あいりん地区 怖い話。 【画像】日本で一番危険!?西成「あいりん地区」に潜入。ホームレスだらけ

【ヤクザから聞いたヤクザが一番怖い話】たまたま知り合った「ヤクザ」からこんな本当の話を。

あいりん地区 怖い話

昼間ので歩く私の後ろ姿 「あいりん地区」のいま まず、一般に誤解されやすいのですが、西成=あいりん地区ではありません。 大阪市の24区のひとつに「」があり、そのうちの「釜ヶ崎」と俗に呼ばれるエリアが、有名な「あいりん地区」なのです。 南側の「岸里」や「玉出」には味わい深い普通の下町があり、東側の「天神ノ森」には高級住宅街もあります。 では、私も頻繁に出入りしているあいりん地区の、実際の治安はどうなのでしょうか。 確かに街に入ると、かすかにアンモニア臭が漂います。 周囲を見渡すと、路上で酒を飲んでいる人たちの姿も。 このように、どこか混沌とした雰囲気はあります。 街を歩いている人は、ほとんどが男性で、女性はほとんどいません。 初めてこの土地を訪れて来た方がこの光景を見ると、驚くことは確かでしょう。 ですが、地元住民や事業をやられている人に聞くと、今のあいりん地区は高齢化によって、以前のような勢いや危なっかしさが、少しずつ消えつつあるようです。 西成にあるあいりん地区の街並み 実際に女子が西成で生活するにはどうなのか 私自身、あいりん地区から徒歩圏内の場所に住んでいて、頻繁にあいりん地区に出入りをしていますが、危険な目など遭ったことはありません(個人的には、難波やアメリカ村などの繁華街の裏通りの方が攻撃的な人に絡まれることが多く、歩くにはよっぽど怖い印象です)。 ですが、「今のあいりん地区はもうすっかり安全」と言い切れるわけでもなさそう。 昔と比べれば、格段に女性でも歩きやすくなったとはいえ、未だに様々な問題を抱えた人たちが集まって来る場所ではあるし、薬物取引などが行われていることもまた事実です。 「そういう場所」ということを知った上で、混沌とした雰囲気を楽しめる人であれば、近辺であれば若い女性でも住むことができるし、普通に飲みにも行けるといった感じです。 西成の商店街にある古びた自販機の様子 変化しつつある西成を見届けながら 最近では、YouTuberなどの影響で若年層を中心に訪れる人も増え、安宿を求めて来る訪日外国人も増えていて、「新しい西成の街」が形成されているとも言われます。 昔の西成しか知らない人は、変化しつつある今の西成に来てみると、あまりの変わりように拍子抜けするケースがほとんどかも。 私自身様々な手段で発信していますが、「偏見なんて消えろ」とか「街のイメージを変えたい」など、そこまで影響を与えられると思っていない。 私のような外部から来た人間は、いつまでも地元の方と同じ目線に立てないのは当たり前ですから。 新しく変化している街の流れを見守りつつ、まだ残っている古き良き西成の雰囲気を楽しんでいる私自身の様子を伝えることが一番良き手段だと思うので、今後も私なりに発信を続けていきたいです。

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500円売春に不正入手薬…西成あいりん地区の貧困とカオス(下)

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目次だよ!• 上ってみよう 「怖つ」 これハローワークだよね。 廃墟の階段と一緒ですよ。 相変わらず独特な空気が張り詰めている 時が止まってる感じ きちんと写メを撮る勇気がない自分 ホームレスからの視線が痛い。 汗 ホームレスはリッツ・カールトンに入る事はできない。 ぼくはできる ぼくはここに居ることができない。 ホームレスはできる 実際に行くと分かります どうやら配給がスタートしたようです おじさんたちは無言で並んでいました。 スマホも持ってないのでずっと無言で 「よし、経験の1つとして並んでみようかなー」 そう思ったんですが、無理でした。 明らかにホームレスの装いじゃない もっと汚い格好をしてくればよかった。 将来お世話になるかもしれないのでその時は利用したいな さあ、西成の街を歩こうか!治安は悪いのか? 「安い・・・」• コーヒー:50円• ジュース:80円• 水:100円 これが西成の相場みたいです 事実、街中を歩くと安い自販機が至る所にある ってか1つも見たことない商品だし 50円のコーヒーを1本買って飲んでみました ぼくは常日頃から400円もするスタバのカフェラテに舌が慣れてるんでこんなの不味いに決まってる 「どこの会社が作ってるかもよー分からんコーヒーなんて泥水みたいな味しかせーへんやろ」 ・・・おいしい はっきり言ってスターバックスとの違いが分かりません さらに街中へ進むとホテル?ビジホ?貸しアパート?・・・のような物件がいっぱいあります 見飽きるくらいに目に入ります 西成の家賃相場は3万円後半から5万円くらいだと思います だから最近バックパッカーなどの旅人に人気なスポット。 でも生活保護者しか利用できない施設が多いみたい 「生活保護 申請お手伝いします。 2万5000世帯以上 支給日の朝、役所には行列ができるらしい。 とてもじゃないけど通帳なんて持ってる柄じゃないし・・・もちろん手渡しだ 月額12万円くらいは支給されるらしい うん、絶対パチンコしてるよ、こりゃ 店内の様子を伺うと50代から60代の浮浪者みたいな人が多かった。 若い人なんてほとんどいませんねー 「おめでとうございます。 105番台ボーナスゲームスタート致しました」 ずーーーとこれだよ。 懐かしい トイレも和式で汚かった。 おそらく昔の物なのでプレミアものだと思いますよ 値段じゃなくて中身が こんな感じの弁当屋さんを4つほど見かけました おかず130円、弁当300円くらい。 すごく安い 商店街を散策していると、 え、え、50万や300万の時計が普通に売られてた いや、これネタだよね。 素人の目から見ても明らかに偽物だと思ってしまうほどボロボロでした。 知ってる人いたら教えて欲しい スーパー玉出。 パチンコ屋じゃありません 激安スーパーみたい 洋服も 注目すべきはここ! 偶然通りかかって、「ここには絶対行くべきだ!」そう直感した ドンピシャでした あとで調べると「やまき」という超有名店でした。 西成の立ち呑みの代表格みたいな店• ビール:300円• 串物(肝・ホルモンなど):70円 鉄板きたな、タレ汚い。 でも美味い 「おじさん儲かってる?」って聞いたら・・・「儲かってない」だそう。 入社祝い金が20万〜45万の求人多数• 寮費・光熱費無料で住み込み• トヨタ・日産などの大手メーカーに直雇用• パチンコも辞めれた 今だと入社祝い金、最大45万支給されるキャンペーン中!求人の詳細はこちら.

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西成で78日生活してわかったドヤ街のリアル ほとんどの大阪市民が足を踏み入れない魔境

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<目次>• 白波瀬達也氏(以下、白波瀬氏):多くの場合、公的機関は「あいりん地区」、民間団体は「釜ヶ崎」という呼び方をします。 メディアでは「あいりん地区(釜ヶ崎)」のように併記されることが多いですね。 基本的に同じ場所を指しているのですが、「釜ヶ崎」は昔の地名であり、今は西成区北東部の簡易宿泊所が集中する場所のことをアバウトに指す名称です。 「あいりん地区」も同様の地域を指すのですが、度重なる暴動への対応をきっかけに1966年に行政が明確に区域を設定しています。 この本では行政が貧困問題にどう向き合ってきたのか、詳しく描きたかったので、「あいりん地区」という地名を使いました。 白波瀬氏:あいりん地区は、日本の社会状況に大きく影響され続けてきた町でもあります。 ご指摘の通り、あいりん地区と言えば男性ばかりが暮らす「日雇労働者の町」「ドヤ街」のイメージをもっている人が多いと思いますが、1960年代の中頃まで、男女の人口比がそれほど変わない町で、研究者たちはスラムとみなしていました。 白波瀬氏:社会学者の大橋薫の分析によれば、スラムとドヤ街には貧困が共通しているが、社会関係や住まいなどに違いが見られるのです。 スラムの住民は家族もちが多く、住居と職業、収入が固定しており、人間関係が緊密。 一方、ドヤ街は単身世帯が多く、住居と職業、収入が流動的かつ臨時的で、人間関係が希薄。 随分昔の研究ですが、このように特徴の違いが述べられています。 高度経済成長期以前は、日雇労働者を相手にした町、ドヤ街、歓楽街、長屋、商店街などがひしめき合っていました。 ドヤが多く集まりつつ、スラムの性格ももった町であったと言われています。 しかし、1960年代後半から様子が変わっていきました。 1961年に労働者に対する警察の不適切な対応がきっかけとなり「第一次釜ヶ崎暴動」が起こります。 その後何度も暴動が繰り返され、1966年の第五次暴動ではパチンコ店や交番に2000人が放火や投石を行います。 この暴動をきっかけに、大阪市・大阪府・大阪府警から構成された「愛隣対策三者連絡協議会」が設置され、「釜ヶ崎」は「あいりん地区」(愛隣地区)に改称することになりました。 当時は、1970年の大阪万博に向け、労働者の需要が高まっていた時期でもありました。 そこで行政は住所不定者への支援を手厚くするために「あいりん総合センター」や「大阪市立更生相談所」を設立し、日雇労働者の安定的な供給を目指します。 各地の失業者を吸収し、労働市場に再参入させる仕組みでした。 その一方で、行政による住宅政策や頻発する暴動により家族世帯は地区外に流出していきました。 こうして、あいりん地区は日雇労働者の集積地に性格を変え、単身男性が多く暮らす町になったのです。 あいりん地区の中心部に位置する萩之茶屋小学校には、1961年に1290人もの児童数がいましたが、1990年には137名と、30年間で10分の1まで減少しています。 このように子どもの姿がどんどん少なくなっていったのです。 そして、バブルが崩壊すると求人が減少し、野宿生活を余儀なくされる人々が町に溢れます。 その結果、行政・民間が様々な対策を行い、住民の多くは生活保護を受給しながら地域に定住するようになっていきました。 あいりん地区は深刻な高齢化に直面しており、日雇労働者が集まる場所としての機能はどんどん小さくなっています。

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