フローレンス ピュー。 『ミッドサマー』フローレンス・ピュー、恋人ザック・ブラフの45歳の誕生日をお祝い! ふたりの馴れ初めは・・・?

ストーリーオブマイライフわたしの若草物語のエイミー役俳優は誰?フローレンスピューのプロフィール紹介

フローレンス ピュー

昨年の4月、イギリス人女優のは、姉妹とともにニューヨークを訪れていた時に、タトゥー・サロンを見かけた。 自分が何をしたいかもわからないまま、このサロンに足を踏み入れた彼女は、いきなりこう切り出した。 「蜂のタトゥーを入れてほしいんだけど」。 「どんな蜂がいいのかな?」とその店のタトゥー・アーティストは尋ねる。 「上から見た形がいいな。 抽象的な。 リアルなのじゃなくて」と彼女は希望を伝えた。 すると、タトゥー・アーティストはにっこりとほほえみ、こう言った。 「さっきまで何がしたいのかもわかっていなかったのに、ずいぶんはっきりと言えるんだね」。 「確かに」と答えたフローレンスは、誰よりも驚いた様子を見せた。 「これって変ね」 フローレンスがこのエピソードを話してくれたのは、ある日の午後、ロンドンでのインタビューの最中だった。 手首の内側に描かれた短い線に視線を送りながら、衝動的な自分の行動にとまどいもある様子で、顔をしかめてみせる。 初めての、そして今のところ唯一のタトゥーを入れるまでのいきさつは、実にフローレンスらしい。 観客を震え上がらせたホラー・ストーリー『ミッドサマー』のアリ・アスター監督は、この作品に出演した彼女を「腹の底から納得しないと動かないタイプ」だと評する。 さらに監督によれば、「彼女の直感は異常に信頼性が高い」ので、周囲の人たちもそれを信じることが大切だと、フローレンスを称賛した。 この直感の鋭さが、自信と謙虚さを兼ね備え、あからさまな野心は感じられないが、演技には全身全霊をかけて打ち込むという、彼女の絶妙なバランスを成り立たせている。 既定路線から外れたキャリアの向かう先。 フローレンスが自らの体に記したシンボルは、よく見ると働き蜂だった。 働き蜂とはあなたらしいですね、と声をかけると、「わかってる。 でも、(働き蜂だとは)全然知らなかった」と答えた。 24歳の彼女だが、女優としてのキャリアは7年に及ぶ。 その間、見た目の華やかさに惑わされず、興味深い役柄を選んで演じ、ありがちな売れっ子女優への道を巧みに回避してきた。 2018年には、パク・チャヌク監督の超スタイリッシュなドラマ版「リトル・ドラマー・ガール 愛を演じるスパイ」で主演を務めている。 この時の彼女の演技があまりに真に迫っていたため、原作小説を書いたジョン・ル・カレが、最新作に「フローレンス」という名のキャラクターを登場させたほどだった。 翌19年には、人気コメディ・ドラマ「ジ・オフィス」でも製作総指揮に名を連ねたスティーヴン・マーチャント監督の、プロレスを題材にしたコメディ映画『ファイティング・ファミリー』で主役を演じる。 そして前述の『ミッドサマー』を経て、満を持して臨んだのが監督の『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』だった。 さらに20年、彼女は・シネマティック・ユニバース(MCU)シリーズの最新作『ブラック・ウィドウ』で、の向こうを張り、運動神経抜群のキャラクター、エレーナを演じる。 こうしてフローレンスは、ジャンルも、既存のルールも意に介さずに、新世代のハリウッドの人気俳優へと驚くほどの勢いで上り詰めつつある。 しかも彼女は、自分が求めるものをはっきりと思い描けるタイプのようだ。 このインタビューの時、フローレンスはちょうどモロッコでの『ブラック・ウィドウ』の撮影を終え、ロンドンへ戻ってきたところだった。 撮影は数カ月に及び、スカーレット・ヨハンソンとのアクションシーンは過酷を極めたという。 私たちが今いるのは、バラ・マーケットにある中東料理のレストランだ。 周囲には精肉店やパン屋、リコリス屋などが並ぶほか、トリュフの専門店やこだわりの高級チーズをそろえる店などもあって賑やかだが、レストランは落ち着いた雰囲気だ。 フローレンスの母方の祖母、グランゾ・パットは、一家のゴッドマザー的存在だったが、彼女が子どものころは当時一緒に住んでいたオックスフォードからロンドンに来ては、よくこのマーケットを訪れたという。 ここでおいしいものを味わってから、劇場に行くのがお決まりのコースだった。 フローレンスは私と向かい合うかたちで、テーブルをはさんで座った。 2匹のサソリのワッペンが縫いつけられたラグヤードの黒のTシャツを着て、ランチの合間にウオッカのソーダ割りをちびちびと飲む。 そばに置かれた、黒のシルクのボンバージャケットは、彼女が8歳の時にチャリティショップで手に入れて以来、ずっと大事にしている愛用の一着だ。 その話しぶりは、はきはきとしていて明るい。 時々声がかすれることがあるが、後で話してくれたところによると、子ども時代の病気が原因だという。 MCUシリーズへの出演について、「このシリーズに関わることがどういうことなのか、よくわかっていなかった」とフローレンスは打ち明ける。 「もちろん、身体能力は要求される。 だって一番肝心なのは、スーパーヒーローを務めること、そうでしょ?」と語る彼女の口調には、皮肉っぽい響きがある。 だがそれ以外の要素は、すべて自由に演じられると聞かされたという。 撮影現場に到着すると、フローレンスはスタントアクターたちの控え室になっている倉庫へ直行した。 「あの人たちからいろいろ教えてもらえたのが、個人的には一番良かったこと」と彼女は振り返る。 『ブラック・ウィドウ』の撮影ではスタントダブルがついたが、それでも彼女は、アクションシーンをどう撮るのか、一部始終を知りたいと思っていた。 さらに、この作品でメガホンをとったオーストラリア人監督のケイト・ショートランドによれば、ほとんどのアクションシーンは、フローレンスが自ら演じているという。 「彼女はものすごく怖かった。 鉄の意志を持っていて、何があろうと決して引き下がらない。 役柄を離れても、度を越さない範囲で、周りで見かける不正への怒りを抱えているの」 だが何よりフローレンスが驚いたのは、この映画の「腹にガツンとくる衝撃」だった。 70人もの監督候補から選ばれたというショートランドの指揮のもと、主演のスカーレット・ヨハンソンの意向も加わり、『ブラック・ウィドウ』はMCUシリーズでは2作目となる、女性に焦点を当てた作品となった(ちなみに1作目は主演の『キャプテン・マーベル』だ)。 ストーリーの詳細は公開まで伏せられているが、フローレンスによればこんな話だそうだ。 「とても困難な状況を扱っている。 つらくて、痛くて、感情が高ぶって、面白い。 壊れた女性たちが、そのかけらを拾い集めるお話」。 さらにショートランド監督は、フローレンスやスカーレット、そしてもうひとりの主要な役を演じるとともに、こんなことを考えていたという。 「巨大なマーベル・ユニバースの中で、通じ合う何かを感じられる映画にしたかった。 私たちが創り出したのは、生身の肉体を持つ女性たちの関係。 登場する女性たちは、いい子を演じる必要はないの」 ハリウッド新時代に現れた新タイプの女性スター。 彼女の映画デビュー作は『The Falling(原題)』だった。 キャロル・モーリー監督のこの作品は、女子校を舞台に起きたヒステリー現象を考察する、暗く夢想的な作品だ。 そして彼女が最近出演した2作品、『〜わたしの若草物語』と『ブラック・ウィドウ』も、デビュー作と同様に監督は女性だ。 フローレンスは、女性がリーダーとなることが当たり前の時代に、臆することなく前に進んでいる。 これまで、感受性の強い若手女優といえば、純情な少女を演じるのがお約束で、スターになれるかどうかは(男性が圧倒的に多い)上層部次第だった。 だが、フローレンスのこれまでの軌跡は、これとは違う道もあることを示している。 彼女は業界内の力関係が変化しつつある時代に現れた、新しいタイプのスターなのだ。 彼女のキャリアを一見して、なにがそこまで新しいのか、と訝しむ人もいるかもしれない。 だがフローレンスは、の出演料が男性の共演者よりも安いという記事を読んで、「どういうこと? あり得ない」と思うタイプだ。 それでいて、現在起きている変化は、先人の努力の末に得られたものだとわかっている。 彼女自身の言葉で言うと、こういうことだ。 「今、女性たちが映画業界で声を上げられるのは、そういう状況を作ってくれた人たちのおかげ。 女性が口を開くのは、何か言いたいことがあるからに決まっている」 フローレンスはもてなしが好きな一家に生まれ育った。 父親はオックスフォードでレストランの店主を務めている。 祖父も果物市場で働き、パブを経営していた。 「とにかくよく食べる家なの」と彼女は言い、ハスキーな声で笑う。 一方、母親はダンス講師だ。 おいしい食事とあふれんばかりの活気という、一家に伝わる要素はすべて、彼女の演技にも反映されている。 「大きくて、愛しくて、居心地がいい」家族なのだという。 彼女は今でも、「一番シンプルだけど、最高のデートプラン」は、相手に食事を作ってあげることだと断言する。 インタビューを兼ねたランチを終え、マーケット内をうろうろしている時にも、こんなことがあった。 通りがかったチーズ店で、フローレンスは店主に質問をしたのだが、それがあまりに鋭かったため、店で働かないかとその場でオファーされたのだ。 「私は昔からずっと、何かと目立つタイプだった」とフローレンスは子ども時代を振り返る。 「子どものころは、一番派手な色の服を着ているのが私だった。 フェイスペイントも大好きだった。 すごく似合っていたから、両親も特にダメだとは感じていなかったと思う」 その後10代になると、日曜日に家を訪れる人たち向けのベビーシッター役を務めるようになる。 すっかりなついた子どもたちと一緒に、彼女は人形の衣装を作ったり、おもちゃのカップにお茶を注いだり、即興で劇を作ったりしていた。 もちろん、重要な役を演じるのは彼女だ。 「私は子ども相手でも、『だめ、それは私の役だから』と主張していた。 夫を亡くして涙にむせぶ女性の役を演じていたわ」 病弱だった幼少期と、居心地のいい家族との関係。 だが、それ以前の3歳から6歳にかけての時期に、彼女は両親と10歳上の姉のアラベラ、4歳上の兄のセバスチャンとともに、スペインに住んでいた(妹のラファエラが生まれたのは、フローレンスが7歳の時だ)。 オックスフォードからスペインへの転居は、病気がちだったフローレンスの健康回復を願ったものだった。 その後彼女は、息を吐いたときに気管が狭くなる病気、気管軟化症と診断される。 そのために彼女は幼少期のかなりの時間を病院で過ごした。 今は症状はほぼ治まり、「すごく怖い感じのせき」が出るだけだという。 『ミッドサマー』を観た人なら、彼女が泣く場面で、呼吸困難になりそうなほどせきこんでいたのを覚えているはずだ。 彼女の歌声がこの年齢では珍しいほど大人びているのも、病気の名残だ。 以前母親は、思春期のフローレンスが歌う様子を録ったホームビデオを、YouTubeにアップしていた。 だが母親は、娘にファンができるまで、誰もがこれらの動画を観られるという点に無頓着だった。 実は今でも、真っ黒なアイラインを引いた「フロッシー・ローズ」がベッドに裸足で腰かけ、オアシスのカバーを弾き語りする動画を観ることができる。 それ以降も、彼女は出演作で歌声を披露しているほか、音楽活動にも取り組んでみたいという。 歌と演技は、今やピュー家の家業だ。 兄のセバスチャンはトビー・セバスチャンという芸名で、19年にEPをリリースした。 また、俳優活動では、「」の第5シーズンでトリスタン・マーテルを演じた。 姉のアラベラ(今はアラベラ・ギビンスと名乗っている)は、俳優、歌手、ボイストレーナーとして活躍中だ。 そして16歳の妹ラファエラも、まだ学生だが演技に挑戦している。 フローレンスはきょうだいとできるだけ多くの時間を過ごしていて、自分を見失わないためにも、お互いが大切な存在だと語る。 家族の仲の良さを示す例として、フローレンスは自分の出演作『ミッドサマー』を家族と観に行った時の話をしてくれた。 だがこの映画のストーリーは、自分の家族をなくした人たちが、別の場所に家族を再び作りだそうとして、最悪の結果を招くというものだ。 映画の冒頭では、フローレンスが演じるダニーの両親と妹がガス自殺する。 実の家族にとってはとても楽しいとは言えない展開だが、16歳の妹は、たいしたことはないと豪語したそうだ。 「怖い映画だって言われる理由がわからない」とラファエラは断言した。 「そこそこ怖い、っていうところまでも行ってないんだもの」妹の意見を聞いて、フローレンスはこう言ったという。 「それならいいけど。 他に何か感想は?」 ロンドンでのランチ・インタビューから1カ月半後、フローレンスと私はロサンゼルスで再会した。 彼女からのたっての願いで、待ち合わせ場所はこの街で「たったひとつの、とってもへんてこでごちゃごちゃな場所」に決まった。 その場所はローレル・キャニオンといい、そばに設置された看板によると「60年代のコミューンやサイケデリックなスピリットがひとつになっている」とのことだ。 ジム・モリソンがかつて住んでいた家にも近い、築100年のキャニオン・カントリー・ストアには、広々とした木張りのポーチがある。 そこに、フローレンスは座ってくつろぐ。 それからものの数分で、彼女には新しい友達が7人できた。 ロサンゼルスで味わった苦い日々を越えて。 だが、フローレンスにとってロサンゼルスは、決していい思い出ばかりの街ではない。 最初にロサンゼルスにやってきたのは15年で、『Studio City(原題)』という作品のパイロット版で主役を演じるためだった。 そう聞くと、まるでおとぎ話のようだ。 彼女はアメリカに来るのも初めてで、まだ19歳だった。 だが実際は、「ひどい体験だった」と彼女は振り返る。 そこは彼女の体重がおおっぴらに話題にされるような現場だったのだ。 「ちょっと精神的に参ってしまって。 結局、お蔵入りになったのだけれど、その時になってようやく、ものすごくホッとしている自分に気づいたくらい」 その直後、彼女は19世紀を舞台としたダークなインディ映画『Lady Macbeth(原題)』に出演する(ロシアの作家、ニコライ・レスコフが1865年に発表した小説『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を下敷きにしている。 この小説自体、シェイクスピアの戯曲に着想を得たものだ)。 ここで彼女は、自由に出歩くこともできず、気力を失った炭鉱主の息子の妻を演じた。 だがその後、彼女は状況にいらだち、自らに課された制約に激しく抵抗し始める。 この風変わりで強烈な印象を残す役柄を演じたことで、自分が目指す俳優像がはっきりしたと、フローレンスは振り返る。 「私はむき出しでさらされる感覚が好き。 裸になった感覚が好き。 スクリーンで完璧な姿を見せる時のほうが、逆にパニックになるくらい」 ショートランド、ガーウィグ、アスターという3人の監督が、フローレンスを自分の映画に起用したいと考えたきっかけは、実はこの『Lady Macbeth』での演技だった。 アスター監督は、彼女が「リトル・ドラマー・ガール」の撮影を終え、カメラテストのテープを送る余裕ができるまで、数カ月待ったという。 同監督の『ミッドサマー』で、フローレンスが演じる主要キャラクターのダニーは、確かにむき出しの感情を抱えている。 監督が言うように、「映画を最初から最後まで引っ張る」務めを負っているだけに、ダニーを演じるのは、演技だけにとどまらない難しさがあった。 それでも、監督は彼女を絶賛する。 「(ダニーは)そう簡単に引き受けられる役柄じゃない。 不愉快な、あるいは自分を哀れんでいるだけのキャラクターになっていてもおかしくなかった。 必要な要素をすべて演じきりながら、そうしたわなを見事に避けたのには、驚かされたね」 『Lady Macbeth』の撮影を経て、「自分が本当はどんな俳優なのかわかるまでは」ロサンゼルスには戻らないと、フローレンスは心に誓った。 それから2年後、彼女はこの街に帰還を果たす。 演じたのは、鍛え上げた肉体を持ち、黒髪にゴスメイクで、ノリッジなまりの英語を話す女性プロレスラーだった。 この作品、『ファイティング・ファミリー』はイギリスに本拠を置くプロレス団体についての実話をもとにしている。 フローレンスはこの作品で、体つきをとやかく言われることはなかった。 とにかく強くたくましいことだけが要求されたという。 「それって、本当にすごいことなの。 自分が選んだ仕事で、それだけを考えていればいい、というところがね」と、彼女はこの映画を振り返る。 今、目の前のフローレンスは、とてもくつろいだ様子だ。 「ここは本当に特別な場所」と彼女は言い、にっこりと笑う。 友人たちに囲まれている彼女は、『〜わたしの若草物語』のプロモーションのためにロサンゼルスに数週間滞在したところだ。 この間、『若草物語』への「あふれんばかりの愛」に心を打たれたと、彼女は語る。 「特にアメリカでは誰もが子ども時代をともに過ごした本だから」。 ほんの1週間前にも、映画でマーチおばさんを演じるが、マウント・オリンパス・ドライブにある家で、内輪の試写会を催したばかりだ(「マウント・オリンパス(オリュンポス山)ってすごい名前」と、フローレンスは言う)。 何より、フローレンスが演じるエイミーが(彼女自身の言葉を引用するなら)「それほどウザい小娘ではない」点は、おおむね歓迎されているようだ。 この映画のエイミーは、爽快なまでに、自分の欲望を遠慮なく口にする。 ガーウィグ監督の演出もあって、自分のことばかり考えているところが、思慮深さにつながるキャラクターだ(いち早くこの映画を観たレビュアーは、フローレンスの生き生きとした演技によって「この憎まれ役が観客の共感を得る可能性が出てきた」と評していた。 )彼女自身は、原作の小説を読んで、エイミーに嫌な印象を抱くことはなかったという。 「私は、徹底的に甘やかされたキャラクターが、本当に大好きなの」と、彼女は打ち明ける。 「だってそういう人たちは思っていることを表現してくれるから。 エイミーは、言いたいと思ったことは何でも言うタイプ。 気を使ったりしない」と言って、彼女は笑う。 「だからもちろん、彼女を演じることになって、大喜びだった」 ガーウィグ監督が手がけた脚本には、原作にないオリジナル要素も盛り込まれている。 中でも特筆すべきなのが、エイミーがパリのアトリエで自分の想いをぶつけるシーンだ。 これは土壇場で追加されたもので、監督がフローレンスにこの部分の脚本を渡したのは、撮影が始まる10分前だったという。 あえて「社会のお飾り」を目指すエイミーは、カメラに向かい、フェミニストらしくないようでいて非常にフェミニスト的な自らの戦略をとうとうと語る。 「私はただの女性」と、彼女は話し始める。 「そして女性である以上、自分のお金を稼ぐ手段はない」と。 エイミーは決して見栄っ張りなわけでも、お金に汚いわけでもない。 彼女の時代には、このような生き方を選ぶほかなかったのだ。 彼女は最後に、「だから、『結婚には経済的な意味なんてない』なんてのんきなこと言わないで」と、演じるローリーにきっぱりと宣告する。 ガーウィグ監督は、映画が完成した今になってエイミーについて考えることが増えたそうだ。 「自分が求めるものをしっかりと自覚して、それを手に入れる方法を探し当てる。 そこが物語の中で嫌われ者になる理由ね。 でも最近は、そうした評価も変わり始めているように思う。 私たちはもう、エイミーのことを嫌いじゃなくなっているのかもしれない。 彼女の目のつけ所のよさを、評価している部分もある。 たぶん、欲望を隠さない若い女性に、以前ほど目くじらを立てなくなっている。 だから」と、監督は結論づける。 「私も少し、未来に希望が持てるようになったというわけ」 Profile フローレンス・ピュー 1996年、イギリス・オックスフォード生まれ。 2014年に『The Falling(原題)』で映画デビュー。 『Lady Macbeth(原題)』(16)では複数の映画賞を受賞。 Netflix配信の『ファイティング・ファミリー』(19)や『ミッドサマー』(19)など人気の話題作に立て続けに出演し、スターダムに上り詰める。 今後はマーベルの『ブラック・ウィドウ』が公開予定。

次の

『ブラック・ウィドウ』フローレンス・ピュー、断固拒絶した「マーベルからの要望」とは?

フローレンス ピュー

太陽と月を併せ持つデビュー 処女作にはその作家のすべてが詰まっているといわれるが、それは俳優という職業にも当てはまるようだ。 フローレンス・ピューのデビュー作『The Falling(原題)』(キャロル・モーリー監督/2016年・日本未公開)には、この女優が進むであろう輝かしい未来の伸びしろの多くがすでに見出せる。 女子校で起こるオカルト現象を扱った『The Falling』において、フローレンス・ピューはその大胆さと繊細さを常に行き来する不安定な魅力を振りまく少女アビゲイルを鮮やかに演じている。 アビゲイルは冒頭30分で画面からほぼいなくなってしまうにも関わらず、観客は体感的に常にアビゲイルの気配を感じてしまう。 アビゲイルが常に画面に降霊しているという点が、この作品の恐ろしいところであり、キャロル・モーリーの演出上の狙いでもある。 『ミッドサマー』 c 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved. まず驚かされるのは、このデビュー作におけるフローレンス・ピューの顔への光の当て方、被写体としての光の当たり方だ。 ジャン・リュック=ゴダールの作品を始め、ヌーヴェルヴァーグの撮影監督として名高いラウール・クタールが言うように、「光を集めてしまう顔」というのは、ごくごく稀に発見される。 フローレンス・ピューの顔はまさにそれに当て嵌まるようだ。 このことにとても敏感なキャロル・モーリーは、クローズアップを多用することで、肌の在り方そのものを画面に焼き付け、見る者の瞳の中にアビゲイルの残像を残していく。 光を集めてしまうフローレンス・ピューが後年、まさに光による恐怖を描いた『ミッドサマー』のヒロインを務めたことは、極めて運命的なことのように思える。 フローレンス・ピューの場合、この光の当たり方が月にも太陽にもなり、その陰と陽を自在に反転させてしまえる速度が、この女優を特異な存在にしている。 『マクベス夫人』の衝撃 フローレンス・ピューが最初に決定的な評価を受けることになる次作『マクベス夫人』(ウィリアム・オールドロイド監督/2016年・京都ヒストリカ国際映画祭で上映)では、陰と陽を反転させる光の速度は、むしろその強度を確かにする段階へ移っている。 全編を通して劇伴が最小限に抑えられた本作では、屋敷の空間に響く人の声や物音、人と人の接触音をクリアに録音することに、とてつもない神経が注がれている。 たとえば後に不倫関係となる使用人との言い争いで、マクベス夫人が使用人の指を咬んでしまう「コリッ!」という音が過剰なほどクリアに録音されており、この指を咬む音が、危険なまでにエロティックな音だということが、物語の伏線上で分かるように設計されている。 いわば物音が全編のサウンドトラックになっているといって過言ではないのだ。 殺害のシーンにおいても、固定されたカメラは殺害の行為と物音だけを人物の背後から記録する。 『マクベス夫人』は、こういった鋭利な演出を含む傑作であり、ジョン・ウォーターズはこの作品を年間ベストの8位に選んでいる。 この作品で、マクベス夫人は大きな目を見開き、自分を大きく見せながら、大きな嘘をつく。 フローレンス・ピューは持ち前の大胆さでそれを表現しながら、瞳の奥で怯える。 このシーンで重要なのは、マクベス夫人が一世一代の嘘をついていることを観客はすでに知っているという点であり、自信に満ち溢れた尊大な冷酷さと罪悪感による怯えを同時に表象してしまえる、いわば「太陽」と「月」を同時に画面に提示してしまえるフローレンス・ピューには技術というよりも才能という言葉こそがふさわしい。 話されている言葉の奥を、話者の瞳の奥から観客に読ませるという、映画の持つ原始的且つ、パワフルな表現に成功している。 同じく『マクベス夫人』で興味を引くのは、フローレンス・ピューのまだ短いキャリアの中で何度も反復されている行為がここで初めて披露されることだ。 マクベス夫人がドレスの背中の紐をメイドにきつく締められる官能的なシーンである。 この行為はザック・ブラフの作品で繰り返され、グレタ・ガーウィグの作品で、ティモシー・シャラメによってその紐が緩やかに解かれる。 こうした個々の作品単位ではなく、フィルモグラフィーを通した繋がりが生まれるのは、ほとんど運命的なことに思える。

次の

『サスペリア』ダコタ・ジョンソン、『ミッドサマー』フローレンス・ピュー主演映画に出演交渉中 ─ シャイア・ラブーフと再タッグなるか

フローレンス ピュー

生い立ち [ ] のので生まれる。 父親はレストランの店主、母親はダンサーでダンスの先生。 兄のセバスチャン・ピュー(トビー・セバスチャン)は俳優、ミュージシャン。 また姉妹のアラベラとラファエラがいる。 オックスフォードシャーとで育つ。 幼少期にのソトグランデに居住し、それからオックスフォードシャーにあるウィッチウッド・スクールやセント・エドワーズ・スクールで学ぶ。 キャリア [ ] 2014年のミステリー映画『 The Falling』でデビューを果たす。 それから主人公キャサリン・レスターを演じた2016年のイギリス映画『 Lady Macbeth』で批評家から高く評価され複数の賞を受賞した。 14世紀を舞台にした2018年の映画『』にやらと重要な役で共演する。 そして同年公開の主演のアクション映画『』の出演を経て 、ホラー映画『』で主人公アンジェラを演じる。 2018年、BBCのテレビシリーズ『』で主人公のチャーリーを演じた。 米国小説家の小説『』を原作とした監督の2019年公開映画『』に、、、と共演して、エイミー役を演じ、第92回にノミネートされた。

次の