大艦 巨砲 主義。 不沈戦艦大和の最期

大艦巨砲主義|アルキメデスの大戦

大艦 巨砲 主義

だってヤマトばかりだとすぐにネタ切れしかねないし、史実の中でもそれってどうなのよって話もなくはない。 それにこのブログはかなりの頻度で史実にあった、ヤマトの描写と類似する事例を孫引きしているわけです。 ここにも考察を加えないと、片手落ちになって話が完成しませんから。 とは、大きな艦体に大きな砲を載せるという極めて単純な火力至上な思考の元に進められた設計傾向である。 ざっくりまとめると、「あの艦級を潰すため」であるとか、「あの海軍に負けないように」というような理由で各国海軍は出来るだけ大型の艦砲を載せようとした。 つまり、 大型火砲の安定的な射撃プラットホームを求めた結果、艦体も大型化していったという事である。 ハッシュ・ハッシュ・クルーザーは 侵攻のために巨砲で上陸部隊を支援し、自身は敵に遭遇したら適当に巨砲をぶっ放してさっさと逃げるというコンセプトの。 とにかく巨砲を乗っけて高速を出すことが至上命題であり、艦体スペックは そのためだけの設計。 だからスゴイ箱に大きな砲を載せた、などという事はない。 だから結局使い物にならず、空母に改装される羽目になったのだ。 一方大和は他戦艦と共に戦列を成し、敵戦闘艦隊と正面切って戦うための戦闘艦である。 アウトレンジ戦法の為に巨砲を載せて、自らを安全圏に置いて戦う事が優先的課題。 また、装甲が紙てあってはお話にならない。 旧世代より船足が遅いのはお話にならないが、だからと言って空母やレベルの高速は特に必要ではない。 といったような要求の中で、艦体や艦橋までも無理なく切り詰めた結果があの艦影である。 より大型の戦艦の建造を予定しているため、大和はその第一世代というかプロトタイプという側面のある。 というとの権化の様になるのだが、忘れないでほしいのは、 大和は艦体も艦橋も出来るだけ小型になる様に設計された事。 つまり、大型化とは反対の傾向で設計された艦。 ハッシュ・ハッシュ・クルーザーと底流で、必要最低限な艦体で出来るだけ巨大な艦砲を載せようという点が共通しているのだ。 だって当時の日本じゃ、あんまり大きな艦だと整備できないもの。 まして前線で整備が出来るはずがない。 建造にも修繕にも回収にも資材を大量に投じなければならないし。 大きい事は必ずしもいい事ではない。 大和は巨砲主義ではあるが、出来るだけ小型の艦体にこだわったという点において大艦からは外れるのである。 も「を通行できるように」という至上命題があったため、意外と似たようなものである。 では、 真のとは何か。 の Z計画、H級戦艦であろう。 とにかく巨大な砲を、と実に頭の悪い方針を示したのおかげで設計されたあまりにアレで突っ込み様の無い戦艦だ。 H45に至っては一体何と戦うつもりなのか(何で魚雷発射管を装備しているんでしょうね)意味不明。 振り返って戦艦とは何か。 これは意外に難しい。 厳密には戦艦では無い装甲艦も、一種戦艦のようなイメージを仮託される。 主力艦という意味であれば、古来より一度も一定したことがない。 快速の単層ガレーであるとか、突破力の三段櫂船。 火砲の登場に伴いアス、ガレアス、。 の発達により装甲艦が現れ、いわゆる戦艦が登場。 次いで空母が現れ、が現れ、が現れ結局国の規模や戦略によって主力艦として目される艦種はまちまちである。 戦艦を大火力を有する戦闘艦として定義づけするのであれば、それこそハッシュ・ハッシュ・クルーザーや初代カイオ・ドゥイリオ級などは級以降のいわゆる戦艦からすれば総合力は恐ろしいほどに見劣りをする。 が、口径だけ言えば圧倒している。 後者は装甲だって(質の違いがあれど)そう見劣りするものではない。 定義によっては、後者は第一級の戦艦という評価に丸め込むこともできる。 前と以降の戦艦もまた、性質が違う。 前者は発展途上であるものの、砲戦相手や距離は大して想定に違いはないものの、各国の事情により様々な海域を想定した艦形の違いによってそれぞれの性格を異にする。 しかも、各国の事情に寄らず流行というものがあったりするから難しい。 もし定義として「中程度の速力と装甲を有し多数の火砲を以て戦列を組み、敵と対峙する」とした場合、多くの単に巨砲を積んだだけのモニター艦や特殊な戦闘艦を除外できる。 当然、や一部機能をリダクションした条約型戦艦なんかも除外できよう。 さて……そう考えると、戦艦は実はである必要が有るとは思えなくなる。 つーか、直接敵艦と砲火を交える事を目的とするならば、別に巨砲である必要はない。 敵の砲火に耐えつつ、想定した砲戦距離において想定以上の速射性を見せる事こそが必要とされる。 もっと言えば、は先ほど名前を出した条約型戦艦(新戦艦)の登場により、いったん区切りがついている。 区切りを付けなかったのは日本とカであり、しかも双方ともに艦体の大きさというものにはかなり気を配っている。 とは結局なんであったのか。 に起点を見出せるだろう。 以降、装甲艦が艦砲によって撃沈せしめることが可能であることが判明した。 反対に言えば、装甲が艦砲に耐えられない可能性が高いという事である。 これらはおのずと、艦砲の巨大化に向かう要因となった。 大口径火砲は当然、遠くまで届く、近い距離でもその運動エネルギーや重量によって貫通が見込める。 巨大火砲を積み込むには、安定のために当然艦体が大きくなければならない。 一隻で大戦力になるが、一隻が沈めばそれだけで大損失になる為、装甲は許される限り張り付けたい。 そうなると、余計大型化する。 艦砲を巨大化しても、相手も巨大化してはアドバンテージを失ってしまい無意味になる。 自国の戦艦の主砲が相手の戦艦の主砲より小さいとなれば、むしろマイナスである。 相手が大型化するならば自国の戦艦も大型化せねばならない。 というようなスパイラルによっては助長され、確立されていったのである。 残念ながら、この設計思想にはあまり頭を使った運用の前提がなされていない。 相手と同等以上の火力が必要というのは当然であるが、配置であるとか速力であるとか装甲帯の配置であるとか、戦術であるとか色々考えるべきことはたくさんあったのだが……忘れられていたに近い。 バランスをとるという意味では、砲を小さくして余裕を持たせるという案が提示された艦級はいくつもある。 しかし、隣国の新造戦艦に引きずられる形で砲が決定されていった。 この呼び方であれば大和もももあらかた大艦巨砲なイメージの戦艦を内包可能である。 通常には入らない古い方のカイオ・ドゥイリオもこのカテゴライズに入るだろう。 否定的なニュアンスで語れば、技術のあだ花、直情的方針としてのイメージも同時に論に持たせられる。 肯定的なニュアンスであれば非的側面を強調すればそれで先進性や同時代の様相を語れる。 結局のところ、条約という枷の抜け穴であるカレーター条項を組み込んだ新戦艦こそ、本来その国の海軍が求めていた戦艦ではないだろうか。 つまるところ、 厳密な意味でのは技術の進歩によるあだ花、偏った方針によるバグという奴ではないのだろうか。 dart925.

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”大艦巨砲主義”のまぼろし(dragoner)

大艦 巨砲 主義

思想 [ ] 背景 [ ] 19世紀末ごろから主に蒸気機関の発達によって、大型で高速の艦艇が作れるようになった。 同時には大型化するほど射程も伸び、威力も大きくなる。 そこで大型の軍艦に大型の砲をより多く搭載しようという考え方が大艦巨砲主義であり、19世紀末から20世紀前半まで主要海軍国で支持されていた。 のでイギリスとドイツが・を含むで衝突し、砲撃戦の重要性が再認識されたことで各国の大艦巨砲主義は一層強まった。 [ ] でも、時ので大艦巨砲と「艦隊決戦」を至上とする考え方が確立された()。 その後も後半期まで・上の主流となった。 長駆してくる艦隊を全力で迎撃・撃退するのが基本方針であり、その際の主役は戦艦とされ、・・等は脇役に過ぎないという思想があった。 [ ] 大艦巨砲主義の進展はとも関連しているという意見もある。 [ ] 「」が画期的だったのは、多数の主砲の射撃管制を可能とするの完成あってのことである。 頃まで各国の戦艦はと射撃を用いた射撃管制装置を主用していた。 しかし米英では以降の実用化により、着弾観測については光学式測距儀よりもレーダーを使用した電測射撃に移行していった。 これに対し、日独は米英に電子兵装で格段に後れを取り、電測測距と併用したものの、光学式測距儀を最後まで実戦で主用した。 なお、フランスはすぐに敗戦したため、射撃用レーダーを搭載したもののその効果は不明である。 イタリアは終戦時まで対空見張り用レーダーのみだった。 光学式の測距は特に遠距離射撃では誤差が大きく、近距離でも夜間、曇天、悪天候などで視界の悪い時にレーダー管制に劣っていた。 そのため、水上艦艇同士の戦闘において電測射撃が行えることはかなり優位だった。 ただ、初期の射撃用レーダーは測距性能は充実していたものの探知角が不足しており、時には光学観測射撃に後れを取ることもあった。 [ ] 他国より大型の戦艦に巨大な主砲を搭載するという文字どおりの大艦巨砲主義は、明け後には終焉した。 主砲口径の増大には歯止めがかかり、前代と同程度、あるいはやや小型化した主砲の採用例が多くなった。 これはの戦訓を元に、速力・防御力とのバランスの取れた戦艦の設計が重要視されたからである。 これ以前の戦艦は速度を、巡洋戦艦は防御力を妥協してを抑えていたが、そのような設計の問題点が明らかになった。 そこで速力も防御力もともに優れたポスト・ジュットランド艦(高速戦艦)が建造されたが、必然的に排水量も増え、主砲口径の増大を諦めざるを得なかった。 例外的に主砲口径を増大させた日本のは、排水量を抑えるための過度の集中防御と速力不足を問題視する見解もある。 航空機の発達と実績により中に航空機の優位が確立、の台頭が戦艦時代の終わりを告げる事となり、大和型(72,800 t 45口径46 cm 9門)と同等の(71,922 t 50口径16インチ砲 12門)全5隻がに建造中止された事をもって大艦巨砲主義は終焉を迎え、その後竣工したややなどもそれ以前に起工したものであり、以後戦艦の新造は行われていない。 賛否の意見 [ ] 大艦巨砲主義に関し、において日本海軍が米海軍と異なり、大艦巨砲主義に拘束され航空優位思想に転換できなかったという批判があるが、大艦巨砲主義や航空優位思想の意味は多義的なもので検証に耐えるものではなく、決戦に備えて戦艦を使用しなかったという語りも、事実は、或いは使用され或いは使用されようとし或いは戦艦としては見捨てられて使用されなかったのであり、機動部隊の建制化も重要な意味を持たない上に、アメリカ海軍が高速空母部隊を創設した時期は日本海軍も聯合機動部隊の発令をした時期であり、この批判はであるとする意見もある。 ただし、航空主兵論者の海軍中佐によれば、当時の日本海軍の航空主兵論者による大艦巨砲主義への批判は、日本海軍において、ほぼ使用されなかった戦艦に予算・機材が使用され、主力となった航空に十分に回らず、大艦巨砲主義の下で戦艦は何もしないことで航空部隊の行動の妨害になっていたことに対してである。 戦後、日本海軍の出身の大艦巨砲主義者は次のように語っている。 中将は「多年戦艦中心の艦隊に没頭してきた私の頭は転換できず、がに偉効を奏したのちもなお、機動部隊は補助作業に任ずべきもので、決戦兵力は依然、大艦巨砲を中心とすべきものと考えていた」と反省を語っている。 大佐は、大艦巨砲が航空主兵に敗れてなお「戦前の想定どおり、砲撃主体の艦隊決戦を挑むべきであった」と生涯主張し続けた。 [ ] 戦後、大艦巨砲主義に反対していた日本海軍の航空主兵論者たちは次のように語っている。 大佐は、海軍が大艦巨砲主義から航空へ切り替えられなかったのはでの犠牲を嫌う職業意識の強さが原因だったと指摘する。 「大砲がなかったら自分たちはするしかない。 多分そういうことでしょう。 思想を変えるということは、単にの構成を変えるだけでなく、大艦巨砲主義に立って築かれてきた組織を変えるとことになるわけですから。 人情に脆くて波風が立つのを嫌うのでは、なかなか難しいことです」と語っている。 中佐は、戦艦無用論も含むは戦前極端とも見られたが、太平洋戦争の経過がその見通しがほぼ正しかったことを証明したとして、特に航空関係者が嘆いていたのは、大艦巨砲主義の下で作られる戦艦の建造費、維持費など莫大な経費が浪費される割にほぼ戦局に寄与しないことであり、それを航空に回せばより強力なものができると考えていたと語っている。 歴史 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2019年5月) 大砲技術が発達しでが可能になると、舷側に穴を空けて多数の艦砲を並べると被害を受けやすくなった。 そのため砲数を減らし、一門あたりの威力を高め、敵艦砲に耐える装甲を施す事となり、の時代となった。 技術開発が進み、砲の大きさ(口径・口径長)が威力と比例するようになった。 から装甲艦への移行期には小型化が見られたものの、大砲・動力・技術の進歩に従って軍艦は巨大化していった。そして木製艦体に装甲を施した装甲艦から、艦体自体を鉄鋼製とした艦へと移行、大型の艦体と搭載砲を持つ戦艦と、小型のなどを目的とする巡洋艦へと分岐した。 1905年から1945年までに建造された戦艦の排水量グラフ。 のサイズやパワーは第一次世界大戦をはさんで急速に増大した。 多くの海軍国によるは1922年のでいったん終わりを迎えた 近代戦艦の始祖とされるのはである。 なお、から順次竣工したが、30. 5 cm砲4門の主砲を搭載、そしてその砲の威力に対応する装甲を持つ、の基本形を確立した。 しばらくは各国ともこの様式で戦艦を建造したが、にで完成した「」によって主砲4門の枠が外された。 この艦は従来の戦艦に比べて飛躍的に向上した攻撃力と機動力を有し、建造中の戦艦をも一気に旧式にするほどの衝撃を与えた。 そのためこれ以後世界の海軍は「ドレッドノート」を基準とし、これらをと称する。 そしての登場によって、30. 5 cmという主砲口径の枠も外され、戦艦の攻撃力は主砲の大きさで決まる時代となった。 敵艦より大きな主砲を備え、敵弾に耐えられる厚いを備えた戦艦がでは有利である。 その結果、戦艦とそれに搭載される主砲は急速に巨大化し、また数量で他国に負けないために大量建造が行われた。 その他の理由によって、前代より排水量・主砲が小型化する場合もあった巡洋艦とは対照的に、戦艦はひたすら大型化の一途をたどった。 日英独は戦艦と同じ巨砲を持つも建造し、中には大和型の25年も前に世界初の18インチ砲搭載艦となった「」等がある。 のジェットランド海戦でイギリスとドイツが弩級戦艦・超弩級戦艦を含む艦隊で衝突し、砲撃戦の重要性が再認識されたことで各国の大艦巨砲主義は一層強まり 、 [ ]日本では、日露戦争後の1906年からまでは戦艦が海軍力の主力として最重要視され、各国は巨砲を装備した新鋭戦艦の建造競争を展開。 「主力艦」たる戦艦部隊同士の砲撃戦によってひいては戦争そのものの勝敗が決まるとされ、やなどの戦艦以外の艦艇は主力艦の「補助艦」とされた。 戦艦を保有できない中小国の海軍でも、限定的な航続距離・速力のと呼ばれる艦を建造し、戦艦に近い能力を持とうとした例も多く見られた。 この時期には戦艦は戦略兵器であり、他国より強力な戦艦は国威を示すものだった。 「」の16インチ砲 戦艦の建造競争はのにおける締結により一旦中断()したが、のワシントン条約が失効すると、建艦競争が再開された。 しかし、主砲を巨大にする大艦巨砲主義は衰退し、速力と防御力のバランスが重視され、主砲口径も従来か従来以下のサイズにとどまったが、日本だけ例外であり、戦艦史上最大の46センチ主砲の64,000t級(「」「」)を建造した。 [ ] 大和型は6万トンを超す大艦であり、45口径46cm砲という巨砲を備えた大艦巨砲主義の申し子だった。 戦艦との戦闘では優位に立てたはずの大和型も航空機には勝てず、「大和」「武蔵」ともにアメリカ海軍航空母の集中攻撃を受けて沈没した。 また大和型の他にも・を問わず多数の戦艦が航空機やの攻撃で沈没した。 さらに日本は大和型よりも大型の51cm砲を積むの建造を予定していた(戦中に計画中止)。 ただ、米英仏独ソも35,000トン級を凌駕する巨大戦艦の建造を計画はしている。 しかし、直後に始まった第二次世界大戦では海軍の主役の座は航空母艦に移った。 かつて想定されていたような戦艦同士の砲撃戦はほとんど発生せず、戦艦の役割はもっぱら対地砲撃、や輸送船団の護衛、あるいはなどとなった。 ワシントン条約期間中に建造されたフランス戦艦(竣工)以後、第二次世界大戦後までの9年間に建造された戦艦は27隻だった。 第二次世界大戦前または戦中に建造が開始され、大戦中にが4隻就役し、戦後に完成したイギリスの「」とフランスの「」を最後に新たな戦艦は建造されていない。 1941年12月、太平洋戦争が開始。 など緒戦の航空戦で、主役である戦艦を出す前の「」としての航空機が予想以上の戦果を出し、(長官は中将)はを半周するほど縦横無尽の活躍を見せた。 それによって航空戦力の評価が高まり、戦前から訴えられていたが勢いを増した。 1942年(昭和17年)4月28日及び29日、大和で行われた第一段作戦研究会で第一航空艦隊航空参謀中佐は大艦巨砲主義に執着する軍部を「はを造り、日本海軍は戦艦「」をつくり、共に笑いを後世に残した」と批判して一切を航空主兵に切り替えるように訴えた。 第二艦隊砲術参謀は大和の主砲射撃を見て1942年(昭和17年)5月11日の日誌に「すでに戦艦は有用なる兵種にあらず、今重んぜられるはただ従来の惰性。 的を得つつある」と残した。 海軍はそれでも大艦巨砲主義を捨て切れなかったが、での第一航空艦隊の壊滅により、思想転換は不十分だが航空戦力の価値が偉大と認め、航空優先の戦備方針を決定する。 しかし、方針、戦備のみで施策、実施などまで徹底していなかった。 ・力共に不十分な日本では航空と戦艦の両立は無理であり、艦艇整備を抑える必要があったがそこまで行うことができなかった。 は航空主兵に変更されたが、第一艦隊、第二艦隊は従来のままで、第三艦隊でを獲得してから戦艦主兵の戦闘を行う考えのままだった。 1943年(昭和18年)第三段計画発令で連合艦隊作戦要綱を制定発令し、航空主兵を目的とした兵術思想統一が行われた。 に第一艦隊が廃され、翌月にが創設されたことにより、ようやく大艦巨砲主義が終焉を迎え、が最重要視されることとなった。 その機動部隊と(陸上)航空兵力は、、、など戦いで全く戦果を挙げることなく大打撃を受けた。 レイテ沖海戦に参加した機動部隊にもはや攻撃力はなく、部隊として壊滅した。 同作戦でレイテ湾に突入するはずだった戦艦部隊は目的を達しないまま反転し、その過程で大和型戦艦「武蔵」がによってされた。 翌年4月には、沖縄に向かう大和がこれも航空攻撃によって撃沈され()、日本海軍は大艦巨砲と航空主兵双方がアメリカ海軍の航空主体の物量に敗れる形で終焉を迎えた。 なお、戦艦が最後に実戦で使われたのは1991年の。 「」と「」が出撃し、一定の戦果を挙げている。 出典 [ ]• 日本史広辞典編集委員会編『日本史広辞典』山川出版社、1997年10月22日 第一版第一刷発行 、1281頁。 日本造船学会編『日本造船技術百年史』日本造船学会、1997年5月、51頁。 Gardiner, Robert, ed. , The Eclipse of the Big Gun: The Warship, 1906—45. Conway's History of the Ship, London: Conway Maritime Press, 30 May 1992. , p. 奥宮正武『大艦巨砲主義の盛衰』まえがき• 森雅雄「城西国際大学紀要 21 3 , 1-13, 2013-03• 奥宮正武『大艦巨砲主義の盛衰』朝日ソノラマ344-347頁• 千早正隆ほか『日本海軍の功罪』プレジデント社263頁• 千早正隆ほか『日本海軍の功罪 五人の佐官が語る歴史の教訓』プレジデント社300頁、源田實『海軍航空隊、発進』文春文庫185頁• 奥宮正武『大艦巨砲主義の盛衰』朝日ソノラマ344-347頁• 戦史叢書95海軍航空概史268頁• 淵田美津雄・奥宮正武『ミッドウェー』学研M文庫111-113頁• 戦史叢書95海軍航空概史268頁• 戦史叢書95海軍航空概史269-270頁• 戦史叢書95海軍航空概史348頁 関連項目 [ ]•

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不沈戦艦大和の最期

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jcp. html 私有財産は認めてあげる。 差ができても認めてあげる。 でも資産を使って稼ごうとしたらその方法は没収。 つまり、資本家がもっている生産手段を、実際に生産を担う人々による共同の所有と管理・運営のもとへと移すことです。 「社会化」されるのは、生産手段だけであり、国民の財産(生活手段)をとりあげることはありません。 党の財産を増やします。 資本者から搾取するので、皆さんには関係ありません。 ってなるけど自分は最近、今の社会が供給過多になって無駄な労働を押し付けられてないか? って思うようになった。 例えば食料。 ロスがめちゃくちゃ多い。 必要な分+備蓄分だけで良いのに廃棄。 食料が人々の手に届くには多くの過程がある。 雇用主含む労働者も無駄な事で命削って無いだろうか。 欲望でさえ植付け合っている気がする。 コロナ渦なので特に感じた。 資源の乏しい日本の理想の姿は観光業だと思うんだけどコロナのせいでダメになった。 観光旅客飲食の人々は路頭に迷う人が増えていくんだろうと考えると跡継ぎのいない農家に住み込みで「強制で働いて貰う」っていう社会もありなのかもなと、思っている。 でも、社会主義の問題は新しいとみの取得方法を許さないから、新たな金(資産)を産むシステムを作れないこと。 ゼロサムの奪い合いをなくして、すべてに分配するのが共産主義としたら。 ゼロサムを継承しつつもバカ(富裕層)が新しい金ずるを作ってくれる(没収対象)ことを期待(正式な所得はどうぞ、稼いだらその方法部納税してね)する社会主義。 バカが出ないと途端に衰退。 ゼロサムはやってられないから、新しいもの作ったら権利を認める資本主義。 まあ、今ないなら補助くらいはしてやるよ(修正)。 ゼロサムやってるやつは頭おかしい、イケイケどんどん、奪えるなら奪え、パイ生地作るだけ作ってろ。 パイ食事0?無能なだけ。 新自由主義。 財政出動してもその財源を確保できるようになるまでどれだけかかるのかと。 MMTを言いたいわけ? 社会主義になれば解決するってこと? >ちゃんとした政権を作れれば、自由で教育費も医療費もただな社会ができるんだろうが これに対してのコメントにかみついた割には文脈無視してるよな。 ついでに言うと修正資本主義とグローバル資本主義は違うからね。 修正資本主義は富の再分配だから社会主義、 グローバル資本主義は新自由主義。 修正資本主義で警戒しないといけないのはどちらかと言うと社会主義者と共産主義者。 そもそも日本は社会主義でも資本主義でもなく修正資本主義ってコメントによくそこまでかみつけるよな。 修正資本主義サイコーって書いたわけでもないのにな。 阿保らしい。 というか、韓国や中国の侵略すら一昔前は、陰謀論で片づけちゃった教訓が有るからね。 在日特権なんか陰謀論のレッテル貼りされた挙句、差別とかいって反撃されたしな 笑 修正資本主義者とやらはよくわからんが、警戒心が無いんじゃなくて、意図的に言ってんじゃないの? あるいは、思考が誘導されているか。 根本の問題共有が出来てないかだね。 >ちゃんとした政権を作れれば、自由で教育費も医療費もただな社会ができるんだろうが 少子高齢化する今の日本でこれを実現するには増税が必要になる。 それに対して増税が必要ないというなら医療費、教育費無料を実現するにあたって何をするべきなの? これに対してどういうことだ?って逆にどういう事? だからさ俺が何に反発した。 そもそも今の国民健康保険もそうだけれど医療費、教育費無料を資本主義国家でするならそれはもう修正資本主義だから。 ただ無料までいくと財源ないから増税が必要。 中身のない返信すんなよ。 お前の返信から先に進む何かが何もない。 後、読解力ないから本を読め。 >ちゃんとした政権を作れれば、自由で教育費も医療費もただな社会ができるんだろうが 少子高齢化する今の日本でこれを実現するには増税が必要になる。 それに対して増税は嘘って返したよね。 なら医療費、教育費無料を実現するにあたって何をするべきなの? 財政出動?財源確保できるようになるまで時間かかるよね? MMT理論で国債発行しても自国通貨建てなら財政破綻しないから気にしなくていいって事? もしかして社会主義国家になればいいって事? どうすれば増税以外で財源を確保するの? 今の予算を削って医療費や教育費にあてるってのも違うって言ったよね。 緊縮脳って言われたから財政政策を支持してるのかな? でもMMTは否定してたよね。 財政出動だと財源確保まで時間がかかるしそもそもそこまで成長できるのかがわからない。 何をどうすればいいと考えてるんだろうか? 日本でも左翼活動家がよく行っていたらしいね。 「総括せよ!」とか言って毎回誰かを殺. すリンチ殺人。 なんとか赤軍の、あさま山荘事件で発覚した連続リンチ殺人がいい例だね。 山岳での軍事教練に集まる際、「革命3兄弟だ。 」なんて言ってた方も言われた方も殺されるなんてね。 結局、指導者となった者が権力を奪われたくないために、常に仲間を生贄にして粛清してただけ。 生贄に選ばれた者は、何も悪いことをしていないのに言いがかりをつけられて、一方的に殺される。 日本の過激派による連続リンチ殺人事件も、スターリンも、毛沢東も、やってることは全く同じだよ。 スターリンの粛清・虐殺も、毛沢東の粛清や文化大革命も、構図としては日本の過激派と全く同じ。 同じことをするのは、共産主義の本質だからだろうね。 共産主義下で生産手段や労働者は存在しても、それは資本主義とは言えない。 共産主義国では支配者が皇帝や王、貴族から共産主義者に代わるだけと捉えれば、 支配者が変わっただけとも発想し得るが、支配者は単なる管理者ではない。 国民が自主的に管理権を与えるのではなく、所有権を奪われるのだ。 共産主義国家が巨大な官僚機構になるのは事実だが、個人の所有権や 民間の生産活動を否定するのだから国家機構が肥大するのは当然の結果である。 官僚機構肥大化の点は中世の中国と似たような面もあるだろうが、同じではない。 同じなのであれば、共産主義には皇帝や貴族に相当する者がいるということだ。

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