秋田 魁 新 報社。 秋田魁新報社の評判・口コミ・評価の一覧

秋田魁新報

秋田 魁 新 報社

第1回芥川賞受賞作を復刊。 昭和初期のブラジル移民として全国から神戸の国立海外移民収容所に集まった民衆が、不安と期待の中で過ごす出港までの8日間を描き、35 昭和10 年創設の芥川賞に太宰治らの作品を抑えて輝きました。 その後、移民船内を描いた「南海航路」、辛苦に耐えながらたくましく働きだす「声無き民」を加えた3部作の長編として39年に発表、多くの人に読まれてきました。 現在は絶版となっていますが、いま一度多くの人にこの名作に触れてもらおうと復刊。 久米正雄らによる選評や菊池寛の賛辞を再録した「芥川賞経緯」のほか、日本ペンクラブ会長も務めた石川の足跡や略年譜を収載しています。 神戸在住で、神戸ゆかりの本作を読みたかったのだが、芥川賞作品にも関わらず絶版で、図書館でも長い予約待ちになりそうだったので、中古の本書を購入した。 神戸には旧・移民収容所(旧・神戸移住センター)の建物が残っていて、一か所は移民による落書き跡まで保存されているので、本作第一部の舞台は現場を比較しながら味わうことができた。 著者の石川が秋田出身で、秋田出身の人たちを特に手厚く描くのだが、その方言のニュアンスは残念ながら私には馴染みがなくて分からなかった。 また、描かれる移民たちの多くほどの貧乏はしていないから、本当の実感は分からない。 しかし、体験した震災の当時なども想起しながら、思い切り空想の翼を広げさせてもらった。 カバー以外に挿絵はなく、巻末の解説もあっさりしたもので、文章をプレーンに味わうに適する。 新漢字・現代仮名組。 40年以上前の刷で、届いたときに巻末に近い部分に若干ページの癒着があり、剥がすときに1ページだけ少し傷んでしまったが、それも一つの味と思う。 大作であった。 舞台は1930年代の日本。 ブラジルへ移住する日本人移住者の模様が描かれた作品である。 本作を読むまで学んで来たこの当時の日本の生活習慣、これから戦禍に包まれ世界から孤立して行く社会情勢が表の歴史だとすれば、本作に描かれた物語は裏の歴史であろうか。 物語の主人公として描かれている移民の大半が東北の農民達で、農家の作物が冷害によって育たなくなりその結果による貧困を打開するために当時日本が人口増加対策として掲げていたブラジル移住計画に参加した事がきっかけで物語は始まって行く。 まずこの物語から感じられたのはブラジルへ行けば新天地があり、大金を掴めて成功できるの言うプロバカンダによりほぼ騙された形で土地も家をも捨ててブラジルへ移住して行った無知さと、移住したブラジルで、親類、知人、言葉の通じない異国で働き生活し、家族を増やし一生を過ごして行った動物的バイタリティの凄さ。 この二つではないだろうか。 現代の様な情報が溢れ過ぎてる中では「ブラジルへ行けば成功できる」と言う謳い文句だけを鵜呑みにし土地も家も全てを捨てて移民となって移り住む感覚が理解出来ない所にその当時の日本の息が詰まる様な閉塞的な生き方と現代日本とのギャップを感じずにはいられない。 言わば日本にいても、生まれ育った土地で農家をしていても生活が出来ない限界点にまで達した人物ばかりであり、現代日本でも貧しい人と言うのは存在するが、この当時の貧しさと今の日本の貧しさとは意味合いが全く違う。 当時は明日食べる物も保証されない生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた農民達の貧しさの打開策がブラジルへ移住することしか手段がなかった。 言わば職業選択の自由もなければ、生活の補填としてアルバイトが出来る様な雇用先もなかった、現代日本では考えられない位の封建的な社会であった。 かと言って他に何か選択肢がなかったかと言えば疑問ではあるが、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた農民達の心情とブラジル移住計画が謳う大義名分が合致した所に農民達の生きるバイタリティ、極端な生き方が表れている。 現代日本では少子高齢化が進み、数十年先の近未来に於ける日本の人口分布は都市部にしか人が住まわなくなり、その空いた農村部には人が住まわなくなるこの現状を移民として飛び立った当時の日本人がもし知ったとしたら、そしてもう一つの人口減少対策として、日本へ海外から移民として定住する外国人が増えている現代の移民国家日本をこの作品に描かれたブラジル移住者達が見たらどう思うだろうか。 作品自体については「長い」「描写が浅い」「引き込まれない」と私は好きになれませんでした。 作者の新人の頃の作品だから仕方ないかと割り切りました。 本作は第一回芥川賞の受賞作です。 太宰治が喉から手が出るほど欲しがったと言われる例の賞です。 巻末に選考委員による選評があることは、そんな背景に思いを巡らしつつ、この作品の文学史的な位置付けを考えることにもなるでしょう。 また、作者の年表もあり石川達三がどんな人物だったのかよくわかりました。 文庫本の巻末はこれほど充実しているのでしょうか。 文庫本は廃盤で値段も安くはないですし、いっそ新品で文字も大きいこちらの本をお勧めします。 装丁もきれいで愛着がわきます。 なお、タツローに同名の曲がありこの本の題名からとったらしいです。 …大きな成功は望むべくもないが、それでもなんとか生きる希望とその意味は見つかるかもしれない。 この本と曲とほぼ同じメッセージが伝わって来ました。 読みながら曲が頭の中を流れて来ることはなかったのですが、この本が元になってると確信することができました。 芥川賞の対象作は『蒼氓』は、同時収録の『南海航路』、『声無き民』によって三部作を構成しており、国策としてブラジル移民が奨励されていた1930年が時代背景となっている。 『蒼氓』はブラジル移民たちの出航前夜を、『南海航路』は船中の情景を、『声無き民』はブラジル到着後が描かれる。 当時のブラジル移民は、貧農といわれる人々が主で、ブラジルでの豊かな暮らしを夢見ている。 なけなしの田畑を売り、縋るように移民に賭ける姿が『蒼氓』では活写されていく。 九百余名の移民たちは、神戸の海外移民収容所で共同生活を営み、準備を進めるわけだが、戻る場所を失った彼らの後悔、希望、不安が人いきれの中で渦巻くのだ。 独身者が渡航できないため家族を偽装するものがいる。 ブラジル入国を禁止されているトラホームや脚気を隠すものがいる。 息も絶え絶えの赤子を抱えるものがいる。 審査失格となり失意のもとに収容所を後にするものがいる。 何より、移民たちの無知蒙昧さが痛々しい。 石川達三自身が、監督官としてブラジルへ渡航した経験があるからこそ、本作品は、真に迫っているのだろう。 本作品は、誰か特定の人物を主役に据えているわけではないが、弟のため恋人と別れて偽装結婚し、流されるまま移民となった佐藤夏にスポットがあたっている。 ある夜、佐藤夏は、移民監督助手から陵辱を受けてしまう。 しかし、佐藤夏は、これさえもさえも甘んじてしまうのだ。 このイノセントとも言える精神は、受難の人として、ブラジル移民を象徴しているように思えてくる。 移民たちが、45日に及ぶ苦難の航海を経て(『南海航路』)、新天地ブラジルで見出したものは何か(『声無き民』)。 決して明るい未来があるわけではない。 しかし、その中で人生を見出していく術はあるのだ。 ラストの、ブラジルの風景に溶けていくような佐藤夏の姿には、希望を拭い去ったがゆえの芯の強さを見ることができる。

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秋田魁新報の新聞広告

秋田 魁 新 報社

地域や読者の視点を大事にしながら秋田の未来を考えるための情報を伝えます 秋田魁新報は、1874(明治7)年2月2日に「遐邇新聞」として秋田市で創刊しました。 遐邇(かじ)は遠近の意味です。 その後、秋田遐邇新聞、秋田日報、秋田新報などの改題を経て、1889(明治22)年2月15日に秋田魁新報第1号を発行しました。 145年以上にわたり、地域に根差した報道を続けています。 「蹈正勿懼」(せいをふんでおそるるなかれ)、「文章報国」を社是とし、地域と読者の視点を大事にしながら、充実した紙面づくりに努めています。 県内に張り巡らせた取材網と、長年培ってきた地域との信頼関係を基礎に、記事や広告でさまざまな情報を発信。 媒体に加え、電子メディアの活用にも力を入れています。 芸術やスポーツイベントを主催、地域文化の振興も目指しています。 社員のほとんどが県内出身。 県内大学に進んだ人も、一度県外に出てそれまでと違う環境で学んだ人も、それぞれの経験を基に秋田の将来を考えながら、日々の仕事に取り組んでいます。 社内外で交流盛ん 発足30年を超える本社竿燈会は、本県を代表する夏祭りに参加することで、会社をPRする役目を担っています。 メンバーは社員やその家族、OB・OGら計約60人。 毎年6月中旬から本社駐車場などで練習を重ねます。 差し 手、はやし方とも未経験者もいますが、和気あいあいとした雰囲気の中で上達し、本番では生 き生きと演技を披露しています。 野球やサッカー、卓球、バレーボールなど、 さまざまな社内部活動・サークルがあります。 関連会社の社員も所属しており、会社を超えた大事な交流の場です。 ほかの新聞社との交流試合もあり、楽しみながら活動を続けています。 健康関連などの社内イベントもあり、親睦を深めています。 文化部 記者 佐藤 悠大さん 【プロフィール】 ・勤続年数 2018年入社 2年目 ・趣 味 漫画を描く ・出 身 羽後町 19年10月に文化部に異動。 前任の社会地域報道部では秋田市政を担当し、地上イージスや合葬墓、新スタジアム整備など、市民生活に影響する問題を追いました。 知識不足を痛感する場面も多く、少しでも向上できるよう勉強中です。 当事者の声を最前線で聞けるのは、記者だからこそできる得難い経験。 多くの出会いを糧に、住民の切実な思いを拾い上げた記事が書けるように努めます。 営業部 広告営業 渡部 里香子さん 【プロフィール】 ・勤続年数 2018年入社 2年目 ・趣 味 料理、ヨガ、音楽鑑賞 ・出 身 東京生まれ秋田市育ち 新聞広告の営業を担当。 お客様との会話の中でニーズやアピールポイントを見極め、どのように掲載すれば最大限の宣伝効果が見込めるかを試行錯誤する毎日です。 新聞広告は、人々の感情に直接訴えかける力が非常に強いと最近改めて思います。 掲載後にお客様からいただく「反響があった」「ありがとう」などの言葉が励みになっています。

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蒼氓(そうぼう) (秋田魁新報社)

秋田 魁 新 報社

地域や読者の視点を大事にしながら秋田の未来を考えるための情報を伝えます 秋田魁新報は、1874(明治7)年2月2日に「遐邇新聞」として秋田市で創刊しました。 遐邇(かじ)は遠近の意味です。 その後、秋田遐邇新聞、秋田日報、秋田新報などの改題を経て、1889(明治22)年2月15日に秋田魁新報第1号を発行しました。 145年以上にわたり、地域に根差した報道を続けています。 「蹈正勿懼」(せいをふんでおそるるなかれ)、「文章報国」を社是とし、地域と読者の視点を大事にしながら、充実した紙面づくりに努めています。 県内に張り巡らせた取材網と、長年培ってきた地域との信頼関係を基礎に、記事や広告でさまざまな情報を発信。 媒体に加え、電子メディアの活用にも力を入れています。 芸術やスポーツイベントを主催、地域文化の振興も目指しています。 社員のほとんどが県内出身。 県内大学に進んだ人も、一度県外に出てそれまでと違う環境で学んだ人も、それぞれの経験を基に秋田の将来を考えながら、日々の仕事に取り組んでいます。 社内外で交流盛ん 発足30年を超える本社竿燈会は、本県を代表する夏祭りに参加することで、会社をPRする役目を担っています。 メンバーは社員やその家族、OB・OGら計約60人。 毎年6月中旬から本社駐車場などで練習を重ねます。 差し 手、はやし方とも未経験者もいますが、和気あいあいとした雰囲気の中で上達し、本番では生 き生きと演技を披露しています。 野球やサッカー、卓球、バレーボールなど、 さまざまな社内部活動・サークルがあります。 関連会社の社員も所属しており、会社を超えた大事な交流の場です。 ほかの新聞社との交流試合もあり、楽しみながら活動を続けています。 健康関連などの社内イベントもあり、親睦を深めています。 文化部 記者 佐藤 悠大さん 【プロフィール】 ・勤続年数 2018年入社 2年目 ・趣 味 漫画を描く ・出 身 羽後町 19年10月に文化部に異動。 前任の社会地域報道部では秋田市政を担当し、地上イージスや合葬墓、新スタジアム整備など、市民生活に影響する問題を追いました。 知識不足を痛感する場面も多く、少しでも向上できるよう勉強中です。 当事者の声を最前線で聞けるのは、記者だからこそできる得難い経験。 多くの出会いを糧に、住民の切実な思いを拾い上げた記事が書けるように努めます。 営業部 広告営業 渡部 里香子さん 【プロフィール】 ・勤続年数 2018年入社 2年目 ・趣 味 料理、ヨガ、音楽鑑賞 ・出 身 東京生まれ秋田市育ち 新聞広告の営業を担当。 お客様との会話の中でニーズやアピールポイントを見極め、どのように掲載すれば最大限の宣伝効果が見込めるかを試行錯誤する毎日です。 新聞広告は、人々の感情に直接訴えかける力が非常に強いと最近改めて思います。 掲載後にお客様からいただく「反響があった」「ありがとう」などの言葉が励みになっています。

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