柳田歩輝 進路。 高校バレー男子 春高バレー2020の注目選手 スーパーエース・水町泰杜どこまで行けるか|高校生新聞オンライン|高校生活と進路選択を応援するお役立ちメディア

バレー高橋藍の中学、東山高校、大学進路、ハーフ?最高到達点・身長等プロフィールまとめ!

柳田歩輝 進路

Contents• 柳田歩輝 バレー の出身中学はあの名物監督がいる学校だった! 柳田歩輝選手の小学校時代は、東京の名門東金町ビーバーズに所属していて、卒業後は東京都足立区保木間にある足立区立渕江中学校のバレー部で主将を務めていました。 足立区立渕江中学校は、良く考え自ら学ぶ人・正しく判断し実行する人・礼儀正しく情操豊かな人・心身ともに健康な人を目標とし、中でもバレー部は関東大会で好成績を収め、全国大会では優勝し18000校の頂点に立つほどの強豪です。 足立区立渕江中学校の部活動を調べたところ保護者の方達からの口コミはバレー部が殆どで一部を紹介しますと、 「男子バレー部は練習は毎日あり、休みは1年間で限られた数しかありません」 「全国大会に出場するほど強いです」 「高校生と紅白戦を行うレベル」 「名物顧問がいるのも強豪と言われる理由です」 「顧問の方が有名らしく他の県から越境入学して来る子達もいます」 「高校へはスポーツ推薦で決まっている人が多い」 などがあり、柳田歩輝選手は本当にバレーの強豪校で主将を務めていた事が分かります。 中学時代の成績はJOC東京選抜で準優勝していますので、松本国際高校へ入学した経緯は分かっていませんが、スポーツ推薦だったのかもしれません。 名物顧問というのはバレー部の日笠智之監督の事です。 日笠智之監督は、4度の日本一にチームを導いた中学バレーボール界のカリスマ指導者と言われており、全日本中学選抜監督・日本中学校体育連盟バレーボール競技部強化委員会男子副強化委員長を努めていて、優秀監督賞を受賞されている方です。 また「ジュニア期の指導に携わる指導者が子供達とどう向き合うべきかについて」の講演会もされた事のある方です。 柳田歩輝選手がインターハイで優勝した時「応援有難うございました!帰省はほぼ無いんで、日笠先生に挨拶だけします」とツィートされています。 柳田歩輝 バレー の身長・ 体重は?牛若丸と呼ばれる理由 柳田歩輝選手の身長は184cmで、 体重は不明です。 柳田歩輝選手はインターハイの男子決勝戦で37得点の大活躍をし、ベスト6に選ばれている選手です。 柳田歩輝選手は「牛若丸」というあだ名で呼ばれていますが、これは、中学校3年生の関東大会のプログラムで垂直跳び88cmと言う記録を出すほどの跳躍力がある事、最高到達点が345cmで2019年高校生の最高到達点ランキングでは1位に輝いている事、スパイクをした時の空中姿勢・スピード・滞空時間が他の選手よりも優れていた事から名付けられたようです。 [k] 柳田歩輝 バレー の名前の読み方は?兄弟はいるの? 柳田歩輝選手の名前の読み方は、やなぎだいぶきです。 調べてみましたが、名前の由来などは分かりませんでした。 柳田歩輝選手には姉が2人いて、姉の名前も読み方が難しいです。 長女・倉嶋(旧姓・柳田)美空(みはる)選手は、ロシア・ノヴォシビルスクで開かれた男女混合6人制バレーボールの世界大会で旦那の倉嶋皇平さんと共に出場し初優勝を果たしています。 長女・倉嶋美空さんは駿台学園中学校時代に都大会3冠、愛知県豊橋中央高校時代はインターハイなどに出場した実績があります。 現在は、須坂双葉幼稚園で教諭を務めながら東京の社会人女子チームで活躍しています。 次女・柳田光綺(みずき)選手(1993年3月26日生)は文京学院大学女子校卒業後に、V. LEAGUE Division1女子のNECレッドロケッツに所属しアウトサイドヒッターで入部4年目で新主将に就任しています。 眠い、寒い、やだー、と言いながらついてきてくれるなんだかんだ優しい弟。 姉はバイトのため爆睡。 本日も仲良しな3姉弟です 笑 」 「11. 27 歩輝。 お誕生日おめでとう。 しばらく会わない内に、 ちっちゃくて可愛かった面影がなくなって男くさくなりましたね。 お互い負けずに頑張るぞ~」 とツィートしており、姉についても「お姉ちゃんの結婚式がありました * 始まりから終わりまで、 笑顔の絶えない本当に素敵な結婚式でした。 真っ直ぐで優しいお姉ちゃん。 私の1番の味方」とツィートし姉弟との仲の良さを伝えています。 柳田歩輝選手の姉弟は全員バレーボール選手なのですね。 お孫さんたちの素晴らしい大活躍に種子島に住む祖父母も喜んでいる様子です。 柳田歩輝 バレー が激励に行った高校とは? 2020年2月1日文京学院大学女子校に、上野香織選手と柳田光綺選手(NECレッドロケッツ)田原愛里選手(DENSOエアリービーズ)がVリーグDIVISION1シーズンを終了した報告を兼ねて、新人大会に向け練習に励む高校生の元に激励に来たそうです。 その時に一緒にいたのが、柳田光綺選手の弟・柳田歩輝選手でした。 姉・柳田光綺選手の母校である文京学院大学女子校に、インターハイ全国優勝、春の高校バレーで3位という成績を収めた松本国際高校の主将でエースの柳田歩輝選手が来た事で高校生は喜んだそうです。 柳田歩輝 バレー のキャラが素敵! 1月11日第72回全日本バレーボール高等学校選手権(春高バレー)で長野県代表松本国際高校と京都府代表東山高校の準決勝が行われ、松本国際高校は強豪相手にストレートで敗退しました。 この準決勝の前と試合後の柳田歩輝選手のインタビューが話題となっています。 準決勝前に松本国際高校の柳田歩輝選手と東山高校の高橋藍選手と言うチームの主将でスーパーエースの2人が 柳田歩輝選手「このイケメンな彼を全部止めて行きたいと思います」 高橋藍選手 「いや、俺が止めます」 と言う漫才コンビの様な掛け合いを見せている動画があります。 これを見た春高バレーファンからは「柳田と高橋なんて令和のイケメンコンビ」「リハーサルしてるのが可愛い」「仲が良さそう」「柳田って三浦春馬に似てる」などの声が上がりました。 また試合後のインタビューで柳田歩輝選手は 「今まで3年間やってきた力とかは…作れてなかった、自分達の甘さが東山より劣ってた。 あそこまで差が開いて負けると思ってなかったし、最後まで攻めにいったけど、でも負けて…センターコートで高橋(藍)君とやりあえて嬉しかった。 凄い楽しかったです。 負けた瞬間も悔しくない訳じゃないですけど自分らしくプレーした結果。 良い試合が出来たなと言う気はします。 次の決勝は勝てよ、頑張ってと高橋(藍)君に声をかけました」 と、涙ながらも充実した表情で語りました。 このインタビューを見ていた方達からは、「俺様キャラだと思ってたけど全然違う!謙虚な人」「控えめで素直な好青年」「柳田歩輝選手の人間性の高さを育てたのは、渕江中学校の日笠先生の影響」「春高の試合では、松本国際と東山高校の試合が1番レベルが高かった」など柳田歩輝選手の性格が大評判となっています。 柳田歩輝 バレー は進学予定? 春高バレー準決勝後のインタビューで柳田歩輝選手は今後の進路について、「」と語っています。 また「大学で活躍してレギュラーでいさせて貰ったら嬉しいですけど、その前に(筑波大学では)1年生として人間としても見直しして行きたいと思っています」と清清しい表情で話しました。 茨城県つくば市天王台にある筑波大学の校章は「五三の桐葉型」です。 北信越の牛若丸から、桐の葉を背負った牛若丸へ、大学4年間で柳田歩輝選手がどれだけ成長するのか、プロの選手になるのか、今後が楽しみです。 柳田歩輝 バレー のプロフィール 名 前 柳田歩輝 やなぎだいぶき 生年月日 2001年11月27日 出身地 東京都葛飾区 学 歴 足立区立渕江中学校 松本国際高校 2020年春筑波大学進学予定 身長・体重 184センチ・非公表 趣 味 Perfumeの音楽 所 属 松本国際高校バレー部主将 2017年 インターハイ出場、春の高校バレー出場 2018年 福井国体3位、インターハイ出場、春の高校バレー出場 2019年 春の高校バレーベスト8、インターハイ(南部九州)優勝 2020年 春の高校バレー3位 柳田歩輝 バレー 出身中学はどこ?身長体重名前読み方を調査まとめ 柳田歩輝(やなぎだいぶき)選手は東京都足立区立渕江中学校の出身です。 身長は184cmですが、体重は非公開になっています。 渕江中学校と松本国際高校と言うバレーの強豪校で主将を務めたエースは、大学進学後の活躍にも既に注目が集っています。

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松本国際バレー部2020のメンバー一覧&出身中学!気になる進路もチェック!

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春の高校バレー 春高バレー :2020年有名校や選手の進路 男子では春高でベスト8には入った選手、個人として注目された選手でも高卒でVリーグへ進むケースはほとんどないようです。 大学へ進学が多いようですが、上位リーグでもバレー選手として優位にやっていける可能性の高い選手以外は、バレーボールとは違う道を選ぶケースも少なからずあるようです。 地域や学校にもよりますが、データ集計していた感覚として、春高の注目校の男子で1~2割、女子で2~3割程度(?)が新しい道を選んでいるかもしれません。 女子選手は注目度が高い選手ほどVリーグや実業団(9人制を含む)へ進むケースも多く見られます。 また、関東の大学へ進学する傾向が強い男子と比べて、女子選手は出身に近い地方大学への進学割合が高そうです。 以下ではインカレで上位に入る等、伝統的にバレーボールが強い大学を中心とした【進路別】と【出身高校別】にまとめています。 OH:アウトサイドヒッター• MB:ミドルブロッカー• OP:オポジット• S:セッター• L:リベロ• RS:リリーフサーバー• R:レシーバー [進路先別]男子高校バレー選手の進路(関東の大学)• 早稲田大学 駿台MB 伊藤吏玖 鎮西OH 水町泰杜 鎮西L 荒尾怜音 清水桜が丘OH 山田大貴• 明治大学 松本国際OP 林秀海 松本国際L 武田大周 清風OP 工藤有史 清風OH 西﨑康真 札幌藻岩OH 澤口将太郎 清水桜が丘MB 望月太一朗 洛南MB溝 溝井健太 都城工OH 黒木奨輝• 日本大学 駿台OH 高橋真輝 駿台OH 横山翔大 東福岡OH 松岡拓弥 清風OP 森垣陸 西原OP 仲村英治 土浦日大高OH 立原佑都 富山一S 三村倖生• 筑波大学 松本国際OH 柳田歩輝 埼玉栄OH 橋本岳人 埼玉栄OH 砂川裕次郎• 中央大学 愛工大名電RS 鈴木駿太 北嵯峨OH 藤原直也• 駒澤大学 駿台S 坂本雄飛 福井工大附福井MB 菅沼海成• 法政大学 清風L 本圖宏基 不来方S 中田拓斗• 慶應義塾大学 清風S 大槻晟己 九州産大附OP 松本喜輝• 国士館大学 松本国際MB 鶴田楓 東福岡S 服部湧貴 清風L 森脇成功 県立伊勢崎MB 佐藤龍世• 中央学院大学 東山MB 中沢哉太 駿台R 武田蓮• 立教大学 駿台MB 伊藤太一 スポンサーリンク [進路先別]男子高校バレー選手の進路(関東以外の大学)• 岐阜協立大学 西原RS 嶺井隼 愛工大名電OH 柳田拓実• 大同大学 松本国際MB 淺井基貴• 中京大学 清風MB 山本航世 愛工大名電S 工藤峻平• 名城大学 東福岡OH 藤武弘 西原MB 照屋良和 愛知産大工MB 里陣之輔• 天理大学 東山S 中島健斗 東山OH 金子歩嵩• 立命館大学 東福岡OH 多田幸太郎 福井工大附福井S 若泉康喜• 大阪体育大学 鎮西MB 榮温輝• びわこ成蹊スポーツ大学 東山MB 藤原知樹• 関西学院大学 清風MB 久永昌幸• 関西大学 清風OH 金子玄 関西大附MB 丸尾翔太 新田OH 後藤陸翔• 関西福祉大学 東山MB 岸那央斗• 東亜大学(山口県) 東福岡L 内本歩夢 東福岡S 向野修一郎 大村工業OH 大塚大士朗 瀬戸内OP 花井俊介• 福山平成大学(広島県) 東福岡S 廣田大騎 東福岡MB 相坂幸輝 西原L 新垣旭• 九州共立大学 西原MB 庄島ジェイソン新時 鎮西OH 松岡弦 鎮西OH 蓑田慶仁 西原RS 比嘉聖也• 九州産大学 鹿児島高校R 濵村直哉• 熊本学園大学 鹿児島高校M 松山永汰• 福岡大学 西原RS 福里尊生 鹿児島高校MB 山元翔太朗 スポンサーリンク [出身校別]男子高校バレー選手の進路例• 東山高校(京都) 日本体育大 高橋藍 、天理大 中島健斗,金子歩嵩 、中央学院大、京都先端科学大、國學院大、関西福祉大、びわこ成蹊スポーツ大• 駿台学園高校(東京) 早稲田大 伊藤吏玖 、順天堂大 染野輝,森居史和 、専修大、立教大、日本大、日本ウェルネススポーツ専門学校、東京経済大学、駒澤大、中央学院大、日本大• 清風高校(大阪) 明治大 工藤有史,西﨑康真 、中京大、関西大、明治大、慶應義塾大、関西学院大 久永昌幸 、日本大 森垣陸 、国士館大、造幣局、進学、法政大• 東北高校(宮城) 東海大 佐藤隆哉 、国際武道大、東海大 吉田悠真 、日本体育大、東北福祉大、東北学院大• 愛工大名電高校(愛知) 中京大、東京学芸大 長谷川直哉 、朝日大、岐阜協立大、中央大、就職、明治鍼灸医療大• 東福岡高校(福岡) 福山平成大、愛知学院大、立命館大、日本大、名城大、東亜大、国士館大• 鎮西高校(熊本) 早稲田大 水町泰杜,荒尾怜音 、愛知学院大、大阪体育大、九州共立大、三菱電機、自衛隊、九州共立大• 大村工業高校(長崎) 住友精密工業株、愛知学院大、東亜大、住友精密工業株• 西原高校(沖縄) 日本体育大、九州共立大、日本大、名城大、福山平成大、福岡大、陸上自衛隊、岐阜協立大、パシフィックテクノカレッジ学院、沖縄大、アイ・ステーション• 鹿児島商業高校(鹿児島) 日本体育大、日本特殊陶業、福岡大、川北電工、日本製鉄、九州産大、熊本学園大 スポンサーリンク [進路先別]女子高校バレー選手の進路(Vリーグや実業団)• 久光製薬スプリングス 東九州龍谷MB 荒木彩花• JTマーヴェラス 京都橘OH 和田由紀子 八王子実践MB 榊原菜那• 東レアローズ 京都橘S 坂本侑• 日立リヴァーレ 市立船橋S 雑賀恵斗 古川学園MB 上沢沙織 秋田北OH 野中瑠衣• トヨタ車体クインシーズ 九州文化学園MB 稲葉早生• ヴィクトリーナ姫路 下北沢成徳OH 宮地佳乃• JAぎふリオレーナ【V2】 九州文化学園MB 野村美友• 大野石油【V2】 誠英OH佳 濵田彩佳• イビデンレグルス【9人制】 東九州龍谷MB 佐藤華純• デンソーテンレッドフェニックス【9人制】 大阪滝井S 後村侑亜• トヨタ自動車【9人制】 古川学園M 望月咲希• 花王コスメプロダクツ【9人制】 誠英S 前田千夏• 日田検診ホワイトドルフィン【9人制】 東九州龍谷MB 岡部紗弥 東九州龍谷RS 黒岩磨那 東九州龍谷OH 神谷くるみ [進路先別]女子高校バレー選手の進路(大学)• 筑波大学 岡崎学園MB 安田美南 敬愛学園OH 佐藤淑乃 就実MB 大山遼• 順天堂大学 盛岡誠桜S 滝田遥菜• 日本体育大学(日体大) 共栄学園MB 村田果捺 京都橘OH 石倉沙姫• 日本大学 下北沢成徳S 中山茉琳 米沢中央MB 高橋蒼末• 東京女子体育大学 下北沢成徳OH 吉永有希 就実RS 光森有紗• 国士館大学 八王子実践MB 川﨑鈴奈 八王子実践L 阿部明里 東九州龍谷OH 後藤七海• 嘉悦大学 金蘭会S 小池真由• 松蔭大学 古川学園S 小田部鈴 富士見OH 藤村若菜• 青山学院大学 延岡学園OH 北林桃佳• 大東文化大学 旭川実MB ファウラー・サシャ• 神奈川大学 八王子実践MB 安倍真琴 八王子実践S 木下すずな 古川学園RS 山口瑠奈• 桜美林大学 古川学園S 奥村澪• 鈴鹿大学(三重) 共栄学園MB 付欣田 福井工大附福井MB 小嶋薫• 天理大学 京都橘MB 小林和花奈 就実S 別宗光• 芦屋大学 京都橘S 上ノ下まや 京都橘L 伊藤由衣 誠英S 山口明莉• 京都橘大学 近江MB 那須彩香 大阪滝井OP 大江萌佳 京都橘L 桐村波菜• 関西大学 金蘭会S 児玉光涼 就実OH 岡﨑凜華• 大阪国際大学 大阪滝井L 山本若奈 誠英R 藤野未来• びわこ成蹊スポーツ大学(滋賀) 京都橘OH 坂本直依• 広島国際大学 福岡工大附城東S 奥田沙香 福岡工大附城東MB 八波凛音• 中国学園大学 大阪滝井OH 髙柳美里 大阪滝井S 長瀨さや• 九州共立大学 熊本信愛L 原茉奈美 誠英R 松岡芽生• 鹿屋体育大学 熊本信愛MB 楠夕莉乃• 西南学院大学 東九州龍谷MB 古賀結衣• 福岡大学 誠英OH 古谷莉子 福岡工大附城東OH 宮本夢彩 福岡工大附城東OH 大橋花音 九州文化学園S 川副華笑 スポンサーリンク [出身校別]女子高校バレー選手の進路例• 東九州龍谷高校 久光製薬スプリングス 荒木彩花 、東海大 吉田鈴奈 、イビデンレグルス 佐藤華純 、日田検診ホワイトドルフィン、国士館大、九州保健福祉大、西南学院大、大原簿記公務員専門学校• 古川学園高校 日立リヴァーレ 上沢沙織 、トヨタ自動車 9人制 、桜美林大 奥村澪 、松蔭大、神奈川大、一関修紅短大• 共栄学園高校 鈴鹿大 付 欣田 、山梨学院大、中央学院大、東京立正短大、日本体育大、明海大• 八王子実践高校 JTマーヴェラス 榊原菜那 、桐蔭横浜大、国士館大、神奈川大、中央大、東海大、明海大、東北学院大• 下北沢成徳高校 ヴィクトリーナ姫路 宮地佳乃 、東京女子体育大、日本大、立教大• 金蘭会高校 東海大 宮部愛芽世、下野月葉 、嘉悦大 小池真由 、関西大 児玉光涼• 京都橘高校 JTマーヴェラス 和田由紀子 、東レアローズ 坂本侑 、京都橘大、日本体育大 石倉沙姫 、龍谷大、びわこ成蹊スポーツ大、芦屋大、滋賀大、天理大、佛教大• 大阪滝井高校 デンソーテンレッドフェニックス、パナソニック津アドバンス、京都橘大、園田学園女子大、京都華頂大、大阪国際大、和歌山信愛大、中国学園大• 就実高校 筑波大、東京女子体育大、関西大、関西福祉大、神戸親和女台、天理大• 誠英高校 花王コスメプロダクツ 9人制 、大野石油、九州共立大、福岡大、芦屋大、京都女子大、大阪国際大、帝塚山学院大• 熊本信愛高校 パナソニック 9人制 、九州共立大、佐賀女短大、鹿屋体育大 楠夕莉乃 、名古屋学院大• 福岡工大附城東高校 至誠館大、福岡大、千里金蘭大、広島国際大、中京大• 九州文化学園高校 トヨタ車体クインシーズ 稲葉早生 、JAぎふリオレーナ 野村美友 、福岡大• 延岡学園高校 青山学院大 北林桃佳 、東海大 長友真由 春の高校バレー 春高 選手の進路・進学先 まとめ どのような道を歩むにしても、バレーボールにかけた時間や流した汗は、きっとその後の人生の糧となってゆくでしょうね。 当サイトは春高に出場したバレー選手たちのその後を応援しています。 よろしければ、こちらもどうぞ。

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【春高バレー2020】優勝予想と男女の注目選手10人をピックアップ!

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『ジュニアユースでの経験を糧に』 柳田竜成 三郷ジュニアユースで得た経験は自分の土台となっている。 サッカー面はもちろん、人としてあるべき姿を学んだ。 しかし、もっと身につけておけばよかったと思う後悔の部分もある。 ここでは私が何を学んできたか、何を身につけておきたかったか、そして何を伝えたいのかを私の経験のもと、書いていきたい。 私の代を一言で表せば、三郷ジュニアユース陸上部だ。 とにかく走ってきた。 試合に負ければ走りがあり、試合をしていないときもゴール裏を走っていた。 トレーニングでも同じだ。 河川敷グランドの土手を10キロ走る時もあった。 合宿では早朝からコートを回ったり、坂を駆け上がったり、本当に記憶に残っていることは走りが多い。 私の代は身体能力がきわめて低かった。 そのため、担当コーチはほかの代よりも多く走り込ませたのだと思う。 では、この走りから何を学んできたのか。 私がジュニアユースで一番強く学んだことは、仲間とともに壁を乗り越えることだ。 例えば、本数10本というノルマ。 タイムは、ギリギリに設定されている中で誰もが辛い状況にあるはずだ。 その中で、みんなで声を出して盛り上げ、辛そうな人の背中を押して走る。 もしかしたら、もっと強いチームだとこのような光景はないかもしれない。 少なくとも高校(昌平)ではこのようなことはなかった。 走りメニューのノルマは、常にみんなで乗り越えることが求められていた。 自分一人だけでもノルマクリアは嬉しいものであるが、みんなで乗り越えた方が達成感もあるし、何より辛いことが半減された。 そして、小さな力でもみんなが目標に向かって、同じベクトルを向けば大きな力を発揮することができることを知った。 それが実感できたのは、埼玉県クラブユース選手権だ。 私たちは、関東大会はもちろん、高円宮杯の県大会にすら出場することができなかった。 しかし最後の大会である選手権では、チームでベスト8という目標を立てた。 初戦の見沼FCは私たちにとって因縁の相手だった。 その代の見沼は関東大会に出場しており、以前、日本クラブユースでは0-3という完敗を喫していた。 しかし仲間のためにも一日でも多く試合がしたい、そんな想いが勝利につながった。 二回戦ではFCアスミ、三回戦では大宮FCと激戦を繰り広げながらも、全てPKで勝利をつかみ取った。 PKもベンチや保護者が一つになって戦えたような気持ちがしていた。 準々決勝の相手は東松山ペレーニア。 延長までもつれ込む試合をしたが、1-2の惜敗。 私たちはベスト8という目標は達成した。 負けた悔しさと最後の公式戦が終わったと思うと涙があふれたが、それでも今まで走り込んできたこと、仲間と力を合わせてやってきたことが成果となって粘り強い試合ができるようになっていた。 この三年間で多くのことを学んできた。 サッカー選手である前に、人として当たり前のことが当たり前にできること。 その条件があってこそ、サッカー選手として一人前になれるのである。 この部分では、高校に行ったときにとても必要となった。 結果が出ないときにあきらめずにストイックにやりきれるか。 私は、ジュニアユースで培ったメンタルのおかげで高校でもストイックに取り組むことができた。 ジュニアユースの時にもっと身につけておけばよかったなと思うこと それは、サッカーをやるうえで必要な止める、蹴るの技術、そして判断力である。 私が高校時代に一番苦労した部分がこの部分だ。 では、どうすればいいか。 ただ蹴って止める練習をすればいいということではなく、いかに「試合を意識」して取り組めるかだ。 レベルが上がれば上がるほどそれは高いレベルで求められる。 「止める、蹴るの技術が高いほど首を振って情報を得ることができ余裕を持てるので、プレーの幅を広げることができる。 そして、情報量が多ければ多いほど選択肢は増え判断材料となる。 しかし、選択肢は多いといえどもすべて2択、3択の連続だと私は思う。 その中で、その選択肢の中で正解を出し続けるベストな判断をできるか。 また、最悪の判断を回避できるかが重要だ。 しかし、技術が伴わなければ、選択肢の中から消されることもある。 そのため、ジュニアユースでもっと止める、蹴るを磨いておけばやれることが増え、もっと正しい判断ができたはずだと後悔している。 結果がうまく出ないときみんなはどうしているか。 試合に出ることができない時や、勝つことができないなど多くの人が経験したことがあるはずだ。 自分なりに努力してもなかなかうまくいかない。 そのような状況でもみんなには、腐らず、あきらめずに貫いてほしい。 最後に一つ、自分の高校の実体験から伝えたいことを話したい。 私が入った高校はポゼッションサッカーのスタイルであり、止める、蹴るの技術とても必要だった。 さらに私よりもうまい選手は山ほどいて、同学年でプロが二人でるほどのレベルであった。 部員は約180名。 正直、高校では試合に出れないかもしれないと思うこともあった。 高校では、5つのカテゴリーに分かれていた。 上からトップチーム約30名(全学年)、B1約30名(2,3年)、B2約60名(2,3年)、1年A約20名、1年B約40名。 3年生が抜けると、1年AはB1、1年BはB2に合流。 私は最初、1年Aに所属し、それから2年の5月ごろまでB1として頑張ってきた。 トレーニングでは、自分の技術不足でミスを連発しよくはまっていた。 トレーニングでは当たり前だが常に100%で取り組んだが、なかなか結果に表れなかった。 かなり悔しくて辛い時期であった。 しかし、ある日チャンスが訪れる。 2年の5月に、トップチームのサブとB1との紅白戦があった。 私は、B1のスタメンではなかったので、副審をやろうとしていた。 ところが、たまたまトップチームのサブの人数が足りず、急遽トップチームの方で穴埋めとして試合に出ることになった。 これから先、訪れることのない千載一遇のチャンスだと思いいつも以上に全力で取り組んだ。 正直、納得のいくようなプレーはできなかったが、次の日からトップチームに昇格することができた。 やっとスタートラインに立つことができた。 それから時が経ち、新チームになった時スタメンの座を勝ち取ることができた。 何が言いたかったのかというと、「誰にでもチャンスは訪れる」と言うことだ。 しかし、それは腐らずに努力し続けた人のみにチャンスは与えられると私は思っている。 「結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。 決してあきらめない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくる。 」この言葉は、一流メジャーリーガーであるイチロー選手の言葉だ。 この言葉は、私にとって結果が出ない辛い時期に胸に刺さった言葉の一つだ。 ジュニアユース時代にうまくいかないことはあるはず。 それでも、常に全力で努力し続けるからこそ必ず自分が求めていたものが手に入るはずだ。 さらに、手に入れたら新たな目標が見つかるだろう。 この言葉のように、辛い時期をどう乗り越えるか、行動するかがチャンスをつかむきっかけにつながる。 ジュニアユースだけに限らず、これから先いくつもの壁にぶつかるだろう。 それでも、あきらめずに努力し続けてほしい。 ストイックに貫いてほしい。 腐らないでほしい。 みんなにならできるはずだ。 常に高みを目指して、夢に向かって走り続けよう。

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