遜色ない 意味。 「遜色ない」とは?意味や使い方を例文を含めてご紹介

遜色がない【そんしょくがない】の名前の由来とは?|名前の由来語源なら《ユライカ》

遜色ない 意味

「遜色ない」の意味とは? 「遜色ない」の類語や言い換え• 「遜色ない」の使い方• 「遜色ない」を使った例文• 「遜色」の語源や漢字から解説• 「遜色ない」の対義語・反対語 「遜色ない」の意味とは? 「遜色ない」という言葉は、 「色々な事象や物事などと比較して、同じ程度やレベルの状態であること」を意味している言葉になります。 この言葉の中には、複雑なニュアンスを含んでいるケースもありまます。 「遜色ない」という言葉をシンプルに理解するならば、何かと比べて 「見劣りしない様子」や、 「対抗できる能力や機能がある様子」を意味しています。 対象となる物と比較対象がほぼ同程度であったり、同じような力・能力を発揮する力があるという、どちらかと言うと、肯定的な意味合いで使われることが多い言葉なのです。 「遜色ない」のと 「ない」いう否定の言葉が使われていることから、言葉の語句だけを見ると、一見、否定的な意味を持ったり、マイナスで消極的なネガティブな言葉のようにも思われるかもしれません。 しかし、そのように感じることはなく、悪い意味よりは、むしろ良いニュアンスで使われるケースがほとんどなので、ビジネスで多用できる言葉として、認識しておくことで、とても便利な使い方ができます。 「肩を並べる」 「比肩する」とも言い換えることができる 「肩を並べる」。 この言葉は、肩と言う文字を使った表現きなっています。 「肩を並べる」もまた 「遜色ない」と同じく 「比較する対象と同じレベルにある」という意味を持っています。 例文としては 「今では、彼は全生と肩を並べるほどに腕をあげました」 「長年、努力したおかげで、ライバルの彼と肩を並べるまでになることができた」 というような使い方ができます。 このように 「同レベルにある」ことを表しているだけではなく、 「それまで優勢な立場にあったものの、先行するものに後から追いついた」という状況を表す時にも、使われるケースがありますので、この表現の使い方については、文脈を理解しながら使えるようにすることが必要です。 「負けず劣らず」 「負けず劣らず」も、 「同程度である」ということを表現する時に見ることができます。 この 「負けず劣らず」という表現を使う場合でも、 「互いに優劣が付けにくい状態」を表しており、全くイコールとなる近い状態で使うなら、この表現がより適切な使い方になるでしょう。 ただ、注意しなければいけないのは、似た感覚の言葉で 「勝るとも劣らない」という言葉があることです。 これは 「少なくとも劣っていることはない」という意味や状況を示している言葉で、あえて言うならば、優れている場合に使うということなってきます。 「遜色ない」と同じ意味で使うことは適さない言葉なので、混同してしまうことに注意が必要です。 icon まとめ この言葉には、直接的な意味だけでなくニュアンスも含んだ複雑な日本語であることは言うまでもありません。 使い方が非常に難しい言葉なので、何かと比較する場合について述べる時は、ひとつの表現に縛られずに、他の類語や言い方も使いわけながら、適切な表現を選ぶと、さらに言葉の厚みを増して来ます。 日本語には、色々な言葉や類義語がありますが、このような言葉を理解していくことで、仕事の相互理解を深めたり、より円滑なコミュニケーションを充実させることができるようになってきます。 そのために、言葉の意味をしっかりと理解することがとても大切です。 そうすることで、日本語の使い方もとてもおもしろくなってきて、さらに会話が弾んで来ることでしょう。

次の

【遜色ない】の例文集・使い方辞典

遜色ない 意味

「遜色ない」の使い方について 角田光代さんの文章(文芸春秋3月特別号 我が街、私の味)で、次のような文に出合いました。 他の町の速度にびっくりするように、ほかの町の飲食店に入って途方に暮れることも、私には多い。 店構えが重厚、料理も立派な値段だが、店員が若いアルバイトでお酒をこぼしたりへんな言葉遣いをしたりする。 メニュウにやたら「こだわり」だの「厳選」だのという言葉が羅列されているが、チェーン店の居酒屋料理と遜色ないものが出たりする。 この文の最後のところなのですが、「遜色ない」の使い方に違和感を覚えました。 今まで「遜色ない」は何か格下であるものや劣ると思われているものが、それよりよいと認められているものに比べて同等くらいである場合に使うと思っていました。 「チェーン店の居酒屋料理」の方が明らかに劣るものでしょうが、それと比べて「遜色ない」とは・・・ 私の方が間違っていて、こんな使い方もあるのでしょうか?今まで見たことはないのですが・・・作家の文章ですし、間違いがあるとは考えにくいのですが、どなたかご意見をお願いします。 投稿日時 - 2006-04-02 23:25:33 誤用です。 質問者さまにお考え違いがあるとすれば、作家ならこんな言葉で躓くようなことはない、などと買いかぶりが過ぎることでしょう。 この引用文は一字一句正確に写されているのでしょうか。 いろいろと引っかかるところがありますが。 私はかつては大の外食好きであったし、生来の酒呑みでもありますが、こんな経験は一度もしたことがありません。 だって容器をひっくり返さないと「お酒」はこぼれませんもん。 まさかお酌の仕損ないのことじゃありますまい。 (「お酒」じゃなくて「葡萄酒」ならちょっと話はべつだけど。 注いだあとに布巾で瓶の口を拭うのを怠るギャルソンは咎むべきかもしれません。 居酒屋の料理を馬鹿にするな。 これはノンベエの神経を逆なでする心ない言い方です。 チェーンと個人経営の居酒屋をいっしょくたにされては堪らない、そんな人に味を云々されたくない、となります。 よって短く言いたければ「に」で受けるほうがましでは? でもテニヲハってやつは厄介で、なかなか単純な理屈は通用せず、錯誤のように思っても探してみるとそういう用例がごろごろ出てきたりするのでこれはちょっと疑問ありって感じで申すまでですが。 といった按配で今日びの小説家輩の作文などアラを探して言い立てればきりがないくらいのものです。 昔の人なら、たとえば太宰なんて人間としては最低だし、書く内容もつねにいたって下劣だったけれど、言葉の使い方はきわめて正確かつ緻密なるを生涯貫き、こんなふうに素人にたやすく指をさされるような失策は一つとして残していませんがね。 余計なお節介かもしれませんが質問者さまにきっとうってつけと思われる本があるので御紹介しておきましょう。 言葉の規則の破りかた、すなわち例えば迷惑なときに有り難いことだなんて真逆を言う「皮肉」なるレトリックもそうですが、そういうルールの踏み外しかたにもまた厳然たるルールが現れる、という話が学者には稀有なる名文によって説かれます。 参考URL: 投稿日時 - 2006-04-03 16:37:03 そうですね、「チェーン店の居酒屋料理」には私もひっかりかりを感じました。 まるで居酒屋料理がバカにされているようで・・・普通の感覚なら「居酒屋チェーン店の料理」とするのが正しいですよね。 ご紹介いただいた本の著者ですが、佐藤信夫とは佐藤春夫のご子息でしょうか? 太宰作品は余り好きではなくて、少ししか読んでいませんが、太田治子さんの書かれたものを読んで、太宰の人間性に憤りを感じていました(別に父親をなじっていたわけでは全くありません。 母子家庭の長年の苦労を書いていらっしゃいました)。 人間的にどうであれ、文章修行はしっかりした作家だったのですね。 たくさんの方からいろいろなご意見をいただき、本当に興味深く読ませていただきました。 ありがとうございました。 この場をお借りしてお礼申し上げます。 投稿日時 - 2006-04-03 20:29:04 詳しい解説を有難うございます。 すみません、引用にあたって「ほかの町の速度」とあるのをうっかり「他の町」と写し間違えてしまいました。 他はすべて原文通りです。 そうですね。 作家ともあろう人が・・・という買いかぶり的前提が間違っているのかもしれませんね。 確かに言われてみれば助詞の使い方、句読点の打ち方などにも違和感を覚えますし、文章として何だかあまり自然ではないと感じる点もあります。 この人の作品は読んだことがないのでどの程度の作家かわかりませんが、家人の言ったことが案外的を射ているのかもしれません。 科学読み物しか読まない理系人間の言うことだからと思っていましたが・・・曰く「どうせこの頃の流行作家なんだろ?ろくに言葉の使い方を知らないんじゃないのか?」 ご紹介の本を是非探して読んでみます。 追求癖に駆り立てられて・・・ 投稿日時 - 2006-04-03 17:26:35 明らかに誤りです。 2さんの言われているとおり、「劣らない」という意味を「同等である」「違いがない」という意味に履き違えているのでしょう。 遜色の遜という字は謙遜するというときの遜と同じ意味で、人より劣る・おくれる、という意味です。 両者の違いは前者が価値の高いものとくらべるものであるのに対し、後者は高いものとも低いものともくらべることにあります。 普通、XX高校のピッチャーは松坂にも劣らない球を投げる、と言うことがあっても、松坂はXX高校のピッチャーにも劣らない、とは言いません。 この「劣らない」部分を「遜色ない」に変えてみればわかることでしょう。 「優れてはいない」や「同じくらい」であれば低レベルのものと比較する意味があります。 劣らないと思われるものを劣ると思われているものとくらべて、劣らないといっても わかりづらい 皮肉にしかなりません。 ま、質問者さんのおっしゃっているとおりなんですが…、直木賞作家でも勘違いしていることはあるってことです。 また、皮肉という解釈も、文脈からは苦しいものがあると思われます。 もし皮肉のつもりだとしたら、それなりにはっきりと読者にわかるように強調すべきでしょう。 角田さんの書き方であれば、誤りととられてもしかたがないものと思われます。 -- 7さんのご説明以上のことは言えませんが、1票いれるつもりで書いたものです。 投稿日時 - 2006-04-03 17:05:36 「皮肉という解釈も、文脈からは苦しいものがあると思われます。 もし皮肉のつもりだとしたら、それなりにはっきりと読者にわかるように強調すべきでしょう」 私もそう思います。 本当のところは著者に尋ねるしかないのでしょうが、皮肉だとしても何だか読者を愚弄しているような気もしてきて、気分がよくありません。 作家の気取りも多少感じられる文章ですが、エッセイでもあることですし、(間違いでないとしたら)はっきり万人にわかるような文章を書くべきだと思います。 レトリックを弄したかったのかもしれませんが・・・ 若手の作家の作品を読む気がしないのは内容もさることながら、文章に何となく違和感を覚えることが多いこともあります。 現代では感覚的な文がもてはやされて自分がその感覚についていけないからかしらとも思っていますが・・・ 自分の読解力に非があるわけではなさそう?で、ちょっと ほっとしています。 有難うございました。 投稿日時 - 2006-04-03 20:26:39 #5です。 もう少し補足させてください。 『メニュウにやたら「こだわり」だの「厳選」だのという言葉が羅列されているが、チェーン店の居酒屋料理と遜色ないものが出たりする。 』 この文の【羅列されているが】の「が」は明らかな逆接でしょう。 ということは、 『「こだわり」だの「厳選」だのという言葉』と、 『遜色ないもの』ということは逆の意味でなければなりません。 つまり、この原文では『遜色ないもの』という言葉を『大したことのないもの』という意味で使っていることになります。 ところが、『遜色ないもの』とは、比較して「大したことのあるもの、あるいは同等のもの」を指すわけですから、明らかな誤用ということになります。 また、作者は誤用に気付かずにこの言葉を使っているわけですが、【羅列されているが】という部分の逆接までも誤用しているわけではありません。 ですから、「チェーン店の居酒屋料理と遜色ないもの」とはあくまで「大したことないもの」を指していることも明らかであって、この意味で、作者は決してチェーン店の料理を高く評価しているわけではないということも確認できるはずです。 投稿日時 - 2006-04-03 14:39:20 何度も有難うございます。 色々指摘を受けてなるほど、私の読解力に問題があるのかと思いもしましたが、やはり一般人の言語感覚としては「えっ!」と思ってしまうのが普通ではないかと思います。 おっしゃるように「が」という逆接の用法を考えてもやはり誤用では?と思います。 作家でも誤用をすることがあるのでしょうかね。 本当のところは著者に尋ねてみるしかありませんが、この論争を文芸春秋に持ち込んで相手にしてもらえるでしょうか。 小さなことですが、白黒つけないとやはりすっきりしないのですが・・・些細なことですが、真実を追究したいという性が首をもたげてきたようです。 投稿日時 - 2006-04-03 17:06:14 これは間違いではありません。 そして、皮肉的な使い方でもありません。 角田氏は、「ほかの町の飲食店」を以下のように評価してます。 (実体は伴っていない) すなわち、同氏は「ほかの町の飲食店」に最低の評価を下しているのです。 その最低の飲食店が出す料理は、チェーン店の居酒屋料理とほぼ同程度の、決して食べられないような料理ではないものを出してくると書いているのです。 これは、「チェーン店の居酒屋料理」を軽く見ている読者(あなたも含めて)が、文中の「こだわり」とか「厳選」とかの言葉が羅列されているという記述に惑わされた結果の判断ミスなのではないでしょうか。 もう一度良~く読んでみると、如何に角田氏が「よその町の飲食店」に低評価を与えているのかが判ります。 投稿日時 - 2006-04-03 13:56:19 明らかな誤用と考えるべきでしょう。 ご本人が誤って覚えているのだろうと思います。 ですから、作者がどういうつもりで使ったかということは別問題です。 その上「こだわり」だの「厳選」などと言葉で飾っているが、「軽い・安い」のチェーン店と変わらないものが出てくる、ということを言いたいわけでしょう。 ですから、ここは「遜色ない」ではなく『大差ない』とすべきところです。 作家といえど人間ですから、思い違いはあります。 言語学者ではありません。 多少の間違いがない方が不思議でしょう。 意味は通じるので、こんなところかということで許容範囲ではありますが。 ただ、この「誤用」を正当であるかのように解釈したり、皮肉などと穿った見方をすることは彼女の文学的センスの無さを証明しようとするようなもので、かえって失礼にあたるような気がします。 蛇足ながら、 「~、ほかの町の飲食店に入って途方に暮れることも、【私には多い。 】」 という文章も不自然です。 『ほかの町の飲食店に入って途方に暮れることも、【私は多い。 】』あるいは、 『ほかの町の飲食店に入って途方に暮れることも、【私にはよくある。 】』 とすべきであろうと思います。 したがって、角田は「遜色ない」の使い方くらい当然心得ており、ご質問者は文章の「行間」を読み取れていないのでは、と考えられます。 行間を読まなければ、文章を読解することはできません。 まず、角田はこの文章で、「チェーン店の居酒屋料理」の方が「明らかに劣る」というような通俗的な価値観を、披瀝しているわけではないでしょう。 逆に、チェーン店の居酒屋の方が、ある意味で勝れていることを前提にしている、と読まなければなりません。 そこで行間を読むと、次のようになります。 【読解】 チェーン店と高級店とでは、価値観・方向性が異なる。 両者を比べて、格下とか劣るとかいうのは、凡庸な価値観だ。 私(角田)はチェーン店の価値も認めている。 店員が若いアルバイトで、お酒をこぼしたりへんな言葉遣いをしたりするのも、ご愛嬌というものだ。 その猥雑でエネルギッシュな感じ、ぞんざいな接客、大雑把な料理は、ある意味でチェーン店の居酒屋の持ち味とも言えよう。 一方、料亭・割烹・料理屋は、メニュウにやたら「こだわり」だの「厳選」だのという言葉を羅列しない。 その種の店では、こだわって厳選するのが当たり前だからだ。 店構えからして重厚、値段も立派である。 その代わりと言っては何だが、チェーン店の居酒屋のように粗略でざっくばらんな雰囲気はない。 要するに、各自なすべきことをなせばよいのである。 チェーン店はチェーン店の流儀で栄えるべきだし、高級店は高級店の役割を果たすべきだ。 ところが、店構えが重厚、料理も立派な値段であるにもかかわらず、ぞんざいな接客、大雑把な料理という、「チェーン店の方向性で突き進んでいる」、「チェーン店の持ち味を遺憾なく発揮している」店がある。 これでは詐欺だ。 そんなことなら、最初からチェーン店に行ってるちゅうねん。 【結論】 ご質問者の(辞書的)知識は間違っていません。 しかし、失礼ながら行間を読み取る読解力が不足しているかも知れません。 作家ともあろう人は、「チェーン店の居酒屋料理の方が明らかに劣る」というような凡庸な価値観を、わざわざ披瀝しないでしょう。 別の価値観を前提に、エッセーを書いているのです。 だからこそ、読む価値があるとも言えます。 投稿日時 - 2006-04-03 04:24:34.

次の

「相違」の意味とビジネスでの「相違ない」の使い方、敬語、英語表現

遜色ない 意味

「遜色ない」の意味とは? 「遜色ない」の意味は「引けを取らない」 「遜色ない(そんしょくない)」とは「引けを取らないこと」「見劣りしないこと」を意味する言葉です。 「他と比較して劣っていること」を意味する「遜色」を、「ない」で否定しているため「引けを取らない」という意味で使われます。 「遜色ない」の使い方と例文 「遜色ない」は褒め言葉として使われる 「遜色ない」は褒め言葉として使われます。 格上のものと比較する状況で使うため、明らかに自分よりも下の相手へは使用されません。 対象と比較して同程度または、対抗できるものの少し劣っている状況で使用しましょう。 やはり先輩の歌声は、プロと比較しても遜色ありませんね• 大手のA社と比較しても、品質にはなんら遜色ありません 「謙遜ない」は誤用であるため注意 「遜色ない」の間違った使い方には「謙遜ない」があります。 「謙遜ない」は「謙遜しない」と「遜色ない」が混ざった表現で、誤用となります。 「謙遜」と「遜色」にはどちらも「遜」という漢字が使われていますが、「謙遜」は「へりくだること」を意味するため混同しないようにしましょう。 「遜色ない」を使った例文• 最近の即席麺はお店で出されるものと遜色ない• デザイン性では劣っていたが、性能としてはなんら遜色なかった• 他の作品と比べて遜色なく、腕を痛めていることなど嘘のようだ• 新品と比べても遜色ない品が、リサイクルショップで手に入った.

次の