天然 痘 毛布。 【疫病】天然痘(てんねんとう)【歴史】

【疫病】天然痘(てんねんとう)【歴史】

天然 痘 毛布

近年ではエイズに加えて、 新型インフル、新型コロナと大忙しである。 3段階 Pandemic(世界流行)は、 おおむね3段階で発展する。 古代ギリシャ語でpan パン は「全て」、 demi デミ は「人々」を表す。 感染症の世界的な大流行を示す造語である。 院内感染や食中毒が多い。 たとえば2019年12月に、 新コロが武漢でアウトブレイクした。 古代や中世までは原始的な移動手段だったので 人々が国境を越えることは少なく、 感染拡大は限定的であった。 ところが現代では飛行機と共に、 国境どころか大陸すら容易に越えてしまう。 古代や中世と違い、現代には飛行機がある。 飛行機を使った海外出張や、 LCCを使った海外旅行が盛んであり、 多数の人々が国境を越えて移動する。 医療が未熟だった昔よりも、 医療が発達した現代の方が、 むしろパンデミックに発展しやすい。 フェーズ WHOによる6つのフェーズを目安とし、 ざっくり示した。 パターンがある たとえば食中毒は、 フェーズ4(集団感染)がしばしば発生するが、 確認と同時に徹底的な消毒etc. の対策がなされ、 フェーズ5以上に発展することはまれである。 インフォデミック デマが急速に広まって社会が混乱する現象である。 新コロではパンデミックの前に ネットもマスメディアも新コロで埋め尽くされ、 不正確な情報が拡散するインフォデミックに陥った。 情報化社会の弊害である。 2020年2月末には、 マスクの品薄に便乗し、 「中国での生産が追いついていない」 「トイレットペーパーが不足する」 などとツイッターでデマが拡散した。 翌日朝には、 ドラッグストアに行列ができており、 トイレットペーパーの品薄が続いた。 Panicにならないように 重要なのは、パニックにならないことである。 しかし、「pandemic」という単語には 「panic」の文字すべてが含まれている。 安易に各国がパンデミック宣言を連発すると、 世界中がパニックを起こしかねない。 どんなに感染症が流行っていても 子供は学校、親は職場へ行かねばならない。 休日は家にずっとこもらずに、 外へ出かけたくなるものである。 社会がパニックを起こせば、 必要最低限の活動すらできなくなってしまう。 では、過去のパンデミックをみてみよう。 ペスト(14世紀) ペスト菌を病原体とする飛沫感染症である。 トップバッターを飾るにふさわしい、 現代人の想像を絶する感染症である。 14世紀には黒死病が数回、ヨーロッパで大流行した。 ペスト菌が付着した「ノミ」が感染源である。 そのノミをネズミが媒介し人間を感染させ、 人間同士は飛沫感染・接触感染で広がった。 人口の80%が死亡した都市もいくつかある。 しかも、当時は原因がわからず、 見えざる敵に対し、恐怖に怯えていた。 現場は地獄絵図だったであろう。 中世では全世界の1億人を死亡させ、 世界人口の4. 5億人を3. 5億人にした。 (死者2億人という試算もある) 2020年は世界人口77億人なので、 単純計算なら新型コロナで死者17億人の インパクトがある。 スケールが違う…… 黒死病の症状 いくつか種類があるが、 「腺ペスト」がメインである。 刺された部位(股・脇)にできもの 2. できものが拳大になり、悪寒や高熱 3. 内出血による黒い斑点が現れる。 毒素で意識が薄れ衰弱死する。 発祥から死亡まで2週間程度だった。 看病していた人にも 同じ症状が現れ、死んでいく…… そうして広まっていった。 感染経路 1. ネズミにペストが流行する 2. ノミが感染したネズミの血を吸う 3. ノミがヒトの血を吸う 5. 刺し傷からペスト菌に感染する そして飛沫感染・接触感染によって、 ヒトからヒトへ拡大していく。 治療 ペストマスクをつけた医者が、 腫れたリンパ節を切除したりしたが、 何をやっても効果はなかった。 そもそも、 何が原因でこの病気にかかるのか わかっていなかった。 ペストマスク 「香料を吸えばペストに感染しない」という迷信があり、 クチバシ部分にハーブを詰めた仮面をしたので、 怪しい宗教行事のようになってしまった。 ハーブの効果はなかったが、 「詰め物入りマスク」の役目を果たし、 感染率が少しだけマシになったらしい。 ペストの拡大・トイレ事情 もともと「雲南省の風土病」であったが、 ヨーロッパまで広まった。 当時のヨーロッパは糞尿が垂れ流しだったので、 ドブネズミがペストを街中にバラ撒いた。 拡大ルート 中国からの貿易船でイタリアに渡ったとか、 中央アジアの不作でネズミが ヨーロッパに大移動したとか、 人間自体がノミを運んだとか、諸説ある。 ここではモンゴルの浸出、 イスラムの天罰、ネコの祟りの3つを示す。 モンゴルの浸出 モンゴルは騎馬民族の国家である。 雲南省をモンゴルが攻め落した後、 ペストに感染して戻り、西に浸出した。 ペスト菌をもつノミが馬に付着し、 ヨーロッパに広まったとされる。 イスラムの天罰 もともとペスト菌は、 クマネズミに流行していた菌である。 ヨーロッパに少なく、中東に多かった。 十字軍が中東に遠征した際、 帰還する船で荷物に紛れて クマネズミがヨーロッパに移ってきた。 ネコの祟り ローマ教皇が魔女とネコを 結びつけて考えるようになり、 「魔女狩りとネコ焼き」はセットで行われた。 ネコが激減してネズミが激増し、 ペストが蔓延したという説がある。 とはいえ、 ペスト全盛期は6~8、14~15、17世紀…… 魔女狩り全盛期は16~18世紀であり、 第1回と第2回は時代が合わない。 原因としてはあるかもしれないが、 決定的な要因ではなさそうだ。 当時のトイレ事情 当時のヨーロッパは下水が整備されておらず、 汚水も汚物も垂れ流しであった。 「おまる」を使って大便をし、 家の周囲の溝に捨てていた。 窓から糞尿を捨てる家庭さえあった。 台所とトイレは兼用スペースにあり、 風呂にはめったに入らず、手を洗う習慣もない。 そこをネズミが通って 家のパンなどをかじりに来る。 ノミとペスト菌が人間に蔓延し、 不潔で密集した都会で大流行した。 衛生という概念がない 1894年に北里柴三郎がペスト菌を 発見するまでは原因不明だった。 香港の大流行でペスト菌を発見後は、 見えない脅威が見えるようになった。 加熱や消毒、クマネズミの除去により 急速に収束していった。 しかし、 中世ヨーロッパでは原因がわからず、 神に祈る、御守りをもつ、日光に当たらない、 良い香りを嗅ぐ、風呂に入らないなど 的外れな対策ばかりしていた。 隔離と収束 原因が何であろうと、 伝染病では隔離対策が基本である。 貴族や金持ちは別荘や修道院にこもって 感染を免れる者がいた。 ペストで死者が出たら家ごと燃やしたり、 感染者は隔離されたり、山奥に収容されたり、 閉じ込められて死ぬまで放置された。 抵抗力のない者が死に絶え、 抵抗力のある者が生き残った。 ペストの根絶や対策が功を奏したのではなく、 死ぬ者が残らず死に絶えて、 これ以上死ぬ者がいなくなって収束した。 天然痘(16世紀) 天然痘ウイルスを病原体とする空気感染症である。 痘瘡(とうそう)とも呼ばれ、 人類史上「最悪」の伝染病である。 生き残っても瘢痕が残るため目立つ。 最強の感染力 他の伝染病と比べても非常に強く、 空気感染する上に、 落ちたカサブタでも1年は感染力がある。 毛布などでも数ヶ月生きられる。 ただし、 ヒトへの天然痘は1度感染すれば 永久免疫を得られ、2度と感染しない。 悲劇は繰り返される 大流行すると同時に、 生存者が次々と「永久免疫」を獲得する。 一定の期間の後、収束する。 しかし次の世代は免疫を持たない。 定着した天然痘ウイルスは、 世代交代のたびに猛威を振るう。 種痘法 牛痘・ラクダ痘は非常に軽い症状で済む。 そのうえ、できた免疫が天然痘と共通する。 そこで牛痘をあえてヒトに感染させて、 5~10年は天然痘感染を免れる方法が 開発された。 さらに、 感染後でも3日以内に行えば、 症状を軽減することができる。 このワクチン接種は「極めて有効」であった。 撲滅に成功 ・目に見える ・ヒトにしか感染しない ・種痘法 この3点から根絶が可能であった。 20世紀中盤では先進各国で根絶された。 20世紀後半には世界中で撲滅に成功し、 1980年にWHOから根絶宣言が出された。 天然痘の歴史 根絶されたが故に、 現在は誰も免疫を持っていない。 そのため、 生物兵器として使用された場合、 感染力の強さから短期間で爆発的に広がる。 南米アメリカ大陸の悲劇 16世紀にはヨーロッパで猛威をふるっていた。 さらに白人の入植に伴い、 南北アメリカ大陸でも猛威をふるった。 天然痘の大流行により、 アステカ帝国・インカ帝国は壊滅状態となり、 両国が滅亡しスペインが新大陸を制覇した。 征服後も猛威 制服前に2500万人いたインディアンは、 征服後の16世紀末には100万人に激減した。 天然痘の威力を知った白人はその後、 17~19世紀の北アメリカ大陸の征服に使った。 それは故意に天然痘汚染された毛布を配り、 民族浄化するという鬼畜な生物兵器であった。 画像は、天然痘で苦しむ子供である。 これを人為的に行うなど、 原子爆弾以上の所業ではなかろうか…… 日本の天然痘史 6世紀に朝鮮から伝染しエピデミックが起こり、 蘇我氏・藤原氏の政権にも大打撃を与えた。 奈良の大仏を作るきっかけの1つにもなった。 その後何度も流行を繰り返し、 江戸時代には定着、誰もが罹る病気となる。 天然痘で死亡する天皇もいたほどである。 そのため、 明治時代にも3度の大流行が繰り返され、 その都度数万人の死者を出している。 北海道でもアイヌ人口を減少させた。 その後、幼児への種痘が義務付けられ激減。 日本では昭和30年(1955年)に根絶された。 「赤べこ」「さるぼぼ」などの赤は、 天然痘を除けを目的としている。 ウイルスの所在 現在はロシアとアメリカの研究所2施設で 厳重に保管されている。 万が一の事態でワクチン製造が必要な場合、 ここから増やして製造する。 しかし、 旧ソ連が極秘に備蓄していたウイルス株が漏れ、 北朝鮮が隠し持っている可能性が濃厚である。 自然界から撲滅はできたが、 地球上から根絶はできていない。 テポドンに乗せて日本上空で大爆発…… そんな事態にならなければいいが。 合成も可能 DNA塩基配列の解析が完了しており、 人工的に作り出すことが可能らしい。 「化学 合成したDNA断片から、 馬 痘ウイルスワクチンを生成した」 この技術を応用すれば可能だろう。 テロリストがWHOの規制などに 従うわけがない。 さらに、 天然痘の近縁種が自然動物を駆逐した例もあり、 変異して人間に猛威を振るう可能性もある。 コレラ(19世紀) コレラ菌という病原体が起こす経口伝染病である。 19~20世紀にかけて「7回の大流行」を起こした。 先進国では上下水道が発達しており、 世界的なパンデミックは起こりにくく、 途上国でアウトブレイクを起こしやすい。 発症患者数はペストの10倍近くいた。 最強の経口伝染病 コレラ菌に汚染された水や食料を摂取して感染する。 アフリカ・東南アジアでは、一般的な病気である。 感染力は非常に強い。 第1回(1817年)~第6回(1899年)は、 すべてインドのベンガル地方から全世界に広まった。 しかし、 アジア南部ではコレラは「常在菌」のため、 その後何度も中国・インド・東南アジアで アウトブレイクはあった。 第7回(1961年) インドネシア(スラウェシ島)から始まり、 世界中で散発している。 現在も世界中に広まっており、 収束する気配がない。 本来なら単なる常在菌の1つであるが、 文明社会では物流によって、 世界中に運ばれてしまう。 死者 全世界で毎年数百万人が感染し、 死者は数十万人とされるが、 途上国に多いため把握できていない。 現代の先進国では稀な病気である。 いまの日本においては、 上下水道が普及しているので コレラのパンデミックはまず起こらない。 抗生剤や輸液の点滴はどこでも受けられるので 死者もまず出ない。 コレラの症状 数時間~数日の潜伏期間の後、 1日数十回、合計で数十リットルもの、 「猛烈な下痢」を起こす。 コレラ患者の便は、 米のとぎ汁のような白い粥状をしており、 特有の甘くて生臭いニオイがする。 腹痛・発熱はせず、低体温になり、 脱水により衰弱死する。 性質 糞便中で数週間、水中で数日は生存できる。 衛生状態の悪い途上国でアウトブレイクしやすい。 感染すれば必ず発症するわけでなく、 胃酸に弱いので胃が丈夫な人は軽症が多い。 コレラ様顔貌 極度の脱水により、体全体が干からび、 皮膚が乾燥してたるみ、シワが寄る。 声はかすれ、目はくぼみ、 手は洗濯婦のようになり、 全体的に老人のようになる。 治療 他の伝染病と違い、 治療は簡易かつ安価にできる。 大量に失った電解質と水分を補給するのが 治療の基本となる。 たとえ近くに病院がなくとも、 WHOが推奨する手作り経口補液を飲めば 非常に高い効果があるので実践したい。 スポーツドリンクや大量の塩水を 飲みまくるだけでも、死亡率は大きく下がる。 経口感染であるため、飲食に注意する。 生モノ・生水は避けて加熱する。 法定伝染病 日本では法定伝染病であり、 途上国への海外旅行で感染するが、 適切な対応をすれば想定外の事態とならない。 通常の接触では染ることは少なく、 患者の排泄物が最大の感染源となるため、 下水道が完備されている日本では脅威ではない。 ただし、 健康保菌者が菌をバラ撒くおそれがあるので、 注意を要する。 スペインかぜ 1918 A型インフルエンザウイルスを 病原体とする飛沫感染症である。 人類が最初に遭遇した インフルエンザのパンデミックであり、 史上最多の感染者を発生させた。 当時の世界人口は20億人であったから、 全人口の約30%が感染した計算になる。 たった1年で1億人…… 1914~18年の第一次世界大戦における 総死者数が2000万人であるから、 いかに急速で多かったかわかる。 スペインかぜで兵士を送れなくなったから 第一次世界大戦が終結したとまでいわれる。 日本の被害 当時の日本の人口5500万人のうち、 感染者は2000万人、死者は約40万人とされる。 軽症者を含めれば、ほぼ全員感染ともいわれる。 1年たらずで40万人もの死者を出したのは、 戦争・災害・伝染病すべてを含め、 短期間で最も多く死者を出した事例である。 鳥フルが原因 鳥インフルエンザが突然変異し、 ヒトに感染できるようになった。 そのため誰も免疫をもっておらず、 世界中で大流行した。 過去に何度もインフルに罹っていた老人は 軽症ですんだが、 類似の免疫を持たない若者の多くは重症化した。 老人がほとんど生き残った一方で、 死者のほとんどは若年者であった。 感染源 感染源は不明である。 フランスのマルセイユとも アメリカ合衆国ともいわれる。 被害勧告がスペイン発だったため、 「スペインかぜ」と表現される。 決して感染源というわけではなく、 誤解されるスペインは大迷惑である。 タイミングも悪かった 1918~19年は第一次世界大戦の末期であり、 全世界で軍隊・労働者の移動が活発だった。 鉄道や海運・河川などの輸送ルートで 沿岸部から山奥までウイルスがバラ撒かれた。 さらに、 患者と共に医師・看護師が感染してしまい、 世界中で医療崩壊してしまったのも大きい。 この教訓を無駄にしないため、 2009年の新型インフルエンザのワクチン接種は、 医療従事者が優先された。 スペインかぜはどうやって収束したのか? ペストと同じである。 かかる人間が全員かかって、 死ぬ人間が全員死んだからだ。 そして、抵抗力のある者のみが生き残った。 その子孫が我々だから、 現代でインフルエンザにかかっても 多くは死なずに済んでいる。 アジアかぜ 1957 1956年に中国南西部で発生し、香港で流行後、 1957年に世界に拡散したインフルエンザである。 1968年には香港かぜがパンデミックした。 死者数 1918年のスペインかぜ(1億人以上)に比べ、 1957年のアジアかぜ(500万人)は、 少ないように感じる。 日本では6000人程度であった。 しかし、スペインかぜの時代と異なって、 ワクチンや抗生物質が普及している時代であり、 そのわりには多いと考えられる。 症状 特別な症状や合併症はなく、 急激な高熱や関節痛、全身症状など 季節性インフルエンザと同等とされる。 抗生物質の普及により、 合併症である肺炎の治療ができたため 死者数は少なかった。 cas. htmlより引用 香港で流行が確認されると同時に、 シンガポール・台湾・マニラでも確認された。 その後アジア・ヨーロッパへ伝染し、 半年で地球上に広まりパンデミックとなる。 わずか3ヶ月で日本へ アウトブレイクから日本到達まで、 3ヶ月しかたっていない。 第一次世界大戦中のスペインかぜの時代と違って、 第二次世界大戦後の平和な世の中である。 国家間の交流も活発になっており、 スペインかぜ以上のスピードで伝染した。 cas. htmlより引用 1968年に発生、50万人の死者を出した。 7月に香港でアウトブレイクし、 9月に欧米まで、翌年に日本・アフリカに到達した。 こちらもパンデミックまでわずか半年である。 季節性インフルとして定着 香港かぜの被害は、 過去に比べてかなり少なかった。 しかし、 収束後に「季節性インフルエンザ」として 完全に定着してしまった…… おかげで、 現在も国内で毎年流行っている。 アジアかぜ・香港かぜ・SARS・新コロ…… みんな香港から世界に羽ばたいている。 香港をどげんかせんといかん。 エイズ 1986 20世紀前半にサルからヒトに伝染し、 アフリカ中部から全世界に広まったとされる。 人類史上、 もっとも治療が難しいウイルスである。 発生源 チンパンジーは雑食であり、肉食もする。 とりわけ数種のサルが好物である。 SIV(サル免疫不全ウイルス)が チンパンジーの体内で変異し、 チンパンジー同士で感染できるようになった。 アフリカ中部ではサルやチンパンジーを 狩って食べる風習がある。 アフリカでもはや風土病 1980年代以降、AIDS患者が全世界で増大した。 なかでもブラックアフリカでは、 全人口の3人に1人が感染した国家まであり 複数の国で平均寿命が大幅な減少した。 ちなみに、 チンパンジーはSIVで死なない。 ここにHIV特効薬のヒントが隠れていそうだ。 アフリカ起源 チンパンジーを狩る際に、 引っかかれたり噛みつかれたりは、 日常茶飯事である。 解体処理する際は血がベットリと付き、 調理する時にも血が付く。 ゆえに、最初の感染者は ハンターか料理人であろう。 その後、 ヒトの体内で進化しHIVとなった。 その場所は、カメルーン南西とされる。 アウトブレイク ジャングルを通すコンゴ鉄道の建設は 過酷な労働であった。 現地労働者は売春で気晴らしをしており、 半数以上がHIVに感染した。 ジャングルの奥深くでアウトブレイクした後、 コンゴの発展した街「キンサシャ」に辿りつく。 そこでは売春が非常に盛んであり、 病院では注射器をアルコール消毒して 使いまわしていた。 エピデミック 1930~60年代は、 ハイチがコンゴの国家建設を支援しており、 多数のハイチ男性がコンゴ売春婦と遊んだ。 彼らがHIVを故郷にに持ち帰ることになる。 コンゴからアフリカ全土に拡散すると同時に、 海を越えてハイチにも拡散した。 ハイチでは売血所を介して、 急速に、爆発的に広まった。 そして、 1969年にアメリカ合衆国に到達した。 パンデミック 1980年代アメリカにて、 ゲイや血液製剤を使う患者が 珍しい肺炎で死亡しだした。 肺にカビが生えていたのである。 そこである免疫学者が 一定の法則のようなものに気が付いた。 調べてみると、白血球数が異常に少ない。 その後、 1986年にHIVウイルスが発見された。 しかし、時すでに遅し…… アジアでもヨーロッパでも HIV感染の流行はすでに始まっていた。 発症後は、1~3年で死んでいく。 判別は難しい HIVは感染初期に急激に増殖する。 と、同時に体内の免疫が猛反撃するため、 初期症状が現れる。 急激な高熱やリンパの腫れは特徴的だが、 初期症状だけでHIVなのか 単なる風邪なのか判別は難しい。 HIVの潜伏期間であり、 まだまだウイルスの数が少ないからだ。 ほとんどのHIV感染者は、 感染後は何年も何の症状も発現しない。 短くて2年、長いと10年以上も続く。 もはやほとんど反撃できていない。 発熱・ダルさ・リンパの腫れが発現しやすく、 帯状発疹などができやすくなる。 風邪にかかりやすくなり、 治りにくいと同時に再発しやすくなる。 体内の免疫が敗北し、 ノーガードになった状態であり、 もはや自力での回復は不可能…… あと1~3年以内に死亡する。 T細胞の値が200以下(通常500~1500)で、 AIDS発症と診断される。 HIV感染からAIDS発症までは、 数年~10年以上と一定しない。 個人ごとに遺伝子構造や免疫反応が異なり、 持病やウイルスの型も異なるため、 AIDSの症状も発症者によって様々である。 いきなりエイズ HIV検査をせずに放置することで、 AIDS発症により突然感染を知ることも多い。 全AIDS患者の30%を占め、 50代では約半数が「いきなりエイズ」である。 さらに先進国では珍しく、 日本はHIV感染者が増加傾向だ。 その数はいっこうに減る気配はない…… 日本人がいかにHIV検査を受けないか、 を物語っている。 我々の周りには、 弱毒微生物・非病原微生物・平素無害菌などと 呼ばれる微生物が無数に存在する。 健康体であれば、 これらの細菌、ウイルス、寄生虫、カビを 容易に抑えられ、感染・発症しない。 免疫力が大きく低下すると、 そんな微生物すらも牙をむく。 内臓にまでカビが生えて死亡していく。 最終的には見た目でも判断できるようになる。 口の中に白い斑点 口腔カンジタ炎)ができたり、 カポジ肉腫、カリニ肺炎など23の指標疾患がある。 増殖と感染経路 AIDSはHIV ヒト免疫不全ウイルス)を 病原体とする接触感染症である。 免疫細胞を破壊することで、 後天性免疫不全症候群(AIDS)を引き起す。 免疫不全とは? HIVはヘルパーT細胞という白血球に寄生し、 破壊しながら増殖する。 ヘルパーT細胞は「免疫の司令塔」であり、 HIVに壊滅されることで免疫力が極端に低下する。 HIVとAIDSの違い HIVはウイルスの名前、 AIDSは病気の名前である。 AIDS(後天性免疫不全症候群)は、 その「ノーガード」となった感染者に 何らかの微生物が感染した病気である。 1つの病気ではないため、 個人個人で経過も症状も様々である。 感染経路 性行為・母子・血液感染の3つである。 血液・精液・膣分泌液・母乳などの 体液を介して、粘膜や傷から感染する。 (唾液では感染しない) 感染力は非常に弱いが、 一度かかれば治癒の見込みはなく、 最もやっかいなウイルスである。 感染確率 コンドーム装着により、 感染確率をほぼゼロにできる。 日常では感染しない 売春やゲイ同志における性行為、 麻薬常習者による注射器の打ち回しが 主な感染ルートである。 日常生活で感染することはない。 男性同士の性行為経験者は2%に過ぎないが、 感染者の90%以上が、その2%に含まれる。 肛門性交は出血しやすく、感染してしまう。 感染と発症 感染者はゲイ同士が多く、 発症者は異性愛者が多い。 異性愛者はHIVの意識が低く、 検査を受けることもしない。 ゲイはHIVの意識が高いので、 検査も治療も積極的だからである。 HIVの治療 HIVに感染しても、 AIDSを発症するとは限らない。 日本での感染者数 日本では1日3~4人、 毎年約1500人の感染者が発生する。 ただし、 これは検査で陽性になった報告数なので、 検査していない大多数の感染者を含まない。 潜在的にはこの数十倍ともいわれる。 それまでは検査しても意味がない。 ちなみに、 保健所は無料だが医療機関では有料である。 ワクチン・特効薬なし 非常に単純な構造のRNAウイルスだけに、 次々と突然変異が産まれる。 それゆえ、 ワクチン開発自体が困難である上に、 開発できてもすぐに変異ウイルスが出現し、 無効となってしまう。 ただし、 同じクスリで耐性ができていくので、 数年ごとにクスリを変更していく。 耐性ができるほど、AIDS発症が早まる。 クスリの飲み忘れで耐性ができやすいため、 決して飲み忘れてはいけない。 費用は総額で25万円程度かかるが、 「障碍者手帳+自立支援医療」で 月1~2万円の負担が一般的である。 抗HIV薬による治療を行えば、 40年近く引き延ばすことができる。 現代では、 天寿を全うすることも可能である。 かつては「死の病気」であったが、 現代ではきちんと治療すれば 糖尿病のような「慢性疾患」になりつつある。 ただし、 感染から40年以上生存した例はない。 老化によって免疫力が落ちて AIDSを発症したときが、寿命である。 マラリア マラリア原虫を病原体とする媒介感染症である。 現代では予防も治療も可能な病気であるが、 全世界では毎年4億人が感染し、 約200万人が死亡している。 そのうち、90%以上がアフリカである。 マラリア原虫 細菌でもウイルスでもなく、 寄生虫が病原体である。 三日熱・四日熱・卵型マラリアには 高熱の周期性がある。 熱帯性マラリアには周期性がないが、 重症化しやすい。 中央がマラリア原虫に寄生された赤血球である。 成長した原虫が赤血球を食い破る時に、 高熱に襲われる。 そしてまた、他の赤血球に卵を産む。 種類によってその周期が 2日または3日おきに訪れる。 蚊が媒介する 「ハマダラカ」がヒトの血を吸う際に、 マラリア原虫が侵入する。 20~30匹に1匹がマラリアに感染している。 現地人は何度もマラリアに罹患することで 免疫を獲得しており死亡しにくい。 ちなみに、 アレクサンダー大王・ツタンカーメン・ マザーテレサ・一休さん・平清盛は マラリアで死亡したとされる。 日本の土着マラリア 戦前には沖縄から北海道まで発生したが、 戦後には撲滅された。 現在では熱帯地方からの帰国者が 年間100人ほど感染する程度である。 ただし、 ヒトにマラリアを媒介できるハマダラカは 世界に100種類もいる。 温暖化により復活する恐れがある。 症状 インフルエンザのような症状を発現し、 高熱・頭痛・吐き気をもよおす。 重症化すれば、昏睡や腎不全で死亡する。 潜伏期間は四日熱マラリアで30日、 他は二週間くらいである。 ここで油断して放置すると、悪化していく。 3回目の高熱は大変危険であり、 死亡する場合もある。 「熱帯性マラリア」は熱が下がらずに どんどん悪化していく。 ワクチンは実用化一歩手前だが、 まだ開発中である。 予防投与は出発前から開始し、 帰国してから4週間後まで服用する。 1日1回タイプと週に1回タイプがある。 いずれにせよ、 「蚊に刺されない」のが最重要であり、 殺虫剤の散布や蚊帳が有効である。 SARSとMARS 「SARSコロナウイルス」「MARSコロナウイルス」を病原体とする、 新型肺炎である。 SARS(2002年)は中国とその周辺、 MARS(2012年)は中東地域で流行した。 日本での被害はなかった。 10%に下痢が見られるのが特徴である。 予後は悪く、重症の後遺症が長期間続く。 死者 中国南部を中心に37ヶ国で、 感染者8000人、死者800人を出した。 致死率は10%とされる。 MARS(中東呼吸器症候群) 2012年に中東地域で流行が確認され、 渡航者の感染で散発的に世界へ拡大した。 MARSコロナウイルスが病原体であり、 ヒトコブラクダが感染源とみられる。 被害 感染者2500人、死者850人であり、 致死率は30%と高い。 韓国では36名の死者を出したが、 日本ではゼロだった。 韓国でのMARS拡大 2015年に発生した「人災」である。 10月 消毒効果のない消毒薬の便乗商法が発覚。 その後、追跡調査を諦めて 自己申告に頼る方針に転換したため、 感染経路や感染者数が迷宮入りした。 脱走や便乗商法など国家レベルのコントも、 36人の死者ではシャレにならず、笑えない。 季節性インフルエンザ 季節性インフルエンザA・B・Cのうち、 パンデミックを起こすのはA型である。 Aは重症化しやすく、B・Cはしにくい。 被害 毎年世界中で流行する冬の風物詩である。 湿度50%以下で流行しやすい。 検査手法が確立しており、 ワクチンも治療薬もあるので、 致死率は0. 1年当たりの被害 日本では1000万人が感染し、 ほとんどは軽症か無症状のままで、 インフルエンザとは気がつかない。 ただし、今は検査キットの普及で 軽症でもインフルエンザと診断がつく。 昔は風邪で済まされた分がカウントされるため、 「見かけ上の」感染者は激増した。 日本では数十万人が重症化し、 死者数千人程度(致死率0. インフルエンザだけで死亡するのは数百人であるが、 流行によって増えた死者数は、この数値になる。 全世界では、 数千~数億人が感染し、数百万人が重傷化し、 死者数十万人が目安。 新型インフルエンザ 2009 新型インフルエンザウイルスを 病原体とする飛沫感染である。 新型とは、季節性インフルエンザ以外で、 新たにヒトへ感染できるようになった型である。 宣言が空振り WHO「今、すべての人類が脅威にさらされている」 「パンデミック宣言」がなされたものの、 実際の被害は季節性インフルエンザと大差なく、 想定より小さかった。 欧州議会「偽パンデミック宣言」 欧州議会 「WHOの決定に製薬会社の意向が反映された」 WHOが「汚職まみれの組織」であることが 露呈されてしまった。 それは武漢肺炎 COVID-19 でさらに露呈される。 新型コロナ 2020 WHO 「特定地域を連想させる名称は好ましくない」 本来ならば「武漢肺炎」と呼ぶべきだが、 大人の事情wでCOVID-19という、 よくわからない病名になった。 openstreetmap. 殺傷力は季節性インフルの10倍であり、 深刻な肺炎にかかりやすいのが特徴だ。 アウトブレイクしている地域は、 衛生や医療体制の不備が原因である。 日本はどちらも充実しており、 爆発的感染の可能性は低い。 常在ウイルス 新型でないコロナウイルスは どこにでもいるウイルスである。 今までの人生で過去に何度も コロナで風邪にかかっているはず。 「新型」といっても重症化するのは ほとんどは持病持ちや高齢者である。 しかし汚職まみれのWHOは、 中国様の機嫌を損ねてはならなかった。 露骨な中国共産党寄りの姿勢は WHO内部ですら批判されている。 WHOにてタイ代表が中国擁護を批判した後、 「おい事務局長、武漢でWHO会議開催しようや」 会場では各国代表が笑い、拍手喝采となった。 イタリアとイランは対応失敗 両国は中国人受け入れを制限せずに 感染者が爆発的に増加した。 イランは経済制裁の影響でクスリがない。 イタリアは必要以上に検査しまくり、 偽陽性が出まくって軽症者で医療がパンク。 その結果、 重傷者の治療が放置され感染が爆発し、 医療崩壊してしまった。 イタリアとイランはダブルパンチで 武漢並みに悲惨な状況になっている。 政府が対応を誤ると、こうなる。 タイムライン・まとめ メインの時期と主要感染経路を示す。 人類史上の3大パンデミックは、 ペスト・天然痘・コレラである。 どれも現代であれば15億人以上の死者を 出すようなインパクトがあった。 近代の新3大パンデミックは、 インフルエンザ・HIV・新型コロナであろう。 これだけ医療が発達しても、 飛行機が容易に拡散させてしまう。 20世紀以降 1918年 スペインかぜ(インフルエンザ)飛沫 1957年 アジアかぜ(インフルエンザ)飛沫 1968年 香港かぜ(インフルエンザ)飛沫 1986年 エイズ(HIVウイルス)接触 2002年 SARS(新型コロナ)飛沫 2009年 新型インフル(インフルエンザ)飛沫 2012年 MARS(新型コロナ)飛沫 2020年 COVID-19(新型コロナ)飛沫 控え選手はエボラ出血熱・デング熱・結核 ・麻疹・赤痢・百日咳・破傷風・チフスなど…… 選手層は、とっても厚い。 ヒトの移動が爆増 第二次世界大戦後は出国者も訪日外国人も、 年間10万人弱であった。 現在は、 出国者2000万人、訪日外国人3000万人もいる。 ケタ違いを通り越して、比べ物にならない。 世界の片隅で流行っても すぐに飛行機で全世界へ拡散する。 戦前はアウトブレイクで済んだ感染症が、 現代ではパンデミックになってしまう。 短期で繰り返し 20世紀以降、同じような感染が繰り返され、 イタチゴッコになっている。 なぜかというと、 コロナもインフルもHIVもRNAウイルスであり、 遺伝子の変異が激しい。 新薬や新ワクチンを研究しても、 次々と新しい型のウイルスが出現するので、 開発と生産が追いつかない。 日本の新コロ対応 SARSでもMARSでも、 日本に被害は出ていない。 新コロでの感染拡大もうまく抑えている。 武漢肺炎に対する日本政府・国民の対応は 「非常に良い」といえる。 東日本大震災ではパニックも暴動も起きなかった。 災害対応は、世界一かもしれない。 他国との比較 周辺国と比べれば、その差は一目瞭然だ。 イタリア・中国では医療が崩壊した。 日本の最初だけが突出して高いのは、 ダイヤモンド・プリンセス号を受け入れたからだ。 その後も突出して増加率が低い。 潔癖症で神経質な国民性が、 効を奏している。 新コロの感染力 天然痘のような空気感染はせず、 飛沫感染とのこと。 しかし、 空気中で3時間以上生存するので、 隔離が必要らしい。 ゆえに、 濃厚接触者は感染しやすい。 まとめ 昔は抵抗力のない人は次々と死んだ。 抵抗力のある人だけが子孫を残したので、 50年100年スパンの短い期間では、 同じような病気を繰り返さなかった。 それが「自然の摂理」なのである。 現代は抵抗力のない人まで クスリで無理やり生かしてしまう。 その人たちが「ウイルス培養器」となり、 より複雑な変異を許してしまっている。 そして、 また容易に感染・発症してバラ撒く。 強い個体だけならウイルスを撲滅できるのに、 弱い個体を残すと体内でウイルスが培養され、 次々と変異し、また全体に襲い掛かる。 厳しい選択が、必要と思われる。

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先住民に対する偏見 自然が輝いているアラスカ半島の小さな「窪み」では完全禁酒であった。 缶詰会社が経営する小さなコンビニのような店があり、私たちはツケで買い物ができたが、酒は売っていない。 イヌイットやアリュー人に酒を飲ませると酒乱になり、工場内での風紀・秩序は乱れ、仕事もせず大暴れをし、殺人さえも起きると白人経営者は信じている。 前例があるからだ。 数百年前から続いている「アル中」の前例である。 アメリカン・インディアンたちの悲惨な今の実情は、400年前にヨーロッパからアメリカ大陸に移住してきた白人たちが、先住民インディアンたちにウイスキーを飲ませた時に始まる。 インディアンたちには酒に対する抵抗力がなく、次から次へと酒に冒されていった。 酔っぱらっている間に土地 大陸 を白人たちに盗まれた。 酔っていなくても、戦いを挑んでも、土地は取り上げられた。 インディアン壊滅作戦 連邦政府公認の野牛・バッファロー全滅作戦はインディアンたちの主食を奪う策略で、見事に成功した。 ニューヨークからサンフランシスコまで大陸を覆うように6000万頭もいた野牛は全滅し、わずか数百頭が今「イエロー・ストーン国立公園」で大切に保護されている。 もっと残酷なインディアン壊滅作戦は、米国政府が天然痘のばい菌が埋められていた毛布を「和解の証」としてインディアンたちに与えたことだ。 免疫のないインディアンたちは、次々と死んでいった。 土地を奪われ、文化を潰され、武力に勝る白人社会からも締め出されたインディアン部族の人口は激減し、生き残った者たちは夢とロマンを失い、やがて誇りも失い、みじめな現実からの逃避だけが、空虚な心を癒してくれるかのように、酒に溺れていった。 イヌイットも、インディアン同様、アルコールに弱い。 同じような運命に遭う可能性が高いが、彼らの伝統文化がまだ現存しているのは、アラスカの冬に土地を護られていたからであろう。 想像を絶する冬将軍がアラスカ全土に君臨し、イヌイットたちを守っている。 秋の訪れ アラスカの夏は、冷たい風に秋の香りがした9月中旬で終わった。 鮭漁も終わった。 缶詰工場の騒音も消え、イヌイットやアリューは3ヵ月分の賃金をもらい、それぞれ漁船か水上飛行機でもっと北の故郷に帰っていった。 好きになった美しいアリューの女も水上飛行機から「来年も」と手を振った。 最後まで残っていたのは、工場長を含めた白人管理職の数人と、イクラおじさんと私。 私は、大学の授業が始まる直前までアラスカに留まっていたかったからだ。 他の人たちは、工場を来年の夏まで閉めておくために忙しく働いていた。 冬の大嵐で桟橋がなくなった時もあったと工場長が教えてくれた。

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Smallpox 『天然痘』 症状 天然痘は、天然痘ウイルスによって引き起こされます。 ヒトにしか感染せず、ヒトからヒトへ飛沫(ひまつ)を介して感染します。 1~2週間の潜伏期の後、急激な発熱や頭痛、関節痛で発症し、数日たつと発疹が出現します。 発疹は水疱(すいほう)性となり、やがて水疱が化膿(かのう)して膿液がたまった膿疱(のうほう)となり、かさぶたへと変化します。 助かる場合には2~3週間で回復しますが、死亡率は20~50%に達します。 天然痘の一般的な感染経路は、感染者からの痘瘡ウイルス飛沫やエアロゾルの吸入による気道感染である。 一般に 1. 8 メートル以内の感染者との近距離接触、あるいは、天然痘患者、汚染された物品との直接接触により感染が成立する。 食物、水が媒介することはない。 患者は発病初期から感染源となる。 感染力は発疹期の 1 ~ 3 日目が最も強い。 すべての発疹が痂皮となり、これが完全に脱落するまでは感染の可能性がある。 帝京短期大学 p. 126) アテナイの疫病 古代ギリシャ文明を衰亡させた「アテナイの疫病」は凄惨(せいさん)だった。 2016 ペロポネソス戦争 アテナイとスパルタの間にペロポネソス戦争が起る。 翌年の前430年には疫病が流行し、ペリクレスもこの疫病で前429年に死去する。 この頃からアテナイは次第に衰退へ向かう。 光文社古典新訳文庫 この疫病は、紀元251年にはじまり、15年から20年間のあいだ、ローマ帝国内に大きな被害を出した。 ローマでは1日に5,000人が死亡したと伝えられている。 これは、同時期のいわゆる蛮族の侵攻、政治的な混乱などとともに、ローマ帝国の混乱を助長した。 歴史学者のウィリアム・マクニールは、この疫病を起こした疾病は、天然痘か麻疹であっただろうと推測している。 けいそうビブリオフィル. 2016 日本書紀では天然痘は怨霊の仕業 日本国内をさかのぼると、古くは552年には天然痘が伝来していたという記録が『日本書紀』の中で綴られている。 そして同書では、聖武天皇が奈良の大仏ほか日本各地に国分寺などを建立したのも、天然痘を怨霊の仕業として封じ込めようとしたという理由があったと語られている。 ダ・ヴィンチニュース. 2014 737年の流行では、累々たるしかばねが道を埋め尽くしたと記録され、天然痘の犠牲者は庶民だけでなく、藤原不比等は4人の息子を天然痘で奪われ、そのため政務が停滞するほどであった。 さらに聖武天皇の妃(きさき)、光明皇后の兄弟4人が天然痘に倒れ、その冥福を願って建てられたのが法隆寺の夢殿であった。 天然痘の猛威を前に、仏教にすがるしかなかった。 そのため聖武天皇は仏教への信仰を深め、全国各地に国分寺が建立された。 後醍醐天皇、後鳥羽天皇も天然痘に感染し、平安時代の蜻蛉日記には天然痘の詳しい症状が記載されている。 九州大学附属図書館 天然痘が原因で元号が何度も変わった 「天暦(947年)、永久(1113年)、大治(1126年)、応保(1161年)、長寛(1163年)、安元(1175年)、治承(1177年)、建永(1206年)、承元(1207年)、嘉禄(1225年)、嘉禎(1235年)、乾元(1302年)、弘和(1381年)、享徳(1452年)」と14回も改元しています。 この14回の改元は、「天然痘」の大流行が原因でした。 サライ. 2019 アメリカ大陸にはもともと天然痘は存在しなかったが、1519年にスペイン人が天然痘を持ち込み約350万人のメキシコ人が死亡、これがインカ帝国滅亡の原因とされている。 フランシスコ・ピサロに率いられたスペイン軍は、そこにつけ入った。 スペイン人たちは全く無事なのに、自分たちのみは次々に病に倒れてゆく有様は、インカの民にとって彼らが神に見放された証とも見えた。 戦闘以前に、士気の差は明らかであったのだ。 現代ビジネス,2013 あのエリザベス女王も 大英帝国の基礎を築いたエリザベス1世も、女王に即位してから4年目の1562年に天然痘にかかった。 一般財団法人 海外法人医療基金 29歳で天然痘にかかって以来、髪は抜け落ち肌は荒れていたが、国民に威厳ある姿を見せるために、肌を白く厚塗りし、カツラを着用していた。 一般財団法人 海外法人医療基金 明朝時代の中国 明朝末期の萬暦・崇禎 1573年~1644年 に、華北地方ではペストや天然痘が猛威を振るい、少なくとも1千万人の死者が出たという。 国際派日本人養成講座. 2003 北海道 a. Listen—I am the Smallpox Chief. In this bottle I have it confined. All I have to do is to pull the cork, send it forth among you, and you are dead men. 予防には牛痘の種痘が効果的だと知った10代藩主の鍋島直正は、痘苗 ワクチン をオランダからとりよせるよう命じ、1849年8月、佐賀城で息子の淳一郎 直大 に接種しました。 その成功によって種痘は藩内に広がり、やがて全国に普及していきました。 大きな問題となった。 「人から人に飛沫感染」するので、あっという間に大流行する「危険度の高い感染症」だった。 現在にいたるまで患者の発生はみられませんが、今後はバイオテロなどに使用される危険性が指摘されています。 FORTH 1979 年時点では,WHO には,2 億人分のワクチンが備蓄されていましたが,その 後徐々に減らされて行きました。 しかし,現在でもなお 250 万人分が備蓄されていま す。 撲滅されたのになぜこれほどの備蓄が必要なのかと不思議に思われるかもしれませんが,これは,天然痘ウイルスが生物兵器として用いられる恐れがあるためです 木原 雅子. 木原 正博. 世界保健機関. (pp. 8-pp9 Edward Jenner FRS, the founder of immunology whose early experiments with vaccination led to the eradication of smallpox, was born in 1749 — The Royal Society royalsociety 関連記事: 人類初の予防接種 1796年、ジェンナーが乳搾りの女性サラ・ネルムズの腕に出来た牛痘の膿を接種することにより、天然痘を防げることを証明した。 最初の種痘である。 天然痘ワクチンは、種痘病変から採取した漿液を次の人に接種するというように、腕から腕へと継代されていた。 2011 ジェンナーの種痘法は大きな成功を収めました。 1840年、当時のイギリス政府が、ジェンナー以外の方法を禁止するほど効果的だったのです。 ジェンナーは、種痘法の特許をとることはしませんでした。 なぜなら、特許をとるとワクチンが高価なものになり、多くの人々に行き届かないと考えたからです。 天然痘ウイルスは患者の貴賤を選ばなかったし,家族を天然痘で亡くした体験を持つのは,王族も一般人と変わらなかったからである。 医学書院. 週刊医学界新聞 第2912号 2011年01月17日.

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