岸部 四郎。 岸部一徳と岸部シローの見分け方【画像比較!】二人の仲は良かった?

岸部四郎…バブル期の借金地獄から自己破産までの経緯とは?!

岸部 四郎

再結成した「ザ・タイガース」が27日、東京ドームで行ったツアーの最終公演に、元メンバーの岸部シローこと岸部四郎(64)が、サプライズで登場した。 四郎は、左手のひらに黒マジックで「トラブル」と書いて会場のファンに披露した。 脳梗塞で死の淵をさまよった男、四郎は、1998年、多額の借金を背負って、自己破産。 司会を務めていた平日の情報番組「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)を緊急降板するなど、大騒動を起こしていた。 【1998年4月9日付の本紙より】 不渡り手形を出し、日本テレビ系「ルックルックこんにちは」の司会を降板したタレント・岸部四郎(48)の代理人である野間自子弁護士(38)が8日、都内で会見し、岸部は6日に自己破産申請したことを明かした。 同弁護士によると、岸部の負債は約3億6千万円。 債権者は個人、銀行、月利30%のヤミ金融など69社(人)以上に及び、ほかに税金分6千数百万円などがあり、さらに増える可能性もあるという。 同弁護士によると、岸部の借金は昭和62年、前夫人との離婚養育費用として銀行に300万円借りたのが始まり。 自転車操業が続いていたが、昨年4月、連帯保証人を引き受けていた元タイガースの森本太郎氏が自己破産したことで最悪に。 最近は、月収1000万円を超える1200万円を利息返済に充てる状態で、先週末、自己破産を決意したという。 当初、事業の失敗と言われていたが、同弁護士は「彼はタレント以外には何もしていません。 奥さんの経営していた骨董(とう)品店だけ」と否定。 岸部は現在、都内で謹慎中で、弁護士を通じ「状況が落ち着き次第、自分自身で話したい」とメッセージ。 日本テレビに「VTR会見したい」と申し出たが拒否されたといい、同弁護士は「生活を切り詰め、最後まで支払いたいと頑張っていました」と岸部の誠意を強調。 破産が認められ次第、免責も申請予定で「再びタレント活動ができれば」と、話しているという。

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リハビリ中の岸部四郎、兄・一徳が入院費などを負担する

岸部 四郎

再結成した「ザ・タイガース」が27日、東京ドームで行ったツアーの最終公演に、元メンバーの岸部シローこと岸部四郎(64)が、サプライズで登場した。 四郎は、左手のひらに黒マジックで「トラブル」と書いて会場のファンに披露した。 脳梗塞で死の淵をさまよった男、四郎は、1998年、多額の借金を背負って、自己破産。 司会を務めていた平日の情報番組「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)を緊急降板するなど、大騒動を起こしていた。 【1998年4月9日付の本紙より】 不渡り手形を出し、日本テレビ系「ルックルックこんにちは」の司会を降板したタレント・岸部四郎(48)の代理人である野間自子弁護士(38)が8日、都内で会見し、岸部は6日に自己破産申請したことを明かした。 同弁護士によると、岸部の負債は約3億6千万円。 債権者は個人、銀行、月利30%のヤミ金融など69社(人)以上に及び、ほかに税金分6千数百万円などがあり、さらに増える可能性もあるという。 同弁護士によると、岸部の借金は昭和62年、前夫人との離婚養育費用として銀行に300万円借りたのが始まり。 自転車操業が続いていたが、昨年4月、連帯保証人を引き受けていた元タイガースの森本太郎氏が自己破産したことで最悪に。 最近は、月収1000万円を超える1200万円を利息返済に充てる状態で、先週末、自己破産を決意したという。 当初、事業の失敗と言われていたが、同弁護士は「彼はタレント以外には何もしていません。 奥さんの経営していた骨董(とう)品店だけ」と否定。 岸部は現在、都内で謹慎中で、弁護士を通じ「状況が落ち着き次第、自分自身で話したい」とメッセージ。 日本テレビに「VTR会見したい」と申し出たが拒否されたといい、同弁護士は「生活を切り詰め、最後まで支払いたいと頑張っていました」と岸部の誠意を強調。 破産が認められ次第、免責も申請予定で「再びタレント活動ができれば」と、話しているという。

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岸部一徳 妻は暴走魔女?!弟・岸辺シローは病気リハビリ中

岸部 四郎

(終了した番組・中継を含みます)は、での販売や公式な、またはが紹介するまで、 出典として用いないで下さい。 に基づき除去される場合があります。 きしべ しろう 岸部 四郎 本名 岸部 四郎 (きしべ しろう) 別名義 岸部 シロー 生年月日 1949-06-07 (71歳) 出生地 ・ 身長 187 職業 、 ジャンル ・ 活動期間 - 配偶者 死別(離婚歴あり) 著名な家族 兄: 事務所 公式サイト 主な作品 テレビドラマ 他 その他 (2代目司会者) (常連ゲスト) 他 岸部 四郎(きしべ しろう、(24年) - )は、の、、元。 旧芸名は 岸部シロー(半ばごろまで使っていたが、後述の経緯により中期頃より再び使うようになっている)。 元のメンバー。 父は元。 兄は同じくタイガースのメンバーであった。 甥に一徳の長男であるがいる。 京都市立近衛中学校卒業。 来歴・人物 [ ] ザ・タイガース時代 [ ] 中学卒業後にへ就職。 後に退職しとなる。 タイガースのデビュー後にしばらく音楽面でのアドバイザーを務めた後、メンバーとの援助で(昭和43年)7月へ渡り、の名目で『』の音楽特派員として活動。 (昭和44年)3月、タイガースからが脱退したため、兄・一徳からの電話によって呼び戻され、新メンバーとなる。 加橋の後釜として を担当するも、加入当初は実際には弾けず、弾く真似をしていた。 また、を演奏 したり、加橋のパートを引き継ぐ。 岸部の加入により、タイガースもユニフォームの常時着用をやめ、ステージのレパートリーではフォークソングやハードロックを取り入れるなど積極的にイメージチェンジを図り、それまでの「白馬に乗った王子様」的なアイドルのイメージより徐々に脱却。 敢えて積極的にを話し、また当時のアイドルではタブーとされていたメガネを着用、そして司会を担当したステージでは軽快なを披露することで次第に好評を得た岸部は、その気さくなキャラクター性が受け入れられ単独でのTV出演をも果たす。 ステージでは主に『花の首飾り』『ホリデイ』などそれまで加橋がソロを担当していた曲に加え、などのフォークソングも得意とした。 この頃には、ある程度のおよびタンバリンをこなせるようになっており、(昭和45年)のに於けるや、(昭和46年)のに於ける解散公演では、実際に演奏しているのが映像から確認できる。 タレント活動 [ ] タイガースが解散して間もない頃にアメリカ合衆国で知り合い交際を続けていた1歳年上の女性と結婚。 その後も人気は衰えず、一時に合流した後、当時所属していた渡辺プロ(現:)の、などのステージで司会や、当時ブームとなった青春ドラマ等の俳優として活動。 (昭和53年)、『』(系列)に役で出演。 (昭和59年)10月から、の後任として『』(日本テレビ系列)の司会を務める。 その後、自己破産(後述)により降板する4月まで13年半に渡って担当した。 浪費癖・事業欲・自己破産・芸能活動自粛 [ ] 生来貯金が苦手なうえに、人の好さが過ぎを次々に引き受けた事、自身も浪費癖があった事、事業欲から無謀な挑戦(のヘリコミューター、アメリカの買収等)を繰り返した事、などで借金が雪だるま式に増えてしまい、に調べてもらった結果、借金が1億円に膨らんでいたことが発覚(のインタビュー記事によると実際は4億2000万円、『』によると事業失敗で約20億円)。 に至った。 その影響で、(平成10年)4月6日に突如『ルックルックこんにちは』を自主降板し、所属事務所からも解雇され、芸能活動自粛を余儀なくされる(『ルックルック』を自主降板したのは、かつて所属していた渡辺プロに圧力をかけられ、仕事を干される危機感を持ったためとされる)。 一方、漫画家のは一連の騒動について、「岸部の年収があれば破産の必要は無かった」と対応に疑問を呈している。 翌年3月に破産宣告 を受ける。 当時、他人の連帯保証が主因として、一種の被害者と報道されることが多かったが、元々骨董のコレクションに傾倒し、破産以前に発売された雑誌『』のコレクター特集で 「俺の目利きはかなりの物。 コレクション売ったら購入価格以上になる。 億はつかったけどこれは資産」、 「骨董に嵌って破産するような奴は馬鹿」とコメントするなど、浪費癖が目立っていた。 破産後に『』に寄せた手記でも、骨董品収集が破産の原因になったことを告白しており、自らの責任によるところも大きい。 ちなみに、現在も 「あまり貯金をしていない」とテレビ番組などで語っている。 自己破産以降・闘病生活 [ ] 自己破産以降、その自虐的な出来事を売り物にして、に出演することが多くなる(ただしレギュラー番組を持つには至らず)。 「オレを誰や思てんねん! 元・金持ちやぞっ!! 」など、自虐的な台詞もいとわない。 『』ではそれが顕著で、沙悟浄役であったことをネタにで釣られたりしている。 (平成15年)にで倒れ、緊急入院。 生死の境をさ迷うも一命を取り留め、その後退院した。 このでを患い、右目の視野が3分の1しかないことを自身ので告白した。 (平成17年)、ドラマ『』に主役のの父親役で出演した頃から、旧芸名「岸部シロー」も使うようになっている。 彼が詐欺師役で出演したドラマ『』の最終話では、かつての自己破産経験を思わせる台詞を発している。 (平成19年)、14歳下の再婚の妻が心臓発作により急死。 43歳没。 同年発売ののインタビューに応じて胸中を語った。 (平成20年)、のシングル「」のPVに出演した。 (平成21年)、身体の身動きが取れなくなり、救急車を呼んで入院。 この頃から体調が悪化し、メディアへの露出が困難となってしまう。 (平成23年)4月16日、で『』という、自らのロック体験を語る番組に出演。 (平成24年)1月24日、沢田研二ライブツアー最終日の日本武道館公演に車椅子姿で登場、第2期メンバーが見守る中で『』を歌唱した。 (平成24年)12月、『』に出演。 同年2月に骨折で入院し、手術を受けてからは老人ホームで暮らしているという。 (平成25年)12月27日、ザ・タイガースライブツアー最終日の公演に再び車椅子姿で登場、他のタイガースメンバーが見守る中で『』を歌唱し、これによって、結成以来初めてタイガースの全てのメンバーが揃うこととなった。 主なギャグ [ ] この節には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 が不足しています。 の記事は特に、を満たしている必要があります。 ( 2018年6月)• が含まれているおそれがあります。 ( 2018年6月)• されています。 ( 2018年6月)• 「今何時? ビーフ味! 」「ウシウシ」 明星ラーメンビーフ味のCM(昭和47年)に出演したときのセリフ。 当時子供達を中心に流行した。 「ウシウシ」は「ウッシッシ」とは異なる。 「オレを誰や思てんねん! 元・金持ちやぞっ!! 」 バラエティ番組に出演する時に、若手芸人・タレントからツッコまれる時に言い返すセリフ。 「もう、金しかないなぁ! 」 『』で再三再四ドッキリに引っ掛かった時にらに言い放ったセリフ。 その他 [ ] この節には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 が不足しています。 の記事は特に、を満たしている必要があります。 ( 2018年6月)• が含まれているおそれがあります。 ( 2018年6月)• されています。 ( 2018年6月)• とにかく高価な肉が好き。 オウムのお弁当屋さん の常連客であった。 借金で苦しんでいるとき、兄の一徳からマネージャーを介してまとまった金を受け取った。 マネージャーを通して後で返すと伝えると、一徳からは「返済不要」との返事が返って来た。 『』(劇場アニメ版)に「マンモス西」役として声優出演している。 趣味は古本収集(特に初版本)、骨董品集め、などである。 が自己破産した際、破産仲間として漫才コンビ結成を持ちかけられたが断った。 『』収録の休憩時間、「俺は1億円持っている」と共演していたを口説いていた。 一方、ロケの仲間内で食事をしても、芸能人として先輩にあたる左とん平や堺正章ばかりに勘定を払わせ、自身はトイレに逃げ込んだりするなど、「ケチ」で当時から有名であったという。 の支払いは、現場での現金支給(とっぱらい)に固執している。 これは、振込だと口座から自動的に借金が引き落とされるために、現金の手渡しでなければ金を自由にできないという事情から。 はの先輩。 また、上岡の実家の近所に住んでいたことから、家の前を通っては「ここはのパンチ(上岡の旧芸名・横山パンチのこと)の家や」と触れて回っていたという。 最初の妻との間に2人の子供がいるが、離婚。 借金の理由の一つに前妻への慰謝料や養育費が嵩んだことが挙げられている。 その後再婚したが、前述の通り死別した。 破産した後犬を飼うようになったが、妻の死や自身の病気もあって新たな飼い主を募集しているという。 主な出演 [ ] 映画 [ ]• (、)• (1972年)• (1972年)• (1972年)• (1973年)• (1973年)• (1973年)• (1974年)• (1974年)• (1976年)• (1976年)• (1978年-1980年)• (1978年)• (1982年)• (1983年)• (1983年)• (1987年)• (1988年)• (1990年)• (2003年)• (1979年)• (1980年)• あしたのジョー2(1981年)• (1995年)-担任の先生 テレビドラマ [ ] 近畿方言で演じる役柄が多い。 (・1970年-1971年)• (TBS・1971年)• (・1971年)• 第39話(TBS・1971年-1972年)• (・1972年)• (TBS・1972年)• (関西テレビ・1972年)• 第25話(・1972年-1973年)• (日本テレビ・1973年)• どてらい男 フジテレビ・1973年-1976年• (フジテレビ・1974年)• (TBS・1974年)• (TBS・1974年)• (・1974年)• 第40話「おりん」(NHK・1975年)• (NHK・1975年)• (版・NET・1975年-1977年、1979年) - 赤目玄蕃• (・1975年-1976年)• (テレビ朝日・1975年-1976年)• (関西テレビ・1976年)• 第14話(テレビ朝日・1976年)• (NHK・1976年-1977年)• 第229話「結婚」 (1976年、NTV) - 池田政男(田口刑事の義兄)• (NHK・1977年-1978年)• 第36話、第38話(日本テレビ・1978年) - 篠原 役• (毎日放送・1978年)• 、(日本テレビ・1978年-1980年) - 役• (TBS・1979年)• シリーズ (・1979年) - 九鬼善司 役• (TBS・1980年)• 第154話「棺桶の中に咲いた恋」(1981年) - 善八• 第40話「泣くな、隠密落第生! 」(1983年) - 仙田弥市• (関西テレビ・1980年-1981年)• (TBS・1981年)• (毎日放送・1981年)• (毎日放送・1982年)• (TBS・1982年-1983年)• (・1982年-1983年)• (TBS・1983年)• (フジテレビ)• (1983年)• おニャン子捕物帳 謎の村雨城(1987年)• おさな妻! ママはあぶない17才!! (1987年)• (フジテレビ・1984年)• 第17話「らくだが死んだ」(TBS・1984年11月12日) - 馬• (NHK・1984年-1985年)• (NHK・1984年-1985年)• (テレビ朝日・1985年)• (TBS・1985年)• (NHK・1985年)• (テレビ朝日・1985年)• (NHK・1986年)• (日本テレビ・1986年)• (日本テレビ)• (1985年)• (1986年)• (1995年)• (テレビ朝日・1986年-1990年)• (関西テレビ・1987年)• (日本テレビ・1987年)• (毎日放送・1987年)• (関西テレビ・1988年)• (・1989年)• (フジテレビ・1991年)• (TBS・1991年)• 『タイム・スクーター』(フジテレビ・1991年)• (1992年) - 片山伸一• (日本テレビ・1993年)• (テレビ朝日・1996年)浜崎医師 役• (テレビ朝日・1997年)• (日本テレビ・2001年)• (日本テレビ・2001年9月29日)• (フジテレビ・2005年)山田恒生 役• (2006年9月23日)• (TBS・2006年)御木本 役• (フジテレビ・2006年)• (日本テレビ・2011年) テレビ(声優) [ ]• (1982年)• (1983年)どくとるマンボウ 役 その他のテレビ番組 [ ] レギュラー• (フジテレビ・1972年-1973年)司会• (日本テレビ・1984年10月 - 1998年4月)2代目司会者 不定期出演• (読売テレビ) 単発・ゲストなど• (フジテレビ)• ・(フジテレビ系)• (読売テレビ)• (毎日放送)• の爆笑! 夫婦対決 in マウイ(関西テレビ)• (日本テレビ)• (日本テレビ系)• (TBS系)• (フジテレビ系)• (系)• (TBS系)• (TBS系)• (NHK)• 「パパおしえて」(1975年版)初回放送月:1975年04月〜05月• 「風の子守歌」初回放送月:1976年12月〜1977年01月• 「オナカの大きな王子さま」(1983年版)初回放送月:1983年02月〜03月• (テレビ東京系)• (TBS系、2009年2月24日) など ラジオ [ ]• () オリジナルビデオ [ ]• 新・おれは男だ! めざせ! 日本一のサラリーマン新・おれは男だ!! (1990年・)• (2003年・) 舞台 [ ]• お葬式 CM [ ]• 極東ノート(現・)• - 明治なんきんまね(旧・)、明治ヨーグルト(旧・)• - 明星ラーメンビーフ味(単独出演)、明星(ザ・タイガースとして出演)• ガスファンヒーター(1983年、と共演。 うるおい洗顔料• 関西銀行(現・)• ヘーベルハウス• その他 [ ]• のシングル「」(2008年)のPVに出演• 野生の馬/雨の日のあなたは 1971年4月)• バタフライ/ハッピネス 1971年8月) アルバム• ムーン・ライト 1972年3月) 岸部シロー [ ] シングル• ポケナン・ポケタン・ポケット/東口広場 1972年6月) タイガース・メモリアル・クラブ・バンド [ ] シングル• 懐かしきラブ・ソング• 君よ女神のままに• Sが好きさ好きさ好きさ• 未来への花束• OH OH OH 〜We are the Winners〜 アルバム• タイガース・メモリアル・クラブ・バンド• タイガース・メモリアル・クラブ・バンド II 「ぼくと、ぼくらの夏」 ビデオ• Sフェスティバル• 懐かしきラブ・ソング ザ・タイガースマニア [ ] シングル• 涙のロマンス その他 [ ] CD• ザ・ピーナッツ・オン・ステージ (MCのみ) DVD• ブレッド&バター LIVE 2006 (ゲスト出演) 著書 [ ]• 『岸部シローの暗くならずにお金が貯まる方法〜貯めだしたら止まらない〜』()1983• 『岸部シローのお金上手〜誰よりもお金を愛す〜』(主婦の友社)1984• 『ニュー30'sの憂鬱 けして悪くはないがもうひとつ』みき書房, 1985• 『OLのためのファッション金銭学』()1985• 『ザ・タイガースと呼ばれた男たち ある団塊の世代の肖像』藤井剛彦事務所編()1990• 『岸部のアルバム 〜「物」と四郎の半生記』 ()1996 古物・古本収集をしていた頃の著書、タイトルの元ネタはドラマ『』。 『金融地獄』()1998• 『銭で成功した奴失敗した奴. 岸部四郎』()2001• 『その手に乗るな! 年収一億八千万円男の自己破産反省記』(ぶんか社)2001• 『後ろ向き: 一週間に一日幸せならいい』()2006• 『いまさらシロ〜』()2008、 自らのブログ「岸部シローの四郎マンション」を単行本化。 脚注欄 [ ] [] 歴代司会・ニュースコーナー担当 期間 司会 ニュースコーナー メイン アシスタント 月 - 水 木・金 1979. 2 1984. 28 (出演なし) (コーナーなし) 1984. 1 1987. 27 1987. 30 1991. 31 1991. 3 1995. 31 1995. 3 1996. 29 1996. 1 1998. 6 1998. 7 1999. 2 1999. 5 1999. 31 2000. 4 2001. ニュースコーナー担当者は全員『』を兼務。 この項目は、(を含む)に関連した です。 この項目は、に関連した です。

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