「ちはやふる」については「」にまとめました。 「聞か ず」と 終止形になっているのでここで切れます。 倒置とは、強調するために言葉の順番を逆に入れかえることです。 五句目「水くくるとは」が、一・二句目「ちはやぶる神代も聞かず」につながります。 「くくり染めにするなんて神代のむかしにも聞いたことがない」の意味。 ちはやぶる(ちはやふる) 「ちはやふる」と「ふ」を清音でよむこともあった。 「……ちはやぶる 宇治の渡(わた)り……」(万葉集・巻十三)「ちはやぶる宇治の橋守汝(なれ)をしぞあはれとは思ふ年のへぬれば」(古今集・雑上・読人不知)のように「宇治」に掛かる例もあるが、おおむねは「ちはやぶる神の持たせる命をば誰(た)が為にかも長く欲(ほ)りせむ」(万葉集・巻十一)のように「神」に掛かったり、「ちはやぶる神無月こそ悲しけれ我が身時雨にふりぬと思へば」(後撰集・冬・読人不知)「ちはやぶる神垣山の榊葉は時雨に色も変らざりけり」(同)のように「神無月」「神垣山」「神無備」など「神」を含んだ語に掛かったり、「ちはやぶる賀茂の社の姫小松よろづ代ふとも色は変らじ」(古今集・東歌・敏行)「ちはやぶる香椎の宮のあや杉は神のみそぎに立てるなりけり」(新古今集・神祇・読人不知)のように有名な神社の名に掛かったりしているのである。 『 』片桐洋一、笠間書院、1999年 たつた【竜田】 「立田」とも書く。 大和国の歌枕。 奈良県生駒郡斑鳩町竜田。 「竜田山」は『万葉集』に「大伴の御津(みつ)の泊(とまり)に船泊(は)てて竜田の山を何時か越え行(い)かむ」(巻十五)とあるように河内国から大和国への重要な交通路であった。 同じく『万葉集』に「かりがねの来鳴(きな)きしなへに韓衣(からころも)たつ田の山はもみちそめたり」(巻十)とあるように早くから「もみぢ」がよまれていたが、「竜田山見つつ越(こ)え来し桜花散りか過ぎなむ吾が帰るとに」(巻二十)と「桜」もよまれぬわけではなかった。 しかし、平安時代以後になると、「からころも立田の山のもみぢ葉は物思ふ人の袂なりけり」(後撰集・秋下・読人不知)「秋霧の峰にも尾にも竜田山紅葉の錦たまらざりけり」(拾遺集・秋・能宣)のように「もみぢ」と完全に結合してしまうのである。 ところで、『万葉集』にはなかった「竜田川」が『古今集』以後には頻出し、むしろ「竜田山」を数量的に圧倒するようになるが、やはり紅葉の名所としてのみとらえられている。 「竜田川もみぢ乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ」(古今集・秋下・読人不知)「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」(古今集・秋下・業平、百人一首)など、有名な歌が多い。 ) からくれなゐ【韓紅】 《韓から渡来の紅の意》 深紅。 しぼりぞめ。 纐纈〈かうけち〉。 ) 作者:在原業平 ありわらのなりひら 天長 てんちょう 2年 825 ~元慶4年 880。 平城 へいぜい 天皇の皇子、阿保親王 あぼしんのう の五男。 母は桓武 かんむ 天皇の皇女、伊都内親王 いずないしんのう。 在原業平の系図 「在五中将 ざいごのちゅうじょう 」「在中将 ざいちゅうじょう 」などと呼ばれます。 兄は ありわらのゆきひら。 業平の異母兄かと考えられています。 また、 ふじわらのとしゆき は妻の親戚にあたります。 と書いてあるので、当時から美男で歌をよむのが上手だったと評価されています。 六歌仙 ろっかせん 在原業平は六歌仙の一人です。 六歌仙とは、905年につくられた『古今和歌集』の仮名序 かなじょ (漢文ではなく仮名文で書いた序文だから「仮名序」と言う)に、 きのつらゆき がすぐれた歌人として名前をあげた6人のことを指します。 貫之が仮名序に書いた業平の歌の評価は次のとおりです。 本文引用は『新日本古典文学大系 古今和歌集』 13ページ によります。 在原業平は、その心余りて、言葉足らず。 萎 しぼ める花の、色無くて、匂ひ残れるがごとし。 たとえて言えば、色が悪くなって、香りばかりが残っているしぼんだ花のようなものだ。 六歌仙は業平のほかに、 おののこまち 、 そうじょうへんじょう 、 きせんほうし 、大友黒主 おおとものくろぬし 、 ふんやのやすひで があげられています。 三十六歌仙 さんじゅうろっかせん 在原業平は三十六歌仙の一人にかぞえられます。 三十六歌仙とは、平安時代中期に ふじわらのきんとう 966~1041年 がつくった『三十六人集』 『三十六人撰』とも言う に基づく36人のすぐれた歌人を指します。 人麿・貫之・躬恒・伊勢・家持・赤人・業平・遍昭・素性・友則・猿丸大夫・小町・兼輔・朝忠・敦忠・高光・公忠・忠岑・斎宮女御・頼基・敏行・重之・宗于・信明・清正・順・興風・元輔・是則・元真・小大君・仲文・能宣・忠見・兼盛・中務 伊勢物語 いせものがたり 在原業平は『 伊勢物語』の主人公とされ、さらには作者であるとする説もあります。 物語は「 歌物語 うたものがたり 」と言われる形式です。 和歌がよまれた背景や事情を説明する文章のうしろに、和歌がつづくかたちで物語が展開していきます。 短い話がいくつも入っている短編集のような形式です。 このような歌物語は和歌の 詞書 ことばがき から成立したと考えられています。 詞書とは、和歌がよまれた背景を説明する短い文です。 この説明がしだいに長くなり、歌物語に発展しました。 そのほかの代表的な歌物語に、『 大和物語 やまとものがたり 』と『 平中物語 へいちゅうものがたり 』があげられます。 文学史は「」で基本的なことをまとめましたのでご確認ください。 百人一首の現代語訳と文法解説はこちらで確認 こちらは小倉百人一首の現代語訳一覧です。 それぞれの歌の解説ページに移動することもできます。
次の頭にアンテナが欲しい。 出来れば2本。 * 雨の土曜日。 ちょっとそこまで出かけたりもしたけれど 道を歩いていたのは私だけ。 ほんとうに、誰にも、会わなかった。 この世は滅びたのか? テレビをつけたら誰かが笑っているけれど 信用なんてできない。 夕刻に兄とテレビ電話で話す。 ああ、兄は生きている、よかった。 その兄もミュンヘンで寝ぼけた顔。 忙しいらしい。 歌集を開く。 作者は1966年生まれ。 おお!丙午!同年だ、というだけで親しみが湧く。 人に会わずにいるとこんなことでも嬉しくなるんだなあ。 それもまた共感。 酒を贈りたい気分だ。
次の広瀬すず主演の映画『ちはやふる』が、興行収入計30億円を見込む大ヒットです。 映画『ちはやふる』は、末次由紀さんの少女漫画が原作です。 競技かるたに没頭する女子高校生の千早の青春を描いた漫画で、そのまんがと映画の影響で、百人一首の競技かるたがふたたびブレイクしているようです。 タイトルの「ちはやふる」の意味は何でしょうか?百人一首の競技かるたのルールも調べてみました。 「ちはやふる」の意味 「ちはやふる」とは、競技かるたで使われている百人一首の中の一つの句の初めの5文字です。 百人一首とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家、藤原定家(ふじわらのていか)が選んだ和歌をまとめたもので、一人一首ずつ選んで作った和歌集です。 行ってみれば、80年代ベスト盤みたいなものですね。 その中にあるひとつの句が、 「ちはやふる 神代(かみよ)も聞(き)かず 竜田川(たつたがわ) からくれないに 水(みず)くくるとは」 です。 この和歌を詠んだ人は、在原業平(ありわらのなりひら)。 昔から、イケメン、プレイボーイの代名詞として言われてきた人です。 そして、この句の意味は、それぞれを分解すると、 「 ちはやふる」は、「(い)ち=激しい勢いで)」「はや=すばやく」「ふる=ふるまう」 「 神代も聞かず」は、「神代=大昔の神々の時代」「聞かず=聞いたことがない」 「 竜田川」は、奈良県生駒郡斑鳩町田竜田にある川で、紅葉の名所。 「 からくれないに」は、「から=唐土(中国)や韓の国(韓国)からやってきた凄いものにつける言葉」「くれないに=紅」 「 水くくるとは」は、「くくる=くくり染め、しぼり染めにする」 そして合わせると、 「すごく色々な事が起きていた太古の昔の神様の時代でさえ、聞いたことがありませんでした。 竜田川がこれほど、うつしく紅色に染まるということを」 という意味になります。 一見すると、風景を描写しているように見えますが、熱烈な恋愛関係にあった女性に対して贈った歌だと言われています。 どういうことかというと、作者が好きだった女性が、清和天皇というひとに嫁に行ってしまうんですが、「まだ私はあなたの事をすきですよ」と、暗にほのめかしている歌だと言うのです。 そう思ってよんでみると、なんかそんな気がしますよね。 ただ、漫画や映画の内容は、そんなこととは全く関係なくて、この句の枕詞をタイトルに使ったのは、有名だったからとか、末次さんがこの句を好きだったからのようなきがします。 ほかにも、99首の和歌がありますので、読んでみたらいかがでしょうか。 昔の人の奥ゆかしい恋愛の気持ちが伝わってきます。 では、この百人一首を使った競技かるたのルールはどういうものでしょうか?映画を見てもイマイチピンとこなかったら、読んでみてください。 競技かるたのルール 百人一首を使った競技かるたが成立したのは、昭和29年、「全日本かるた協会」が統一されてからです。 百人一首には、読み札と字札があります。 読み札には、歌人の名前、和歌(上の句と下の句)、歌人の絵が描かれています。 字札には、下の句だけで、文字しか書かれていません。 (上の句は、「ちはやふる~竜田川」、下の句は「からくらない~とは」です) 競技は、字札を相手と自分の間にならべて、読み手が読み札を読んで、字札の取り合いをするものです。 ですから、読み手が上の句を読んでいる時には、和歌を上の句、下の句と全部覚えていないと、字札は取れないんです。 下の句を読んで、初めて探すということですね。 なので、この競技の一番のポイントは、百人一首をなるだけ覚えるということです。 基本のルールは、• 100枚の字札のうち、50枚を使用 (使わない札を空札といいます)• 相手25枚、自分25枚取り、自分に向けて3段に並べる(自陣)• 15分間の暗記時間がある• 自陣の札がなくなったら、勝ち。 相手の陣の札をとることができたら、自分の陣から札を一枚相手にあげます。 お手付きをしてしまった場合、相手から札を一枚もらう• 団体戦は、5人対5人 全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会は、毎年7月下旬に、滋賀県大津市の近江神宮で行われています。 通称、かるた甲子園。 1979年から行われていて、2015年は、暁星高校(東京都)で、8年連続10回目の優勝でした。 ちなみに、1979年(第1回)は富士高校(静岡県)で、第10回まで、10連覇しています。 その記録を破れるかどうかが、2016年、今年の7月のかるた甲子園です。 きっと、注目が集まりますので、気にしておいてください。 とりあえず、簡単に競技かるたのルールなどを説明しましたが、これから、ブレイク必至だと思います。 映画も漫画もとても面白いので、見てみてください。 漫画は現在31巻まで出ていて、アマゾンや楽天ブックスで買うことができます。 映画「ちはやふるー結びー」の予告が東宝の公式チャンネルからアップされていましたのでご覧ください。
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