楽しいことならいっぱい夢見ることなら 歌手。 「東京には何でもあるけど何にもない」-憧れの場所で夢を叶えた“超歌手”・大森靖子さんの上京物語に迫る

「東京には何でもあるけど何にもない」-憧れの場所で夢を叶えた“超歌手”・大森靖子さんの上京物語に迫る

楽しいことならいっぱい夢見ることなら 歌手

街の話• 今はないけど当時はラフォーレもあったし、コンビニだって東京と変わらないくらい近くにあるし。 自分に合った生き方ができない。 当時は歌をやろうとは思ってなかったんですけど、なんとなく自分が歌を作ったりするのは愛媛にいたらできないなって思ってたし。 一番やりたいことは音楽だったんですけど、「なんかやりたい!」っていう気持ちのほうが大きくて。 でも音楽への憧れが強すぎて、理想も高かったから最初の一歩が踏み出せなくて…それでCDのジャケットのデザインとか、モノを作ることで音楽に関わっていければいいなと思って美大(武蔵野美術大学)へ進むことにしました。 あと、愛媛の人ってみんなめちゃくちゃ優しいんですよ。 まずコンビニまで歩いて10分ぐらいかかるし、空気綺麗すぎて家から富士山見えるし(笑)。 東京にすごく憧れて出てきたのに、東京の西の方は富士山見えるんだって結構引いちゃって…(笑)。 あと、音楽にしても芸術にしても志の強い人が来てるって思ってたのに、結構そうでもないぞっていうのに気が付いちゃって。 もともと東京の美術の予備校から来てる人って、わりと軽い気持ちで来てたりするんです。 予備校の先生がめっちゃ優秀だから、デッサンが上手くなって(大学に)入れるんですよ。 だから、そんなに美術に対する欲求みたいなものがなくても、なんとなく絵が好きだよねっていう人が大学に入ってきて、普通にアトリエで音出してポケモンされたりして発狂しそうになっちゃいました(笑)。 何しに来てるの?このモチーフと向き合う私の時間なんなんだろう?とか。 今考えると周りが見えてないなって思うんですけど、結構それが衝撃でした。 作品をある程度溜めて、会場を借りて、誰かと一緒にやるなら連絡を取って…とかいろいろ準備するのが大変っていうのもあるんですけど、絵を描いて自分から生まれる瞬間から人に見てもらうまでのタイムラグがめっちゃあるんです。 その時はもうライブ活動も始めていて、自分から出てくるものを歌ってすぐ人に聴いてもらえるライブは表現の方法としてめちゃめちゃ速いな!って思ったんですね。 単純に朝と夜で食べたいものも違うし、昨日好きだった人が今日好きとは限らないじゃないですか。 もう変わっちゃってるけど、ちょっと前のやつだけど…とか言い訳っぽく絵を飾っちゃってる自分が嫌だったんです。 デザインの部分の挫折でいうと、デザインって人が求めるものとか、人が分かりやすいものとか、オファーをくれた人がこういうものが作りたい!っていうものが作れないとダメじゃないですか。 私の作品を聴いてもらってる人なら分かると思うんですけど、どう考えてもそれに合わせて作れる器用な人間ではないなって…絵に対しては特に。 細密描写がすごく好きだったんですけど、そんな細密描写求められるデザインないじゃないですか(笑)。 だから難しそうだな、って思ってました。 人が足りないから歌ってみなよ、とか君も歌えるでしょ?みたいな場が結構あったんです。 最初、歌手活動をやっていく上で大学卒業は自分の中での親孝行というか。 大学は卒業してほしい、っていう親だったので卒業まではしてあげないと!みたいな気持ちがあったんですよ。 でも、周りの音楽を志してる人はみんな一人暮らしをしていて、音楽に全振りの人生ができる環境で、音楽だけで食ってますっていう人じゃなくてもバイトのシフトを音楽活動に合わせてズラしたりとか、当時の私には自分でお金を稼いでる姿がすごく立派に見えたんです。 音楽だけやってるほうがカッコいいなとか、貧乏してるのも羨ましく思っちゃってたんですよ。 それで、わざと貧乏ぶって生活したり(笑)。 別にお金があったわけじゃないんですけど、仕送りとか家賃は出してもらってたので、死にはしないじゃないですか。 そういう変な憧れがあったので、大学を卒業した時は「よし!やったぁー!」ってすごく思いました。 でも、そのタイミングがちょうど震災だったんです。 音楽の界隈でも自粛モードが漂ってたんですけど、自粛も何も自分がその時いた音楽の界隈って客1人、2人とかで、この人に対して自粛したところで…っていう根本論があるのにみんなが自粛って言ってて。 しかも引き語りなんで、そんなに電気も使わないし。 表現の自粛とか、よく分かんなくなっちゃったんですよ。 みんな結構気が滅入ってた時に大学を卒業して、初めて仕事をするぞ!ってなった時に、何があっても変わらないぐらいいつもやり尽くし続けて、そういうことがあっても変わらない生活をしていくことがすごく大事なんじゃないかって思って。 そんな時にギターを教えてくれた友人が亡くなってしまったり、いろいろ考えて「売れなきゃ」っていう気持ちになったタイミングだったんです。 高円寺ってほんとに楽なんですよ。 少し距離があると思うのですが、高円寺のライブハウスに通うようになったきっかけはありますか? 自分の好きな銀杏BOYZの峯田さんとか、オーケンとか、そういう人たちが高円寺を語ってるのに憧れて、まず高円寺に行かなきゃ!って思ってたんです。 行ったら、まぁ楽じゃないですか。 高円寺っていう街って、ほんとに楽なんですよ。 誰も何も取り繕わなくて、誰も何も執着してない、みたいな場所。 当時はその辺の道でダラダラしてたら人に刺されるって思い込んでたので(笑)。 自分は醜いから人に殺される、っていうよく分かんない理論を持って歩いてたけど、高円寺ならそれはない。 ここならありのままの自分でいられるんだ!安全だ!っていう気持ちがあって、すごい好きでした。 いろんな喫茶店を巡ってましたね。 あと野球をすごい見たくなって、西武球場に通ってました。 おじいちゃんが甲子園が好きだったので、夏休みにおじいちゃん家に行った時におじいちゃんが見てる甲子園をぼーっと見てたんですよ。 あの感じを味わいたいなと思って。 それで自然と西武を応援するようになりました(笑)。 でも大体は高円寺にいましたね。 東京には何でもありすぎる。 大森さんにとって「東京」はどんな街ですか? 東京って何でもあるじゃないですか。 自分がこれ欲しい!って思ったものを得られるような場所なのかなって。 でも、これ!って思ったものを自分から掴みに行かないと何にも得られない感じはあると思います。 何でもあるから何にもない、みたいな。 何でもあるけど自分から行動しなきゃ何にもないから、最初それで落ち込んじゃって。 すごい閉じちゃったんですよ。 それで、1ヶ月寝ないでいてみようとか、遺跡を発掘しようとか、そういう方向に走っちゃいました。 でも遺跡を発掘するバイトとかそんなに手軽に見つかるものじゃないんですよ(笑)。 あと、実家があんまり好きじゃなかったっていうのが大きいと思います(笑)。 みんな優しいし、親とかも自分のこと思ってるのは分かるけど、それでも苦手な空気とかあったし、やっぱり早く出たくてしょうがなかった。 当時は愛媛を出れて、楽しく音楽ができてハッピー!しか思ってなかったです。 そうだと思います。 高円寺気持ちいいけど、ここにずっといたら人生終わる、みたいに思ってました。 自分で行く場所を選んだのに(笑)。 そうだと思います。 賃貸って大体2年契約じゃないですか。 だから、めっちゃちょうど良くて(笑)。 2年くらいで引っ越して次の街にいけるっていうのが、自分的に気持ちよかったです。 大学の時は大学の近くに住んでたので4年一緒ですけど、その後は更新の度に近場で引っ越してました。 高円寺から中野に引っ越したり(笑)。 高校時代とかって「世界=学校」と思ってしまっている人って多いと思うんですよ。 界隈って無限にあって、しかも1個にしかいちゃいけないなんてないんです。 100個の界隈に小指の爪ぐらいずつ参加してるぐらいでも構わないし、別に毎回足を運んで顔出せってことでもない。 例えば、「アニメも見て、アニメも好きだけど主題歌で〇〇ちゃんにハマって音楽もちょっと好きです」でも2個の界隈ゲットしてるじゃないですか。 それを好きだよ、って言うだけで居場所ができたりして、そうやって居場所っていっぱい作っていけばいい。 自分の現状に満足できなくて「今ここから抜け出したい!」って思ってる人も、そういうのを調べてみて「自分はこの街合ってるのかな」とか「いつかはこの街に住もう」って思えたら、それが東京で生活する上での希望になったりするかもしれないし。 選択肢はたくさんありますもんね。 そうですね。 物件も色々あるし、予算が5,6万だったらこのくらいになるとか、選べなくても楽しいじゃないですか。 世間では「お金がない=絶望」みたいに言われるけど、お金がなくて不自由でも、安くて自分に合った物件が見つかって「俺は別に事故物件でも気にしないぜ!」っていうのがゾワゾワする!楽しい!とか。 絶望って、別に悲しいとは限らないと思います。 わりとどこにでも楽しむ余地はあるし、想像力って無限だから。 その能力を高めていくと、東京でも、東京じゃなくても自分の満足のいく生活が送れると思います。 迷うことなくスラスラと書いてくださった大森さん。 初めて行く場所、初めて会う人、初めて感じる空気。 東京には何でもあるけど、自分から行動しないと何も得られない。 歌手デビューという大きな夢を叶え、現在は多くの人々に夢を与え続けている大森さんの言葉には、夢を叶えるために頑張る全ての人たちへの力強いメッセージが込められていました。 さぁ、あなたも憧れの場所で一歩を踏み出してみませんか? 大森靖子(おおもり・せいこ) 1987年9月18日、愛媛県出身。 学生時代に弾き語りを始め、ライブハウスでの音楽活動で注目を浴び、2014年にエイベックスからメジャーデビュー。 2019年から2020年デビュー5周年を迎え「ハンドメイドミラクル5」と題し、5つのアニバーサリー企画を遂行。 道重さゆみとコラボしたシングル「絶対彼女 feat. 道重さゆみ」や、峯田和伸(銀杏BOYZ)と題してコラボしたシングル「Re: Re: Love 大森靖子feat. 峯田和伸」をリリース。 更に「SEIKO OOMORI UGLY DREAM TOUR 2020」と題し5月〜7月と全国ツアーが決定している。 Twitter: Instagram: HP: 【エイっと検索で部屋探し】.

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坂戸いずみ教会 説教

楽しいことならいっぱい夢見ることなら 歌手

街の話• 今はないけど当時はラフォーレもあったし、コンビニだって東京と変わらないくらい近くにあるし。 自分に合った生き方ができない。 当時は歌をやろうとは思ってなかったんですけど、なんとなく自分が歌を作ったりするのは愛媛にいたらできないなって思ってたし。 一番やりたいことは音楽だったんですけど、「なんかやりたい!」っていう気持ちのほうが大きくて。 でも音楽への憧れが強すぎて、理想も高かったから最初の一歩が踏み出せなくて…それでCDのジャケットのデザインとか、モノを作ることで音楽に関わっていければいいなと思って美大(武蔵野美術大学)へ進むことにしました。 あと、愛媛の人ってみんなめちゃくちゃ優しいんですよ。 まずコンビニまで歩いて10分ぐらいかかるし、空気綺麗すぎて家から富士山見えるし(笑)。 東京にすごく憧れて出てきたのに、東京の西の方は富士山見えるんだって結構引いちゃって…(笑)。 あと、音楽にしても芸術にしても志の強い人が来てるって思ってたのに、結構そうでもないぞっていうのに気が付いちゃって。 もともと東京の美術の予備校から来てる人って、わりと軽い気持ちで来てたりするんです。 予備校の先生がめっちゃ優秀だから、デッサンが上手くなって(大学に)入れるんですよ。 だから、そんなに美術に対する欲求みたいなものがなくても、なんとなく絵が好きだよねっていう人が大学に入ってきて、普通にアトリエで音出してポケモンされたりして発狂しそうになっちゃいました(笑)。 何しに来てるの?このモチーフと向き合う私の時間なんなんだろう?とか。 今考えると周りが見えてないなって思うんですけど、結構それが衝撃でした。 作品をある程度溜めて、会場を借りて、誰かと一緒にやるなら連絡を取って…とかいろいろ準備するのが大変っていうのもあるんですけど、絵を描いて自分から生まれる瞬間から人に見てもらうまでのタイムラグがめっちゃあるんです。 その時はもうライブ活動も始めていて、自分から出てくるものを歌ってすぐ人に聴いてもらえるライブは表現の方法としてめちゃめちゃ速いな!って思ったんですね。 単純に朝と夜で食べたいものも違うし、昨日好きだった人が今日好きとは限らないじゃないですか。 もう変わっちゃってるけど、ちょっと前のやつだけど…とか言い訳っぽく絵を飾っちゃってる自分が嫌だったんです。 デザインの部分の挫折でいうと、デザインって人が求めるものとか、人が分かりやすいものとか、オファーをくれた人がこういうものが作りたい!っていうものが作れないとダメじゃないですか。 私の作品を聴いてもらってる人なら分かると思うんですけど、どう考えてもそれに合わせて作れる器用な人間ではないなって…絵に対しては特に。 細密描写がすごく好きだったんですけど、そんな細密描写求められるデザインないじゃないですか(笑)。 だから難しそうだな、って思ってました。 人が足りないから歌ってみなよ、とか君も歌えるでしょ?みたいな場が結構あったんです。 最初、歌手活動をやっていく上で大学卒業は自分の中での親孝行というか。 大学は卒業してほしい、っていう親だったので卒業まではしてあげないと!みたいな気持ちがあったんですよ。 でも、周りの音楽を志してる人はみんな一人暮らしをしていて、音楽に全振りの人生ができる環境で、音楽だけで食ってますっていう人じゃなくてもバイトのシフトを音楽活動に合わせてズラしたりとか、当時の私には自分でお金を稼いでる姿がすごく立派に見えたんです。 音楽だけやってるほうがカッコいいなとか、貧乏してるのも羨ましく思っちゃってたんですよ。 それで、わざと貧乏ぶって生活したり(笑)。 別にお金があったわけじゃないんですけど、仕送りとか家賃は出してもらってたので、死にはしないじゃないですか。 そういう変な憧れがあったので、大学を卒業した時は「よし!やったぁー!」ってすごく思いました。 でも、そのタイミングがちょうど震災だったんです。 音楽の界隈でも自粛モードが漂ってたんですけど、自粛も何も自分がその時いた音楽の界隈って客1人、2人とかで、この人に対して自粛したところで…っていう根本論があるのにみんなが自粛って言ってて。 しかも引き語りなんで、そんなに電気も使わないし。 表現の自粛とか、よく分かんなくなっちゃったんですよ。 みんな結構気が滅入ってた時に大学を卒業して、初めて仕事をするぞ!ってなった時に、何があっても変わらないぐらいいつもやり尽くし続けて、そういうことがあっても変わらない生活をしていくことがすごく大事なんじゃないかって思って。 そんな時にギターを教えてくれた友人が亡くなってしまったり、いろいろ考えて「売れなきゃ」っていう気持ちになったタイミングだったんです。 高円寺ってほんとに楽なんですよ。 少し距離があると思うのですが、高円寺のライブハウスに通うようになったきっかけはありますか? 自分の好きな銀杏BOYZの峯田さんとか、オーケンとか、そういう人たちが高円寺を語ってるのに憧れて、まず高円寺に行かなきゃ!って思ってたんです。 行ったら、まぁ楽じゃないですか。 高円寺っていう街って、ほんとに楽なんですよ。 誰も何も取り繕わなくて、誰も何も執着してない、みたいな場所。 当時はその辺の道でダラダラしてたら人に刺されるって思い込んでたので(笑)。 自分は醜いから人に殺される、っていうよく分かんない理論を持って歩いてたけど、高円寺ならそれはない。 ここならありのままの自分でいられるんだ!安全だ!っていう気持ちがあって、すごい好きでした。 いろんな喫茶店を巡ってましたね。 あと野球をすごい見たくなって、西武球場に通ってました。 おじいちゃんが甲子園が好きだったので、夏休みにおじいちゃん家に行った時におじいちゃんが見てる甲子園をぼーっと見てたんですよ。 あの感じを味わいたいなと思って。 それで自然と西武を応援するようになりました(笑)。 でも大体は高円寺にいましたね。 東京には何でもありすぎる。 大森さんにとって「東京」はどんな街ですか? 東京って何でもあるじゃないですか。 自分がこれ欲しい!って思ったものを得られるような場所なのかなって。 でも、これ!って思ったものを自分から掴みに行かないと何にも得られない感じはあると思います。 何でもあるから何にもない、みたいな。 何でもあるけど自分から行動しなきゃ何にもないから、最初それで落ち込んじゃって。 すごい閉じちゃったんですよ。 それで、1ヶ月寝ないでいてみようとか、遺跡を発掘しようとか、そういう方向に走っちゃいました。 でも遺跡を発掘するバイトとかそんなに手軽に見つかるものじゃないんですよ(笑)。 あと、実家があんまり好きじゃなかったっていうのが大きいと思います(笑)。 みんな優しいし、親とかも自分のこと思ってるのは分かるけど、それでも苦手な空気とかあったし、やっぱり早く出たくてしょうがなかった。 当時は愛媛を出れて、楽しく音楽ができてハッピー!しか思ってなかったです。 そうだと思います。 高円寺気持ちいいけど、ここにずっといたら人生終わる、みたいに思ってました。 自分で行く場所を選んだのに(笑)。 そうだと思います。 賃貸って大体2年契約じゃないですか。 だから、めっちゃちょうど良くて(笑)。 2年くらいで引っ越して次の街にいけるっていうのが、自分的に気持ちよかったです。 大学の時は大学の近くに住んでたので4年一緒ですけど、その後は更新の度に近場で引っ越してました。 高円寺から中野に引っ越したり(笑)。 高校時代とかって「世界=学校」と思ってしまっている人って多いと思うんですよ。 界隈って無限にあって、しかも1個にしかいちゃいけないなんてないんです。 100個の界隈に小指の爪ぐらいずつ参加してるぐらいでも構わないし、別に毎回足を運んで顔出せってことでもない。 例えば、「アニメも見て、アニメも好きだけど主題歌で〇〇ちゃんにハマって音楽もちょっと好きです」でも2個の界隈ゲットしてるじゃないですか。 それを好きだよ、って言うだけで居場所ができたりして、そうやって居場所っていっぱい作っていけばいい。 自分の現状に満足できなくて「今ここから抜け出したい!」って思ってる人も、そういうのを調べてみて「自分はこの街合ってるのかな」とか「いつかはこの街に住もう」って思えたら、それが東京で生活する上での希望になったりするかもしれないし。 選択肢はたくさんありますもんね。 そうですね。 物件も色々あるし、予算が5,6万だったらこのくらいになるとか、選べなくても楽しいじゃないですか。 世間では「お金がない=絶望」みたいに言われるけど、お金がなくて不自由でも、安くて自分に合った物件が見つかって「俺は別に事故物件でも気にしないぜ!」っていうのがゾワゾワする!楽しい!とか。 絶望って、別に悲しいとは限らないと思います。 わりとどこにでも楽しむ余地はあるし、想像力って無限だから。 その能力を高めていくと、東京でも、東京じゃなくても自分の満足のいく生活が送れると思います。 迷うことなくスラスラと書いてくださった大森さん。 初めて行く場所、初めて会う人、初めて感じる空気。 東京には何でもあるけど、自分から行動しないと何も得られない。 歌手デビューという大きな夢を叶え、現在は多くの人々に夢を与え続けている大森さんの言葉には、夢を叶えるために頑張る全ての人たちへの力強いメッセージが込められていました。 さぁ、あなたも憧れの場所で一歩を踏み出してみませんか? 大森靖子(おおもり・せいこ) 1987年9月18日、愛媛県出身。 学生時代に弾き語りを始め、ライブハウスでの音楽活動で注目を浴び、2014年にエイベックスからメジャーデビュー。 2019年から2020年デビュー5周年を迎え「ハンドメイドミラクル5」と題し、5つのアニバーサリー企画を遂行。 道重さゆみとコラボしたシングル「絶対彼女 feat. 道重さゆみ」や、峯田和伸(銀杏BOYZ)と題してコラボしたシングル「Re: Re: Love 大森靖子feat. 峯田和伸」をリリース。 更に「SEIKO OOMORI UGLY DREAM TOUR 2020」と題し5月〜7月と全国ツアーが決定している。 Twitter: Instagram: HP: 【エイっと検索で部屋探し】.

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2015年9月20日慶老礼拝説教 「老人は夢を見る」

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何気なく普段から家の蛇口からはお湯が出るものだと思っていますが、長府製作所のような会社があってこそ便利な生活が出来るのだとCMを見ていて改めて思いました。 もし我が家に給湯器が無かったら…。 と、少しだけ想像してみましたが生活が成り立たないでしょう。 夏ならお湯がいらないかな~なんて思ったりもしましたがお風呂に入れませんもんね。 やっぱり給湯器必需品です。 何気なくお湯を使っていましたが、感謝感謝しかありませんね。 長府製作所のCMに出演されている女子高生は泣く時はお風呂だそうです。 これこそ青春なんでしょうね。 楽しいことも泣くこともいっぱいあるのが。 スポンサードリンク 出演者の女優は誰? ところで、2018年の長府製作所のCMに出演されている女子高生役の女の子って一体誰なのでしょうか? 今まで一度も我が家のテレビでは見たことないような気がして、ちょっとばかり気になったので調べてみたんです。 駒井蓮さんという女優さんでしたよ! じっくりCMを見てみると、「大変なのは蓮だけじゃない」みたいなセリフが聞き取れますね。 そんな駒井蓮さんのプロフィールも紹介しておきましょう。 生年月日 2000年12月2日 年齢 17歳 出身 青森県 所属 ボックスコーポレーション スカッとジャパンなどのドラマにも出演されている駒井蓮さん。 最近では自衛隊のCMにも出演されていました。 長府製作所のCMも普通っぽい感じの今の駒井蓮さんの姿を見ることが出来ましたが、インタビューを聞いてしっかりしている女優さんだな~とちょっとファンになってしまいました。 CMソングの曲名や歌手も紹介! 長府製作所のCMでもう一つ気になったのが、CMソングとして流れている曲です。 CMで名前ものっていたのですが、歌っておられるのは元ちとせさん。 生年月日 1979年1月5日 年齢 39歳 出身 鹿児島 所属 オフィスオーガスタ 元ちとせさんといえばワダツミの木がヒットしたのを私も覚えています。 でも15年以上も前の話なんですよね。 今回の長府製作所CMで使われているのは新曲の「あなたの夢で目覚めた朝に」という曲です。 個人的にはめちゃくちゃ久しぶりに元ちとせさんの歌声を聞くことが出来ました。 唯一無二の感じはやっぱり元ちとせさんならではですね! スポンサードリンク まとめ いかがでしたでしょうか? 今回は2018年に放送をされている最新の長府製作所のCMに出演されている女優さんは誰なのか?ということについて紹介をしていきました。 駒井蓮さんという17歳の女優さんでしたがご存知でしたでしょうか? 私的には今回のCMで初めて知った女優さんだったのですが、自衛隊のCMを見てちょっと気になる女優さんの一人になりました。 今後もっとドラマなどで活躍される事を期待しています。 そしてCMソングは元ちとせさんの「あなたの夢で目覚めた朝に」という曲です。 久しぶりに元ちとせさんの声を聞いた私は、当時の懐かしいさがよみがえってきましたよ。 あれから15年も経つことがびっくりですが、元ちとせさんのあの歌声は健在ですね! あらためて昔のアルバムを聞きなおしてみよかな~。 「あのCMに出演していたあの人は誰だっけ…」 というようなあなたのストレスを解消してくれるCM記事はです。

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