びん ずる さん の 胃袋。 お賓頭盧さま 《おびんずるさま》

長野びんづる『浴衣の女王コンテスト2014』女王が決定しました!|【MAZDA】甲信マツダ公式ブログ

びん ずる さん の 胃袋

賓頭盧尊者 びんずるそんじゃ おびんずるさん おびんずるさんは16羅漢の一人で、では ピンドーラ・バーラドヴァージャといいます。 漢字で音写すると 賓頭盧 頗羅堕 びんずる はらだとなります。 賓頭盧が名で、頗羅堕が姓です。 お賓頭盧 びんずるさんは、獅子吼第一と呼ばれ、神通力=超能力がとても強い人だったと言われています。 ある時、お賓頭盧さんは人のすすめに乗り、神通力を使って座ったまま高いところにある栴檀 せんだんの鉢を取って見せました。 このことを知ったお釈迦様は、修行者らしからぬ行いをした、と叱責されお賓頭盧さんは退けられて えんぶだいを去り、 さいごけしゅうに移り人々を教化したと言われます。 また、次のような話もあります。 しょうぼうが尽きるまで ねはんに入らぬように、とお釈迦様から命じられ、摩梨山 まりせんに住み人々の教化に務めた。 国王や長者たちは、お賓頭盧さんによく食などのをした。 食堂から外陣へ お賓頭盧さんは優れた人だったので、中国では470年頃から聖僧として、お参りされる対象となり、しだいにおの じきどうに祀られるようになりました。 日本では食堂から、いつのまにか本堂の げじんや回廊に祀られるようになり、病んでいる場所と同じ所をなでて治す、と言うような風習が出来上がりました。 お賓頭盧さんは木像が多いのですが、たくさんの人がなでるので、像はピカピカに磨かれて銅像のように見えたり、中には表情がほとんど分からない程、磨耗している像もあります。 また、お賓頭盧さんは病気を治すだけではなく、亡くなった人を供養する役割や、厄払いの役割を担っています。 金箔を貼って・・・ 現在では、患部と同じ所をなでて治るように祈りますが、当初は紙でお賓頭盧さんをなで、その紙で自分の患部をなでていたようです。 直接なでるようになったのは、江戸時代中頃からのようです。 このなで仏の原型とも思えるような話が、大唐西域記の一番最後の部分、瞿薩旦那国 くさたなこくの紹介の中に登場します。 栴檀の木で造られた高さ6m程の仏像があり、たいへん霊験があって光明を放っていました。 この仏像に患部と同じ場所に金箔を貼ると、すぐに病が治る、とされていました。 大唐西域記 だいとうさいいきき げんじょう三蔵法師が皇帝の命により作ったインド旅行記。 全12巻。 巻1… 34ヶ国 巻2… 3ヶ国 巻3… 8ヶ国 巻4… 15ヶ国 巻5… 6ヶ国 巻6… 4ヶ国 巻7… 5ヶ国 巻8〜巻9… 1ヶ国 巻10… 17ヶ国 巻11… 23ヶ国 巻12… 22ヶ国 の計138ヶ国について紹介されています。 金箔の仏像の話は、巻12に登場する22ヶ国中の一番最後に出てきます。 C Copyright 2015 Tobifudoson Shoboin. All Rights Reserved.

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お賓頭盧さま 《おびんずるさま》

びん ずる さん の 胃袋

丸太小屋レストランびんずる びんずるのなぞ びんずるの名前の謎... オーナーがまだ長野県に住んでいた頃。 よくお世話に なっていた方と居酒屋でお酒を飲んでいました。 今度宮ヶ瀬でお店をはじめるのだけれど。 と言う話題になって、その時にその人に名前をつけてい ただきました。 お釈迦様の弟子の16人の事を「十六羅漢」と言うのだ そうです。 その中でも筆頭のお弟子さんの名前が「びん ずる」様だったのだそうです。 長野の善光寺は有名な仏教寺ですが、宗派に関係なく、 万人に対しありがたい御利益 があるそうでして、「びんずる」という名前になったのだそ うです。 長野の大きなお祭りの一つに「びんずる祭り」が あるそうですが、そこからもあやかっているようですね。 ちなみにその時飲んでいたお店の名前は「じょんがら」 あまり関係ないけど似ていませんか?。 知らず知らずのうちに、心が和みます。 びんずるログキャビンも、もちろんその一つです。

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丸太小屋レストランびんずる

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賓頭盧尊者 びんずるそんじゃ おびんずるさん おびんずるさんは16羅漢の一人で、では ピンドーラ・バーラドヴァージャといいます。 漢字で音写すると 賓頭盧 頗羅堕 びんずる はらだとなります。 賓頭盧が名で、頗羅堕が姓です。 お賓頭盧 びんずるさんは、獅子吼第一と呼ばれ、神通力=超能力がとても強い人だったと言われています。 ある時、お賓頭盧さんは人のすすめに乗り、神通力を使って座ったまま高いところにある栴檀 せんだんの鉢を取って見せました。 このことを知ったお釈迦様は、修行者らしからぬ行いをした、と叱責されお賓頭盧さんは退けられて えんぶだいを去り、 さいごけしゅうに移り人々を教化したと言われます。 また、次のような話もあります。 しょうぼうが尽きるまで ねはんに入らぬように、とお釈迦様から命じられ、摩梨山 まりせんに住み人々の教化に務めた。 国王や長者たちは、お賓頭盧さんによく食などのをした。 食堂から外陣へ お賓頭盧さんは優れた人だったので、中国では470年頃から聖僧として、お参りされる対象となり、しだいにおの じきどうに祀られるようになりました。 日本では食堂から、いつのまにか本堂の げじんや回廊に祀られるようになり、病んでいる場所と同じ所をなでて治す、と言うような風習が出来上がりました。 お賓頭盧さんは木像が多いのですが、たくさんの人がなでるので、像はピカピカに磨かれて銅像のように見えたり、中には表情がほとんど分からない程、磨耗している像もあります。 また、お賓頭盧さんは病気を治すだけではなく、亡くなった人を供養する役割や、厄払いの役割を担っています。 金箔を貼って・・・ 現在では、患部と同じ所をなでて治るように祈りますが、当初は紙でお賓頭盧さんをなで、その紙で自分の患部をなでていたようです。 直接なでるようになったのは、江戸時代中頃からのようです。 このなで仏の原型とも思えるような話が、大唐西域記の一番最後の部分、瞿薩旦那国 くさたなこくの紹介の中に登場します。 栴檀の木で造られた高さ6m程の仏像があり、たいへん霊験があって光明を放っていました。 この仏像に患部と同じ場所に金箔を貼ると、すぐに病が治る、とされていました。 大唐西域記 だいとうさいいきき げんじょう三蔵法師が皇帝の命により作ったインド旅行記。 全12巻。 巻1… 34ヶ国 巻2… 3ヶ国 巻3… 8ヶ国 巻4… 15ヶ国 巻5… 6ヶ国 巻6… 4ヶ国 巻7… 5ヶ国 巻8〜巻9… 1ヶ国 巻10… 17ヶ国 巻11… 23ヶ国 巻12… 22ヶ国 の計138ヶ国について紹介されています。 金箔の仏像の話は、巻12に登場する22ヶ国中の一番最後に出てきます。 C Copyright 2015 Tobifudoson Shoboin. All Rights Reserved.

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