幸あれ意味。 フィジーに幸あれとは

大津美子さんの「ここに幸あり」の歌詞の意味が良く分かりません。 【OKWAVE】

幸あれ意味

僕は、小学生高学年のときに「サラリーマンにはならない」と決めました。 なにがきっかけだったのかは全然覚えてないのだけど、そう決めたことは覚えています。 僕は、中学校時代には、自分はシンガーソングライターになるものだと思っていました。 テキトーな東京の大学に進学して、学校に行かず曲を書きまくるものだと思っていました。 僕は、高校1年の冬に「声楽の道を志す」と決めてから5年間は、売れっ子のオペラ歌手になるという将来を疑うことはありませんでした。 オペラを歌うことが、自分の天職だと思っていました。 僕は、演奏会やコンサートの企画こそ、自分にできる重要なミッションだと思っていました。 そして、それに向いているとも思っていました。 でも、今、僕はシンガーソングライターにもなっていないし、オペラ歌手にもなっていないし、演奏会やコンサートの企画も抱えていません。 ミュージカルの舞台に立ち、歌ったり芝居をしたりしています。 時折、ワークショップの歌唱指導をやったり、自分の地元での新作の舞台に俳優として参加したりしています。 上にあげたもののなかで現実として継続しているのは「サラリーマンにはならない」というところだけ。 夢を描いた時点では、シンガーソングライターも、オペラ歌手も、企画者も、どれもやりたいことだったのに。 -------- やりたいことをやり続けることというのは、本当に難しいことです。 時間や、仲間のことや、お金のこと、あるいは家族のこと。 そういった様々な要因で、「やりたかったこと」を断念しなければいけないことは、人生において多々あります。 あるいは、「やりたいと思っていたこと」なのに、それが「本当にやりたいことなのか?」と疑問に思う瞬間も、でてきたりします。 あるときまでは、一心不乱に「これこそ私の生きる道」と向き合ってたことなのに、ふと考えると「これが本当に私の生きる道なのか?」と思うことがあります。 そういう瞬間に出会うと、多くの人は、ちょっとした寂しさと困惑を感じるのだと思う。 僕自身もそうだったし。 「これまで僕が信じてきた思いは、薄っぺらかったのか」 そう自問自答したり。 -------- 僕は今、ミュージカルの舞台に立ったり、ワークショップの歌唱指導をしたりしています。 これらは、僕にとって「とてもやりがいのある仕事」です。 常にチャレンジングだし、人との関わりを大切にした上で成り立つ仕事だし。 表現をするということも僕の気質に合っている。 けれどその傍らで、「シンガーソングライターになりたい」「オペラ歌手になりたい」「良い企画をたくさん立ち上げたい」という思いも、いまだに持っています。 人生のある段階でそれらを断念したからって、「一生それについて夢を抱かない」と決めたわけじゃないから。 いまはもしかしたら、シンガーソングライターやオペラ歌手や企画者をやるべきタイミングじゃなくって、 ミュージカルの舞台で経験を積んで、あるいはストレートの芝居なんかにも進出して実力と知名度を身につけて、 その上で、次のステップとして胸のなかに抱えている夢を叶えるための直接的な行動を取り始める時期がいつか来るんじゃないか。 そう思っています。 同じことをやり続けることの美徳、みたいなのは確かにあると思います。 ひとつのことにゴリゴリ向き合って、その道を極めて、常人ではたどり着けないようなところまで到達する。 その凄みは、確かにある。 けれど、あらゆる分野を横断しながら、「自分にとって大切なこと」を追い求める人生も、とっても素敵なんじゃないかと思っています。 じっくりと、本質をみつめれば、あらゆることに共通した「大切にするべきこと」があることが見えてきたりもするし。 たとえば僕は、文化振興や文化市場のクオリティの上昇についてとっても興味があるんだけど、これらを考えるときのキーポイントと、 「美味しい料理を作るためには」や「地域振興を達成するには」みたいな問題解決のキーポイントが、一致しているなーと思う瞬間があったりする。 やはり本質というのは、あらゆる分野で、一致するんだと思う。 おそらく。 僕はいま、迷うことなく、ミュージカルや芝居の道に邁進しています。 そこに、自分の生きがいを見つけているから。 毎日が楽しいし、すべての瞬間にやりがいを感じます。 僕にとって、音楽や芝居は「人生をかけて向き合いたい対象」だから、きっと年を取っても、死ぬ間際でも、音楽や芝居のことを考えているんだと思う。 そういう対象に、いまの段階で出会えた僕の人生というのは、ある意味とっても幸福だと思う。 ほんとに。 けれど、もしかしたらある地点で、「さらに人生をかけたいこと」に出会うかもしれない。 それはほんとにわからない。 人生何があるかは予測できないから。 だけれど、そのときのことを考えながら「いつか別の何かに出会うかもしれないから、いまは目の前のことをほどほどにしておこう」とはぜったいに思わないわけで。 ひとまず、僕自身に与えられたフィールドで、僕自身がやりたいと思うことに必死に取り組む。 毎日、トライアンドエラーを繰り返す。 それこそ、僕の考える「楽しい生き方」だと思うから。 もしいま目の前に、「これに携わっているときが幸せだ」と思う対象があるのなら、ぜひそれに一所懸命に取り組んでください。 それが、仕事であれ、趣味であれ。 あるいはボランティアであれ、遊びであれ。 目の前のものに没入すれば没入するほど、きっと、「本当の自分」が見えてくるはずだから。 そして、「本当の自分」が見えてきたときに、それを恐れないでください。 それはまぎれもない、あなた自身だから。 大切にすべき存在だから。 「本当の自分」が見えてきたなら、その声に必死に耳を傾けて、心のままに行動してください。 これまでああしてきたのにそれを捨てるのはもったいない、なんて思わずに。 そうやって、常に自分の心に耳を傾けて生きることこそ、幸せを導いてくれるはずだと、僕は考えています。 あなたの人生に、幸あれ。 僕は、いつも応援しています。

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『父母が頭かきなで幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる』 わかりやすい現代語訳と品詞分解 / 古文 by 走るメロス

幸あれ意味

「幸多からんことを」の意味はわかりました。 次は、シーン別に「幸多からんことを」の使い方を見ていきましょう。 結婚式 結婚式という晴れ舞台には、人生をともに歩いていく二人に、多くの幸せが訪れるようにとの願いを込めてこの言葉を送りましょう。 以下のように、使い方の例を挙げてみましたので、このように相手の幸せを祈る気持ちを込めて使いましょう。 「お二人の人生に幸多からんことをお祈り申し上げます。 」 「ご結婚を祝し、心からお慶びを申し上げると共に末永く幸多からんことをお祈り申し上げております。 」 「ご結婚おめでとうございます。 ご招待いただきましたのに 出席できずに申し訳ございません。 おふたりの未来が幸多からんことをお祈りいたします。 」 誕生日 誕生日に使う「幸多からんことを」は、「誕生日を迎え、また次の一年も幸せな年になりますように」というような意味を込めて使います。 「お誕生日おめでとう。 これからも幸多からんことを」 「いよいよ20歳を迎えましたね。 大人の仲間入りです。 これからの長い人生も幸多からんことを祈っています。 」 「誕生日おめでとう。 これからの人生も幸多からんことを祈ります。 」 「あなたが生を受けられたことを心から感謝しています。 なかなか逢えないけれど、幸多からんことを願っています。 」 このように「おめでとう」という祝いの言葉の後に続けて使うのが、一般的な使い方です。 卒業式 卒業式は別れでもあり、新しい世界へ飛び立つ巣立ちの儀式でもあります。 「これからの生活が幸せに満ち溢れたものになるように」そのような気持ちを込めて使います。 「ご卒業おめでとうございます。 栄えある今日を迎えられたことを心よりお喜び申し上げます。 皆様の未来に幸多からんことをお祈り申し上げます。 」 「ご卒業おめでとうございます。 みなさんの人生の中の貴重な三年間を一緒に過ごせたことを本当に光栄に思います。 今、大空へ羽ばたこうとするみなさんの行く手に、幸多からんことをお祈りしています。 」 「無事にこの日を迎えられたことを心よりお祝い申し上げます。 みなさん、ご卒業おめでとうございます。 この先のみなさんの人生幸多からんことを。 」 入社式 期待と不安の入り混じった入社式では、少しでも不安を取り除いて、希望に満ちた気持ちで新しい一歩を踏み出して欲しいです。 そのような気持ちを「幸多からんことを」に込めて使いましょう。 使い方の一例を挙げておきますので参考にしてみてください。 「新入社員のみなさん、入社おめでとうございます。 みなさんのこれからの社会人生活が幸多からんことをお祈りして、お祝いの言葉とします。 これから一緒に頑張りましょう。 」 「みなさんを我が社へ迎え入れられたこと、我々としても大変うれしく思っています。 みなさんのこれからが幸多からんことを願っています。 」 「入社式を迎えられたと聞きました。 努力が報われたことうれしく思います。 」 年賀状 「幸多からんことを」は、「一年の幸せが多くありますように」という意味で年賀状にも使える言葉です。 使い方の例を見てみましょう。 「今年一年が、みなさまにとって幸多からんことをお祈りします。 」 「明けましておめでとうございます。 」 「ご家族一同さまにとって、幸多からんことをお祈りします。 」 目上の人への「幸多からんことを」の使い方は? 目上の人に対して「幸多からんことを」を使う場合は、「幸多からんことを」で文章を終わりにせず、必ず「お祈りします」や「願っております」などを付けましょう。 例えば、定年退職する上司は一般的に年上で目上の人です。 退職祝いのメッセージを例に取ると、このような使い方になります。 「定年退職おめでとうございます。 これまで公私ともに大変お世話になりました。 本当に感謝しています。 これからの第2の人生の幸多からんことをお祈りします。 」 「定年退職おめでとうございます。 これまで本当にお世話になりました。 毎日の仕事では多くの事を教えていただき、また助けてもらい感謝してもしきれません。 」 「幸多からんことを」の例文について 次では、「幸多からんことを」の具体的な例文を紹介します。 シーンに合わせてそのまま使えますので、ぜひ参考にしてみてください。 幸多からんことを願って 「幸多からんことを願って」を使った例文を紹介します。 「種が冬を越えて花を咲かせるように、幸多からんことを願っています。 」 「生まれてきてくれてありがとう。 これからの人生も幸多からんことを願っています。 」 「巣立っていくみなさんのこれからの新生活、幸多からんことを願っています。 」 「新しい世界へ一歩を踏み出す君たに幸多からんことを願っています。 」 幸多からんことを祈って 「幸多からんことを祈って」を使った例文を紹介します。 「ご卒業生のみなさまの未来に幸多からんことを祈っています。 」 「新社会人としての生活に幸多からんことを祈っています」 「みなさまのこれからの人生に幸多からんことを祈って、祝辞とさせていただきます。 」 「また新しい一年、幸多からんことを祈っています。 」 「先輩方のこれからが幸多からんことを祈っています。 」 「幸多からんことを祈っています。 新しいチャレンジ応援しています。 来年こそは幸多からんことを祈っています。 」 幸多からんことをお祈り 「幸多からんことをお祈り」を使った例文を紹介します。 「華燭の御盛典を祝し、若いお二人に幸多からんことをお祈り申し上げます。 」 「お二人の前途に、幸多からんことをお祈りします。 」 「新天地での生活に幸多からんことをお祈り申し上げます。 」 「若いお二人の人生に幸多からんことをお祈り申し上げます。 幸多からんことをお祈り致しております。 」 「ご結婚おめでとうございます。 お二人の未来が幸多からんことをお祈り申し上げます。 」 「栄転おめでとうございます。 これからのご活躍と、幸多からんことをお祈りします。 」 「幸多からんことを」は人生の節目に送りたい言葉!.

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フィジーに幸あれとは

幸あれ意味

作詞:高橋掬太郎、作曲:飯田三郎、唄:大津美子 1 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し 君をたよりに わたしは生きる ここに幸あり 青い空 2 誰にもいえぬ 爪のあと 心に受けた 恋の鳥 ないてのがれて さまよい行けば 夜の巷 (ちまた)の 風哀し 3 いのちの限り 呼びかける こだまのはてに 待つは誰 君に寄り添い 明るく仰ぐ ここに幸あり 白い雲 《蛇足》 昭和31年(1956) 3月に発表。 富田常雄の恋愛小説『ここに幸あり』が松竹で映画化されることになったとき、その主題歌として企画されたものです。 作詞の高橋掬太郎、作曲の飯田三郎のコンビは、三条町子の歌で『かりそめの恋』『東京悲歌 (エレジー) 』と続けざまにヒットを出していたので、この曲も三条町子に歌わせる予定でした。 ところが、三条が妊娠中で出産が近かったために歌えなくなり、18歳の新人・大津美子が急遽起用されることになった、と伝えられています。 これは大津美子にとって、非常にラッキーなハプニングでした。 上品で美しいメロディを生かす彼女の正統的な歌唱が多くの人々の心を打ち、たちまち大ヒットとなりました。 結婚披露宴でよく歌われ、長いこと祝婚歌の定番でした。 2番を除いて歌われることが多かったようですが。 好評は国内にとどまりませんでした。 昭和33年(1958) 9月に大津美子が三橋美智也とともにハワイ公演したとき、この歌が大好評で、公演後、楽譜を求めるファンが楽屋に殺到しました。 そのため、彼女は観光にも出かけず、300部あまりの楽譜を手書きし続けたそうです。 アジア各地でも大ヒットし、ことにフィリピンでは多くの人々に愛唱され、長くスタンダードナンバーの1つになっていました。 1番と3番の明るさに比べて2番の暗さに違和感を感じる人が多いと思いますが、これは映画の筋立てに合わせて作詞されたことによるようです。 映画は京子と南子姉妹の恋愛模様を描いたものです.。 京子は父・作造が勤める会社の専務・佐野から嫁にと望まれていますが、静岡県富士宮から京子が勤める洋裁店にモード画家としてやってきた子持ちのやもめ・高見と愛し合うようになります。 しかし、結婚を作造に反対され、また佐野専務と結婚したほうが京子が幸せになると思った高見は、富士宮へと去ります。 いっぽう、南子は喧嘩友だちの中学教師・松尾の気持ちを知りながら、金持ちの息子・武田の情熱に負けて身を任せてしまいます。 その後、武田には許嫁がいて自分は弄ばれただけだと知った南子は自暴自棄になり、家出してキャバレーのダンサーになってしまいました。 そんな南子を立ち直らせようと松尾は懸命に説得しますが、南子は聞こうとしません。 その頃、京子は病気だったにもかかわらず、高見のあとを追いますが、富士宮に着いたとたん倒れ、病院に収容されます。 それを知った南子は自分の生き方を反省し、松尾とともに人生をやり直す決意をします。 富士宮の病院では、危機を脱した京子と高見、南子に寄り添う松尾、それを微笑みながら見守る作造と佐野専務の姿がありました。 2番は南子が弄ばれ、自暴自棄に陥った頃のことを歌ったものと推測することができます。 (二木紘三) 嵐も吹けば雨も降る 女の道よ なぜ険し 君をたよりにわたしは生きる ここに幸あり 青い空 昭和31年にヒットした大津美子の曲ですが、この一番の歌詞に 当時の世相が充分に現されています。 昭和30年代・・・当時、私は中学生・高校生でした。 嫌なこともつらいことも、たくさんありました。 しかし、今から思えば、懐かしい時代です。 「ALWAYS 3丁目の夕日」という映画の中でも、この曲が流れていました。 テレビも、パソコンも、携帯電話も、シャワートイレもなかったけれど、人々は一生懸命に生きていたように思います。 当時の女性たちの心情を謳った「ここに幸あり」は、日本歌謡史に燦然と輝く絶唱といえるでしょう・・・ 投稿: エスペロ 2007年9月 8日 土 18時56分 私は最近このブログを知り、その虜になりました。 二木先生の「蛇足」は最高です。 私はこれまで、この歌をあまり好きではありませんでした。 たぶん私の記憶の中にはこの歌の1番と3番しかなく、「女の道」とか「君をたよりにわたしは生きる」「君に寄り添い明るく仰ぐ」という歌詞から、嫁しては夫に随えという戦前の古い形の模範的な女性像をそのまま連想してしまっていたからではないかと思います。 しかも祝婚歌というイメージがこの歌には強かったですし。 それが今回二木先生の「蛇足」で、祝婚歌のときは2番は歌われなかったということを知り、2番の歌詞をもう一度改めて読み返して見ました。 この歌の主人公の女性もやはり恋に傷つく生身の女性だったんですね。 何かホッ救われるような想いに捕われました。 こんなくだらないことを考えるのは私だけかも知れませんが。。 投稿: 塞翁が馬 2012年6月 5日 火 21時50分 ハコベの花さま そうですね。 2番の歌詞もいま一つ分かりませんね。 ただ私は、1番と3番は現在、2番は回想かなと思っています。 2番は、心に深い傷 爪あと を負った主人公の女性が、その恋からのがれ夜の巷を一人寂しくさまよい歩くということかなと考えました。 そしてそんな中で、いのちの限りに呼びかけ自分を待っていてくれた「君」に巡り会って、これからは「君」に寄り添って明るく明日を見つめて生きて行こうと誓う、どうか幸せになれますように 3番 、そういうことかなと。。 ただ私には、主人公の女性はまだ昔の恋を捨て切れていないような、そんな気がしてなりません。 深読みしすぎですかね(笑) 投稿: 塞翁が馬 2012年6月 6日 水 09時16分 結婚式で歌うときは、2番は歌わないように気を付けていました。 イメージが暗いとかそんな理由ではなく、花嫁に失礼だと思ったからです。 誰でも「人には言えぬ過去」をもって結婚にたどり着くのでしょうが、それをわざわざこの嫁さんには「人に言えぬ過去」があるんですよ、とでも告げるような雰囲気では、結婚式はぶち壊しですから。 「過去」については、蛇足で触れられているよりももっと深刻なことを想像していました。 何しろ売春禁止法以前の状況ですから、生活のためにそこまで身を落とした女性がたくさんおり、その生活から這い上がろうと必死で努力した女性がいっぱいいた時代、そしてそれを隠さねば「まっとうな世間」で生きていけなかった時代であったことを思っています。 投稿: solong 2015年8月30日 日 13時48分 「ここに幸あり」が世に出た頃、私は高校生でした。 この歌は、大津美子さんの歌唱力が圧倒的で、私にとって、「生命(いのち)の限り」(S32)などとともに、長く記憶に留めている名歌です。 家内は「ここに幸あり」がお気に入りで、カラオケで時々歌っていますが、私はと言えば、男性だからでしょうか、この歌をカラオケで歌う気分になったことは、正直ありません。 同じく女性が歌う歌でも、「港が見える丘」(平野愛子 唄 S22)などは、好んでカラオケで歌うのに、です。 最近、コーラスで歌う「ここ幸あり」も、聴いております。 数年前に、あるBSテレビ番組で放映あった「日本名曲アルバム」から録画したもので、二つの若手声楽家コーラス・グループによる「ここに幸あり」です。 一つは、女声コーラスで、原曲(大津美子さん唄)のイメージで、ストレートに丁寧に歌うところに好感が持てます。 もう一つは、混声コーラスで、工夫を感じる編曲で、このような「ここに幸あり」も新鮮で面白いなあと、新しい発見をした気分で聴いています。 投稿: yasushi 2018年7月 4日 水 14時06分 今朝の地元新聞を開いてみると・・・ 流行歌「ここに幸あり」、デビユー60年超で傘寿 大津美子 人生の苦難 歌で寄り添う・・・の記事が目に留まる。 この歌が流行ったころは、高校に入学した時でした。 時折、ラジオから流れてくる彼女の重みのある低音で伸びのある歌声が印象的で、当時を懐かしく想い出しております。 記事の中で彼女は、1955年のデビューから60年余り、「歌い手になる気持ちはなかった」と不思議な縁を思う。 子供の頃は先天性の心疾患で長く話すことができず、母親にしがみついて泣いていたばかり。 症状を軽くしようと腹式呼吸を教わった歌の先生から、「NHKのど自慢」への出場を勧められて合格し、自信を付けたという。 そして、デビュー後、「東京アンナ」や「銀座の蝶」などをヒットさせ、集団就職の若者らと都会への憧れと孤独を共有した。 「私も親元を離れて寂しかった。 同じ気持ちでいた人たちが、今も応援してくれるのがうれしい」と・・・ 特に記事の中で私が胸を打たれ感動と元気をもらったことは、・・・ 42歳の時、くも膜下出血で倒れ、一時は夫や息子の記憶もなくしたが、ある日突然記憶がよみがえったと笑顔が輝く。 「元気が戻ってからが大変。 全てがうれしくて泣いてばかりでした。 だから同じような境遇の人も、あきらめないでほしい」と 記事の最後では、今春には新曲「北斗星に祈りを」発売した。 「80歳の今も歌い、新曲を出せるなんて信じられない。 あと10年は生きられるかな。 一日一日を大事にしたいと思います」 読み終えて、今朝の新聞記事に出会えたことに感謝するとともに、私も彼女と同様に元気を出して、明日からの「宅配業務」へ気合が入ったところです。 参考:プロモーションビデオ「北斗星に祈りを」 投稿: 一章 2018年8月19日 日 09時34分 一章様 この度のコメントを拝読しまして、日頃私たちが忘れがちな当たり前に普通に過ごせる健康が、如何に大切で有難いことなのかを改めて実感させられました! 40代での脳動脈破裂(クモ膜下出血)という命が危ぶまれる大病から、格闘の末に奇跡のカムバックを果たされて傘寿を迎えられた現在もご活躍される大津美子さんのその生命力の凄さに私は元気を頂きました。 新曲「北斗星に祈りを」、視聴しましたが、さすが平成での最も多くのヒット曲を輩出した弦哲也氏の作曲した歌だけあって素晴らしい楽曲に仕上がっていますね! しかも今も変わらず、堂々とした風格の大津美子さんらしい歌い方で、その声量感も抜群で、全盛期を彷彿させるものでした。 そして新曲記念のインタビューでは、ご本人の言葉にもありますが、サイン色紙には「感謝」の文字が大きく添えられていました。 この度の動画視聴での大津美子さんの歌に対する姿勢を見て私が思ったことは、喜寿になられて尚、お客様に感謝する使命感をもたれ、早朝から「宅配業務」のお仕事に奮闘されておられる一章様と重なるものを感じました。 「ここに幸あり」、この歌は歌詞といい、メロディといい、本当に素敵な素晴らしい楽曲で、いつまでも残して行きたい名曲ですね! 投稿: 芳勝 2018年8月19日 日 19時15分 芳勝さま 早速の心温まるコメントをいただき、胸が熱くなる思いでした。 ありがとうございました。 それにしても、大津美子さんは、芳勝さまがおっしゃられるように凄い生命力を持たれておられる方と改めて感じた次第です。 少し大げさで生意気な言い方かもしれませんが、人生とは、夢と希望とやる気が伴うこと・・・それには当然、健康で元気であることが第一だとつくづく思っている今日この頃です。 話は変わりますが、時折、休日を利用してのドライブの途中、芳勝さまが以前お住まいになられておられた「巌木町~現在の唐津市巌木町」の「道の駅」に立ち寄っております。 現在、台風19・20号が九州へ接近しているようですが、無事通過するように祈っております。 投稿: 一章 2018年8月19日 日 20時37分 一章様 一章様が休日のドライブ中に立ち寄られた国道203号線沿いにある「道の駅」の所在地「牧瀬」という地名、実に懐かしいです! その国道を少し進んだ先の左側に中学校がありますが、その厳木中学校「所在地牧瀬」で私は学びました。 当時住んでいた厳木町岩屋新屋敷の自宅から4キロある中学校まで約1時間かけて毎日徒歩で通っていました。 驚いたことに、最近偶然に見つけたのですが、私が住んでいた厳木町岩屋新屋敷の景色を「昭和の写真館」という題目で、YouTube動画にUPして下さった方がお見えになり、年代とともに、変ってゆく自宅付近の航空写真「47秒間」の短い動画を食い入るように観たりしています。 懐かしさもありネットで「道の駅」の写真も時々見ますが、ずいぶんと様変わりしているようで、新地図では厳木・多久有料道路牧瀬インターから入る、浪瀬の山々にかけてトンネルを用いた厳木バイパスなどが通っています。 今日も午前中は「東京アンナ」「銀座の蝶」そして「ここに幸あり」を、動画視聴しましたが、堂々と歌われる大津美子さんの姿には、何か惹かれるものを感じます。 天気予報ではやはり台風が近日九州に接近するようですので、安全運転にはご注意の上、「宅配業務」でのご活躍を祈っています。 くれぐれもお身体にはご自愛下さい。 投稿: 芳勝 2018年8月20日 月 16時38分.

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