この 世界 の 片隅 に 続編。 この世界の(さらにいくつもの)片隅に : 作品情報

この世界の(さらにいくつもの)片隅に(映画)の違いは?あらすじ・声優キャストと予告動画も

この 世界 の 片隅 に 続編

映画「この世界の片隅に」のラストについていくつか質問です。 (ネタバレ含みますのでご注意ください) 映画のラストでは、戦争孤児がすずの元に来ますよね。 そのような戦争孤児の子について、 実際に当時はどういう感じだったのかが知りたいです。 '45年8月6日以来、物語ラストは'46年1月…という設定。 単純計算で5〜6ヶ月間、という事に。 まぁ、映画「火垂るの墓」でもありましたが、そうした子ら は正確な統計も無いまま、野垂れ死にする子が圧倒的大多数 だった。 盗みやかっぱらいで食っていたと言っても、同じマネをオトナ だって盛んにやっていた時代。 しかも、カネ出したって手に 入らない食料です、ましてや子供がオトナと競り合って盗みで 手に入れようなんて、とても「生存競争」に勝てはしない。 生っちょろい話では無いのです。 当時の日本政府はもはやマトモな国家機能なぞ失い、孤児の 福利厚生なんて夢のまた夢。 「刈り込み」と称し、警察が 孤児を駆り立てて一箇所に集め、要は「強制収容」で閉じ 込めておく…というのが専らだった。 犯罪を起こさないよう に、というのが最優先で、人権だの児童福祉だのなんてシャラ 臭いモノ、当時の野蛮な後進国たる日本には無かった。 実際、戦災孤児が盗みや犯罪に…というのは日常の光景でした から。 占領軍が見かねて法制度を整えるのは、戦後しばらく 経ってから。 孤児たちの犯罪を咎める権利は、今のヌクヌクと生きる我々 にはありませんが、当時のオトナたちは容赦無くそうした孤児 たちを袋叩き…なんてのが当たり前だった。 無謀な侵略戦争に 敗れ、国が荒れ果て切って、みな生きるだけで必死だったわけで。 そういう中では実際には、孤児たちも群れて徒党を組み、オトナ や他の孤児団と渡り合って生きて行く…というケースが多かった。 その方が生存確率が上がるでしょう。 そして重要なのは、史実では'45年9月に、「枕崎台風」と 呼ばれる大型台風が広島を襲ったという点。 漫画原作では 描かれていますが、映画ではカット。 それは被爆地広島を覆い尽くす形になり、多数の死傷者、 被害家屋を出しました。 と同時に、洪水で爆心地あたりは 水に浸かり、つまり未だ残っていた放射性物質を、結果的に 洗い流す形になったのです。 なので、あの戦災孤児…原作でも映画でも名無しですが、 設定では「ヨーコさん」といいます…も、ずっと広島の 市街 跡の廃墟 内に止まっていたとは考えにくい。 収容施設 に捕まっては、逃げ出す…というのを繰り返すような経緯 だったのではないかと。 そうした孤児を引き取る人も確かにいはしましたが、「里親」 と称してタダ働きの下男下女を手に入れよう…なんてゲスな ヤカラもおおぜいいた。 ろくに食わせず重労働、しかも 女の子の孤児だと、当然というか性的虐待も多発。 でも、そこを出ても生きていけない以上、泣き寝入りという わけで。 地獄絵図です。 無論、慈愛に溢れた里親もいましたし、福祉施設を営む篤志家 もいました。 自分の子と、引き取った孤児を、きょうだいと して育てた立派な人たちもいたりしました。 国が戦に負け、各々の人々の人間性がむき出しになった時代 だったのです。 なお誘拐の件ですが、広島に限らず空襲で役所の戸籍資料の 類も失われ、親戚筋に引き取ってもらうには、当事者たちの 記憶で子と遠くの親権者たちが自己努力…というしか無かっ たりした。 ヨーコさんの場合、原作でも映画でも、母は死に父も戦死。 生き残った幼い本人が、遠くの血縁関係を知っていたかどうか。 しかも、半年も音沙汰が無かったとなると…。 そして、すずさんの夫の周作さんは元 海軍の法務関係者。 そういう辺りの知識・意識も人並み以上だったはずで。 またシラミは、大きく分けて髪に付くアタマジラミと、服に 付くコロモジラミとがいます。 コロモジラミは服の縫い目や折り目などに卵が産み付けられ、 こちらは風呂や洗濯で駆除可能。 また、映画にもあった通り 熱い湯で服を洗えばこれも有効。 戦地の兵士や難民、先住民族 などもこれに悩まされます。 アタマジラミは髪に卵が付く。 洗髪だけでは駆除は難しく、 薬を使う。 また古来より細かい櫛で髪を梳く手もありました。 古代遺跡からそれ用らしい櫛が出土したりして。 また、酢で 髪を洗う、なんて手もあったらしい。 原作ではDDTという殺虫剤の名が出ます。 敗戦直後の日本の 歴史用語となっているもので、当時大量に使用された薬剤。 今では毒性が問題視されているのですが。 そして… 実はあの子、もっと重要な事に、原爆で被爆しているはずなの です。 例え直接熱線や破片を免れたとしても、その後爆心地で 長時間過ごしていた。 放射性物質を体内に吸い込み、放射線 にも晒されていたはずで。 すずさんの家族、父の十郎さんも 妹のすみちゃんも、そうやって被爆し十郎さんは死亡、すみ ちゃんはああして放射線障害を患う身となったのは、劇中の 通り。 なので、本当はヨーコさんも同様に放射線障害になっていて おかしくないはず。 半年後も生きていたのだから、急性症状 では無いらしい。 それだったら、あの時期に生きていられは しませんから。 が、身体のどこかに何らかの異常を抱え込んで いる…という可能性は大きいのです。 そして、放射線障害というのは実は未だに良く分かっていない。 当時、原爆で即死した方、間も無く亡くなった方、何年かして 亡くなった方、今なお必死に症状と戦って生きておられる方、 様々なのです。 ヨーコさんも、そしてすみちゃんも、あの後どうなったかは 描かれていない。 そして、それは作り手が敢えてそうしたの だと私は思うのです。 安易な救いや結果を描いてしまっては、 劇中に盛り込まれた苛烈な史実と、今ここの私たちとが、 切り離されてしまう。 そうで無く、あの史実を今ここで私たちが、我が事として 受け止め考え続けるように…と作り手は願ったのではないで しょうか。 ご質問主のあなたが、あの映画をきっかけに、 初めて戦災孤児について真剣に考え始めたように。 あの子、「ヨーコさん」という名は既記の通り原作にも映画 にも出ません。 ノベライズ版で初めて付けられ、便宜上そう 呼んでるだけです。 それはきっと、あの子はあの子であって あの子では無い、あの子は誰でも無く、誰でもあるから… では無いでしょうか。 ヨーコさんは幸運な事にああなれた。 が、現実には無残な 最期を強いられた子らが、無数にいた。 劇中の晴美さんの ように、いや、たった今現在だって世界中に…。 なので、ヨーコさんはそうした子らの「象徴」「代表」なの だと思っています。 なので、敢えて名前を付なかったのでは ないか、と私は考えているのです。 原爆投下後の荒野を、一人で、あんな小さな女の子が生き 延びるなんて、現実にはあり得ない。 なので、ヨーコさんがああして生き延び人生を切り開いて もらえた、というファンタジーを敢えて描く事に、意義が あったはずだ…そう考えたいのです。 長々すいませんでした。

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この世界の片隅にのネタバレ!すみちゃんのその後は?

この 世界 の 片隅 に 続編

「この世界の さらにいくつもの 片隅に」が12月20日公開 今回、第二次世界大戦の日本を舞台にした映画、「この世界の さらにいくつもの 片隅に」が12月20日に上映開始となりました。 物語の大きな展開は前作を踏襲している。 1944(昭和19)年、絵を描くのが好きな18歳のすずが、広島県呉市に嫁ぐ。 夫・周作やその家族に囲まれ、見知らぬ土地で暮らし始めるすずの生活は、次第に戦争の影響を色濃く受ける。 食べ物や物資が少なくなる中、工夫を重ねた日々を過ごすが、とうとう45年の夏がやってくる。 広島に原爆が落とされ、終戦を迎えた年だ。 更に評価として、日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞、仏・アヌシー国際アニメーション映画祭優秀作品賞など、多くの賞を獲得した映画だということでも有名です。 しかし、この世界の さらにいくつもの 片隅にの監督である片渕須直監督は、今回のものをリニューアルしたものと考えるよりも、全く違うものとして捉えていると語っています。 すずとリン、リンと周作の人間関係は、実は原作となったこうの史代氏の漫画『この世界の片隅に』(双葉社)で最初から描かれている。 上映時間などを考慮し、こうした部分をカットしてつくられた前作を、原作通りに作り直したと言えば、それまでなのだが、片渕監督は先行上映後の筆者とのインタビューで、こう答えている。 「原作にあったことも踏まえて、もともとあったけど切ったところを復元するだけではなく、それをさらに増補改訂しようと思った。 それをやっている中で、これは単純に拡大しているのとは違う気がしてきた。 新たなシーンを入れると、それぞれのセリフの意味合いが違って見える。 前作で確立された登場人物像が違う解釈になる。 この世界の さらにいくつもの 片隅に是非おすすめです。

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この世界の片隅に (映画)

この 世界 の 片隅 に 続編

この世界の片隅にのネタバレ!すみちゃんの腕のアザはなぜ? この世界の片隅にのすみちゃんの 腕についたアザについてネタバレありで、まとめてみました。 すみちゃんの腕についたアザというのは 原爆症という原爆の放射能で受けてしまう被爆が原因です。 すぐ発症する人もいれば、 何十年後かに発症する人もいますし、 命を落としてしまう人もいます。 命は落とさなかったとしても、 ずっとその症状と付き合っていく人もいます。 どうして、すみちゃんが原爆症になったのでしょうか? 広島に原爆が投下された時、 すみちゃんとお父さんは、爆心地とは別の場所にいました。 しかし、お母さんは爆心地にいたんです。 そこで、行方不明になったお母さんを探すために すみちゃんとお父さんは爆心地へと向かったんですね。 その時にすみちゃんとお父さんは入市被爆してしまったのです。 この作品が凄いのは、登場人物の心情に寄り添うことでそのワケを「知る」意欲を押し付けがましくなく掻き立てるところだ。 — たけうちんぐ takeuching そしてその約2ヵ月後、 お父さんはなくなってしまいます。 では、 すみちゃんは、その後どうなったのでしょうか? 「すみちゃんのその後」をネタバレありで、まとめてみました。 【関連記事: 】 この世界の片隅にのネタバレ!すみちゃんのその後は? それでは、「この世界の片隅に」の 「すみちゃんのその後」についてこちらもネタバレありでご紹介します。 すみちゃんとお父さんが、探したものの、お母さんは見つかりませんでした。 お父さんの死後、すみちゃんは親戚のいる 草津に移ります。 ここははっきりとは描かれていませんが、 おそらく、 お母さんが帰ってくるかもしれないと信じて家で待っていたいすみちゃんを 親戚が草津で一緒に暮らすように提案したんだと思います。 爆心地にいたお母さんが生きている可能性は とても低くいのですが、 それを信じ切れないで帰りを待つすみちゃんを想像すると辛いですよね。 草津で生活をしながらだんだんと すみちゃんは体力が落ちてきます。 そんなすみちゃんのお見舞いを兼ねて、すずが訪ねます。 この二人のシーンは、とてもほのぼのとしていて 二人が子どもの頃に戻ったように話しています。 すみちゃんの体を蝕む原爆症が嘘のようです。 しかしそのシーンの後、 すみちゃんは「この世界の片隅に」のストーリーにでてきません。 もしかしたらどんどんと体力が落ちて 命を落としてしまったのかもしれませんし、 回復して草津で元気に過ごすことができたのかもしれません。 【関連記事: 】 できることなら回復して 幸せに生活していてほしいですね。 私がリビングに放置した「この世界の片隅に」を何度も読んでいる息子2が今日突然「お母さんすみちゃんってどうなったの?」と聞いてきて驚いた お母さんに何と答えろと。。。 多分「これは治るよ」と言ってほしいのだろうけれど、それは言えない とりあえず「その後の可能性は幾つかある」としたけれど — やいと。 maporhildur1225 この世界の片隅にのあらすじ 最後に、「この世界の片隅に」の あらすじ ネタバレ についてまとめました! 結末までは書きませんが、 ネタバレも少しありながらご紹介します。 【この世界の片隅にのあらすじ ネタバレ 】 「この世界の片隅に」鑑賞 ユジク阿佐ヶ谷 戦争中にも日常がある 食べて寝て 楽しいことに笑いあって ケンカだってする そうやって 夫婦の、家族の 絆を強めながら生きていく すずが最高にかわいい 前向きさ、ひたむきさ 周りに支えられながら たくましくなっていく姿が眩しかった — J KAMIJOYTOY 今回注目した登場人物のすみちゃんの姉である主人公すず。 絵を書くのが得意で いつも夢中になって書いているような女の子です。 ある日、周作という少年が、 父親と一緒にすずの実家にやって来ます。 小さい頃にすずと出会ったことがあり、 一目惚れしたのでお嫁にきてほしいとのこと。 すずは乗り気ではありませんでしたが、 周りから勧められて周作の家に嫁ぐことになりました。 戦時中なので裕福な生活はできないものの 周作の優しい父親と母親と4人で 仲良く過ごしていたすずですが戦争は激しくなる一方です。 そんな生活の中、 建物疎開をきっかけにして嫁ぎ先から帰ってきた 周作の姉径子と娘の晴美も入れて6人での生活が始まります。 その時、晴美を連れて出かけていたすずは空襲にあい、 時限爆弾を受けてしまいます。 晴美は命を落とし、すずは右腕を失くしてしまいます。 径子に責められ、さらに右腕がないことで絵も描けず、 晴美を亡くしてしまったことで自暴自棄になるすずでしたが、 それでもひたむきに生きていくストーリーです。 【関連記事: 】 まとめ 「この世界の片隅に」のすみちゃんの 腕のアザや、その後について ネタバレありでご紹介しました。 戦争が終わったからといって全部が終わったわけでは ないということがすみちゃんや お父さんお母さんから分かりますね。 【関連記事: 】 あわせて読みたい記事•

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