国境 なき 医師 団。 国境なき医師団からボールペンが送付されてきた 郵便物(DM)送付にはお金もかかるのに。。不思議|気楽なアーリーリタイアメントを目指して

国境なき医師団

国境 なき 医師 団

名前:中村哲 なかむらてつ 出身地:福岡県福岡市 生年月日:1946年9月15日 73歳没 最終学歴:九州大学医学部 職業:医師 所属:ペルシャワール会 趣味:登山、昆虫採集 ・九州大学医学部卒業後、国内病院に勤務 ・1984年 パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任 ペシャワールに赴任したのは38歳の時でした。 それから20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事していました。 若い頃から「日本の医療過疎地域のために医療に従事する」意思が強かった中村哲医師。 医師として働くうちに「パキスタンやアフガニスタンの医者のいない地域で診療したい」と思うようになりました。 また、医療活動をしていくうちに、医療による支援より、まずは生きることを優先させることが現地の住民を助ける手段になりうることに気付き、用水路の建設や農地復興に尽力されました。 こうして、医療活動もしつつ、農業事業や灌漑 かんがい 事業なども活発に活動し始めました。 ・2019年10月7日 アフガニスタンでの長年の活動が認められ、 アフガニスタンの名誉市民権を授与される 農業用水の用水路の建設を行い、 1万6500ヘクタールの畑をよみがえらせました。 その活動を、アフガニスタンの全土に拡大させていこうと考え、 現地の人々に技術指導を行う研修所も2年前から作って指導していたといいます。 生前、中村哲医師は 「あと20年やる。 そのための体制を取っていく」 とペルシャワール会の仲間に言っていたそうです。 生前の中村哲医師の映像です。 アフガニスタン東部ナンガルハル州で医師の中村哲さんが銃撃され、死亡したことを受け、AP通信は生前のインタビュー映像を配信しました。 中村哲医師は誇りでした。 私の周りにも知らない方がいたので、 彼の功績が一目で分かる拾い画像載せます。 住民の要望によりモスク(イスラム教の礼拝堂)やマドラサ(イスラム教の教育施設)を建設。 ・2018年 アフガニスタンの国家勲章を受章 ペシャワール会と国境なき医師団の違い 貧困国で医療活動をする『国境なき医師団』と中村哲医師の『ペシャワール会』はどちらも非政府組織ですが、活動内容などはどう違うのでしょうか? 簡単にいうと、 『国境なき医師団』は世界最大の国際的緊急医療団体でマスコミの取材が入れるような地域で活動し、マスコミの取材が入れない地域では活動しません。 一方 『ペシャワール会』は中村哲医師を支援するために結成された団体でマスコミなども入れないような困難な地域て活動します。 ペシャワール会とは 1983年9月に中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO NPO 団体 活動内容は医療活動以外にも農業事業、灌漑 かんがい 事業、PMS方式取水技術の普及活動め行っている 現地の水利農業関係職員は 約100人、 作業員約300人 2017年5月のデータ ペシャワール会と国境なき医師団の基本情報です。 項目 ペシャワール会 国境なき医師団 本部 不明 パリ・ブリュッセル・スイス 活動地域 パキスタン北西辺境州・アフガニスタン北東部 アフリカ・アジア・南米 スタッフ数 300人 現地スタッフ 47,000人 2018年時点 活動内容 医療事業・水源確保事業・農業計画 医療活動、清潔な水の確保、食糧・生活用品など緊急援助物資の配給、病院の再建や運営支援、病気にかかるリスクを減らすための健康教育 活動内容は国境なき医師団は主に医療活動ですが、ペシャワール会は水源確保事業・農業計画を主にされているようですね! 中村哲医師の経歴や功績!まとめ 中村哲医師は38歳まで、日本の病院で働いてました。 医師として働くうちに「パキスタンやアフガニスタンの医者のいない地域で診療したい」と思うようになり、ペシャワールに赴任して20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事していました。 医療事業中心でしたが、医療による支援より、まずは生きることを優先させることが現地の住民を助ける手段になりうることに気付き、用水路の建設や農地復興の活動も始めました。 現地の住民をスタッフとして技術指導なども行っていました。 住民が今何を必要としているか耳を傾け行動してきた中村哲医師。 とても偉大な方でした。 最後まで読んで下さり有難うございます!.

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「国境なき医師団」になろう! (講談社現代新書)

国境 なき 医師 団

国境なき医師団の給料・年収補足 国境なき医師団の給料は参加期間によって異なります。 初めて参加される場合、職種に関わらず、毎月153,106円が日本の銀行口座に振り込まれます。 参加期間が1年を超えると昇給していきます。 そのため、長く参加されている人ほど給料が多くなると考えてください。 ボランティアの意味合いが強いため、高額の給料をもらうことはできず、日本で働く医師と比較すると圧倒的に給料が低いです。 強い目的や強い信念がないとなかなかできる仕事ではないので、この待遇を理解した上で参加しましょう。 渡航費用やビザ取得費用、予防接種費用、健康診断費用、必要書類費用、派遣前後にかかる諸経費などは支給されます。 さらに金額は派遣先によって異なりますが、食事や生活費として日当が毎月支払われます。 国境なき医師団の仕事内容 戦争や自然災害、貧困など様々な理由で、満足な医療を受けられずにいる人たちが世界のいたるところにたくさんいます。 こういった人たちを助けるのが国境なき医師団の仕事です。 活動地域の大半は発展途上国と呼ばれる国々で、アフリカやアジア、南米で活動することが多いです。 戦争や災害で大きな被害が発生した場合、迅速に現地に入って医療活動ができるというのが国境なき医師団の特徴です。 様々な国で活動するため、コミュニケーション能力や語学力は必須ですし、自分の考えをしっかりと伝えることができる力も必要とされます。 現地では予想外のことが起こり得るので柔軟に対応できる力や厳しい状況下でも冷静に活動ができる能力も求められます。 そして、何よりも病気や怪我で苦しんでいるを助けたいという強い気持ちを持っていないと働くことができません。 求められることが非常に多い仕事なので、日本の医療機関で働くよりもとても大変です。 国境なき医師団の給料手取り 国境なき医師団の場合は、参加期間が長ければ長いほど給料が多くなります。 初参加の給料は医師、看護師、薬剤師など職種に限らず、同じ金額です。 国境なき医師団になるには?【資格・試験】 国境なき医師団になりたいと思った場合、どうすればいいのでしょうか? 基本的に一年通して、医療スタッフと非医療スタッフを募集しているので、なろうと思えばいつでもチャレンジすることができます。 ただし、2年以上のブランクがある方は応募できません。 まず、国境なき医師団のホームページから必要書類をダウンロードし、全て記入が終えたら、応募専用アドレスに送信してください。 この時、件名・メール本文は英語で記入しましょう。 提出した書類をもとに1次審査の書類審査が行われ、合格者のみ2次審査の面接に進みます。 面接では英語やフランス語の語学力も問われます。 2次審査に合格して、必要書類を提出すると正式に国境なき医師団に登録されます。

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新型コロナウイルス感染症危機対応募金(国境なき医師団日本)

国境 なき 医師 団

誰かのために、世界のために、何かしたい。 * * *MSFってどんな組織? どんな人が働いているの?どこに派遣されるの? 危なくないの?給料はどれくらい? …私でもなれるの?知っているようで知らないMSFのリアルを、稀代のクリエーターが徹底取材で明らかに! * * *[目次]はじめに第一章 「国境なき医師団」ってどんな組織?第二章 MSF日本インタビュー1 アドミニストレーター ロジスティシャン 人事部リクルートメントオフィサー第三章 現地ルポ1 ハイチ ギリシャ フィリピン第四章 MSF日本インタビュー2 国境なき医師団日本会長 活動責任者 ファンドレイジング部ディレクター+シニア・オフィサー第五章 現地ルポ2 ウガンダ 南スーダンおわりに 『はじめに』によると、筆者は何年か「国境なき医師団」に寄付を続けた後、2016年から世界五ヶ国の「国境なき医師団」を取材しているのだそうだ。 筆者によると、「国境なき医師団」のほぼ半数が非医療スタッフで占められており、テントなりコンテナなりを建てたり、衛生的な水や電気を確保したりしているのだそうだ。 言われてみれば、たしかにこうした人たちがいなければ医師や看護師の活動もできないと気付かされるのだが、当時の筆者同様、私も全く知らなかった。 筆者は、これらは「国境なき医師団」の仕事のほんの一部であり、本書では、何度言われてもびっくりするような、まるで知らない「国境なき医師団」を皆さんにお伝えしたいとしている。 ちなみに、「国境なき医師団」を取材するようになったいきさつについて筆者は、自分だけでなく、多くの人が「国境なき医師団」の活動の内容を知らないことを知って、「自分が取材をしてなるべく多くの方に伝える」ことを思い立ったと語っている。 さて、そんな本書は、第一章で「国境なき医師団」という組織についての基本的知識を説明した後は、「国境なき医師団」の日本人団員7人へのインタビューと、筆者が取材した五ヶ国、ハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダ、南スーダンの現地ルポで構成されている。 このうちインタビューについて、特に、医師で現「国境なき医師団」日本会長の、初任地においてそれまでは運び込まれた赤ちゃん全員が死亡していたものが、この医師が着任してからは250人のうち150人が生き残ったものの、「100人を看取ったと思うと僕は今でも頭が狂いそうになります」という話や、「僕はいつも「助けることができた」という達成感を持ち帰るよりも「助けられなかった」という絶望感に打ちひしがれて帰ってきます」「手が届かなかった人たちのことを考え続けてしまうんです。 自分はもっとできたはずだと悔しくなる」という話、さらには、日本人で初めて活動責任者となった人のやはり初任地での、「僕が衝撃を受けたのは仲間たちの姿です。 …自分の国にいたらもっと快適な生活がおくれるはずなのに、治安も住環境も給料も条件の悪いところにわざわざ来て…緊急人道援助が必要な人たちのために働いている。 …仲間を誇りに思いました。 会社では得たことのない感覚です。 ビジネスは競争やノルマの世界だったんですね。 MSFの仕事をずっと続けようと思った瞬間でした」という話には、心を打たれるものがあった。 また、残りの5人の話も、日本事務局で日本人の海外派遣スタッフの採用担当や寄付遺贈担当、あるいは実際に現地において非医療スタッフとして活動している人たちばかりなので、日本人として何らかの形で「国境なき医師団」の活動に参加したいと思っている方には参考になると思う。 五ヶ国の現地ルポでは、それぞれの国ごとに、さまざまな理由で緊急人道援助を必要としている人たちが大勢いること、そして、自分もそうした人たちを救う力になりたいというただ一念で、国籍、職歴、年齢もばらばらの人たちが、私利私欲を捨てて、あらゆる面で過酷な現地に飛び込んできて、それぞれに必要な緊急人道援助や、ときには継続的な援助に懸命に力を尽くしていることを紹介しつつ、そんな団員たちも、決して高邁な聖人君子ではなく、一緒に飲めば愚痴や文句も言い、悪態もつく、普通の人間であるとの団員の話も紹介している。 たしかに、生身の人間である以上、当然、そうした人間らしい一面があるのも事実だろうが、こうした活動は絶対に生半可な気持ちでできるものではなく、私は、彼ら彼女らには本当に頭が下がる思いしかない。 「二〇一六年から世界各国の『国境なき医師団』を取材して p. 3 」いる著者によるルポとインタビュー。 MSF=国境なき医師団関係の本は何冊か読んだが、それらがしばしば個人の、特定の地域でのミッションに関するものであるのに対して、本書はMSFの活動を俯瞰しており、著者は「いわばMSFの一員になるためのハウツー本 p. 267 」と本書を表現する。 それゆえ、著者は「より自分の感情に近い書きかたで p. 267 」書いたMSFに関する他著と違い、意識的にエモーショナルな描写や表現を排したのだろう。 読んでいて涙するような部分は多くない(私の想像力の問題なのかもしれないが)。 いくつかの覚え書。 1 MSFの「主な活動内容には、『緊急医療援助』とともに『証言活動』 p. 19 」がある。 2 MSFは「傷に絆創膏を貼る p. 136 」と喩えられる緊急医療援助だけでなく、「性暴力が多発している地域に入り、生殖や女性の健康に関する啓発活動 p. 8 」をするなどの長期にわたる活動もしている。 3 MSFの「海外派遣スタッフのうち、医療スタッフが五三%、非医療スタッフが四七%。 なんとノンメディカルの職種が約半数を占め p. 34 」る。 4 二〇一八年度、MSF全体の活動資金のなんと九五%が民間からの寄付 p. 42 」。 5 日本でMSFの求人に応募する人は「近年は特に定年退職後の方、育児をひと段落された女性などが増えている p. 65 」。 私自身もこの本の出版に少し携わっているたので多少、客観的ではないかもしれい。 そのことを差し引いても、海外5か国の医療活動の現場取材とその活動に従事する医療スタッフ(医師、看護師など)らへのインタビューのほか、普段あまり報じられることがない非医療系スタッフ(資金調達、財務、人事、ロジスティックなど)の活動内容も加えられ、とてもリアルな国際援助の実態がレポートされていると思う。 基本的にいとうせいこう氏の主観を通じて書かれているのだが、読者に向けてつとめて客観的(ありのまま)に伝えたいという構成と文章になっていて説得力があった。 南スーダンの難民キャプや女性への性虐待など非常にハードな状況をレポートしているので、書かれている内容はかなりシビアで重いのだが、それこそがまさに「人道主義の最前線」なのだろう。 このジャンルに興味のある方には是非、お勧めしたい。 尊い活動である事が良く分かる。 疑問に思う事は、活動団体の名称。 活動しているのは医師だけでは無い。 尊い活動は医師以外の医療者の活動はもちろん様々な役割を担う方々が参加している。 なんで医師団なんですか? 医師以外の方々はこの様な医師を特化している団体名称である限り全くその活動は可視化されない。 尊い活動を黙して参加しているのですね。 名称変更すべきです。 医師だけが医療を必要とする過酷な環境下で活動している訳では無い事を明確に記述しています。 にもかかわらず、伊藤氏は医師団という団体名称に疑問を持たずなんでしょう? 医師団ではなく医療協働団です。 医師以外の医療者も多いのに、なーんの疑問も持たず医師をトップの組織で滅私奉公では無く、自分の専門的役割を可視化するべき事を学べた。 「国境なき医療協働団」に名称変更すれば 今よりももっと活動を理解して支援したり活動に参加する人が増えると思う。 いとうせいこう(1961年~)は、タレント、小説家、作詞家、音楽家として幅広く活動するクリエイター。 『ボタニカル・ライフ 植物生活』で講談社エッセイ賞を受賞(1999年)したほか、野間文芸新人賞を受賞している(2013年)。 本書は、1999年にノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団(MSF)」について、2016年から取材を続ける著者が、その組織、現場(ハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダ、南スーダン)の活動の様子、日本人スタッフへのインタビューをまとめたものである。 読み終えて、組織の面で目を引いた主な点は以下である。 1967~70年にナイジェリアで起きたビアフラ内戦に医療援助で派遣されていた赤十字の医師たちは、現場の悲惨な実情が国際社会にあまりに知られていないことに問題意識を持ったものの、当時の赤十字は、医療に専念し、被災者へのアクセスを保ち、中立の立場を保持するという考えから、戦地で見たことを公表することを禁じていた。 これではいけないと思った医師たちが、赤十字から分派する形で1971年にフランスで立ち上げたのがMSFであり、そうした経緯から、MSFは最初からジャーナリストのグループを巻き込み、その活動内容も「緊急医療援助」とともに「証言活動」を柱としている。 非医療スタッフは、ロジスティク(物資輸送、施設の確保、インフラの設定など)、アドミニストレーション(人事、経理など)、水・衛生管理、建築など、前線の医療がスムーズに行われるような活動を担当する。 著者が最も伝えたかったのはこの点で、医療の専門スキルがなくても、MSFで働くチャンスはあるのである。 そして、何より印象に残ったのは、現場で献身的に働くスタッフの姿であり、言葉である。 彼らは、ギリシャの難民キャンプで「(緊急医療援助を柱とする)我々は根本にある問題の解決を望みながら、世界に訴え続けるしかないんだ。 そしてその間、あらゆる傷に絆創膏を張る」と自分たちの使命を語り、フィリピンのスラムで「自分が何をしたいのか、ここにいるとそれがわかる」と自分たちの人生の意味を語るのだ。。。 世界の紛争地、貧困地域に関心を持ち、自分たちにできることを考えるきっかけを与えてくれる一冊と思う。 (2019年12月了).

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