52歳。 東京都出身。 スポニチ本紙の取材では1月末に他界。 詳しい死因などは明らかになっていないが、昨年から闘病していたという。 アイドルアナの先駆者らしく病気を公表せず、最後まで笑顔でテレビに出続けた。 あまりに早い旅立ちだった。 有賀さんは4日未明の日本テレビの通販番組「日テレポシュレ」にも昨年収録済みの映像で出演していただけに、衝撃は大きい。 昨年10月、テレビ朝日「あいつ今何してる?」に都立九段高の同級生らと出演した際には、いつもと変わらない明るい表情を見せていたものの、青春時代を懐かしんで涙するシーンも。 親友だった同級生に「アリ、頑張ってね」と言葉をかけられた時、歩んできた人生の思いが交錯したのか、人目をはばからず、大粒の涙を流していた。 本紙の取材では、 有賀さんは先月末に亡くなった。 死因や葬儀日程など詳細は明らかになっていないが、元夫でフジテレビ解説委員を務めた和田圭氏(65)には訃報が伝えられている。 有賀さんは九段高校時代から、1メートル70の長身と持ち前の美貌で、同級生が「他校から見に来る生徒がいた」と伝説を語るほどのマドンナ的存在だった。 88年にフジテレビ入社。 同期の河野景子(53)、八木亜希子(52)両アナウンサー(当時)とともに「花の三人娘」と呼ばれた。 中でも有賀さんはアイドルアナの先駆けとなった。 華やかなルックスだけでなく、当時絶好調だったフジが掲げた「楽しくなければテレビじゃない」を体現するチャーミングな言動で絶大な支持を得た。 女子アナのタレント化は民放全体に広がっていった。 電撃退社もいまや伝説。 92年にわずか4年でフジテレビを去り、フリーに転身。 いきなりテレビ朝日の看板番組「ミュージックステーション」でサブ司会を務めるなど、フリーになった女子アナが芸能界でも活躍できる道を開いた。 私生活でも奔放さを見せた。 95年に芸能事務所社長との不倫が発覚。 会見で「ご家庭があって申し訳ないという気持ち以上にどうしようもない愛を感じる」と発言し世間の注目を集めた。 その後02年にかつて上司だった和田氏と結婚、同11月には長女をもうけるが06年に離婚。 「夫婦だったけど上司だった」「彼とは言語が違った」の率直な言葉でまたも世間の度肝を抜いた。 突然の悲報も衝撃。 最後まで人々を驚かせる華やかな人生だった。 5歳から8歳まで米ニューヨークで育つ。 フェリス女学院1年時の84年に、文化放送「ミスDJリクエストパレード」に出演し、放送業界に関わる。 漢検準1級などの資格を持ち、昨年7月のフジテレビ「ネプリーグ」で「喇叭(らっぱ)」という漢字を正確に書いてみせた。 2018年2月5日 05:35 スポニチ.
次の元フジテレビアナウンサーの有賀さつき(ありが・さつき)さんが死去していたことが4日、分かった。 52歳。 スポニチ本紙の取材では1月末に他界。 詳しい死因などは明らかになっていないが、昨年から闘病していたという。 訃報を受け、5日放送のフジテレビ「とくダネ!」(月〜金曜後8・00)では小倉智昭キャスター(70)らが早すぎる死を悼んだ。 小倉キャスターは「何度か仕事でご一緒していますが、ただ、あまりにも若すぎる。 進行性の病気だったんでしょうかね」。 有賀さんより1期先輩の笠井信輔アナウンサー(54)は「VTR見ても、新聞を見ても信じられません」と突然の訃報に肩を落とした。 番組に電話出演した芸能リポーターの前田忠明氏(76)は、元夫でフジテレビ解説委員を務めた和田圭氏(65)とメールのやり取りをしたとし、「今朝、亡くなったことは間違いないという返事が来ました」。 死因については「私のほうからは言えない」とし、「きょう(5日)の午後、親族の方から発表があります」と伝えられたという。 番組では、06年6月の離婚会見の模様を紹介。 小倉キャスターは「訃報があまりにも急だったものですから、有賀さんの出演番組はフジテレビにはいっぱいあるはずなんですけど、こういう離婚の会見の模様しか出せなかったのは残念」。 笠井アナは「ただ、ここでの笑顔と話しぶりはさつきさんらしいなと思う」とフォローを入れた。
次の元フジテレビアナウンサー 有賀 さつき さん死去 2018年(平成30年)1月30日 死去 享年52歳• 元フジテレビアナウンサー 有賀 さつき さん死去 タレントで元フジテレビアナウンサーの 有賀 さつき(ありが さつき)さんが2018年(平成30年)1月30日、病気のため東京都港区の山王病院で死去した。 52歳だった。 死因など詳細は不明。 1988年(昭和63年)フジテレビに入社。 同期入社の河野景子、八木亜希子とともに「花の3人娘」と呼ばれた。 1992年にフジテレビ退社。 2002年にフジテレビ解説委員の和田圭氏と結婚するも2006年に離婚。 タレントとして活動を再開していた。 また、14歳の一人娘をシングルマザーとして育てていた。 2016年頃から体調を崩し気味だったといい、この1、2年はかなり痩せていたという。 (東京都で育つ) タレント、元フジテレビアナウンサー。 大学講師。 卒業後、フジテレビに入社。 同期の女性アナウンサー2人(河野景子、八木亜希子)とともに「花の三人娘」と呼ばれ、女子アナブームの全盛期を飾った。 フランスの料理学校「Le Cordon Bleu(ル・コルドン・ブルー)」代官山校・菓子本科を修了。 また、日本料理専門の料理教室で「近茶流懐石料理」本科を修了している。 所持資格は、漢字検定準1級、英語検定準1級、TOEIC930点、小型船舶操縦士2級、モータースポーツライセンス(国内A級ライセンス)、JAAアロマコーディネーターなど多数。 2002年3月、会社の上司であるフジテレビ解説委員の和田圭と結婚。 2002年11月に一女を儲けるが、2006年5月に離婚。 2016年頃から体調を崩し気味だったといい、この1、2年はかなり痩せていたという。 2018年1月30日に東京都港区の山王病院で死去。 52歳没。 実父によれば、1月半ばより入院加療していたが、1月30日8時過ぎに病院からの連絡で娘の死を伝えられたことを明かしている。 正式な死因については有賀本人の意思により非公表とされた。 特記事項 父親の転勤によって、5~8歳までニューヨークに住んでいた帰国子女であり、英語は得意。 晩年は母校でもあるフェリス女学院大学で、アナウンス講座を受け持っていた。
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