るようになっていきました。 1789年フランス革命(日本では江戸時代、第11代徳川家斉将軍)では 革命政府が「週」を廃止して10日1旬の制度を導入したり、時計や角度の「60進法を廃止して10進法」に改めたり、改革を始めます。 長さの単位も世界で使えるようにと 地球の1周の長さの4千万分の1として「メートル」という単位を作りました。 ナポレオンが登場すると10日1旬すぐに廃止してしまいますし、時計や角度の10進法も生活リズムに合わず消滅します。 但し、メートルだけはほんとうに世界的に普及することになります。 そして1875年(明治8年)国際条約で全世界の単位をメートル法に統一することが決まりました。 日本も明治19年(1886)に、この条約に加入します。 日本では「尺貫法」とメートル法の併用が続いていましたが、 昭和41年の改正「計量法」 により、尺貫法による定規や升などの製造販売が禁止され、メートル法に一本化されました。 それでも「 一升瓶」を「1.8リットル入り」とし「1坪当たり50万円」を「3.3平方メートル当たり50万円」と言ったりするなど、「尺貫法」は現代でも生活に密着した所では使用されています。 作家の永六輔さんなどは尺貫法の復活を求めて、自作の尺定規を売って回ったりして 尺貫法の復活 活動を続けていました。 各方面からの声に押されて現在はこの規制は若干緩和されています。 メートル法に反対していたのはイギリス・アメリカの「ヤード・ポンド」地域で、その影響で飛行機の高度などはごく最近までフィートでしたしゴルフではヤードが使用されています。 アメリカでメートル法移行が始まったのはほんの数年前からです。 単位にはいろいろな歴史があるようで、探究するのも心のゆとりかもしれません。 尺貫法の方が生活基盤に合っているように思います。 真珠業者が、取引に使っている 「もんめ」など使いやすい単位で、国際的にも「もんめ」を使って割出している聞き及びます。 神社の社格を表した式内社(名神大)で、旧社格は官幣大社。 本殿は4つの社殿が2つに結合された 平野造または、 比翼春日造と呼ばれる独特な造りで、重要文化財に指定されています。 祭神4柱は、第一殿に「 今木神」(染織・手芸・衣の神)、第二殿に「 久度神」(竈・台所・食事の神)、第三殿に「 古開神」(斉火の神)、第四殿に「 比売神」(光 仁天皇の皇后である高野新笠のこととされる)が祀られます。 「今木」は百済からの渡来人の祭神です。 平野神社は 「北野の梅、平野の桜」と言われる桜の名所で、境内にある約50種4百本の桜は、3月下旬から5月上旬頃まで楽しめます。 中でも「 平野の夜桜」は有名です。 寛和元年(985)4月10日、時の 花山天皇によって臨時の勅祭が遣わされたことが始まりです。 「 幾世の春を床しく匂えよ」と仰せられ、舞楽「 東遊」や競べ馬などが催されました。 世に「 北山御幸」というのは、この平野の臨時の勅祭のことです。 桜花祭は午前の神事に続き、午後は騎馬や織姫達の神幸列が地域に繰り出します。 行列はさながら 時代絵巻で地域の町内を練り歩きます。 桜花祭の頃には葉桜かも知れません。 長浜八幡宮の祭りとして、4月13日から16日の4日間を中心に行われます。 準備期間から含めると約3ヵ月にも及び、長浜を代表する年中行事となっています。 国の重要無形民族文化財に指定され、毎年全国から数万人の観光客を集めています。 長浜八幡宮は主祭神に「 誉田別命」(ホンダワケノミコト= 応神天皇)、「 足仲彦尊」(タラシナカツヒコノミコト= 仲哀天皇)、「 息長足姫 命」(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)を祀ります。 社格は県社。 平安時代後期・延久元年(1069)源義家からの発願をうけた後、 三条天皇の勅により 石清水八幡宮より御分霊を迎え鎮座され創建されたと伝わります。 それよりこの地は「 八幡の庄」と称えられ、庄内十一郷の産土の神として深く崇敬されました。 当時の社頭は、三千石、一山七十三坊と伝えられ、本宮の石清水八幡宮を凌ぐ勢いであったといわれます。 祭りは天正年間(1573~1591)に始まると伝わります。 羽柴秀吉(豊臣秀吉)が 長浜城に封ぜられたとき、この地で男子を得た喜びに城下町の町民に砂金を与えました。 町民はこれを基金に12台の曳山を造り、八幡宮の祭りに曳き回したのが始まりです。 明和・安永年間(1764~1780)の頃より文化・文政年間(1804~1829)にかけて、生糸や緬、蚊帳などの生産地として栄えた資力を生かし、祭りも華やかとなって各曳山も装飾を加えて、美を競うようになりました。 お出かけの際には日時をお確かめになってお出かけ下さい。 季節の変わり目です。 この地には胡桃(くるみ)の密林があり、そこに神様が祀られていたことから「 胡桃下稲荷 :くるみがしたいなり」、江戸時代の藩主の一族・門三郎の深い信仰心により人々に功徳を施したことから「 紋三郎稲荷 :もんざぶろういなり」とも呼ばれます。 御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)の間の御子の 「宇迦之御魂命:うかのみたまのみこと」(正一位の最高位の神)。 第36代 宇迦之御魂命の御代、白雉2年(651)の創建。 1350余年の歴史を有する由緒ある神社で、 日本三大稲荷のひとつです。 4月9日は笠間稲荷神社創建の日とされ「 例大祭」が行われます。 午前11時、正装した宮司以下神職、献幣使、献香、献茶を奉仕する各宗匠、氏子総代、全国よりの招待者が、雅楽を奏でる伶人等を先導に参進し、お米、お酒、海の幸、山の幸などを大神さまに供え、 皇室の弥栄、 国家の繁栄、 世界の平和を祈るとともに氏子、崇敬者、国民の幸福を祈願します。 また、茨城県下醸造元からの銘酒奉納による 献酒祭も執り行なわれます。 境内では、銘酒ラベル展をはじめ、池坊、古流・小原流の献花の展示、江戸千家・表千家・裏千家など各流派の野点が行われます。 本殿は江戸末期の建築で国の重要文化財、境内にある 「藤樹」は2株からなり、1本の八重藤は花が葡萄の実のように集合して咲く珍しい種類です。 ともに樹齢4百年の県の天然記念物に指定されています。 藤棚はGWの頃が見ごろです。 読者の皆様、4月に入り暖かくなったとはいえ、朝夕は冷え込む日もあります。 この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。 江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。 これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。 このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。 現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。 三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。 節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。 ・正月... 亥の日 ・2月... 寅の日 ・3月... 午の日 ・4月... 亥の日 ・5月... 寅の日 ・6月... 午の日 ・7月... 亥の日 ・8月... 寅の日 ・9月... 午の日 ・10月... 亥の日・11月... 寅の日・12月... 午の日 建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。 また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。 特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。 また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。 宣明暦時代には、 会津暦で採用されていただけで、 貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684 )渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。 文政13年(1830)に発行された「 選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。 不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。 不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。 節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。 正月・7月... 3・11・19・27日 2月・8月... 2・10・18・26日 3月・9月... 朔・9・17・25日 4月・10月... 4・12・20・28日 5月・11月... 5・13・21・29日 6月・12月... 暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。 日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。 ひと月に3~4回です。 暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。 気のせいでしょうか。 仏生会、 浴仏会などとも呼ばれます。 昭和に入ってから「 花まつり」という名称が一般的で、関東では4月8日、関西では5月8日にそれぞれ行われます。 寺院で行われる潅仏会では、花を飾った 御堂(花御堂)をつくり、 浴仏盆と呼ばれる水盆に 誕生仏を安置し、竹の柄杓で 甘茶を注いでお参りします。 甘茶をかけるのは、釈迦様が誕生の時に、九つの竜が天から清浄の水を注ぎ、産湯に使わせたという言い伝えからです。 正式には 五香水と呼ばれる五種類の香水を用います。 誕生仏とは、釈迦誕生の仏像のことで「 天上天下唯我独尊」といって、手は天を差し、もう一方の手は地を指す姿です。 参拝者はこの甘茶を竹筒に入れて持ち帰ります。 これで墨をすり「虫」の一文字か「 昔より卯月八日は吉日よ神さけ虫を成敗ぞする」と書いた紙を便所に張るという。 そうすれば、蛆が生じないとされていました。 明治の頃までは、竹筒を提げて甘茶をもらいに来る子供達で賑わい、門前には竹筒を売る店が並んだそうです。 潅仏会はインドから中国を経て日本へ伝わりました。 かつてインドでは、この日を聖日とし、釈迦の童形を飾って楽を奏で、香華を焚き、香水で沐浴潅洗する潅仏の式が行われていました。 中国でも盛んに行われ、日本では 推古天皇の時代から行われていました。 潅仏会を花祭りというようになったのは、明治34年から。 戦前は稚児行列・舞踊・礼讃の歌などが披露され、子供中心の祭礼でした。 日比谷公園の花祭りなどが代表的です。 一方、もともと日本には4月8日に登山し、花摘みや花見をして神を迎える風習がありました。 長い竹の先に、 石楠花(しゅくなげ)や 躑躅(つつじ)などの花束をつけて庭に立てたりしました。 また、この日は山の神や田の神を祀る行事もあり、 豊作を祈願するのが本来の 花祭りの姿だったことが伺えます。 もともとの山岳信仰に五穀豊穣祈願する催しと、釈迦誕生祭とが一緒になったものです。 伝えられている主な行事は明治時代に入ってからのものが多く見受けられます。 真宗七高僧の第七祖。 円光大師、「法然」は房号で諱は 源空。 幼名は勢至丸。 長承2年(1133)4月7日、美作国久米南条稲岡庄(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国(うるまときくに)と、母・秦氏君との間に誕生。 夫婦には子供がなかったので観音様に一心込めて子の授からんことを願い、やがて四月七日玉のような男の子を賜ります。 誕生の時、空から二流の白幡が舞い降りて屋敷内の椋の木の梢にかかり7日の後に飛び去ったと伝わります。 二幡の椋、 誕生椋と呼ばれます。 保延7年(1141)9歳の時、漆間家は突然、明石源内武者・定明の夜襲を受け父を失いますが、仇として定明を追う事を戒めたうえに「仏道を歩み安らぎの世を求めよ」との父の遺言によって仇討ちを断念。 母の弟・ 観覚得業上人に引き取られ、15歳の時に比叡山の皇円について得度。 比叡山黒谷の 叡空に師事し「 法然房源空」と名乗ります。 18歳の頃には多くの経典を読破し、優秀な学僧として将来を嘱望されます。 承安5年(1175)43歳の時に善導の「 観無量寿経疏(観経疏)」によって専修念仏に進み、比叡山を下って 東山吉水に住み、念仏の教えを弘めました。 この年を 浄土宗の立教開宗の年としています。 文治2年(1186) 大原勝林院で 聖浄二門を論じ( 大原問答)、建久9年(1198)「 選択本願念仏集(選択集)」著。 法然は特に中国の善導の思想を重視しました。 それは「極楽浄土への往生を一心に願い、常に念仏をしていれば、必ず阿弥陀仏がその者を救ってくれる」という思想でした。 その教えは、そのわかりやすさから多くの人々の帰依を受けることになります。 既成の仏教教団にとっては非常に危険な思想でもありました。 その為、法然は弟子たち共に激しい弾圧を受けます。 元久元年(1204)比叡山の僧徒は専修念仏の停止を迫り蜂起したので、法然は「 七箇条制誡」を草して門弟190名の署名を添えて延暦寺に送りましたが、興福寺の奏状により念仏停止の断が下されました。 建永2年(承元元年・1207)法然は還俗され、 藤井元彦の名前で土佐国(讃岐国)流罪となりました。 この「 建永の法難」では、二人の弟子が死罪になり、法然及び数人の弟子が各地に流罪になりましたが、結果的に浄土系仏教を全国に広めることになりました。 4年後の建暦元年(1211)赦免になり帰京。 翌年1月25日死去。 享年80歳。 1月23日に源智の願いに応じて遺言書「 一枚起請文」を記しています。 法然の門下に、證空・源智・弁長・幸西・親鸞・長西らがいます。 俗人の帰依者、庇護者として、九条(藤原)兼実、熊谷直実、宇都宮頼綱らが著名。 この法要は古く室町時代から始められ、本格的には元禄時代より奉修されてまいりました。 正式名称は「 法然上人ご両親追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」お会式の法会に御縁を結ばれますと、厄病魔は去り、やがて臨終の暁には無苦大往生が得られると、全国から沢山の方々がご参詣されます。 』とあります。 4月に入り季節も過ごしやすい頃です。 花見に興じて夜風にあたってお風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程 筆者敬白.

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