御免 なさい を 言わ なかっ た こと。 山口瞳の名物エッセイ「男性自身」に書かれなかったこと

妊娠7カ月でホームレスになった18歳。希望は妊婦健診だけ

御免 なさい を 言わ なかっ た こと

「ごめんなさい」というコミュニケーションが持つ大切さや、それができない時の心理と対処方法をご紹介。 私達は「しまった」と思ったり、「申し訳ないなあ」と思ったりしたことがあっても、素直に「ごめんなさい」と言えなくなるときもあります。 一言「「ごめん」と言えないばかりにその場の空気が濁ってしまったり、関係性が悪くなってしまう経験をされたこともあるでしょう。 反対に自分のパートナーがこの言葉を言えないために、強い憤りを感じて不信感を募らせたり、何らかの復讐や当て付けをしてしまったことがある方もいらっしゃるでしょう。 今回はこの「ごめんなさい」が言えない心理について取り上げます。 「申し訳ない」とか「すまん」というのも同じですけれど、このコミュニケーションは自立的な人にとっては、自分が相手よりも下になるような印象を持ちます。 もし相手との間に競争があり、主導権争いをしていると、このコミュニケーションは「負け」を認めるような屈辱感や惨めさを伴います。 ですから、たとえ自分が「悪かった」と思っていても、「ごめんなさい」という言葉は禁句になってしまいますよね。 こうした競争心理は「自立」の持つ問題の一つで、パートナーシップをはじめ、対人関係全般に起こるものです。 そして、罪悪感が強い分(悪かったと思う気持ちが強い分)、この謝罪の言葉が与える影響力も大きく感じます。 つまり、「もし、ここで非を認めてしまったら、自分はとんでもない罰を受けなければいけないんじゃないか?」という怖れが非常に強くなってしまうんです。 そうすると、事の大小よりも、自分が感じている罪悪感の大小によって「ごめんなさい」が言えなくなってしまいます。 ですから、人によっては飲み物をこぼして相手の服を汚してしまったり、待ち合わせにちょっと遅れたときですら、この言葉が出なくなります。 しかも、この罪悪感はその出来事だけでなく、過去の経験も由来するものです。 すなわち、今回は飲み物をこぼしてしまったわけですが、過去に自分が申し訳ないと思っているものがあればあるほど(罪悪感が強ければ強いほど)、些細なことでもこの言葉が言えなくなってしまうのです。 外からは見えないけれど、心の中では何度も何度も「ごめんなさい」を言い、そして、それ以上に酷く自分を責めているものです。 無価値感は「私なんて愛される価値なんてない」という感情ですから、そこで自分が悪いことをしたと認めてしまうと、もっと愛されなくなる、もっと粗末に扱われる、もっと軽く見られる、そんな怖れが強くなってしまうわけです。 いわば「嫌われる怖れ」から「ごめんなさい」が言えなくなってしまうわけですね。 そうすると「ごめんなさい」という言葉は、相手と自分の距離を広げてしまうように感じますから、特に好きな相手、大切な相手になればなるほど言えなくなります。 実は罪悪感と無価値感というのは、表面化する態度や感じている感情こそ違えど、このレベルで見ると実質的には同じものと言えそうです。 「お前がそんなところに飲み物置くからあかんねやろ?」と相手に押し付けたり、「時間通りに出たんだけど、電車がなかなか来なくて・・・」と先に言い訳が出てきたりします。 でも、そんなときは自覚している/していないに関わらず、酷く自分自身を攻撃してしまいます。 逆切れは、自分自身をこれ以上責められなくなったときに起こるんですね。 相手とすれば変な言いがかりを付けられたように感じますし、また、言ってる本人も内心「俺はなんてこと言うてるんだ・・・」と思いながらも、あふれ出したその攻撃的な感情は止まりません。 それが暴言、暴力になることだってあります。 また、言い訳は「犯人探し」という心理の一つで、自分以外の誰かが悪いことになれば、自分が責められずに済む心理を利用しています。 つまり、「私が悪いんじゃなくて、遅れた電車が悪いのよ」という形になるんです。 でも、やっぱりその裏側では遅れた自分を酷く責めているものですよね。 決して人には言わないけれど。 こうした言い訳や逆切れは聞いてる相手も気分悪いですけど、言ってる本人はそれ以上に最悪な気分になるものです。 そして、お互いの関係も悪化していくように感じてしまいます。 ・迷惑かけてごめんなさい ・優しく出来なくてごめんなさい ・大切にできなくてごめんなさい ・良い子じゃなくてごめんなさい ・悪いパートナーでごめんなさい ・愛してあげられなくてごめんなさい ・傷つけてごめんなさい ・助けてあげられなくてごめんなさい ・受け取れなくてごめんなさい などなど、自己嫌悪の数だけ、心の中には「ごめんなさい」が渦巻いています。 それを認めてしまったら、一気に噴出し、最悪の気分になり、更に周りの人たちに嫌われてしまうと思いますから、こうした気持ちはどんどん潜在意識に抑圧されていきます。 そうすると、酔った勢い、寝言など意識があまり動いていない状態で、吹き出てきます。 皆さん自身や周り方に、酔った勢いで、訳もなく「ごめんなさい」って泣き崩れた方もいらっしゃるかもしれませんね。 セラピーをしていると、そうした潜在意識に抑圧されてきた「ごめんなさい」がたくさん出てきて、自分でも何を言ってるのか分からないくらい混乱してしまう方もいらっしゃいます。 罪悪感も無価値感も感情として、ただ心の中に存在するのみです。 何かがあって「ごめんなさい」ではなく、ただ「ごめんなさい」なんです。 そうした感情を解放していくと、どんどん表情が変わっていきます。 苦しそうな、あるいは涙でぐちゃぐちゃの表情にどんどん光が差して来る様子が見て取れるときも少なくありません。 それくらい「ごめんなさい」という謝罪の言葉は「許し」「癒し」のパワーがあるんだ、と感じさせられます。 「いまさら謝ったって、もう遅い。 許してもらえるわけがない」 と思っているとしたら、相手はともかく自分自身はその罪悪感に捉われてしまっていることに気付きましょう。 つまり、「もう自分は許されない」として、自分で自分を許せなくなるのです。 これは自分自身を縛り、どんどん追い詰めていく状況を作り出します。 もし、あなたが半年前、1年前と比べて窮屈な気持ちを感じるのであれば、あなたは誰かに「ごめんなさい」を言っていないのかもしれません。 今、少しリラックスして自分の心を見つめてみましょう。 誰に「ごめんなさい」を言い忘れているのでしょうか? もし誰か思いついたとしたら、心の中でその人を思い浮かべながら、声に出して「ごめんなさい」と言ってみて下さい。 自分の心がすっきりするまで何度でも何度でも。 どんな感情が出てきても構いません。 そうするとさっきまでより解放され、自由を感じられる自分に出会えるはずです。 もちろん、理解してあげるには、自分に余裕が無ければできません。 しかも、その相手はあなたに対して、そうした謝罪の姿勢は示さない(示せない)わけですから、理解し、許してあげるには感情的な抵抗を強く感じるかもしれません。 でも、実は相手も同じ感情を持っていることに気付けます。 そうすると少しずつ心を開き、謝罪や感謝の言葉や態度を示してくれることもあります。 「そんなの待っていられへん!」って感じてしまう場合もあろうかと思いますが、そこは、あなたがその相手との関係性をどうしたいのか?にかかってくると思ってください。 もし、良い関係性を築きたいのならば、ぜひ、そうした理解と許しを積極的に進めてみて欲しいと思います。 この記事を書いたカウンセラー.

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妊娠7カ月でホームレスになった18歳。希望は妊婦健診だけ

御免 なさい を 言わ なかっ た こと

挨拶できない人について。 「ありがとう」「ごめんなさい」「ごちそうさま」 …基本的な挨拶ができない人っていますよね? 仕事柄もあり、付き合いのなかでそういった人がいるととても気になります。 一言感情をこめて言うだけで、全然心象が変わってくるのに。 特にプライベートで仲良くなった時などは、気にします。 プライベートだからこそ、好きな友人と気持ちよい付き合いたいのに。 だから挨拶のできない人とは友達になれないし、なりたくありません。 謝罪もなくドタキャン。 そして、こちらがしたことに対して感謝のひとことも一切なし。 しかも、大抵の場合、そういった人は「人任せ」の「自分勝手」という気がします。 今までに挫折を味わったことがない人なんでしょうか。 (周りに守ってもらえるおかげで挨拶の大切さを知る局面がなかった人?)と思うんですが… 挨拶のできない人に共通する特徴って何かありますか? そのような人達は、一体どういったつもりなんでしょう? 何か感じることがあれば、教えて下さい。 私は挨拶できない人間です。 「いただきます」や何かしてもらったときの「ありがとうございます」、特別な部屋を出入りするときの「失礼します」「失礼しました」 追加ですが、施設を借りるときの挨拶や配達の方への「お疲れさまです」なども は欠かしたことはありません。 本来なら当然のことなんでしょうね…。 ただ「おはようございます」「さようなら」は言えません。 口に出すのも億劫です。 理由は幼少期にひどく嫌われて拒絶の姿勢をとられたり、私自身卑屈なことや被害妄想が強かったことなどが原因で「劣っている私なんかが相手にしてもらえるわけがない」「陰で馬鹿にしているくせによく言えるな 実際悪く言われていた場合のみ 」など、ごちゃごちゃ考えて煩わしくなります。 でもこういうのって周りからしたら「トラウマ 笑 」って言うんでしょうか。 当事者からしたら自分自身直しづらくて苦悩しています。 あ~~。 私の友達?? 知り合いにもいる。 挨拶ってか連絡出来ないコ。 LIVEで知り合ったコで みんなで待ち合わせしていつもとは違うLIVEに行た時に 「駅に今着いたので向かってます。 」とメールがあったきり 駅から徒歩10分のお店で待ち合わせ) 30分以上連絡なし。。。 待ち合わせの店が分かりづらかったのかな?? と心配してたら 「もうすぐ着きます。 」とメール。 店外に迎えに行くとダラダラ歩いてくる姿がwww 第一声に「ゴメンナサイ」も「お待たせ」もないから 「なんかあった?? 」って聞いたら 「あぁ。 買いたかったモノ思い出して買い物してたんですよね~。 みんな揃ったからLIVE会場へ向かう途中 また何も言わずに消えるww その日は一緒にLIVE行ったけど 全く話しかける気にもならなくっなって それ以降私から話しかけるのやめちゃった。 他のLIVEであった時なんて 「風邪引いたけど来たかったから」と 声が変わるほど咳してるのにマスクしてないのにも引いたし。 もちろん次の日、私は風邪引きました。 確かにのほほんとした 挫折を味わったりした感じの無いコだわww 挨拶が出来ないことが、挫折云々には繋がらないかな…と私は思います。 挨拶って人間関係の基本ですよね。 会った時の挨拶の声色なんかで、相手の様子が分かったりと、結構バロメーターになっている部分が多く有ると思います。 挨拶が出来ない、しないという人に共通することは、「家でも挨拶をしない」であり、「挨拶をするという躾を受けていない」では無いかと思います。 実際、私の小学校の時の友人にいましたよ、挨拶が出来ない子。 ウチに遊びに来ても、「お邪魔します」とか、顔を合わせた私の家族に「こんにちは!」も言えなかった子。 私は、挨拶は人間関係の基本と躾けられて育っていて、育った環境も団地のようなところだったので、1歩外に出れば大勢の人が居たので、「団地の近くに居る人には、顔を知らなくても挨拶をしなさい」と口を酸っぱくして親から言われていましたから、挨拶をしないその友人が不思議で溜まりませんでした。 そこで、単刀直入に「挨拶できないの?」とか言って、友人の話を聞いてみると、家でも誰も挨拶をしないということが判明しました!(驚) 友人は母子家庭で、上に兄姉が1人ずつ居たけど、母親が仕事に出ていて殆ど不在。 従って、家に帰っても誰も居ないから「ただいま」も言わない。 食事の時も子供ばかりで、好き勝手に食べていたから、「頂きます」も「ごちそうさま」もない。 もちろん、親が不在なので、誰も遊びに来てくれないから、他所様のお宅へお邪魔した時に「お邪魔します」も言えない(…というか、言うという発想が無かったらしい)。 更に驚くことに、小学校で朝、担任が入室した際に全員で「起立!礼!おはようございます!」って挨拶を大抵するじゃないですか。 一般的に間違っている事をやって、人に迷惑が掛かっていても、家の中では誰も注意をしないから、人に迷惑を掛けることが悪いことだと思って居なかったとのことで、他人に迷惑を掛けても「ゴメンナサイ」も友人は言えなかったです。 上記に挙げた子の他にも挨拶が出来ない・しない子が居たので、理由を聞いてみると、大体上記と同じような回答が返ってきました。 ですから、私の意見としては、挨拶が出来ない・しない人は、幼い頃に挨拶について適切な躾を受けてこなかった、ある意味可哀想な人で、更に、周囲の人間関係が希薄で、これまたある意味可哀想な人だと思います。 …因みに、上記でお話しした友人については、ウチの母親が矯正してました^^; 「こんにちは、お邪魔します」を言わなければ家に上げない。 「いただきます、ごちそうさま、ありがとう」を言わなければ、おやつを出してあげないなどのスパルタ式で他人の子を教育し、3年後の小学校を卒業する頃には、友人もキチンと挨拶を出来る子に変貌を遂げていました(笑) 子供時代に親からキチンと挨拶されなかったのでは? 親が子供に「ありがとう」「ごめんなさい」を言わない家はけっこう多いと思いますが 人間形成に家庭環境は大きく依存していると思います。 挨拶は幼稚園や学校など集団生活の初歩で習いますから 成人し社会人になっても気をつけていれば誰でもできますが 根本的に習慣化されていない人は、関係が身近になるとつい忘れちゃうんでしょう。 やはり集団でいると気がゆるむタイプなんだと思います。 なぁなぁで流されるというか。。。 ある意味順応性は高いのかも。 彼らは別に悪気があって言わないのではナイのでしょうけど 私も挨拶しないのは好きではナイので 価値観の合わない人として一線置いてしまいます。 逆に身近な人にもケジメを持って接してしまうというのは 身近な存在にさえ「正確さ」を求めてしまい リラックスして生きていないのかもしれません。。。 「ありがとうくらい言ってよ~」と言えるくらい仲良くなりたいですね。

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贖罪

御免 なさい を 言わ なかっ た こと

送る 「勉強しろ」と親に言われて子どもがウンザリするのは、今も昔も変わらないこと。 「勉強したら?」「勉強しないの?」も同様です。 とはいえ、「勉強しろ」と指示することで、子どもが勉強に対し意欲的に取り組むようになるわけではないことは、なんとなく分かっているはず。 できれば、子どもには勉強を楽しみ、自分から机に向かう習慣をつけてほしいですよね。 そこで今回は、「勉強しろ」の代わりに親ができることを紹介します。 「勉強しろ」は逆効果なの? 実際、親が子どもに 「勉強しろ」と指示することは効果があるのでしょうか? 2011年、首都圏の保護者を対象にベネッセ教育研究開発センターが実施した「第4回子育て生活基本調査」では、 あまり効果的とはいえないことが判明しました。 まず、小学生の子どもに「勉強しなさい」と声をかけている母親は、平均で8割以上。 小学1~5年生では80%を超えていて、6年生でも76. 2%です。 そして、 声かけされた小学生の平日における一日あたりの平均勉強時間は、ベネッセの算出をもとにすると57. されなかった場合は53. なんと、たった4分の違いなのです。 しかも小学5年生の場合、 「勉強しなさい」と言われた子どもの平均勉強時間は、言われなかった子どもよりも3. 6分少なかったことがわかりました。 このデータを見ると、 「勉強しろ」と言うことは、子どもの勉強時間を増やすのにあまり効果的ではなく、むしろ逆効果な場合もあるといえるでしょう。 「勉強しろ」が逆効果な理由 なぜ「勉強しろ」と促しても、親が望んだ結果にならないのでしょう? それは、心理学でいう「 心理的リアクタンス」が機能するからです。 社会心理学を専門とする深田博己教授(広島文教女子大学)によると、心理的リアクタンスとは「個人が特定の自由を侵害されたときに喚起される、自由回復を志向した動機的状態」。 子どもが「勉強しなさい」と言われると、「今やろうと思ってたのに」と反発心を覚え、意欲を失ってしまうのには、心理的リアクタンスが影響していると考えられます。 読者の皆さんにも「必ず〇〇するように」「絶対に〇〇しないで」と言われて、反対のことをしたくなった経験はありませんか? 子どものなかでも同じことが起こっているのです。 このように、 「勉強しろ」という声かけの効果は心理学的に薄いといえます。 「勉強しろ」と言わない親の行動1:将来の話をする 「勉強しろ」と言うのがダメなら、子どもにどう接すればよいのでしょう? ヒントは統計のなかにあります。 「第4回子育て生活基本調査」によって、親子が将来について話すことと、子どもの勉強時間には、関連性があることがわかりました。 母親が「子どもと将来や進路について話をする」と答えた小学生の平均勉強時間は、約61. 話をしない小学生の場合は約44. なんと、17分もの差がつきました。 「勉強しなさい」という声かけの有無と比べ、違いは明らかですね。 特に小学6年生では、 将来について親と話す子どもの平均勉強時間は、そうでない子と比べて34. 2分も長いという結果でした。 あまり子どもと将来の話をしてこなかった、という人は、ときどき話題にすることを意識してみると、子どもが「将来はこういうことをしたい」という具体的なイメージを心に抱き、その目標のために勉強を頑張るようになるかもしれませんね。 「将来の話といっても、どうすれば?」という人もいるかもしれません。 「大人になったら何になりたいの?」と尋ねて具体的な職業を返答されても、うまくアドバイスができないかもしれません。 子どものほうでも、「〇〇になりたいんだったら、もっと勉強しなくちゃ」とお説教されてウンザリしたり、将来についてまだ具体的に考えられなかったりする可能性がありますね。 そこで、 押しつけがましくならないように将来の話をするには、親の「思い出話」を聞かせることをおすすめします。 皆さんは、現在(過去)の職業に就くまで、どんな努力をしましたか? 仕事や日常生活のなかで、学校での勉強はどう役立っていますか? どんな高校や大学へ行きましたか? なぜそこを選んだのですか? 自分の話を通して、子どもに考えさせてください。 すぐに効果が表れなくても、自分の将来についてイメージしはじめるでしょう。 子どもといっしょに勉強の計画を立てると答えた母親を持つ小学生の平均勉強時間は約66. そうでない小学生の場合は約47. 5分でした。 およそ19分もの差があるのですね。 計画づくりを親が手伝ってあげると子どもが勉強しやすくなる理由は、ベネッセによる別の調査でうかがい知ることができます。 2014年、小学4年生~中学2年生の子ども・その保護者を対象に行われた調査によると、「計画を立てて勉強する」と答えた小学生は48. 1%に留まりました。 ほかの51. 9%は、計画を立てずに勉強していることになります。 また、回答した小学生はのうち、39. 9%が「 上手な勉強のやり方がわからない」を、27. 7%が「 勉強が計画通りに進まない」を勉強上の悩みとして挙げました。 「勉強する」という動詞はあいまいです。 子どもは「勉強する」際、「何を」「いつ」「どこで」「どのように」行うのか、具体的に決定しなければなりません。 小学生の思考能力はまだ発達段階にありますから、どのような勉強方法に効果があるのか、自分はどのように勉強するべきかなど、客観的・論理的に考える力は未成熟です。 そこで、大人によるアドバイスが必要となるのです。 「勉強しろ」と言うかわりに親子で話し合い、 「この問題集を一日に1ページ解く。 「勉強しろ」と言わない親の行動3:夢中になれる体験をさせる 東京大学社会科学研究所とベネッセ教育総合研究所による共同研究の一環として、「子どもの生活と学びに関する親子調査2016」の結果が発表されました。 それによると、小学5~6年生の11. 1%は、2015年の調査で「勉強が嫌い」だと答えていたのに、2016年の調査では「好き」と回答したようです。 1年間でそのような体験をしたと答えた小学生の割合は、「嫌いなまま」だと75. 8%でした。 「夢中になって時間がたつのを忘れる」経験と勉強の好き嫌いの関係をはっきりと説明するのは困難ですが、 子どもが大好きな趣味を見つけ、それと勉強を関連づけられたのかもしれません。 あるいは、 何かに没頭することの喜びに気がつき、集中して勉強することに楽しみを覚えたのかもしれません。 脳の発達を研究し、『脳の専門家が選んだ「賢い子」を育てる100のものがたり』などの著書を持つ瀧靖之教授(東北大学脳科学センター)によると、東大生の多くも、子ども時代に「何かに熱中する体験」をしたそう。 自分の好奇心の赴くままに好きなことに熱中しているうちに、わからないことは誰に聞けばいいのか、どうやって調べればいいのかというストラテジー(戦略)が身に付きます。 これがのちの勉強や仕事に大いに役立つのです。 (引用元:東洋経済オンライン|) いずれにせよ、夢中になれるほどの楽しみを見出せたのは、子どもの人間的な成熟にとって素晴らしいこと。 親としては、ぜひその手伝いをしたいものです。 瀧教授によると、子どもが興味を持ったことを親もいっしょに楽しんだり、興味を追求できるような環境を整えてあげたりするのがよいのだそう。 たとえば、以下のようなことをしてみてはどうでしょう。 - 恐竜に興味を持った子どもを博物館に連れていき、いっしょに標本を見る。 - 音楽に興味を持った子どもを、コンサートやミュージカルに連れていく。 - 鉱石に興味を持った子どもに、写真つき図鑑を買い与える。 *** 「勉強しろ」と思っても、そのまま言うのはぐっとガマン。 もっと効果的で、互いに楽しい気分でいられる方法があるのです。

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