神戸山口組を裏切った組。 山口組ナンバー3の橋本弘文会長が山口組から離脱するみたいですが原因はやはり...

神戸山口組の若頭交代の噂…業界関係者に出回った御通知に元関東連合の名前が

神戸山口組を裏切った組

神戸山口組の二次団体:太田興業が解散 太田興業の解散について「日刊ゲンダイDIGITAL」は次のように報じています。 神戸山口組の「事始め」が13日、 同組「2代目西脇組」(神戸市西区)で執り行われた。 「事始め」は暴力団にとって、 新年を迎える節目の儀式。 現場には警察車両や輸送用バスが複数台停車し、 兵庫県警、大阪府警、警視庁、機動隊員ら約40人が警戒にあたり、 物々しい雰囲気に包まれた。 午前11時ごろ、 ほんの10分ほど前、事務所に入ったばかりの太田興業の 太田守正舎弟頭補佐(82)が再び姿を現し、 そのまま車に乗り込み現場を後にした。 約30分後、 事務所に到着した井上邦雄組長(71)は車を通用口にベタッと横付けし、 カメラを避けるように、建物内へ。 幹部ら十数人が集まった席上で、 太田舎弟頭補佐が組の 解散届を提出したことが明らかにされたという。 太田興業は神戸山口組の二次団体として有力な組織であるため、内外では大きな衝撃が走っています。 一体なぜ、それほど有力な組織が解散することになったのでしょうか? 解散の理由は?太田守正は引退? 現在のところ、太田興業の解散理由は公表されておらず不明です。 ただ、一部からは太田組長の 引退説が取り沙汰されていました。 2019年12月13日、 神戸山口組舎弟頭補佐の太田興業『太田守正』組長が引退し、 太田興業が解散するという情報が流れた。 神戸山口組の長老として存在感を放っていたが、 納会の日に合わせて 引退を表明し、 太田興業は解散したとされる。 ただ、太田組長の進退までは明かされていないため、本当に引退するのかは定かではありません。 しかし、引退が事実だとすれば、それは高齢が原因かもしれません。 それが 「規制逃れ」です。 だが、一方で、 別の見方をするヤクザ事情に詳しいジャーナリストもいる。 「特定抗争指定暴力団に指定されると、 当局の規制や監視も厳しくなり、 今までのように活動はできません。 そのため、 動きやすいように、 地下に潜る必要が生じている出てきているはずです。 太田興業の組織図は? 太田組長をトップとする太田興業ですが、組織図は存在しているのでしょうか? そこで、この組織の組織図を調べてみたものの、現在までにその存在は確認できませんでした。

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6代目山口組の内部文書を入手!~詳細に記された「切り崩し対策」。神戸山口組との神経戦は、ここまで激化していた(伊藤 博敏)

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かつて「山健組にあらざれば山口組にあらず」とさえはやされていた山健組が5月16日、5代目山健組へと代替わりした。 それまでの井上邦雄組長は神戸山口組の組長だけに専念し、山健組の方は中田浩司若頭が新組長となった。 問題は代替わり直後に「5代目山健組」名簿が外部に流出したことである。 それも新役職や電話番号、登録組員数まで記した念入りなもので、登録組員の合計は322人と明記されている。 かつて渡辺芳則組長が率いていたころの山健組は組員数7200人、山口組全メンバーの3分の1を占め、渡辺組長自身がこう豪語していた。 「俺には二度と大きな抗争を起こしたくないという気持ちがあるからね。 そのためには極端に言うたら、その辺の街の団体の相撲取りがかかってきてもあかんいうぐらいの差をつけとかんと。 ちょっとぐらいの差やったら、相手が勘違いしよる。 向こうが攻めてきたら、返しは早いぞと。 もう1週間も持たさんぞぐらいの力の差をつけとかなあかんと俺は思うとるからね」.

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山口組抗争 岡山銃撃で「22口径の拳銃」が使われた理由(2020年6月10日)|BIGLOBEニュース

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山口組ナンバー3の橋本弘文会長が山口組から離脱するみたいですが原因はやはり神戸山口組の分裂騒動ですか?もともと山健組の若頭だったみたいですし、分裂騒動の責任を取らされるとかですかね? もし極心連合会が神戸山口組に加入となれば、大方の予想を裏切って情勢は一気に神戸山口組が有利となるのでしょうか? 補足橋本弘文会長はゴタゴタの末結局遺留するみたいですね、今回の件で苦しい立場ゆえ離脱と言うより引退したいみたいですが、既に組織のあちこちがガタガタになってる名古屋山口組は数を減らしたくないようです。 名古屋山口組はイイも悪いも情報を外に出さないので実態は分かりにくいのですが、初戦の情報戦で神戸山口組に圧勝されてから守戦一方のようにみえます。 実際のところどうなんでしょう?12月13日の事始めで劣勢か優勢かがおぼろげながら分かるのでしょうか? 離脱と言うより引退する可能性も有りますね、山口組総括委員長と言う立場上、NO2の高山若頭不在の中執行部最高責任者橋本弘文氏が一番辛い立場に有る事は間違い無い、元々は義理人情を重んじる古い体質の考え現代の6代目は名古屋弘道会は昭和58年結成と非常に新しい組織乍ら情報戦に優れ僅か30年余りで山口組直参トップにまで上り詰めた典型的な現代の新興ヤクザとは体質が合わないと思う、従って山口組と神戸山口組の件が一件落着で身を引く考えでは無いかと思うな!本来なら神戸山口組に参加するのが筋だが、組織を転々と身を置く事は性格上出来ないんじゃ無いかな~ 分裂当時は山口組が優位に立ってたが勢力図は五分云々或いは神戸山口組が優勢に成ってる様に思う、30年前の山一抗争の様に一般市民を巻き込む様な抗争は無いと思うが先日四日市の直参組長殺害の様な事件は発生するとは思う、ただ山健組をトップに離脱した中に山口組金庫番宅見組も含まれる、現在の宅見組組長神戸山口組副長 入江 禎氏は山口組の金庫番と称され6代目山口組組長の出納係もしてた為個人的な金の管理もしており脱税も熟知してる事から、切り崩しは断念した、発覚を恐れてる6代目は執拗には手は出せない事も有り表立っての抗争は無いと思う、この事から6代目の弱みを握ってる神戸山口組が優勢に立ってると思う、2011年6代目組長(司忍氏)は5年余りの刑期を終え出所したが彼も70歳もし脱税が発覚し起訴されれば何年入らなければ成らない事を考えると抗争は出来ない、ヤクザ社会で恐れるモノが有ればその時点で負けでしょうね!!! 彼は元々三代目山健組時代に若頭をやっていて、 その後組長代行になり、当時の若頭が 現四代目組長である井上邦雄組長です。 そこから橋本会長の極心連合会は直参に昇格し、 井上組長が四代目山健組を継ぐという形になりました。 井上邦雄組長は本名を桑田邦雄といって、 先代桑田兼吉組長の養子になっている人なので、 山健組を継ぐのは当然視されていたような人です。 直参に昇格してからは山健組派ではなかったようです。 同じく山健組出身の盛力会会長や太田会会長も著書に 書いていましたが、高山若頭にべったりだったようです。 そういう事もあり、元は山健組の一門とはいっても、 山健組にはあまり好意は持たれていないようなので、 神戸山口組には参加するのはむずかしいものと思われます。 また、弘道会時代からほとんど高山若頭の手腕によって 司組長が力を付けていったようなものなので、 高山若頭不在の今、責任を問われる程の事はないと思います。 恐らくは六代目有利と見て分裂側には付かなかった物の、 予想以上に神戸山口組側が優勢になってきているのと、 統括委員長から舎弟に直るという話もあるので、 このままでいるのが嫌になったのではないでしょうか。 舎弟に直るとは、子分から弟分になるという事なので、 降格ではなく盃の身分的には立場はあがるということですが、 執行部からは外れる事になり、窓際の長老職のような物です。 抜けるにしても抜けないにしても、 今回の事から山口組への不信感はあがるでしょうから、 神戸山口組側の有利になるのは違いないでしょう。 責任を感じて出て行ったと言ってる人が多いですが、自分は橋本の地位が上がりすぎて、それを弘道会、司忍が危険視したためだと思います だから山口での地位を下げるように策略させられて、今回の分裂劇も橋本一人に責任を背負わせたんでしょう。 それらがあって橋本組長に山口組での居場所がなくなって出て負えぜるようになったんでしょう。 なぜかというと橋本組長は若頭代行を狙って、七代目を真剣に狙っていたんでしょう。 司忍は弘道会に山口組組長のバトンを回したいから、高山が収監されそうになったらいそいで、竹内を幹部にしました。 司忍竹内、弘道会にとって橋本は邪魔な存在になってたんでしょう 弘道会のスタイルは自分達の力を独占したいあまり、力のある組には破門、枝を直参に上げて弱体化、意見の違うものには左遷させるなどをします。 今回も入江と山健を隅において怒らせたのが、分裂の元凶です.

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