キハ 400。 国鉄キハ40系気動車 (2代)

[中古] HO エンドウ キハ400 急行用気動車 EXTRA 仕様(M)

キハ 400

これは国鉄の車両称号規程に則ったの系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。 具体的には、 キハ40形(2代)、 キハ47形、 キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式を指す。 概要 [ ] 1977年から1982年にかけて計888両が製造され、日本全国の非電化路線に投入された。 に近い車体構造の気動車で、当時の在来気動車に比し、客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られている。 一方、在来の気動車より出力は若干増加したものの重量も増加しており、運動性能はあまり向上していない。 本系列は客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別され、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いとの有無によってされる。 後は、1983年にの脱線事故で事故廃車となったキハ40-2055を除く887両がJR各社へ承継された他、使用線区の事情に応じた改造を実施し、区分番台が多くなっている。 2020年時点ではを除く旅客鉄道各社が保有し、主に用として用いているが、JR東日本・JR四国・JR北海道では事故や災害、地方路線の運用見直しや、新型気動車への置き換えにより、やが発生している。 会社別の保有数は以下の通り。 酷寒地:北海道、寒地:東北・中部地方 開発の経緯 [ ] 1950年代中期に量産された国鉄初期の気動車であるは、そのエンジンの非力さを軽量化で補う方針であったが、当時の技術との兼ね合いもあり、同時期の客車や電車よりも車体断面が小さく、接客設備や台車も簡素なものとなった。 そのため、に入ると早くも陳腐化が顕著となりはじめ、特に座席と台車設計の不備による乗り心地の悪さは問題となっていた。 一方で1970年代の国鉄はが激しく、側は労働環境の改善を強く要求していた。 その一環として、国鉄車両にも安全対策や整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1950年代からにかけて設計された量産形式を基本に随所を改良したマイナーチェンジ車を製造し続けていた。 本系列もその方針の下にキハ10系のほか、1950年代後半に製造された との老朽化も視野に入れ、それらの代替用として開発された。 構造 [ ] 本系列は、に開発されたをベースにしており、車体や制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造は同系を踏襲しているが、搭載機関は同系搭載の12気筒から、基本設計を共通化しつつ6気筒として出力を半分に落とし、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計としている。 また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていたことから、やなど酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く [ ]、温暖地で寒地向け車両が使用される場合はとなる。 なお本系列ではそれまでの気動車のように北海道向け車両を別形式とせず、同一形式内での番台区分としたのも特徴である。 車体 [ ] 構造・外観 [ ] 全長21. 3 (車体長20. 8 m)、幅2. 9 mで既存の気動車同等の大型車体である。 酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して [ ]外板、屋根板、床板には当時の鋼製車両標準の車両用板 SPA を用いて耐久性を向上させている。 板厚は例えば同じSPAを使用したと比較すると、外板厚が2. 3 に対して国鉄気動車標準の1. 6 mm、屋根板厚は1. 6 mmに対して1. 2 mmと薄く、台枠に設けた軽量孔とともに軽量化に配慮している。 製造当初の車体塗装は(明るい朱色)一色 である。 前頭部形状はキハ66系を踏襲し、対策として高化、運転室長さの350 mm拡大、前面の外板の4. 5 mm厚への強化、床下前面へのの装着をしている。 この構成は年次が近いキユニ28形なども同様で、当時の標準設計であった。 側窓は寒地形、暖地形は外はめ式の製2段としてを削減している。 一方、酷寒地形は小型の1段上昇窓で、製窓枠による内窓を組み合わせた構造とし、の車内保温を図っている。 設備 [ ] キハ40形、キハ48形は車体両端2か所に1 m幅の片開き扉、キハ47形はやや車中央寄り2か所に1. 3 m幅の両開き扉を設けており、いずれもステップ付のである。 ドアエンジンは両開き式はキハ45形と同じTK106形、片開き式はキハ46形と同じTK105形で、在来車のような半自動式用ではなく自動式用ドアエンジンの指令回路を変更して半自動動作としており、人力での開閉はやや重い。 キハ40形、キハ48形の寒地・酷寒地形は客室と出入り台の間に仕切り扉を設けたデッキ付きとし、寒冷時の保温を図った。 は機器配置・座席形状ともに配慮した構造である。 また、投入線区の運用実態に即し、側面にキャッチャーとその防護板を設け、タブレット閉塞式での通過運転に対応した。 客室内壁の化粧板は、在来形気動車に比してやや明るい色調であり、初期の車両は、キハ40形・キハ48形は薄茶色、キハ47形は淡緑色であるが、中期以降の車両は、北海道・本州以南用ともとなっている。 座席はを基本としてドア付近にのみを配したとした。 ボックスシートはをまでの急行形車両と同等の1,470 mmとし、一般形気動車として初めて人間工学を採り入れた新形状のものとした。 このため、本系列はのシートピッチ改善車のように見える構造に仕上がっている(ただし本系列は前述のとおりキハ66系をベースに造られており、キハ45系と本系列との間にはの初期型車両とシートピッチ改善車のような関連性は無い。 はFRPユニット組み立て式 で、キハ40形は出入り台側から内開き扉、キハ47形・キハ48形は側面の客室側引き戸から出入りする方式とし、水タンクは屋根上搭載の給水式として、や空気配管を不要としている。 汚物処理装置は搭載を考慮して機器搭載スペースを確保する準備工事が実施されたが、当初は地方路線の汚物処理施設整備が進んでおらず、便所搭載車は全車が従来通りの垂れ流し式であった。 この機関は水平シリンダー形の予燃焼室式機関であり、TB11B形を装備、補機類はCW750D空気、DM99AもしくはDM99B形4 などで、いずれも駆動としてを廃している。 この機関は、に開発されたDMF15HS形の派生形であり、排気タービン過給器あり、なしの構成としたものである。 DMF15HSA形機関 にて 液体変速機・減速機 [ ] 変速・直結各1段のDW10形を装備する。 これは・キハ66系に搭載されたDW9形をベースにとしたもので、の構成は在来標準形のDF115・TC-2形(3段6要素)に対して、DW4形・DW9形や用のDW6形(2000番台 )などと同じ中高速での引張力を確保するとともに、を抑制した1段3要素となり、はいずれも湿式多板式で、変速、直結が各3枚、逆転機が8枚の構成となっている。 なお、変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転差を検出して機関の吹き上げ、指令を出し、最適な回転数で切り替える半自動式とすることでショックのない変速としたほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。 冷却は従来の式からによる式に変更となっているほか、変速機油は、従来のDF115・TC-2形では軽油を用いていたが、本形式では変速機内部のを共用して機構の簡略化を図った。 また、逆転機を台車に装架するのが困難な2軸駆動車用のDW9の構造を踏襲して逆転機を変速機内に内蔵し、台車側にはの方向転換と最終減速段を受け持つ減速機を装架している。 なおは2. 995と従来の一般形気動車よりもわずかに大きくされている。 液体変速機の構成の違いにより、起動時の周引張力はキハ20系(定格出力180 PSのDMH17C形機関搭載車。 変速機としてDF115A形ないしはTC2A形を搭載)の2,500 弱に対して2,400 kg弱と低く、車両重量の増大と相まって「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。 駆動方式は1軸駆動で車両内側よりの第2軸を駆動しており、台車にキハ65形・キハ66系の第2減速機と共通 のGB122形減速機が装架されている。 GB122形減速機(減速機支え装置取り付け側) 台車 [ ] 酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形を採用した。 一方、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルばね式のを採用しているが、台車に逆転器を搭載しなくなった分、側梁を軽量化している。 DT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形は枕ばねを空気ばねとしたが、これは寒冷地域でコイルばねの間に雪が詰まって固着してばねが効かなくなる問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化 、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸ばねはコイルばねをゴムで被覆したいわゆる「エリゴばね」として、雪咬みを防止している。 初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式で、荷重を軸箱直上の軸ばねで伝えるDT44形(動力台車)・TR227形(付随台車)であったが、以降は制輪子交換を容易にするため、軸箱支持方式を乾式円筒案内式としたDT44A形・TR227A形に変更された。 枕ばねは保守面での制約などから、空気ばねを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなく、ボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気ばねを挿入するインダイレクト方式(国鉄ではなどに広く採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式)として基本構造をと共通化しており、空気ばね・ボルスタアンカ・LV4-1形空気ばね自動高さ調整装置などは同系列と同一もしくは一部変更品を使用している。 枕ばねを横剛性の高いダイアフラム型空気ばねとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、DT22・TR51系コイルばね台車を装着する一般的な急行形気動車を超える乗り心地となった。 また、各形式とも制輪子の自動隙間調整器によりブレーキシリンダストローク調整作業を省力化している。 TR227A形台車 ブレーキ [ ] キハ66系と同じく、12系以降の新型客車で実績のあったCLに電磁弁を加えた「CLE空気ブレーキ装置」(C: 3圧式制御弁付、L: 応荷重装置付、E: 電磁弁付をそれぞれ示す)とした。 これは従来型気動車の標準ブレーキ装置であったDA1系自動空気ブレーキのA動作弁に代えて三圧式制御弁 KU-1B を使用し、ブレーキ弁によるブレーキ管 BP の減圧と並行して各車のC13-4AまたはA14-4電磁弁を制御する、電磁自動空気ブレーキである。 このCLEブレーキはDA1系と比較してKU1B制御弁により空気圧指令時のブレーキ応答性が向上し、BPの最大減圧量が1. 4 から1. また、電磁弁の付加により空走・込め時間の短縮による列車衝動の緩和や保ち作用が可能となる、あるいは非常ブレーキ動作時の伝達促進が得られるなど、作動性や操作性、整備性、それに保安性が改善された。 床下の制御弁関係はC26Aブレーキ制御装置として1つの機器箱内にユニット化し、電熱ヒーターを装備して凍結防止を図り、加えて直通予備ブレーキ装置と耐雪ブレーキ装置を装備している。 なお、DA1系自動空気ブレーキやDAE1系電磁自動空気ブレーキを搭載する在来気動車とも相互に併結可能であるが、DA1系自動空気ブレーキ搭載車との混用の場合、電磁弁が使用不能となるため最大連結両数に制約が生じ、ブレーキの応答性能も低下する。 補器類 [ ] 冷暖房装置 [ ] はキハ20系の後期製造車やの式から、一部のバスでも採用されている温風暖房式となった。 これは、を床下のに通し、ここに外気および室内空気を通して温風として車内に循環させる方式である。 また、が低い時、下り勾配、時など、機関の廃熱だけでは冷却水温が上がらない場合には、機関始動用のWH250B形機関予熱器 を使用して機関冷却水を加熱するが、外気温が0度程度までであれば機関予熱器の使用は不要とされている。 1両あたり2基搭載された重量125 、放熱器水容量14. また、機器搭載に床下スペースを必要とするが、温水管を車体内に引き通す必要がなく、構造も単純であった。 加えて運転室内に用温水暖房装置であるWH33形が運転席側、助士席側に各1基ずつ設置されている。 一方、装置は製造時には設置されず、準備工事も見送られた。 当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると判断されたほか、本形式のDMF15HSA機関は、DMH17系と比較して2割程度の出力増であるが、車両重量が大型化や事故対策などで増加したため、満足できる走行性能が得られず、そのため、自重増となる発電セットの搭載や機関出力を低下させる直結式冷房装置の搭載が困難であったことも理由である。 ジャンパ連結器 [ ] 本系列の初回生産グループである昭和50年度3次債務車は、各車間で各種電気信号の伝達を行うために用いるとして、在来の一般形気動車と共通の制御用KE53形(接点数15)を2個と放送回路用KE66形 を1個、それに電磁自動空気ブレーキ指令用のKE67形 を1個の計4個のジャンパ連結器を実装していた。 冷房装置を備えない一般形気動車ではこの4個のジャンパ連結器が、冷房搭載の急行形気動車ではこれに加えて冷房制御用のKE53形1個と高圧電源供給用のKE8形(接点数8)1個が装備される。 しかし、技術の発達に伴って後追いでジャンパ連結器を追加していった結果である、芯線数の少ないジャンパ連結器を多数接続するこの構成は、複数の異なった形式を併結するために必要であったが、増解結作業が煩雑となり、保守上も部品点数が増えて望ましくなかった。 このためそれら全てを、本系列の設計の基本となったキハ66系で2両ユニットの連結面間に使用されていた 、新世代の多芯ジャンパ連結器であるKE91形 (接点数90)へ集約・置換することが検討され、2回目の生産ロットとなった昭和52年度1次債務車ではその準備工事として、妻面向かって左下に大きな縦長の窪みを設け、将来ここにKE91形を格納する計画とした。 その後、昭和53年度本予算車ではジャンパ連結器格納用の窪みはそのままに、新たに設計されたKE93形 1個で従来のKE53形2個を置き換えるように計画が変更された。 KE93形には在来の気動車との併結を考慮して、KE94形アダプタ が用意され、これをKE93形にボルトで固定することで、KE53形2個を備える一般形気動車と併結可能としている。 なお、KE53形2個の接点数は合計で30であるため、接点数61のKE93形では多数が空き接点となる。 これはKE66・67形相当の信号線の割り当て予約など、将来的な割り当て数の増加を見越して接点数に余裕を持たせたためであり、KE93形をKE94形を併用せずに単独で使用する際には、KE66・67形や冷房用のKE53形1個の接続が不要となる。 キハ40 136 急行「えりも」(1986年) 北海道用の酷寒地向けとして1977年上期から製造された、暖地向けのキハ47形とともにキハ40系では最初に就役したグループである。 車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓、便所、空気ばね台車を装備する。 1982年までに150両 101 - 250 が製造された。 1977年製の16両 101 - 116 のみ、角型水タンク、4人掛けクロスシート12組 、客室の小窓が両端配置、客室の化粧板が薄茶色、台車は、軸箱支持装置がペデスタル式の空気ばね台車であるDT44・TR227、などの特徴を持つ。 客室の化粧板はクリーム色になり、台車はDT44A・TR227Aに変更された。 1988年に9両 141 - 149 がに改造され、残りの車両も1990年から1995年にワンマン化改造でにされ、廃区分番台となった。 500番台 [ ] 八戸線で運用されていたキハ40系500番台 主にを対象とした寒地仕様で、1977年末から製造された。 デッキ付きで上段下降・下段上昇式のユニット窓と空気ばね台車を装備する。 1982年までに94両 501 - 594 が製造された。 初期に製作された501 - 520はDT44・TR227台車を装備し、車内の化粧板は淡緑色である。 521号車以降は窓の配置や座席配置が変更され、車内の化粧板がクリーム色系、台車がDT44A・TR227Aに変更され、スカートの形状も変更された。 520以前の初期車両は譲渡 や淘汰が進み、2020年3月13日まで及び運用に充てられていたの502のみが運用されていた。 2000番台 [ ] 関東以西の暖地向け仕様で、1979年に製造が開始された。 窓は2段上昇式ユニット窓(このため500番台と比べて四隅に丸みがついておらず、車体よりやや奥まっている)、車内の化粧板はクリーム色系で、デッキは装備されていない。 当初キハ47形を両運転台式としたキハ41形が計画されていたが、便所と暖房用ダクトの配置が困難であるため、キハ40形500番台に準じた車体で製造されたものであり、このためキハ47形の「両運転台版」という性格も併せ持つこととなった。 台車は金属ばねのDT22D・TR51Cである。 1982年までに148両 2001 - 2148 が製造された。 本来は暖地仕様だが、一部の車輌が男鹿線、只見線など寒冷地で運用されている(平成27年までは石巻線でも運用されていた)例もある。 JR西日本に承継された車両の一部はやに改造されている。 このうち、1980年製のキハ40 2055 は1983年6月に起きた沿線の集中豪雨が原因の事故によって大破し、同年7月付でされた。 これは国鉄時代の本系列唯一の廃車である。 キハ47形 [ ] 1. 3 m幅の両開き扉を車体中央寄り2か所に配置した、いわゆる「近郊形」のレイアウトで、客室窓は2段上昇式ユニット窓、デッキは装備せず、北海道向けの酷寒地仕様も存在しない。 キハ40形、キハ48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、仕向け地とトイレの有無による番台区分がある。 車内の化粧板はクリーム色系だが、初期に製造されたキハ47 1 - 16は緑色系である。 0番台・1000番台 [ ] キハ47 1501 朱色、1987年 新潟地区向け寒地仕様で、空気ばね台車装備。 1978年から1980年にかけてトイレ付きの500番台車22両 501 - 522 とトイレなしの1500番台車21両 1501 - 1521 が製造された。 本来は寒地仕様だが、国鉄時代にとの電化に伴い四国や中国、九州など温暖地に転じ、そのまま運用される例もある。 なお、中国地方の山間部の中には東北上信越なみの寒冷地およびも存在する(など)。 キハ48形 [ ] キハ40形と同等の車端部片開き2扉配置だが、片運転台であり、便所の有無や耐寒仕様による番台区分があるが、暖地仕様の車両は存在しない。 便所は運転台のない側の車端デッキ寄りに設置されている。 0番台・1000番台 [ ] キハ48 301、2009年9月 北海道向け酷寒地仕様で、1982年にごく少数が製造された。 デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はとも類似する。 輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくく、便所付きの300番台車は4両 301 - 304 、便所なしの1300番台車は3両 1301 - 1303 の製造に留まった。 304と1300番台全車が1988年にに改造され、1300番台は廃区分番台となった。 また、301 - 303の3両は、JR北海道に承継された後、で札沼線(学園都市線)の一部区間が電化されたため運用から外され、3両ともに売却されて300番台は廃区分となった。 500番台・1500番台 [ ] キハ48 523の入口とデッキ部 キハ40形500番台と同様の寒地仕様車で、1979年から製造が開始され、1982年まで増備された。 デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備している。 便所付きの500番台は59両 501 - 559 、便所なしの1500番台は50両 1501 - 1550 が製造された。 主に東北地区や、に投入された。 改造車・派生形式 [ ] 国鉄 [ ] 車齢が若かったこともあり、国鉄時代に行われた改番を伴う改造は、キハ40形1000番台のみである。 また、冷房改造は鹿児島地区のみで実施された。 冷房化改造 [ ] で運用する本系列に対し、降灰対策のためバス用独立機関式クーラーのと自動車用車内放熱器のRH21を用いたAU34による冷房化を、1986年から1987年にかけてキハ40形5両およびキハ47形10両に実施した。 機関直噴化改造 [ ] 製のに搭載したDMF13Sの実績に基づき、本系列のDMF15HSAについても直噴化と電子ガバナ化改造を実施した。 試作として、キハ40 109およびキハ47 47、48、1034が改造され、試験の結果16 - 20 程度の燃料節減となったため、その後1987年までに北海道配置のキハ40系112両が改造された。 キハ40形1000番台 [ ] 向けに暖地向けからトイレを撤去するなどの改造を行ったグループで9両が改造された。 1001-1007は国鉄が11月末から翌3月末の間に、1008と1009はJR東日本がとに各1両を改造した。 改造時期やその後の改造などにより形態には差異がある。 キハ40 1001-1007:4月から5月にへ新製配置しで運用していたキハ40形2000番台(2011-2020)のうちへ転出した3両(2018-2020 )を除く7両 2011-2017 を改造・改番。 改造工事はで施行した。 トイレの撤去により定員は98名となったが、撤去したトイレ部分の小窓と屋根上の水タンクが存置された。 塗色は烏山線独自のローカル色(白()地に緑色()でr字様帯模様の2色塗装)に変更されている。 国鉄分割民営化後は全車JR東日本に承継された。 民営化後の3月に1006を除く6両について(後乗り前降り)対応改造と座席のロングシート化工事を施行し定員が144名に増加した。 同時に車内案内自動放送装置、外部スピーカー、乗降口案内表示器が設置され、客室は旧トイレ部分の小窓をそのまま固定化して座席および網棚、吊手を延長し、ロングシートの中央部の排気管立ち上がり部分には消火器とくず物入れを設置した。 更に1995年から1996年にかけて冷房装置 のAU34 を搭載して網棚上4か所にクーリングユニットを装備し、水タンクとその横にあった通風器が撤去された。 乗降扉の半自動対応改造(乗降扉横に押しボタン式のドア開閉装置、ドア開閉時チャイム音)も行われた。 ワンマン化されなかった1006は、耐寒耐雪改造を受け東北地区に転出した。 その後更に2004年にでリニューアル工事が行われ、烏山線に残留した同番台車とは下記のように仕様が異なっている。 座席配置がセミクロスシートのまま• 屋根上水タンク存置• 旧トイレ部分 の窓を埋め込み• 他の1000番代と異なり旧トイレ部に他の客室窓と同様のユニット窓が設けられている。 また高崎時代にAU34を搭載して冷房化されており、室内はクーリングユニットではなく天井に冷房用ダクトが設けられている。 水タンク横の通風器が残る他、床下機器配置も異なっている。 キハ40 1009:1995年12月にのキハ40 2139を改造。 水郡線時代にAU34による冷房化とワンマン化改造を受けため、1008同様に水タンク横の通風器が残っている他、室内も冷房用ダクトが天井に設けられている。 ただし旧トイレ部の窓はトイレ時代の小窓のまま固定化されており、ワンマン化時期の関係で外部スピーカーと乗降口案内表示器の位置も他車と異なる。 機関は原形のまま。 2017年にへ譲渡された。 (石北本線金華駅、2011年1月2日) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 (JR北海道)には、キハ40形100番台150両とキハ48形7両(300番台4両・1300番台3両)の計157両が承継された。 全車が酷寒地形で、キハ47形は国鉄時代から配置されていない。 キハ48 301 - 303を除く全ての車両には、対応・機関換装・冷房装置搭載など、線区の事情に応じた改造が実施され、改番が行われた。 キハ400形・キハ480形を除く各車共通の改造点としては、電磁ブレーキ制御用のKE67形ジャンパ連結器の撤去と、ワンマン運転時および客用扉の半自動扱い時に共通で使用する、KE67形ジャンパ連結器の増設 が挙げられる。 なお、2017年度にローカル線用気動車の量産先行車の製作に着手し、老朽化した本系列を2019年度以降順次置き換えていくという方針が発表された。 また、2016年春をめどに、状態が悪い車両を廃車し、運行本数も削減する予定である。 キハ400形・キハ480形 [ ] (函館本線岩見沢 - 札幌間、1996年9月26日) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 の高速化に向け、急行「」・「天北」・「」に使用されていた を置き換えるため、経年の浅かったキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を(昭和63年)に急行列車用に改造したもの。 それぞれ車番はそのままには キハ400形・ キハ480形に改められ、両形式を総称して キハ400系ともいう。 気動車と遜色ない出力と加速力の向上を図った。 この刷新された動力系により、で作業が増えたにも関わらず、客車時代よりも約40分のスピードアップを達成した。 客室のアコモデーションも14系客車に遜色ないものに改められた。 座席はと同等のへ交換され、横引きカーテンや窓框に縁取りが設けられた。 ただし窓配置がキハ40・48時代のままのため、窓と座席の間隔は一致していなかった。 キハ400形については便所を改良して隣に洗面所を新設した。 キハ480形は種車が便所付きだった304も撤去して全車便所なしとしている。 また屋根上にインバーター式の冷房装置(N-AU400)1基を搭載して冷房化したが、ではなく、キハ400形客室内の床上に設けた機器室内に設置した発電用電源エンジンにより、キハ400形自車とキハ480形へ三相交流220 を給電して稼働させるとした。 そのためキハ480形単独では冷房装置を使用できなかった。 外観はグレー系のツートーンカラーに赤の細帯という独自の塗装に変更された。 また先述のように窓配置は変更されていないものの、キハ400は先述の改造によりトイレの隣の窓1つは洗面所スペースとして埋め込まれ、反対側は発電用機関スペースとなった窓2つ分が同様に埋め込まれてルーバーが増設され、使用列車名をあしらったエンブレム状のロゴが塗装で表現されていた。 定員はキハ400形が48名。 キハ480形は当初68名だったが、後に飲料水のが設置され66名に減少した。 全13両で予備車が少なく、またキハ400形が機関室・便所・洗面所付き両運転台車で定員が少ないため、多客期はやなどが増結されていた。 その後、老朽化したお座敷気動車を置き換えるため、1997年(平成9年)にキハ400形100番台3両がお座敷気動車に改造されてに改番され、代替はされた。 急行用として残った10両は、2000年(平成12年)3月11日のダイヤ改正まで使用されたが、このダイヤ改正で宗谷本線高速化完成に伴う急行の特急格上げに伴い運用から外され、うち9両は同年夏に学園都市線()用の一般車()に再改造されたが、キハ480-304は転用されず、(平成18年)10月6日付で廃車された。 側面洗面所部分に描かれたロゴ キハ400形500番台 [ ] 老朽化した()を置き換えるために、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて前述の3両をお座敷車に改造したものである。 同時期に改造されたお座敷車のと同様、一般車と併結して運用することが可能である。 客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装は黒、深い赤、暗い灰色のブロックパターンに改められた。 客室は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ30 cmの構造としているが、乗客が足を伸ばしてくつろげるよう床面をフラットにすることも可能である。 2003(平成15)年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施された。 2015年(平成27年)3月31日付で2両(502・503)が廃車され、残った501も同年11月に解体され、キハ400形は形式消滅した。 キハ400-502「くつろぎ」 キハ40形700番台 [ ] 1990年から1994年にかけてにワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造された。 番号は1次車 101 - 116 が種車の車両は元番号に725を足した連番、その他の竣工順の付番とされている。 番号は次のとおり。 DMF15HSAのまま機関の直噴化改造を施工された車両があり、その車両はが移設されたため、車体側面の機関用吸気口が塞がれている。 循環式汚物処理装置の取り付けが進んでおり、屋上の水タンクを撤去し車内設置に変更した車両も存在する。 JR移行後は、地域色を除き外板色が白地に色と青の帯に統一されていたが、2010年4月に、釧路運輸車両所所属の777が首都圏色(朱色5号)に変更された。 客室とデッキの間の仕切り壁が撤去されたことにより車内の保温が困難になるため、ボタン開閉式のを装備している。 本番台は全車がに配置され、同じく同所配置で札沼線(学園都市線)で運用されていたと共に、車体地色がライトグレーとなっている。 改造時にワンマン設備を外したため、札沼線一部電化後は定期運用がなく予備車扱いになっている。 車内側のドア開閉ボタン(2009年7月13日 札沼線列車内) キハ40形400番台 [ ] 1996年に札沼線石狩当別 - 新十津川間のワンマン化と、同区間で運用していたの老朽化による置き換えのため、2両を改造したものである。 キハ53形500番台は閑散ローカル線での1両運行実現と降雪時の抵抗増に対応するためにキハ56から改造された両運転台・2機関車であった。 それを置き換える本番台は必然的に大出力化が求められ、ほぼ同時期に改造されたと同様にの駆動システムを基にして、それまでの改造車よりも更に強力な動力装置を搭載しているのが特徴である。 台車はキハ143形と違い改造前のものを流用しているが、出力増大に伴い動力台車は2軸駆動に改造され形式名がN-DT44Bとなっている。 またに代えてを搭載した。 冷房装置は搭載していない。 外観上は客用扉を萌黄色として区別している。 キハ40 401(2007年6月5日 札沼線) キハ40形350番台 [ ] でを置き換えて使用されていたが車体構造が原因で早期に老朽化したため、これの置き換えのために1998年から1999年にかけてキハ40形700番台10両を改造して再投入したもので、愛称は「優駿浪漫」である。 学園都市線用の300番台とは異なり車内の改造は行わず、冷房装置も搭載されていないが、外板塗装は白地に青とピンクを配した独自のものに改められている。 基本的に日高本線の列車で使用されているが、に伴いなど近隣線区でも運用されている。 キハ40 356(2018年9月2日 室蘭本線・石勝線) キハ40形330番台・キハ48形1330番台 [ ] 2000年の宗谷本線急行の特急格上げに伴い、余剰となったを学園都市線に転用するために再改造したものである。 通勤・通学用への転用に伴い、の廃車発生品を用いて座席を全てロングシートとした。 また客室・デッキ間の仕切り壁や引戸を撤去し、かわりにボタン開閉式の半自動ドアを装備している。 300番台と同様、この両番台も外板色はライトグレーとした。 キハ400形は床上の機器室内に設置した電源用機関、その向かい側の洗面所を撤去 して客室とし、機器室跡に窓を1か所再設置 し洗面所側は窓無しとした。 電源装置の撤去により冷房用電源がなくなるため、両番台とも、キハ40形300番台同様の機関直結式冷房装置のN-AU26に交換され 、従来、冷房用電源の関係でキハ400形とペアで使用されていた キハ480も単独での運用が可能となった。 新たに設置された冷房装置の、圧縮機から屋根上の本体に至る配管と配線は客室内の中央付近の側面を通るため、この部分でロングシートは分断され、約2人分のデッドスペースを生じているほか、キハ400形・キハ480形時の装備であった横引きカーテンのレール覆いや、窓框の縁取りが残されている。 10月27日に学園都市線の桑園駅 - 北海道医療大学駅間の列車が全て電車に置き換えられて一部の車両が余剰となった。 このうち、キハ40 334・335とキハ48 1331 - 1333は海外譲渡のため同年11月下旬から12月上旬にかけてまで甲種輸送された。 2524D列車(2010年1月17日 - ) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 後の長期使用を見越し、に延命改造を実施したものである。 2003年度から11年程度をかけて全車に施行される計画で、2013年4月時点で84両に施行され、このうち、キハ40 1795が函館運転所構内の脱線転覆事故で2007年3月7日に廃車になったため、に5両、に18両、に24両、に20両、に16両の計83両が配置されている。 改造車の番号は原番号に1000が加えられている。 函館運輸所の1792と1796が・の「バーベキュー号」のとして、に合わせた茶色塗装に変更されたが、その後JR北海道標準色に戻っている。 2010年4月に、釧路運輸車両所所属の1749と1758が首都圏色(朱色5号)にされた。 3月には、のへの転換に伴い、9両が同社へされた。 (も参照) 2018年には4両がとして順次改造を受け運行を開始した。 また2019年には2両がとして改造を受けた。 キハ40 1793(2014年09月16日 ) 「鉄道員(ぽっぽや)」用改造車 [ ] 1999年に映画『』の撮影用としてキハ40 764に改装を施した。 この車両は作品に登場するに似せて側窓の上部をHゴム支持としたいわゆる「」に、前面のパノラミックウィンドウを平窓に、前照灯を貫通路上部の1灯式に改め、車番も「キハ12 23」(実在したキハ12形の最終番号の次の番号)に書き換えていた。 キハ12形により近い外観のは既に定期運用がなかったため、キハ40系が改造された。 映画撮影の終了後も前照灯をシールドビーム2灯 に改め、ナンバーを本来の番号に書き換えた以外はそのままの姿で使われ、「ぽっぽや号」として観光目的のにも充当されたが、集客の低下に伴い保留車となり、側面の改造で車体の老朽化が進み、前照灯と窓の変更により運転環境も悪化していたため、2005年6月24日に気動車の余剰整理を機に廃車された。 廃車後は車体が2分割され、一方の先頭部はロケ地の前に保存されている。 幾寅駅前に保存されるキハ40 764のカットボディ 「北海道の恵み」シリーズ [ ] 2018年2月に発表された改造車両。 沿線活性化を目的とし、北海道の地域(・・・)をイメージした外装や、木目の床・木材を使用した背もたれなどが導入されている。 全4両で、使用車両は以下の通り。 それぞれに名前が付けられている。 キハ40 1720「 道北 流氷の恵み」• キハ40 1779「 道東 森の恵み」• キハ40 1809「 道南 海の恵み」• キハ40 1780「 道央 花の恵み」 「山紫水明」シリーズ [ ] JR北海道はの好評を受け、同様にキハ40形の改造により、観光列車として運行可能な車両2両を導入することとなった。 2019年9月には「 山明」号を公開。 キハ40 1790からの改造車で、外観は広大な大地をイメージした深い緑色となっている。 座席には木を用いたほか脱着式のテーブルも取り付けられ 、普通列車としての運用時はテーブルを外す。 2019年10月には「 紫水」号を公開。 キハ40 1791からの改造車で、外観やモケットの色が「山明」号の緑に対して「紫水」号は紫となっている。 JR東日本 [ ] (JR東日本)には、キハ40形117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両が承継された。 民営化後の高出力車導入により、収容力は大きいが機関出力の小さいキハ40系気動車は比較的平坦でワンマン運転に適さない線区に配置されている。 他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置の搭載、機関の換装も実施されている。 秋田地区の男鹿線用車と新潟地区の羽越・磐越西線で運用される車両には、更新時に混雑対策としてロングシート化とデッキの撤去も実施された。 なお、五能線などのキハ40形ではデッキの仕切りがある車両と仕切りが無い車両が混在する。 八戸線で運用されていたとはトイレが撤去され、器材室に変更され、ドアに「器材室」「トイレは他の車両です」と表示されている。 形式もしくは番号の変更を伴う改造は、前述のキハ40形1000番台2両とジョイフルトレインへの改造にともなう8両のみであるが、ジョイフルトレイン(イベント用列車)への改造は多く、現在までに8タイプが登場している。 同社では2006年4月までにキハ40形13両とキハ48形2両の計15両が余剰により廃車となっている。 2002年に廃車されたキハ40 511はに譲渡の上で展望気動車「風覧望(ふうらんぼう)」(AT-400形401)に改造され、本系列初の譲渡例となった。 2011年3月11日のによる津波により、キハ48 502・1512(停車中の1639D) 、キハ48 552・1544( - 間の2942D) が流出し大破、廃車になっている。 また、女川駅隣接の温泉施設「ゆぽっぽ」に1両(旧キハ40 519)が保存され、車内を畳敷きとした上で休憩室として利用されていたが、こちらも津波で流され大破している。 キハ48 545 縁結び列車 冷房化改造 [ ] 1987年から1988年、および1995年に前述のキハ40形1000番台6両を含む計26両にサブエンジン式のAU34による冷房化改造が実施されている。 床下の熱交換器を撤去して冷房装置を搭載するもので、1987年から1988年にかけて改造された車両は室内熱交換器を床下に設置する方式、1995年に改造された車両は荷棚部に室内熱交換器を設置する方式である。 その後1995年以降、南秋田運転所、小牛田運輸区、新津運転所の計113両は機関直結式のAU26J-Aによる冷房化改造が実施された。 なお、JR他社における改造の事例と異なり液体変速機はDW10のままのため、機関出力を300 PSに下げて使用されている。 2000年に仙台支社に転出し、「ふるさと」と改称されている。 キロ48 1には「華 HANA 」、キロ48 2には「風 FU 」、キロ40 1には「月 GETSU 」の愛称が付され、車体はそれぞれ日本の伝統色である緑・紫・紅を基本色とし、その下部に金色を配して華やかさを演出している。 改造当初はであったが、2003年4月にに変更され、キハ40 2501とキハ48 2501・2502に改番され、新番台2500番台が成立した。 2016年8月28日の団体臨時列車をもって運用から外され 、同年9月7日付で廃車された。 ふるさと リゾートしらかみ用ほか [ ] 臨時快速列車「」(秋田駅 - 弘前駅・青森駅)に、キハ40系改造車両が使用されている。 2003年の姉妹車「ブナ」編成の登場に伴い、「青池」編成と命名された。 キハ48 533・540・1521・1543を改造したもので、いずれも原番のままである。 外観では、1・4号車の前頭部形状を変更した他全車の側窓を拡大してブロンズガラスの固定窓とし、眺望を存分に楽しめるよう配慮し、これに併せて前照灯をHIDとした。 塗装はの白、の深青をイメージした塗り分けとしている。 臨時快速列車「」(秋田駅 - 弘前駅・青森駅)に使用され、2006年3月18日のダイヤ改正を前に3両編成となり、キハ48 1521は「くまげら」編成に転用された。 全線開業に伴う2010年12月4日のダイヤ改正に合わせ、新型リゾートトレインである4両編成1本が導入された ことにより、現行の「リゾートしらかみ」3編成のうち青池編成が置き換えられた。 置き換え後、中間車のキハ48 1543は、リゾートしらかみの4両編成化に伴い「ブナ」(木偏に無と書く「橅」という表記で案内されている。 のため、以下カタカナで表記する)用の中間車に組み込まれ、残ったキハ48 533・540は2011年に団体臨時列車用の「CRUISING TRAIN」に改称された。 外部の列車名ロゴを張り替えた程度で、内外装の改造は行われていない。 従来の編成と編成両数や設備が異なり、区別するために「ブナ」編成と命名された。 従来の「青池」編成が4両編成であるのに対して3両で組成されていたが、後の2010年12月のダイヤ改正で旧「青池」用であったキハ48 1543を「ブナ」用に改造した上で組み込み、4両編成化された。 改造はキハ40形3両を種車として実施されたが、種車が両運転台であるため後位側の運転台を撤去し、その跡にトイレ・洗面所または喫煙室を設置した。 外観は「青池」編成の青に対し白神山地の深緑を車体色とし、前頭部の形状も「青池」編成とは異なるイメージのものとした。 本編成は、客用扉にドアチャイムを設置する。 リゾートしらかみの他、房総地区や飯山線などでの臨時列車としても運行されたことがあるが、 [ ]2016年7月15日をもってHB-E300系に置き換えられた。 その後JR東日本秋田支社管内の「」として、2018年4月18日よりに寄港するの乗客専用列車「」(-間)として運転を開始した。 転用に際して塗装は旧青池編成である「CRUISING TRAIN」と似た白と青の配色に変更されている。 あきたクルーズ号 リゾートしらかみ「くまげら」編成 [ ] 2006年3月18日のダイヤ改正で「リゾートしらかみ」は多彩な観光メニューに対応するため3往復体制となり、これに併せて第3編成として投入されたのがこの「くまげら」編成である。 内装と設備は「ブナ」編成と同一であり、本編成も客用扉にドアチャイムを設置する。 3両編成であったが、2010年12月のダイヤ改正でキハ48 1503を「くまげら」用に改造した上で組み込み、4両編成化された。 外観はオレンジ色が基調として、「青池」編成と「ブナ」編成を意識した青・緑の帯を入れている。 2008年からリゾートしらかみの他、房総地区の臨時列車としても運行されたほか、2009年には - 間の臨時快速「光のページェント号」でも使用されている。 リゾートしらかみくまげら編成 びゅうコースター風っこ [ ] 「」は、キハ48形をに改造した車両で、仙台支社が2000年から運用を開始した。 従来、仙台支社では貨車を改造したトロッコ車両を保有していたが、運転時の入換作業や保安要員の配置など運行コストの問題があったため、置き換え用としてキハ48 547・1541を改造した。 改番は実施されておらず、機関をDMF14HZに換装している。 車体側面を大きく開口させ、外気を存分に感じることができるようにするとともに、冬季には寒気対策のために開口部にガラス戸をはめ込んだり、取り付けられたストーブを焚くことができる。 また、開口部の下部にはガラス戸を設置し、さらに開放感を高めている。 外装は、春から夏に掛けての車窓の自然をイメージした緑(若葉)、青(川・湖)、白(雲)、黄(光)をちりばめた爽やかなものである。 車内には、難燃木材を使用した木製座席が設けられ、各ボックスにはテーブルが設置された。 天井は骨組みを剥き出しにし、を用いてレトロで暖かみのある雰囲気を創り出している。 キハ48 1505・1506・1534を改造したが、改番はされていない。 列車名は「きらきらみちのく」、車両名は「き・ら・き・らみちのく」であった。 前面と側面の窓は眺望に配慮して拡大し、UVカットガラスの固定式とした。 塗色は青森県内各地で開催される「夏祭り」をイメージした赤を基調に窓下を白に塗り分けている。 車内は、1・3号車 1505・1506 に2人掛けと1人掛けの回転式リクライニングシートを装備、2人掛けシート設置部は床を100 mmかさ上げしたハイデッキ構造とし、1人掛けシートは眺望に配慮して45度窓側に向けた状態で固定可能であるほか、トイレと洗面所も新設し、客室との間に喫煙室を設置している。 2号車 1534 は座面を畳敷きとしたボックスシートで、背もたれを高くした個室に近い構造となっているほか、前位には、観光用VTRや運転席からの映像を放映することができるモニタを備えた情報コーナーを設けている。 休日を中心に、東北新幹線「」に接続して八戸駅 - 間で運転されていたが、2010年11月28日に「き・ら・き・らみちのく」での運行を終了した。 また・の臨時列車でも使用された。 その後、「青森デスティネーションキャンペーン」にあわせて、八戸線沿線の海をコンセプトに、上部はさわやかな「空の青」、下部は太平洋の「深い青」、上部と下部の境目に「水平線から昇る太陽(サンライズ)」をイメージした塗装に変更するなどの再改造が行われ、2012年春から八戸線を中心に運行されており、愛称は一般公募により「」となった。 キハ48 555・1549の座席を回転式リクライニングシートに交換し、トイレを洋式に改装して汚物処理装置を装備したが、冷房装置の搭載や機関の換装は行われていない。 塗装は、車体中央部を海をイメージした青として本列車のネーミングの元となったを描き、車端部はの日の出をイメージした赤として、その間に白と黄のストライプを入れたものとしている。 「うみねこ」運行終了に伴って臨時列車に使用されており、JR東日本盛岡支社HPでは「キハ48系リクライニング車」と表記される。 5月3日と9月17日にはの臨時快速「終着駅号」として運行されたほか、経由でまで乗り入れたこともある。 2011年4月から八戸線を走るリゾートトレイン「」の運転開始に伴い、「うみねこ」としての定期運行が終了し、同年9月の全般検査の際に車体中央部のウミネコのイラストと文字が消され、前面のヘッドマークも外された。 2012年8月11日 - 19日のお盆期間に、盛岡 - 釜石間の快速「ふるさとの風釜石」として運行され、同年10月からは土曜、日曜、多客期および使用可能日に新青森 - 大湊間で運行していた「リゾートあすなろ下北1号・2号」に代わって、八戸 - 大湊間の臨時快速「まさかり」として運行された。 なお、当時大湊線を走行する車両では唯一の非冷房車であった。 2014年2月23日に臨時快速「まさかり」の運行が終了し、同年6月1日から走行線区と運転時刻はそのまま、臨時快速「なのはな」となり、7月1日から臨時快速「はまなすベイライン」へと改称した。 2017年11月21日に秋田総合車両センター(土崎)へ配給輸送され 、同年11月22日付で廃車された。 冷房装置の搭載は1988年に試験的に実施した後、1990年度からは床下搭載型のAU27形とAU28形によって本格的に実施され、1991年度に全車の改造を完了した。 車体の塗色は1990年頃まで国鉄色である首都圏色(朱色5号)であったが、1990年頃から順次地にのラインを入れたJR東海色に塗り替えられた。 2011年からキハ40 3005・キハ40 6309・キハ48 3812・キハ48 6812・キハ48 6502の5両は旧国鉄一般形気動車標準色風の塗色になった。 最終配置はキハ40 6309のみで、残りの4両はである。 機関換装は1989年以降に少数に実施した後、1997年度からは本格的に実施され、1999年度までに全車の施工を完了した。 なお、機関換装にあわせて全車を改番している。 ワンマン運転対応は、1991年の開業に伴い同線用に貸し出されたキハ40 2057・2112に実施された後、翌年にはのワンマン化に伴いキハ48形にも実施され、その後ワンマン運転線区の拡大により全所属車の半数以上が改造されたが、キハ47形はワンマン運転対応されなかった。 キハ40形5000番台 [ ] 紀勢本線用のの機関を換装し冷房装置を搭載したもので、1989年から1990年にかけて6両が改造された。 冷房装置はC-AU711Dを2基屋根上に搭載している。 番号は原番に3000を加えたが、番号整理に伴い1999年度に3000番台に再改番された。 番号は原番に3000を加えたが、番号整理に伴い1999年に3800番台に再改番された。 なお、これらとペアを組むキハ48形1500番台5両(1523・1524・1528 - 1530)にもワンマン運転設備が付加されているが、機関換装は実施されず、改番も行われなかった。 暖地向け車は5001(トイレなし車およびキハ40形は6001)から、寒地向け車は5501(トイレなし車は6501)からそれぞれ原番の順に機関換装と同時に改番した。 1999年には、以前に機関換装を実施た車両も再度改番しており、C-DMF14HZ搭載車として3000番台に区別した。 ワンマン運転対応車両は300を加えてさらに区別された。 概要は以下の通り。 キハ40形 [ ] 3000番台 旧5000番台。 C-DMF14HZ搭載。 3001 - 3003・3005・3010の5両。 このうち一部はJR西日本所属車と番号が重複している。 3005は2011年6月8日から旧国鉄一般形気動車標準色風の塗装に塗り替えられている。 2015年7月・12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 3300番台 旧5000番台。 3000番台のワンマン運転対応車。 3306のみ。 2015年12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 5500番台 にC-DMF14HZBを搭載。 廃区分となった。 5802のみ。 2015年7月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 6000番台 にC-DMF14HZBを搭載。 6300番台 1999年から2000年にかけて6000番台にワンマン運転設備を付加 し、再改番 6304・6307 - 6309・6311・6312 したもの。 2015年7月・2016年3月に廃車され、6304を除きミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 2015年3月に廃車されミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 2015年3月・4月に廃車されミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 キハ48形 [ ] 3800番台 旧3500番台。 改番時点でワンマン対応改造済み。 3809・3812・3814 - 3816の5両。 3812は2011年4月18日から旧国鉄一般形気動車標準色風の塗装に塗り替えられている。 3814は2015年3月に、残る4両は2015年4月・7月・2016年3月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 5000番台 にC-DMF14HZBを搭載。 廃区分となった。 5300番台 5000番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもので、2000年と2003年に1両ずつ 5302・5303 、計2両に実施。 2016年3月に廃車され、5302はミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 5500番台 にC-DMF14HZBを搭載。 5511・5513は2015年3月に廃車。 残る3両は2015年7月・12月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 5800番台 1999年から5500番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもの。 5802 - 5807・5810・5817の8両。 2015年4月・7月・2016年3月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 6000番台 にC-DMF14HZBを搭載。 廃区分となった。 6300番台 2000年に6000番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。 6302の1両のみで、2016年3月に廃車されミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 6500番台 にC-DMF14HZBを搭載。 2015年7月・12月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 6800番台 1999年から6500番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもので、6803 - 6816の14両に対して実施された。 うち6806・6807・6811 - 6813の5両は6500番台への改番時点で既にワンマン運転設備を装備していた。 2015年4月・7月・12月・2016年3月に廃車され、6805 - 6807と6811を除きミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 キハ48形6800番台(2011年12月24日、岐阜駅) JR西日本 [ ] には、キハ40形63両(すべて2000番台)、キハ47形189両(0番台108両・500番台3両・1000番台75両・1500番台3両)、キハ48形5両(0番台3両・1000番台2両)の計257両が承継された。 これはJR旅客鉄道会社の中で最大である。 廃車はキハ48形の3両のみで、2018年現在は254両が所属している。 JR西日本が保有する一般形気動車の半分以上が本系列で占められ、後継のと共に中国・北陸地方の非電化区間の主力として活躍している。 JR西日本の非電化区間では、線区や利用状況などで本系列とキハ120形を使い分けている。 形式と番台の変更を伴う改造は、キハ40形・キハ47形の座席のロングシート化による改番とキハ47形の両運転台化によるキハ41形への改形式、イベント用列車への改造に伴うもののみであるが、1989年度からキハ40形の全車とキハ47形の大半にワンマン運転対応化改造が実施されている。 また、広島支社()配属の車両については側面中央上部に式のの増設が行われ、板式のの使用を終了している。 民営化に前後して様々な地域色が登場したが、2009年からは塗装工程の簡略化のため、首都圏色(朱色5号) への塗装変更が進んでいる。 キハ47 1036 みまさかノスタルジー国鉄急行色 冷房化改造 [ ] 1989年度から1995年度にかけて製のAU34による冷房改造が全車に対して実施されている。 床下の暖房用熱交換器を1基撤去してAU34を搭載し、車内荷棚部に室内熱交換器を設置している。 機関換装 [ ] 1994年度から2000年度にかけて機関および液体変速機の換装を実施している。 機関は製SA6D125H-1AもしくはSA6D125HE-1への換装が実施された。 液体変速機はコマツ製のKTF3335A-1A(変速2段・直結3段、自動式)または新潟コンバータ製TACN-22系(変速1段・直結2段、自動式)へ換装したが、台車が元のままの1軸駆動であり、軸重に対して出力が勝ち過ぎて空転を起こしやすい傾向があり、台車強度の関係から出力を本来の355 PSから330 PSに落としている。 延命40N工事と冷房装置交換 [ ] 1999年度から2009年度にかけて、・等の国鉄形電車と同様の延命40N工事が実施されているが、改番は行われていない。 主な改造内容は、車体外板腐食部張替え、キハ47形の戸袋窓の埋め込み、通風器撤去、側窓を下段固定、上段下降式への交換、化粧板張替え、ドアの半自動装置の電気指令式への変更などである。 また、同時もしくはほぼ同時期に冷房装置の機関直結式のWAU201への交換がキハ47形5両を除いて実施されており、床下のAU34の撤去と屋根上へのWAU201の熱交換器の搭載が行われている。 キハ48 6 玉柏駅 - 牧山駅 2010年3月20日 キハ40形3000番台およびキハ47形2000番台・2500番台・3000番台・3500番台 [ ] 車内の座席をロングシートに交換したもので、は3000番台に、キハ47形はは2000・3000番台に、は2500・3500番台に改番された。 1991年から1992年にかけてキハ40形5両とキハ47形27両(2000番台16両、2500番台1両、3000番台9両、3500番台1両)に対して施工され、1996年度にはキハ47形21両(2000番台7両、2500番台2両、3000番台11両、3500番台1両)が追加で改造されたが、こちらはボックスシートを一部残している。 キハ40形は岡山地区に、キハ47形は岡山()・米子・山口地区に配置され、いずれもラッシュ時に運用されている。 キハ41 2003 既設運転台側、播但線、長谷 - 生野、2010年 1998年の播但線電化に際し、同線のうち非電化で残る寺前駅 - 和田山駅の単行運転用としてに運転台を増設して両運転台化したもの。 5両をで改造してに配置し、播但線内やの - 間で単行もしくは2両編成で運用している。 増設運転台は種車の車体に新造の切妻前面構体を接合しており、既設運転台と灯具類の設置位置や運転室内配置を揃えた特徴的なものとなっている。 増設運転台直後にトイレと水タンクを増設しており、2000番台に付番されている。 その後キハ41 2001は方向転換が行われ、増設運転台が豊岡方に向くようになった。 キハ47形7000番台 [ ] 2005年から観光列車用にキハ47形の内装・外観を改装した車両である。 トイレ付き車とトイレなし車で2両編成を組み1両は指定席車として運用されるが、種車と異なりトイレの有無による番台区分はされておらず通番が付与されている。 瀬戸内マリンビュー 2005年10月1日から(瀬戸内さざなみ線) - 間において観光列車「」が運行されるのに伴い、を改造したもの。 前面は表示装置や貫通扉が埋め込まれ、船を意識したと が飾られている。 側面は運転室側の乗降扉が埋められ、ステップもかさ上げされている。 指定席車のキハ47 7001は山側の腰掛に海側を向いてソファーシートが採用されるなど、客室仕様も大幅に変更されている。 一方、自由席車のキハ47 7002は乗降扉が一箇所となったほかは基本的に従来どおりである。 リニューアル工事も含めた改造費用は8,000万円で、呉線沿線の4(・・・)が全額を負担している。 2012年に - 三原駅間で「マリンビュー」として運転された際には、列車のヘッドマークに「広島県推進協議会」のキャラクター「ひろしま清盛」のイラストを用い、正面右側(運転士側)のオール・ライフブイの代わりに大が飾られるなどの意匠変更が行われた。 宮島口駅 - 間で2020年秋より運行開始する新たな観光列車『etSETOra』(エトセトラ)への再改造に伴い、2019年12月22日をもって運行を終了した。 外装には列車名にもなった・の生きた時代にちなんだ調の装飾が施され、側面は、指定席車は運転室側の乗降扉が埋められて三角形や八角形の窓がはめ込まれ、海側の窓配置が大幅に変わった一方で、自由席車は海側・山側とも従来どおりである。 指定席車の内装は全席海側を向いた座席となり、客室も大幅に変更されている。 一方、自由席車は一般的なキハ47形のリニューアル車の内装とほぼ同じであるが、トイレが洋式に改造されている。 改造費用の8,000万円は山陰本線沿線の自治体であるとが負担した。 車番は「瀬戸内マリンビュー」の続番であるが、こちらは前面の貫通扉が存置され一般車との連結も可能である。 2017年1月29日に「みすゞ潮彩」の運行が終了したのち再改造され、同年8月5日から新下関駅 - 間を運行する新たな観光列車「」の運行に使用されている。 2号車(元指定席車)は座席配置等に大きな変更はないものの、売店スペースがオープンカウンターになり、全体的に木目を強調したデザインに改められている。 ベル・モンターニュ・エ・メール(べるもんた)(2016年5月29日) 天空の城 竹田城跡号 [ ] 2014年4月26日、「天空の城 跡号」ラッピング列車として運行を開始した。 2015年3月3日、車内を暖かみのある木目調の床や窓向きの座席にし観光素材を映し出すモニターを配置するようにリニューアルすることが発表され、同年3月20日から運転を開始した。 2017年からは車両と併結し「ぐるっと北近畿号」として運行されていた。 車種はキハ40 2007 である。 2019年5月6日、「天空の城 竹田城跡号」としての運行が終了し 、新たな観光列車「うみやまむすび」としてリニューアルされることが発表された。 天空の城 竹田城跡号 車内(2015年8月29日) あめつち [ ] 2017年8月17日に「山陰デスティネーションキャンペーン(山陰DC)」(2018年(平成30年)7月から同年9月に開催)に合わせ、キハ47形2両編成の観光列車「」が発表された。 2018年2月28日に詳細デザインが発表され、デザインに映画監督の(出身)・のアニメーション美術監督である(島根県出身)が協力している。 2018年7月1日に運行開始した。 車種はキロ47 7005とキロ47 7006で、番号の新旧対照は下記の通りである。 JR四国では、「伊予灘ものがたり」用改造車を除いて形式と番号の変更を伴う改造や機関換装は実施されていないが、接客設備の改善として1988年に53両全車に対し冷房装置の設置(機関の熱交換器を撤去してS4F給電用機関を設置し、FTUR-300を2基屋根上に搭載)、1989年にキハ40形全車に対してワンマン運転対応設備の設置、トイレの撤去、旧トイレ部分への他の側窓と同型の2段ユニット窓の新設と屋上水タンクの撤去、1993年までにキハ47形のトイレ下にの取り付けが実施されている。 また、2008年2月から、配置のキハ47形2両の車体色が新製時の首都圏色(朱色5号)に変更されている。 給電用機関(キハ40 2143、徳島駅、2012年1月15日) 簡易電気検測車化改造 [ ] JR四国は、JR北海道・JR九州と同様に電気検測車を保有しておらず、JR西日本から検測車を借り入れて自社線の信号設備等の検測を行っていた。 この検測作業をある程度自社の車両等で行い、借り入れ費用を節減する目的で、1988年にキハ40 2147に検測機器を搭載し、簡易電気検測車に改造した。 改造により、車両両端に踏切制御子測定用受電器を、後位側台車にATS地上子測定用車上子をそれぞれ取り付け 、車内には測定・記録機器が搭載された。 客室設備に変更はなく、営業列車に使用しながらJR四国の各線の信号・踏切機器等の検測を行った。 キロ47形(1400番台) [ ] JR四国で運用されていた寒地形 のを、2014年7月からで運転を開始した「」用に改造してキロ47 1401とキロ47 1402としたもの。 種車は2両とも2011年3月31日付で廃車された 後、で保管されていたが、車籍を復活された。 キロ47 1402 JR九州 [ ] には、キハ40形2000番台36両と、キハ47形0番台61両、500番台2両、1000番台41両、1500番台2両の計106両、合わせて142両が承継された。 2012年にで廃車されたキハ47形2両 0番台1両・1500番台1両 を譲り受けている。 廃車は、1993年のの土石流災害で被災したキハ40形2両のみだったが、2019年より置き換えが開始され、新型車両の導入により改番していない車両の廃車が進んでいる。 2020年時点で132両を所有し、長崎地区を除く九州島内各地で運用している。 本系列に対して初めて冷房改造が行われたのが九州であった。 民営化後も1987年から1989年にかけて全車に対して冷房改造が実施された。 国鉄時代はバス用の装置を転用したサブエンジン式のAU34、民営化後はAU34を改良したAU600Kを搭載した。 現在は屋根上の通風器が撤去されている。 ワンマン改造は、大多数に対し施行済みであるが、線区の事情に応じて内容が異なる。 また機関出力向上は1990年から数種の方法で行われており、それぞれ新形式または新番台区分となった。 キハ47形9031 LED方向幕 キハ140形・キハ147形 [ ] などのスピードアップ用に機関を換装して出力増強を図ったものである。 1990年から1993年にかけて9両と、キハ47形は17両と13両の計30両が改造された。 形式をキハ140形とキハ147形に改めた。 車両番号は原番のまま。 1990年に改造したキハ47形7両には新潟鐵工所製のDMF13HZA、4両には製のDMF14HZを試用した。 また、変速機は新潟・コマツ製機関搭載車には新潟コンバータ製DW14系が、神鋼製機関搭載車には同社製のSCR1. 0-4が搭載された。 いずれも変速1段・直結2段となっている。 しかし、台車は従来通り1軸駆動のままであり、空転を起こしやすい傾向がある。 なお、神鋼造機製の機関を搭載した車両は、後にコマツ製機関および新潟製変速機に再換装された。 同車、助士席側 キハ40形7000番台・キハ47形5000・6000番台 [ ] 機関換装ではなく改造により1997年(平成9年)に出力増強を図った車両を改番したものである。 2両と0番台4両、1000番台4両の計10両が改造された。 番号は原番に5000を加えたものとされた。 なお、キハ40 7056は1992年に既に改造を実施していたものの未改番であったが、この機会に改番が実施されたものである。 機械制御式との組み合わせであった既設のDMF15HSAに対し、電子制御式噴射ポンプへの換装とへの改造、過給器の交換などが行われ、機関形式はDMF15HSA-Pに変更された。 改造はこの時の10両に留まった。 1999(平成11)年度から性能向上策が新型機関への換装工事に移行したこともあり、本番台も2006(平成18)年度から8000・9000番台へ再改造されている。 変速機は新潟コンバータ製TACN22-1612A(変速1段・直結2段)とした。 しかし、キハ40 8103・8126の2両はコマツ製KTF3335A(変速2段・直結3段 自動式)を搭載している。 2006年4月時点では、キハ40形10両と14両、1両、1000番台10両、1500番台1両の計36両が改造された。 番号はキハ40形に6000を、キハ47形に8000を原番に加えたものに変更されている。 2005年に寒地向けキハ47形500番台、1500番台を改造した8500番台・9500番台は、同年度中に全車がに再改造された。 2004年には「いさぶろう」・「しんぺい」用の、2006年には「はやとの風」用の増備車が改造され、本グループに編入されている。 2017年にはキハ47 8087および9051に対し「かわせみ やませみ」用の改造を行った。 8000番台の一部は、機関交換と同時にトイレ用の水タンクを小型化して床下に移設し臭気抜き・換気装置を設置、不要となった屋根上のタンクを撤去し同時にトイレの窓も埋められている。 キハ40形8000番台キハ47 8087 車内 キハ47形3500・4500番台 [ ] 寒地形のおよび、その機関換装車であるに行われた。 従来の一軸駆動を2軸駆動化し、同時に、500番台・1500番台は走行機関がコマツ製、変速機が新潟コンバーター製のものに換装された。 これらは8500番台・9500番台と同一のものである。 2005年には、500番台と1500番台1両ずつ、8500番台と9500番台1両ずつを改造した。 番号は原番車ではプラス3000、再改造車では再改造前の車番からマイナス5000である。 現在はとに2両(3500番台と4500番台が各1両)ずつ配置されている。 なお、JR西日本にもが存在するが、これとは無関係であり、番号の重複も発生していない。 キハ47形4500番台 特急「はやとの風」用改造車 [ ] 2004年の()部分開業に伴い新設された観光特急「」用に、キハ140 2066とキハ147 1045の2両を改造した。 車体中央部の窓を床面から屋根にまで達する大きなものに取り替えて展望スペースを設けたほか、座席を回転式リクライニングシートに交換、内装には難燃性の木材を使用している。 塗装はロイヤルブラック1色とされ、各所にロゴをちりばめている。 2006年には追加でキハ47 8092が改造され、キハ147 1045を方向転換したうえで同車と2両編成を組むようになり、キハ140 2066は多客時の増結用となった。 なお、キハ47 8092は指定席用で、内装も従来車に比べて明るい白木仕上げに変更されている。 2012年3月にはキハ140 2066が「指宿のたまて箱」仕様に再改造され、同列車の増結用ならびに両列車の共通予備車となった。 キハ47 8092 座席 「いさぶろう」・「しんぺい」用改造車 [ ] 九州新幹線部分開業に伴い、で運転される観光列車に使用するため、キハ140 2125を改造したもの。 外板塗色は九州新幹線の「」にも使用している古代漆色(深赤)で、座席は木製ベンチ風のボックスシートとしている。 また、車体中央部に窓を拡大した展望スペースが設けられているのは「はやとの風」用車両と同じ。 尾灯の脇に前照灯を増設している。 その後10月には多客時の増結用としてキハ47 9082が追加で改造された。 しかし、こちらは窓の拡大がされていない。 2009年7月には「いさぶろう」「しんぺい」を3両編成で運転するためキハ47 8159にも同様の改造を行った。 同車にはバリアフリー対応トイレの設置、の設置が追加で行われている。 キハ140 2125については「」との共通予備車である。 2017年11月3日、肥薩線坂本-葉木間の踏切でトレーラーとの衝突事故が発生し、キハ140 2125が損傷を受けた。 キハ47 9082 座席 「指宿のたまて箱」用改造車 [ ] 2011年の九州新幹線鹿児島ルート全線開通に伴い設定されたの観光特急列車「」用で、キハ47 8060とキハ47 9079の2両が改造されている。 外部塗装は海側(下り方向に向かって左側)側面と前面の海側半分が白色、山側(下り方向に向かって右側)側面と前面の山側半分が黒色としている。 車内は回転式リクライニングシートで、一部は窓側を向いた1人掛けで、書棚やベビーサークルなども設置されている。 また、沿線の伝説にちなみ、ドアが開いた際には玉手箱の煙に見立てたミストが連結面寄りの噴出口から噴射される。 また、レールの継目部の落込みである継目落ちにより発生する上下振動を低減するため、減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを台車の枕ばね(コイルばね)に平行して取付けられていた従来の上下動オイルダンパに代えて装備し、車体に搭載した4つの加速度センサーと制御装置により、検知した上下振動加速度を元に減衰力指令値を計算して、可変減衰上下動ダンパの減衰力を可変させることで上下振動の抑制を図っている。 2012年3月には、「はやとの風」用だったキハ140 2066が、再改造のうえ「指宿のたまて箱」用の増結車となった。 ソファー席 「かわせみ やませみ」用改造車 [ ] 2017年3月4日に運行を開始した、観光特急「」用に、キハ47 8087および、キハ47 9051を改造した。 人吉駅側の1号車(キハ47 8087)は青を基調とした「かわせみ」車両、熊本駅側の2号車 キハ47 9051 は緑を基調とした「やませみ」車両で、車内にはにも使用されている座席を使った回転リクライニングクロスシートや、景色を眺められるカウンター席と子ども椅子、複数人でも楽しめるようにボックスシートが設置されている。 また2号車には通常の座席よりも幅の広い「やませみベンチシート」やソファー席も設置されている。 2号車の熊本側にビュッフェ サービスコーナー が、1号車の人吉側に多目的トイレと展望コーナーが設置されている。 このほか、前照灯が増設され、ドアが片側2箇所から1箇所に削減されたり、車端部にオブジェを設置するなどの改造が行われた が、車番は変更されていない。 詳細は「」を参照 2015年8月8日に運行開始された「」用に使用される車両で、2012年にJR四国から譲渡された元徳島運転所所属のキハ47 176とキハ47 1505(いずれも2011年4月30日廃車)をで改造したもので で、形式車番はそれぞれキロシ47 9176、キロシ47 3505となり 、キハ40系列で初めて シ(食堂車)となった。 なお、「キロシ」の形式記号は(国鉄)時を通じても初の形式記号である。 列車は9176が1号車 、3505が2号車である。 世界的に著名な愛好家の原信太郎が製作した模型をベースに、原の次男で副館長である原健人の監修のもと、がデザイン・設計を担当している。 改造費用は1両約3億円 、2両計で約6億円で 、JR九州の社長・青柳俊彦は「ななつ星とほぼ同じ」と 、水戸岡は「ちょっとお金を使いすぎてしまった」 と発言しており、「指宿のたまて箱」用の車両の改装費用 と比べても高額となった。 車両前面の列車種別表示器上に前照灯を追加し 、乗降扉は各車2箇所から、キロシ47 9176は前位側に1箇所、キロシ47 3505は後位側1箇所に変更し 、側面には車外スピーカーを増設した。 そのほかの各車の改造内容は以下の通り。 定員22人。 搭載、トイレ撤去 、機関換装 ・クラッチ交換。 キハ47形0番台をベースにトイレを撤去し機関を換装したことでキハ47形9000番台と同様となったため、9000番台(原番プラス9000)の番号が付けられた。 定員18名。 ATS-DK搭載、トイレ設置 、機関換装 ・クラッチ交換、2軸駆動化改造。 キハ47形1500番台をベースにトイレを設置して機関を換装し2軸駆動化したことでキハ47形3500番台と同様となったため、3500番台(原番プラス2000)の番号が付けられた。 詳細は「」を参照 からJR東日本会津若松運輸区で余剰となっていたキハ40 511をの寄贈によるとしてが譲り受け、で改造したもので、として4月に使用開始された。 企画当初にはも模索されたが、キハ40形からの改造として現実的な一部構造の展望車となった。 同じ新潟トランシスが改造に携わった、JR東日本のキハ40系のに通じる雰囲気を持ち、共通の手法や部品も散見される。 は48名。 「風覧望」(ふうらんぼう)の愛称での(2009年までは)と2両編成で「お座トロ展望列車」として行楽期を中心に運転されている。 方となる1エンド側を展望構造に改造しており、の位置を逆(車端側)にしたうえで客扉を車体中央寄りへ移設、その前位をハイデッキとした。 運転台は低い位置に移設され、側は上半ガラスのとなった。 前面は2枚の大形平面ガラスで視界を確保しているが、ハイデッキ部はシアターシート(床を階段状にして後方席からの展望を確保する構造)ではなく、1位側には排気管の立ち上がり部がある。 後位は、当初は2人がけのベンチシートと若干の立席スペースを設けていたが、2016年にそれまで連結していたAT-100形お座敷気動車が廃車になったことに伴い、お座敷席に改造した。 また、2エンド側の運転台にはほとんど手が入れられておらず、ケースにまとめられた角形の・が新たに腰部に追加され上部種別幕が埋められた程度で、本来の前照灯もそのままである。 客室窓はすべて大型化、固定化されている。 トイレは対応となり、元の窓は埋め込まれた。 機関本来の出力は350 PSだが、液体式変速機がDW9形のままであるため300 PSで使用している。 定期運行以外では、導入直後にに入線したことがあるほか、訓練や貸切運転などでは両運転台構造を生かした単行運転もされている。 キハ40 1814 ミャンマー国鉄 [ ] JR北海道から譲渡されたキハ40系のうち、キハ40形330番台2両とキハ48形1330番台3両が2014年8月24日からヤンゴン市内の路線で運行されている。 5両編成で冷房も使用している。 JR東海は2015年3月27日、ミャンマー鉄道省へのキハ40系12両の譲渡 を、同年7月22日に41両の譲渡を発表した。 ミャンマーに到着後に順次改造工事を実施し、2015年7月以降順次ヤンゴン市内の路線で運行を開始した。 JR東日本は2015年7月17日、7月下旬からミャンマー国鉄への車両譲渡と、車両保守に関する技術支援を実施すると発表した。 対象はキハ40形13両、キハ48形6両の合計19両 で、第一陣の6両は同年8月にヤンゴンに到着し、9月末から同市内で運行されている。 小湊鐵道が譲り受けた、キハ40系。 運行路線 [ ] JR北海道 [ ] 区間の割合が低く、輸送量の少ない区間が多数存在する同社では、多くの区間で本系列を普通列車の主力として使用する。 など、他形式を常用する区間でも臨時の運用に用いる例や、電化区間でありながら使用される函館本線・室蘭本線のような事例もある。 同社では、ワンマン運転可能かつ2両以下の短編成に対応できる電車を保有していないため、電化の有無にかかわらず気動車を運用することで、運用コストの最適化を図っている。 なお平成29年には、当形式の置き換えを目的としたの導入計画が発表された。 2000年7月14日にで発生した脱線転覆事故のため、キハ40 750が2000年7月19日に廃車となった。 同社では、以下の線区で定期運用がある。 ( - 、 - 間)• 札幌圏での運用はごく少数である。 営業列車はへの車両回送を兼ねた札幌駅 - 旭川駅間下り1本のみ。 長万部駅 - (通称「山線」)では、2005年度から冬期の運用の一部を、所属の100番台と振り替えている。 これは同区間の急勾配と降雪による遅延を防ぐためである。 その後長万部駅 - 小樽駅間では、2020年3月14日のダイヤ改正でが導入されたことにより運用が消滅した。 (石狩当別駅 - 新十津川駅間)• 主にキハ40形400番台が運用に入るが 、検査などで使用できない場合はキハ40形700番台・1700番台が代走運用に入る。 なお、同線の石狩当別駅 - 新十津川駅間をのぞき、電車による運転となっており、苗穂運転所 - 札幌駅 - 桑園駅 - 石狩当別駅間の気動車による運転は回送列車のみである。 かつてはキハ40形300番台・330番台とキハ48形300番台・1300番台が札幌駅 - 桑園駅 - 石狩当別駅・北海道医療大学駅間で運用されていたが、2012年6月1日の第一次電化開業で運用数が減り、同年10月27日の完全電化により運用がなくなった。 ( - 間)• 全て石勝線との直通列車。 (南千歳駅 - )• ( - 間)• 2013年8月 - 2014年7月の間は運休していた特急「」の代替として旭川駅 - 間で臨時快速として毎日運行していた。 ( - 間)• ( - 間) JR東日本 [ ]• ( - 、 - 青森駅間)• 磐越西線( - 会津若松駅間)• (新津駅 - 間)• (新津駅 - 間)• 只見線( - 間) 羽越本線、磐越西線、奥羽本線などでは2019年度頃からGV-E400系へ順次置き換えている。 烏山線での運用 [ ] キハ40形1000番台の1006以外の8両は改造後宇都宮運転所に所属し、烏山線で使用されていた。 これらは郡山総合車両センターで施行している。 2014年から烏山線に量産試作車が導入されていた駆動であるの量産車導入により、烏山線での運用は2017年3月3日をもって終了し、うち1001・1003・1008・1009の4両は同年4月5日にに回送され 、同年4月6日付で廃車 、1009は陸送でに譲渡された。 1002・1004・1005・1007の4両も同年5月10日に郡山総合車両センターに回送され、同年5月11日付で廃車 、1002・1005・1007の3両は那須烏山市の那珂川清流鉄道保存会に譲渡された。 東北に転属した1006は、、を経て1999年からに配置されている。 やで使用され、2016年1月に塗色を男鹿線色から首都圏色(朱色5号)に変更。 それ以降は「国鉄メーク」気動車としてなどで使用されている。 JR西日本 [ ]• (豊岡駅 - 幡生駅間)• (新下関駅 - 下関駅間)• (寺前駅 - 和田山駅間)• (津山駅 - 新見駅間)• (鳥取駅 - 那岐駅間)• (三次駅 - 広島駅間)• (瀬戸内マリンビュー号)• (高岡駅 - 富山駅間)• (金沢駅 - 津幡駅間 〈花嫁のれん〉) 2020年3月13日までは でも運用されていたが、翌14日からは・に統一された。 JR西日本の一般的な塗装(首都圏色)のリニューアル車 JR四国 [ ]• (徳島駅 - 阿南駅間)• (徳島駅 - 穴吹駅間) 2009年10月の編成両数見直しやの投入によって、2010年3月までに徳島運転所のキハ47形10両(111・116・117・502 - 505・1087・1502・1503)が廃車された。 には同6両(115・501・1088・1121・1501・1504)が廃車され、同2両(176・1505)がJR九州に譲渡された。 2012年にはのキハ47形3両(172・175・1119)が、には徳島運転所のキハ47形3両(1085・1089・1112)が、2014年には同2両(1090・1132)が廃車された。 2016年3月25日のダイヤ改正翌日には、松山運転所所属の車両はキロ47形2両を除き、全車徳島運転所に転属された。 2016年3月には松山運転所のキハ47形1両(1117)と徳島運転所のキハ47形2両(1118・1120)が、2018年3月には徳島運転所のキハ47形2両(113・144)がそれぞれ廃車された。 2018年4月1日時点では徳島運転所にキハ40形(2000番台)11両とキハ47形11両(0番台10両・1000番台1両)、松山運転所にキロ47形2両の計24両が配置されている。 以前は牟岐線の阿南以南や鳴門線では車種独占となっていたが、近年は新型車両の導入やホーム嵩上げの進行により、運用が減っている。 キハ47形はワンマン設備がないことから優先的に廃車となり、現在は朝夕の通勤時間帯中心の運用である。 牟岐線の阿南駅 - 海部駅間では、2019年3月15日を最後に乗り入れを終了した。 また、2011年3月12日から2019年3月15日までは、 でも運用されていた。 2016年3月25日までは旧線(松山駅-下灘駅-八幡浜駅)と並びに予讃線(内子回り)でも運用されていたが、翌26日からはとに統一され、同区間を走行する本系列は「」に使用されるキロ47形のみとなっている。 JR九州 [ ] 長崎地区ではキハ66系やキハ200系に置き換えられてキハ40系の定期運用は「或る列車」のみとなっている。 筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター 直方運用・日田彦運用・竹下運用に分かれている。 なお直方運用は2017年3月3日に、竹下運用は2019年3月15日に、それぞれに置き換えられて運用を終了した。 日田彦運用 に常駐• 午前中の普通列車数往復と快速列車• (桂川駅 - 原田駅間 )• (小倉駅 - 城野駅間〈日田彦山線直通列車〉)• (夜明駅- 日田駅間 〈日田彦山線直通列車〉) 唐津鉄道事業部唐津車両センター• (佐賀駅 - 久保田駅間 〈唐津線直通列車〉 )• (山本駅 - 伊万里駅間) 長崎鉄道事業部佐世保車両センター キロシ47形〈或る列車〉運用• (日田 - 大分駅間 〈 大分ルート〉)• (諫早駅 - 長与駅 - 長崎駅間 〈或る列車 長崎ルート〉)• (或る列車 長崎ルート)• (或る列車 長崎ルート) 熊本鉄道事業部熊本車両センター• (熊本駅 - 八代駅間〈肥薩線・三角線直通列車〉 )• (熊本駅 - 肥後大津駅間)• (普通・快速列車、、) 大分鉄道事業部大分車両センター• (日田駅・庄内駅 - 大分駅間 )• (大分駅 - 豊後荻駅間) 鹿児島鉄道事業部鹿児島車両センター• (鹿児島中央駅 - 鹿児島駅間 )• (宮崎駅 - 都城駅〈吉都線直通列車〉、国分駅 - 鹿児島駅間)• (普通列車〈吉都線直通列車含む〉、)• (普通列車 、)• (肥薩線・日豊本線直通列車含む) 宮崎総合鉄道事業部宮崎車両センター• (高鍋駅 - 西都城駅間)• 九州の一般的な塗装(左)と香椎線オリジナル塗装(右)の並び 会津鉄道 [ ]• (臨時トロッコ列車「湯めぐり号」)• (臨時トロッコ列車「湯めぐり号」) 運用の詳細はを参照。 ミャンマー国鉄 [ ]• ヤンゴン環状線(全線)• ヤンゴン - ピィ線(ヤンゴン中央駅 - ハローガ駅間)• バゴー - モーラミャイン線(バゴー駅 - エイビャ駅 - ニャウンカシー駅間)• マンダレー - ミッチーナー線(マンダレー駅 - カウリン駅間)• マンダレー駅 - パコック駅間 かつての運用 [ ] JR東日本 [ ]• かつて所属の車両 がで運行されていた。 導入により2018年3月16日に八戸線での定期運用を終了 した。 のキハ48系の改造車両については、キハ40系統の車両が2018年3月17日のダイヤ改正で八戸線から姿を消した後も継続して使用されていたが、これもに引退した。 ( - 間)• ( - 間) JR東海 [ ] 2016年3月26日のダイヤ改正にて運用が終了し 、2016年3月30日に全て廃車された。 以前の運用は以下の通りである。 鈴鹿サーキットでのF1グランプリ開催に伴う臨時列車でも運用実績があり、定期運用では見られない6両編成で運転された。 武豊線での運用は1999年に終了し(同時に旧配置のから美濃太田車両区と伊勢車両区に転属)、全てキハ75形に置き換えられた。 では運用されない。 キハ48 5803と6810はによる高山本線の線路被害のためで2年以上孤立したが、搬出されて運用に復帰したもので、車内には「高山本線復帰車両」のプレートが取り付けられた。 2014年4月時点で、美濃太田車両区にキハ40形7両・キハ47形5両・キハ48形24両の計36両が、伊勢車両区にキハ40形7両とキハ48形16両の計23両が配属されていた。 59両全車がやなどで長距離運用を中心に使用されていた。 2015年から武豊線に伴い、同線のおよびキハ75形を「主に高山線・に転用する」と発表され、順次置き換えられた。 その後、2013年3月には、2014年度から2015年度にかけてキハ25形の2次車52両を投入し、国鉄時代に製造された当系列を置き換える方針を発表した。 太多線の運用はキハ11形と共に2015年3月に、高山本線の運用も2015年6月で終了し、同線ではキハ25形、キハ75形を運用している。 また、伊勢車両区での検査期限切れ間近な車両との入れ替えのため、2014年付で美濃太田車両区からキハ48形2両(3812、6809)が、2015年付で同2両(3809、6810)が転属した。 また、キハ40 5501・キハ48 6501、6812(国鉄一般形気動車標準色)が7月4日に回送され 、7月6日付で転属した。 これにより、2015年7月にキハ48 6812、キハ48 3812、キハ40 3005の国鉄一般形気動車標準色3両での運転も行われた。 2016年3月26日のダイヤ改正にて運用が終了し 、2016年3月30日をもって全廃となった。 置き換えられた車両は、ミャンマーへ譲渡された。 2015年にキハ47・48形の7両(キハ47 5001、5002、6001、6003・キハ48 3814、5511、5513)がへ回送された。 更に、にはキハ40 6308、6312・キハ48 5501、5508、5804の5両 が、にはキハ40 5802、6307・キハ48 5803、5806、6808の5両が 、には、キハ40 6309・キハ48 3815、5810、6517、6815の5両が笠寺に回送され、同日中に東港・東名古屋港を経て、名古屋港大江埠頭に搬送された。 この他にも譲渡が行われ、2015年度にはキハ40系46両がミャンマーへ譲渡されている。 登場した映像作品 [ ] 以下のように、登場する映像作品はアニメーション作品が圧倒的に多い。 - 冒頭のオープニングタイトルバックで七瀬優が乗車している列車として登場。 - 主人公の宮水三葉が上京のために乗車する列車として国鉄色の車両が、2016年時点で被災・損壊し放棄されたままの車両として首都圏色と国鉄色の車両が登場。 いずれもキハ40。 - 第1回放送で主人公の黒板五郎らがに向かい下車するシーンで登場。 - アニメ第2期第1話で主人公の赤座あかりらが乗車する列車として高岡色の車両が登場。 - アニメ第12話で主人公の夜ノ森小紅が乗車しているシーンとして登場。 - アニメ第1話・第5話・第25話に間野山線の車両としてのキハ47が登場。 - 作中において普通列車として盛岡色の車両が登場。 - しんのすけの父と東松山刑事が乗車した列車としてのキハ40が登場。 「僕」と桜良が旅行から帰ってくるシーンなどで高岡色車両が登場。 保存車 [ ] キハ40 519 女川駅構内の温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」の休憩所として使用されていた。 東日本大震災の津波で被災し、解体された。 キハ40 764 映画『鉄道員(ぽっぽや)』撮影用の改造車。 廃車後ロケ地の幾寅駅にカットボディが保存されている。 キハ40 1002、1005、1007 栃木県那須烏山市「那珂川清流鉄道保存会」で保存。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 優等列車向けに導入されたが、冷房化改造が困難なことと車齢が高いことから1970年代後半には大半が普通列車に転用されていた。 逆に寒冷地で暖地向けの車輌が使用されることもある。 「首都圏色」と呼ばれる塗装。 従来の一般形気動車の標準塗装であったとの2色塗り分けで落成した車両は存在しない。 なお、本系列と車体設計が類似するは、1978年10月の「車両塗色および表記基準規定」改正前の1978年2月から3月にかけて落成したキユニ28 1 - 6の6両が規定通り旧標準色の2色塗り分け。 初期製造車のみ化粧板を使用する通常構造。 DW6形は製の変速機番号1000番台が1段4要素、製の変速機番号2000番台が1段3要素。 減速機支え装置の取り付け方向が推進軸と同じ側ではなく反対側となるため、完全に同一仕様ではない。 DT44形が5,510 、TR227形が4,690 kg、重量の増したDT44A形でも6,240 kg、TR227A形で5,400 kg。 従来のWH250形をベースに暖房制御用の電気回路を追加したもの。 その後の新形気動車では機関の化などで熱効率が向上して機関の発熱が減少したため、温水式暖房を採用する場合、熱源となる機関発熱が減少する下り勾配などで暖房能力が低下する、寒冷地では暖房能力が不足するという問題が発生した。 そのため、それらは変速機内装のコンバータブレーキの使用によって温度が上昇した変速機油を補助熱源とすることで下り勾配での暖房能力の不足を補う(直噴機関搭載により機関予熱器を省略したなど)、厳寒時の始動用に搭載されている機関予熱器を暖房熱源として常用する(など。 これらは自動車用温水暖房であるが、他社では機関の動作状態に影響されず、しかも構造簡易で確実な動作が得られる軽油燃焼暖房へ回帰した例もある。 連続150 - 180 と非力なDMH17系機関が標準だった国鉄気動車では、と同様のを採用することは困難であり、当初より冷房装置を搭載した気動車では一部車両に大型のディーゼル機関によるを搭載して4 - 5両単位で給電を行うシステムを、後に冷房を追加した急行形気動車で 一部車両にコンパクトな発電ユニットを搭載して3両単位での電力供給を行うシステムを採用しており、本形式のベースとなったキハ66系も同様の冷房システムと当時の近郊形電車と同様の集中式冷房装置を搭載していた。 接点数2。 在来の気動車と同様、片栓ジャンパ線を連結面を外から見て左側〔運転台の助手席側〕に、栓受けを右側に装備。 接点数2。 栓受は連結器の胴受の下に設置。 キハ66系はキハ66・67形を背中合わせに連結した2両1ユニットであり、分割しての使用やユニットの連結面間の他系列との互換性を考慮する必要がない。 当初、用として開発。 キハ183系などに使用されている接点数61の気動車用多心ジャンパ連結器。 昭和53年度2次債車までは60ピン接続。 KE53形2個分の信号線をKE93形1個に変換接続するための二股アダプタ。 KE93形に取り付けて使用。 ロングシートを含めた全座席定員は68名。 ロングシートを含めた全座席定員は66名。 の一般車両では客室などのリニューアル工事が行われており、シートは青紫系、壁は白系の色になっている。 その他、一部車両がジョイフルトレインに改造されており、八戸運輸区では製造当初の内装を持つキハ40形は運用されていない。 511が。 残存する唯一の冷房化改造車でもある。 その後東北地区へ転出。 座席は延長されず、ゴミ箱が置かれている。 一般放送回路との区別のため、赤色により識別。 北海道地区の急行用気動車であるは、冷房装置をグリーン車であるキロ26以外装備していなかった。 そこで1985年(昭和60年)3月改正時に全車冷房付きで特急並み接客設備を持ち、夜行急行『利尻』との編成共通化というメリットもある14系客車に置き換えたが、所要時間は客車化で15 - 20分ほど伸びていた。 旧便所部分は固定式窓を増設。 1300番台との違いはその窓と存置された屋根上の水タンクのみ。 トイレは存置。 既存の窓とは形状が異なる。 俗に言う「鼻」。 2両は6000番台改番時点で改造済み。 製造当時は新潟に配属され、民営化前の1985年に高松に転属した。 2017年3月1日付で熊本配置の2両が一旦大分へ転属し、寒冷地仕様車が全車大分配置となり大分地区の路線で運用されていたが、翌年の2018年3月17日付で元々熊本に配置されていた3509と4510の2両が再び熊本へ転属している。 機関換装と同時に2軸駆動化改造を行ったため、8510や9510になった時期は存在しない。 可変減衰上下動ダンパや制御システムが故障しても、ダンパ自体が通常の上下動ダンパとして動作する。 1両あたり1億円弱。 残存する唯一の冷房化改造車でもある。 出典 [ ]• 環境報告書2006 2007-05-09 at the. 223. , p. 221. 甲125:新規設定 2013-12-12 at the. - 『月刊とれいん』 甲種・特大 追加情報 2012年6月15日• 甲123:新規設定 2013-12-12 at the. - 『月刊とれいん』 甲種・特大 追加情報 2012年6月15日• 甲124:新規設定 2013-12-12 at the. - 『月刊とれいん』 甲種・特大 追加情報 2012年6月15日• 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年6月22日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年6月23日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』 railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年7月14日. 2015年9月1日閲覧。 鉄道ホビダス. 2012年7月17日. 2015年9月1日閲覧。 錦川鉄道. 2018年7月1日閲覧。 マイナビニュース 2015年3月23日. 2015年3月25日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , , 2015年3月20日 , 2015年4月5日閲覧。 - 北海道旅客鉄道 2015年9月30日• JR北海道釧路支社 2010年7月22日. 2011年10月10日時点のよりアーカイブ。 2015年9月1日閲覧。 2012年7月号 「電化目前の学園都市線と専用気動車のこと」p. 甲225・226:新規設定 2012年11月21日, at the. - 『月刊とれいん』 甲種・特大 追加情報 2012年11月6日• 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年11月24日. 2015年9月1日閲覧。 鉄道ホビダス. ネコ・パブリッシング 2012年11月26日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2010年4月15日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2010年4月16日. 2015年9月1日閲覧。 2018年2月15日. 2019年9月15日閲覧。 2018年2月14日. 2019年9月15日閲覧。 2019年2月14日. 2019年9月15日閲覧。 2019年2月14日. 2019年9月15日閲覧。 2019年8月22日. 2019年9月15日閲覧。 2019年9月6日. 2019年9月15日閲覧。 HBC NEWS. 2019年9月6日. 2019年9月15日閲覧。 2019年9月6日. 2020年2月29日閲覧。 2019年10月9日. 2020年2月29日閲覧。 『JR気動車客車編成表2011』68ページ• 『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』43ページ• - 交友社「鉄道ファン」railf. jp 鉄道ニュース 2016年8月28日• 『』2017年7月号 「JR旅客会社の車両配置表」• プレスリリース , 東日本旅客鉄道, 2009年2月3日 , 2015年9月1日閲覧。 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道秋田支社, 2018年2月23日 , 2018年2月24日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2018年4月19日. 2018年4月20日閲覧。 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道盛岡支社, 2010年11月26日 , の2010年12月4日時点におけるアーカイブ。 , 2015年9月1日閲覧。 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道盛岡支社, 2010年2月9日 , の2011年2月20日時点におけるアーカイブ。 , 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2017年11月21日. 2018年1月7日閲覧。 観光列車でGO!! 2011-12-16 at the. 西日本旅客鉄道 2019年7月17日. 2019年7月17日閲覧。 日本語 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2019年11月22日 , 2019年12月2日閲覧。 西日本旅客鉄道 2017年5月31日. 2017年8月17日閲覧。 2014年7月7日. 2014年7月7日閲覧。 JR西日本 2014年9月29日. 2014年10月14日閲覧。 Response 2015年8月21日. 2015年9月1日閲覧。 2015年1月22日. 2015年1月22日閲覧。 2015年8月21日. 2015年8月21日閲覧。 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2014年3月4日 , 2019年5月10日閲覧。 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2015年3月3日 , 2015年9月1日閲覧。 鉄道ホビタス. ネコ・パブリッシング 2015年3月25日. 2015年9月1日閲覧。 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2019年4月26日 , 2019年5月10日閲覧。 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2019年5月10日 , 2019年5月10日閲覧。 日本語 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2017年8月17日 , 2018年3月4日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2017年8月17日. 2018年3月4日閲覧。 日本語 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2018年2月28日 , 2018年3月4日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2018年3月2日. 2018年3月4日閲覧。 ITmedia ビジネスオンライン. 2018年2月28日. 2018年3月7日閲覧。 512 p. 『』、、2014年9月、 64頁。 鉄道総合研究所 2013年5月. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年3月20日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2009年7月21日. 2015年9月1日閲覧。 産経WEST. 2017年11月3日. 2018年3月4日閲覧。 朝日新聞 2011年2月20日. 2011年2月22日時点のよりアーカイブ。 2015年9月1日閲覧。 67 - 68. , p. 東洋経済新報社. 3 2015年7月25日. 2015年9月1日閲覧。 日刊工業新聞 2015年7月27日. 2015年9月1日閲覧。 鉄道ホビダス 編集長敬白. ネコ・パブリッシング 2015年7月22日. 2015年9月1日閲覧。 「JRKYUSHU SWEET TRAIN 「或る列車」営業開始」『鉄道ジャーナル』第55巻第10号、鉄道ジャーナル社、2015年、 15頁、 4910164991051。 「JRKYUSHU SWEET TRAIN 「或る列車」営業開始」『鉄道ジャーナル』第55巻第10号、鉄道ジャーナル社、2015年、 15頁、 4910164991051。 鉄道ファン 2016年6月号 No. 662 p. 101• 北海道. 2014年8月9日時点のよりアーカイブ。 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2016年3月21日. 2016年8月2日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2016年3月3日. 2016年8月2日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2016年2月5日. 2016年8月2日閲覧。 2018年3月4日閲覧。 乗りものニュース 2015年3月27日. 2015年9月1日閲覧。 2016年2月2日閲覧。 Response 2015年7月18日. 2015年9月1日閲覧。 2017年5月5日閲覧。 2020 令和2 年5月20日閲覧。 スポーツニッポン 2020年5月21日. 2020年5月21日閲覧。 鉄道ファン 2017年10月号• , p. 4・5・8-10. 2019年12月13日. 2020年3月21日閲覧。 , p. , p. , p. , p. , p. 100・104-106. , p. 49・89・102・103. 姿を消すという文面は2017年7月5日の東奥日報を参照。 JR気動車客車編成表2013(ジェー・アール・アール編、交通新聞社) [ ]• DJ鉄道ダイヤ情報2013年10月号、通巻第377号(交通新聞社) [ ]• 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2017年4月6日. 2017年4月18日閲覧。 357。。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2017年4月18日. 2017年4月18日閲覧。 那珂川清流鉄道スタッフブログ 2017年5月26日. 2017年5月26日閲覧。 2017年4月22日閲覧。 171. , p. 207-209. , p. 180. , p. 186. 189. , p. 188. , p. 190. , p. 210. , p. 191. , p. 195. , p. 211. , p. 168. 若桜町役場ふるさと創生課. 2020年3月14日閲覧。 220. 221. , p. 222. , p. 245. , p. 240-242. 248-251. 244. 235. , p. 237. , p. 232. 246-247. , p. 148. 253. , p. 255. , p. 254. , p. 96・97. Web東奥. 2018年3月16日. の2018年3月16日時点におけるアーカイブ。 2018年3月16日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道盛岡支社/びゅうトラベルサービス/三陸鉄道, 2020年3月23日 , の2020-03-時点におけるアーカイブ。 , 2020年3月26日閲覧。 東海旅客鉄道ニュースリリース 2015年12月18日. 2015年12月21日閲覧。 東海旅客鉄道ニュースリリース 2010年3月18日. 2010年3月21日閲覧。 プレスリリース , 東海旅客鉄道株式会社, 2013年3月14日 , 2015年3月31日閲覧。 PDF プレスリリース , 東海旅客鉄道株式会社, 2014年12月19日 , 2015年3月31日閲覧。

次の

JR東日本キハ100系気動車

キハ 400

これは国鉄の車両称号規程に則ったの系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。 具体的には、 キハ40形(2代)、 キハ47形、 キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式を指す。 概要 [ ] 1977年から1982年にかけて計888両が製造され、日本全国の非電化路線に投入された。 に近い車体構造の気動車で、当時の在来気動車に比し、客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られている。 一方、在来の気動車より出力は若干増加したものの重量も増加しており、運動性能はあまり向上していない。 本系列は客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別され、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いとの有無によってされる。 後は、1983年にの脱線事故で事故廃車となったキハ40-2055を除く887両がJR各社へ承継された他、使用線区の事情に応じた改造を実施し、区分番台が多くなっている。 2020年時点ではを除く旅客鉄道各社が保有し、主に用として用いているが、JR東日本・JR四国・JR北海道では事故や災害、地方路線の運用見直しや、新型気動車への置き換えにより、やが発生している。 会社別の保有数は以下の通り。 酷寒地:北海道、寒地:東北・中部地方 開発の経緯 [ ] 1950年代中期に量産された国鉄初期の気動車であるは、そのエンジンの非力さを軽量化で補う方針であったが、当時の技術との兼ね合いもあり、同時期の客車や電車よりも車体断面が小さく、接客設備や台車も簡素なものとなった。 そのため、に入ると早くも陳腐化が顕著となりはじめ、特に座席と台車設計の不備による乗り心地の悪さは問題となっていた。 一方で1970年代の国鉄はが激しく、側は労働環境の改善を強く要求していた。 その一環として、国鉄車両にも安全対策や整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1950年代からにかけて設計された量産形式を基本に随所を改良したマイナーチェンジ車を製造し続けていた。 本系列もその方針の下にキハ10系のほか、1950年代後半に製造された との老朽化も視野に入れ、それらの代替用として開発された。 構造 [ ] 本系列は、に開発されたをベースにしており、車体や制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造は同系を踏襲しているが、搭載機関は同系搭載の12気筒から、基本設計を共通化しつつ6気筒として出力を半分に落とし、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計としている。 また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていたことから、やなど酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く [ ]、温暖地で寒地向け車両が使用される場合はとなる。 なお本系列ではそれまでの気動車のように北海道向け車両を別形式とせず、同一形式内での番台区分としたのも特徴である。 車体 [ ] 構造・外観 [ ] 全長21. 3 (車体長20. 8 m)、幅2. 9 mで既存の気動車同等の大型車体である。 酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して [ ]外板、屋根板、床板には当時の鋼製車両標準の車両用板 SPA を用いて耐久性を向上させている。 板厚は例えば同じSPAを使用したと比較すると、外板厚が2. 3 に対して国鉄気動車標準の1. 6 mm、屋根板厚は1. 6 mmに対して1. 2 mmと薄く、台枠に設けた軽量孔とともに軽量化に配慮している。 製造当初の車体塗装は(明るい朱色)一色 である。 前頭部形状はキハ66系を踏襲し、対策として高化、運転室長さの350 mm拡大、前面の外板の4. 5 mm厚への強化、床下前面へのの装着をしている。 この構成は年次が近いキユニ28形なども同様で、当時の標準設計であった。 側窓は寒地形、暖地形は外はめ式の製2段としてを削減している。 一方、酷寒地形は小型の1段上昇窓で、製窓枠による内窓を組み合わせた構造とし、の車内保温を図っている。 設備 [ ] キハ40形、キハ48形は車体両端2か所に1 m幅の片開き扉、キハ47形はやや車中央寄り2か所に1. 3 m幅の両開き扉を設けており、いずれもステップ付のである。 ドアエンジンは両開き式はキハ45形と同じTK106形、片開き式はキハ46形と同じTK105形で、在来車のような半自動式用ではなく自動式用ドアエンジンの指令回路を変更して半自動動作としており、人力での開閉はやや重い。 キハ40形、キハ48形の寒地・酷寒地形は客室と出入り台の間に仕切り扉を設けたデッキ付きとし、寒冷時の保温を図った。 は機器配置・座席形状ともに配慮した構造である。 また、投入線区の運用実態に即し、側面にキャッチャーとその防護板を設け、タブレット閉塞式での通過運転に対応した。 客室内壁の化粧板は、在来形気動車に比してやや明るい色調であり、初期の車両は、キハ40形・キハ48形は薄茶色、キハ47形は淡緑色であるが、中期以降の車両は、北海道・本州以南用ともとなっている。 座席はを基本としてドア付近にのみを配したとした。 ボックスシートはをまでの急行形車両と同等の1,470 mmとし、一般形気動車として初めて人間工学を採り入れた新形状のものとした。 このため、本系列はのシートピッチ改善車のように見える構造に仕上がっている(ただし本系列は前述のとおりキハ66系をベースに造られており、キハ45系と本系列との間にはの初期型車両とシートピッチ改善車のような関連性は無い。 はFRPユニット組み立て式 で、キハ40形は出入り台側から内開き扉、キハ47形・キハ48形は側面の客室側引き戸から出入りする方式とし、水タンクは屋根上搭載の給水式として、や空気配管を不要としている。 汚物処理装置は搭載を考慮して機器搭載スペースを確保する準備工事が実施されたが、当初は地方路線の汚物処理施設整備が進んでおらず、便所搭載車は全車が従来通りの垂れ流し式であった。 この機関は水平シリンダー形の予燃焼室式機関であり、TB11B形を装備、補機類はCW750D空気、DM99AもしくはDM99B形4 などで、いずれも駆動としてを廃している。 この機関は、に開発されたDMF15HS形の派生形であり、排気タービン過給器あり、なしの構成としたものである。 DMF15HSA形機関 にて 液体変速機・減速機 [ ] 変速・直結各1段のDW10形を装備する。 これは・キハ66系に搭載されたDW9形をベースにとしたもので、の構成は在来標準形のDF115・TC-2形(3段6要素)に対して、DW4形・DW9形や用のDW6形(2000番台 )などと同じ中高速での引張力を確保するとともに、を抑制した1段3要素となり、はいずれも湿式多板式で、変速、直結が各3枚、逆転機が8枚の構成となっている。 なお、変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転差を検出して機関の吹き上げ、指令を出し、最適な回転数で切り替える半自動式とすることでショックのない変速としたほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。 冷却は従来の式からによる式に変更となっているほか、変速機油は、従来のDF115・TC-2形では軽油を用いていたが、本形式では変速機内部のを共用して機構の簡略化を図った。 また、逆転機を台車に装架するのが困難な2軸駆動車用のDW9の構造を踏襲して逆転機を変速機内に内蔵し、台車側にはの方向転換と最終減速段を受け持つ減速機を装架している。 なおは2. 995と従来の一般形気動車よりもわずかに大きくされている。 液体変速機の構成の違いにより、起動時の周引張力はキハ20系(定格出力180 PSのDMH17C形機関搭載車。 変速機としてDF115A形ないしはTC2A形を搭載)の2,500 弱に対して2,400 kg弱と低く、車両重量の増大と相まって「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。 駆動方式は1軸駆動で車両内側よりの第2軸を駆動しており、台車にキハ65形・キハ66系の第2減速機と共通 のGB122形減速機が装架されている。 GB122形減速機(減速機支え装置取り付け側) 台車 [ ] 酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形を採用した。 一方、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルばね式のを採用しているが、台車に逆転器を搭載しなくなった分、側梁を軽量化している。 DT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形は枕ばねを空気ばねとしたが、これは寒冷地域でコイルばねの間に雪が詰まって固着してばねが効かなくなる問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化 、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸ばねはコイルばねをゴムで被覆したいわゆる「エリゴばね」として、雪咬みを防止している。 初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式で、荷重を軸箱直上の軸ばねで伝えるDT44形(動力台車)・TR227形(付随台車)であったが、以降は制輪子交換を容易にするため、軸箱支持方式を乾式円筒案内式としたDT44A形・TR227A形に変更された。 枕ばねは保守面での制約などから、空気ばねを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなく、ボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気ばねを挿入するインダイレクト方式(国鉄ではなどに広く採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式)として基本構造をと共通化しており、空気ばね・ボルスタアンカ・LV4-1形空気ばね自動高さ調整装置などは同系列と同一もしくは一部変更品を使用している。 枕ばねを横剛性の高いダイアフラム型空気ばねとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、DT22・TR51系コイルばね台車を装着する一般的な急行形気動車を超える乗り心地となった。 また、各形式とも制輪子の自動隙間調整器によりブレーキシリンダストローク調整作業を省力化している。 TR227A形台車 ブレーキ [ ] キハ66系と同じく、12系以降の新型客車で実績のあったCLに電磁弁を加えた「CLE空気ブレーキ装置」(C: 3圧式制御弁付、L: 応荷重装置付、E: 電磁弁付をそれぞれ示す)とした。 これは従来型気動車の標準ブレーキ装置であったDA1系自動空気ブレーキのA動作弁に代えて三圧式制御弁 KU-1B を使用し、ブレーキ弁によるブレーキ管 BP の減圧と並行して各車のC13-4AまたはA14-4電磁弁を制御する、電磁自動空気ブレーキである。 このCLEブレーキはDA1系と比較してKU1B制御弁により空気圧指令時のブレーキ応答性が向上し、BPの最大減圧量が1. 4 から1. また、電磁弁の付加により空走・込め時間の短縮による列車衝動の緩和や保ち作用が可能となる、あるいは非常ブレーキ動作時の伝達促進が得られるなど、作動性や操作性、整備性、それに保安性が改善された。 床下の制御弁関係はC26Aブレーキ制御装置として1つの機器箱内にユニット化し、電熱ヒーターを装備して凍結防止を図り、加えて直通予備ブレーキ装置と耐雪ブレーキ装置を装備している。 なお、DA1系自動空気ブレーキやDAE1系電磁自動空気ブレーキを搭載する在来気動車とも相互に併結可能であるが、DA1系自動空気ブレーキ搭載車との混用の場合、電磁弁が使用不能となるため最大連結両数に制約が生じ、ブレーキの応答性能も低下する。 補器類 [ ] 冷暖房装置 [ ] はキハ20系の後期製造車やの式から、一部のバスでも採用されている温風暖房式となった。 これは、を床下のに通し、ここに外気および室内空気を通して温風として車内に循環させる方式である。 また、が低い時、下り勾配、時など、機関の廃熱だけでは冷却水温が上がらない場合には、機関始動用のWH250B形機関予熱器 を使用して機関冷却水を加熱するが、外気温が0度程度までであれば機関予熱器の使用は不要とされている。 1両あたり2基搭載された重量125 、放熱器水容量14. また、機器搭載に床下スペースを必要とするが、温水管を車体内に引き通す必要がなく、構造も単純であった。 加えて運転室内に用温水暖房装置であるWH33形が運転席側、助士席側に各1基ずつ設置されている。 一方、装置は製造時には設置されず、準備工事も見送られた。 当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると判断されたほか、本形式のDMF15HSA機関は、DMH17系と比較して2割程度の出力増であるが、車両重量が大型化や事故対策などで増加したため、満足できる走行性能が得られず、そのため、自重増となる発電セットの搭載や機関出力を低下させる直結式冷房装置の搭載が困難であったことも理由である。 ジャンパ連結器 [ ] 本系列の初回生産グループである昭和50年度3次債務車は、各車間で各種電気信号の伝達を行うために用いるとして、在来の一般形気動車と共通の制御用KE53形(接点数15)を2個と放送回路用KE66形 を1個、それに電磁自動空気ブレーキ指令用のKE67形 を1個の計4個のジャンパ連結器を実装していた。 冷房装置を備えない一般形気動車ではこの4個のジャンパ連結器が、冷房搭載の急行形気動車ではこれに加えて冷房制御用のKE53形1個と高圧電源供給用のKE8形(接点数8)1個が装備される。 しかし、技術の発達に伴って後追いでジャンパ連結器を追加していった結果である、芯線数の少ないジャンパ連結器を多数接続するこの構成は、複数の異なった形式を併結するために必要であったが、増解結作業が煩雑となり、保守上も部品点数が増えて望ましくなかった。 このためそれら全てを、本系列の設計の基本となったキハ66系で2両ユニットの連結面間に使用されていた 、新世代の多芯ジャンパ連結器であるKE91形 (接点数90)へ集約・置換することが検討され、2回目の生産ロットとなった昭和52年度1次債務車ではその準備工事として、妻面向かって左下に大きな縦長の窪みを設け、将来ここにKE91形を格納する計画とした。 その後、昭和53年度本予算車ではジャンパ連結器格納用の窪みはそのままに、新たに設計されたKE93形 1個で従来のKE53形2個を置き換えるように計画が変更された。 KE93形には在来の気動車との併結を考慮して、KE94形アダプタ が用意され、これをKE93形にボルトで固定することで、KE53形2個を備える一般形気動車と併結可能としている。 なお、KE53形2個の接点数は合計で30であるため、接点数61のKE93形では多数が空き接点となる。 これはKE66・67形相当の信号線の割り当て予約など、将来的な割り当て数の増加を見越して接点数に余裕を持たせたためであり、KE93形をKE94形を併用せずに単独で使用する際には、KE66・67形や冷房用のKE53形1個の接続が不要となる。 キハ40 136 急行「えりも」(1986年) 北海道用の酷寒地向けとして1977年上期から製造された、暖地向けのキハ47形とともにキハ40系では最初に就役したグループである。 車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓、便所、空気ばね台車を装備する。 1982年までに150両 101 - 250 が製造された。 1977年製の16両 101 - 116 のみ、角型水タンク、4人掛けクロスシート12組 、客室の小窓が両端配置、客室の化粧板が薄茶色、台車は、軸箱支持装置がペデスタル式の空気ばね台車であるDT44・TR227、などの特徴を持つ。 客室の化粧板はクリーム色になり、台車はDT44A・TR227Aに変更された。 1988年に9両 141 - 149 がに改造され、残りの車両も1990年から1995年にワンマン化改造でにされ、廃区分番台となった。 500番台 [ ] 八戸線で運用されていたキハ40系500番台 主にを対象とした寒地仕様で、1977年末から製造された。 デッキ付きで上段下降・下段上昇式のユニット窓と空気ばね台車を装備する。 1982年までに94両 501 - 594 が製造された。 初期に製作された501 - 520はDT44・TR227台車を装備し、車内の化粧板は淡緑色である。 521号車以降は窓の配置や座席配置が変更され、車内の化粧板がクリーム色系、台車がDT44A・TR227Aに変更され、スカートの形状も変更された。 520以前の初期車両は譲渡 や淘汰が進み、2020年3月13日まで及び運用に充てられていたの502のみが運用されていた。 2000番台 [ ] 関東以西の暖地向け仕様で、1979年に製造が開始された。 窓は2段上昇式ユニット窓(このため500番台と比べて四隅に丸みがついておらず、車体よりやや奥まっている)、車内の化粧板はクリーム色系で、デッキは装備されていない。 当初キハ47形を両運転台式としたキハ41形が計画されていたが、便所と暖房用ダクトの配置が困難であるため、キハ40形500番台に準じた車体で製造されたものであり、このためキハ47形の「両運転台版」という性格も併せ持つこととなった。 台車は金属ばねのDT22D・TR51Cである。 1982年までに148両 2001 - 2148 が製造された。 本来は暖地仕様だが、一部の車輌が男鹿線、只見線など寒冷地で運用されている(平成27年までは石巻線でも運用されていた)例もある。 JR西日本に承継された車両の一部はやに改造されている。 このうち、1980年製のキハ40 2055 は1983年6月に起きた沿線の集中豪雨が原因の事故によって大破し、同年7月付でされた。 これは国鉄時代の本系列唯一の廃車である。 キハ47形 [ ] 1. 3 m幅の両開き扉を車体中央寄り2か所に配置した、いわゆる「近郊形」のレイアウトで、客室窓は2段上昇式ユニット窓、デッキは装備せず、北海道向けの酷寒地仕様も存在しない。 キハ40形、キハ48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、仕向け地とトイレの有無による番台区分がある。 車内の化粧板はクリーム色系だが、初期に製造されたキハ47 1 - 16は緑色系である。 0番台・1000番台 [ ] キハ47 1501 朱色、1987年 新潟地区向け寒地仕様で、空気ばね台車装備。 1978年から1980年にかけてトイレ付きの500番台車22両 501 - 522 とトイレなしの1500番台車21両 1501 - 1521 が製造された。 本来は寒地仕様だが、国鉄時代にとの電化に伴い四国や中国、九州など温暖地に転じ、そのまま運用される例もある。 なお、中国地方の山間部の中には東北上信越なみの寒冷地およびも存在する(など)。 キハ48形 [ ] キハ40形と同等の車端部片開き2扉配置だが、片運転台であり、便所の有無や耐寒仕様による番台区分があるが、暖地仕様の車両は存在しない。 便所は運転台のない側の車端デッキ寄りに設置されている。 0番台・1000番台 [ ] キハ48 301、2009年9月 北海道向け酷寒地仕様で、1982年にごく少数が製造された。 デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はとも類似する。 輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくく、便所付きの300番台車は4両 301 - 304 、便所なしの1300番台車は3両 1301 - 1303 の製造に留まった。 304と1300番台全車が1988年にに改造され、1300番台は廃区分番台となった。 また、301 - 303の3両は、JR北海道に承継された後、で札沼線(学園都市線)の一部区間が電化されたため運用から外され、3両ともに売却されて300番台は廃区分となった。 500番台・1500番台 [ ] キハ48 523の入口とデッキ部 キハ40形500番台と同様の寒地仕様車で、1979年から製造が開始され、1982年まで増備された。 デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備している。 便所付きの500番台は59両 501 - 559 、便所なしの1500番台は50両 1501 - 1550 が製造された。 主に東北地区や、に投入された。 改造車・派生形式 [ ] 国鉄 [ ] 車齢が若かったこともあり、国鉄時代に行われた改番を伴う改造は、キハ40形1000番台のみである。 また、冷房改造は鹿児島地区のみで実施された。 冷房化改造 [ ] で運用する本系列に対し、降灰対策のためバス用独立機関式クーラーのと自動車用車内放熱器のRH21を用いたAU34による冷房化を、1986年から1987年にかけてキハ40形5両およびキハ47形10両に実施した。 機関直噴化改造 [ ] 製のに搭載したDMF13Sの実績に基づき、本系列のDMF15HSAについても直噴化と電子ガバナ化改造を実施した。 試作として、キハ40 109およびキハ47 47、48、1034が改造され、試験の結果16 - 20 程度の燃料節減となったため、その後1987年までに北海道配置のキハ40系112両が改造された。 キハ40形1000番台 [ ] 向けに暖地向けからトイレを撤去するなどの改造を行ったグループで9両が改造された。 1001-1007は国鉄が11月末から翌3月末の間に、1008と1009はJR東日本がとに各1両を改造した。 改造時期やその後の改造などにより形態には差異がある。 キハ40 1001-1007:4月から5月にへ新製配置しで運用していたキハ40形2000番台(2011-2020)のうちへ転出した3両(2018-2020 )を除く7両 2011-2017 を改造・改番。 改造工事はで施行した。 トイレの撤去により定員は98名となったが、撤去したトイレ部分の小窓と屋根上の水タンクが存置された。 塗色は烏山線独自のローカル色(白()地に緑色()でr字様帯模様の2色塗装)に変更されている。 国鉄分割民営化後は全車JR東日本に承継された。 民営化後の3月に1006を除く6両について(後乗り前降り)対応改造と座席のロングシート化工事を施行し定員が144名に増加した。 同時に車内案内自動放送装置、外部スピーカー、乗降口案内表示器が設置され、客室は旧トイレ部分の小窓をそのまま固定化して座席および網棚、吊手を延長し、ロングシートの中央部の排気管立ち上がり部分には消火器とくず物入れを設置した。 更に1995年から1996年にかけて冷房装置 のAU34 を搭載して網棚上4か所にクーリングユニットを装備し、水タンクとその横にあった通風器が撤去された。 乗降扉の半自動対応改造(乗降扉横に押しボタン式のドア開閉装置、ドア開閉時チャイム音)も行われた。 ワンマン化されなかった1006は、耐寒耐雪改造を受け東北地区に転出した。 その後更に2004年にでリニューアル工事が行われ、烏山線に残留した同番台車とは下記のように仕様が異なっている。 座席配置がセミクロスシートのまま• 屋根上水タンク存置• 旧トイレ部分 の窓を埋め込み• 他の1000番代と異なり旧トイレ部に他の客室窓と同様のユニット窓が設けられている。 また高崎時代にAU34を搭載して冷房化されており、室内はクーリングユニットではなく天井に冷房用ダクトが設けられている。 水タンク横の通風器が残る他、床下機器配置も異なっている。 キハ40 1009:1995年12月にのキハ40 2139を改造。 水郡線時代にAU34による冷房化とワンマン化改造を受けため、1008同様に水タンク横の通風器が残っている他、室内も冷房用ダクトが天井に設けられている。 ただし旧トイレ部の窓はトイレ時代の小窓のまま固定化されており、ワンマン化時期の関係で外部スピーカーと乗降口案内表示器の位置も他車と異なる。 機関は原形のまま。 2017年にへ譲渡された。 (石北本線金華駅、2011年1月2日) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 (JR北海道)には、キハ40形100番台150両とキハ48形7両(300番台4両・1300番台3両)の計157両が承継された。 全車が酷寒地形で、キハ47形は国鉄時代から配置されていない。 キハ48 301 - 303を除く全ての車両には、対応・機関換装・冷房装置搭載など、線区の事情に応じた改造が実施され、改番が行われた。 キハ400形・キハ480形を除く各車共通の改造点としては、電磁ブレーキ制御用のKE67形ジャンパ連結器の撤去と、ワンマン運転時および客用扉の半自動扱い時に共通で使用する、KE67形ジャンパ連結器の増設 が挙げられる。 なお、2017年度にローカル線用気動車の量産先行車の製作に着手し、老朽化した本系列を2019年度以降順次置き換えていくという方針が発表された。 また、2016年春をめどに、状態が悪い車両を廃車し、運行本数も削減する予定である。 キハ400形・キハ480形 [ ] (函館本線岩見沢 - 札幌間、1996年9月26日) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 の高速化に向け、急行「」・「天北」・「」に使用されていた を置き換えるため、経年の浅かったキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を(昭和63年)に急行列車用に改造したもの。 それぞれ車番はそのままには キハ400形・ キハ480形に改められ、両形式を総称して キハ400系ともいう。 気動車と遜色ない出力と加速力の向上を図った。 この刷新された動力系により、で作業が増えたにも関わらず、客車時代よりも約40分のスピードアップを達成した。 客室のアコモデーションも14系客車に遜色ないものに改められた。 座席はと同等のへ交換され、横引きカーテンや窓框に縁取りが設けられた。 ただし窓配置がキハ40・48時代のままのため、窓と座席の間隔は一致していなかった。 キハ400形については便所を改良して隣に洗面所を新設した。 キハ480形は種車が便所付きだった304も撤去して全車便所なしとしている。 また屋根上にインバーター式の冷房装置(N-AU400)1基を搭載して冷房化したが、ではなく、キハ400形客室内の床上に設けた機器室内に設置した発電用電源エンジンにより、キハ400形自車とキハ480形へ三相交流220 を給電して稼働させるとした。 そのためキハ480形単独では冷房装置を使用できなかった。 外観はグレー系のツートーンカラーに赤の細帯という独自の塗装に変更された。 また先述のように窓配置は変更されていないものの、キハ400は先述の改造によりトイレの隣の窓1つは洗面所スペースとして埋め込まれ、反対側は発電用機関スペースとなった窓2つ分が同様に埋め込まれてルーバーが増設され、使用列車名をあしらったエンブレム状のロゴが塗装で表現されていた。 定員はキハ400形が48名。 キハ480形は当初68名だったが、後に飲料水のが設置され66名に減少した。 全13両で予備車が少なく、またキハ400形が機関室・便所・洗面所付き両運転台車で定員が少ないため、多客期はやなどが増結されていた。 その後、老朽化したお座敷気動車を置き換えるため、1997年(平成9年)にキハ400形100番台3両がお座敷気動車に改造されてに改番され、代替はされた。 急行用として残った10両は、2000年(平成12年)3月11日のダイヤ改正まで使用されたが、このダイヤ改正で宗谷本線高速化完成に伴う急行の特急格上げに伴い運用から外され、うち9両は同年夏に学園都市線()用の一般車()に再改造されたが、キハ480-304は転用されず、(平成18年)10月6日付で廃車された。 側面洗面所部分に描かれたロゴ キハ400形500番台 [ ] 老朽化した()を置き換えるために、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて前述の3両をお座敷車に改造したものである。 同時期に改造されたお座敷車のと同様、一般車と併結して運用することが可能である。 客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装は黒、深い赤、暗い灰色のブロックパターンに改められた。 客室は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ30 cmの構造としているが、乗客が足を伸ばしてくつろげるよう床面をフラットにすることも可能である。 2003(平成15)年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施された。 2015年(平成27年)3月31日付で2両(502・503)が廃車され、残った501も同年11月に解体され、キハ400形は形式消滅した。 キハ400-502「くつろぎ」 キハ40形700番台 [ ] 1990年から1994年にかけてにワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造された。 番号は1次車 101 - 116 が種車の車両は元番号に725を足した連番、その他の竣工順の付番とされている。 番号は次のとおり。 DMF15HSAのまま機関の直噴化改造を施工された車両があり、その車両はが移設されたため、車体側面の機関用吸気口が塞がれている。 循環式汚物処理装置の取り付けが進んでおり、屋上の水タンクを撤去し車内設置に変更した車両も存在する。 JR移行後は、地域色を除き外板色が白地に色と青の帯に統一されていたが、2010年4月に、釧路運輸車両所所属の777が首都圏色(朱色5号)に変更された。 客室とデッキの間の仕切り壁が撤去されたことにより車内の保温が困難になるため、ボタン開閉式のを装備している。 本番台は全車がに配置され、同じく同所配置で札沼線(学園都市線)で運用されていたと共に、車体地色がライトグレーとなっている。 改造時にワンマン設備を外したため、札沼線一部電化後は定期運用がなく予備車扱いになっている。 車内側のドア開閉ボタン(2009年7月13日 札沼線列車内) キハ40形400番台 [ ] 1996年に札沼線石狩当別 - 新十津川間のワンマン化と、同区間で運用していたの老朽化による置き換えのため、2両を改造したものである。 キハ53形500番台は閑散ローカル線での1両運行実現と降雪時の抵抗増に対応するためにキハ56から改造された両運転台・2機関車であった。 それを置き換える本番台は必然的に大出力化が求められ、ほぼ同時期に改造されたと同様にの駆動システムを基にして、それまでの改造車よりも更に強力な動力装置を搭載しているのが特徴である。 台車はキハ143形と違い改造前のものを流用しているが、出力増大に伴い動力台車は2軸駆動に改造され形式名がN-DT44Bとなっている。 またに代えてを搭載した。 冷房装置は搭載していない。 外観上は客用扉を萌黄色として区別している。 キハ40 401(2007年6月5日 札沼線) キハ40形350番台 [ ] でを置き換えて使用されていたが車体構造が原因で早期に老朽化したため、これの置き換えのために1998年から1999年にかけてキハ40形700番台10両を改造して再投入したもので、愛称は「優駿浪漫」である。 学園都市線用の300番台とは異なり車内の改造は行わず、冷房装置も搭載されていないが、外板塗装は白地に青とピンクを配した独自のものに改められている。 基本的に日高本線の列車で使用されているが、に伴いなど近隣線区でも運用されている。 キハ40 356(2018年9月2日 室蘭本線・石勝線) キハ40形330番台・キハ48形1330番台 [ ] 2000年の宗谷本線急行の特急格上げに伴い、余剰となったを学園都市線に転用するために再改造したものである。 通勤・通学用への転用に伴い、の廃車発生品を用いて座席を全てロングシートとした。 また客室・デッキ間の仕切り壁や引戸を撤去し、かわりにボタン開閉式の半自動ドアを装備している。 300番台と同様、この両番台も外板色はライトグレーとした。 キハ400形は床上の機器室内に設置した電源用機関、その向かい側の洗面所を撤去 して客室とし、機器室跡に窓を1か所再設置 し洗面所側は窓無しとした。 電源装置の撤去により冷房用電源がなくなるため、両番台とも、キハ40形300番台同様の機関直結式冷房装置のN-AU26に交換され 、従来、冷房用電源の関係でキハ400形とペアで使用されていた キハ480も単独での運用が可能となった。 新たに設置された冷房装置の、圧縮機から屋根上の本体に至る配管と配線は客室内の中央付近の側面を通るため、この部分でロングシートは分断され、約2人分のデッドスペースを生じているほか、キハ400形・キハ480形時の装備であった横引きカーテンのレール覆いや、窓框の縁取りが残されている。 10月27日に学園都市線の桑園駅 - 北海道医療大学駅間の列車が全て電車に置き換えられて一部の車両が余剰となった。 このうち、キハ40 334・335とキハ48 1331 - 1333は海外譲渡のため同年11月下旬から12月上旬にかけてまで甲種輸送された。 2524D列車(2010年1月17日 - ) この音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 後の長期使用を見越し、に延命改造を実施したものである。 2003年度から11年程度をかけて全車に施行される計画で、2013年4月時点で84両に施行され、このうち、キハ40 1795が函館運転所構内の脱線転覆事故で2007年3月7日に廃車になったため、に5両、に18両、に24両、に20両、に16両の計83両が配置されている。 改造車の番号は原番号に1000が加えられている。 函館運輸所の1792と1796が・の「バーベキュー号」のとして、に合わせた茶色塗装に変更されたが、その後JR北海道標準色に戻っている。 2010年4月に、釧路運輸車両所所属の1749と1758が首都圏色(朱色5号)にされた。 3月には、のへの転換に伴い、9両が同社へされた。 (も参照) 2018年には4両がとして順次改造を受け運行を開始した。 また2019年には2両がとして改造を受けた。 キハ40 1793(2014年09月16日 ) 「鉄道員(ぽっぽや)」用改造車 [ ] 1999年に映画『』の撮影用としてキハ40 764に改装を施した。 この車両は作品に登場するに似せて側窓の上部をHゴム支持としたいわゆる「」に、前面のパノラミックウィンドウを平窓に、前照灯を貫通路上部の1灯式に改め、車番も「キハ12 23」(実在したキハ12形の最終番号の次の番号)に書き換えていた。 キハ12形により近い外観のは既に定期運用がなかったため、キハ40系が改造された。 映画撮影の終了後も前照灯をシールドビーム2灯 に改め、ナンバーを本来の番号に書き換えた以外はそのままの姿で使われ、「ぽっぽや号」として観光目的のにも充当されたが、集客の低下に伴い保留車となり、側面の改造で車体の老朽化が進み、前照灯と窓の変更により運転環境も悪化していたため、2005年6月24日に気動車の余剰整理を機に廃車された。 廃車後は車体が2分割され、一方の先頭部はロケ地の前に保存されている。 幾寅駅前に保存されるキハ40 764のカットボディ 「北海道の恵み」シリーズ [ ] 2018年2月に発表された改造車両。 沿線活性化を目的とし、北海道の地域(・・・)をイメージした外装や、木目の床・木材を使用した背もたれなどが導入されている。 全4両で、使用車両は以下の通り。 それぞれに名前が付けられている。 キハ40 1720「 道北 流氷の恵み」• キハ40 1779「 道東 森の恵み」• キハ40 1809「 道南 海の恵み」• キハ40 1780「 道央 花の恵み」 「山紫水明」シリーズ [ ] JR北海道はの好評を受け、同様にキハ40形の改造により、観光列車として運行可能な車両2両を導入することとなった。 2019年9月には「 山明」号を公開。 キハ40 1790からの改造車で、外観は広大な大地をイメージした深い緑色となっている。 座席には木を用いたほか脱着式のテーブルも取り付けられ 、普通列車としての運用時はテーブルを外す。 2019年10月には「 紫水」号を公開。 キハ40 1791からの改造車で、外観やモケットの色が「山明」号の緑に対して「紫水」号は紫となっている。 JR東日本 [ ] (JR東日本)には、キハ40形117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両が承継された。 民営化後の高出力車導入により、収容力は大きいが機関出力の小さいキハ40系気動車は比較的平坦でワンマン運転に適さない線区に配置されている。 他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置の搭載、機関の換装も実施されている。 秋田地区の男鹿線用車と新潟地区の羽越・磐越西線で運用される車両には、更新時に混雑対策としてロングシート化とデッキの撤去も実施された。 なお、五能線などのキハ40形ではデッキの仕切りがある車両と仕切りが無い車両が混在する。 八戸線で運用されていたとはトイレが撤去され、器材室に変更され、ドアに「器材室」「トイレは他の車両です」と表示されている。 形式もしくは番号の変更を伴う改造は、前述のキハ40形1000番台2両とジョイフルトレインへの改造にともなう8両のみであるが、ジョイフルトレイン(イベント用列車)への改造は多く、現在までに8タイプが登場している。 同社では2006年4月までにキハ40形13両とキハ48形2両の計15両が余剰により廃車となっている。 2002年に廃車されたキハ40 511はに譲渡の上で展望気動車「風覧望(ふうらんぼう)」(AT-400形401)に改造され、本系列初の譲渡例となった。 2011年3月11日のによる津波により、キハ48 502・1512(停車中の1639D) 、キハ48 552・1544( - 間の2942D) が流出し大破、廃車になっている。 また、女川駅隣接の温泉施設「ゆぽっぽ」に1両(旧キハ40 519)が保存され、車内を畳敷きとした上で休憩室として利用されていたが、こちらも津波で流され大破している。 キハ48 545 縁結び列車 冷房化改造 [ ] 1987年から1988年、および1995年に前述のキハ40形1000番台6両を含む計26両にサブエンジン式のAU34による冷房化改造が実施されている。 床下の熱交換器を撤去して冷房装置を搭載するもので、1987年から1988年にかけて改造された車両は室内熱交換器を床下に設置する方式、1995年に改造された車両は荷棚部に室内熱交換器を設置する方式である。 その後1995年以降、南秋田運転所、小牛田運輸区、新津運転所の計113両は機関直結式のAU26J-Aによる冷房化改造が実施された。 なお、JR他社における改造の事例と異なり液体変速機はDW10のままのため、機関出力を300 PSに下げて使用されている。 2000年に仙台支社に転出し、「ふるさと」と改称されている。 キロ48 1には「華 HANA 」、キロ48 2には「風 FU 」、キロ40 1には「月 GETSU 」の愛称が付され、車体はそれぞれ日本の伝統色である緑・紫・紅を基本色とし、その下部に金色を配して華やかさを演出している。 改造当初はであったが、2003年4月にに変更され、キハ40 2501とキハ48 2501・2502に改番され、新番台2500番台が成立した。 2016年8月28日の団体臨時列車をもって運用から外され 、同年9月7日付で廃車された。 ふるさと リゾートしらかみ用ほか [ ] 臨時快速列車「」(秋田駅 - 弘前駅・青森駅)に、キハ40系改造車両が使用されている。 2003年の姉妹車「ブナ」編成の登場に伴い、「青池」編成と命名された。 キハ48 533・540・1521・1543を改造したもので、いずれも原番のままである。 外観では、1・4号車の前頭部形状を変更した他全車の側窓を拡大してブロンズガラスの固定窓とし、眺望を存分に楽しめるよう配慮し、これに併せて前照灯をHIDとした。 塗装はの白、の深青をイメージした塗り分けとしている。 臨時快速列車「」(秋田駅 - 弘前駅・青森駅)に使用され、2006年3月18日のダイヤ改正を前に3両編成となり、キハ48 1521は「くまげら」編成に転用された。 全線開業に伴う2010年12月4日のダイヤ改正に合わせ、新型リゾートトレインである4両編成1本が導入された ことにより、現行の「リゾートしらかみ」3編成のうち青池編成が置き換えられた。 置き換え後、中間車のキハ48 1543は、リゾートしらかみの4両編成化に伴い「ブナ」(木偏に無と書く「橅」という表記で案内されている。 のため、以下カタカナで表記する)用の中間車に組み込まれ、残ったキハ48 533・540は2011年に団体臨時列車用の「CRUISING TRAIN」に改称された。 外部の列車名ロゴを張り替えた程度で、内外装の改造は行われていない。 従来の編成と編成両数や設備が異なり、区別するために「ブナ」編成と命名された。 従来の「青池」編成が4両編成であるのに対して3両で組成されていたが、後の2010年12月のダイヤ改正で旧「青池」用であったキハ48 1543を「ブナ」用に改造した上で組み込み、4両編成化された。 改造はキハ40形3両を種車として実施されたが、種車が両運転台であるため後位側の運転台を撤去し、その跡にトイレ・洗面所または喫煙室を設置した。 外観は「青池」編成の青に対し白神山地の深緑を車体色とし、前頭部の形状も「青池」編成とは異なるイメージのものとした。 本編成は、客用扉にドアチャイムを設置する。 リゾートしらかみの他、房総地区や飯山線などでの臨時列車としても運行されたことがあるが、 [ ]2016年7月15日をもってHB-E300系に置き換えられた。 その後JR東日本秋田支社管内の「」として、2018年4月18日よりに寄港するの乗客専用列車「」(-間)として運転を開始した。 転用に際して塗装は旧青池編成である「CRUISING TRAIN」と似た白と青の配色に変更されている。 あきたクルーズ号 リゾートしらかみ「くまげら」編成 [ ] 2006年3月18日のダイヤ改正で「リゾートしらかみ」は多彩な観光メニューに対応するため3往復体制となり、これに併せて第3編成として投入されたのがこの「くまげら」編成である。 内装と設備は「ブナ」編成と同一であり、本編成も客用扉にドアチャイムを設置する。 3両編成であったが、2010年12月のダイヤ改正でキハ48 1503を「くまげら」用に改造した上で組み込み、4両編成化された。 外観はオレンジ色が基調として、「青池」編成と「ブナ」編成を意識した青・緑の帯を入れている。 2008年からリゾートしらかみの他、房総地区の臨時列車としても運行されたほか、2009年には - 間の臨時快速「光のページェント号」でも使用されている。 リゾートしらかみくまげら編成 びゅうコースター風っこ [ ] 「」は、キハ48形をに改造した車両で、仙台支社が2000年から運用を開始した。 従来、仙台支社では貨車を改造したトロッコ車両を保有していたが、運転時の入換作業や保安要員の配置など運行コストの問題があったため、置き換え用としてキハ48 547・1541を改造した。 改番は実施されておらず、機関をDMF14HZに換装している。 車体側面を大きく開口させ、外気を存分に感じることができるようにするとともに、冬季には寒気対策のために開口部にガラス戸をはめ込んだり、取り付けられたストーブを焚くことができる。 また、開口部の下部にはガラス戸を設置し、さらに開放感を高めている。 外装は、春から夏に掛けての車窓の自然をイメージした緑(若葉)、青(川・湖)、白(雲)、黄(光)をちりばめた爽やかなものである。 車内には、難燃木材を使用した木製座席が設けられ、各ボックスにはテーブルが設置された。 天井は骨組みを剥き出しにし、を用いてレトロで暖かみのある雰囲気を創り出している。 キハ48 1505・1506・1534を改造したが、改番はされていない。 列車名は「きらきらみちのく」、車両名は「き・ら・き・らみちのく」であった。 前面と側面の窓は眺望に配慮して拡大し、UVカットガラスの固定式とした。 塗色は青森県内各地で開催される「夏祭り」をイメージした赤を基調に窓下を白に塗り分けている。 車内は、1・3号車 1505・1506 に2人掛けと1人掛けの回転式リクライニングシートを装備、2人掛けシート設置部は床を100 mmかさ上げしたハイデッキ構造とし、1人掛けシートは眺望に配慮して45度窓側に向けた状態で固定可能であるほか、トイレと洗面所も新設し、客室との間に喫煙室を設置している。 2号車 1534 は座面を畳敷きとしたボックスシートで、背もたれを高くした個室に近い構造となっているほか、前位には、観光用VTRや運転席からの映像を放映することができるモニタを備えた情報コーナーを設けている。 休日を中心に、東北新幹線「」に接続して八戸駅 - 間で運転されていたが、2010年11月28日に「き・ら・き・らみちのく」での運行を終了した。 また・の臨時列車でも使用された。 その後、「青森デスティネーションキャンペーン」にあわせて、八戸線沿線の海をコンセプトに、上部はさわやかな「空の青」、下部は太平洋の「深い青」、上部と下部の境目に「水平線から昇る太陽(サンライズ)」をイメージした塗装に変更するなどの再改造が行われ、2012年春から八戸線を中心に運行されており、愛称は一般公募により「」となった。 キハ48 555・1549の座席を回転式リクライニングシートに交換し、トイレを洋式に改装して汚物処理装置を装備したが、冷房装置の搭載や機関の換装は行われていない。 塗装は、車体中央部を海をイメージした青として本列車のネーミングの元となったを描き、車端部はの日の出をイメージした赤として、その間に白と黄のストライプを入れたものとしている。 「うみねこ」運行終了に伴って臨時列車に使用されており、JR東日本盛岡支社HPでは「キハ48系リクライニング車」と表記される。 5月3日と9月17日にはの臨時快速「終着駅号」として運行されたほか、経由でまで乗り入れたこともある。 2011年4月から八戸線を走るリゾートトレイン「」の運転開始に伴い、「うみねこ」としての定期運行が終了し、同年9月の全般検査の際に車体中央部のウミネコのイラストと文字が消され、前面のヘッドマークも外された。 2012年8月11日 - 19日のお盆期間に、盛岡 - 釜石間の快速「ふるさとの風釜石」として運行され、同年10月からは土曜、日曜、多客期および使用可能日に新青森 - 大湊間で運行していた「リゾートあすなろ下北1号・2号」に代わって、八戸 - 大湊間の臨時快速「まさかり」として運行された。 なお、当時大湊線を走行する車両では唯一の非冷房車であった。 2014年2月23日に臨時快速「まさかり」の運行が終了し、同年6月1日から走行線区と運転時刻はそのまま、臨時快速「なのはな」となり、7月1日から臨時快速「はまなすベイライン」へと改称した。 2017年11月21日に秋田総合車両センター(土崎)へ配給輸送され 、同年11月22日付で廃車された。 冷房装置の搭載は1988年に試験的に実施した後、1990年度からは床下搭載型のAU27形とAU28形によって本格的に実施され、1991年度に全車の改造を完了した。 車体の塗色は1990年頃まで国鉄色である首都圏色(朱色5号)であったが、1990年頃から順次地にのラインを入れたJR東海色に塗り替えられた。 2011年からキハ40 3005・キハ40 6309・キハ48 3812・キハ48 6812・キハ48 6502の5両は旧国鉄一般形気動車標準色風の塗色になった。 最終配置はキハ40 6309のみで、残りの4両はである。 機関換装は1989年以降に少数に実施した後、1997年度からは本格的に実施され、1999年度までに全車の施工を完了した。 なお、機関換装にあわせて全車を改番している。 ワンマン運転対応は、1991年の開業に伴い同線用に貸し出されたキハ40 2057・2112に実施された後、翌年にはのワンマン化に伴いキハ48形にも実施され、その後ワンマン運転線区の拡大により全所属車の半数以上が改造されたが、キハ47形はワンマン運転対応されなかった。 キハ40形5000番台 [ ] 紀勢本線用のの機関を換装し冷房装置を搭載したもので、1989年から1990年にかけて6両が改造された。 冷房装置はC-AU711Dを2基屋根上に搭載している。 番号は原番に3000を加えたが、番号整理に伴い1999年度に3000番台に再改番された。 番号は原番に3000を加えたが、番号整理に伴い1999年に3800番台に再改番された。 なお、これらとペアを組むキハ48形1500番台5両(1523・1524・1528 - 1530)にもワンマン運転設備が付加されているが、機関換装は実施されず、改番も行われなかった。 暖地向け車は5001(トイレなし車およびキハ40形は6001)から、寒地向け車は5501(トイレなし車は6501)からそれぞれ原番の順に機関換装と同時に改番した。 1999年には、以前に機関換装を実施た車両も再度改番しており、C-DMF14HZ搭載車として3000番台に区別した。 ワンマン運転対応車両は300を加えてさらに区別された。 概要は以下の通り。 キハ40形 [ ] 3000番台 旧5000番台。 C-DMF14HZ搭載。 3001 - 3003・3005・3010の5両。 このうち一部はJR西日本所属車と番号が重複している。 3005は2011年6月8日から旧国鉄一般形気動車標準色風の塗装に塗り替えられている。 2015年7月・12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 3300番台 旧5000番台。 3000番台のワンマン運転対応車。 3306のみ。 2015年12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 5500番台 にC-DMF14HZBを搭載。 廃区分となった。 5802のみ。 2015年7月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 6000番台 にC-DMF14HZBを搭載。 6300番台 1999年から2000年にかけて6000番台にワンマン運転設備を付加 し、再改番 6304・6307 - 6309・6311・6312 したもの。 2015年7月・2016年3月に廃車され、6304を除きミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 2015年3月に廃車されミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 2015年3月・4月に廃車されミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 キハ48形 [ ] 3800番台 旧3500番台。 改番時点でワンマン対応改造済み。 3809・3812・3814 - 3816の5両。 3812は2011年4月18日から旧国鉄一般形気動車標準色風の塗装に塗り替えられている。 3814は2015年3月に、残る4両は2015年4月・7月・2016年3月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 5000番台 にC-DMF14HZBを搭載。 廃区分となった。 5300番台 5000番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもので、2000年と2003年に1両ずつ 5302・5303 、計2両に実施。 2016年3月に廃車され、5302はミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 5500番台 にC-DMF14HZBを搭載。 5511・5513は2015年3月に廃車。 残る3両は2015年7月・12月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 5800番台 1999年から5500番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもの。 5802 - 5807・5810・5817の8両。 2015年4月・7月・2016年3月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 6000番台 にC-DMF14HZBを搭載。 廃区分となった。 6300番台 2000年に6000番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。 6302の1両のみで、2016年3月に廃車されミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 6500番台 にC-DMF14HZBを搭載。 2015年7月・12月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 6800番台 1999年から6500番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもので、6803 - 6816の14両に対して実施された。 うち6806・6807・6811 - 6813の5両は6500番台への改番時点で既にワンマン運転設備を装備していた。 2015年4月・7月・12月・2016年3月に廃車され、6805 - 6807と6811を除きミャンマーへ譲渡。 廃区分となった。 キハ48形6800番台(2011年12月24日、岐阜駅) JR西日本 [ ] には、キハ40形63両(すべて2000番台)、キハ47形189両(0番台108両・500番台3両・1000番台75両・1500番台3両)、キハ48形5両(0番台3両・1000番台2両)の計257両が承継された。 これはJR旅客鉄道会社の中で最大である。 廃車はキハ48形の3両のみで、2018年現在は254両が所属している。 JR西日本が保有する一般形気動車の半分以上が本系列で占められ、後継のと共に中国・北陸地方の非電化区間の主力として活躍している。 JR西日本の非電化区間では、線区や利用状況などで本系列とキハ120形を使い分けている。 形式と番台の変更を伴う改造は、キハ40形・キハ47形の座席のロングシート化による改番とキハ47形の両運転台化によるキハ41形への改形式、イベント用列車への改造に伴うもののみであるが、1989年度からキハ40形の全車とキハ47形の大半にワンマン運転対応化改造が実施されている。 また、広島支社()配属の車両については側面中央上部に式のの増設が行われ、板式のの使用を終了している。 民営化に前後して様々な地域色が登場したが、2009年からは塗装工程の簡略化のため、首都圏色(朱色5号) への塗装変更が進んでいる。 キハ47 1036 みまさかノスタルジー国鉄急行色 冷房化改造 [ ] 1989年度から1995年度にかけて製のAU34による冷房改造が全車に対して実施されている。 床下の暖房用熱交換器を1基撤去してAU34を搭載し、車内荷棚部に室内熱交換器を設置している。 機関換装 [ ] 1994年度から2000年度にかけて機関および液体変速機の換装を実施している。 機関は製SA6D125H-1AもしくはSA6D125HE-1への換装が実施された。 液体変速機はコマツ製のKTF3335A-1A(変速2段・直結3段、自動式)または新潟コンバータ製TACN-22系(変速1段・直結2段、自動式)へ換装したが、台車が元のままの1軸駆動であり、軸重に対して出力が勝ち過ぎて空転を起こしやすい傾向があり、台車強度の関係から出力を本来の355 PSから330 PSに落としている。 延命40N工事と冷房装置交換 [ ] 1999年度から2009年度にかけて、・等の国鉄形電車と同様の延命40N工事が実施されているが、改番は行われていない。 主な改造内容は、車体外板腐食部張替え、キハ47形の戸袋窓の埋め込み、通風器撤去、側窓を下段固定、上段下降式への交換、化粧板張替え、ドアの半自動装置の電気指令式への変更などである。 また、同時もしくはほぼ同時期に冷房装置の機関直結式のWAU201への交換がキハ47形5両を除いて実施されており、床下のAU34の撤去と屋根上へのWAU201の熱交換器の搭載が行われている。 キハ48 6 玉柏駅 - 牧山駅 2010年3月20日 キハ40形3000番台およびキハ47形2000番台・2500番台・3000番台・3500番台 [ ] 車内の座席をロングシートに交換したもので、は3000番台に、キハ47形はは2000・3000番台に、は2500・3500番台に改番された。 1991年から1992年にかけてキハ40形5両とキハ47形27両(2000番台16両、2500番台1両、3000番台9両、3500番台1両)に対して施工され、1996年度にはキハ47形21両(2000番台7両、2500番台2両、3000番台11両、3500番台1両)が追加で改造されたが、こちらはボックスシートを一部残している。 キハ40形は岡山地区に、キハ47形は岡山()・米子・山口地区に配置され、いずれもラッシュ時に運用されている。 キハ41 2003 既設運転台側、播但線、長谷 - 生野、2010年 1998年の播但線電化に際し、同線のうち非電化で残る寺前駅 - 和田山駅の単行運転用としてに運転台を増設して両運転台化したもの。 5両をで改造してに配置し、播但線内やの - 間で単行もしくは2両編成で運用している。 増設運転台は種車の車体に新造の切妻前面構体を接合しており、既設運転台と灯具類の設置位置や運転室内配置を揃えた特徴的なものとなっている。 増設運転台直後にトイレと水タンクを増設しており、2000番台に付番されている。 その後キハ41 2001は方向転換が行われ、増設運転台が豊岡方に向くようになった。 キハ47形7000番台 [ ] 2005年から観光列車用にキハ47形の内装・外観を改装した車両である。 トイレ付き車とトイレなし車で2両編成を組み1両は指定席車として運用されるが、種車と異なりトイレの有無による番台区分はされておらず通番が付与されている。 瀬戸内マリンビュー 2005年10月1日から(瀬戸内さざなみ線) - 間において観光列車「」が運行されるのに伴い、を改造したもの。 前面は表示装置や貫通扉が埋め込まれ、船を意識したと が飾られている。 側面は運転室側の乗降扉が埋められ、ステップもかさ上げされている。 指定席車のキハ47 7001は山側の腰掛に海側を向いてソファーシートが採用されるなど、客室仕様も大幅に変更されている。 一方、自由席車のキハ47 7002は乗降扉が一箇所となったほかは基本的に従来どおりである。 リニューアル工事も含めた改造費用は8,000万円で、呉線沿線の4(・・・)が全額を負担している。 2012年に - 三原駅間で「マリンビュー」として運転された際には、列車のヘッドマークに「広島県推進協議会」のキャラクター「ひろしま清盛」のイラストを用い、正面右側(運転士側)のオール・ライフブイの代わりに大が飾られるなどの意匠変更が行われた。 宮島口駅 - 間で2020年秋より運行開始する新たな観光列車『etSETOra』(エトセトラ)への再改造に伴い、2019年12月22日をもって運行を終了した。 外装には列車名にもなった・の生きた時代にちなんだ調の装飾が施され、側面は、指定席車は運転室側の乗降扉が埋められて三角形や八角形の窓がはめ込まれ、海側の窓配置が大幅に変わった一方で、自由席車は海側・山側とも従来どおりである。 指定席車の内装は全席海側を向いた座席となり、客室も大幅に変更されている。 一方、自由席車は一般的なキハ47形のリニューアル車の内装とほぼ同じであるが、トイレが洋式に改造されている。 改造費用の8,000万円は山陰本線沿線の自治体であるとが負担した。 車番は「瀬戸内マリンビュー」の続番であるが、こちらは前面の貫通扉が存置され一般車との連結も可能である。 2017年1月29日に「みすゞ潮彩」の運行が終了したのち再改造され、同年8月5日から新下関駅 - 間を運行する新たな観光列車「」の運行に使用されている。 2号車(元指定席車)は座席配置等に大きな変更はないものの、売店スペースがオープンカウンターになり、全体的に木目を強調したデザインに改められている。 ベル・モンターニュ・エ・メール(べるもんた)(2016年5月29日) 天空の城 竹田城跡号 [ ] 2014年4月26日、「天空の城 跡号」ラッピング列車として運行を開始した。 2015年3月3日、車内を暖かみのある木目調の床や窓向きの座席にし観光素材を映し出すモニターを配置するようにリニューアルすることが発表され、同年3月20日から運転を開始した。 2017年からは車両と併結し「ぐるっと北近畿号」として運行されていた。 車種はキハ40 2007 である。 2019年5月6日、「天空の城 竹田城跡号」としての運行が終了し 、新たな観光列車「うみやまむすび」としてリニューアルされることが発表された。 天空の城 竹田城跡号 車内(2015年8月29日) あめつち [ ] 2017年8月17日に「山陰デスティネーションキャンペーン(山陰DC)」(2018年(平成30年)7月から同年9月に開催)に合わせ、キハ47形2両編成の観光列車「」が発表された。 2018年2月28日に詳細デザインが発表され、デザインに映画監督の(出身)・のアニメーション美術監督である(島根県出身)が協力している。 2018年7月1日に運行開始した。 車種はキロ47 7005とキロ47 7006で、番号の新旧対照は下記の通りである。 JR四国では、「伊予灘ものがたり」用改造車を除いて形式と番号の変更を伴う改造や機関換装は実施されていないが、接客設備の改善として1988年に53両全車に対し冷房装置の設置(機関の熱交換器を撤去してS4F給電用機関を設置し、FTUR-300を2基屋根上に搭載)、1989年にキハ40形全車に対してワンマン運転対応設備の設置、トイレの撤去、旧トイレ部分への他の側窓と同型の2段ユニット窓の新設と屋上水タンクの撤去、1993年までにキハ47形のトイレ下にの取り付けが実施されている。 また、2008年2月から、配置のキハ47形2両の車体色が新製時の首都圏色(朱色5号)に変更されている。 給電用機関(キハ40 2143、徳島駅、2012年1月15日) 簡易電気検測車化改造 [ ] JR四国は、JR北海道・JR九州と同様に電気検測車を保有しておらず、JR西日本から検測車を借り入れて自社線の信号設備等の検測を行っていた。 この検測作業をある程度自社の車両等で行い、借り入れ費用を節減する目的で、1988年にキハ40 2147に検測機器を搭載し、簡易電気検測車に改造した。 改造により、車両両端に踏切制御子測定用受電器を、後位側台車にATS地上子測定用車上子をそれぞれ取り付け 、車内には測定・記録機器が搭載された。 客室設備に変更はなく、営業列車に使用しながらJR四国の各線の信号・踏切機器等の検測を行った。 キロ47形(1400番台) [ ] JR四国で運用されていた寒地形 のを、2014年7月からで運転を開始した「」用に改造してキロ47 1401とキロ47 1402としたもの。 種車は2両とも2011年3月31日付で廃車された 後、で保管されていたが、車籍を復活された。 キロ47 1402 JR九州 [ ] には、キハ40形2000番台36両と、キハ47形0番台61両、500番台2両、1000番台41両、1500番台2両の計106両、合わせて142両が承継された。 2012年にで廃車されたキハ47形2両 0番台1両・1500番台1両 を譲り受けている。 廃車は、1993年のの土石流災害で被災したキハ40形2両のみだったが、2019年より置き換えが開始され、新型車両の導入により改番していない車両の廃車が進んでいる。 2020年時点で132両を所有し、長崎地区を除く九州島内各地で運用している。 本系列に対して初めて冷房改造が行われたのが九州であった。 民営化後も1987年から1989年にかけて全車に対して冷房改造が実施された。 国鉄時代はバス用の装置を転用したサブエンジン式のAU34、民営化後はAU34を改良したAU600Kを搭載した。 現在は屋根上の通風器が撤去されている。 ワンマン改造は、大多数に対し施行済みであるが、線区の事情に応じて内容が異なる。 また機関出力向上は1990年から数種の方法で行われており、それぞれ新形式または新番台区分となった。 キハ47形9031 LED方向幕 キハ140形・キハ147形 [ ] などのスピードアップ用に機関を換装して出力増強を図ったものである。 1990年から1993年にかけて9両と、キハ47形は17両と13両の計30両が改造された。 形式をキハ140形とキハ147形に改めた。 車両番号は原番のまま。 1990年に改造したキハ47形7両には新潟鐵工所製のDMF13HZA、4両には製のDMF14HZを試用した。 また、変速機は新潟・コマツ製機関搭載車には新潟コンバータ製DW14系が、神鋼製機関搭載車には同社製のSCR1. 0-4が搭載された。 いずれも変速1段・直結2段となっている。 しかし、台車は従来通り1軸駆動のままであり、空転を起こしやすい傾向がある。 なお、神鋼造機製の機関を搭載した車両は、後にコマツ製機関および新潟製変速機に再換装された。 同車、助士席側 キハ40形7000番台・キハ47形5000・6000番台 [ ] 機関換装ではなく改造により1997年(平成9年)に出力増強を図った車両を改番したものである。 2両と0番台4両、1000番台4両の計10両が改造された。 番号は原番に5000を加えたものとされた。 なお、キハ40 7056は1992年に既に改造を実施していたものの未改番であったが、この機会に改番が実施されたものである。 機械制御式との組み合わせであった既設のDMF15HSAに対し、電子制御式噴射ポンプへの換装とへの改造、過給器の交換などが行われ、機関形式はDMF15HSA-Pに変更された。 改造はこの時の10両に留まった。 1999(平成11)年度から性能向上策が新型機関への換装工事に移行したこともあり、本番台も2006(平成18)年度から8000・9000番台へ再改造されている。 変速機は新潟コンバータ製TACN22-1612A(変速1段・直結2段)とした。 しかし、キハ40 8103・8126の2両はコマツ製KTF3335A(変速2段・直結3段 自動式)を搭載している。 2006年4月時点では、キハ40形10両と14両、1両、1000番台10両、1500番台1両の計36両が改造された。 番号はキハ40形に6000を、キハ47形に8000を原番に加えたものに変更されている。 2005年に寒地向けキハ47形500番台、1500番台を改造した8500番台・9500番台は、同年度中に全車がに再改造された。 2004年には「いさぶろう」・「しんぺい」用の、2006年には「はやとの風」用の増備車が改造され、本グループに編入されている。 2017年にはキハ47 8087および9051に対し「かわせみ やませみ」用の改造を行った。 8000番台の一部は、機関交換と同時にトイレ用の水タンクを小型化して床下に移設し臭気抜き・換気装置を設置、不要となった屋根上のタンクを撤去し同時にトイレの窓も埋められている。 キハ40形8000番台キハ47 8087 車内 キハ47形3500・4500番台 [ ] 寒地形のおよび、その機関換装車であるに行われた。 従来の一軸駆動を2軸駆動化し、同時に、500番台・1500番台は走行機関がコマツ製、変速機が新潟コンバーター製のものに換装された。 これらは8500番台・9500番台と同一のものである。 2005年には、500番台と1500番台1両ずつ、8500番台と9500番台1両ずつを改造した。 番号は原番車ではプラス3000、再改造車では再改造前の車番からマイナス5000である。 現在はとに2両(3500番台と4500番台が各1両)ずつ配置されている。 なお、JR西日本にもが存在するが、これとは無関係であり、番号の重複も発生していない。 キハ47形4500番台 特急「はやとの風」用改造車 [ ] 2004年の()部分開業に伴い新設された観光特急「」用に、キハ140 2066とキハ147 1045の2両を改造した。 車体中央部の窓を床面から屋根にまで達する大きなものに取り替えて展望スペースを設けたほか、座席を回転式リクライニングシートに交換、内装には難燃性の木材を使用している。 塗装はロイヤルブラック1色とされ、各所にロゴをちりばめている。 2006年には追加でキハ47 8092が改造され、キハ147 1045を方向転換したうえで同車と2両編成を組むようになり、キハ140 2066は多客時の増結用となった。 なお、キハ47 8092は指定席用で、内装も従来車に比べて明るい白木仕上げに変更されている。 2012年3月にはキハ140 2066が「指宿のたまて箱」仕様に再改造され、同列車の増結用ならびに両列車の共通予備車となった。 キハ47 8092 座席 「いさぶろう」・「しんぺい」用改造車 [ ] 九州新幹線部分開業に伴い、で運転される観光列車に使用するため、キハ140 2125を改造したもの。 外板塗色は九州新幹線の「」にも使用している古代漆色(深赤)で、座席は木製ベンチ風のボックスシートとしている。 また、車体中央部に窓を拡大した展望スペースが設けられているのは「はやとの風」用車両と同じ。 尾灯の脇に前照灯を増設している。 その後10月には多客時の増結用としてキハ47 9082が追加で改造された。 しかし、こちらは窓の拡大がされていない。 2009年7月には「いさぶろう」「しんぺい」を3両編成で運転するためキハ47 8159にも同様の改造を行った。 同車にはバリアフリー対応トイレの設置、の設置が追加で行われている。 キハ140 2125については「」との共通予備車である。 2017年11月3日、肥薩線坂本-葉木間の踏切でトレーラーとの衝突事故が発生し、キハ140 2125が損傷を受けた。 キハ47 9082 座席 「指宿のたまて箱」用改造車 [ ] 2011年の九州新幹線鹿児島ルート全線開通に伴い設定されたの観光特急列車「」用で、キハ47 8060とキハ47 9079の2両が改造されている。 外部塗装は海側(下り方向に向かって左側)側面と前面の海側半分が白色、山側(下り方向に向かって右側)側面と前面の山側半分が黒色としている。 車内は回転式リクライニングシートで、一部は窓側を向いた1人掛けで、書棚やベビーサークルなども設置されている。 また、沿線の伝説にちなみ、ドアが開いた際には玉手箱の煙に見立てたミストが連結面寄りの噴出口から噴射される。 また、レールの継目部の落込みである継目落ちにより発生する上下振動を低減するため、減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを台車の枕ばね(コイルばね)に平行して取付けられていた従来の上下動オイルダンパに代えて装備し、車体に搭載した4つの加速度センサーと制御装置により、検知した上下振動加速度を元に減衰力指令値を計算して、可変減衰上下動ダンパの減衰力を可変させることで上下振動の抑制を図っている。 2012年3月には、「はやとの風」用だったキハ140 2066が、再改造のうえ「指宿のたまて箱」用の増結車となった。 ソファー席 「かわせみ やませみ」用改造車 [ ] 2017年3月4日に運行を開始した、観光特急「」用に、キハ47 8087および、キハ47 9051を改造した。 人吉駅側の1号車(キハ47 8087)は青を基調とした「かわせみ」車両、熊本駅側の2号車 キハ47 9051 は緑を基調とした「やませみ」車両で、車内にはにも使用されている座席を使った回転リクライニングクロスシートや、景色を眺められるカウンター席と子ども椅子、複数人でも楽しめるようにボックスシートが設置されている。 また2号車には通常の座席よりも幅の広い「やませみベンチシート」やソファー席も設置されている。 2号車の熊本側にビュッフェ サービスコーナー が、1号車の人吉側に多目的トイレと展望コーナーが設置されている。 このほか、前照灯が増設され、ドアが片側2箇所から1箇所に削減されたり、車端部にオブジェを設置するなどの改造が行われた が、車番は変更されていない。 詳細は「」を参照 2015年8月8日に運行開始された「」用に使用される車両で、2012年にJR四国から譲渡された元徳島運転所所属のキハ47 176とキハ47 1505(いずれも2011年4月30日廃車)をで改造したもので で、形式車番はそれぞれキロシ47 9176、キロシ47 3505となり 、キハ40系列で初めて シ(食堂車)となった。 なお、「キロシ」の形式記号は(国鉄)時を通じても初の形式記号である。 列車は9176が1号車 、3505が2号車である。 世界的に著名な愛好家の原信太郎が製作した模型をベースに、原の次男で副館長である原健人の監修のもと、がデザイン・設計を担当している。 改造費用は1両約3億円 、2両計で約6億円で 、JR九州の社長・青柳俊彦は「ななつ星とほぼ同じ」と 、水戸岡は「ちょっとお金を使いすぎてしまった」 と発言しており、「指宿のたまて箱」用の車両の改装費用 と比べても高額となった。 車両前面の列車種別表示器上に前照灯を追加し 、乗降扉は各車2箇所から、キロシ47 9176は前位側に1箇所、キロシ47 3505は後位側1箇所に変更し 、側面には車外スピーカーを増設した。 そのほかの各車の改造内容は以下の通り。 定員22人。 搭載、トイレ撤去 、機関換装 ・クラッチ交換。 キハ47形0番台をベースにトイレを撤去し機関を換装したことでキハ47形9000番台と同様となったため、9000番台(原番プラス9000)の番号が付けられた。 定員18名。 ATS-DK搭載、トイレ設置 、機関換装 ・クラッチ交換、2軸駆動化改造。 キハ47形1500番台をベースにトイレを設置して機関を換装し2軸駆動化したことでキハ47形3500番台と同様となったため、3500番台(原番プラス2000)の番号が付けられた。 詳細は「」を参照 からJR東日本会津若松運輸区で余剰となっていたキハ40 511をの寄贈によるとしてが譲り受け、で改造したもので、として4月に使用開始された。 企画当初にはも模索されたが、キハ40形からの改造として現実的な一部構造の展望車となった。 同じ新潟トランシスが改造に携わった、JR東日本のキハ40系のに通じる雰囲気を持ち、共通の手法や部品も散見される。 は48名。 「風覧望」(ふうらんぼう)の愛称での(2009年までは)と2両編成で「お座トロ展望列車」として行楽期を中心に運転されている。 方となる1エンド側を展望構造に改造しており、の位置を逆(車端側)にしたうえで客扉を車体中央寄りへ移設、その前位をハイデッキとした。 運転台は低い位置に移設され、側は上半ガラスのとなった。 前面は2枚の大形平面ガラスで視界を確保しているが、ハイデッキ部はシアターシート(床を階段状にして後方席からの展望を確保する構造)ではなく、1位側には排気管の立ち上がり部がある。 後位は、当初は2人がけのベンチシートと若干の立席スペースを設けていたが、2016年にそれまで連結していたAT-100形お座敷気動車が廃車になったことに伴い、お座敷席に改造した。 また、2エンド側の運転台にはほとんど手が入れられておらず、ケースにまとめられた角形の・が新たに腰部に追加され上部種別幕が埋められた程度で、本来の前照灯もそのままである。 客室窓はすべて大型化、固定化されている。 トイレは対応となり、元の窓は埋め込まれた。 機関本来の出力は350 PSだが、液体式変速機がDW9形のままであるため300 PSで使用している。 定期運行以外では、導入直後にに入線したことがあるほか、訓練や貸切運転などでは両運転台構造を生かした単行運転もされている。 キハ40 1814 ミャンマー国鉄 [ ] JR北海道から譲渡されたキハ40系のうち、キハ40形330番台2両とキハ48形1330番台3両が2014年8月24日からヤンゴン市内の路線で運行されている。 5両編成で冷房も使用している。 JR東海は2015年3月27日、ミャンマー鉄道省へのキハ40系12両の譲渡 を、同年7月22日に41両の譲渡を発表した。 ミャンマーに到着後に順次改造工事を実施し、2015年7月以降順次ヤンゴン市内の路線で運行を開始した。 JR東日本は2015年7月17日、7月下旬からミャンマー国鉄への車両譲渡と、車両保守に関する技術支援を実施すると発表した。 対象はキハ40形13両、キハ48形6両の合計19両 で、第一陣の6両は同年8月にヤンゴンに到着し、9月末から同市内で運行されている。 小湊鐵道が譲り受けた、キハ40系。 運行路線 [ ] JR北海道 [ ] 区間の割合が低く、輸送量の少ない区間が多数存在する同社では、多くの区間で本系列を普通列車の主力として使用する。 など、他形式を常用する区間でも臨時の運用に用いる例や、電化区間でありながら使用される函館本線・室蘭本線のような事例もある。 同社では、ワンマン運転可能かつ2両以下の短編成に対応できる電車を保有していないため、電化の有無にかかわらず気動車を運用することで、運用コストの最適化を図っている。 なお平成29年には、当形式の置き換えを目的としたの導入計画が発表された。 2000年7月14日にで発生した脱線転覆事故のため、キハ40 750が2000年7月19日に廃車となった。 同社では、以下の線区で定期運用がある。 ( - 、 - 間)• 札幌圏での運用はごく少数である。 営業列車はへの車両回送を兼ねた札幌駅 - 旭川駅間下り1本のみ。 長万部駅 - (通称「山線」)では、2005年度から冬期の運用の一部を、所属の100番台と振り替えている。 これは同区間の急勾配と降雪による遅延を防ぐためである。 その後長万部駅 - 小樽駅間では、2020年3月14日のダイヤ改正でが導入されたことにより運用が消滅した。 (石狩当別駅 - 新十津川駅間)• 主にキハ40形400番台が運用に入るが 、検査などで使用できない場合はキハ40形700番台・1700番台が代走運用に入る。 なお、同線の石狩当別駅 - 新十津川駅間をのぞき、電車による運転となっており、苗穂運転所 - 札幌駅 - 桑園駅 - 石狩当別駅間の気動車による運転は回送列車のみである。 かつてはキハ40形300番台・330番台とキハ48形300番台・1300番台が札幌駅 - 桑園駅 - 石狩当別駅・北海道医療大学駅間で運用されていたが、2012年6月1日の第一次電化開業で運用数が減り、同年10月27日の完全電化により運用がなくなった。 ( - 間)• 全て石勝線との直通列車。 (南千歳駅 - )• ( - 間)• 2013年8月 - 2014年7月の間は運休していた特急「」の代替として旭川駅 - 間で臨時快速として毎日運行していた。 ( - 間)• ( - 間) JR東日本 [ ]• ( - 、 - 青森駅間)• 磐越西線( - 会津若松駅間)• (新津駅 - 間)• (新津駅 - 間)• 只見線( - 間) 羽越本線、磐越西線、奥羽本線などでは2019年度頃からGV-E400系へ順次置き換えている。 烏山線での運用 [ ] キハ40形1000番台の1006以外の8両は改造後宇都宮運転所に所属し、烏山線で使用されていた。 これらは郡山総合車両センターで施行している。 2014年から烏山線に量産試作車が導入されていた駆動であるの量産車導入により、烏山線での運用は2017年3月3日をもって終了し、うち1001・1003・1008・1009の4両は同年4月5日にに回送され 、同年4月6日付で廃車 、1009は陸送でに譲渡された。 1002・1004・1005・1007の4両も同年5月10日に郡山総合車両センターに回送され、同年5月11日付で廃車 、1002・1005・1007の3両は那須烏山市の那珂川清流鉄道保存会に譲渡された。 東北に転属した1006は、、を経て1999年からに配置されている。 やで使用され、2016年1月に塗色を男鹿線色から首都圏色(朱色5号)に変更。 それ以降は「国鉄メーク」気動車としてなどで使用されている。 JR西日本 [ ]• (豊岡駅 - 幡生駅間)• (新下関駅 - 下関駅間)• (寺前駅 - 和田山駅間)• (津山駅 - 新見駅間)• (鳥取駅 - 那岐駅間)• (三次駅 - 広島駅間)• (瀬戸内マリンビュー号)• (高岡駅 - 富山駅間)• (金沢駅 - 津幡駅間 〈花嫁のれん〉) 2020年3月13日までは でも運用されていたが、翌14日からは・に統一された。 JR西日本の一般的な塗装(首都圏色)のリニューアル車 JR四国 [ ]• (徳島駅 - 阿南駅間)• (徳島駅 - 穴吹駅間) 2009年10月の編成両数見直しやの投入によって、2010年3月までに徳島運転所のキハ47形10両(111・116・117・502 - 505・1087・1502・1503)が廃車された。 には同6両(115・501・1088・1121・1501・1504)が廃車され、同2両(176・1505)がJR九州に譲渡された。 2012年にはのキハ47形3両(172・175・1119)が、には徳島運転所のキハ47形3両(1085・1089・1112)が、2014年には同2両(1090・1132)が廃車された。 2016年3月25日のダイヤ改正翌日には、松山運転所所属の車両はキロ47形2両を除き、全車徳島運転所に転属された。 2016年3月には松山運転所のキハ47形1両(1117)と徳島運転所のキハ47形2両(1118・1120)が、2018年3月には徳島運転所のキハ47形2両(113・144)がそれぞれ廃車された。 2018年4月1日時点では徳島運転所にキハ40形(2000番台)11両とキハ47形11両(0番台10両・1000番台1両)、松山運転所にキロ47形2両の計24両が配置されている。 以前は牟岐線の阿南以南や鳴門線では車種独占となっていたが、近年は新型車両の導入やホーム嵩上げの進行により、運用が減っている。 キハ47形はワンマン設備がないことから優先的に廃車となり、現在は朝夕の通勤時間帯中心の運用である。 牟岐線の阿南駅 - 海部駅間では、2019年3月15日を最後に乗り入れを終了した。 また、2011年3月12日から2019年3月15日までは、 でも運用されていた。 2016年3月25日までは旧線(松山駅-下灘駅-八幡浜駅)と並びに予讃線(内子回り)でも運用されていたが、翌26日からはとに統一され、同区間を走行する本系列は「」に使用されるキロ47形のみとなっている。 JR九州 [ ] 長崎地区ではキハ66系やキハ200系に置き換えられてキハ40系の定期運用は「或る列車」のみとなっている。 筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター 直方運用・日田彦運用・竹下運用に分かれている。 なお直方運用は2017年3月3日に、竹下運用は2019年3月15日に、それぞれに置き換えられて運用を終了した。 日田彦運用 に常駐• 午前中の普通列車数往復と快速列車• (桂川駅 - 原田駅間 )• (小倉駅 - 城野駅間〈日田彦山線直通列車〉)• (夜明駅- 日田駅間 〈日田彦山線直通列車〉) 唐津鉄道事業部唐津車両センター• (佐賀駅 - 久保田駅間 〈唐津線直通列車〉 )• (山本駅 - 伊万里駅間) 長崎鉄道事業部佐世保車両センター キロシ47形〈或る列車〉運用• (日田 - 大分駅間 〈 大分ルート〉)• (諫早駅 - 長与駅 - 長崎駅間 〈或る列車 長崎ルート〉)• (或る列車 長崎ルート)• (或る列車 長崎ルート) 熊本鉄道事業部熊本車両センター• (熊本駅 - 八代駅間〈肥薩線・三角線直通列車〉 )• (熊本駅 - 肥後大津駅間)• (普通・快速列車、、) 大分鉄道事業部大分車両センター• (日田駅・庄内駅 - 大分駅間 )• (大分駅 - 豊後荻駅間) 鹿児島鉄道事業部鹿児島車両センター• (鹿児島中央駅 - 鹿児島駅間 )• (宮崎駅 - 都城駅〈吉都線直通列車〉、国分駅 - 鹿児島駅間)• (普通列車〈吉都線直通列車含む〉、)• (普通列車 、)• (肥薩線・日豊本線直通列車含む) 宮崎総合鉄道事業部宮崎車両センター• (高鍋駅 - 西都城駅間)• 九州の一般的な塗装(左)と香椎線オリジナル塗装(右)の並び 会津鉄道 [ ]• (臨時トロッコ列車「湯めぐり号」)• (臨時トロッコ列車「湯めぐり号」) 運用の詳細はを参照。 ミャンマー国鉄 [ ]• ヤンゴン環状線(全線)• ヤンゴン - ピィ線(ヤンゴン中央駅 - ハローガ駅間)• バゴー - モーラミャイン線(バゴー駅 - エイビャ駅 - ニャウンカシー駅間)• マンダレー - ミッチーナー線(マンダレー駅 - カウリン駅間)• マンダレー駅 - パコック駅間 かつての運用 [ ] JR東日本 [ ]• かつて所属の車両 がで運行されていた。 導入により2018年3月16日に八戸線での定期運用を終了 した。 のキハ48系の改造車両については、キハ40系統の車両が2018年3月17日のダイヤ改正で八戸線から姿を消した後も継続して使用されていたが、これもに引退した。 ( - 間)• ( - 間) JR東海 [ ] 2016年3月26日のダイヤ改正にて運用が終了し 、2016年3月30日に全て廃車された。 以前の運用は以下の通りである。 鈴鹿サーキットでのF1グランプリ開催に伴う臨時列車でも運用実績があり、定期運用では見られない6両編成で運転された。 武豊線での運用は1999年に終了し(同時に旧配置のから美濃太田車両区と伊勢車両区に転属)、全てキハ75形に置き換えられた。 では運用されない。 キハ48 5803と6810はによる高山本線の線路被害のためで2年以上孤立したが、搬出されて運用に復帰したもので、車内には「高山本線復帰車両」のプレートが取り付けられた。 2014年4月時点で、美濃太田車両区にキハ40形7両・キハ47形5両・キハ48形24両の計36両が、伊勢車両区にキハ40形7両とキハ48形16両の計23両が配属されていた。 59両全車がやなどで長距離運用を中心に使用されていた。 2015年から武豊線に伴い、同線のおよびキハ75形を「主に高山線・に転用する」と発表され、順次置き換えられた。 その後、2013年3月には、2014年度から2015年度にかけてキハ25形の2次車52両を投入し、国鉄時代に製造された当系列を置き換える方針を発表した。 太多線の運用はキハ11形と共に2015年3月に、高山本線の運用も2015年6月で終了し、同線ではキハ25形、キハ75形を運用している。 また、伊勢車両区での検査期限切れ間近な車両との入れ替えのため、2014年付で美濃太田車両区からキハ48形2両(3812、6809)が、2015年付で同2両(3809、6810)が転属した。 また、キハ40 5501・キハ48 6501、6812(国鉄一般形気動車標準色)が7月4日に回送され 、7月6日付で転属した。 これにより、2015年7月にキハ48 6812、キハ48 3812、キハ40 3005の国鉄一般形気動車標準色3両での運転も行われた。 2016年3月26日のダイヤ改正にて運用が終了し 、2016年3月30日をもって全廃となった。 置き換えられた車両は、ミャンマーへ譲渡された。 2015年にキハ47・48形の7両(キハ47 5001、5002、6001、6003・キハ48 3814、5511、5513)がへ回送された。 更に、にはキハ40 6308、6312・キハ48 5501、5508、5804の5両 が、にはキハ40 5802、6307・キハ48 5803、5806、6808の5両が 、には、キハ40 6309・キハ48 3815、5810、6517、6815の5両が笠寺に回送され、同日中に東港・東名古屋港を経て、名古屋港大江埠頭に搬送された。 この他にも譲渡が行われ、2015年度にはキハ40系46両がミャンマーへ譲渡されている。 登場した映像作品 [ ] 以下のように、登場する映像作品はアニメーション作品が圧倒的に多い。 - 冒頭のオープニングタイトルバックで七瀬優が乗車している列車として登場。 - 主人公の宮水三葉が上京のために乗車する列車として国鉄色の車両が、2016年時点で被災・損壊し放棄されたままの車両として首都圏色と国鉄色の車両が登場。 いずれもキハ40。 - 第1回放送で主人公の黒板五郎らがに向かい下車するシーンで登場。 - アニメ第2期第1話で主人公の赤座あかりらが乗車する列車として高岡色の車両が登場。 - アニメ第12話で主人公の夜ノ森小紅が乗車しているシーンとして登場。 - アニメ第1話・第5話・第25話に間野山線の車両としてのキハ47が登場。 - 作中において普通列車として盛岡色の車両が登場。 - しんのすけの父と東松山刑事が乗車した列車としてのキハ40が登場。 「僕」と桜良が旅行から帰ってくるシーンなどで高岡色車両が登場。 保存車 [ ] キハ40 519 女川駅構内の温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」の休憩所として使用されていた。 東日本大震災の津波で被災し、解体された。 キハ40 764 映画『鉄道員(ぽっぽや)』撮影用の改造車。 廃車後ロケ地の幾寅駅にカットボディが保存されている。 キハ40 1002、1005、1007 栃木県那須烏山市「那珂川清流鉄道保存会」で保存。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 優等列車向けに導入されたが、冷房化改造が困難なことと車齢が高いことから1970年代後半には大半が普通列車に転用されていた。 逆に寒冷地で暖地向けの車輌が使用されることもある。 「首都圏色」と呼ばれる塗装。 従来の一般形気動車の標準塗装であったとの2色塗り分けで落成した車両は存在しない。 なお、本系列と車体設計が類似するは、1978年10月の「車両塗色および表記基準規定」改正前の1978年2月から3月にかけて落成したキユニ28 1 - 6の6両が規定通り旧標準色の2色塗り分け。 初期製造車のみ化粧板を使用する通常構造。 DW6形は製の変速機番号1000番台が1段4要素、製の変速機番号2000番台が1段3要素。 減速機支え装置の取り付け方向が推進軸と同じ側ではなく反対側となるため、完全に同一仕様ではない。 DT44形が5,510 、TR227形が4,690 kg、重量の増したDT44A形でも6,240 kg、TR227A形で5,400 kg。 従来のWH250形をベースに暖房制御用の電気回路を追加したもの。 その後の新形気動車では機関の化などで熱効率が向上して機関の発熱が減少したため、温水式暖房を採用する場合、熱源となる機関発熱が減少する下り勾配などで暖房能力が低下する、寒冷地では暖房能力が不足するという問題が発生した。 そのため、それらは変速機内装のコンバータブレーキの使用によって温度が上昇した変速機油を補助熱源とすることで下り勾配での暖房能力の不足を補う(直噴機関搭載により機関予熱器を省略したなど)、厳寒時の始動用に搭載されている機関予熱器を暖房熱源として常用する(など。 これらは自動車用温水暖房であるが、他社では機関の動作状態に影響されず、しかも構造簡易で確実な動作が得られる軽油燃焼暖房へ回帰した例もある。 連続150 - 180 と非力なDMH17系機関が標準だった国鉄気動車では、と同様のを採用することは困難であり、当初より冷房装置を搭載した気動車では一部車両に大型のディーゼル機関によるを搭載して4 - 5両単位で給電を行うシステムを、後に冷房を追加した急行形気動車で 一部車両にコンパクトな発電ユニットを搭載して3両単位での電力供給を行うシステムを採用しており、本形式のベースとなったキハ66系も同様の冷房システムと当時の近郊形電車と同様の集中式冷房装置を搭載していた。 接点数2。 在来の気動車と同様、片栓ジャンパ線を連結面を外から見て左側〔運転台の助手席側〕に、栓受けを右側に装備。 接点数2。 栓受は連結器の胴受の下に設置。 キハ66系はキハ66・67形を背中合わせに連結した2両1ユニットであり、分割しての使用やユニットの連結面間の他系列との互換性を考慮する必要がない。 当初、用として開発。 キハ183系などに使用されている接点数61の気動車用多心ジャンパ連結器。 昭和53年度2次債車までは60ピン接続。 KE53形2個分の信号線をKE93形1個に変換接続するための二股アダプタ。 KE93形に取り付けて使用。 ロングシートを含めた全座席定員は68名。 ロングシートを含めた全座席定員は66名。 の一般車両では客室などのリニューアル工事が行われており、シートは青紫系、壁は白系の色になっている。 その他、一部車両がジョイフルトレインに改造されており、八戸運輸区では製造当初の内装を持つキハ40形は運用されていない。 511が。 残存する唯一の冷房化改造車でもある。 その後東北地区へ転出。 座席は延長されず、ゴミ箱が置かれている。 一般放送回路との区別のため、赤色により識別。 北海道地区の急行用気動車であるは、冷房装置をグリーン車であるキロ26以外装備していなかった。 そこで1985年(昭和60年)3月改正時に全車冷房付きで特急並み接客設備を持ち、夜行急行『利尻』との編成共通化というメリットもある14系客車に置き換えたが、所要時間は客車化で15 - 20分ほど伸びていた。 旧便所部分は固定式窓を増設。 1300番台との違いはその窓と存置された屋根上の水タンクのみ。 トイレは存置。 既存の窓とは形状が異なる。 俗に言う「鼻」。 2両は6000番台改番時点で改造済み。 製造当時は新潟に配属され、民営化前の1985年に高松に転属した。 2017年3月1日付で熊本配置の2両が一旦大分へ転属し、寒冷地仕様車が全車大分配置となり大分地区の路線で運用されていたが、翌年の2018年3月17日付で元々熊本に配置されていた3509と4510の2両が再び熊本へ転属している。 機関換装と同時に2軸駆動化改造を行ったため、8510や9510になった時期は存在しない。 可変減衰上下動ダンパや制御システムが故障しても、ダンパ自体が通常の上下動ダンパとして動作する。 1両あたり1億円弱。 残存する唯一の冷房化改造車でもある。 出典 [ ]• 環境報告書2006 2007-05-09 at the. 223. , p. 221. 甲125:新規設定 2013-12-12 at the. - 『月刊とれいん』 甲種・特大 追加情報 2012年6月15日• 甲123:新規設定 2013-12-12 at the. - 『月刊とれいん』 甲種・特大 追加情報 2012年6月15日• 甲124:新規設定 2013-12-12 at the. - 『月刊とれいん』 甲種・特大 追加情報 2012年6月15日• 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年6月22日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年6月23日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』 railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年7月14日. 2015年9月1日閲覧。 鉄道ホビダス. 2012年7月17日. 2015年9月1日閲覧。 錦川鉄道. 2018年7月1日閲覧。 マイナビニュース 2015年3月23日. 2015年3月25日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , , 2015年3月20日 , 2015年4月5日閲覧。 - 北海道旅客鉄道 2015年9月30日• JR北海道釧路支社 2010年7月22日. 2011年10月10日時点のよりアーカイブ。 2015年9月1日閲覧。 2012年7月号 「電化目前の学園都市線と専用気動車のこと」p. 甲225・226:新規設定 2012年11月21日, at the. - 『月刊とれいん』 甲種・特大 追加情報 2012年11月6日• 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年11月24日. 2015年9月1日閲覧。 鉄道ホビダス. ネコ・パブリッシング 2012年11月26日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2010年4月15日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2010年4月16日. 2015年9月1日閲覧。 2018年2月15日. 2019年9月15日閲覧。 2018年2月14日. 2019年9月15日閲覧。 2019年2月14日. 2019年9月15日閲覧。 2019年2月14日. 2019年9月15日閲覧。 2019年8月22日. 2019年9月15日閲覧。 2019年9月6日. 2019年9月15日閲覧。 HBC NEWS. 2019年9月6日. 2019年9月15日閲覧。 2019年9月6日. 2020年2月29日閲覧。 2019年10月9日. 2020年2月29日閲覧。 『JR気動車客車編成表2011』68ページ• 『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』43ページ• - 交友社「鉄道ファン」railf. jp 鉄道ニュース 2016年8月28日• 『』2017年7月号 「JR旅客会社の車両配置表」• プレスリリース , 東日本旅客鉄道, 2009年2月3日 , 2015年9月1日閲覧。 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道秋田支社, 2018年2月23日 , 2018年2月24日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2018年4月19日. 2018年4月20日閲覧。 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道盛岡支社, 2010年11月26日 , の2010年12月4日時点におけるアーカイブ。 , 2015年9月1日閲覧。 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道盛岡支社, 2010年2月9日 , の2011年2月20日時点におけるアーカイブ。 , 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2017年11月21日. 2018年1月7日閲覧。 観光列車でGO!! 2011-12-16 at the. 西日本旅客鉄道 2019年7月17日. 2019年7月17日閲覧。 日本語 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2019年11月22日 , 2019年12月2日閲覧。 西日本旅客鉄道 2017年5月31日. 2017年8月17日閲覧。 2014年7月7日. 2014年7月7日閲覧。 JR西日本 2014年9月29日. 2014年10月14日閲覧。 Response 2015年8月21日. 2015年9月1日閲覧。 2015年1月22日. 2015年1月22日閲覧。 2015年8月21日. 2015年8月21日閲覧。 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2014年3月4日 , 2019年5月10日閲覧。 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2015年3月3日 , 2015年9月1日閲覧。 鉄道ホビタス. ネコ・パブリッシング 2015年3月25日. 2015年9月1日閲覧。 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2019年4月26日 , 2019年5月10日閲覧。 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2019年5月10日 , 2019年5月10日閲覧。 日本語 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2017年8月17日 , 2018年3月4日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2017年8月17日. 2018年3月4日閲覧。 日本語 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2018年2月28日 , 2018年3月4日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2018年3月2日. 2018年3月4日閲覧。 ITmedia ビジネスオンライン. 2018年2月28日. 2018年3月7日閲覧。 512 p. 『』、、2014年9月、 64頁。 鉄道総合研究所 2013年5月. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2012年3月20日. 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 交友社 2009年7月21日. 2015年9月1日閲覧。 産経WEST. 2017年11月3日. 2018年3月4日閲覧。 朝日新聞 2011年2月20日. 2011年2月22日時点のよりアーカイブ。 2015年9月1日閲覧。 67 - 68. , p. 東洋経済新報社. 3 2015年7月25日. 2015年9月1日閲覧。 日刊工業新聞 2015年7月27日. 2015年9月1日閲覧。 鉄道ホビダス 編集長敬白. ネコ・パブリッシング 2015年7月22日. 2015年9月1日閲覧。 「JRKYUSHU SWEET TRAIN 「或る列車」営業開始」『鉄道ジャーナル』第55巻第10号、鉄道ジャーナル社、2015年、 15頁、 4910164991051。 「JRKYUSHU SWEET TRAIN 「或る列車」営業開始」『鉄道ジャーナル』第55巻第10号、鉄道ジャーナル社、2015年、 15頁、 4910164991051。 鉄道ファン 2016年6月号 No. 662 p. 101• 北海道. 2014年8月9日時点のよりアーカイブ。 2015年9月1日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2016年3月21日. 2016年8月2日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2016年3月3日. 2016年8月2日閲覧。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2016年2月5日. 2016年8月2日閲覧。 2018年3月4日閲覧。 乗りものニュース 2015年3月27日. 2015年9月1日閲覧。 2016年2月2日閲覧。 Response 2015年7月18日. 2015年9月1日閲覧。 2017年5月5日閲覧。 2020 令和2 年5月20日閲覧。 スポーツニッポン 2020年5月21日. 2020年5月21日閲覧。 鉄道ファン 2017年10月号• , p. 4・5・8-10. 2019年12月13日. 2020年3月21日閲覧。 , p. , p. , p. , p. , p. 100・104-106. , p. 49・89・102・103. 姿を消すという文面は2017年7月5日の東奥日報を参照。 JR気動車客車編成表2013(ジェー・アール・アール編、交通新聞社) [ ]• DJ鉄道ダイヤ情報2013年10月号、通巻第377号(交通新聞社) [ ]• 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2017年4月6日. 2017年4月18日閲覧。 357。。 『鉄道ファン』railf. jp 鉄道ニュース. 2017年4月18日. 2017年4月18日閲覧。 那珂川清流鉄道スタッフブログ 2017年5月26日. 2017年5月26日閲覧。 2017年4月22日閲覧。 171. , p. 207-209. , p. 180. , p. 186. 189. , p. 188. , p. 190. , p. 210. , p. 191. , p. 195. , p. 211. , p. 168. 若桜町役場ふるさと創生課. 2020年3月14日閲覧。 220. 221. , p. 222. , p. 245. , p. 240-242. 248-251. 244. 235. , p. 237. , p. 232. 246-247. , p. 148. 253. , p. 255. , p. 254. , p. 96・97. Web東奥. 2018年3月16日. の2018年3月16日時点におけるアーカイブ。 2018年3月16日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道盛岡支社/びゅうトラベルサービス/三陸鉄道, 2020年3月23日 , の2020-03-時点におけるアーカイブ。 , 2020年3月26日閲覧。 東海旅客鉄道ニュースリリース 2015年12月18日. 2015年12月21日閲覧。 東海旅客鉄道ニュースリリース 2010年3月18日. 2010年3月21日閲覧。 プレスリリース , 東海旅客鉄道株式会社, 2013年3月14日 , 2015年3月31日閲覧。 PDF プレスリリース , 東海旅客鉄道株式会社, 2014年12月19日 , 2015年3月31日閲覧。

次の

キハ400 急行「利尻」|気動車ジオタウンドットコム

キハ 400

キハ40系 キハ40系は、老朽化が進むキハ10系やキハ20系の置き換えを目的として、1977年に登場した一般型気動車である。 全部で888両が製造され、国鉄末期からJR時代にかけて、ローカル線の主力として活躍している。 両運のキハ40形、片運でデッキが無いキハ47形、片運デッキ付のキハ48形がある。 番台区分は複雑で、以下のようになっている。 キハ40系新製車 車種別両数 形式 番台 両数 前歴 製造・改造 消滅 備考 キハ40 100番台 150 新製 1977. 2-82. 5 1995. 3 両運・北海道向け 500番台 94 〃 1977. 12-82. 8 両運・寒地向け 2000番台 148 〃 1979. 6-82. 6 両運・暖地向け キハ47 0・1000番台 327 〃 1977. 2-82. 6 片運デッキ無・暖地向け 500・1500番台 43 〃 1978. 7-80. 8 片運デッキ無・寒地向け キハ48 0・1000番台 10 〃 1981. 7-82. 3 片運・暖地向け 300・1300番台 7 〃 1982. 7 2012. 7 片運・北海道向け 500・1500番台 109 〃 1979. 6-82. 8 片運・寒地向け 北海道エリア 北海道向けの車両は、形式は同じであるが、キハ22形と同様に窓が小さい。 前面に車番が入っていることも特徴である。 キハ40系北海道エリア改造車 車種別両数 形式 番台 両数 前歴 改造 消滅 備考 キハ40 300番台 4 700番台 1996. 1-3 札沼線向け出力増強 330番台 6 キハ400 2000. 6-8 急行用の再改造 350番台 10 700番台 1998. 7-99. 1 日高線向け出力増強 400番台 2 700番台 1996. 3 札沼線向け強出力増強 700番台 141 100番台 1990. 6-94. 2 ワンマン化 1700番台 57 700番台 2004.. 3-12. 7 延命改造車 キハ48 1330番台 3 キハ480 2000. 7-8 2012. 12 急行用の再改造 1986. 8 根室標津駅 1988. 3 上砂川駅 1988. 3 夕張駅 1988. 3 増毛駅 1991. 3 北浜駅付近 JR北海道に157両が引き継がれ、そのうちほとんどの車両はワンマン化改造が実施されて700番台となった。 さらに、2003年からは延命工事が実施されて1700番台に変わってきている。 塗装は、ほとんどが北海道色と呼ばれる緑と青の帯であるが、日高線向けは専用塗装となっている。 1999. 10 700番台:金山駅付近 1999. 10 カニラッピング車(右の車両):帯広駅 2016. 9 400番台:新十津川駅付近 2017. 9 1700番台:東旭川駅 2016. 2 350番台日高線色:苫小牧駅 2016. 9 350番台日高色:鹿ノ谷駅 2019. 2 道南のめぐみ:五稜郭駅 キハ40系北海道エリア配置表 管理局 1977 1980 1982 1985 1987 1990 1992 1995 1998 2000 2002 2005 2010 2015 釧路 20 30 30 30 33 33 30 30 29 29 29 29 29 旭川 8 15 36 45 45 36 37 31 39 32 32 32 32 32 札幌 8 27 57 65 65 54 53 50 42 51 60 60 58 48 函館 3 17 17 17 21 21 33 33 32 31 31 31 31 東日本エリア 東日本では、東北地方で寒冷地向け500番台、関東地方では暖地向け2000番台が主に使用されている。 キハ40系東日本エリア改造車 車種別両数 形式 番台 両数 前歴 改造 消滅 備考 キハ40 1000番台 9 2000番台 1986. 11-95. 12 便所撤去改造 1985. 8 久慈駅 1987. 3 荒砥駅 1987. 2 常陸太田駅 JR東日本は、219両を引き継いでいる。 地域ごとに以下のような塗装がある。 盛岡地区 :盛岡色 秋田地区 :男鹿線色、五能線色、左沢色 仙台地区 :東北地域本社色 新潟地区 :新潟色、新新潟色 水戸地区 :水郡色 宇都宮地区:烏山色、一般色風塗装 長野地区 :飯山色 1988. 3 盛岡試験塗装:八戸線 1988. 3 赤鬼塗装:大湊駅 2017. 10 盛岡色:長苗代駅 2017. 6 五能線色:鶴泊駅 2017. 6 男鹿線色:秋田駅 1990. 3 左沢色:左沢駅 1998. 10 東北地域本社色:中山平駅より 2012. 10 旧新潟色:余目駅 2019. 2 新新潟色:西袋駅 2015. 12 烏山色:宇都宮駅 1988. 3 飯山色:森宮野原駅 右がキハ40系 2015. 12 一般色風塗装:宇都宮駅 2018. 10 急行色風塗装:余目駅 キハ40系東日本エリア配置表 管理局 1980 1982 1985 1987 1990 1992 1995 1998 2000 2002 2005 2010 2015 盛岡 15 32 32 32 35 49 49 44 44 45 42 40 37 秋田 49 64 64 64 72 72 70 67 57 55 52 52 51 仙台 38 55 55 55 49 40 52 49 57 52 51 42 32 新潟 37 49 39 29 29 34 37 40 40 40 39 38 38 高崎 5 5 5 1 水戸 6 15 15 18 18 14 1 3 東京北 10 10 10 7 6 7 7 8 8 8 8 8 8 長野 5 9 9 9 東海エリア JR東海は、59両を引き継いだ。 塗装は基本的にJR東海の共通塗装である。 2016年3月に定期運用を終了した。 キハ40系東海エリア改造車 車種別両数 形式 番台 両数 前歴 改造 消滅 備考 キハ40 5000番台 14 500・2000番台 1989. 3-99. 3 JR東海の改造車 キハ47 5000番台 5 0・1000番台 1997. 4-99. 7 JR東海の改造車 キハ48 3500番台 5 500番台 1991. 3-92. 11 武豊線向け改造車 5000番台 34 0・1000・500・1500番台 1994. 10-99. 3 JR東海の改造車 2016. 1 東海色:津駅 キハ40系東海エリア配置表 管理局 1980 1982 1985 1987 1990 1992 1995 1998 2000 2002 2005 2010 2015 名古屋 37 50 50 59 59 59 59 59 59 59 59 59 52 西日本エリア 西日本エリアでは、主に暖地向けの2000番台が使用されている。 キハ40系西日本エリア改造車 車種別両数 形式 番台 両数 前歴 改造 消滅 備考 キハ40 3000番台 5 2000番台 1992-93. 3 ロングシート化 キハ47 2000番台 48 0・1000・500・1500番台 1993. 2-97. 2 ロングシート化 キハ41 2000番台 5 キハ47-1000 1998 両運化 1990. 2 浜原駅 1990. 2 備後落合駅 右はキハ45系 1990. 2 三段峡駅 2017. 8 新山口駅付近 JR西日本は、JR各社の中で最も多い257両を引き継いだ。 地域ごとに、以下のような塗装がある。 また、両運化されたキハ41は、切妻運転台が異彩を放っている。 金沢地区 :旧高岡色、高岡色、忍者ハットリ君ラッピング車 姫路地区 :姫新色、加古川色 福知山地区:播但色 米子地区:鬼太郎ラッピング車 岡山地区 :津山色、岡山色、桃太郎ラッピング車、みまさかノスタルジー 広島地区 :広島地域色 2003. 2 高岡色:城端駅 2017. 7 ハットリ君塗装:新高岡駅 2018. 12 ハットリ君塗装:雨晴駅 2007. 11 姫新色:播磨新宮駅 2007. 1 播但色:山陰本線餘部橋梁 2016. 8 キハ41:和田山駅 2016. 8 銀の馬車道塗装:和田山駅 2010. 5 鬼太郎ラッピング車:米子駅 2017. 8 鬼太郎ラッピング車:弓ヶ浜駅 2017. 8 鬼太郎ラッピング車:弓ヶ浜駅 1990. 2 津山色:根雨駅? 2009. 12 岡山色:備中高松駅 2017. 11 みまさかノスタルジー:岡山駅 2016. 8 桃太郎ラッピング:岡山駅 2016. 1 広島地域色:新山口駅 キハ40系西日本エリア配置表 管理局 1977 1980 1982 1985 1987 1990 1992 1995 1998 2000 2002 2005 2010 2015 金沢 8 8 8 8 3 6 6 6 10 23 24 26 大阪 15 34 39 45 47 48 50 42 42 37 20 3 天王寺 10 13 18 10 4 3 福知山 16 40 56 51 45 23 21 21 25 16 16 16 19 19 米子 26 43 41 38 61 55 40 52 56 56 55 62 62 岡山 29 43 43 46 48 52 54 37 37 37 39 42 41 広島 28 57 65 65 66 75 86 95 100 101 103 100 102 四国エリア JR四国は、53両を引き継いでいる。 基本的には四国色に統一されている。 2009. 12 中田駅 キハ40系四国エリア配置表 管理局 1982 1985 1987 1990 1992 1995 1998 2000 2002 2005 2010 2015 四国 34 45 53 53 53 53 53 53 53 53 43 27 九州エリア JR九州は、142両を引き継いでいる。 こちらも基本的には九州色に統一されている。 キハ40系九州エリア改造車 車種別両数 形式 番台 両数 前歴 改造 消滅 備考 キハ40 7000・8000番台 21 2000番台 出力増強 キハ47 5000・6000・8000番台 56 0・1000・500・1500番台 出力増強 キハ140 9 キハ40-2000 1990-93 スピードアップ キハ147 30 キハ47-0・1000 1990-93 スピードアップ 2003. 4 宇美駅 1990. 2 山本駅 2011. 9 赤水駅 2017. 3 宮崎-南宮崎間 2016. 3両編成で、外観は変わっていない。 2000年に仙台地区へ転出して「ふるさと」と改称された。 仙台地区を中心に、首都圏や新潟地区などさまざまな地域で運行されている。 2002. 前頭部や側窓など外観も大幅に改造されている。 当初は愛称は無かったが、2003年に青池と名付けられた。 2006年に1両減車して3両編成となり、2010年の2代目「青池」登場によりまた1両減車してクルージングトレインと改称された。 3両編成であったが、2010年に青池編成の1両を組み込んで4両編成となった。 3両編成で、中間車は青池編成から転用している。 2010年に1両増車して4両編成となった。 2009. 10 リゾートしらかみ・青池 五能線八森-滝ノ間間 2017. 10 クルージングトレイン:一ノ関駅 2015. リゾートしらかみに似た外観となっている。 2010年11月に営業を終了した後、リニューアル改造されて2012年から八戸線の観光列車リゾートうみねことなっている。 外観はきらきらみちのくとほぼ同じである。 外観はほぼ原形のままである。 2012. 11 リゾートみのり:陸羽東線鳴子温泉-中山平温泉間 2016. 5 リゾートうみねこ:八戸駅 2018. 改造費用は、沿線自治体が負担している。 こちらも海側の窓配置が大きく変わっている。 車内で食事の提供や伝統工芸品の展示などが行われている。 こちらも車内で食事などを楽しむことができる。 2017. 8 花嫁のれん:和倉温泉駅 2017. 8 瀬戸内マリンビュー:呉ポートピア付近. 2017. 海などの景色を見ながら食事を楽しむというコンセプトで、一度廃車になってた車両の車籍を復活して改造している。 2016. 2004年3月に営業を開始した。 車体中央部に大きな展望スペースが設けられていることが特徴である。 当初は2両だったが、2006年に1両追加改造されている。 2両編成で、外観ははやとの風とほぼ同じである。 外観はほぼ原形のままである。 原健人氏監修、水戸岡氏デザイン・設計で、「ななつ星」に負けない豪華仕様となっている。 キハ40系で初めて「キロシ」という形式になった。 2011. 9 「はやとの風」:嘉例川駅 2017. 8 かわせみ:坂本駅 2011. 9 「いさぶろう・しんぺい」:真幸駅 2017. 8 いさぶろう:人吉駅 2017. 3 「指宿のたまて箱」:宇宿駅 2019. 3 「或る列車」:川棚駅付近 キハ400形 急行「宗谷」「利尻」「天北」で使用されていた客車列車を置きかえるために、キハ40系を改造して急行仕様としたもの。 1988年に13両が改造された。 2000年に「宗谷」が特急格上げとなったことにより運用がなくなり、再改造や廃車となっている。 キハ400系車種別両数 形式 番台 両数 前歴 製造・改造 消滅 備考 キハ400 100番台 9 キハ40-100 1988. 10 2000. 8 改造:500番台 3両 キハ40-330 6両) 500番台 3 キハ400-100 1997. 12-98. 4 キハ480 4 キハ48-300・1300 1988. 10 2006. 10 改造:キハ48-1330 3両 1991. 3 稚内駅.

次の