京成 線。 京成本線の路線図

京成押上線

京成 線

路線の識別色は青系 から東方の千葉県、、成田市方面を結ぶ京成電鉄の基幹路線であり、の主要幹線の一つである。 東京通勤輸送のほか、京成電鉄草創期からの目的地であり、毎年で300万人近い人出がある参詣客輸送も特徴として挙げられる。 輸送については、その主たる需要の受け皿を(成田スカイアクセス線)に移行させつつも、多様なニーズに応える選択肢の一つとしてその役割を担っている。 を介して方面(・・)と、を介してとそれぞれを行い、またと直通する列車がある。 正式名は単に「本線」であるが、成田スカイアクセス線開業後は、京成線内でも社名を冠した「 京成本線(英称: Keisei Main Line)」の名で案内されるようになった(路線図 ・駅の標識 ・車体表示)。 路線識別色は系。 一部の地図などでは「京成成田線」と表記されたり、京成上野 - 青砥間が「上野線」、京成成田 - 成田空港間が「空港線」 (あくまでも成田空港線としての呼称ではない)と呼ばれる場合があるが、いずれも通称であり正式名称ではない。 分岐点の信号機の進路識別標識には線名(本線)ではなく方面・方面略称( 成田、 成等)が記載され、の際は「上野線」「成田線」などと呼ばれる。 路線データ [ ]• 管轄・路線距離(営業キロ):全長69. 3km• 京成電鉄():• 京成上野 - 駒井野信号場間 67. 2km• 京成電鉄()・成田空港高速鉄道():• 駒井野信号場 - 成田空港間 2. 1km• 京成成田 - 駒井野信号場間 6. 0kmは、空港第2ビル - 成田空港間 1. 0kmはとの重複区間。 :1435mm• 駅数:42駅(起終点駅含む)• 区間:空港第2ビル - 成田空港間 1. 0km• 区間:京成上野 - 青砥間、京成高砂 - 空港第2ビル間 67. 1km• 区間:青砥 - 京成高砂間 1. 2km• 区間:全線電化(1500V)• :自動閉塞式• 所在駅:、、• 保安装置:• に直通するとも勝田台駅()- (押上線を経由して直通)間で競合しており、こちらにも運賃では勝るものの所要時間などで劣っている。 そのため勝田台駅で乗降し東葉高速線を利用する乗客なども多い。 2008年度における勝田台駅の1日の平均乗降客数は日暮里駅についで5位となっている。 都営浅草線直通は近年では1998年の羽田空港駅(現在の)開業以降、京急線発着の列車が主流となり、浅草線の終着駅である発着の列車はラッシュ時以外は大幅に減少していたが、成田スカイアクセス線開業後のダイヤでは日中の西馬込発着列車が増発された。 快速特急・特急・通勤特急の全列車と快速の大半は利用率が比較的高いために、8両編成で運転される。 普通列車は、ホーム有効長が6両分しかない駅 本線は京成中山駅と海神駅の2駅のみ があるため、京成上野駅 - 京成高砂駅間と宗吾参道駅 - 成田空港駅間(・東成田方面芝山鉄道線芝山千代田駅間を含めて)は一部が8両編成だが、それをのぞき全列車が6両または4両編成で運転される。 かつては4両編成が多かったが、近年は4両編成の・の廃止減少および6両編成のの増備により、6両編成で運転する列車が増えている。 2010年7月17日以降は京成高砂駅 - 空港第2ビル駅間の経路が成田スカイアクセス線経由と本線経由の2系統となったため、「成田スカイアクセス線・北総線経由」「京成本線・船橋経由」という案内でルートの区別を図っている。 現在、日中のダイヤは成田スカイアクセス線経由の「スカイライナー」が60分サイクル、一般列車が40分サイクルとなっていて、両者を組み合わせたダイヤパターンで運行されている。 運行本数 [ ] (令和元年)現在のダイヤで日中 40分あたりの運行本数は、以下のようになっている。 なお、空港第2ビル - 成田空港間のと青砥 - 京成高砂間のからの直通列車は、営業上京成本線と分離されているが、線路は共用となっているのでまとめて記す。 これらはそれぞれ独立したである。 これらの列車の緩急行選別装置の番号対照表の番号は「8」であり、「その他」と表記されている。 成田スカイアクセス系統• - 東京都心部と成田空港を結ぶ列車として、京成上野駅 - 成田空港駅間に運行されている。 京成上野駅 - 京成高砂駅間は本線(当線)、京成高砂駅 - 成田空港駅間は成田スカイアクセス線を経由する。 本線系統• - いわゆる的に運行される列車。 「モーニングライナー」は朝上りに、「イブニングライナー」は夕方下りに、それぞれ運行される。 運行区間はいずれも全区間本線経由で京成上野駅 - 京成成田駅・成田空港駅間。 - 初詣客などのための臨時列車。 全区間本線経由で京成上野駅 - 京成成田駅間を運行。 一般列車 [ ] 以下は、運賃以外の料金不要列車である。 また、ここでは本線青砥駅以西(日暮里・京成上野方面)あるいは京成高砂駅以南(津田沼方面)のどちらも経由しない列車(押上線 - 北総線・成田空港線(成田スカイアクセス線)、押上線 - 京成高砂駅発着)については詳述しない。 それらについては「」・「」・「」を参照。 快速特急 [ ] は、一般車両による最上位速達列車。 のダイヤ改正から運行。 2006年12月改正前の朝夕の特急の運行形態を引き継ぎ、朝方は上り方面、夕方・夜間は下り方面へ、2019年10月26日のダイヤ改正からは日中も運行される。 ただし、運行形態は、平日と休日では以下のように大きく変化する。 上り : 主に、朝は押上線・都営浅草線を介して都営浅草線西馬込あるいは京急線方面に、日中は京成上野方面に運行される。 下り : 主に、夕方・夜間は京急線発あるいは都営浅草線西馬込発で都営浅草線・押上線を経由して、日中は発で・着となる(には2本だけ、京成成田駅から乗り入れる)。 土曜・休日• 上り : 主に京成上野方面に運行される。 下り : 全列車が京成上野駅 - 京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅間にのみ運転され、押上線からの乗り入れはない。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 京成上野駅 - 京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅• 日中はまたは京成高砂駅で日中は経由羽田空港発着列車(アクセス特急)と、で成田空港発着列車 快速 と接続• 都営線西馬込駅 - 京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅• 都営線北行は快速特急、南行は普通で運転される。 京急線羽田空港 - 京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅• 京急線内はエアポート快特、快特、エアポート急行で、都営線北行は快速特急、エアポート快特で、都営線南行はエアポート快特、急行で運転されている。 2002年10月14日より2014年11月7日までの平日には発京成成田(運転開始当初は成田空港)行き(京急線内特急)という、3社間で最長距離の列車が1本運転されていた(都営車の運用)。 なお、2010年7月11日までには土休日のみ朝方に成田空港行き(通常とは逆方向に運行される列車)が1本あったが、この列車は羽田空港駅(現在の)始発であり、京急線・都営浅草線を含めて全区間で種別が快特(エアポート快特を含む)であり、なおかつ両空港を乗り換えなしで結んでいる数少ない列車であった。 また土休日夕方にも成田空港駅 - 羽田空港駅間の列車が存在した(京成線内は快速特急、都営線内・京急線内はエアポート快特となる列車もあった)。 原則として京成電鉄の車両が主体の運用だが、都営線直通列車はラッシュ時を中心に都営地下鉄の車両が入ることがある。 また上記の京急線京急蒲田駅より南を始発とする列車は、原則都営地下鉄の車両での運用となっていた。 当初はにあわせて種別を「快特」と定めたが、読みが「かい とく」であるため、後述の「」(かい そく)との区別がつきにくく、誤乗防止のため、より、駅構内および車内のアナウンスが「快速特急」に変更された。 のダイヤ改正よりすべての案内上の名称が「快速特急」に改められ、現在は駅の発車案内や車両の方向幕の表示もごく一部(1・2番線)をのぞき「快速特急」に統一された。 種別カラーは京急と同様の緑色。 ただし、フルカラーのが導入されていない駅などにおいては赤色で表示する場合もある。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「7」であり、こちらは引き続き「快特」と表記されている。 「」も参照 2010年7月17日に開業した成田空港線(成田スカイアクセス線)経由の一般車両による最上位速達列車(快速特急と経路は違うが同等)。 日中は押上線方面との直通列車のみであるが、日中以外の時間帯に京成上野駅発着での設定がある。 京成電鉄・京急の車両による運用で、通常京成車の運用には・(3052 - 3056編成 編成)が限定的に使用される。 種別カラーは、それまで「通勤特急」が使用していたオレンジ色が使用されている。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板が導入されていない駅などにおいては赤色で表示する場合もある。 フルカラーLED装備の京成車は本線特急と区別するため、行先と交互に経由路線を表示する。 青砥駅での接続 右:京成本線 特急 行 左: 行 特急は、一般車両による速達列車。 日中における京成上野駅 - 成田空港駅間を本線経由で結ぶ唯一の列車である。 スカイライナーとの区別のため、一部構内放送や車内放送では「普通特急」と呼ばれる場合がある。 1991年3月19日のダイヤ改正による停車駅変更に伴い2代目通勤特急と本線において停車駅が全く同じになったため種別順位では2006年12月のダイヤ改正で「快速特急」が登場するまでは最上位速達列車であった。 京成上野駅 - 成田空港駅間の所要時間は最速71分(1時間11分)で、日中は約40分間隔で運転されている。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 京成上野駅 - 成田空港駅• または京成高砂駅で日中は経由羽田空港発着列車(アクセス特急もしくは押上線快速特急)と、それ以外の時間帯は横浜方面快特・特急と接続。 日中は京成成田駅で始発の東成田線・芝山鉄道線芝山千代田行に接続。 朝ラッシュ時は下り、夕ラッシュ時は上り、日中は上下線で運行されている。 京成上野発芝山鉄道芝山千代田行き• 土休日深夜1本のみ設定されている。 成田空港駅発西馬込行き• 平日夕方に1本のみ設定されている。 都営線内は普通で運転されている。 成田空港駅発羽田空港行き• 平日夕方に1本設定されている。 都営線内は急行で、京急線内はエアポート急行で運転されている。 都営線西馬込駅発京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田行き• 都営線北行は特急で運転される。 京急線羽田空港発京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田行き• 京急線内はエアポート快特、エアポート急行で、都営線北行は特急、エアポート快特で運転されている。 京成上野駅 - 京成佐倉駅間では快特と同じ停車駅で、2006年12月10日のダイヤ改正で京成佐倉駅 - 成田空港駅間が各駅停車化され、特急停車駅が4つ追加された。 所要時間はダイヤ改正前の京成成田駅における3 - 4分の停車時間を短縮したため所要時間は従前と同等となっている。 京成佐倉駅 - 成田空港駅間の各駅停車化はこの改正で日中の発の快速(改正より西馬込駅発着)が京成佐倉行きとなったためで、乗り入れる種別が特急しかなくなった京成佐倉駅 - 成田空港駅間の日中において、特急が各駅停車の役割も担うこととなったからである。 2006年12月9日までは日中時間帯に半数近くがでスカイライナーの通過待ちがあったが、翌10日より、日中の通過待ちがなくなった。 2010年5月16日より、日中の上野方面はでスカイライナーの通過待ちを行っていた。 同年7月17日のダイヤ改正よりスカイライナーが成田スカイアクセス線経由となり、それ以降は上下列車とも3本中1本がでシティライナーの通過待ちを行っていた。 なお、過去(成田スカイアクセス線開通以前)には朝夕ラッシュ時に京成高砂駅・・八千代台駅・・宗吾参道駅・のいずれかの駅でスカイライナーの通過待ちを行っていた。 を介してに乗り入れを開始するより従前の急行を格上げする形で運行を開始した。 なお、これ以前は座席指定制のが唯一の特急列車であった(不定期をのぞく)。 種別カラーは赤色(各社局共通)。 停車駅の変遷(京成上野駅 - 京成成田駅間のみ掲載)• (特急の運行開始時)• 京成上野駅 - 日暮里駅 - 青砥駅 - 京成高砂駅 - 京成八幡駅 - 東中山駅 - 京成船橋駅 - 谷津遊園駅(現・谷津駅) - 京成津田沼駅 - 八千代台駅 - 京成佐倉駅 - 京成成田駅• 従前の急行を改称する形で設定。 同時に京成八幡駅が停車駅に加えられ、初代急行が停車していた町屋駅・堀切菖蒲園駅は通過とされた(従前の準急を改称して同時に設定された2代目急行は停車)。 - 京成小岩駅と勝田台駅が停車駅に加えられる。 - 谷津駅が通過駅となる。 - 京成小岩駅と東中山駅が通過駅となる• 但し、東中山駅はでの開催日(中でも特に混雑する競走 開催日)に限り、一部臨時停車する。 - 大佐倉駅 - 公津の杜駅の各駅が停車駅に加えられる。 上記のアクセス特急・特急の緩急行選別装置の番号対照表の番号は「6」であり、「特急」と表記されている。 京成本線経由 特急(経由路線表示) 通勤特急 [ ] 通勤特急は、のダイヤ改正で再び運行を開始した列車種別(3代目、)。 京成上野駅・京成高砂駅 - 勝田台駅間では快特・特急と同じ停車駅、勝田台駅 - 成田空港駅間で各駅停車となる。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 成田空港駅、京成成田駅、芝山鉄道芝山千代田駅発京成上野行き• 平日朝上り、全日上り深夜に運転されている。 都営線西馬込駅 - 京成佐倉駅、京成成田駅、成田空港駅、芝山鉄道芝山千代田駅• 平日上りは朝1本、下りは平日夜に運転されている。 上りの都営線内は普通で運転されている。 羽田空港発京成成田駅、成田空港駅、芝山鉄道芝山千代田駅• 平日夜で運転されている。 京急線内はエアポート急行、エアポート快特で、都営線内はエアポート快特、通勤特急で運転されている。 なお、のダイヤ改正により、夜間上りにも1本運行されている。 これは通勤客を主たる対象としたものではなく、勝田台駅 - 成田空港駅間が各駅停車である種別特性を利用したものである。 他の通勤特急は土曜・休日には運行しないが、この列車1本のみ、土曜・休日にも運行している。 までの平日朝の下りでは京成上野発成田空港行き1本が運行されていた。 種別カラーは空色。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板が導入されていない駅などにおいては赤色で表示する場合もある。 成田スカイアクセス線開業以前はオレンジ色だった。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「5」である。 京成成田および芝山千代田始発の「通勤特急」京成上野行き(8両編成)4本に対して、平日朝ラッシュ時の時間帯にが設定されている。 設定位置は進行方向最後尾車両(8両目)で、設定区間は京成上野までの全区間。 設定対象列車の最後尾車両には「女性専用車」案内シールが貼られる。 成田空港始発の列車には設定されていない。 すべて自社車両で運行するが、から夜間の京成成田行きの1本が都営地下鉄の車両による運用となった。 都営地下鉄の車両による「通勤特急」の運用は7年ぶりの復活であったが、のダイヤ改正で自社車両の運用に戻された。 快速 [ ] 「」も参照 快速は、のダイヤ改正で運行を開始した、主に都営地下鉄浅草線直通を担う準速達列車である。 この快速は通勤特急と同じく3代目にあたる。 それ以前に運行されていたよりも停車駅が少ない。 本線では、急行がかつて停車していた町屋駅・千住大橋駅(2010年のダイヤ改正で千住大橋駅が停車駅となった)・堀切菖蒲園駅・国府台駅・市川真間駅・谷津駅は通過とした。 これにより京成上野駅 - 京成津田沼駅間では特急などとの停車駅の違いは京成小岩駅・東中山駅・船橋競馬場駅だけになり、ほぼ特急などと同等の所要時間となった。 上位速達列車の追い抜きも京成上野駅 - 京成津田沼駅間ではほとんど見られなくなった。 京成津田沼駅 - 成田空港駅間で各駅停車となる。 登場当初は押上線・都営地下鉄浅草線を介しての方面への直通(京急線内は快特運転)に充てられ、都営地下鉄の車両と京成電鉄の車両が主体の運用で、わずかにかつての羽田空港駅 - 成田空港駅間の直通特急であったの名残で京急の車両による運用も存在する。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 京成上野駅、京成高砂駅 - 京成高砂駅、京成佐倉駅、宗吾参道駅、京成成田駅、東成田駅、成田空港駅、芝山鉄道線芝山千代田駅• 京成高砂発着の一部列車は都営車・京急車で運転される。 都営線西馬込駅 - 京成佐倉駅、京成成田駅、成田空港駅、芝山鉄道線芝山千代田駅• 都営線南行は普通で運転される。 一部列車は都営車・京急車で運転される。 京急線羽田空港 - 京成佐倉駅、宗吾参道駅、京成成田駅• 京急線、都営線南行内はエアポート快特、エアポート急行(都営線内急行)で運転される。 平日朝下り1本・夜間上り1本、土休日夜間上り1本は、押上線普通として運行される。 京急線三崎口駅・羽田空港駅 -( 押上線普通)- 京成高砂駅 - 京成佐倉駅・京成成田駅• 下り平日朝3本、上り全日夜間1本のみ• 京急線内は特急・エアポート急行で、都営線南行は急行で、都営線北行・押上線は普通で運行される。 都営線西馬込駅 -( 押上線普通)- 京成高砂駅 - 京成佐倉駅・京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅• 下り全日朝2本、上り平日夕夜間3本・土休日夜間2本のみ• 都営線・押上線内は普通で運行される。 朝一部の京成佐倉方面行きは京急線エアポート急行で都営線・押上線普通(押上線内では「普通 京成高砂」と案内)として運行される。 京急線・都営線内では、京成本線内を快速として続行運転する旨は案内されていない。 また、夜間一部の西馬込行き・羽田空港行きは南行押上線普通、都営線・京急線エアポート急行(都営線内急行、芝山鉄道線・京成本線内は「快速 京成高砂」と案内)として運転される。 京成高砂駅で行先・種別の変更を行う。 本線内で押上線普通として続行運転する旨は案内されていない。 京急線三崎口駅・浦賀駅 - 京成佐倉駅・成田空港駅• 平日上り夕方1本三崎口行きのみ運転。 ただし、2017年10月28日以降は土休日朝下りに浦賀始発として運転される。 2019年10月28日以降は三崎口行きは成田空港始発として運転される。 京急線内は特急で運転される。 京急線浦賀駅 - 京成高砂駅• 平日朝上り1本のみ設定されている。 列車番号は 885H。 京急線内は特急として運転される。 2013年10月26日のダイヤ改正までは、都営地下鉄浅草線より列車種別がとなる上り(押上・羽田空港行き)列車について、種別幕を「(飛行機マーク)快速」として他の快速とは案内を分けていた。 ただし、停車駅や正式な列車種別名は同じ「快速」であり、駅の時刻表では同じピンク色の文字で表記している駅もあった。 また、(飛行機マーク)は都営線内での停車駅の差異を案内するためのものであるため、下り成田空港行きの列車に使用されることはなかった。 2006年12月10日のダイヤ改正からは、日中のみ羽田空港駅 - 京成佐倉駅間での運転となり、京成佐倉駅到着後、反対側の番線に成田空港駅発着の特急列車に連絡するダイヤになった。 そのため、一部の京成佐倉行き列車の方向幕には「 (成田空港方面)佐倉」と表示されていた。 また、平日朝の一部と夜間に京成上野駅 - 京成高砂駅間の区間運転列車が新設された。 夜間に運転される京成上野駅 - 京成高砂駅間の区間運転列車は青砥駅で都営地下鉄浅草線からの直通列車に接続する。 2010年7月17日のダイヤ改正からは、京成上野駅発着列車がに停車し、普通列車との接続が図られている。 また、日中の羽田空港駅 - 京成佐倉駅間の快速(京急線内エアポート快特)と西馬込駅 - 京成高砂駅間の普通・急行の種別・行き先が変更され、快速は西馬込駅 - 京成佐倉駅間での運行とし、泉岳寺駅で同駅折り返しの京急線・方面快特に接続する形態に改められた。 またエアポート快速は早朝の宗吾参道発羽田空港行き1本のみ(京急線内エアポート快特)となった。 また、京成線急行の廃止を受け、平日に北総線で運行される急行のほぼ全列車については、京成線内種別が快速となった(その後2012年10月21日改正で全列車が京成線内快速となったが2015年12月7日のダイヤ改正で北総線直通急行は京成線内普通になった)。 なお、この改正で京急の車両による運用は平日数本の京成高砂駅 - 都営線間の列車のみとなったが、2015年12月7日ダイヤ改正で平日1本のみ京成佐倉発三崎口行き(京急線内特急)が設定され、2010年7月16日以来の京成高砂以東の定期列車が設定された。 このほかにも京成高砂発京成佐倉行きの1本、平日のみ西馬込駅 - 京成佐倉駅間の1往復についても京急の車両による運用で設定された。 京急車におけるこれらの京成高砂以東本線運用はアクセス特急同様に原則として600形と新1000形10次車以降に限定されているが、ダイヤ乱れ等が発生した場合は1500形・新1000形9次車以前の車両が代走で入線することがある。 種別カラーはピンク色。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板や行先表示器が導入されていない駅や車両などにおいては赤色・緑色で表示する場合もある。 また、エアポート快速はフルカラーLEDの場合緑地に白字で表示される。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「4」である。 京急車による快速 普通 [ ] 普通列車は各駅に停車する。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 本線系統• 京成上野駅 - 京成津田沼駅・• 日中を中心に大半を占めている。 京成上野駅 - 京成大和田駅、京成佐倉駅• 大和田駅発着は平日、京成佐倉駅発着は土休日の夕方に設定されている。 京成上野駅、京成津田沼駅 - 京成高砂駅、宗吾参道駅• 入出庫の関係で朝・夜を中心に運転される。 京成上野駅、京成津田沼駅、宗吾参道駅、京成成田駅 - 京成成田駅、成田空港駅、東成田駅、芝山鉄道線芝山千代田駅• 朝・夜に多く運転されている。 京成上野駅 - 千葉中央駅、ちはら台駅• 夜を中心に運転されているが、朝の運転も設定されている。 京成臼井駅 - 京成津田沼駅• 夜に1本のみ設定されている。 都営浅草線乗り入れ系統 押上線および青砥駅で普通高砂行きとして案内され、京成高砂から快速として運行される列車については「」を参照• 都営線西馬込駅、京急線品川駅 - 京成高砂駅、北総線印西牧の原駅、印旛日本医大駅• 朝・夕を中心に運転されている。 京急線三崎口駅、三浦海岸駅(着のみ)、京急久里浜駅、神奈川新町駅 - 京成高砂駅、北総線印西牧の原駅、印旛日本医大駅• 北総線内は急行、普通で、都営線北行は普通で、都営線南行、京急線内は快特、特急で運転される。 京急線羽田空港 - 京成高砂駅、印西牧の原駅、印旛日本医大駅• 都営線北行、北総線内は普通で、都営線南行、京急線内はエアポート快特、快特、エアポート急行(都営線内は急行)で運転される。 押上駅 - 京成高砂駅、印西牧の原駅、印旛日本医大駅• による 高砂始発都営線・京急線直通普通 ( 行) 本線系統は基本的に6両編成の運用である。 これは京成高砂駅 - 京成津田沼駅間の普通停車駅のとのホームが6両以下のためである。 同区間を含まない普通列車は8両で運転されるケースも多い。 たとえば、から京成高砂駅まで乗り入れる方面・と、羽田空港 - 北総線直通列車はほぼ8両編成で走る。 このほか、出入庫など間合い運用の都合上、京成上野駅 - 京成高砂駅間・宗吾参道駅 - 成田空港駅・芝山千代田駅間の一部の普通では8両での運転となる。 2007年12月2日のダイヤ修正から土休日昼間の京成上野駅 - 京成津田沼駅間の普通が6両編成化された。 臨時列車としてで佐倉・印旛沼国際花火大会(現・佐倉市民花火大会)が行われる時には京成臼井発行き(過去には津田沼行きも)普通が8両編成で走る。 近年は停車が4両編成に限定されていたが廃止されたことや6両編成のの増備、4両編成の・の営業運転終了、4両編成で運行される直通列車の廃止などにより、6両編成の列車が増加傾向にある。 4両編成運転については、2018年12月のダイヤ改正で宗吾参道駅 - 芝山千代田駅間のみに限定され、京成上野駅発着では4両編成の定期列車が消滅、京成高砂駅 - 宗吾参道駅間については、金町線運用絡みの回送で走行する以外は定期列車に充当されなくなった。 なお、が1982年2月に廃止後、朝の上り列車に成田寄り1両を指定して行商専用車が設定され、末期には京成上野行き普通1本に残存していたが2013年3月をもって廃止された。 快速が京成佐倉駅発着になった2007年以降の正月期間や1月上旬には日中を中心に一部の京成臼井行き列車が京成成田行きとして延長運転される。 種別表示は「普通」であるが、駅放送や車内放送では基本的に「各駅停車」と案内する。 種別カラーは黒色。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板や行先表示器が導入されていない駅や車両などにおいてはオレンジ色で表示する場合もある。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「1」である。 過去の列車種別 [ ] 急行 [ ] 本線系統急行 [ ] のダイヤ改正の前までは、京成本線・押上線で急行が運転されていた。 停車駅は現在の快速の停車駅と、・(2010年7月17日からは快速停車)・・・・であり、朝晩は主に上野直通、日中は主に押上線方面直通であり、下り列車で成田空港に乗り入れる列車は少なく、主に止まりか行がほとんどであった。 2002年のダイヤ改正で、本線内のみの急行は快速に置き換えられて廃止となった。 1968年11月10日の改正で、それ以前の上野系統の初代急行は特急に格上げされ、同改正でに代って2代目急行が新設された。 初代通勤特急廃止の1974年12月16日までは2002年10月12日改正前よりも停車駅は少なく、上野系統と浅草線直通系統で一部停車駅が異なっていた。 急行表示板も2種類あり、前者は逆台形に「急行」表示、後者は丸地に「急」表示であった。 なお頃には丸に2本の線入りの「急」表示のものも存在した。 押上線系統急行 [ ] 京成3000形電車による急行・西馬込行 本線系統急行(前節参照)が廃止された2002年10月12日ダイヤ改正以降のは、 - 押上線 - の系統のみで、京成線内ではからまでの運転となった。 平日の夜を中心に北総線へ直通する列車もあった。 停車駅は、押上・曳舟・立石・青砥・高砂となっていた。 2010年7月17日の開業に伴うダイヤ改正に伴い、廃止が決定され、京成線全体でも急行が廃止されることになった。 なお、北総線内の急行はこの改正以降も存続し、当該列車は都営浅草線・京成線内を快速または普通として運転し、京成高砂駅で種別変更する形を取っていたが2012年10月21日のダイヤ改正をもって北総線内急行は都営浅草線・京成線内を快速として運転し、2015年12月5日のダイヤ改正以降は、都営浅草線・京成線内を普通として運転している。 種別カラーは各者共通の青色。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板や行先表示器が導入されていない駅や車両などにおいては赤色や緑色で表示する場合もある。 1983年10月1日ダイヤ改正で都営浅草線車両による急行がまで乗り入れるようになった際には、誤乗防止の観点から前面貫通扉に内側から「急行」の表示を吸盤で貼付けていた。 都営車の乗り入れは、後に東成田まで拡大されたが、1998年11月18日ダイヤ改正時に急行表示板は廃止された。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は末期には「3」(快速設定前は「4」)であった。 エアポート特急 [ ] 2002年まで(エアポート特急を含む)は京成線内では「」として運転され羽田空港方面・成田空港方面とも「(飛行機マーク)特急」と表示されていたが、これ以外に京成上野駅 - 成田空港駅間の特急も「(飛行機マーク)特急」とされており、京成線内のほとんどの特急が「(飛行機マーク)特急」となっていた(ただし、案内上は都営線内で速達運転をするエアポート特急を除き単に「特急」と読まれていた)。 単に飛行機マークのない「特急」とされたのは都営浅草線西馬込 - 成田空港間の特急(都営線内は各駅に停車)と京成佐倉止まりなど主に成田空港発着でない特急のみであった。 この飛行機マーク付きの特急は青砥駅・京成高砂駅発着であったおよびエアポート快特に接続する京成上野駅 - 京成高砂駅間の特急列車にも適用された。 通勤特急(初代・2代) [ ] 後半 - と、より(以下2代目)のダイヤ改正まで運行されていた。 初代の通勤特急の投入当時の停車駅は、2006年12月9日までの特急停車駅に、および、を加えたものであった。 しかし、初代は列車種別整理のため「特急」に統合される形で廃止された。 この時の種別板は丸に青縁取りで「特急」であった(特急種別板との相違点は青縁取りの有無。 無い方が特急種別板)。 1985年10月19日に通勤ラッシュ時の都営浅草線への速達化を図るため、通勤特急が再登場した。 再登場時の特急停車駅はすでに初代通勤特急の停車駅と同じであったため、2代目通勤特急は京成小岩駅・東中山駅・京成曳舟駅・京成立石駅は通過となった。 に京成本線内の特急の停車駅が現在の快速特急のものになり、「特急」は上野方面直通、2代目「通勤特急」は押上線・都営浅草線方面直通で運行(通勤ラッシュ時のみ)されていた。 1998年11月18日の京急線開業に伴うダイヤ改正で、通勤ラッシュ時以外にも押上線・都営浅草線・京急線直通の特急が運行されるようになった。 この時に押上線に定められていた特急停車駅から京成曳舟駅・京成立石駅が外され、「通勤特急」と種別を区別する意義がなくなったことから通勤特急という名前から"通勤"の文字が消えて「特急」に統合され、この2代目「通勤特急」は消滅した。 通勤急行(旧称:通勤準急) [ ] 後半 - に朝晩通勤ラッシュ時に上野系統で運行された種別。 当初は通勤準急という名称であったが、1968年11月に準急が廃止され急行の停車駅が増えたために通勤急行に改称された。 停車駅は2002年10月12日改正前の急行停車駅から谷津遊園(現・谷津)とセンター競馬場前(現・船橋競馬場)をのぞいた設定であった。 初代通勤特急同様、列車種別整理のため急行に統合され消滅。 種別板は通勤準急時代は菱に縦書きで「準急」(文字は横書きの種別板も存在。 行は行先表示板に設定がなかったため例外として種別板に併記)通勤急行格上げ後は菱に「通急」。 快速(初代・2代) [ ] 初代快速は前半頃に京成上野駅 - 京成成田駅間で夕方への移行期に運行されていた。 種別板は菱に「快速」。 2代目快速は頃 - に日中に京成上野 - 千葉系統で運行された種別。 停車駅は京成上野・日暮里・町屋・堀切菖蒲園・青砥(この間各駅停車)京成津田沼・京成幕張・京成稲毛・みどり台・国鉄千葉駅前(現京成千葉)・京成千葉(現千葉中央)。 列車種別整理のため普通に格下げ。 種別板は楕円に横書きの「快速」 準急 [ ] 1968年11月9日まで運転された種別。 停車駅は京成上野・日暮里・町屋・堀切菖蒲園・青砥・京成高砂・市川真間・京成八幡・東中山・京成船橋・センター競馬場前(現船橋競馬場)から先終点までの各駅。 急行の停車駅増加により消滅。 種別板は丸に「準急」。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「2」であった。 歴史 [ ] 開業時は、起点がではなく、現のだった。 後に、の所有する免許を取得し、開業時に起点が現在の京成上野駅方面へ変更された。 (大正元年) (押上 - )曲金(現在の京成高砂) - 伊予田(現在の江戸川)間が開業。 軌間1372mm。 (大正2年) 曲金駅を高砂駅(現在の京成高砂駅)に改称。 (大正3年)• 江戸川 - 市川新田(現在の市川真間)間が開業。 市川駅(元の伊予田駅)を江戸川駅に改称。 市川鴻の台駅を市川駅(現在の国府台駅)に改称。 (大正4年)11月3日 市川新田 - 中山(現在の京成中山)間が開業。 (大正5年)• 菅野駅開業。 6月 市川新田駅を市川真間駅に改称。 中山 - 船橋(現在の京成船橋)間が開業。 (大正8年) 海神駅開業。 (大正10年)• 市川駅を市川国府台駅に改称。 船橋 - 津田沼(現在の京成津田沼)間が開業。 (大正15年)• 津田沼 - 酒々井(現在の京成酒々井)間が開業。 酒々井 - 成田花咲町(仮)間が開業。 (昭和2年) 花輪駅(現在の船橋競馬場駅)開業。 (昭和3年)• 志津駅開業。 宗吾駅(現在の宗吾参道駅)開業。 青砥駅開業。 (昭和5年) 成田花咲町(仮) - 成田(現在の京成成田)間が開業。 成田花咲町(仮)駅廃止。 (昭和6年)• 以下の駅を「京成」を冠した駅名に改称。 高砂駅、中山駅、船橋駅、花輪駅、津田沼駅、大久保駅、大和田駅、臼井駅、佐倉駅、酒々井駅、成田駅• 日暮里 - 青砥間が開業。 (昭和7年) 京成小岩駅開業。 (昭和8年) 上野公園(現在の京成上野) - 日暮里間が開業。 (昭和9年) 道灌山通駅開業。 (昭和10年)• 西千住駅開業。 中山鬼越駅(現在の鬼越駅)開業。 (臨)中山競馬場駅開業。 (昭和11年) 谷津海岸駅を谷津遊園駅に改称。 (昭和14年) 谷津遊園駅を谷津海岸駅に改称。 (昭和17年)• 八幡駅廃止。 11月1日 新八幡駅を京成八幡駅に改称。 (昭和18年)• 中山鬼越駅を鬼越駅に改称。 10月 寛永寺坂駅、道灌山通駅、西千住駅が休止。 (昭和19年) 上野公園(現在の京成上野) - 京成成田間を本線、押上 - 青砥間を押上線とする。 (昭和20年)• 全線をによる軌道からによる鉄道に変更。 上野公園 - 日暮里間が休止。 上野公園 - 日暮里間が営業再開。 (昭和21年)11月1日 寛永寺坂駅営業再開。 (昭和22年)• 休止していた日暮里 - 新三河島間の道灌山通駅、町屋 - 千住大橋間の西千住駅廃止。 8月21日 寛永寺坂駅休止。 (昭和23年)4月1日 市川国府台駅を国府台駅に、谷津海岸駅を谷津遊園駅に改称。 (昭和25年) 京成花輪駅を船橋競馬場駅に改称。 (昭和26年) 宗吾駅を宗吾参道駅に改称。 (昭和28年)• 休止していた博物館動物園 - 日暮里間の寛永寺坂駅廃止。 5月1日 上野公園駅を京成上野駅に改称。 (臨)中山競馬場駅を常設駅とし、東中山駅開業。 (昭和31年) 八千代台駅開業。 (昭和34年)• 宗吾参道 - 京成成田間を標準軌(1435mm軌間)に改軌。 鹿島川専用乗継場 - 宗吾参道間を標準軌に改軌。 京成臼井 - 京成佐倉間に開設。 京成大和田 - 鹿島川専用乗継場間を標準軌に改軌。 鹿島川専用乗継場廃止。 10月25日 京成津田沼 - 京成大和田間を標準軌に改軌。 東中山 - 京成津田沼間を標準軌に改軌。 京成高砂 - 東中山間を標準軌に改軌。 お花茶屋 - 京成高砂間を標準軌に改軌。 日暮里 - お花茶屋間を標準軌に改軌。 京成上野 - 日暮里間を標準軌に改軌し、標準軌化完成。 (昭和38年) 船橋競馬場駅をセンター競馬場前駅に改称。 (昭和43年)5月1日 勝田台駅開業。 (昭和45年) お花茶屋 - 青砥間のと交差する地点が高架化。 (昭和48年)• 京成上野 - 日暮里間が休止。 京成上野駅改装工事(1976年7月完成)のため。 京成上野 - 日暮里間が営業再開。 12月30日 スカイライナー運行開始。 (昭和53年) 京成成田 - 成田空港(現在の東成田)間が開業。 (昭和57年)11月1日 ユーカリが丘駅開業。 (昭和59年) 谷津遊園駅を谷津駅に改称。 (昭和60年) 青砥 - 京成高砂間複々線化。 (昭和62年)4月1日 葛飾駅を京成西船駅に、センター競馬場前駅を船橋競馬場駅に改称。 (平成3年) 駒井野分岐点 - 成田空港間が開業。 京成成田 - 東成田(旧・成田空港)を東成田線とする(京成成田 - 駒井野分岐点間は本線と重複)。 (平成4年) 空港第2ビル駅開業。 (平成6年)4月1日 宗吾参道 - 京成成田間を経路変更。 公津の杜駅開業。 (平成9年)4月1日 京成上野 - 日暮里間の博物館動物園駅が休止。 (平成16年)4月1日 博物館動物園駅が廃止。 (平成18年) 海神 - 船橋競馬場間の複線高架完成。 京成船橋駅・大神宮下駅が上下とも高架化。 (平成21年)• 日暮里駅下り線が高架化されホームが上下線別に分離(上りは1階、下りは3階)。 駒井野信号場 - 空港第2ビル間複線化。 (平成22年)• 7月5日 金町線京成高砂駅付近の高架化に伴うダイヤ改正により、本線と金町線の直通運転が廃止。 7月17日 成田スカイアクセス線開業に伴うダイヤ改正により、本線の運転系統が見直される。 スカイライナー・京急空港線発着の直通列車の大半が成田スカイアクセス線経由となり、本線からの都営浅草線直通列車の大半が西馬込発着に変更される。 押上線方面の急行が廃止、シティライナーとアクセス特急が新設され、従前スカイライナーが停車していた京成船橋駅・京成成田駅はシティライナーの停車駅となる。 また、千住大橋駅が快速の停車駅に、青砥駅がシティライナーの停車駅となる。 (平成23年)• ()が発生。 都営地下鉄浅草線・京急線・北総鉄道北総線・芝山鉄道線との相互直通運転およびスカイライナー・シティライナー・イブニングライナーの運転が休止。 3月12日 運行再開。 ただし、京急線・ - 間の閉鎖に伴い、同線への直通運転は中止(13日より再開)。 またユーカリが丘 - 京成臼井間で線路の変形が確認されたため、応急処置を施した上、同区間を徐行運転。 のため、がを実施。 これに伴い、この日から都営地下鉄浅草線・京急線・北総鉄道北総線・芝山鉄道線との相互直通運転およびスカイライナー・シティライナー・モーニングライナー・イブニングライナーの運転が休止。 3月 京急線・都営地下鉄・北総鉄道北総線との相互直通運転を再開。 3月16日 スカイライナー・モーニングライナー・イブニングライナーの運転を再開。 3月11日の地震の余震とみられる巨大地震が発生したため、スカイライナー・モーニングライナー・イブニングライナーの運転が休止(翌日運行再開)。 9月10日 シティライナーの運転を京成上野 - 京成成田間で再開。 12月23日 ユーカリが丘 - 京成臼井間の徐行運転が解除され、すべての一般列車の運転を再開。 (平成25年)• 10月16日 - 台風26号の影響で、京成成田駅1番線脇で土砂崩れ発生。 宗吾参道 - 成田空港・芝山千代田間が終日運転見合わせとなる。 2014年(平成26年)• 6月7日 京成高砂 - 八千代台間が1号ATSからC-ATSに更新され、全線がC-ATSに。 当路線は - で(JR東日本)と競合している。 この区間では総武線が所要時間・行先等で圧倒的に有利であり、都心から京成船橋以東へ向かう乗客は総武線との乗り換えに適した京成船橋駅から乗車することが多い。 また、青砥以西のアクセスもに直通するが便利であり、の乗降人員はとを合算した乗降人員よりも多く、運行頻度も多い。 そのため、都心側のターミナル駅である日暮里駅手前よりも、郊外側のターミナル駅である京成船橋駅手前のほうがラッシュ時の輸送人員が多く、混雑率も高い。 しかし1996年にが開業して以西が競合路線となった後は、最混雑区間のピーク1時間あたりの輸送人員が3万人を割り込んだ。 その後はの動きが強まり、輸送人員の減少と混雑率の低下が続いている。 2018年度の一日平均通過人員は青砥 - 京成高砂間が263,706人であり、この区間が京成線全線で最も通過人員が多い。 青砥駅で押上線に、京成高砂駅で北総線に分岐するが、それぞれの路線に直通しているためこの区間は運行密度が非常に高く、京成線唯一の複々線区間となっている。 次いで一日平均通過人員が多いのは京成津田沼 - 京成大久保間であり、203,720人である。 京成船橋 - 京成津田沼間の各駅は一日平均通過人員が19万人を越えており、都心に最も近い京成上野 - 青砥間の各駅よりも通過人員は多い。 日暮里 - 青砥間の一日平均通過人員は15万人程度、京成高砂 - 京成八幡間の一日平均通過人員は13万人程度、京成八幡 - 京成船橋間の一日平均通過人員は14万人程度でそれぞれ横ばいである。 京成津田沼駅より東側に進むにつれて一日平均通過人員は漸減するが、成田空港のアクセス路線であることから郊外側も一定の需要があり、公津の杜 - 京成成田間の一日平均通過人員は55,630人である。 京成上野駅から60km程度離れているが、この区間の通過人員は京成上野 - 日暮里間の50,819人よりも多い。 最も一日平均通過人員が少ないのは空港第2ビル - 成田空港間で、14,396人である。 近年の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 「 京成」を冠する駅名(15駅)は、原則として「京成」を省いた駅名(略称)で案内している(アナウンス・・ ・・方面表記・運賃表 )。 かつてはにおいても「京成」の省略を行っていたが、2019年頃よりこれを取りやめた。 :駅名標を除く• :駅名標を除く• :駅名標を除く。 2019年9月以前の路線図においても「京成」が省略されていなかった。 のとの混同を避けるためである。 :2019年に設置された駅名標を除く。 :「臼井」ではなく「うすい」とになる。 ・(しろい)との混同を避ける目的を兼ねる。 シティライナーは2016年3月現在、定期列車としての運行はない。 普通列車は各駅に停車する(表では省略)。 1 2. 3 3. 9 4. 6 5. 4 7. 5 8. 1 9. 6 11. 2 12. 8 14. 2 15. 7 16. 9 17. 9 18. 9 19. 0 20. 7 20. 8 21. 6 22. 4 23. 5 25. 3 26. 8 27. 0 28. 5 29. 4 32. 9 34. 6 36. 1 38. 6 40. 8 42. 1 43. 5 45. 3 51. 0 53. 0 55. 0 57. 6 58. 6 61. 1 68. 0 69. (はくぶつかんどうぶつえんえき、現・京成上野 - 日暮里間、1933年12月10日開業、1997年4月1日休止、2004年4月1日廃止)• (かんえいじさかえき、現・京成上野 - 日暮里間、1933年12月10日開業、1943年10月1日休止、1946年11月1日再開、1947年8月21日休止、1953年2月23日廃止)• (どうかんやまどおりえき、現・日暮里 - 新三河島間、1934年4月18日開業、1943年10月1日休止、1947年2月28日廃止)• (にしせんじゅえき、現・町屋 - 千住大橋間、1935年6月1日開業、1943年10月1日休止、1947年2月28日廃止)• 八幡駅(やわたえき、現・京成八幡 - 鬼越間、1915年11月3日開業、1942年8月15日廃止。 現・京成八幡駅は新八幡駅が1942年11月1日に改称したもの)• 成田花咲町駅(なりたはなさきちょうえき、現・公津の杜 - 京成成田間、1926年12月24日開業、1930年4月25日廃止) 主要駅の乗降客数 [ ] 乗降客数は2014年度のものである。 ()内の数字は京成線全線での順位。 京成上野 43,363人(9)• 日暮里 95,301人(3)• 青砥 46,501人(7)• 京成高砂 96,669人(2、北総線との連絡人員を含む)• 京成八幡 32,222人(12)• 京成船橋 92,109人(4)• 京成津田沼 56,213人(5、新京成線との連絡人員を含む)• 八千代台 45,792人(8)• 勝田台 53,652人(6)• 京成佐倉 19,003人(26)• 京成成田 34,871人(11)• 空港第2ビル 21,111人(22)• 成田空港 21,432人(19) 沿線風景 [ ] 京成上野 - 青砥 [ ] 青砥駅 - 京成高砂駅間の複々線区間 地下駅のを出ると、の下を左右にカーブしながら進む。 途中、、の跡がある。 34のでを抜けると左に急カーブしながら、、()・、を跨いでに入る、下り線はそのまま高架ホームにつながる。 同駅は(成田空港線)対応の改築工事が終了し、下り線ホームが高架化された。 上り線は日暮里駅地上ホームから急勾配を上ってJR線を乗り越しトンネルに入る。 日暮里を出ると右カーブしながら常磐線を乗り越し、次いで上のの下をくぐり、高架を進む。 途中、でを、でを跨ぐ。 を渡り、に入った先で一旦地上に降りるが、再び高架となって()上のとなる。 橋は南に200m程の所にある。 高架の常磐線、、を、さらに高い高架で越え、左手にが並行するとで、細い道を挟んで東武のがある。 東武伊勢崎線を乗り越し、を鉄橋で越えてに入り、をくぐると右カーブし、の先で地上に降りるが、の先で再び高架になり、()を越える。 方面は3階、・方面は2階である。 青砥 - 京成八幡 [ ] を出ると、次の京成高砂駅までである。 朝夕は、ほぼ同じタイミングで駅を出て、同じタイミングで駅に着くため、列車の隣を常にもう片方の列車が走る。 この列車は、青砥駅で上野方面と、方面に分かれる。 両駅間は、かつて複線であった時代でも上り方向に1時間当り最大36本もの列車が運行された高密度運転区間である。 南側に引き上げ線を見つつ、上下線の高低差を縮小しながらを越え、さらに4線が並んだあたりでを越える。 ここまでの区間は、高架が高い位置なので非常に見晴らしがよい。 ホームは狭い2面4線という構造である。 ホーム成田寄りはすぐ横が踏切で、としてからも名指しされて問題視されている。 なお、当面の対策として金町線のみ高架化された。 金町線が左に逸れ、進路を南東に取りつつ高砂車庫沿いに進むと北総線が高架となってこちらも左に逸れていく。 ここからまでは直線となる。 を越えるとに入り、京成小岩駅に入る。 緩いカーブを過ぎて、次の手前で高架となりを渡るとに入る。 このカーブ付近でJRが接近し、ここから並行区間に入る。 千葉県に入ると、沿線には下総台地と低地、そしてその間の崖面が多くなる。 の先で地上に戻り、内の住宅密集地を走る。 左カーブ上にあるは2面4線の待避駅である。 JRは南側、()を渡った先にある。 これより先、暫く千葉街道とJR総武本線とほぼ並行して東へ進む。 次の付近では、地下にとが通っている。 そのままほぼ直線で進むととなる。 島式ホーム1本の駅で、南側に隣接してのがある。 京成八幡 - 京成船橋 [ ] 八幡駅を出て船橋までは、カーブと高低差の多い線形となる。 を渡ると少し先にがあり、その先で()と平面交差するが、ここを含めて付近の道路は立体交差化されていない。 手前でに入る。 次のは、2面4線の駅で、周辺施設として、が北に1. 5km程の所にある。 競馬場に通じる道路をくぐり、下り勾配の先がであるが、JRからは500m程離れている。 駅の東でが高い高架橋で跨いでいる。 を過ぎると地面が低くなって盛土の上を進み、船橋市街との高架橋を遠くに望みつつ、右カーブしながらJRを越える。 左カーブしながら高架を駆け上がり、のに着く。 シティライナーの停車駅で、乗降客数も多い京成を代表する駅の一つである。 京成船橋 - 京成津田沼 [ ] 京成船橋駅を出ると、に接近したのち、右カーブで南に一旦進路をとる。 付近で、今度は左カーブし、()に沿って走るようになる。 高架が終わり地上に降りると、2面4線のである。 ()の陸橋をくぐってに入り、付近で左カーブすると進路がほぼ真東となる。 上下線の間に折り返し線が割り込み、左からが合流し、踏切を越えるとと分岐するとなる。 と併せると3面6線の規模である。 京成津田沼 - 八千代台 [ ] 京成津田沼駅を出ると千葉線が左に分かれ、本線は右手にを見ながら右、続いて大きく左にカーブを描き、内陸部へと入っていく。 先ほど分かれた千葉線やJR総武線の線路をくぐると掘割による線路が続く。 やがて右にカーブを切りに着く。 京成大久保駅からまではほぼ直線であり、その後は左カーブとその先しばしの間内(作新台、長作町)を走るが、まもなく内に入り、に着く。 八千代台は日本で最初に住宅団地ができた場所として知られ、現在でも同市の中で最も人口密度が高い密集した住宅地が広がる。 ここから付近までは千葉市との境界付近を走行する。 八千代台 - 京成佐倉 [ ] 八千代台駅を出ると住宅街の中を走り、大きく右にカーブするとに到着。 ここはかつて八千代市の中心部であった場所である。 大和田駅を出ると付近まではとほぼ併走するようになる。 を渡り、その後をくぐり、に到着。 勝田台駅は周辺に多くの中学校や高等学校があり、またと連絡しているために非常に乗降客数の多い駅である。 勝田台駅を出ると、すぐにに入る。 直線が続いたあと、左にカーブを描き、その途中にあるに到着。 志津駅を出た後は小さいS字カーブを描いてに到着する。 ユーカリが丘駅との間は掘割の線路がほぼ半分を占めるが、両駅のちょうど中間付近には田園地帯が広がっている。 臼井の住宅街の間に入ると左にカーブを描き、まもなくに到着。 京成臼井駅を出て、始発列車のための待避線の先にあるかつての旧駅跡からは、しばらく国道296号と併走する。 国道と分かれると、左側にはが見えるようになり、田園地帯も広がっている。 その後右に急カーブを描き、を中心とした「佐倉ふるさと広場」の横を通過する。 急カーブを超えると左側の田園地帯とは対照的に、右側には住宅街が広がる。 広いロータリーのような広場が見えるが、ここはかつて「江原台駅(仮称)」が建設される予定だった場所(詳細はの項目を参照)。 その後左にカーブを曲がると佐倉市の中心街が見え、に到着する。 京成佐倉 - 京成成田 [ ] 京成佐倉駅を出ると右手に住宅街、左手にゴルフ場を見ながら走る。 左にカーブし、を過ぎると再び田園地帯となる。 その先を大きく左にカーブすると酒々井町中心部に入り、に到着する。 京成酒々井駅を出ると再び田園地帯となり、右手に京成電鉄の車両基地である宗吾基地が見えてくるとである。 宗吾参道駅を出てトンネルをくぐるとニュータウンの中の掘割の中を進む。 次のはホームの半分がトンネルとなっている。 トンネルを抜け、しばらく続く掘割が終わるとJR成田線をくぐりながら大きく左右にカーブする。 右手に成田市役所が見えてくると間もなくに到着する。 へは同駅西口から表参道につながっている。 京成成田 - 成田空港 [ ] を出るとしばらくは高架線で、の市街地を過ぎると掘割による線路となる。 市街地と成田空港の間は森林・農村地帯が続く。 空港が近づくとを通過して左へ分岐する。 直進方向はである。 これはもともと東成田線が先に建設されたためである。 分岐してまもなく地下のトンネルに入り、と合流、と併走しに着く。 空港第2ビル駅から終着のまでは単線区間となり成田空港駅に到着する。 構想・計画 [ ] 青砥駅 - 江戸川駅間において、東京都は(鉄道高架化)の事業化を検討している。 では、京成成田駅 - 東成田駅・空港第2ビル駅間の同市吉倉地区に開院したと共に、(仮称)吉倉駅の新設を含めたまちづくり事業構想がある。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 京成電鉄の京成高砂 - 成田空港間には、当路線のほかにを経由する(成田スカイアクセス線)がある。 例 - - 京成成田駅あるいは成田駅の定期乗車券の場合、JR単独の方が安価である。 参考に有料列車以外の最速達列車を利用した場合の所要時間を記す。 成田空港駅 - 成田駅 JR線11分、京成線9分 成田駅 - 船橋駅 JR線46分、京成線34分 勝田台駅 - 西船橋駅・京成西船駅 東葉高速線21分、京成線22分 船橋駅 - 本八幡駅・京成八幡駅 JR線8分、京成線6分 船橋駅 - 日暮里駅 JR線39分、京成線24分• 3050形は新造時は全車がアクセス線使用を前提とした独自の外観デザインをもっていたが、2019年に本線経由との誤乗防止を図る目的で3100形と類似したデザインへの変更が行われた。 しかしながら、3051編成のみ通常の京成色への変更がなされ、以降アクセス特急の運用には基本的に入らなくなった。 中山競馬場でのGI開催は、・・と、2017年にGIIから昇格したの4つ。 同年9月に前にが開店。 当時のシンボルマークを急行表示板にあしらった。 ただしについては、2019年9月頃より行き先表示の「京成」の省略を取りやめた。 日中時間帯は通過。 上野駅またはまで山手線を利用して乗り換えとなる。 出典 [ ]• 178• 2015年6月1日, at the. 『』1970年8月号• 京成時刻表vol. 25 97ページ、165ページ• 『』第49巻第3号、、1999年3月、 83頁。 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1』新潮社、2008年、p. - 朝日新聞デジタル、2013年10月16日8時50分• 京成電鉄株式会社 2014年6月7日. 2014年6月10日閲覧。 国土交通省. 4 2019年7月18日. 2019年7月20日閲覧。 関東交通広告協議会. 2019年11月11日閲覧。 「都市交通年報」各年度版• - 千葉県• 神奈川県 1987年9月. 2015年1月13日時点のよりアーカイブ。 2015年5月10日閲覧。 - 京成電鉄• - 葛飾区• 建設工業新聞. 2018年10月1日. 2018年10月1日閲覧。 2019年12月26日. 2019年12月26日閲覧。 建設通信新聞Digital. 日刊建設通信新聞社 2020年4月13日. 2020年4月22日閲覧。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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京成押上線

京成 線

路線データ [ ]• 管轄:新京成電鉄()• 路線距離():26. :1,435• 駅数:24駅(起終点駅含む)• 区間:新津田沼駅 - 京成津田沼駅間• 区間:松戸駅 - 新津田沼駅間• 区間:全線(1,500)• :自動閉塞式• 保安装置• 鎌ヶ谷大仏駅 - 薬園台駅間:• 松戸駅 - 鎌ヶ谷大仏駅、薬園台駅 - 京成津田沼駅間:• 薬園台駅 - くぬぎ山駅間:1号型ATS• 京成津田沼駅 - 薬園台駅、くぬぎ山駅 - 松戸駅間:C-ATS• 所在駅:• 最小曲線半径:139m(新津田沼駅 - 京成津田沼駅間) 運行形態 [ ] 全て(各駅停車)で、京成津田沼駅 - 松戸駅間の全線通し運転を基本とする。 朝晩に(本社)のあるくぬぎ山駅発着の列車があり、朝には新津田沼駅折り返し列車がある。 かつてはラッシュ時を中心に京成津田沼駅 - 鎌ヶ谷大仏駅間や京成津田沼駅 - 高根公団駅間の区間列車も設定されていた。 朝のラッシュ時は京成津田沼駅 - 新津田沼駅間がのため9分間隔で、他の区間が4分半間隔、夕方のラッシュ時は8分間隔で運転しており、日中でも10分間隔で運転と郊外路線ながら本数が多い。 日中に関しては一部を除き接続する直通路線よりも本数が多いほどである。 これは駅間距離の短さも手伝って日中の生活需要も大きいためである。 一方、長い区間を乗車する旅客が少ないことなどから、急行運転を行う予定はない。 車両については「」を参照のこと。 京成千葉線への直通運転 [ ] 全通したに実施したものの、同年中に取りやめて以来長らく実施してこなかったへのを再開した。 の()発生後しばらく休止されていたが、同年再開されている。 乗り入れは以外の新京成電鉄の車両により行われていて、全て6両で運行されている。 運行区間は全列車とも松戸駅 - 京成津田沼駅 - 間で、新京成線や京成千葉線の途中駅止まりの列車は運行されていない。 将来は車による相互乗り入れや運行時間の拡大、への乗り入れ区間拡大も検討している。 直通運転はラッシュ時には行っていない。 改正のダイヤでは、松戸駅発車時刻で平日は午前8時42分から午後3時40分まで、土曜・休日は午前6時20分から午後4時40分まで運転している。 なおこの時間帯は、一部を除いて京成津田沼駅始発・終着の新京成線の列車が同駅の6番線から発着するところ、同駅始発・終着の京成千葉線の千葉中央・方面の列車の多くは同一ホーム上の5番線から発着し、乗り換えの便宜を図っている。 他方、直通運転が行われていない時間帯は、5・6番線とも新京成線の列車の発着に使用されることが多く、京成千葉線の列車は2番線に到着し、3・4番線から発車する。 使用されるは全車英字入りとなっており、新京成線内では行先のみ、京成千葉線内では「普通」表示の付いた行先表示となる。 表示変更は京成津田沼駅での停車中に行われる。 乗り入れ再開時には、沿線から方面への乗客誘致をアピールするため、乗り入れ対応編成の一部に「Chiba」をあしらったステッカーを車体に貼付けするとともに、車内ドア上部には「matsudo to CHIBA 06. 10」(後に単に「matsudo to CHIBA」に変わった)というも添えられた。 歴史 [ ] (2007年1月8日) 本路線大半の区間は旧が用に敷設した軌道敷(松戸線)であり、後のへの払い下げを経て民間利用されているものである。 第二次世界大戦での後、鉄道連隊は解散した。 鉄道連隊演習線のレールはに払い下げられたが、軌道敷はそのまま残されていたことから、西武鉄道と京成電鉄は早くからこれに着目していた。 鉄道連隊の旧軍人を入社させた両社は(GHQ)に鉄道敷設のための使用許可を働きかけた。 最終的に陳情合戦は営業基盤を千葉県内に持つ京成電鉄が制し、3月に軌道敷使用が認可された(正式な払下げは)。 この背景には、京成電鉄に入社した旧鉄道連隊の椎名三郎陸軍大尉とその元上官だった陸軍少将の存在が大きかったといわれている。 鎌田少将は以前にに留学経験があり、その際に上級生に元帥がいたことから戦後はGHQの首席接待委員となり、いわゆる鎌田機関を組織。 「鎌田を通さなければマッカーサーには会えない」と言われるほどの影響力を持っていたという。 京成電鉄は同年10月に子会社として新京成電鉄を設立した。 1947年1月に開始された工事は、新たな資材の入手が困難であったため、県外に足を延ばして規格の異なる古資材をかき集めて行われた。 開業直前にGHQが旧軍用線の復活を懸念し一時は開業が危ぶまれたが、新京成電鉄幹部の説得により、予定通り12月27日に - 薬園台駅間を軌間1067 mmで開業している。 演習線は規定の線路延長(45 )を確保することと 、様々な状況での路線敷設演習のために急曲線が多数介在する屈曲で、旅客線開業時に可能な限り直線化を図るも現在なお良好な線形でない。 移動距離に比して道程が長く、 - 間は直線距離約16 kmに対し道程26. 5 kmである。 演習線軌間は600 mmと極端に 狭隘 ( きょうあい )だったが京成電鉄払い下げ時に1067 mm(36)へされる。 当時のでは「地方鉄道ノ軌間ハ1. 067メートルトス特別ノ場合ニ在リテハ1. 435メートル又ハ0. 762メートルト為スコトヲ得」とあり、軌間1372 mmでの建設が認められなかったため、親会社の京成電鉄準拠の軌間1372 mmは許可されず、1067 mmに設定している。 払い下げ以後、新津田沼側から延伸し 、建設資金不足から一時期は松戸駅までの全通を諦めて - 松戸駅間にバスを運行するも、の支援で敷設工事を再開して松戸駅まで全通 する。 なお、松戸駅 - 上本郷駅間は旧軍用線ではなく、全くの新線であるため、台地を切り崩す工事が行われた。 切り崩しで生じた残土を利用して平潟土地整理事業がなされた。 開業当初、開発が進んでいない沿線付近は雨や解けでぬかるむ道路を駅まで歩き革靴やへ履き替える乗客が多く、松戸駅延伸開業時は各駅に設置もみられた。 全通は地域の人々から暖かく迎えられ、数々の恩恵を受け、近所のからや、夕飯のおかず等の差し入れが度々あったという。 古くは松戸新田駅やみのり台駅などの5駅が小さな駅舎で一人勤務のワンマンボックス駅(一帖未満の小さな建物)だった。 10月、全線の軌間を1372 mmへ、8月に1435 mmへする。 親会社の京成電鉄よりも早期の改軌で、京成電鉄の改軌予行練習も意図したと推察されている。 従前に松戸 - 間、間も免許取得して松戸市内で路線用地を買収するも、や周辺の反対や常磐線の、が計画された影響もあり、計画が頓挫してのまま頃に免許失効している。 買収した路線予定地のうち仮称三矢小台駅はと折り返し場へ、その他の多くが住宅地 へ転用されている。 までの延伸計画は、の延伸免許取得による周辺地域での路線バス運行など、営業機会損失を阻止する意図もあった。 急激な乗客増による化が行われた。 演習線軌道敷の大半は複線分あったので工事は比較的容易に進められ、1975年2月に新津田沼駅 - 京成津田沼駅間を除く全線が複線化された。 新津田沼駅は現位置へ至るまで駅舎位置や路線が変遷しており、以前の同駅と京成津田沼駅への2路線に分かれていたものを現在は急カーブで1線にまとめている。 詳細は「」を参照。 新津田沼駅 - 京成津田沼駅間の所在地は頃まで京成電鉄第二工場が存在し、京成線改軌期間中に、京成電鉄所属構内の引き込み線扱いとして先行改軌された新京成線1435 mmと京成線1372 mmの軌間を移設してレール4本を敷設している。 京成電鉄第二工場の出入構は主に深夜に行われた。 京成電鉄の車両工場がへ移転後、に新京成電鉄へ譲渡され、0は現在も新津田沼駅に設置されている。 は現在設定されていないが、かつて同線内各駅停車で京成千葉線方面へ急行「 」を運行し、なども使用した始発の同名列車も運行していた。 年表 [ ]• (7年)頃 - 一部を除き完成。 (4年)頃 - 陸軍鉄道連隊演習線として津田沼 - 松戸間26. 2km(当時)のうち付近まで完成。 (昭和7年)頃 - 松戸まで開通(現在の松戸駅の位置ではなく松戸中央公園付近)。 地元住民を無賃で乗車させたこともあった。 第二次世界大戦中 - レール等資材が転用され、軌道敷は放置。 (昭和21年)• 3月 - 京成電鉄に軌道敷の使用認可。 10月 - 京成電鉄が子会社として新京成電鉄設立。 (昭和22年) - 新京成電鉄新京成線として(初代) - 間 2. 5km 開業 (1,067mm軌間)。 (昭和23年)• - 薬園台駅 - 間 4. 1km 開業。 - 、開業。 - 開業。 (昭和24年)• - 滝不動 - 間 3. 1km 開業。 - 開業。 - 鎌ヶ谷大仏駅 - 鎌ヶ谷初富駅(現:)間 2. 1km 開業(薬園台駅 - 鎌ヶ谷初富駅間全通 )。 (昭和28年)• - 全線1,372mmに改軌。 新津田沼駅から京成駅へ乗込。 - 京成津田沼駅 - 新津田沼駅(二代目) - 前原駅間 2. 3km 開業。 新津田沼駅(初代) - 前原駅間 1. 2km 廃止。 京成第二工場への構内側線を利用。 (昭和30年)• - 鎌ヶ谷初富駅を初富駅に改称。 - 初富駅 - 間 13. 3km 開業 、新京成線全線(単線)開業。 への直通運転実施。 - 京成千葉線への直通運転廃止。 (昭和34年) - 全線1,435mmに改軌。 (昭和35年) - 金ヶ作駅をに改称。 (昭和36年)• - 開業。 - 新津田沼駅(三代目) - 前原駅間(1. 1km:現在のより前原寄り300m)開業。 新津田沼駅(二代目)はに改称。 - - 松戸駅間複線化。 (昭和37年) - - 八柱駅間複線化。 (昭和38年) - 前原駅 - 間複線化。 (昭和39年) - 高根公団駅 - 鎌ヶ谷大仏駅間複線化。 (昭和40年) - くぬぎ山駅 - 五香駅間複線化。 (昭和41年) - 開業。 (昭和43年)• - 新津田沼駅(四代目)現在地に移転。 京成津田沼駅 - 新津田沼駅(四代目)間(移転分を含め1. 5km)開業。 京成津田沼駅 - 藤崎台駅 - 前原駅間 2. 3km 廃止。 - 新津田沼駅 - 前原駅間複線化。 (昭和50年)• - 鎌ヶ谷大仏駅 - くぬぎ山駅間複線化(全線複線化)。 - 全ダイヤ6両編成運転開始。 (昭和54年) - (当時)と開始。 (昭和57年) - 4両を2本連結した8両編成の運転を開始。 (昭和59年) - 住宅・都市整備公団線(当時)と相互直通運転開始。 (昭和62年)• 4月1日 - 京成津田沼駅 - 旧京成第二工場( - 新津田沼駅)間構内側線 1. 2km を京成電鉄より譲受。 全線が新京成の所属となる。 11月1日 - 運行管理システムを電算化。 (4年) - 開業。 (当時)との相互直通運転廃止。 土曜ダイヤを設定。 (平成16年) - 内のため一部( - 初富駅間)に切り替え。 (平成18年) - 京成千葉線への再開。 これによって千葉方面と・松戸方面が乗り換えることなく結ばれる。 (平成23年)• - ()が発生。 全線運休となる。 - 大震災による発電所の停止に伴う電力供給 逼迫 ( ひっぱく )のため、がを実施。 これに伴い、この日から一部区間でが実施され、京成千葉線への直通運転が休止される。 - 節電ダイヤで中止されていた京成千葉線への直通運転が一部再開される。 - 一部区間での徐行運転を終了し、新津田沼駅 - 京成津田沼駅間の運転および京成千葉線への直通運転を全面的に再開する。 (平成25年)• - 鎌ケ谷市内連続立体交差事業のため初富駅付近の上り線の線路を仮線に切り替え。 - 全営業車両がになる。 (平成26年)• - 鎌ケ谷市内連続立体交差事業のため北初富駅付近の線路を仮線に切り替え。 2月23日 - 導入。 - 鎌ケ谷市内連続立体交差事業のため初富駅付近の下り線の線路を仮線に切り替え。 - 全営業車両が6両編成となる。 - 前原駅 - 京成津田沼駅間でC-ATSの使用を開始。 (平成29年) - 鎌ヶ谷大仏駅 - くぬぎ山駅間の下り線が高架化。 (元年)• - 鎌ヶ谷大仏駅 - くぬぎ山駅間の上り線が高架化 (同区間全線の高架化が完了 )。 - が営業運転開始。 今後の予定 [ ]• C-ATSを全線に拡大する予定。 駅一覧 [ ]• 全駅に所在。 は2014年2月23日から導入。 「SL」とは「Shinkeisei Line」の略。 その他の時間は。 遠隔監視システム導入。 各駅とも上の「特定旅客施設」に該当する一日5,000人以上の乗降人員がある。 駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 駅員 接続路線 所在地 SL01 - 0. 7 1. 7 2. 6 3. 8 3. 8 5. 8 7. 3 8. 9 9. 8 11. 7 12. 2 13. 1 15. 9 16. 8 17. 4 18. 0 19. 6 20. 9 21. 7 21. 8 22. 4 23. 4 25. 2 26. (前原駅 - 京成津田沼駅間 1953年11月1日開業、1968年5月14日廃止) 沿線風景 [ ] 松戸駅 - 新鎌ヶ谷駅間 [ ] を出発すると右側に大きくカーブをし、を登る緩やかな勾配にさしかかる。 を超え、勾配を登り終えるとがあった へと到着する。 松戸駅 - 上本郷駅間は新たに建設された区間であり、切り通しの残土は松戸駅の向こう側である平潟の土地整理に利用された。 元々の跡とは上本郷駅手前で合流する。 次の と は駅間距離が短く、しばらく住宅地の中を走る。 との乗換駅である を過ぎると、左手にやを見ながら右にカーブし、 へと至る。 この周辺は新京成線の開通後にとして化した街である。 次の を過ぎるとカーブが連続するが続き、併走する(一部区間はとの重複区間)とはこの先で4回も交差をすることになる。 を出るとの横を走り、新京成電鉄本社のある へと至る。 沿線は園が多く、シーズンになると観光農園として賑わっている。 線路は東に進路を変え、を右手に見ながら・の高架をくぐった後高架線となり へ至る。 この先、 までは北総線・成田スカイアクセス線と併走して走る。 新鎌ヶ谷駅 - 京成津田沼駅間 [ ] 新鎌ヶ谷駅を出ると南へ大きく進路を変え、 へと至る。 この区間はの街の開発にあわせ、が行われた。 次の はの車庫に隣接しており、駅の近くには駅名の由来にもなったがある。 しばらく直線区間が続くが、 を過ぎると再びカーブの多い線形となる。 から にかけては沿線に畑やなどの田園風景が広がるが、次の を過ぎると再び住宅地の中を走る。 にかけての周辺には(現在のの前身)により開発されたが広がり、「高根公団」駅の駅名の由来にもなっている。 やがて線路はとの乗換駅である へと到着する。 周辺にはが広がり、また学校が多く朝夕は学生で賑わっている。 北習志野駅を過ぎると右にカーブし、すぐに へと到着する。 と称するものの、駅はではなくに位置している。 次の 付近は直線区間が続くが、 を過ぎるとと交差し、線路はを左に見ながら大きくカーブして へと至る。 周辺はとなっているが、JRのとは400m程離れており徒歩連絡となる。 これから先は区間となり、大きく逆S字カーブを描きながらと合流し、終点・ へと到着する。 車両 [ ] 自社車両 [ ] 現用車両 [ ]• - 営業運転開始。 新京成線の近年の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。 輸送人員は年度での値。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 年度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 特記事項 通勤定期 通学定期 定期外 合計 1975年(昭和50年) 4397. 7 1391. 5 1816. 5 7605. 7 1976年(昭和51年) 1977年(昭和52年) 1978年(昭和53年) 4660. 2 1458. 2 2190. 9 8309. 4 北総開発鉄道北総線(当時)と相互直通運転開始 1979年(昭和54年) 4897. 3 1467. 5 2277. 7 8642. 6 1980年(昭和55年) 5083. 3 1548. 2 2360. 4 8992. 0 1981年(昭和56年) 1982年(昭和57年) 1983年(昭和58年) 住宅・都市整備公団線(当時)と相互直通運転開始 1984年(昭和59年) 1985年(昭和60年) 5409. 5 1716. 8 2508. 3 9634. 6 1986年(昭和61年) 5535. 5 1794. 9 2591. 2 9921. 6 1987年(昭和62年) 5693. 6 1894. 3 2647. 4 10235. 3 1988年(昭和63年) 5987. 7 1981. 7 2791. 8 10761. 2 1989年(平成元年) 6123. 6 2014. 4 2901. 6 11039. 6 1990年(平成2年) 6324. 5 2140. 1 3050. 7 11515. 3 1991年(平成3年) 6087. 5 2059. 1 3158. 2 11304. 8 1992年(平成4年) 6116. 9 2086. 7 3265. 4 11469. 0 新鎌ヶ谷駅開業 北総公団線(当時)との相互運転廃止 1993年(平成5年) 6125. 7 2065. 2 3411. 7 11602. 6 1994年(平成6年) 6097. 2 2025. 4 3661. 4 11784. 0 1995年(平成7年) 6087. 9 2001. 3 3651. 5 11740. 7 1996年(平成8年) 5753. 3 1780. 0 3578. 6 11111. 9 1997年(平成9年) 5589. 7 1626. 6 3472. 5 10688. 8 1998年(平成10年) 5450. 9 1540. 3 3420. 5 10411. 7 1999年(平成11年) 5319. 8 1485. 9 3427. 2 10232. 9 2000年(平成12年) 5210. 9 1412. 4 3430. 9 10054. 2 2001年(平成13年) 5124. 7 1355. 4 3479. 5 9959. 6 2002年(平成14年) 4990. 4 1327. 2 3507. 3 9824. 9 2003年(平成15年) 4971. 8 1318. 1 3603. 1 9893. 0 2004年(平成16年) 2005年(平成17年) 2006年(平成18年) 京成千葉線と直通運転開始 2007年(平成19年) 2008年(平成20年) 2009年(平成21年) 5143. 1 1232. 6 3733. 0 10108. 6 2010年(平成22年) 2011年(平成23年) 東日本大震災発生 2012年(平成24年) 5074. 1 1328. 7 3738. 0 10140. 8 2013年(平成25年) 5171. 1 1374. 6 3763. 3 10309. 0 2014年(平成26年) 5107. 7 1326. 4 3714. 4 10191. 5 全営業車両が6両編成化 2015年(平成27年) 5218. 4 1350. 5 3764. 7 10333. 6 2016年(平成28年) 5237. 8 1356. 2 3736. 7 10330. 7 収入実績 [ ] 新京成線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。 数値は年度での値。 表中、最高値を赤色で、最低値を青色で表記している。 2-4 2012年7月. 2017年6月7日閲覧。 - 、2017年6月6日閲覧。 PRODUCTS INFORMATION VOL. 36-37. 2018年10月10日閲覧。 『日本史A』、2002年、 [ ]。 223. , p. 224. 「」『CiaO』Vol. 120、新京成電鉄、2015年5月20日、 10頁。 , p. 225. 草町義和『鉄道未完成路線を往く 生まれなかった幻の鉄道路線』、2001年、130-132頁。 『』、、1983年2月、 111頁。 『』 朝日新聞社 : p. 朝刊 27. 1987年10月30日• 交通新聞社 : p. 1992年6月29日• 交通新聞社 : p. 1992年7月4日• プレスリリース , 新京成電鉄, 2019年10月11日 , 2019年10月11日閲覧。 鉄道コム 2019年12月9日. 2019年12月28日閲覧。 ツイート. より 2019年12月27日閲覧。 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』3号 関東1、、2008年、p. - 習志野市• より算出。 広報資料・プレスリリースなど一次資料 [ ]• - 北総鉄道、2018年10月10日閲覧• - 東葉高速鉄道、2018年10月10日閲覧• よくある質問. 新京成電鉄. 2017年3月5日閲覧。 新京成電鉄 2013年2月4日. 2017年3月5日閲覧。 新京成電鉄 2014年2月3日. 2017年3月5日閲覧。 新京成電鉄 2014年12月8日. 2017年1月19日閲覧。 - 千葉県県土整備部道路整備課、2018年11月26日閲覧。 - 新京成電鉄(2019年11月20日)2020年1月7日閲覧。 参考文献 [ ]• 『ちばの鉄道一世紀』、1996年。 白土貞夫 編著『新京成電鉄 駅と電車の半世紀』、2012年。 関連項目 [ ]•

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