地獄 少女 イラスト。 【地獄少女】登場キャラクター紹介!

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地獄 少女 イラスト

4期 先輩地獄少女として&原点回帰 あいとみちるですが、あいとゆずきと比較して、雰囲気が1期に近くなったのかなと。 もう1枚のイラスト(4期のキービジュアル)は、貫禄すら感じる描写になっているのですが、それも含めて4期のイラストは再び、あいを中心とした地獄少女の物語に回帰したような気がします。 ただ、みちるの正体はゆずき以上に謎に包まれている感じ(確かに本人も記憶を一切なくしています)ですね。 ちょっとみちるは、ぽかーんとしていて、あいはみちるが寄り添う軸の役目を果たしています。 【出典】同110頁 ティザービジュアル 原画:岡真理子 と、結果的にシナリオありきで鑑賞してしまいましたが、そういう先入観がないと異なる見え方をするのかもしれません。 ただ、これは自己弁護になってしまいますが、シナリオを知ったうえで、イラストを鑑賞する、というのもアニメ特有の楽しみ方ではないかな、と。 皆さんも、ぜひ自分だけの感想を持たれてみてはいかがでしょうか。 (Amazon) もちろんBDは両方とも買うつもりです。 1話をニコニコで見た印象ですが、相変わらずビジュアルは素晴らしいですね。 そして、地獄通信もずいぶんと近代化していました(笑)。 まぁ1話ということで、(地獄少女としては)軽めのお話だったのではないでしょうか。 今回は、誤解が原因?で真犯人は他にいそうですが、後味の悪さを引っ張るような演出ではなかった気がします。 追記:後味というか、登場人物の心理がよくわからないだけじゃないかという嫌な予感がしてきた。 また、見ていて思ったのですが、地獄少女はシリーズが進むほど、地獄ファミリーの日常話が占める割合が増えていっています。 比率でいうと、(依頼人のお話):(地獄ファミリーの日常):(物語の核心に迫るお話)=3:2:1くらいでしょうか。 ただ、4期は短いので、この最後の物語の核心に迫る部分(要するにミチルのお話)の割合が徐々に増えてくるのではないか、と予想。 怨みが複雑(高度)すぎてうまく感情移入できんかった。 もう、サザエさんみたく、地獄ファミリーの日常にスポットをあてたほうが面白いのでは? または、ムジュラの仮面みたく、登場人物は同じなパラレルワールド設定も見ていたい気がした。 追記:例えば、地獄ファミリーが、人間として生活していて、そこで依頼人になって地獄少女に依頼する、とか。 あるいは、地獄少女の学園ものを見てみたい気がしたが、それは三鼎がすでにあったか。 見た目と性格はあいなんだけど、地獄通信とかは全然関係なくて、あいを中心とした恋愛もの(野崎くん的な?) 3話。 そして、論争。 「妹はレ〇プ」されたのか、否か。 判断材料は、下記の2枚の映像。 まったく救いがないというか、唯一救われた?(変われた)のは、依頼人の男の子2人か。 しかし、開き直って殺人鬼になるというのは、どうだろうか。 普通このような家庭崩壊を描くなら、登場人物の「成長」つまり「苦労して人は成長する」というような流れに持っていくのだろうが、それに対して「そうとは限らない」という疑問と皮肉をたたきつけるのは面白い。 見直した。 ところで、妹は見ての通り廃人になってしまった。 ちょっと生意気でませてるところが好きだったが、それをねじ伏せてこうまでするとは、狂気の沙汰としか言いようがない。 その狂気と行動力は、ちょっとうらやましいかも!? 地獄ファミリーが助けに入らなかったのはちょっと不思議。 2期では選挙の話だったかで、助けに行ってたような気がするが。 さて、地獄少女史上最も後味が悪いかもしれない3話だったが、後半戦で地獄少女側に共感できるような展開があるか、それともこのまま理不尽一直線に突っ走っていくのか、注目したい。 正直かなり切ない。 最後のおばあさんが輪入道を忘れてしまったシーンが悲しかった。 ところで、つぐみはここで介護職員をやっていた。 地獄少女の行くところつぐみの姿あり、か。 ただ、3期までと違って、主要な舞台となる場所がないからこのような形になったのか。 最後のシーン、あいが輪入道を止めていた。 ただ、あいが止めるのは今まだ見たことがなく、新鮮。 また、意味合いも少し違うのではないか。 地獄流しにまつわるシーンで、特に手出し禁止なのは、やはりなにかタブーがあるのか。 それとも、単に地獄ファミリーの関係が瓦解するのを予防するためなのか、気になるところ。 まぁいずれにせよ、地獄ファミリーには緊張感みたいなものが共有されているのを感じる。 そして、地獄少女になるシステムが判明。 この世に怨みを残して死に、その怨みを爆発させて、他人を巻き込んだら、その罰として地獄少女になる、と。 個人的な推測では、それに「純粋である」というのもあるのではないか、と思う。 つまり、純粋であればあるほど、愛から憎への切り替えしが激しいし、地獄少女の職務が罰として作用するから、である。 そう考えると、ゆずきは要件を半分しか満たしていないことになるが、もしかしたら彼女の場合は任意で地獄少女になれるのかもしれない(3期を要確認)。 それにしてもみちるはあい以上のよい子で、ちょうどいい正義感の持ち主だと感じた。 ラストがどう締めくくられるか、楽しみ。 3代目地獄少女。 そして山童まさかの退職(三藁に戻る)。 そして、あいの家初登場。 依頼人とターゲットは、まさに正当な怨みで、1期の初期を髣髴させます。 みちるが、あれだけ拒んでいたのにあっさり地獄少女になった(ように見える)のは、依頼人に共感したからでしょうか。 このあたり、もう少し尺がほしかった気がしますが・・・ さて、最終回(一応)なので、テーマ別に長めに書きます。 1.みちるについて~三代目地獄少女考察~ 「天に背きし哀れな影よ 人の痛みに瞼を閉ざし 過ち犯せし咎の魂」「いっぺん死んでみる?」 みちるは大正時代の人間。 理不尽な目にあって、死んだが直後怨霊となって一帯を焼き払うなど、あいとの共通点は多い。 尤も、罪を犯してから地獄少女になるまでかなりのタイムラグがあり、要するにこの間、幽霊のような形でこの世をさまよっていたと思われる。 ただし、悪霊として祟ったというよりかは、生来の性格そのままに、人々を見守っていたと想像。 性格は、あいとは大きく異なる。 あいは、仕事に感情をいれないことをよしとするが、みちるの場合、自分の信念を貫くことに関しては妥協を許さない。 ただ、この点に関しては地獄少女という職務の性質上、矛盾(悩み)を抱える種になるかもしれない。 理不尽な怨みもこの世には存在するからである。 あいの場合は、感情を入れずに心を殺して職務を遂行することが正しいと考えているように見える(「病棟の光」、など)。 しかし、みちるの場合は、仮にターゲットを地獄に流すことは共通するとしても、そこまでの過程が違うのではないか。 例えば、依頼人の屈折した感情を理解しようとしたり、依頼人の認識を変えようと働きかけたり(成功するかどうかは別として、そのように試みることがみちるにとって重要な気がする)、などである。 地獄流しを通じて世界を(少しでも良い方向に)変えたい、というのはゆずきにも共通することであったが、6話ラストのお説教を聞く限り、みちるのほうがより冷静で、良識(常識)があるように感じられた。 とすれば、「どうすれば地獄少女の職務(罪)から解放されるのか」ということも異なってくるのではないか。 あいの場合は、「大切なたった一人(拓真)のために死ぬ」「理不尽な怨みでも受け入れ、赦す」という行為が鍵となった。 地獄少女になったきっかけと反対である。 みちるの場合は、推測するしかないが、「自分の正義のために(犠牲になって)死ぬ」ということではないだろうか。 あいにとっては「正義」は相対的なものにすぎず、むしろ個々人の「愛(憎)」を信じているが、みちるの場合、彼女は「正義(ユートピア)の実現」を本気で信じているように感じる(この辺りは、両親(育った環境)の違いである)。 今後、あいのようになっていく可能性もあるし、独自の道を歩み続けるのかもしれない。 さて、幸か不幸か、あいとみちるという全く異なる個性の地獄少女が誕生した。 二人の価値観はどう交錯していくのか。 もし、5期があるならマンネリではなく、新鮮な展開が期待できそうである。 2.地獄少女は2人以上存在できる!~分業の可能性~ 3期の場合は、あいまいだったが4期になって確定した。 それぞれ、自身にとって思い出深い場所が、藁人形を渡す舞台となる。 それにしても、ここで考えるのは「あいとみちるはどうやって分業するのか」である。 異なるアクセス手段をとるのかと思いきや、最終話で否定されたことから、少し複雑になるだろう。 個人的に考えるのは、最初にみちるに仕事が回ってきて、それを見てあいがやる気になればあいがやる、というのはどうだろうか。 それだと、物語的にも2人の地獄少女の対話が生まれて面白いし、それぞれが地獄少女をやっている理由(立場)とも親和的だと思うからである。 追記:あいとみちるが1話ごとに交互に地獄流しをする、というのも面白いか。 追記:かつての依頼人が死んだとき、地獄へ連れていく役は、当時担当した方だと予想するが、あえて異なる方が担当するのも新しい展開ということで面白そう。 また、2期のラブリーヒルズ編のような、多くの地獄流しがある場合は、両者が協力して地獄流しをする、というのも見てみたい気がする。 3.5期の可能性は? これには、大きく分けて二つの要因が必要だと思う。 内在的要因と外在的要因である。 内在的要因とは、要するにストーリーが続編を許容するか、ということである。 これに関しては、上で述べたように2人のある意味対照的とさえいえる個性の地獄少女が誕生したのだから、それだけでも十分可能だといえる。 繰り返しになるが、具体的には、職務に関しては、完全ドライなあいに対し、地獄通信を通じて自分の思想・信条を発揮していこう、人々の幸せに少しでも貢献したい、と考えるみちるは、地獄少女の在り方に変化をもたらすのではないか。 地獄少女としての終着点もおそらく異なるはずであるし、これらを題材とすれば5期は材料十分だと思えるのである。 もう一方の外在的要因というのは、要するに4期が評価されるか、ということである。 人間性についても掘り下げると面白そうである。 細かいことを言うなら、序盤の「これでいいの?」とあいに投げかける姿が印象的だったことから、終盤になってあいから(みちる)自身の経緯や地獄少女の運命について語られる点が、やや意外過ぎたというか、淡泊だったかもしれない(問いを投げかけるだけで終わった)。 記憶をなくしていながらも、自分自身について探求する姿は4期にしか描けない(5期はすでに思い出しているから)ので、もったいないところも否定できない。 ただ、あくまで5期に向けてということであれば、最終話でのあいとは異なる地獄流し、そしてあいなら絶対しないであろうお説教と親身な姿勢から、続きを見てみたいと感じさせる魅力は十分にあったと思う。 5はあると思う。 これまでは、あい(地獄少女)と三藁、依頼人、ターゲットという3者を軸に展開していた物語に、みちるという第4の軸が加わることによって、物語は新たな展開を見せるだろう。 結論は、「5期は十分期待できる」ということである。 いつになるかわからないものの、その時を楽しみに待とうと思う。 1.抜群のルックス いろいろな見た目のキャラがいるものの、あいはその中で際立っている。 それは、あいの顔や体には不要なものが一切なく(胸・・)、少女としての魅力を引き出すものだけがちりばめられているからである。 例えば、ぱっと思いつくだけでも、黒髪ロング、吸い込まれそうな赤い猫目、薄紅色の唇、華奢な鎖骨、わずかに膨らんだ胸、そして黒のスカートから覗く純白の太もも!と、王道だけれども美少女に必要な要素がすべて詰まっているのである。 尤も、後述のようにあいは「見た目だけ」ではない(そして、そのルックスと符合する人間性をもっている)。 しかし、ゆずきやみちるを見ればわかるように、あいほど地獄少女にふさわしいルックスを持っているのはほかにいないように思われるのである。 2.魅力的な人間性 とりわけ1期2期は、あいに焦点が当てられているため、彼女の揺れ動く心を想像する機会は多い。 あいが魅力的なのは(能登さんの言葉を借りれば)「狂おしいほどの純粋性」を持っていることにある。 それゆえに一挙一動に重みが増し(覚悟)、ひいては物語全体の説得力を増すのだと思っている。 私には、あまりにあいの純粋性が印象的だったため、そうした純粋性をもっていることが罪であり、罰として地獄少女をやっている根拠だと思えるくらいである。 元来、他者の心というのは手が届かないものだが、あいの場合は、一線を踏み越えてでも近づきたい!と、そう思わせるくらいの深さがあるのだ。 物語の冒頭では、どんな悪人にも屈せず、一方で依頼人(福本さんなど)に情けをかける包容力の持ち主であった閻魔あいが、なぜラスト3話で暴挙に出たのか。 一見唐突に見えるものの、それを制作ミスだと考えるのはやや早計である。 まずは、何とか矛盾なく解釈できる道はないのかを検討してから、はじめて製作者のセンスを疑うべきだと思っている。 人のメンタルとは不思議なもので、たとえ極度の抑圧状態であっても、それが継続すれば、それを普通だと感じる特性がある。 あいの場合は、それは400年に及んだ。 しかしそのことは、背景にある問題が解決したわけではない。 彼女の抱えていた問題は複雑多岐だが、あえて分けるなら、次のようになる。 1.「あい」としての悩み 主に仙太郎のこと。 2期では拓真も入るか。 3期のゆずきは1と2の中間か。 2.「閻魔あい」としての悩み つまり仕事上の悩み。 「煉獄少女」「病棟の光」が典型。 1期のラスト3話を見て感じたのは、あいはとても純粋な娘であることだ。 そして、たとえ自分の純粋さが職務の遂行に邪魔であっても、捨てきれない(あきらめきれない)と感じているのだろう。 考えてみれば、あいのこうした精神性がかえって職務の遂行にとって、プラスに働いたこともありそうだ。 純粋であるからこそ、自分の心を閉ざしつつも他人の多様な怨みを理解し、ストイックに地獄流しができていたのかもしれない(また、演出面では、より一挙一動に凄みを感じた)。 だが、他方でそうしたピュアな心というのは、ある種の「業」であり、「罪」を生む。 彼女が地獄に落ちずに、地獄少女になったのは、彼女があまりにピュアだった(またそれが悪い方向に出てしまうほど不運だった)からだと思う。 怒り、哀しみ、妬み、絶望・・・、時には、やさしさだって罪を生むわ。 」 しかし、彼女は自分の過去を乗り越えた。 柴田親子の助けを借りつつも、最後は自分で仙太郎への想いに向き合い、一定のけじめをつけることができたのは、あいにとって本当に幸せなことだったと思う。 では、1期のあいと2期のあいとでは、どこが成長したのだろうか。 根本の部分は変わっていない。 だが、一期で垣間見たような性格のゆがみ(不安定さ)は影を潜めている。 他方で、地獄少女の存在意義として「人々の自己決定に付随するもの」のように考え、その帰結として「その人が決めたこと(自己決定)」は尊重する、という姿勢に変わったように見える(「私は正義の味方じゃないわ」発言が典型。 これだけ切り取ってみればドライになったともいえる)。 だが、最も見過ごしてはならないのは情緒的な部分での成長だ。 「地獄通信」に至るまでに、人々の「対話」を重視する姿勢(「全部話せばよかったのに」など)である。 「人はお互い理解し合うことができる」ということを、あいは発見したのだ。 こうした、あいの「変化」を、外野にいる私は「成長」だと解釈している。 2期、3期、4期と進むにつれて、情緒的な部分でのゆがみはますます小さくなり、「地獄少女としての」自分の居場所(あり方)を確立していったといえる。 怨みを扱ったこのお話でも、中盤からは「本当にこれでいいのか?」と思わせる話が連続してくる。 このお話もその1つ。 不登校(だった)生徒が先生を地獄に流すのだけれども、そこに怨みの感情はない(少なくとも糸を引いた時点では)。 それどころか、お互いにお互いの生きる苦しみを共感しあえる仲だった。 にもかかわらず、糸を引いてしまったのは、最後にあいが指摘した通り、先生がそう促したからにほかならない。 生徒のほうは、(おそらく)先生のために、勇気を出して学校に来るようになったのに対して、 先生は、自分が楽になることを考えて、生徒に糸を引かせてしまった。 ここに、甘えのようなものがあったのではないか。 あいは、このあたりの自分可愛さの行動にすごく敏感である。 それは、あいのルーツを知っている我々にとっては説明は不要であろう。 ただ一方で、この時点でのあいは、愛情と怨みが紙一重の表裏一体であることについては、(この時点では)あまり納得がいっていないのではないか。 これは、まさにあいと仙太郎についても同じことが言え、この問題がまだ解決していない以上、あいは2人を達観してみることができず、どうしても感情移入しつつ、迷いが生じてしまうのである。 それにしても、この事件ではどちらがより悪いか、判断するのは差し控えたほうがいいのではないか。 なぜなら、どちらも現実逃避していたわけであるし、その順番が異なっただけであることに加え、先生は地獄流しの代償について知らない(知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまった)からである。 それに何より、ばあちゃんが指摘するように本人たちがそれでよいと思っているのだから、外野が口をはさんでもパターナリズムに陥るだけのような気がするからである。 ただ、あいが先生に声をかけて考えさせたのは、2人の相互理解に向かわせるという意味では正しかったものの、他方で先生を糾弾する(代償のことを告げたタイミングを考えても)ほかの動機があった気がしてならない。 そういえば生徒はあいのことを「寂しそう」だと言っていた。 あい自身の問題も根底にはあるのだろうと考えさせられる。 追記:1期は、構成がよく、引き込まれる。 起承転結とはよくいったものだが、一話一話心に残るお話を展開しつつ、中盤以降はあい自身のゆれに徐々に視点がうつり、最終的には主人公の正体と物語のテーマをリンクさせつつ、余韻を残して締める・・という。 そして、それを表現しきる、詳細の描写と能登さんをはじめとするキャストさんの表現力は感動的。 追記:「心に残る」というのは、「答えが(すぐには/今は)見つからない」ことと密接に関係していると思う。 手の届きそうで届かない、相手の心(煉獄少女)。 戻りたくても戻れない過去(あいと仙太郎)。 何が待ち受けているかわからない未来(ラスト)。 物語が大変リアルに作られているため、登場人物に感情移入して「その後」「その先」「その奥」を自然と考えてしまう。 結論から言うと、結構あいまい。 依頼人でもないのに、助けたり。 依頼人が飛び降りようとしているところを止めるのは、ダメだったり。 いろいろと解釈の余地はある。 地獄のルールで、厳しく規制されていると考えることもできる。 が、私は、明示されていない限りは、こうした超自然的なものは除外して考えるべきだと考えている。 特に地獄少女の場合はそうだ。 地獄少女のテーマは「復讐」であるが、2期では「(家族の)絆」もテーマだと思う。 つまり、何事も絆に関連付けて考えるのが、よりよい解釈である、と。 また、契約がないにもかかわらず、人間を地獄に流すこと。 地獄少女の仕事は、おそらく見ている側が想像する以上に過酷で、感情に流されていてはとても勤まらないものだ。 そして、三藁も十分わかっているが、もし誰かが感情に流されてしまったら、(信頼関係のみで結ばれている地獄ファミリーは)パラパラと瓦解してしまう。 また、三藁は任意であいに協力しているが、あいは好きで地獄少女をやっているわけではない。 もしも、(最終話のように)情に流されてしまったら、あいのみが責任を取らされてしまう。 輪入道がほかの2人に対して「情に流される」ことに警鐘を鳴らすのは、こうした文脈を前提に解釈しなくてはならない。 すなわち、地獄ファミリーの信頼関係がバラバラになってしまうこと、そしてあいの職務遂行に差し障るおそれがあること(これもあいを心配するがゆえ)、主にこの2点が輪入道を動かしたのだろう。 しかし、2期ラストのあいの行動だけは、止めることができなかった。 本当は、止めてあげたい、助けてあげたいのだけれど、あいのことをよく理解しているがゆえに、最後は彼女の好きにさせてあげたい、と思ったのではなかろうか。 依頼人とターゲットはいるものの、このお話に関していえば、おまけのように思える。 このお話の中心にいるのは、保健室登校(だった)少年(とあい)である。 当初、あいは彼の依頼を拒絶した。 「私は正義の味方じゃないわ」という発言は、彼の無覚悟かつ自分可愛さに基づいた主張に嫌気がさしたからだと思われるが、そういえば似たようなことは1期の零れたカケラたち(上述)でもあった。 ただ、1期の場合は、何かあいの悪意の様なものを感じたのだが、今回はそういうものはない。 単に、正論を述べているように感じられる。 というのは、あいが登場したタイミングが違うからだ。 また、1期のラストであいの自分自身の問題は一応解決しているだけに、あい自身の性格のゆがみが依頼人・ターゲットに対する姿勢に影響を与えるとは考えにくい。 それにしても、この少年は最後にあいを拒絶し、自分の手で復習を遂げようとするのだけれども、この一連の少年とのやりとは、あいにとって決して後味のよいものではなかったはずである。 彼女の心中を少しだけ想像してみよう。 手掛かりは、少年の変化だ。 当初は、相当の甘さがあった。 自分で行動することに自信が持てなかったのだろう。 それは言動にそのまま表れ、自分の怨みは本来自分で責任を持つところ、それすらできずにあいに甘えてしまった。 あいには、その少年は相当に幼く見えたのではないか。 ただ、ここであいは一応依頼を受けてから、(取り返しがつかなくなったところで)彼を後悔させてもよかった。 それをあえてせず、まだ引き返せるところで冷たく突き放したのは、あいのある種のやさしさであると解釈したい。 追記:もちろん「好き」「嫌い」でいったら嫌いだろうが、それで苦しめてやろうという考えはなかったのではないか。 もちろん結果的には、そうなってしまったが、直接の被害者加害者という関係では怨みは晴らされているし、それで少年が納得すればそこまでくらいに思っていたのだろう。 2期のあいは放任主義に少し偏っている。 だが、その優しさは結果的に事態を悪化させてしまった。 彼は自分で考えて行動する力を身に着けたがゆえに、さらに怨みの連鎖を増長する方向に向かっていってしまった。 考えてみれば、これはあいがかつてたどった道と同じではないか。 結局自分がかかわった人間の末路は、同じ地獄なのか、と。 彼の「可能性」を少しでも残してあげたあいからしてみれば、彼の「変化」は皮肉以外の何物でもない。 追記:あいが少年のことが気になった理由については、2期のあい「らしさ」とも関わりそうなのでとりあえず保留にしておく。 3期に対する非難は知っている。 そして、それは正しいと思う。 が、一応最大限好意的に解釈してみる。 3期のメインヒロインは、ゆずきとあいである。 実際2人の共通点は多い。 一番気になるのは「あい」以前に地獄少女はいなかったのに、なぜ「あい」以後は地獄少女が必要とされたのか、ということである。 ゆずきはあいと似ているものの、自身の内面を爆発させて、周囲をゆがめてしまったことはない。 あえて矛盾なく解釈しようとすると、一度あいが作り出してしまった恨みの連鎖は、もうあい自身によっても止められなくなっていた。 世の中が地獄少女に依存してしまっていたのである。 もっとも、その依存をなぜ許していたのかは、また難しい問題である。 つぐみ(大)のセリフから察するに、地獄も人々の願望が作り出したものではないか。 つまり、確かに(地獄少女の世界では)地獄は実在する。 しかし、そのありようは、その時代の人々の思想を反映する。 400年前の地獄では、あいは地獄少女の役目を与えられるべくして与えられた。 その後、あいが現世に多大な影響を与えたために、人々の思想に変化(地獄少女への依存)が生じた。 だから、より理不尽な理由で地獄少女(ゆずき)が誕生したのではないか。 と思う。 もっとも、そうならそうとはっきりと伏線なり、世界観を作ってほしかったのは本音である。 14、15頁 DVDジャケット二巻 原画:岡真理子 岡真理子さんいわく、「アンニュイ(仏語:ennui:退屈。 倦怠)」な表情が大好き、とのこと。 また、ポイントは、首筋と肌の白さ(上記コメンタリーより)。 ご存知閻魔あいの声優を担当された能登麻美子さんによると「 表情があいっぽい」(85頁)と。 確かに、上の画像のようなダイレクトなエロさはないものの、反面(素の)あいの純粋さがよく表れている感じで新鮮な印象を受けます。 依頼人から見た、ふだんの「閻魔あい」とは、全然違う。 冬の粉雪が降る戸外で、手すりに軽くもたれかかりつつ、ほっと息をつく。 その一瞬を鮮明に切り取った、見事な一枚。 18追記:「地獄少女画集」の岡真理子さんのコメントによると「それほど面白いポーズではないので、私としてはなぜ人気なのか謎なんです」とのこと。

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4期 先輩地獄少女として&原点回帰 あいとみちるですが、あいとゆずきと比較して、雰囲気が1期に近くなったのかなと。 もう1枚のイラスト(4期のキービジュアル)は、貫禄すら感じる描写になっているのですが、それも含めて4期のイラストは再び、あいを中心とした地獄少女の物語に回帰したような気がします。 ただ、みちるの正体はゆずき以上に謎に包まれている感じ(確かに本人も記憶を一切なくしています)ですね。 ちょっとみちるは、ぽかーんとしていて、あいはみちるが寄り添う軸の役目を果たしています。 【出典】同110頁 ティザービジュアル 原画:岡真理子 と、結果的にシナリオありきで鑑賞してしまいましたが、そういう先入観がないと異なる見え方をするのかもしれません。 ただ、これは自己弁護になってしまいますが、シナリオを知ったうえで、イラストを鑑賞する、というのもアニメ特有の楽しみ方ではないかな、と。 皆さんも、ぜひ自分だけの感想を持たれてみてはいかがでしょうか。 (Amazon) もちろんBDは両方とも買うつもりです。 1話をニコニコで見た印象ですが、相変わらずビジュアルは素晴らしいですね。 そして、地獄通信もずいぶんと近代化していました(笑)。 まぁ1話ということで、(地獄少女としては)軽めのお話だったのではないでしょうか。 今回は、誤解が原因?で真犯人は他にいそうですが、後味の悪さを引っ張るような演出ではなかった気がします。 追記:後味というか、登場人物の心理がよくわからないだけじゃないかという嫌な予感がしてきた。 また、見ていて思ったのですが、地獄少女はシリーズが進むほど、地獄ファミリーの日常話が占める割合が増えていっています。 比率でいうと、(依頼人のお話):(地獄ファミリーの日常):(物語の核心に迫るお話)=3:2:1くらいでしょうか。 ただ、4期は短いので、この最後の物語の核心に迫る部分(要するにミチルのお話)の割合が徐々に増えてくるのではないか、と予想。 怨みが複雑(高度)すぎてうまく感情移入できんかった。 もう、サザエさんみたく、地獄ファミリーの日常にスポットをあてたほうが面白いのでは? または、ムジュラの仮面みたく、登場人物は同じなパラレルワールド設定も見ていたい気がした。 追記:例えば、地獄ファミリーが、人間として生活していて、そこで依頼人になって地獄少女に依頼する、とか。 あるいは、地獄少女の学園ものを見てみたい気がしたが、それは三鼎がすでにあったか。 見た目と性格はあいなんだけど、地獄通信とかは全然関係なくて、あいを中心とした恋愛もの(野崎くん的な?) 3話。 そして、論争。 「妹はレ〇プ」されたのか、否か。 判断材料は、下記の2枚の映像。 まったく救いがないというか、唯一救われた?(変われた)のは、依頼人の男の子2人か。 しかし、開き直って殺人鬼になるというのは、どうだろうか。 普通このような家庭崩壊を描くなら、登場人物の「成長」つまり「苦労して人は成長する」というような流れに持っていくのだろうが、それに対して「そうとは限らない」という疑問と皮肉をたたきつけるのは面白い。 見直した。 ところで、妹は見ての通り廃人になってしまった。 ちょっと生意気でませてるところが好きだったが、それをねじ伏せてこうまでするとは、狂気の沙汰としか言いようがない。 その狂気と行動力は、ちょっとうらやましいかも!? 地獄ファミリーが助けに入らなかったのはちょっと不思議。 2期では選挙の話だったかで、助けに行ってたような気がするが。 さて、地獄少女史上最も後味が悪いかもしれない3話だったが、後半戦で地獄少女側に共感できるような展開があるか、それともこのまま理不尽一直線に突っ走っていくのか、注目したい。 正直かなり切ない。 最後のおばあさんが輪入道を忘れてしまったシーンが悲しかった。 ところで、つぐみはここで介護職員をやっていた。 地獄少女の行くところつぐみの姿あり、か。 ただ、3期までと違って、主要な舞台となる場所がないからこのような形になったのか。 最後のシーン、あいが輪入道を止めていた。 ただ、あいが止めるのは今まだ見たことがなく、新鮮。 また、意味合いも少し違うのではないか。 地獄流しにまつわるシーンで、特に手出し禁止なのは、やはりなにかタブーがあるのか。 それとも、単に地獄ファミリーの関係が瓦解するのを予防するためなのか、気になるところ。 まぁいずれにせよ、地獄ファミリーには緊張感みたいなものが共有されているのを感じる。 そして、地獄少女になるシステムが判明。 この世に怨みを残して死に、その怨みを爆発させて、他人を巻き込んだら、その罰として地獄少女になる、と。 個人的な推測では、それに「純粋である」というのもあるのではないか、と思う。 つまり、純粋であればあるほど、愛から憎への切り替えしが激しいし、地獄少女の職務が罰として作用するから、である。 そう考えると、ゆずきは要件を半分しか満たしていないことになるが、もしかしたら彼女の場合は任意で地獄少女になれるのかもしれない(3期を要確認)。 それにしてもみちるはあい以上のよい子で、ちょうどいい正義感の持ち主だと感じた。 ラストがどう締めくくられるか、楽しみ。 3代目地獄少女。 そして山童まさかの退職(三藁に戻る)。 そして、あいの家初登場。 依頼人とターゲットは、まさに正当な怨みで、1期の初期を髣髴させます。 みちるが、あれだけ拒んでいたのにあっさり地獄少女になった(ように見える)のは、依頼人に共感したからでしょうか。 このあたり、もう少し尺がほしかった気がしますが・・・ さて、最終回(一応)なので、テーマ別に長めに書きます。 1.みちるについて~三代目地獄少女考察~ 「天に背きし哀れな影よ 人の痛みに瞼を閉ざし 過ち犯せし咎の魂」「いっぺん死んでみる?」 みちるは大正時代の人間。 理不尽な目にあって、死んだが直後怨霊となって一帯を焼き払うなど、あいとの共通点は多い。 尤も、罪を犯してから地獄少女になるまでかなりのタイムラグがあり、要するにこの間、幽霊のような形でこの世をさまよっていたと思われる。 ただし、悪霊として祟ったというよりかは、生来の性格そのままに、人々を見守っていたと想像。 性格は、あいとは大きく異なる。 あいは、仕事に感情をいれないことをよしとするが、みちるの場合、自分の信念を貫くことに関しては妥協を許さない。 ただ、この点に関しては地獄少女という職務の性質上、矛盾(悩み)を抱える種になるかもしれない。 理不尽な怨みもこの世には存在するからである。 あいの場合は、感情を入れずに心を殺して職務を遂行することが正しいと考えているように見える(「病棟の光」、など)。 しかし、みちるの場合は、仮にターゲットを地獄に流すことは共通するとしても、そこまでの過程が違うのではないか。 例えば、依頼人の屈折した感情を理解しようとしたり、依頼人の認識を変えようと働きかけたり(成功するかどうかは別として、そのように試みることがみちるにとって重要な気がする)、などである。 地獄流しを通じて世界を(少しでも良い方向に)変えたい、というのはゆずきにも共通することであったが、6話ラストのお説教を聞く限り、みちるのほうがより冷静で、良識(常識)があるように感じられた。 とすれば、「どうすれば地獄少女の職務(罪)から解放されるのか」ということも異なってくるのではないか。 あいの場合は、「大切なたった一人(拓真)のために死ぬ」「理不尽な怨みでも受け入れ、赦す」という行為が鍵となった。 地獄少女になったきっかけと反対である。 みちるの場合は、推測するしかないが、「自分の正義のために(犠牲になって)死ぬ」ということではないだろうか。 あいにとっては「正義」は相対的なものにすぎず、むしろ個々人の「愛(憎)」を信じているが、みちるの場合、彼女は「正義(ユートピア)の実現」を本気で信じているように感じる(この辺りは、両親(育った環境)の違いである)。 今後、あいのようになっていく可能性もあるし、独自の道を歩み続けるのかもしれない。 さて、幸か不幸か、あいとみちるという全く異なる個性の地獄少女が誕生した。 二人の価値観はどう交錯していくのか。 もし、5期があるならマンネリではなく、新鮮な展開が期待できそうである。 2.地獄少女は2人以上存在できる!~分業の可能性~ 3期の場合は、あいまいだったが4期になって確定した。 それぞれ、自身にとって思い出深い場所が、藁人形を渡す舞台となる。 それにしても、ここで考えるのは「あいとみちるはどうやって分業するのか」である。 異なるアクセス手段をとるのかと思いきや、最終話で否定されたことから、少し複雑になるだろう。 個人的に考えるのは、最初にみちるに仕事が回ってきて、それを見てあいがやる気になればあいがやる、というのはどうだろうか。 それだと、物語的にも2人の地獄少女の対話が生まれて面白いし、それぞれが地獄少女をやっている理由(立場)とも親和的だと思うからである。 追記:あいとみちるが1話ごとに交互に地獄流しをする、というのも面白いか。 追記:かつての依頼人が死んだとき、地獄へ連れていく役は、当時担当した方だと予想するが、あえて異なる方が担当するのも新しい展開ということで面白そう。 また、2期のラブリーヒルズ編のような、多くの地獄流しがある場合は、両者が協力して地獄流しをする、というのも見てみたい気がする。 3.5期の可能性は? これには、大きく分けて二つの要因が必要だと思う。 内在的要因と外在的要因である。 内在的要因とは、要するにストーリーが続編を許容するか、ということである。 これに関しては、上で述べたように2人のある意味対照的とさえいえる個性の地獄少女が誕生したのだから、それだけでも十分可能だといえる。 繰り返しになるが、具体的には、職務に関しては、完全ドライなあいに対し、地獄通信を通じて自分の思想・信条を発揮していこう、人々の幸せに少しでも貢献したい、と考えるみちるは、地獄少女の在り方に変化をもたらすのではないか。 地獄少女としての終着点もおそらく異なるはずであるし、これらを題材とすれば5期は材料十分だと思えるのである。 もう一方の外在的要因というのは、要するに4期が評価されるか、ということである。 人間性についても掘り下げると面白そうである。 細かいことを言うなら、序盤の「これでいいの?」とあいに投げかける姿が印象的だったことから、終盤になってあいから(みちる)自身の経緯や地獄少女の運命について語られる点が、やや意外過ぎたというか、淡泊だったかもしれない(問いを投げかけるだけで終わった)。 記憶をなくしていながらも、自分自身について探求する姿は4期にしか描けない(5期はすでに思い出しているから)ので、もったいないところも否定できない。 ただ、あくまで5期に向けてということであれば、最終話でのあいとは異なる地獄流し、そしてあいなら絶対しないであろうお説教と親身な姿勢から、続きを見てみたいと感じさせる魅力は十分にあったと思う。 5はあると思う。 これまでは、あい(地獄少女)と三藁、依頼人、ターゲットという3者を軸に展開していた物語に、みちるという第4の軸が加わることによって、物語は新たな展開を見せるだろう。 結論は、「5期は十分期待できる」ということである。 いつになるかわからないものの、その時を楽しみに待とうと思う。 1.抜群のルックス いろいろな見た目のキャラがいるものの、あいはその中で際立っている。 それは、あいの顔や体には不要なものが一切なく(胸・・)、少女としての魅力を引き出すものだけがちりばめられているからである。 例えば、ぱっと思いつくだけでも、黒髪ロング、吸い込まれそうな赤い猫目、薄紅色の唇、華奢な鎖骨、わずかに膨らんだ胸、そして黒のスカートから覗く純白の太もも!と、王道だけれども美少女に必要な要素がすべて詰まっているのである。 尤も、後述のようにあいは「見た目だけ」ではない(そして、そのルックスと符合する人間性をもっている)。 しかし、ゆずきやみちるを見ればわかるように、あいほど地獄少女にふさわしいルックスを持っているのはほかにいないように思われるのである。 2.魅力的な人間性 とりわけ1期2期は、あいに焦点が当てられているため、彼女の揺れ動く心を想像する機会は多い。 あいが魅力的なのは(能登さんの言葉を借りれば)「狂おしいほどの純粋性」を持っていることにある。 それゆえに一挙一動に重みが増し(覚悟)、ひいては物語全体の説得力を増すのだと思っている。 私には、あまりにあいの純粋性が印象的だったため、そうした純粋性をもっていることが罪であり、罰として地獄少女をやっている根拠だと思えるくらいである。 元来、他者の心というのは手が届かないものだが、あいの場合は、一線を踏み越えてでも近づきたい!と、そう思わせるくらいの深さがあるのだ。 物語の冒頭では、どんな悪人にも屈せず、一方で依頼人(福本さんなど)に情けをかける包容力の持ち主であった閻魔あいが、なぜラスト3話で暴挙に出たのか。 一見唐突に見えるものの、それを制作ミスだと考えるのはやや早計である。 まずは、何とか矛盾なく解釈できる道はないのかを検討してから、はじめて製作者のセンスを疑うべきだと思っている。 人のメンタルとは不思議なもので、たとえ極度の抑圧状態であっても、それが継続すれば、それを普通だと感じる特性がある。 あいの場合は、それは400年に及んだ。 しかしそのことは、背景にある問題が解決したわけではない。 彼女の抱えていた問題は複雑多岐だが、あえて分けるなら、次のようになる。 1.「あい」としての悩み 主に仙太郎のこと。 2期では拓真も入るか。 3期のゆずきは1と2の中間か。 2.「閻魔あい」としての悩み つまり仕事上の悩み。 「煉獄少女」「病棟の光」が典型。 1期のラスト3話を見て感じたのは、あいはとても純粋な娘であることだ。 そして、たとえ自分の純粋さが職務の遂行に邪魔であっても、捨てきれない(あきらめきれない)と感じているのだろう。 考えてみれば、あいのこうした精神性がかえって職務の遂行にとって、プラスに働いたこともありそうだ。 純粋であるからこそ、自分の心を閉ざしつつも他人の多様な怨みを理解し、ストイックに地獄流しができていたのかもしれない(また、演出面では、より一挙一動に凄みを感じた)。 だが、他方でそうしたピュアな心というのは、ある種の「業」であり、「罪」を生む。 彼女が地獄に落ちずに、地獄少女になったのは、彼女があまりにピュアだった(またそれが悪い方向に出てしまうほど不運だった)からだと思う。 怒り、哀しみ、妬み、絶望・・・、時には、やさしさだって罪を生むわ。 」 しかし、彼女は自分の過去を乗り越えた。 柴田親子の助けを借りつつも、最後は自分で仙太郎への想いに向き合い、一定のけじめをつけることができたのは、あいにとって本当に幸せなことだったと思う。 では、1期のあいと2期のあいとでは、どこが成長したのだろうか。 根本の部分は変わっていない。 だが、一期で垣間見たような性格のゆがみ(不安定さ)は影を潜めている。 他方で、地獄少女の存在意義として「人々の自己決定に付随するもの」のように考え、その帰結として「その人が決めたこと(自己決定)」は尊重する、という姿勢に変わったように見える(「私は正義の味方じゃないわ」発言が典型。 これだけ切り取ってみればドライになったともいえる)。 だが、最も見過ごしてはならないのは情緒的な部分での成長だ。 「地獄通信」に至るまでに、人々の「対話」を重視する姿勢(「全部話せばよかったのに」など)である。 「人はお互い理解し合うことができる」ということを、あいは発見したのだ。 こうした、あいの「変化」を、外野にいる私は「成長」だと解釈している。 2期、3期、4期と進むにつれて、情緒的な部分でのゆがみはますます小さくなり、「地獄少女としての」自分の居場所(あり方)を確立していったといえる。 怨みを扱ったこのお話でも、中盤からは「本当にこれでいいのか?」と思わせる話が連続してくる。 このお話もその1つ。 不登校(だった)生徒が先生を地獄に流すのだけれども、そこに怨みの感情はない(少なくとも糸を引いた時点では)。 それどころか、お互いにお互いの生きる苦しみを共感しあえる仲だった。 にもかかわらず、糸を引いてしまったのは、最後にあいが指摘した通り、先生がそう促したからにほかならない。 生徒のほうは、(おそらく)先生のために、勇気を出して学校に来るようになったのに対して、 先生は、自分が楽になることを考えて、生徒に糸を引かせてしまった。 ここに、甘えのようなものがあったのではないか。 あいは、このあたりの自分可愛さの行動にすごく敏感である。 それは、あいのルーツを知っている我々にとっては説明は不要であろう。 ただ一方で、この時点でのあいは、愛情と怨みが紙一重の表裏一体であることについては、(この時点では)あまり納得がいっていないのではないか。 これは、まさにあいと仙太郎についても同じことが言え、この問題がまだ解決していない以上、あいは2人を達観してみることができず、どうしても感情移入しつつ、迷いが生じてしまうのである。 それにしても、この事件ではどちらがより悪いか、判断するのは差し控えたほうがいいのではないか。 なぜなら、どちらも現実逃避していたわけであるし、その順番が異なっただけであることに加え、先生は地獄流しの代償について知らない(知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまった)からである。 それに何より、ばあちゃんが指摘するように本人たちがそれでよいと思っているのだから、外野が口をはさんでもパターナリズムに陥るだけのような気がするからである。 ただ、あいが先生に声をかけて考えさせたのは、2人の相互理解に向かわせるという意味では正しかったものの、他方で先生を糾弾する(代償のことを告げたタイミングを考えても)ほかの動機があった気がしてならない。 そういえば生徒はあいのことを「寂しそう」だと言っていた。 あい自身の問題も根底にはあるのだろうと考えさせられる。 追記:1期は、構成がよく、引き込まれる。 起承転結とはよくいったものだが、一話一話心に残るお話を展開しつつ、中盤以降はあい自身のゆれに徐々に視点がうつり、最終的には主人公の正体と物語のテーマをリンクさせつつ、余韻を残して締める・・という。 そして、それを表現しきる、詳細の描写と能登さんをはじめとするキャストさんの表現力は感動的。 追記:「心に残る」というのは、「答えが(すぐには/今は)見つからない」ことと密接に関係していると思う。 手の届きそうで届かない、相手の心(煉獄少女)。 戻りたくても戻れない過去(あいと仙太郎)。 何が待ち受けているかわからない未来(ラスト)。 物語が大変リアルに作られているため、登場人物に感情移入して「その後」「その先」「その奥」を自然と考えてしまう。 結論から言うと、結構あいまい。 依頼人でもないのに、助けたり。 依頼人が飛び降りようとしているところを止めるのは、ダメだったり。 いろいろと解釈の余地はある。 地獄のルールで、厳しく規制されていると考えることもできる。 が、私は、明示されていない限りは、こうした超自然的なものは除外して考えるべきだと考えている。 特に地獄少女の場合はそうだ。 地獄少女のテーマは「復讐」であるが、2期では「(家族の)絆」もテーマだと思う。 つまり、何事も絆に関連付けて考えるのが、よりよい解釈である、と。 また、契約がないにもかかわらず、人間を地獄に流すこと。 地獄少女の仕事は、おそらく見ている側が想像する以上に過酷で、感情に流されていてはとても勤まらないものだ。 そして、三藁も十分わかっているが、もし誰かが感情に流されてしまったら、(信頼関係のみで結ばれている地獄ファミリーは)パラパラと瓦解してしまう。 また、三藁は任意であいに協力しているが、あいは好きで地獄少女をやっているわけではない。 もしも、(最終話のように)情に流されてしまったら、あいのみが責任を取らされてしまう。 輪入道がほかの2人に対して「情に流される」ことに警鐘を鳴らすのは、こうした文脈を前提に解釈しなくてはならない。 すなわち、地獄ファミリーの信頼関係がバラバラになってしまうこと、そしてあいの職務遂行に差し障るおそれがあること(これもあいを心配するがゆえ)、主にこの2点が輪入道を動かしたのだろう。 しかし、2期ラストのあいの行動だけは、止めることができなかった。 本当は、止めてあげたい、助けてあげたいのだけれど、あいのことをよく理解しているがゆえに、最後は彼女の好きにさせてあげたい、と思ったのではなかろうか。 依頼人とターゲットはいるものの、このお話に関していえば、おまけのように思える。 このお話の中心にいるのは、保健室登校(だった)少年(とあい)である。 当初、あいは彼の依頼を拒絶した。 「私は正義の味方じゃないわ」という発言は、彼の無覚悟かつ自分可愛さに基づいた主張に嫌気がさしたからだと思われるが、そういえば似たようなことは1期の零れたカケラたち(上述)でもあった。 ただ、1期の場合は、何かあいの悪意の様なものを感じたのだが、今回はそういうものはない。 単に、正論を述べているように感じられる。 というのは、あいが登場したタイミングが違うからだ。 また、1期のラストであいの自分自身の問題は一応解決しているだけに、あい自身の性格のゆがみが依頼人・ターゲットに対する姿勢に影響を与えるとは考えにくい。 それにしても、この少年は最後にあいを拒絶し、自分の手で復習を遂げようとするのだけれども、この一連の少年とのやりとは、あいにとって決して後味のよいものではなかったはずである。 彼女の心中を少しだけ想像してみよう。 手掛かりは、少年の変化だ。 当初は、相当の甘さがあった。 自分で行動することに自信が持てなかったのだろう。 それは言動にそのまま表れ、自分の怨みは本来自分で責任を持つところ、それすらできずにあいに甘えてしまった。 あいには、その少年は相当に幼く見えたのではないか。 ただ、ここであいは一応依頼を受けてから、(取り返しがつかなくなったところで)彼を後悔させてもよかった。 それをあえてせず、まだ引き返せるところで冷たく突き放したのは、あいのある種のやさしさであると解釈したい。 追記:もちろん「好き」「嫌い」でいったら嫌いだろうが、それで苦しめてやろうという考えはなかったのではないか。 もちろん結果的には、そうなってしまったが、直接の被害者加害者という関係では怨みは晴らされているし、それで少年が納得すればそこまでくらいに思っていたのだろう。 2期のあいは放任主義に少し偏っている。 だが、その優しさは結果的に事態を悪化させてしまった。 彼は自分で考えて行動する力を身に着けたがゆえに、さらに怨みの連鎖を増長する方向に向かっていってしまった。 考えてみれば、これはあいがかつてたどった道と同じではないか。 結局自分がかかわった人間の末路は、同じ地獄なのか、と。 彼の「可能性」を少しでも残してあげたあいからしてみれば、彼の「変化」は皮肉以外の何物でもない。 追記:あいが少年のことが気になった理由については、2期のあい「らしさ」とも関わりそうなのでとりあえず保留にしておく。 3期に対する非難は知っている。 そして、それは正しいと思う。 が、一応最大限好意的に解釈してみる。 3期のメインヒロインは、ゆずきとあいである。 実際2人の共通点は多い。 一番気になるのは「あい」以前に地獄少女はいなかったのに、なぜ「あい」以後は地獄少女が必要とされたのか、ということである。 ゆずきはあいと似ているものの、自身の内面を爆発させて、周囲をゆがめてしまったことはない。 あえて矛盾なく解釈しようとすると、一度あいが作り出してしまった恨みの連鎖は、もうあい自身によっても止められなくなっていた。 世の中が地獄少女に依存してしまっていたのである。 もっとも、その依存をなぜ許していたのかは、また難しい問題である。 つぐみ(大)のセリフから察するに、地獄も人々の願望が作り出したものではないか。 つまり、確かに(地獄少女の世界では)地獄は実在する。 しかし、そのありようは、その時代の人々の思想を反映する。 400年前の地獄では、あいは地獄少女の役目を与えられるべくして与えられた。 その後、あいが現世に多大な影響を与えたために、人々の思想に変化(地獄少女への依存)が生じた。 だから、より理不尽な理由で地獄少女(ゆずき)が誕生したのではないか。 と思う。 もっとも、そうならそうとはっきりと伏線なり、世界観を作ってほしかったのは本音である。 14、15頁 DVDジャケット二巻 原画:岡真理子 岡真理子さんいわく、「アンニュイ(仏語:ennui:退屈。 倦怠)」な表情が大好き、とのこと。 また、ポイントは、首筋と肌の白さ(上記コメンタリーより)。 ご存知閻魔あいの声優を担当された能登麻美子さんによると「 表情があいっぽい」(85頁)と。 確かに、上の画像のようなダイレクトなエロさはないものの、反面(素の)あいの純粋さがよく表れている感じで新鮮な印象を受けます。 依頼人から見た、ふだんの「閻魔あい」とは、全然違う。 冬の粉雪が降る戸外で、手すりに軽くもたれかかりつつ、ほっと息をつく。 その一瞬を鮮明に切り取った、見事な一枚。 18追記:「地獄少女画集」の岡真理子さんのコメントによると「それほど面白いポーズではないので、私としてはなぜ人気なのか謎なんです」とのこと。

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地獄少女イラストレーションズ 鏡花水月 改訂版

地獄 少女 イラスト

輪入道(輪入道)CV 菅生隆之 あいの使い魔の三藁の一人で、三人の中では年長であり、初老の男性のような風貌をしています。 三藁の中では一番の古株でありまとめ役でもあります。 元々は姫様を運ぶ馬車の車輪であり、姫を逃してる最中に事故を起こしてしまい姫が亡くなり、その自責の念から妖怪となってしまっていたところをあいに拾われました。 能力は車輪となってあいを目的地へ運ぶことが多いです。 山童(やまわろ)CV 椎名へきる 三期から三藁に加わり、これにより実質四藁となります。 見た目は半袖短パンの少年で、とても礼儀正しい言葉遣い。 きくりに好かれていて、きくりのことを姫と呼んでいます。 元々は他の三藁と違って妖怪ではなく山の妖精の一種で、その山に住んでいた家族と出会い、そして悲しい別れを経験したことで、孤独の寂しさを知り、あい達の仲間となります。 四期終盤であい達のもとを離れ、新しく地獄少女となったミチルのもとへと行きました。 きくり CV 酒井香奈子 二期から登場したキャラで、子供のような見た目の自由奔放な女の子。 正体は不明で、自称次の地獄少女と言ってますが、あいはもちろん誰からも残念ながら認められてません。 基本的に行動が子供じみていて良く問題を起こすのですが、時折さらっと冷徹なことを言ったりする一面も持っています。 4期ではお気に入りだった山童がいなくなったことで、珍しく落ち込む姿も見せてくれました。 あいの祖母 CV 松島栄利子 あいと一緒に暮らしている妙齢の女性ですが、アニメ中では一度も姿は見せたことはなく、いつも障子越しに話すか、声だけ聞こえるというシーンしかありません。 あいとしか会話したことは無かったのですが、二期の最後で初めて三藁と会話をしました。 人面蜘蛛 CV 柴田秀勝 あいの事を常に見張っている蜘蛛で、背中に大きな目がある。 何者なのかは名言はされてはいませんが、あいを地獄少女に任命した存在であり、そのあたりの会話から察するには立場的なものはあいより上の存在と思えます。 柴田一 CV 西村和彦 アニメ一期のキーパーソンの一人で、フリーランスの記者をやっている男性。 地獄少女の存在を知り、自身の経験から復讐は良くないことだと、地獄通信を使った人物を見つけては復讐をやめるように説得しますが、いつもあと一歩のところで止められず、最終的には地獄少女の存在意義などと葛藤して、自分の力でどうにか出来ることではないと諦めて物語の舞台からは姿を消してしまいました。 柴田つぐみ CV 水樹奈々 柴田一の娘で小学校低学年の女の子、はじめ同様に一期のキーパーソンの一人。 年齢の割に大人びた態度や発言をしていますが、内心は寂しがり屋の年相応の女の子です。 閻魔あいと出会った後から精神的なものがあいとリンクして、あいの言葉や見ている景色がつぐみにも見えるようになりますが、あいとは遠い血縁関係があるのでその影響と思われます。 一とは違って二期以降も定期的に出演していて、風貌はすっかり大人になっています。 大人になったつぐみ 二期以降たまに出てきますが、その姿はすっかり大人となっていました。 3期では学校の養護教員、4期では介護士と、人のためになる職を巡っていました。 仙太郎 CV 豊永利行 あいと同じ村に住んでいた少年で、あいの従兄弟に当たる。 村のしきたりで人身供養として殺されそうだったあいを、村人に内緒で六年間かくまっていてあいとは深い絆の仲だったのですが、かくまっていたことが村人にバレてしまい、自身の保身のためにと苦渋の思いで村人と共にあいを土に埋めてしまいました。 最後は土の中から蘇って、怒り狂い村を燃やすあいを背に村からいなくなりました。 紅林拓真(くればやしたくま) CV 藤村歩 二期のキーパーソンの一人の小学生で、ラブリーヒルズと呼ばれる新興住宅街へ引っ越してきました。 自身の家族を殺した疑惑をかけられてしまい、その恨みを晴らすために一度は地獄通信にアクセスしますが、やはり復讐は良くないと思いとどまります。 ですが、街の住民から悪魔の子と呼ばれ非難の対象となり、住人が犯した罪の濡れ衣を着せられたり暴行を受けたりと散々な目に合い、最後は唯一助けてくれていた飯合蛍に地獄流しにされてしまいますが、あいの配慮などもあり奇跡的に生還しています。 飯合蛍(めしあいほたる) CV 大浦冬華 拓真の無実を信じてくれていた中高生くらいの女の子。 兄が警察で自信も正義感が強く、町の人々から必死に拓真を守っていたのですが、兄を地獄に流されてしまったことで全てが嫌になり、拓真がいなくなればこんな事は全て終わると信じ、拓真を地獄に流し、自らも入水自殺を図ってしまいます。 地獄から生還した拓真に助けられ、病院のベッドで眠っているシーンを最後にその後は不明となっています。 御景ゆずき(みかげ-) CV 佐藤聡美 三期の準主人公ポジションの物静かな普通の女子中学生、ある日閻魔あいに依り代とされて以降は、一期のつぐみと同じような体質になり、閻魔あいと接触した人物がわかるようになり、地獄流しをやめるように説得して周ります。 中学3年生となっているが、実際は小学校の時に悲惨な目に合い両親を失い、自身も孤独死してしまっていますので、中学生となったゆずきはゆずき自身の妄想や幻覚の類で、自身が亡くなっている事を思い出した後は、地獄通信の必要性を認め、第二の地獄少女として生きることを決断しました。 高杉秋恵(たかすぎあきえ)CV 沖佳苗 三期の主要人物で、ゆずきの親友の女の子。 警察の娘で、父親がもみ消した事件の被害者の娘から復讐の対象として狙われてしまい、ゆずきの目の前で地獄流しにされて消えてしまいました。 秋恵の件がゆずきの行く末を大きく左右したとも言える重要な存在です。 寒河江ミチル(さがえ-)CV 和多田美咲 最新シリーズ「地獄少女 宵伽」のキーパーソンで、11歳の女の子。 自分が何者なのか思い出せない霊なのですが、地獄流しをする際に度々あい達の前に現れては「それでいいの?」と問いかけていました。 その正体は大正時代に村八分にあい、一家全員焼殺されてしまい死んでしまった女の子ですが、あいと同じく憎しみから蘇り、村人を焼き殺した少女でした。 そのことを思い出し、ミチルもその大罪を償うために、山童を引き連れ地獄少女となりました。 地獄少女の業務はあいと違って比較的依頼を選ぶ傾向にあります。 【地獄少女】登場キャラ紹介まとめ! 4シリーズあるので、様々なキャラが数多く登場した地獄少女シリーズですが、みんな悲しい過去があったり、新しく前を向こうと頑張っていたりと、良くも悪くも共感できることが多々あるキャラだと思います。 各シリーズ放送時期ごとにその時の時代背景なども描かれていて斬新な作品ですので、キャラ共々作品もよかったらチェックしてくださいね。

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