筒井康隆 筒井道隆。 筒井道隆の現在!結婚せず独身?あすなろ白書など出演ドラマや父は?

筒井道隆の現在!結婚,嫁,子供,父は?筒井康隆との関係は?

筒井康隆 筒井道隆

この にはなが不足しています。 の提供に協力をお願いします。 存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的にあるいは有害となるものは すぐに除去する必要があります。 ( 2017年9月) 筒井 康隆 (つつい やすたか) 誕生 1934-09-24 (85歳) 職業 、、 言語 国籍 最終学歴 美学芸術学科 活動期間 - ジャンル 、 代表作 『』(1967年) 『』(1973年) 『』(1981年) 『』(1987年) 『』(1990年) 『』(1999年) 主な受賞歴 (日本長編部門)(1970年・1975年・1976年) 星雲賞(日本短編部門)(1970年・1971年・1974年・1977年) (1981年) (1987年) (1989年) (1992年) (シュヴァリエ)(1997年) (2000年) (2002年) (2010年) (2017年) (日本短編部門)(2019年) 星雲賞(ノンフィクション部門)(2019年) デビュー作 『お助け』(1960年) 配偶者 筒井光子(1965年結婚) 子供 親族 (父) 公式サイト 筒井 康隆(つつい やすたか、(昭和9年) - )は、の・・である。 身長166cm。 、と並んで「SF御三家」とも称される。 パロディやな笑いを得意とし、初期にはナンセンスなSF作品を多数発表。 よりの手法を用いた前衛的な作品が増え、エンターテインメントや純文学といった境界を越える実験作を多数発表している。 戦国時代の武将と同姓であり、その子孫であるとの設定で小説「筒井順慶」を書いている。 先祖は筒井順慶家の足軽だったらしい、と筒井は述べている。 父は草分け期の日本ので、の初代館長。 息子は画家。 経歴 [ ] 生い立ち [ ] (昭和9年)、父・と母・八重の長男として、父方の実家である に出生。 生家は住吉区山坂町(現在の山坂)。 筒井は初期に自筆年譜を書き、生まれとしていたが、これは複数の勘違いが重なった事 によるもので、その後修正されている。 後に弟が3人(正隆、俊隆、之隆)生まれ、男ばかりの兄弟で育つ。 (昭和16年)、に入学。 幼少期から漫画と映画に没頭し、小学生時代は『』、に熱中。 自分でも漫画を描いて他の子供に売りつけるなどしていた。 また父が蔵書家であったことから読書好きとなり、小学生の頃はを愛読した。 (昭和19年)、千里山にし、に転校。 地元の農家の子供から苛烈ないじめを受ける。 終戦後の(昭和21年)、息子の成績不振を心配した父の計らいでに転校。 まもなく実施されたで市内トップの187であることが判明し、終戦後、当時大阪市によって設置されていた特別教室 (政府設置のとは異なる)に在籍した。 (昭和22年)、大阪市立東第一中学校(現在は統合で)に入学。 この頃から不良少年となり、授業をさぼって映画館に通い詰める。 父親の金をくすねたり、父親の蔵書や母親の着物を勝手に持ち出して古書店や質屋に売り映画代を捻出していた。 その一方でに熱中し、やなどとともに『』誌の投稿欄の常連でもあった。 (昭和23年)、児童劇団「子熊座」に入団、演劇への興味が芽生える。 (昭和25年)、に入学。 演劇部の部長を務めるが学業は不振であった。 はもともと女学校であったため女生徒の数が多く、筒井はここで女生徒からいじめを受けて女性への恐怖心を植え付けられたとしている。 また、自宅の蔵書だったの『随想録』も愛読していたという。 この頃の映画に傾倒。 受験勉強への反発から新潮社版世界文学全集を読破し、やの作品に影響を受ける。 大学時代 [ ] (昭和27年)2月、関西芸術アカデミー研究科に研究生として入学。 同年4月、文化学科専攻 現在は に入学し、同志社小劇場に所属する。 この頃、、等を愛読し影響を受けた。 またについて興味を持ち、の実家からまでの電車での通学時間を利用して、版の全集を読破。 その後及び専攻 現在は に転じに興味を持つ。 (昭和29年)、関西芸術アカデミーを卒業して青年劇団「青猫座」に入団。 初舞台はの『北京の幽霊』。 同年のニューフェイスに応募するも、面接のみの二次試験で落選している。 しかし「青猫座」での演技は高評価を受け、(昭和30年)、大阪毎日会館で『』の主人公ジョージ・ミルトンを演じた際には、「東の、西の筒井康隆」と新聞に報じられた。 (昭和32年)、大学を卒業。 卒論は「心的自動法を主とするシュール・リアリズムにおける創作心理の精神分析的批判」。 同1957年、『シナリオ新人』創刊号に、「会長夫人萬蔵」を発表する。 卒業後、展示装飾などを手がけるに入社し営業部に勤務。 サラリーマン劇団「明日」に入団し演劇活動を継続する。 執筆活動初期 [ ] (昭和34年)に創刊された雑誌『』を読み衝撃を受け、(昭和35年)6月、ボーナスをつぎ込んでSF同人誌『NULL』を創刊。 父と三人の弟が同人であり、康隆、正隆、俊隆がSF短編を、父嘉隆が家族の紹介文を、四男の之隆がカットを担当、活動初期は「澱口襄」 など複数のペンネームで執筆。 同人誌を出したのは当時SF小説を受け入れられるような新人賞がなかったためであるが 、うまくマスコミに取り上げられ、「筒井一家」紹介記事がたびたび新聞に掲載、またのテレビ番組に家族総出で出演したりもしている。 さらに『』創刊号はの目に留まり、弟の作品や父による紹介文とともに、短編「お助け」が乱歩主催の雑誌『宝石』1960年8月号に転載。 これが実質的なデビュー作となった。 以降注文を受けてショート・ショートを各誌に発表しながら『NULL』にナンセンスなSF短編を発表していく。 (昭和36年)、4年間務めた乃村工藝社を退社、同志社大美学及び芸術学専攻時代の先輩の後を継ぐ形でにデザイン事務所「ヌル・スタジオ」を立ち上げる。 事務所の向かいの煉瓦会社で働いていたと知り合い、後にらも加わり、「ヌル・スタジオ」はSF作家、SFファンのたまり場となっていった。 また、雑誌『NULL』も筒井家以外のSFファンにも門戸を開き、小松左京、眉村卓、らのプロデビューしている作家らも参加。 創刊翌年の1961年(昭和36年)には、高校2年生のも参加した(『NULL』はのち、筒井が主宰した第三回日本SF大会「DAICON」((昭和39年))のレポートを兼ねた11号で終刊した)。 (昭和37年)、『』ので「無機世界へ」(後の「幻想の未来」の原形)が選外佳作となる。 入選三席には小松左京、がいた。 翌年『SFマガジン』増刊号に「ブルドッグ」を発表し『SFマガジン』に初登場。 (昭和39年)、第3回・大阪大会(DAICON)を主催、前年に創立されていた「」に参加し、SF作家たちとの交流を深める。 (昭和40年)、前年に脚本スタッフとして参加していたテレビアニメ『』の商品化権料を多額に得て、作家専業のめどが立つ。 同1965年(昭和40年)、小松左京夫妻の仲人で光子夫人と見合い結婚。 直後に東京へ行き専業作家となる。 同年10月、初作品集『東海道戦争』出版。 しかし、しばらくは生活が苦しく、(昭和42年)頃、心配したより『』などの中間小説誌を紹介され、以後中間小説誌での発表が増えていった。 なお、1966年2月から、、、、と共同で 、SFプロ作家の評論を掲載する同人誌『SF新聞』を刊行したが、数号で休刊となった。 ナンセンスから前衛文学へ [ ] 筒井はそれまでのナンセンス、ブラックユーモアの作風に加え、1970年代から様々な文体を用いた実験的な作品を発表していき、次第に熱狂的なファンを獲得していった。 初期のよく知られている作品には、によるを批判した『くたばれPTA』(1966年)、社会風刺からナンセンスな笑いを引き出した『ベトナム観光公社』(1967年)、の恐怖を描いた『懲戒の部屋』(1968年)、SF長編としての総決算的作品『』、高度経済成長期に勃興したやを揶揄した『女権国家の繁栄と崩壊』(ともに1970年)、エスパー七瀬を通して家族の裏側を書く『』、俗物的な人間を徹底的に風刺した『俗物図鑑』(ともに1972年)、小松左京『』のパロディ「」(1974年)など。 (昭和45年)の第1回を長編部門、短編部門で独占してから計8度同賞を受賞した。 また1968年(昭和43年)からに3度候補として挙げられたが(1967年『ベトナム観光公社』、1968年『アフリカの爆弾』、1972年『家族八景』)落選。 筒井は後にこの経験から、作家志願者が文学賞選考委員を次々に殺していく(単行本の表紙には「め。 」「この」「やいやいめ。 」などの記述が断片的にみられる)スラップスティック作品『』(1979年)を執筆している。 (昭和45年)の『脱走と追跡のサンバ』の発表を境に自身の作品からは徐々に純SF的な作品が減っていきながらも、(昭和46年)にはジュニア向けながら「SF入門の定番」として長年知られた『SF教室』を編集・執筆。 また、(昭和50年)から(昭和51年)にかけては、各年度のベスト短編をあつめたアンソロジー『日本SFベスト集成』シリーズを編集した。 (昭和47年)4月には東京から、妻の実家に近い神戸市垂水区に転居。 筒井は両親と不仲であり、妻の親族たちとさかんに交際した。 (昭和48年)8月には、SFファングループ「ネオ・ヌル」を山本義弘、小笠原成彦、、、らと結成(実際のところは、1975年の日本SF大会「SHINCON」の開催の考えが先行しており、その母体となるためSFファングループを結成したのであった )。 (昭和49年)の1月に『』復刊第1号が発行。 以降、この雑誌は、スポンサーが筒井、岡本俊弥を実質編集長として刊行されることとなる。 第2期「NULL」の特色は、「会員から応募されたすべてに、筒井が的確な『寸評』を書いた」ことにあった。 また、筒井が当時編集していた年刊傑作選『日本SFベスト集成』に、筒井は「NULL」掲載作から作品を選んでいる。 この「ネオ・ヌル」グループをスタッフとして、筒井は大会名誉委員長として(昭和50年)8月に、「SHINCON」を神戸で開催。 この大会のテーマは後に有名になる「SFの浸透と拡散」であり、によるピアノ演奏、舞台『スタア』()の上演、による落語「」など、企画の大半は筒井の人脈によるものであった。 なお、「ネオ・ヌル」出身の作家には、、、(亜羅叉の沙名義)、、、(井沢昭夫名義)、、らがいる。 また、すでに「SFマガジン」でデビューしていたや、第1期「NULL」に参加していたも「ネオ・ヌル」には参加していた。 「NULL」は1977年4月発行の号で終刊。 また、(昭和55年)にはの事務局長として、を後援としたの創設に尽力。 一方で、(昭和46年)より純文学雑誌『』に作品の掲載をはじめ、純文学の分野にも進出。 また同誌の海外作家特集を愛読し、、など中南米の作家への興味を持った。 (昭和53年)にはの紹介から『海』編集長の訪問を受け、中南米の文学について教示を受けるなどして大きな影響を受けた。 同年、登場人物が自身を虚構内の存在だと意識しているという設定を持つ『』でを受賞。 これを皮切りに、擬人化した文房具が乗り込む宇宙船団の混乱した群像・鼬の惑星の歴史・双方の戦乱とその末路を描き「純文学作品として」刊行した『』(1984年)、夢と蓋然性をモチーフに独自の文学空間を切り開いた『夢の木坂分岐点』(1987年、)、使用できる文字が1章ごとに1つずつ減っていく的な『』(1989年)など、の技法を用いた言語実験的な作品を多数執筆。 なお、『残像に口紅を』の執筆のためにを導入し 、これ以降の作品はコンピュータを使用して書かれている。 にも、文芸批評と大学機構をシニカルに下敷きにした学問小説『文学部唯野教授』、を使って読者の意見をインタラクティヴに取り入れながら、十八番の虚実錯綜の手法を使って連載された『』(1992年)など話題作を発表した。 『残像に口紅を』『文学部唯野教授』2作連載時にはストレスで胃穿孔を起こし入院、入院中にを読んで影響を受け、以後死や別れをモチーフにした作品も増えていった。 断筆宣言以後 [ ] (平成5年)、発行の高校国語のに収録されることになった『無人警察』内のの記述が差別的であるとして、から抗議を受け、数度交渉を行ったのちに決裂(後、筒井個人と団体間で解決)。 『無人警察』ではのを皮肉る舞台になっており、速度検査機・アルコール摂取量探知機・てんかんなどを検知する脳波測定器が付いている巡査ロボットが運転手を取り締まっているとして登場したために、 てんかんをもつ人々への差別的な表現があるとして日本てんかん協会に抗議された。 このとき、筒井の自宅には嫌がらせの電話や手紙が殺到したという。 さらに抗議の声におもねって筒井の言い分をまったく取り上げないマスコミに憤り 、『』に連載していたマスコミ日記「笑犬樓よりの眺望」上でを宣言。 その動機について、との対談で「いままで、いろんないやなことがあって、自主規制の問題なんかでも担当者にいやな思いをさせたけど、いちばんいやだったのは僕だったし、家族にまではそれは及ばなかった。 でも、今度の場合は、家族や親戚にまで波及した」 「今回は家族や親戚を守るためなんです」 と語っている。 また、との対談では「断筆宣言以前から、一方的に新聞にてんかん協会の抗議文が載りましたんで、文芸誌とかミニコミ誌とか読まない近所の人たちの中には、私の家族を犯罪者の家族を見るような目で見る人もいた」 と語っている。 同じ時期に筒井の母が急性心筋梗塞で死去したため、「(てんかん協会の抗議に関わる心労が)亡くなったのにもいささか関係があったんじゃないかと思いますけれども」 とも述べている。 断筆宣言は業界内でも賛否両論を起こし、友人である大江健三郎(息子のは癲癇の症状を持っている)からは、紙上で「社会に言葉の制限があるのならば、新しい表現を作り、使っていくのが作家ではないか」との批判を受けている。 また大江は、自らを炭坑内の有毒ガスにいち早く反応して危険を知らせるカナリアになぞらえた筒井を「太ったカナリア」と揶揄している。 この他、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 などから批判を受けたため、筒井は「断筆して以後、『文壇』というものがある、とよくわかった。 去って行く者に追い打ちをかけたり、つばを吐きかけたり、反感がすごい」 「ぼくを中傷することによって自分が浮上することだけを考えている。 今までぼくを認めるようなこと言っていたやつまでですよ」 と慨嘆した。 特に絓秀実は『文学部唯野教授』の中にエイズ患者への差別描写があると部落解放同盟に注進し、筒井への糾弾を促した(ただし糾弾には至っていない)。 一方、筒井を擁護した側には、、、、、、、、、、、、、、、たちがいた。 しかし「筒井の尻馬に乗って表現の自由をうんぬんしている作家たち」というや、みなみあめん坊(部落解放同盟大阪連合会池田支部代表の南健司)の発言が出てきたため、小林よしのり以外はみな沈黙してしまったという。 同年10月、断筆に至る経緯を記した『断筆宣言への軌跡』を刊行。 同年には「」特集「激論! 表現の自由と差別」にゲストパネラーとして出演し、『無人警察』問題について自らの立場を主張すると共に、かつて『週刊文春』1985年5月9日号のコラム「ぴーぷる欄」における「""というカーストがあるくらいで、SF作家が晴れの舞台を踏むことはまだ稀ですからね」 との発言をめぐり部落解放同盟から糾弾されかけたことを明らかにした。 これは日本文壇におけるSF作家への差別を自虐的に語った言い回しだが、そもそも「士農工商穢多非人」という熟語は知らなかったので部落を揶揄する意図はなかったと、このとき筒井はに釈明している。 筒井は以前「士農工商提灯屋」という表現に接したことがあり、洒落た表現なのでいつか使ってみようと思っていたとも、この番組で語っている。 断筆宣言の直接な原因は団体の抗議では無く、事勿れで言い換えや削除を行う出版の現状と、同じ作家(文壇)でも安易な批判や騒ぎに便乗する者など、援護や擁護する動きが全く見られなかった事に業を煮やし、1993年9月、「私、ぷっつんしちゃいました」と断筆宣言に至った。 (平成6年)4月1日、にてらのジャズ演奏からなる「筒井康隆断筆祭」を開催。 自身も演奏者として参加した。 (平成6年)8月30日、岡山で開かれた部落解放西日本夏期講座(主催・)のシンポジウム「差別問題と『表現の自由』」に基調講演者として出席。 によると「これまで、多くの作家がその著作のなかで差別表現を指摘され、抗議を受けたが、抗議された作家が、みずから被差別運動団体の集会に出席して自分の意見をのべるというのは、初めての出来事だった」という。 シンポジウムの冒頭の自己紹介で筒井は「差別者の筒井です」と言い放ち、2000人の出席者から万雷の拍手を受けたとされる。 、日本てんかん協会との間で書簡の往復による「合意」にこぎつけ、記者会見で内容を発表。 内容の骨子は 筒井氏が、角川書店に対し『無人警察』を次の版の教科書から取り除くよう申し入れる代わりに、• 将来の作品で問題があれば、協会は物理的な圧力を含まない公開の言論活動で「批判」をする。 その場合、要求は削除や書き直しでなく「新たな表現による弁明」とし、結論は筒井氏の判断にまかせる。 以上のことは筒井氏だけでなく、すべての表現者に適用される。 というものであった。 「差別表現」に対する従来の対処は、被差別者側が気の済むまで糾弾を続け、差別者とされた側がひたすら謝罪し要求を受け入れるという硬直したやり方しかなかったところ、筒井と日本てんかん協会が双方の見解の相違を残しつつ合意と妥協に知恵をしぼった点は高く評価されたが、旧来の部落解放同盟的な糾弾路線を支持する人々からは反発を買った。 日本てんかん協会との和解について、朝日新聞社社会部のや作家のから『』紙上で激しく糾弾された筒井は、「どんな作品書いたのか誰も知らないような塩見鮮一郎なんて作家」「(日本てんかん協会との間の)往復書簡ろくに読まないでコメントしてる。 解放同盟やてんかん協会が『よし』としてることにまで反対して、自社の自主規制を正当化しようとして、被差別団体以上の激しさでぼくを糾弾してくる」 と批判している。 断筆中の(平成7年)にで神戸市垂水区の自宅が被災する事態に見舞われる。 断筆中は演劇活動に力を入れ、またウェブサイトを開設し未発表作品の公開などを行なった。 断筆解除後 [ ] 11月から新潮社が断筆解除に向けて筒井にアプローチを開始。 、新潮社、文藝春秋社、角川書店と下記のような「覚書」を交わし、、3年3ヶ月ぶりに断筆を解除すると発表(これと同じ覚書を後にやとも交わしている)。 出版社は従前どおり筒井氏の意に反した用語の改変は行わない。 作品の用語に関し抗議があった場合、これに対処する権利と責任は著述者(筒井氏)にあり、出版社にも責任がある。 したがって、出版社が用語に関し抗議を受けた場合、著述者と協議し、その意志を充分尊重して対処する。 筒井氏が抗議に対処する上で、文書の往復や直接討論が必要になった場合には、出版社が責任をもって仲介し、その内容を発表する。 その後、に『邪眼鳥』で小説家復帰を果たした。 執筆再開後はこれまでの作風に加えて、『』(1998年、)や『愛のひだりがわ』など、『』以来の小説を発表。 還暦を過ぎたこともあり、『敵』『銀齢の果て』といった老いをテーマにした作品も発表している。 断筆解除後はトレードマークであった眼鏡やサングラスをかけるのを止め、口ひげを蓄えている。 さらに2000年代に入ってからは公の場では和服を着ることが多くなり、古典的な文士然とした身なりがトレードマークとなった。 近年の活動 [ ] との交流からに興味を持ち、(平成20年)『』にてライトノベル『』を掲載、に次ぐ高齢のライトノベル執筆者となった。 (平成24年)7月13日から(平成25年)3月13日まで、に小説「聖痕」が連載された。 2013年、他のベテラン作家らとともに、の名誉会員になった。 人物 [ ] (銘柄はヴォーグ等を愛煙。 )であることから、近年の「」を批判し、愛煙家団体「 [ ]」に参加している。 (昭和62年)には『健康ファシズム(当時の呼び名)』を揶揄する短編『』を執筆し、1995年に「」でドラマ化された際には、ありのをしている。 (平成16年)には、ほかが寄稿した本『喫煙者のユーウツ - 煙草をめぐる冒言』を共著として刊行している。 には昨今の運動について反発するため、やらと共に「喫煙文化研究会」を発足した。 エッセイ等における筆鋒は鋭く、批判の際には相手の知性や品性を端的に攻撃し、愚者として印象づけているため、敵も多い [ ]。 この戦闘性はにも及び、に発表した『巨船ベラス・レトラス』でも、実名で海賊行為を糾弾された出版社以上に、誰にでもそれとわかるような大手情報企業が手痛い描かれ方をされている。 さらに、かつて『堕地獄仏法』でを擬したが支配する恐怖の未来を描き、の猛烈な攻撃を受けるや、『末世法華経』で応酬するという騒ぎを起こした。 しかし、、といった政治的発言の多い友人を持ちながら、自らはと距離を置いている。 この立場を戯画的に描いた『旗色不鮮明』などでも明らかだが、これは意識した上でのことである。 ただし(昭和57年)の反核文学者声明に名を連ねたこともある。 この際に揶揄的な批判に対しては反駁を加えている。 東京での活動が多くなったことから、の他に(以前の居住時と同じ)にも自宅を構えている。 元、俳優のとは名前が似ているが、縁戚関係はない。 当然ながら関西弁である。 俳優としての活動 (昭和56年)8月9日、東京日比谷野外音楽堂にて、交友のあったらとともに、クラリネット奏者として『ジャズ大名セッション ザ・ウチアゲ コンサート』に出演。 このとき観客に混じっていた、アート・プロデュサーの(雑誌「」発行人でもあった)に原宿ラフォーレでのイベントを依頼され、これをきっかけに劇団「筒井康隆大一座」を立ち上げる。 翌年3月に自作『ジーザス・クライスト・トリックスター』を上演、筒井自身が主役を演じ、14日間の全日程すべて満席となった。 翌年、名古屋、京都、神戸、大阪を巡業、以降も「大一座」は筒井の作品『スイートホームズ探偵』『人間狩り』などを上演し、(平成元年)まで活動が続いた。 (平成5年)の断筆宣言以降は、執筆による収入が無くなることもあって俳優業に力を入れ、演出の単発ドラマやCM出演など、それ以前よりも頻繁に映画、テレビに出演するようになった。 断筆解除後の(平成9年)にはタレントとしてと契約 、執筆活動の傍ら映画やテレビドラマにたびたび出演している。 (平成11年)にはの依頼での『』にトリゴーリン役で出演、(平成12年)・(平成13年)にも蜷川演出の『弱法師』(『近代能楽集』)に主人公の義父役でと共演した。 原作者である『文学賞殺人事件 大いなる助走』にもゲスト出演し、SF作家を演じた。 シナリオについて• 『文藝時評』のなかでを批評したさい、「戯曲=文学、シナリオ=非文学という線引きはもう無意味なのではないか」と書いたことがある。 自作の映画化作品『時をかける少女』のパロディ・シナリオ(『串刺し教授』所収)を書いたが、これは映画化されることを目的としたわけではない。 また、映画化されていないシナリオに『大魔神』もあるが、これは企画が頓挫したため、出版のみに終わったと言われている。 ウィキペディアについて の「筒井康隆」の項目は間違いだらけだと、2010年(平成22年)11月23日に開催された『筒井康隆作家生活五十周年記念〜現代語裏辞典ライブ』において、多数の観衆の見る中、の「筒井康隆」の項目を開き、自身の身長から断筆宣言の経緯に至るまで本項目の間違いを指摘し内容を修正した(あまりに間違いが多いので修正は、後日、改めて行うことになった)。 慰安婦像に対する発言 2017年4月7日に、帰国していた駐韓大使の長峰が韓国に帰任することにふれ、の少女を「可愛い」と述べたあとに性的な表現を含む内容をブログで発信した。 公式ツイッターにも同様の内容を発信したがその日のうちに削除されている。 インターネットでは賛否の声があがり、韓国朝鮮日報日本語版は「衝撃的な妄言」と批判している。 これについて、筒井は「あんなものは昔から書いています。 ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう。 本当はちょっと『炎上』狙いというところもあったんです」と明かす一方、「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。 韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」とも話している。 受賞・叙勲歴 [ ]• (昭和45年) - 『霊長類南へ』で第1回(日本長編部門)、『フル・ネルソン』で同賞(日本短編部門)受賞。 (昭和46年) - 『ビタミン』で第2回(日本短編部門)受賞。 (昭和49年) - 『』で第5回(日本短編部門)受賞。 (昭和50年) - 『おれの血は他人の血』で第6回(日本長編部門)受賞。 (昭和51年) - 『』で第7回(日本長編部門)、『スタア』で同賞(映画演劇部門)受賞。 (昭和52年) - 『メタモルフォセス群島』で第8回(日本短編部門)受賞。 (昭和56年) - 『』で第9回受賞。 (昭和62年) - 『夢の木坂分岐点』で第23回受賞。 (平成元年) - 『ヨッパ谷への降下』で第16回受賞。 (平成2年) - 受賞。 (平成3年) - 受賞。 (平成4年) - 『』で第12回受賞。 (平成9年) - 名誉市民勲章受章。 ・シュバリエ章叙勲。 ・を受賞。 (平成11年) - 『』で第51回受賞。 (平成14年) - 受章。 (平成22年) - 第58回受賞。 (平成29年) - 受賞。 (令和元年) - 『東海道戦争』で1965年度(日本短編部門)受賞。 (令和元年) - 『筒井康隆、自作を語る』(編集:)で第50回星雲賞(ノンフィクション部門)受賞。 『新宿祭 初期作品集』(1972年、立風書房)• 『デマ 実験小説集』(1974年、番町書房)• 『村井長庵 歴史・時代小説集』(1975年、番町書房)• 『懲戒の部屋 自選ホラー傑作集1』(2002年、新潮文庫 )• 『驚愕の曠野 自選ホラー傑作集2』(2002年、新潮文庫 )• 『 自選ドタバタ傑作集1』(2002年、新潮文庫 )• 『傾いた世界 自選ドタバタ傑作集2』(2002年、新潮文庫 )• 『近所迷惑 自選短篇集1 ドタバタ篇』(2002年、徳間文庫 )• 『怪物たちの夜 自選短篇集2 ショート・ショート篇』(2002年、徳間文庫 )• 『日本以外全部沈没 自選短篇集3 パロディ篇』(2002年、徳間文庫 )• 『睡魔のいる夏 自選短篇集4 ロマンチック篇』(2002年、徳間文庫 )• 『カメロイド文部省 自選短篇集5 ブラック・ユーモア未来篇』(2003年、徳間文庫 )• 『わが愛の税務署 自選短篇集6 ブラック・ユーモア現代篇』(2003年、徳間文庫 )• 『ポルノ惑星のサルモネラ人間 自選グロテスク傑作集』(2005年、新潮文庫 )• 『ヨッパ谷への降下 自選ファンタジー傑作集』(2005年、新潮文庫 )• 『日本以外全部沈没 パニック短篇集』(2006年、角川文庫 )• 『陰悩録 リビドー短篇集』(2006年、角川文庫 )• 『如菩薩団 ピカレスク短篇集』(2006年、角川文庫 )• 『夜を走る トラブル短篇集』(2006年、角川文庫 )• 『佇むひと リリカル短篇集』(2006年、角川文庫 )• 『くさり ホラー短篇集』(2006年、角川文庫 )• 『出世の首 ヴァーチャル短篇集』(2007年、角川文庫 ) 戯曲 [ ]• 『スタア』(1973年、新潮社)• 『創作S・Fどうわ かいじゅうゴミイ』(1967年、盛光社)• 『創作SFえほん 地球はおおさわぎ』(1969年、盛光社)イラスト:• 『三丁目が戦争です』(1971年、講談社 イラスト: 1969年発表『心狸学・社怪学』所収「優越感」の、視点を入れ替えた作品。 三丁目が戦争です(洋泉社 )イラスト:永井豪• 三丁目が戦争です()イラスト:• 『筒井康隆全童話』(1976年、角川文庫 )• 『ジャングルめがね』(1977年、小学館)イラスト:• 『イチ、ニのサン! 』(1986年、河出書房新社 )イラスト:• 『筒井康隆漫画全集』(2004年、実業之日本社) 随筆・評論など [ ]• 『電脳筒井線 朝のガスパールセッション』(全3巻、1992年、朝日新聞社)• 『本の森の狩人』(1993年、岩波新書 )• 『断筆宣言への軌跡』(1993年、光文社 )• 『筒井康隆スピーキング 対談・インタビュー集成』(1996年、出帆新社 )• 『筒井康隆かく語りき』(1997年、文芸社 )• 『わかもとの知恵』(2001年、 )画:• 『笑犬楼の知恵 筒井康隆トークエッセー』(2002年、金の星社 )• 『筒井康隆の現代語裏辞典「あ〜き」』(2003年、文源庫)• 『筒井康隆の現代語裏辞典「き〜こ」』(2004年、文源庫)• 『アホの壁』(2010年、新潮新書 )• 『誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授・最終講義』(2018年、河出書房新社 )解説• 『不良老人の文学論』(2018年、新潮社 ) 共著・対談等 [ ]• 『SF教室』(1971年、ポプラ社)- 編著 日本SFの歴史、作家、作品紹介を筒井、海外を、映像、漫画、用語解説をが担当。 『SF作家オモロ大放談』(1976年、いんなあとりっぷ社) 共著:・筒井康隆・・・・・・• おもろ放談(1981年、角川文庫)• 『空飛ぶ冷し中華』(1977年、住宅新報社)全日本冷し中華愛好会:編• 『空飛ぶ冷し中華〈part2〉』(1978年、住宅新報社)全日本冷し中華愛好会:編• 共著:、筒井康隆、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、• 『定本ハナモゲラの研究』(1979年、講談社)• 共著:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・• 『10 日本語を生きる』(1985年、中央公論社) 共著:、、• 『ユートピア探し 物語探し』(1988年、岩波書店) 共著:、井上ひさし• 『脳みそを哲学する』(1995年、講談社) 共著:・・・・・・・・・• 『筒井漫画涜本』(1995年、実業之日本社)• 『笑いの力』(2005年、岩波書店) 共著:、• 『対談 笑いの世界』(2005年、朝日新聞社) 共著:• 『筒井漫画涜本ふたたび』(2010年、実業之日本社)• 『筒井康隆 自作を語る』(2018年、早川書房)編 編集 [ ]• 『夢からの脱走』(1969年、新風出版)• 『実験小説名作選』(1980年、集英社文庫)• 『ネオ・ヌルの時代』PART1-3(1985年、中公文庫)• 『41 嘘』(1986年、作品社)• 『夢探偵「光る話」の花束』(1989年、光文社)• 『人間みな病気』(1991年、福武文庫)• 『パスカルへの道』(1994年、中公文庫)• 『21世紀文学の創造1 現代世界への問い』(2001年、岩波書店)• 『21世紀文学の創造3 方法の冒険』(2001年、岩波書店) 監修 [ ]• 写真小説 男たちのかいた絵(1996年、徳間書店)原作・監修。 徳間書店よりノベライズの依頼を受けたが、断筆中であったため筆名を用い、映画を見て筒井本人が書き上げた。 本人曰く「おれ自分のゴーストライターしたことあるねん」とのこと。 科学の終焉(おわり)(1997年、徳間書店)監修。 著: 訳:• 続・科学の終焉(おわり) 未知なる心(2000年、徳間書店)監修。 著: 訳:• 眠気をあやつる本(2003年、PHP研究所)監修。 編著:、• 哲学の冒険(2004年、集英社インターナショナル)監修。 著: 訳: 著作集 [ ]• 『筒井康隆全集』(全24巻:1983年 - 1985年、新潮社)• 『筒井康隆コレクション』(・編、全7巻、出版芸術社)• コレクションI 48億の妄想(2014年)• コレクションII 霊長類 南へ(2015年)• コレクションIII 欠陥大百科(2015年)• The Girl Who Leapt Through Time(時をかける少女) David Karashima• The Maid (家族八景)訳 1989 What the Maid Saw• Salmonera Men on Planet Porno(ポルノ惑星のサルモネラ人間)Andrew Driver 2008• Paprika パプリカ)Andrew Driver 2009• Hell ヘル) Evan Emswiler 2010 フランス語訳 [ ]• Les Cours particuliers du professeur Tadano(文学部唯野教授)Jeanne Cotinet 1996• Mein Blut ist das Blut eines anderen(俺の血は他人の血) Otto Putz 2006• Professor Tadano an der philosophischen Fakultaet(文学部唯野教授) Stefan Wundt 中国語訳 [ ]• 『穿越时空的少女』丁丁虫 上海译文出版社 2007• 『文学部唯野教授』何晓毅 人民文学出版社 2007• 『梦侦探』(パプリカ)丁丁虫 上海译文出版社 2010• 『爱的左边』(愛のひだりがわ) 伏怡琳 人民文学出版社 2009 その他の外国語訳 [ ]• Otto scene di famiglia(家族八景、伊語) M. Migliore• デマ(1973年)• 家(1976年)• 筒井康隆文明(1978年)• THE INNER SPACE OF YASUTAKA TSUTSUI(1985年)• A面:活動写真、I Surrender Dear、Everyone Says I Love You、ジャズ大名• B面:昔はよかったなあ(朗読:筒井康隆)、Smoke Rings• 1983 - 1985年発売 新潮社「筒井康隆全集」全巻購入者特典のLPレコード 非売品(「筒井康隆全集」の全巻購入者が応募券を全巻分揃えて応募すると送られる)。 後に、CD化され市販。 作曲 [ ]• 活動写真• 銀色の真昼 カセットブック [ ]• 筒井康隆大一座 ジーザス・クライスト・トリックスター(1984年 中央公論社)• 昭和58 1983 年8月11日、12日 東京・日本都市センターホール公演より。 A面:昔はよかったなあ(朗読:筒井康隆)、おもての行列なんじゃいな(朗読:筒井康隆)• B面:狸(朗読:納谷六郎)、顔面崩壊(朗読:納谷六郎)• 1986年11月13日 東京・新宿安田生命ホールでのライブ収録• カラス エロチック街道(1987年2月 新潮社「新潮カセットブック」T-1-2)• A面:カラス(朗読:納谷六郎)、エロチック街道(1)(朗読:筒井康隆)• B面:エロチック街道(2)(朗読:筒井康隆)• 急流 関節話法(1987年3月 新潮社「新潮カセットブック」T-1-3)• A面:急流(朗読:角野卓造)、関節話法(1)(朗読:角野卓造)• B面:関節話法(2)(朗読:角野卓造)• 泣き語り性教育 一について(1987年4月 中央公論社「カセット劇場」)• ショートショート・フェスティバル(1987年6月 新潮社「新潮カセットブック」Y-4-1)• A面:また何かそして別の聴くもの(リレー朗読:筒井康隆 納谷六郎 伊沢弘 上山克彦)、きつね(朗読:納谷六郎)、客(朗読:伊沢弘)、鏡よ鏡(朗読:上山克彦)、池猫(朗読:納谷六郎)、到着(朗読:伊沢弘)、猛烈社員無頼控(朗読:納谷六郎)• B面:自動ピアノ(朗読:伊沢弘)、逆流(朗読:上山克彦)、傾斜(朗読:伊沢弘)、見学(朗読:上山克彦)、早口言葉(リレー朗読:筒井康隆 納谷六郎 伊沢弘 上山克彦)、原始人(朗読:筒井康隆)• 1987年4月28日 兵庫県尼崎市つかしんホールでの「筒井康隆大一座」朗読会のライブ収録。 (カセット収録の作品の一部分、又は、作品の全部は、何らかの理由によってライブ収録された音声は使われず、後でスタジオで録音された音声が編集により挿入されているものもある。 横車の大八 最初の混戦 (1987年12月 新潮社「新潮カセットブック」T-1-5)• A面:歓待(朗読:納谷六郎)、最初の混線(納谷六郎 奥村公延)、横車の大八(1)(筒井康隆 奥村公延)• B面:横車の大八(2)(筒井康隆 奥村公延)、超能力(朗読:納谷六郎)• 機械(1988年)作品の朗読• 筒井康隆ショートミステリー(1988年4月 TBSブリタニカ (阪急コミュニケーションズ)「TBSブリタニカSOUNDミステリー」)• A面:• B面:• ミステリーゾーン(1986年、TBSラジオ)よりのカセットブック化。 誰にもわかるハイデガー(1990年10月 新潮社「新潮カセット講演」) ビデオ [ ]• 1997年4月6日 12:00 - 18:00放送 PerfecTV! (筒井康隆のインタビューや、筒井康隆との対談(鼎談)等や、イベントで披露された、筒井康隆による朗読での「乖離」、「エンガッツィオ司令塔」を収録。 劇団BIG FACEによる「筒井ワールド4」の公演より、「最高級有機質肥料」の舞台放送、など)• エンガッツィオ司令塔 LIVE!!! (1997年11月27日発売 EMIミュージック・ジャパン 収録時間:90分)• 1997年3月2日 東京・渋谷ビデオスタジオ第3スタジオから、「筒井康隆・衛星インターネットライブ」として、インターネット生中継放送された、筒井康隆などが「エンガッツィオ司令塔」を朗読した模様などを収録。 (テレビ番組「筒井康隆の21600秒」よりからのビデオ化)• 乖離 LIVE!!! (1997年12月27日発売 EMIミュージック・ジャパン 収録時間:47分)• 1997年1月24日 兵庫県・新神戸オリエンタル劇場で行われた「The Hurly-Burly Show 〜星降る夜の神戸〜」で、筒井康隆が自作の「乖離」の朗読などを収録。 (テレビ番組「筒井康隆の21600秒」よりからのビデオ化) デジタルブック [ ]• 筒井康隆四千字劇場(1994年) PC-9800専用 単行本装丁 [ ]• 『骨』(1977年)直々の依頼により iTunes Store オーディオブック [ ]• ・・・・・・(いずれもリリース) 著書のメディア展開 [ ] 漫画 [ ]• 東海道戦争(1969年) 漫画:• アフリカの爆弾(1975年) 漫画:• 混乱列島(1977年) 漫画:• ハウスジャックナナちゃん(1977年) 漫画:• アクション クライマックス 霊長類 南へ(1979年) 漫画:• 筒井康隆大一座公演全記録 写真漫画 ジーザス・クライスト・トリックスター 山にのぼりて笑え(1982年) 漫画:• (1985年) 漫画:• 薬菜飯店(1994年) 漫画:• (1995年 - 1996年) 漫画:萩原玲二• 筒井漫画涜本(1995年) 漫画:・等 表紙:• (2001年 - 2003年) 漫画:• (2003年) 漫画:萩原玲二(1995年-1996年に描いたものに加筆)• (2004年) 漫画:• (2006年) 漫画:• ベトナム観光公社(2006年) 漫画: 少年マガジン:1971年• (2007年 - 2008年) 漫画:• 東京のたそがれ(不明) 漫画: テレビドラマ [ ]• (1972年、NHK)• 「廃塾令」(1978年、NHK)• 芝生は緑(1979年、毎日放送)• 七瀬ふたたび(1979年、NHK)• おとぎの部屋「ジャングルめがね」(1980年、NHK教育)• (1985年、フジテレビ)• 家族八景(1986年、フジテレビ)• 筒井康隆の三人娘(1986年、日本テレビ)• さんまの「おれは裸だ」(1988年、よみうりテレビ)• カラダ記念日(1989年、TBS)• (1991年 - 、フジテレビ)• 「ユリコちゃん」(1991年)• 「おれに関する噂」(1991年)• 「時の女神」(1994年)• 「」(1995年)• 「熊の木本線」(1996年)• 「自殺悲願」(1997年)• 「鍵」(2003年)• 「夢の検閲官」(2009年)• 「走る取的」(2014年)• 「通いの軍隊」(2016年)• 月曜・女のサスペンス「フェミニズム殺人事件」(1991年、テレビ東京)• (1994年、フジテレビ)• 七瀬ふたたび(1995年 - 1996年、フジテレビ)• 怪物たちの夜(1997年、テレビ朝日)「幻想ミッドナイト」第二夜。 七瀬ふたたび(1998年、テレビ東京)• (2002年、TBS)「新春!LOVEストーリーズ」第3話• (2005年、テレビ朝日)• (2006年、テレビ朝日)• 七瀬ふたたび(2008年、NHK)• 家族八景 Nanase, Telepathy Girl's Ballad(2012年、)• (2016年、日本テレビ) テレビアニメ [ ]• (2020年、フジテレビ) ラジオドラマ [ ]• 脚色: 琵琶:押田旭窈 出演: 三宅康夫 他• 「ヒストレスヴィラからの脱出」(1978年7月28日) 再放送 1978年11月5日 17:05 - 18:00)• 脚色:石堂淑朗 出演:山本紀彦 他• 第1話「バブリング創世記」(1978年4月17日)• 第2話「マグロマル」(1978年4月18日)• 第3話「アフリカの爆弾」(1978年4月19日)• 第4話「わが愛の税務署」(1978年4月20日)• 第5話「ヒノマル酒場」(1978年4月21日)• 「富豪刑事」(1979年6月13日 - 6月15日)• 脚色:小野勝也 出演: 他• 怪物たちの夜/あるいは酒でいっぱいの海(1979年7月20日)• 脚色: 演出:大沼悠哉 音楽:山下洋輔 音楽演奏:筒井康隆 山下洋輔 他 出演: 他• 「近未来物語」(1983年12月19日 - 23日)(再放送:1984年12月17日 - 21日(再放送時の番組冒頭に、初回放送日が紹介された)) 脚色:能勢紘也 出演:• 第1回「ゲゼルシャフト」(1983年12月19日)(再放送:1984年12月17日)• 第2回「サディズム」(1983年12月20日)(再放送:1984年12月18日)• 第3回「条件反射」(1983年12月21日)(再放送:1984年12月19日)• 第5回「ワースト・コンタクト」(1983年12月23日)(再放送:1984年12月21日)• 「筒井康隆の日本の歴史〜竹中直人一人芝居」(1983年9月26日)• 脚色:宮沢明夫 演出:戸田郁夫 出演:• 「五郎八航空」(1984年7月2日)• 脚色:山元清多 演出:北山雄一郎 出演:• 「筒井康隆特集」(1986年4月、5月)• 第1回「経理課長の放送」(1986年4月13日)• 脚色:山元清多 演出: 出演:朝比奈尚行 斉藤晴彦 劇団 時々自動 (当時:TBSアナウンサー)• 第2回「ワイド仇討ち」(1986年4月20日)• 脚色: 演出: 出演: 草野大悟 五味陸仁(当時:TBSアナウンサー)• 第3回「短編3話」第1話「YAH! 」 第2話「童話 地球はおおさわぎ」 第3話「俺に関する噂」(1986年4月27日)• 脚色:津川泉 演出: 出演: 五味陸仁(当時:TBSアナウンサー)• 第4回「走る取的」(1986年5月4日)• 脚色: 演出: 出演:• 「筒井康隆短編集」(1991年6月2日)• 第1話「信仰性遅感症」 第2話「わが家の戦士」• 脚色: 演出:佐藤つかさ 出演:青野武• 「筒井康隆作品集」(1993年5月2日)• 第1話「最後の伝令」 第2話「瀕死の舞台」• 脚色:山元清多 演出:北山雄一郎 出演:斉藤晴彦 村松克己 小篠一成• 「筒井康隆作品集」(1993年8月15日)• 第1話「老境のターザン」 第2話「通いの軍隊」• 脚色:山元清多 演出:北山雄一郎 出演:斉藤晴彦 村松克己 小篠一成 新井純 服部吉次 長谷透 木野本啓 横田桂子 田村義明 内沢雅彦 岩井ひとみ• 俺の血は他人の血(1974年)監督:• 二人でお茶を(1979年)監督:• 素敵なあなた(1980年)監督:早川光• スターダストライジング(1980年)監督:早川光• 歪み-SCREW(1980年)監督:• ウィークエンド・シャッフル(1982年)監督:• (1982年)監督:• (1983年)監督:• 家族八景(1984年)監督:内藤誠• (1986年)監督:• スタア(1986年)監督:内藤誠• (1989年)監督:• 男達の描いた絵(1990年)監督:• 怖がる人々(1994年)監督:、オムニバス映画。 第3話「乗越駅の刑罰」、第5話「五郎八航空」• 男たちのかいた絵(1996年)監督:• (1997年)監督:• (2003年)監督:• (2006年)監督:• (2006年) 監督:• (2006年)監督:• 七瀬ふたたび(2010年)監督: インターネット配信ドラマ [ ]• 筒井康隆劇場「エロティックな総理」(2006年、GyaO)• 「信仰性遅感症」「だばだば杉」「おれは裸だ」「活性アポロイド」• 出演:筒井康隆 舞台 [ ]• 「筒井ワールド」 BIG FACE 1995年1月20日 - 22日 新宿シアター・モリエール• 「言葉と〈ずれ〉」「陰脳録」「うるさがた」「団欒の危機」• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:伊沢弘 上山克彦 桜山優 斉藤勝 渡辺真砂子 他• 「筒井ワールド 2」 BIG FACE 1995年10月13日 - 17日• 「信仰性遅感症」「熊の木本線」「通いの軍隊」• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:石原澄雄 村井理恵 勝田治美 桜岡あつこ 工藤順矢 他• 「筒井ワールド 3」 BIG FACE 1996年7月12日 - 13日 アメリカ・ロサンゼルス全米日系人博物館 1996年8月1日 - 5日 新宿シアター・モリエール• 「ジス・イズ・ジャパン」「走る男」「最悪の接触(ワースト・コンタクト)」• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:藤田みどり 松尾智昭 二反田雅澄 伊藤結加 小山剛志 他• 「筒井ワールド 4」 BIG FACE 1997年2月5日 - 11日 両国シアターX• 「座敷ぼっこ」「こぶ天才」「懲戒の部屋」「最高級有機質肥料」• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:千田隼生 佐藤昇 吉宮君子 名倉右喬 津川友美 他• 「筒井ワールド 5」 BIG FACE 1997年8月18日 - 24日 両国シアターX• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:吉見絹 小池浩司 山崎カカト 小松さとる 他• 「筒井ワールド コマーシャル・サーカス'98」 BIG FACE 1998年1月13日,15日 新宿シアター・モリエール• 「最悪の接触(ワースト・コンタクト)」• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:伊沢弘 上山克彦 鈴木歩己 坂下しのふ 鹿嶋優子 他• 「筒井ワールド 6」 BIG FACE 1998年2月4日 - 10日 両国シアターX• 「さなぎ」「おれは裸だ」「ウィークエンド・シャッフル」• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:倉田知美 並木愛枝 角田文 星野史帆 野原・S・ひろみ 他• 「筒井ワールド 7」 BIG FACE 1999年2月24日 - 3月2日 両国シアターX• 「エンガッツィオ司令塔」「天の一角」「風」• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:納谷悟朗 白石奈緒美 朝本紗ゆり つきよな照世 上世博及 他• 「筒井ワールド 8」 BIG FACE 1999年8月25日 - 31日 両国シアターX• 「おれに関する噂」「かゆみの限界」「ヒノマル酒場」• 出演:藍ひとみ 松尾智昭 光岡湧太郎 妹尾青洸 花村宗冶 他• 「筒井ワールド 9」 BIG FACE 2000年2月23日 - 29日 両国シアターX• 「走る取的」「老境のターザン」「妻四態」「間接話法」• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:桜山優 吉見絹 風間竜一 並木秀介 他• 「筒井ワールド FINAL」 BIG FACE• 「第1ラウンド」 2000年8月2日 - 6日 両国シアターX• 「人間狩り」「おれは裸だ」「夢の検閲官」• 「第2ラウンド」 2000年8月9日 - 13日 両国シアターX• 「座敷ぼっこ」「最悪の接触(ワースト・コンタクト)」「熊の木本線」• 「第3ラウンド」 2000年8月16日 - 20日 両国シアターX• 「信仰性遅感症」「ショート・ショート」「ウィークエンド・シャッフル」• 「第4ラウンド」 2000年8月23日 - 27日 両国シアターX• 「通いの軍隊」「陰脳録」「ヒノマル酒場」• 「大阪公演」 2000年9月8日 - 10日 大阪HEPHALL• 「陰脳録」「通いの軍隊」「ヒノマル酒場」• 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:筒井康隆 納谷悟朗 永井一郎 紅萬子 片岡貴弘 亀山忍 高田祐司 他 総勢90名 コンピュータゲーム [ ]• - 一部シナリオ書き下ろし。 自身も俳優としてゲーム出演。 ロングインタビュー掲載。 『筒井康隆のケンタウルスの殺人』、1984年、PC8801シリーズ。 インターネット 音楽(音声)ダウンロード [ ]• iTunes Store 等の音楽ダウンロードサイトで、いくつかの朗読作品等が、有料でダウンロードできる。 出演 [ ] テレビ [ ] 現在出演中 [ ] なし 過去に出演した番組 [ ]• (1971年、NETテレビ)とともに司会• 「もうひとつの動機」(1979年、朝日放送)• (1980年、中部日本放送)、とともに出演• 「刑事たちのロンド」(1983年、朝日放送)• (テレビ朝日 1993年10月14日放送「激論! 表現の自由と差別」ゲストパネラー• 夢の帰る場所(1994年、関西テレビ)• (1994年、フジテレビ)寺の住職 役• (1994年 - 1995年、NHK教育)- 司会• 「最後の喫煙者」(1995年、フジテレビ) - 日下部安隆• 「遠すぎた男」(2003年、フジテレビ) - 医者 役• 「日の出通り商店街いきいきデー」(2008年) - 医師 役• 涙たたえて微笑せよ-明治の息子・島田清次郎(1995年、NHK)• (1995年、TBS)水野久明 役• 小石川の家(1995年、テレビ東京)• 七瀬ふたたび(1995年 - 1996年、フジテレビ)• 響子(1996年、TBS)• (1996年、NHK)• ゆまにて・筒井康隆の21600秒(1997年4月6日 12:00 - 18:00、PerfecTV! (後に、「筒井康隆の21600秒」は、ビデオ化され市販(JICビデオ)。 別に朗読部分は、1997年に「エンガッツィオ司令塔 LIVE!!! 」(1997年11月27日発売 EMIミュージック・ジャパン 収録時間:90分)、「乖離 LIVE!!! 」(1997年12月27日発売 EMIミュージック・ジャパン 収録時間:47分)としてビデオ化され市販。 6時間のドキュメンタリー番組。 (途中CM等が入り(「PerfecTV! 神戸の自宅でのインタビュー。 (冒頭、画面下に、経歴等を字幕でスクロール表示)(執筆について、パソコン、インターネットの導入、自身のホームページの事等(書斎にて)。 ) (私蔵のビデオテープより榎本健一主演の「孫悟空」の一部音声のみ(テレビ画面は権利関係等により映されていなかった)(テレビ、ビデオデッキが置かれている和室にて)。 )(約9分強)• 番組タイトル「筒井康隆の21600秒」 題字:筒井康隆• (リハーサル、バンド演奏部分は、約5分強 朗読部分は、約34分)(合計約40分)• 筒井康隆の略歴。 (誕生から子供時代〜社会人時代の写真数枚。 「NULL」創刊号の表紙や目次の画像、初期出版物の表紙の画像数点、家族との写真、自筆原稿の一部の映像、筒井康隆大一座の写真、白石加代子との写真等。 )(約4分半)• 、との「筒井康隆対談」。 (実質は「鼎談」)(約43分)• 筒井本人も観に行った、1997年2月5日収録の両国での劇団BIG FACEによる「筒井ワールド4」の公演より(公演は同年2月5日〜11日)、「座敷ぼっこ」「こぶ天才」「懲戒の部屋」の一部の模様、同公演の構成・演出の伊沢弘のインタビュー、公演前のロビーでのサイン即売会の模様。 (約9分弱) 「最高級有機質肥料」の舞台放送(約29分)。 (上演後 出演者全員の舞台挨拶後、「断筆を解き、執筆を再開します。 筒井康隆」の垂れ幕が降ろされる)(合計約35分)• 1997年2月5日 東京・六本木 Berホワイトにて 断筆宣言解禁を祝って親しい友人、出版関係者らとの集まりの模様。 (山下洋輔の挨拶、筒井のクラリネットの公開練習の模様(山下作の楽曲)の一部等)(約5分)• 山下洋輔との「筒井康隆対談」。 (約33分半)• 1997年3月2日 東京・渋谷ビデオスタジオ第3スタジオからの、衛星回線なども使用してのインターネットを使った生ライブ放送、「PerfecTV! Presents! 筒井康隆・衛星インターネットライブ」(演出: 主催:PerfecTV! Presents! 制作:JIC「地球の声」 神戸セントラル開発 小椋事ム所)(インターネットを使っての生ライブ放送「衛星インターネットライブ」と同時に録画もされる 開場:15:30 開演:16:00)での「エンガッツィオ司令塔」を自身で朗読し(相手役:)生中継した時の模様(衛星アンテナの設置やインターネットでの送信の準備、リハーサル等の模様、約5分強。 朗読、約53分)。 映画「俗物図鑑」(手塚眞の出演部分)、映画「スタア」(筒井康隆の出演部分)の一部映像(約2分半)。 同「衛星インターネットライブ」での、手塚眞との「インターネットライブ 筒井康隆対談」。 (前半(25分強)は、内藤誠と、後半(31分強)は手塚眞を交えての鼎談。 (約57分))(合計約118分)(当日のインターネットライブには、海外も含め約2万人がアクセスしたとのこと(番組中のインポーズの文字情報より。 との「筒井康隆対談」。 (約38分)• 京都夜の祇園殺人事件(1997年、フジテレビ)• 怪物たちの夜(1997年、テレビ朝日)「幻想ミッドナイト」第二夜。 町(1997年、フジテレビ)• (1998年、フジテレビ)• (1998年、TBS)中田道夫 役• (1998年 - 1999年、テレビ朝日)速水英介 役• 七瀬ふたたび(1998年、テレビ東京)漁連平 役• 勇気をだして(1998年、TBS)• 昼下がり・社宅奥様探偵団(1998年、フジテレビ)• (1999年、テレビ東京)• (1999年、日本テレビ)宝竜会会長 田島一彦 役• 同窓会へようこそ(1999年、TBS)20年前のクラスの担任教師 役• (1999年、テレビ朝日)文学賞の選考委員長 役• (2000年、フジテレビ)• 春の呪いスペシャル 第1話「恐怖心理学入門」(2000年、フジテレビ)田中教授 役• (2000年、TBS)渡辺一途 役• ここだけの話し「思い出せない! 」(2001年、テレビ朝日)• スペシャル 香港死闘編(2001年、日本テレビ)香港マフィアの親玉 王富城(ワン・フーシン)役• 百萬男(2001年、フジテレビ)謎の人物 百萬男 役• 社宅奥様探偵団2(2001年、TBS)• (2001年、NHK大河ドラマ)開祖 役• 2(2001年、TBS)渡辺一途 役• グズ茂検事の犯罪捜査(2002年、テレビ東京)• (2002年、フジテレビ) 役• 血脈(2003年、テレビ東京)• (2003年、NHK)• (2003年 - 、フジテレビ)の代わりに数回出演• (2003年 - 2004年、NHK)宝塚音楽学校講師 役• ・箱根湯河原温泉交番(2004年、日本テレビ)小説家・今出川龍之介 役• (2004年、TBS)東都新聞会長 藤森信介 役• (2005年、テレビ朝日)瀬崎龍平 役• (2005年、TBS)河野総一郎 役• (2005年 - 2020年、)主に関西地区で放送• 第2話「出来すぎたアリバイ! 消えた殺人犯」(2006年、テレビ朝日)筒井康隆 役• (2006年、NHK)千葉龍太郎 役• 第3シリーズ 第4話「蜩 ひぐらし 」(2006年、NHK)• (2008年 -2010年, テレビ東京)• (2010年 - 2011年、テレビ東京) ラジオ [ ]• 筒井康隆のOIL SELLER HOUR(1995年~1996年頃、) インターネット配信ドラマ [ ]• 筒井康隆劇場「エロティックな総理」(2006年、GyaO) 映画 [ ]• (1966年、監督:)女奴隷市の野次馬 役(声の出演)• スタア(1986年、監督:)地震研究所長 犬神博士 役• (1989年、監督:)文壇バーで怒鳴り散らすSF作家 役• 怖がる人々 第2話「吉備津の釜」(1994年、監督:)会社の男A 役• 樹の上の草魚(1997年、監督:)池貝伸一 役• (1999年、監督:)大徳寺茂文 役• (1999年、監督:)メディアステーション編成部長 役• (2000年、監督:)(声の出演)• (2000年、監督:)手塚和彦 役• ひっとべ(2001年、監督:)石井さん 役• STACY(2001年、監督:)犬神博士 役• 第3話「コールドスリープ」(2002年、監督:)• (2004年)監督:• (2005年、監督:)ミヤギ 役• (2005年、監督:犬童一心)(声の出演)• (2006年、監督:)酒場の男 役• (2007年、監督:・井出良英)山城組長 役 舞台 [ ]• 筒井康隆大一座・旗揚げ公演『ジーザス・クライスト・トリックスター』(1982年)主演• 同『ジーザス・クライスト・トリックスター』全国巡演(1983年)• 同『人間狩り』(1984年)• 同『スタア』(1985年)• 同『スタア』新神戸オリエンタル劇場2周年記念公演(1990年)• 劇書房『・筒井康隆二人芝居』全国巡演(1995年)• 『』演出 スタジオコクーン(1999年)トリゴーリン 役• 『』紀伊国屋パフォーマンス(1999年)• 『』演出 アートソフィア(2000年)主演• 筒井ワールドファイナル「ヒノマル酒場」シアターX(2000年)• 『』演出 さいたま芸術劇場ほか(2000年)• 名作劇場『冬の運動会』演出 脚本 新橋演舞場(2001年)• 『』山田和也演出 ル・テアトル銀座、大阪・近鉄劇場(2002年) 劇場アニメ [ ]• (2006年) CM [ ]• ()()役。 「通販生活」()• ()ナレーションは。 ・()当初、筒井は声のみの出演。 『モルツ裁判編』で・と共演。 筒井は裁判官役。 このCMに出た頃あたりから眼鏡をかけるのを止める。 ・()と共演。 ・・()と共演。 ・()と共演。 関連人物 [ ]• - 筒井を「以上にユダヤ的」と評する。 - 筒井の作品の表紙絵や挿絵を多く手掛ける。 表紙絵や挿絵などで筒井の似顔絵を描く場合(例・『笑犬樓よりの眺望』の表紙カバー)、美男子過ぎて描けないという理由で(また表情がないほうが筒井の毒や悪意を表現できる、という理由で)目・鼻・口を省略し「」にしている。 に筒井が連載していたエッセイ「狂気の沙汰も金次第」のイラストを山藤が担当した時より続いている。 - 山藤同様に筒井の作品の挿絵や表紙絵を手掛けたイラストレーター。 『』の挿絵や、『朝のガスパール』の挿絵・表紙絵等を手掛けた。 - イラストレーター。 『あるいは酒でいっぱいの海』や『巨船 ベラス・レトラス』の表紙絵を手掛けた。 - 漫画家。 短編集『傾いた世界』と『最後の喫煙者』(いずれも新潮文庫)のカバーイラストを手掛けた。 - 長年の友人の。 筒井の結婚のでもある。 - 長年の友人の作家の一人。 筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。 - 長年の友人の作家の一人。 筒井が1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。 - 長年の友人の作家の一人。 - 長年の友人のSF作家。 SF作家たちの飲み会で星が放つ、奇想天外な馬鹿話は、筒井に大きな影響を与えた。 また、『』のヒットを祝うSF作家たちの集まりで、星新一は「『』なんて題名もいいんじゃない? 」と題名を考案。 小松左京の許可を得て筒井康隆は『日本以外全部沈没』を執筆した。 なおによる評伝「星新一」によると、星は、自分のブラック・ジョークに影響されて、自分より文学的に評価されていく筒井のことを、嫉妬していたという。 、 - 筒井より4歳年下のSF作家。 二人とも筒井より先に「SFマガジン」に登場し、筒井を悔しがらせた。 筒井が上京して原宿に住んだばかりの頃は、3日とあけず、3人で会うほど親密だった。 - ハードボイルド、SF作家。 ジャズ愛好、山下トリオのファンという共通点があり、一時は親密な関係だった。 - ハードSF作家。 関西在住で筒井も目をかけ、山下トリオにも筒井が紹介し、交流がある。 また、1973年の筒井の傑作短編「熊の木本線」に登場する架空の民謡「熊の木節」について、作曲し振り付けを考えて、筒井ファンの前で披露した。 下記「」の発起人の一人。 -過激なギャグSFを書く作家として、「筒井の後継者」とみなされたこともある作家。 上記とも仲がよく、やはり筒井が山下トリオに紹介している。 -第一回選考会で、筒井は小林の作品を高く評価しておした(受賞は)。 その後、筒井、小林、堀、、の5名で、「」 JAPAN LITERATURE net を、発起人として立ち上げた。 -筒井同様にを愛好する作家。 互いの作品をリスペクトしていた。 小林のパロディ小説『唐獅子株式会社』の文庫版解説に、筒井は詳細な元ネタの注を書いた。 筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。 また、小林は筒井の短編「五郎八航空」を「ギャグだけで出来ている小説」として高く評価している。 -小林同様に、笑芸愛好、映画愛好と共通の趣味を持ち、互いの作品をリスペクトしていた。 色川は「SF作家にならなくてよかった。 なったら筒井康隆の亜流になっただろう」と、発言している。 小林も含めた3人で、にて、戦前の映画などを一緒に見たこともある。 また、色川の膨大なビデオ・コレクションから、借り出しもうけた。 また『不良少年の映画史』の解説も色川が担当。 筒井は色川への追悼文で、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人だとし、その中でも特に色川が、「不良少年期、映画、ジャズ、狂気への傾斜、夢へのこだわり」と、もっとも共通点が多い作家であり、「5歳上の兄貴のような存在だった」と書いている。 - 長部が「週刊読売」に勤務していた時代からのつきあい。 筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。 - 過激なフリー・ジャズのピアニストにてエッセイスト。 筒井とは互いの作品のファンであり、長年の親交。 筒井関係のイベントや筒井作品の映画化時などで、音楽を担当している。 また、山下が結成した「」の二代目会長の座を、筒井に譲った。 - テレビ司会者・タレント。 山下洋輔を通じて、親交を深める。 ・ - 漫才コンビ。 筒井の出演番組『』の司会者。 - 漫画家。 筒井同様『ホリプロ』の所属。 『ビーバップ! ハイヒール』で共演。 - 焼肉店『』を経営している。 『ビーバップ! ハイヒール』で共演。 ・ - 漫才コンビ。 『ビーバップ! ハイヒール』で共演。 たむらと異なり、週代わりでの出演。 - 筒井康隆論を多数執筆。 親交も厚い。 - 映画監督及び評論家。 筒井ファンで、筒井作品を何作も映画化している。 ただし、筒井ファンゆえのせいか、筒井の原作の台詞をそのまま使用している場合が多いが、筒井作品内のセリフは多くが、筒井が芝居青年だった時代の「新劇」のノリを踏襲しており、映画としては「わざとくさく感じてしまう」もので、いずれも成功作とはいえなかった。 また、映画評論家のが伝説の上映会「黙壷子(もっこす)フィルムアーカイブ」で使用していたと思われる、映画「」のフィルムと16ミリの映写機を、内藤の紹介で筒井は買い取り、現在も保有している。 - 文芸評論家。 かつては熱狂的な筒井ファンであったが、『虚航船団』に失望して批判したところ、筒井に反撃され、以降、犬猿の仲となった(著書『HELLO GOOD-BY 筒井康隆』に、誉貶、双方の文章が収録されている)。 若い頃からの筒井ファン。 高橋の『』の1シーンに、本棚に収められた筒井の作品群が描かれている。 また、1984年公開のアニメ映画『』のには、『あるいは夢でいっぱいの海』(『あるいは酒でいっぱいの海』)、『時をかける』(『』)等の筒井作品のが掲載されている。 - 『噂の眞相』編集長。 筒井に熱心に連載を持ちかけ、原稿料は筒井の言い値を呑んだ。 『笑犬樓よりの眺望』連載第1回目で、筒井に「秘密の暴露をたくらむ者は常にわが身に及ぶ災害を覚悟せよ」との考えで、原稿料は原稿用紙1枚1万円(連載開始当時)と暴露された。 筒井から「(噂眞での)連載はいつまで続けたらよいのか?」と訊かれた際、岡留は「お前(筒井)が死ぬか、『噂眞』が休・廃刊になるまでかのどちらかだ。 それまではがんばれ。 そのために破格の原稿料を払っているのだ」と答えている。 また、岡留は『笑犬樓よりの眺望』文庫版巻末の解説で(1996年当時)断筆を続けている筒井に対し「『噂眞』での連載再開はいつでもOK。 金額の問題ではないが原稿用紙1枚あたり20,000〜30,000円の原稿料を出してもいい」と連載再開の秋波を送っている。 - 会長。 筒井にマネジメント契約を持ちかけた。 当初、堀は筒井と文化人部門での契約の方針だったが、筒井の強い要望でタレント部門でのマネジメント契約となった。 これはホリプロの文化人部門にがおり、筒井が栗本の下に入るのを快く思っていなかったためである。 - 彼女を「わが最愛の女優」と評し、評伝を書いている。 筒井は彼女のファンでもあり、劇場用アニメフィルムを、ほぼコンプリートでコレクションしている。 参考文献 [ ]• 評伝 筒井康隆(八橋一郎、1985年、新潮社)• 『ユリイカ』1988年5月号「特集・筒井康隆の逆襲」(青土社)• 筒井康隆「断筆」めぐる大論争(1995年、創出版) 脚注 [ ] []• 2010年11月23日の!『筒井康隆作家生活五十周年記念〜現代語裏辞典ライブ』でWikipediaの内容を修正するコーナーでは「166. 5cm」だと発言している。 『「小松左京スペシャル」』 、2019、p. 筒井康隆『ヘル』新潮文庫• 八橋一郎・らにより、詳細が確認されている()• 両親が「船場の近く」と言わずに「船場」と言っていたことと、出生地が川の近くだったことから船場生まれだと完全に思い込んでいた。 1976年頃に香村菊雄の「船場ものがたり」を読んでいて間違いに気づいた。 (国文学 解釈と鑑賞1981年8月号)• この時期については筒井『不良少年の映画史』に詳しい。 また、出演している朝日放送『ビーバップ!ハイヒール』2014年9月25日放送分でもこのエピソードが取り上げられた。 筒井『笑犬樓よりの眺望』より『女が逆セク・ハラに走るとき』(初出:『噂の眞相』1990年2月号)• 筒井『漂流 本から本へ』P74〜76• 遠藤瓔子『青山「ロブロイ」物語』p. 114(世界文化社、1987年)によると、筒井は「ぼくは心理学にいましたよ。 途中で美学に移ったけど」と発言したことになっている。 同志社大学心理学専攻の教授だった遠藤の父も「筒井は確かに最初心理にいた」と確認したという。 456• 筒井康隆コレクションII 編者解説 日下三蔵 「霊長類 南へ」の登場人物名に使用。 八橋『評伝 筒井康隆』89頁-90頁• 当時の『』の編集長のは筒井の作風をあまり評価しておらず、そのため『SFマガジン』への登場は他の作家たちと比べて遅れることとなった。 『60年代日本SFベスト集成』(徳間書店)の解説より。 『THE 筒井康隆』 有楽出版社)P. 『柴野拓美SF評論集』(東京創元社)巻末のの解説P. 572• のちに刊行されたベスト集『ネオ・ヌルの時代』2巻の解説で、は、「新NULL最大の作品は、量質ともに(筒井の)『応募作寸評』だった」と書いている。 「無人警察」 筒井康隆、角川文庫 1972年• 『筒井康隆スピーキング』p. 365(出帆新社、1996年)• 『筒井康隆スピーキング』p. 338-339(出帆新社、1996年)• 364-365(出帆新社、1996年)• 346(出帆新社、1996年)• 『新潮』1994年1月号掲載の池澤夏樹との対談「救いとしての文学」における大江の発言。 『筒井康隆スピーキング』p. 408(出帆新社、1996年)• 『諸君! 』1994年7月号「筒井康隆氏はやはり間違っている」• 『筒井康隆スピーキング』p. 412(出帆新社、1996年)• 『筒井康隆スピーキング』p. 416(出帆新社、1996年)• 『週刊文春』1985年5月9日号、p. 141。 江上茂『差別用語を見直す』p. この時の様子を、筒井と共演した漫画家・が「」に描いている(小林『ゴーマニズム宣言(のち文庫)』第4巻78章『マスコミと筒井康隆に告ぐ!』)。 161• 232-236• 『筒井康隆スピーキング』p. 416(出帆新社、1996年)• 筒井は1995年4月25日付夕刊掲載のインタビューで『今回の震災で五千五百もの人が死に、自分がその一人ではないという不思議さを感じる時、もう小説なんてどうでもよくなった。 』と答えている。 筒井ブログ『笑犬楼大通り』より『偽文士日碌』2009年3月1日• 『日本SF短篇50 1 』早川書房• それ以前は『』にマネジメントを任せていた(筒井『笑犬樓の逆襲』より『家を買う話は沙汰やみとなってしまった』)。 1037ページ• 1039ページ• 改題はに同名の作品があったため。 1960年代に発表された5つの短編「細菌人間」「10万光年の追跡者」「四枚のジャック」「W世界の少年」「闇につげる声」が収録されている。 「闇につげる声」が新潮社からの全集4に収録されている以外は初収録。 『笑犬樓の逆襲』収録「昔『噂の真相』という雑誌があった」によれば、書名に『狂』の字を使うと各新聞から広告の掲載を拒否される可能性があったため、筒井はやむなく改題することにしたという(初出:『噂の眞相休刊記念別冊 追悼! 噂の眞相』2004年4月)。 「ビーバップ! ハイヒール:ゴーストライター 〜それ、実は私が書きました〜」(、2015年8月27日放送回)• 役作りのため、髪を短く切った。 自身の原作で、役も作家役である。 出演時に口ひげを剃り落とした。 画面上での筒井は、2頭身にデフォルメされたアニメーション、本に載っている写真、コースターに描かれた似顔絵で描写されていた。 (筒井『笑犬樓の逆襲』より『サントリー・モルツのCF一年契約これほど難しい(初出・『噂の眞相』1999年3月号)』)• 但し、のっぺらぼうの顔にサングラスをかけている『最後の伝令』の表紙絵や、顔に『筒』の文字が書かれている『筒井康隆かく語りき』の表紙のような例外もある。 83「弟分からの弔辞」• 筒井『笑犬樓よりの眺望』より『文芸書が冷遇されている』(初出:『噂の眞相』1987年5月号)• 筒井『笑犬樓の逆襲』より『家を買う話は沙汰やみとなってしまった』(初出:『噂の眞相』1998年9月号) 外部リンク [ ]• TsutsuiYasutaka -• (平成20年)6月24日オープン。 - 筒井の""• [ ] - 筒井がに対して「特別寄稿」を寄せている。 - 愛煙家通信Web版・喫煙文化研究会• 第9回:• 第13回:• 第15回:• 第27回:• 第33回:•

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筒井道隆

筒井康隆 筒井道隆

筒井康隆ってどんな人? 同志社大学文学部心理学科出身 日本を代表するSF作家の一人で、小松左京、星新一と並んで「SF御三家」とも称される。 主な受賞歴 星雲賞(日本長編部門)(1970年・1975年・1976年) 星雲賞(日本短編部門)(1970年・1971年・1974年・1977年) 泉鏡花文学賞(1981年) 谷崎潤一郎賞(1987年) 川端康成文学賞(1989年) 日本SF大賞(1992年) 芸術文化勲章(シュヴァリエ)(1997年) 読売文学賞(2000年) 紫綬褒章(2002年) 菊池寛賞(2010年) 素晴らしい経歴の持ち主です。 ツイッターが炎上!? ブログ内容、ツイート内容が過激すぎて炎上したようです。 筒井さんは、自身の公式サイト「笑犬楼大通り」内の日記「偽文士日碌」の4月4日付け記事に、 「長嶺大使がまた韓国へ行く。 慰安婦像を容認したことになってしまった。 スポンサーリンク あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射〇し、〇ーメンまみれにして来よう」 と記した。 ちょうど同日夜、韓国政府に像の撤去を働きかけるため、長嶺氏は85日ぶりに韓国へ帰任。 「長嶺大使がまた韓国へ行く」とは、それをうけての表現とみられる。 これが6日昼ごろ、本人のツイッターアカウントから直接投稿されると、 「本気で言っていることですか」「信じられない」「がっかり」「下品」「非常識」 との批判が噴出。 一方で、 「あれで平常運転」「元々あんな人」「筒井康隆さんらしい発言だね」 といった反応も寄せられ、にわかに議論が白熱した。 なお、7日17時までに筒井さんは当該ツイートを削除(日記側の修正はなし)。 記述の内容や寄せられた批判について、ツイッター、公式サイトで触れていない。 一方、筒井さんは、「炎上したおれの文章だが、ツイッター社が不表示にしたらしい」とも投稿している。 「おれが自分で抹消したと思われるのは嫌だなと思いながら前の日碌を読み返したが、なるほどこれはひどい。 こんなひどいことを書く作家の作品など読んではいけない」 破天荒な方なのですね。 韓国では反発が拡大!? 作家の筒井康隆氏が自身のブログなどで韓国のソウルや釜山に設置された慰安婦問題の少女像に性的な侮辱行為をするよう呼び掛ける内容を記したとして、韓国で反発が拡大している。 この件に関しては、まとめサイトもできています。 詳しく知りたい人はそちらの方もチェックしてみてください。 それにしても、炎上しても気にしない!それが大先生たるものかもしれません。 筒井康隆の作品 お騒がせ作家のイメージがついてしまった筒井康隆ですが、ネット上でもおすすめ作品のランキングや短編集のおすすめなど作品に関する感心・評価は高く、 「筒井康隆 作品一覧」「 筒井康隆 作品 あらすじ」「 筒井康隆 作品 七瀬」「 筒井康隆 作品 短編」「 筒井康隆 作品 映画」「 筒井康隆 作品 人気」「 筒井康隆 作品 アニメ」「 筒井康隆 作品 パプリカ」「 筒井康隆 作品 梁山泊」「 筒井康隆 作品 絵本」 など、様々な検索キーワードが出てきました。 スポンサーリンク 「パプリカ」盗作疑惑!? 「パプリカ」はアニメ映画化もされた作品なのですが、2010年のアメリカ映画「インセプション」はパプリカの盗作だという意見を筒井康隆本人が語っていたそうです。 「ビーバップハイヒール」という関西ローカルの番組で、「あれはわしの作品の盗作や!面白いに決まっている!」とマジでキレていました。 このパプリカに関してだけでも 「筒井康隆 パプリカ あらすじ」「 筒井康隆 パプリカ インセプション」「 筒井康隆 パプリカ 映画」「 筒井康隆 パプリカ アニメ」「 筒井康隆 パプリカ 感想」「 筒井康隆 パプリカ 2ch」「 筒井康隆 パプリカ ラスト」「 筒井康隆 パプリカ 論文」「 筒井康隆 パプリカ インタビュー」「 筒井康隆 パプリカ 侮辱発言」 と、これだけのキーワードがありました。 興味のある方は両方を比べてみてくださいね。 家族構成は?嫁や息子について 何かと話題を振りまく筒井康隆さんですが、ご家族はどのような人たちなのでしょうか? 息子は俳優で画家?嫁は? 息子さんは俳優はされておらず、画家をされています。 筒井康隆さんの結婚相手、奥様についてはとくに情報はないようです。 筒井 伸輔は、日本の画家。 東京都新宿区信濃町の慶應義塾大学病院で、作家筒井康隆の一人息子として生まれる。 当時の住まいは渋谷区であったが両親とも関西出身であり、まもなく母の実家が近い神戸市垂水区に転居。 同地で育つ。 兵庫県立須磨東高等学校を経て武蔵野美術大学を卒業する。 妻の智子(1969年10月21日 — )は 岩崎智子の名で画家として活動しており、筒井康隆の『佇むひと』角川文庫版の表紙も手がけている。 澁澤龍彦や森茉莉を愛読する一方、父の作品には関心がない。 本が好きで、古本屋を開こうと思っていたこともあるが、画家になり、一貫して蜜蝋を使って、昆虫をモチーフとした作品を制作している。 2012年7月13日より、『朝日新聞』にて康隆の連載小説『聖痕』の挿絵を担当した。 親子仲は良さそうですよね。 なお俳優の 筒井道隆さんはよく息子さんと 勘違いされるそうですがまったくの他人です。 筒井道隆さんの画像はこちら。 激やせ?何かの病気なの? こちらが激やせしたと言われる画像。 確かにかなりお痩せになっておられます。 ネットでは、激やせした!病気では?という声もあるようですが、そのような情報は出ておらず、年齢的になものかもしれませんね。

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筒井道隆の父は筒井康隆ではなく風間健!現在は自転車への愛が凄かった!

筒井康隆 筒井道隆

筒井道隆さんのプロフィール 名前:筒井道隆 つつい みちたか 本名:同じ 出身地:東京都調布市 生年月日:1971年3月31日 年齢:46歳 執筆時 身長:180cm 血液型:A型 学歴:堀越高等学校卒業 現職:俳優 所属事務所:舞プロモーション 筒井道隆さんは1971年東京都調布市生まれ。 堀越高等学校卒業後、すぐに芸能事務所に入り、1990年の映画『バタアシ金魚』で主演・カオルを演じ、映画デビュー。 その後も1993年『あすなろ白書』、94年『君といた夏』など、多くのトレンディドラマで主役(級)を演じ、「トレンディドラマを代表する俳優の1人」と称されるほどの人気を博します。 一方で、95年の三谷幸喜さんの脚本作品『王様のレストラン』に出演、ヒットしたことが契機で、舞台ドラマともに三谷作品に出演するようになり、コメディ路線でも活躍するようになります。 そして、トレンディドラマのブームが去った後も、警察ものや戦争もの、時代劇などで幅広い役柄を演じています。 近年は映画を中心に活躍し、実写化された2014年『魔女の宅急便』のキキの父親・オキノ役や、 2015年『深夜食堂』、2016年『64(ロクヨン)』『聖の青春』などに相次いで出演。 また、趣味の自転車では雑誌に登場したり、そのサイクリングやレースの様子を取材したバラエティやドキュメンタリー番組に出演するなど、幅広く活躍しています。 ちなみに、筒井道隆さんの自転車好きは、物心ついたときからの筋金入りで、小学生の時点で東京~名古屋を走破しているのだそうです。 2013年には、世界一過酷と言われるスイスの山岳レース「オートルート・アルプス」に「チーム・トーゲ」の一員として参加。 7日間で累計獲得標高20000m超という過酷なルートを見事走破しています。 次ページ:筒井道隆さんの人生は父親の影響大!結婚は?.

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