Contents• 主題歌「いつも何度でも」誕生秘話 この曲について、木村弓さんが映画完成前に作曲し、宮崎駿監督へ送った経緯があるというのは結構よく知られた話です。 始まりは、木村さんが映画「もののけ姫」を観たことにありました。 「もののけ姫」に感銘を受けた木村さんは、ご自身の作品CDやテープを手紙とともに宮崎監督に送ったそうです。 すると監督から以下のようなお返事が。 「煙突描きのリン」という作品の企画が進行中で、その作品が形になるときには連絡させていただくかもしれません。 宮崎監督から送られた「煙突描きのリン」とは、大地震に見舞われた東京を舞台にした物語でした。 手紙の中の作品アイデアを読み、しばらくしてからふとメロディーが生まれ、それが「いつも何度でも」になりました。 歌詞は、最初の2行だけ木村さんのアイデアでしたが、その後が出てこなかったため作詞家の覚和歌子さんに相談。 木村さんが「煙突描きのリン」の物語について話をしながら、鼻歌でメロディーを歌ったところ、覚さんにあるイメージが湧きました。 煙突の上に少女がいて、眼下に広がる瓦礫の向こうに海が見える… それからものの10数分で「いつも何度でも」の歌が完成したと言います。 「煙突描きのリン」の企画は残念ながら中止となってしまったそうですが、完成した「いつも何度でも」を聴いた宮崎監督は「とてもいい歌ですね」と感想を述べています。 企画は中止となっても、「煙突描きのリン」のアイデアは、不思議の町にある油屋の煙突、水に沈んだ街のイメージとして作品世界に出現しています。 歌詞と意味 「いつも何度でも」の歌詞は、やさしい言葉の中にとても深いものを感じます。 「千と千尋の神隠し」の物語に沿って解釈することもできますが、この歌詞はもともとの企画だった「煙突描きのリン」のイメージを重ねることで、よりぴったりくるようにも思います。 繰り返すあやまちの そのたび人は ただ青い空の青さを知る 果てしなく 道は続いて見えるけれど この両手は光を抱ける 大きな災害で破壊された都市、被災した人々、かなしみのやり場のない憤り。 そうした中にも希望が見える、そんな情景が浮かびます。 若干16歳にして単身渡米、ピアノを専攻して大学を卒業後、声楽家として勉強されていました。 一時、体調を崩して声楽の道を断念されたものの、癒しや祈りに関わる音楽の世界へ。 最近の活動 現在は全国各地でコンサートを行っていて、オーケストラと共に演奏されることも。 2016年末には三鷹の森ジブリ美術館にてサプライズ・クリスマスコンサートに出演されています。 詳細はにて確認できます。 覚和歌子さん 「いつも何度でも」の歌詞を担当されたのは、 覚和歌子(かく・わかこ)さん。 山梨県出身の詩人・作詞家として活躍。 沢田研二さん、平原綾香さん、SMAP、クミコさん他、多くのアーティストの作品に参加しており、詩集や翻訳絵本も出版されています。 最近の活動 詩作ワークショップや朗読会など、詩人としての活動を活発にされているようですね。 詩人の谷川俊太郎さんと、対談ならぬ対詩ライブを継続的に開催されています。 詳細は覚和歌子さん公認の公式ファンサイトにて確認できます。 「いのちの名前」 「いつも何度でも」と並んで、聴くと映画のシーンが思い浮かぶ曲として「いのちの名前」があります。 作曲はジブリアニメとは切っても切れない人・ 久石譲さんです。 劇中ではインストゥルメンタルのみですが、実はこの曲にも覚和歌子さん詞をつけています。 映画公開時に発売されたマキシシングルでは木村弓さんが歌っています。 未来の前に すくむ心が いつか名前を 思い出す 叫びたいほど 愛おしいのは ひとつのいのち 帰りつく場所 わたしの指に 消えない夏の日 これは2番の歌詞の一部ですが、千尋がハクに見送られて不思議の国を後にするシーンを思い浮かべて切なくなってしまいます。 映画音楽は、曲を聴いただけで物語や映像が浮かんでくるものが多いですが、ジブリ作品では特に印象に残る楽曲が多いと感じます。 映像がなくても、音楽でそのときの感動が呼び起こされるなんてすごいことですよね。 最後まで読んでいただいてありがとうございました!.
次の高い空で彼方に向かって伸びていた白いひこうき雲を 未来を指差すサインだったと受取っていたり その未来の前で手足や心をすくませているというのですから 今現在で何らかの困難に直面していたり選択を迫られていたり あるいは「秘密や嘘」によって傷つけられ立ち止まってしまっている人が 世界を肯定し未来に歩み続ける為に 己の心の声に耳を澄ませているというシチュエーションでしょうか。 幼い頃に無心で接した世界に立ち戻る事で 目の前に立ちふさがり複雑化し曖昧になってしまった世界からいったん過去へ逃避し その引いたところから世界を俯瞰し バラバラになってしまった世界を今一度心の中で再構築しようとしているのでしょうか。 理屈や単なる情報ではない、自分の目で見、手で触り、自分の足で走って知った世界。 自分の生まれた場所、世界とはこういう所だというファースト・インプレッション。 >秘密も嘘も喜びも >宇宙が生んだ神さまの 子供たち という言葉は世界を肯定しようとしていると思われるので 「わたしの指に 消えない夏の日」として語られるその印象や記憶 は 「世界は素晴らしい」という肯定の気持だったのではないでしょうか。 世界を肯定し受け入れる事でその世界を自分の居場所とし「いのち」が成立する。 それが世界との繋がりであり、自分という存在の拠り所となる。 単に生まれるだけではなく世界と対峙し存在を得る。 名前というのは固有名詞を言うのではなく、その「存在」自体の事なのかもしれませんね。 そういった心の奥にある原初の風景は全ての人に普遍的なものでしょうね。 季節が違いますが、ロバート・ブラウニングの「春の朝(あした)」で語られる心情や 困難に直面した時マザー・メリーが訪れ、賢者の言葉を囁くという ビートルズのLet ti beなども連想します。 ロバート・ブラウニング「春の朝(あした)」上田敏訳 時は春、 日は朝(あした)、 朝(あした)は七時、 片岡(かたをか)に露みちて、 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、 蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、 神、そらに知ろしめす。 すべて世は事も無し。 ビートルズ「Let It Be」 When I find myself in times of trouble Mother Mary comes to me Speaking words of wisdom Let it be.
次のスポンサードリンク 千と千尋の神隠しの歌と言えば? 千と千尋の神隠しの歌と言えば よくCM等で流れている いつも何度でも を連想するかと思う。 優しいメロディーと共に歌われるいつも何度でもは 千と千尋の神隠しと聞いて 誰もが連想する歌だと思う。 しかし、 実はいつも何度でもという歌は 千と千尋の神隠しの歌として作られたわけでなく、 しかし、この曲はもともと『千と千尋』のために書かれたものではない。 木村弓と宮崎の交流は、 1998年夏ごろに木村が宮崎に書いた手紙に端を発する。 木村は前作『もののけ姫』を鑑賞して感銘を受け、 自らのCDを添えて手紙を送った。 宮崎は木村に好感触を持った。 当時宮崎は『煙突描きのリン』の企画中だったので、 そのあらすじを書き添えたうえで[131] 「作品が形になったら連絡するかもしれない」と返事した。 木村は『リン』の世界から刺激を受けてメロディを着想。 作詞家の覚に持ちかけて曲の制作に入った。 こうして、「いつも何度でも」は1999年5月に完成した。 しかし宮崎から連絡があり、『リン』の企画自体が没になったので、 主題歌には使うことができないと伝えられる。 「いつも何度でも」はお蔵入りになりかけた。 『千と千尋の神隠し』の主題歌は、 宮崎作詞・久石作曲の「あの日の川へ」になる予定だった。 イメージアルバムの1曲目には同名のボーカル曲が収録されている。 しかし、宮崎の作詞作業が暗礁に乗り上げ、不採用になった。 2001年2月、「いつも何度でも」を聞き直した宮崎は、 「ゼロになるからだ」などの歌詞と映画の内容が合致することに驚き、 急遽主題歌としての再起用を決める。 『千と千尋』を制作するにあたって 「いつも何度でも」が潜在的な影響を与えたのかもしれない、 と振り返っている[132][133]。 引用元 — とあるように、 元々別のアニメに使う歌として作られたのである。 だけど、 企画してたアニメが没になってしまった後 何の因果か 千と千尋の神隠しの歌になってしまったのだ。 それを考えると、 もし「煙突描きのリン」というアニメが 没にならず制作されることになった場合、 いつも何度でもは 「煙突描きのリン」の主題歌になってただろうと思うし、 千と千尋の神隠しの歌も 今とは全く別の歌になってたと思われる。 あの日の川へは不採用になったとのことで そのまま主題歌になったかは不明である それを思うと、 なんとも言えないような歯車が 世界では動いていたと感じずにはいられない。 スポンサードリンク 千と千尋の神隠しの歌にはこんなものもある? 千と千尋の神隠しの主題歌は元々 「あの日の川へ」 という別の歌になる予定だったけど、 結局不採用になって 「いつも何度でも」 が使われることになった。 それでそんな本来主題歌として作られてた あの日の川へという曲は 収録曲のひとつ「あの日の川」に歌詞をつけた 「いのちの名前」という楽曲も存在する。 引用元 — というように、 別のタイトルになって歌として世に出てるのだ。 ちなみにあの日の川というのは 千と千尋の神隠しの劇中音楽である。 そして、 「いのちの名前」と「あの日の川」を それぞれ聴き比べてみると 確かに曲がとても似ていて、 「あの日の川」で使われてた曲に歌詞を付けたものが 「いのちの名前」なのだという事がわかる。 それにしても、 いのちの名前の名前も結構いい歌だと思うけど なんとなく切なさを感じる歌だとも思う。 もし、 千と千尋の神隠しの主題歌として歌われてたら なんとなく作品の印象も変わってたかもしれないと思う。 千と千尋の神隠しの主題歌である いつも何度でも が元々別のアニメの主題歌として作られてた というのは調べて初めて分かったし、 主題歌になるまでに至った経緯も なかなか興味深いと感じた。 当たり前のように聞いてる歌にも 意外なエピソードが存在する というのを目の当たりにした瞬間だったと思う。
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