竜田川 百人一首。 小倉百人一首のオススメの詩5選

竜田の川の錦〜百人一首でも詠まれた!奈良「竜田川」の紅葉

竜田川 百人一首

072] 小倉山荘では、2000年~2002年にかけて、『ちょっと差がつく百人一首講座』と題したメールマガジンを発行しておりました。 『小倉百人一首』の中から毎回一首ずつ、100回完結の形式で発行いたし、たくさんの方々に愛読いただいておりました。 この度愛読者様からのご要望にお答えし、バックナンバーを作成いたしましたのでおせんべいを召し上がりながらゆったりくつろいでご覧ください。 尚、マガジンの記載内容につきましては発行時点(2000年~2002年)のものであること、お問い合せ等にはお答えできかねますことを重ねてご了承くださいませ。 秋が訪れました。 秋の日の ビオロンの ためいきの 身にしみてひたぶるに うらがなしという上田敏訳・ヴェルレーヌの詩「落葉」のイメージは、ドライな現在の感覚には少しそぐわないかもしれませんけれど、立ち止まって何かを考えさせてくれる季節ではあります。 「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」など、秋は気候が良いせいで、いろいろな楽しみが多い季節です。 秋はそもそも収穫の時期であり、古くから収穫の祭りが行われた季節でもありました。 現在でも学生さんたちにとっては、体育祭や文化祭などイベントが目白押しの季節ですよね。 楽しいイベントが多い、ということは、それだけ出会いも多く恋も多いということかもしれません。 学生の頃は、体育祭や文化祭の後に決まってカップルがたくさん生まれたものでした。 秋はチャンスの季節かも。 独身、恋人なしのみなさんもがんばって秋を満喫しましょう! ところで、今回は六歌仙の一人にして、平安時代きっての色男。 伊勢物語に「昔男ありけり」と謳われた、稀代のプレイボーイ、在原業平の登場です。 【神代(かみよ)もきかず】 「神代(かみよ)」とは、「(太古の)神々の時代」という意味です。 不思議なことが当たり前に起こった「神々の時代でも聞いたことがない」という意味になります。 下の句に記すのは、それほど不思議な現象だということを言っています。 【竜田川(たつたがは)】 竜田川は、紅葉の名所で、現在の奈良県生駒郡斑鳩町竜田にある竜田山のほとりを流れる川のことです。 【からくれなゐに】 「鮮やかな紅色」という意味です。 「から」は「韓の国」や「唐土(もろこし)」を意味する言葉で、「韓や唐土から渡ってきた素晴らしい品」を表す接頭語(頭につける語)でした。 当時の韓や唐土というと先進国で優れた品が日本に渡ってきていたので、こういう意味となったのです。 【水くくるとは】 「くくる」は「括り染め」、つまり「絞り染め」にするという意味です。 「(竜田川が)川の水を括り染めにしてしまうとは」という意味で、紅葉が川一面を真っ赤にして流れていることを、竜田川が川の水を絞り染めにしてしまった、と見立てます。 また竜田川を主語にして「擬人法」を使い、また「とは」は上の句の「神代も聞かず」につながるので、倒置法も使われています。 奈良の竜田川の流れが、舞い落ちた紅葉を乗せて、鮮やかな唐紅の絞り染めになっているなんて。 この歌は「屏風歌」です。 屏風歌とは、屏風に描かれた絵に合わせて、その脇に和歌を付けたものです。 古今集の詞書には「二条(にでう)の后(きさい)の春宮(とうぐう)の御息所(みやすどころ)と申しける時に、御屏風(みびゃうぶ)に龍田川に紅葉流れたる形(かた)を描きけるを」とあります。 二条の后とは、藤原長良(ながら)の娘の高子(たかいこ)のことで、清和天皇の女御(にょうご=天皇の側室)でした。 その二条の后が、春宮(皇太子)の御息所(=皇子を生んだ女御)だった頃、后の屏風に竜田川に紅葉が流れている絵が描かれているのを、作者の在原業平が見て、付けた歌だということです。 この歌はとても色彩感のあふれる歌で、百人一首の中でも憶えておられる人も多いでしょう。 在原業平は平安時代を代表する美男子で、恋多き人でした。 「伊勢物語」の主人公のモデルとされ、この歌を捧げた天皇の女御・二条の后とも実は恋愛関係にあったそうです。 この歌を見ると、その華麗なるテクニックと話ぶりの機知が伺えますね。 きっといつも女性がそばにいて、華やかな会話を交わしていたのでしょう。 ちょっと羨ましい気がします。 この歌の舞台になった竜田川は、奈良県生駒郡斑鳩町竜田にある竜田山のほとりを流れる川です。 JR王寺駅から、奈良交通バスに乗って竜田大橋で下車すると到着します。 これほどの歌に詠まれるほどですので、付近は紅葉の名所です。 観光スポットとしては、龍田神社の他、法隆寺などが近く、斑鳩の里を散策しながら竜田の流れをしのぶことができます。 これからの季節、紅葉狩りには適していますので、ぜひご家族総出でお出かけになってはいかがでしょうか。

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百人一首/在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

竜田川 百人一首

激しい山嵐が吹き、三室の山の紅葉の葉が散って、竜田川の川面はまるで錦織りのような美しさだ。 能因法師は、二十代半ばで出家し、全国を旅した漂泊の歌人です。 各地の歌枕(名所を詠み込んだご当地ソングのようなもの)を収集したことでも知られており、のちの時代の西行法師・松尾芭蕉などにも大きな影響を与えたとされています。 これ以降、「紅葉といえば竜田」というほど、有名な地名となりました。 しかし、「この当時の竜田川は現在のものではなく、大和川本流を指している」という考えもあるのだそうです()。 その正否はともかく、現在でも毎年秋になると、竜田川沿いのでは、「」なども行われています。 竜田川沿いに広がる「奈良県立竜田公園」のマップ。 総延長2kmほどの範囲です。 駐車場は、三室山に近い「竜田公園南駐車場」が便利。 この日は、竜田公園の北端、平群町との境に近い駐車場から川沿いを歩いてみました。 駐車場は狭いので、紅葉や桜の季節は停めづらいので注意が必要です 川沿いに真っ赤な紅葉!この日は15時くらいに到着しましたが、早めに日が陰ってしまうため、午前中やお昼ごろの方が綺麗に見られるでしょう 前日が雨だったこともあり、足元には色とりどりの紅葉した葉っぱ。 この日は11月27日、紅葉のピークの終盤くらいでした 竜田川の紅葉についての説明。 第10代・崇神天皇が龍田明神に行幸され、五穀豊穣を祈り、上流から流れてきた八葉の楓葉を龍田の神さまに献上されました。 のちに文武天皇も紅葉を見て感動されたとか。 江戸時代には、地元の国学者・藤門周齋が中心となって、増殖・保護に務めてきたそうです 両端に紅葉。 赤い欄干の風情ある「紅葉橋」 竜田川沿いを歩いていると、次々に紅葉した木々が見えてきます。 全体が真っ赤ということはありませんが、色とりどりでとても美しいものでした。 桜の木も多いので、もう少し早い時期であればそれもきれいだったと思います 交通量の多い「竜田大橋」から200mほど西側にかかる、その名も「紅葉橋」!欄干が赤く塗ってあって、風情がありますね 紅葉橋は、歩行者専用の橋です。 橋の両端に真っ赤な紅葉があり、見事な眺めでした。 川沿いは歩きやすい遊歩道になっていて、散策していて気持ちいいエリアです 水面に映る竜田川の紅葉 この日は風も無かったので、水面もきれいに見えます。 百人一首の歌では、散った葉が水面を埋め尽くして「からくれなゐ」に染まったり、「竜田の川の錦」となった光景を歌っていますが、現在では川幅も広く整備されていて、そんな姿を見るのは難しいかもしれません 標高82m。 有名な「三室山」にも登れます 竜田大橋から700mくらい西に見える、小さな丘のような山が、有名な「三室山(みむろやま)」()です。 標高はわずか82m。 古くから神がおわす神奈備山として崇められてきました 三室山の登り口。 ちょっとした丘ですから、すぐに頂上まで登れます 壁面には「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」(能因法師)、「千早ふる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(在原業平)の歌の碑があります 下からはあまりよく見えませんでしたが、三室山は紅葉と桜が多く植えられていて、紅葉も見事でした。 春の桜の時期もきれいでしょうね 三室山の途中からの眺め。 それほど景色がいいわけではありません 三室山の山頂には東屋が建っています。 新しいものなんですが、白壁に丸窓があってなかなか風情がありますね 三室山山頂の五輪塔は、「竜田の川の錦なりけり」と詠んだ能因法師の供養塔と伝えられるもの。 能因法師は、平安時代中期の歌人で、中古三十六歌仙の一人に挙げられます。 26歳の時に出家し、甲斐・陸奥・伊予など各地を旅しました。 下の神南集落の三室堂に住んだことがあり、三室山にもしばしば遊びに来ていたのだとか。

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竜田公園|百人一首にも登場!古より知られる紅葉の名所(奈良名所巡り)

竜田川 百人一首

地理 [ ] 奈良県のの(いこまやま、標高642m)東麓を源として南流、流域に生駒谷、平群谷を形成している。 で大和川にする。 流域の自治体 [ ] 奈良県 、、生駒郡 主な支流 [ ]• 東生駒川• 出会川• 神田川• 櫟原川• 井文字川 並行する交通 [ ] 竜田川流域は古来から交通の要所であり、斑鳩町龍田の「竜田大橋」付近はいくつかの街道が分岐している。 鉄道 [ ]• (~間で並行) 道路 [ ]• の全通が難航している。 文化 [ ]• 古よりのの名所として名高い。 は、この川の紅葉の色に似ていることから名前の由来とされている。 (有り。 竜田川やその近くにある三室山は、にも登場している。 とくに下流はの美しさから、として古来より多くのに詠まれた。 百人一首では二首撰ばれている。 中でもの和歌は有名である。 この歌を題材とした「」という落語もよく知られている。 ちはやぶる神世も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは ( ) 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり ( )• なお、この当時の竜田川は現在の竜田川(平群川)ではなく、大和川本流の三郷町立野から大阪府境までを指しているというのが定説。 後の時代に紅葉の名所として観光地にするため、地元が現在の平群川を竜田川と称したため、いつのまにか現在のような状態になったと言われている。 脚注 [ ] [].

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