グッバイ 君 の 運命 の 人 は 僕 じゃ ない 題名 読み方。 Pretender 歌詞「Official髭男dism」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

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グッバイ 君 の 運命 の 人 は 僕 じゃ ない 題名 読み方

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Official髭男dism Pretender 歌詞

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さて、今日は髭男dismが先日MVを公開した新曲「Pretender」について、その歌詞の意味を徹底解釈していきたいと思います。 皆さんもリリース前からMVを聴き込んで、是非覚えてカラオケで歌っちゃってください^^ それでは、その歌詞の意味を一緒に見ていきましょう! 1. 楽曲について 今回紹介する 楽曲「Pretender」は、2019年5月15日にリリースされる、髭男dismの2nd Singleです。 映画『コンフィデンスマンJP』の主題歌にも抜擢されています。 髭男dismは同じく『コンフィデンスマンJP』のドラマ版の主題歌を2018年に「ノーダウト」で務めていますが、まさに「ノーダウト」が出世曲となって、徐々にを広げてきました。 その「ノーダウト」の場合は、演じる天才詐欺師が主人公、という「コンフィデンスマンJP」のストーリーに合わせて「嘘」をテーマとした楽曲になっていました。 その意味でも、「Pretender」が今回の映画を踏まえてどのような楽曲に仕上がっているのかが、非常に楽しみなところです。 MVの撮影地は台湾・だそうですが、ギラギラと光るネオンの世界観は映画を意識したものでしょう。 ミュージックビデオは全編にわたり台湾で撮影されており、台湾の夜景をバックに背負った彼らの演奏シーンや、台湾の現地モデル、俳優のキャストによるドラマシーンも収められている。 また、今回の『コンフィデンスマンJP』は副題が "ロマンス編"。 楽曲の中にも「ロマンス」のフレーズが登場します。 その意味でも、映画も合わせて見るとより楽しめるかもしれません。 歌詞について それでは、「Pretender」の歌詞を見ていきましょう。 君との恋愛は、始まる前に自分が思っていた通り、ひとり芝居だった。 距離感はずっと近いけれど、二人が本気になることはなく、結局は他人事のように真剣になれなかったのでしょう。 【2】1番Bメロ 感情のないアイムソーリー それはいつも通り 慣れてしまえば悪くはないけど 君とのロマンスは人生柄 続きはしないことを知った 「ごめんね」という二人の間のコミュニケーションにも、感情や熱はなくて、あまりにドライです。 そんな状態がいつしか日常になってしまっているのでしょう。 慣れれば特に何を思うことはないのかもしれませんが、は、「ロマンス」という感情は成立しないのだと、ふとした瞬間に気づかされるのです。 【3】1番C メロ もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える 選べたらよかった もっと違う性格で もっと違う価値観で 愛を伝えられたらいいな そう願っても無駄だから まるで芝居のように、自分自身のキャター設定や二人の関係を選べたら、この「ロマンス」にはまだ可能性があったのかもしれません。 ただ、実際は 君と僕とでは「」が違っていて、あらゆるものが決して交わることがありません。 性格も価値観も違ったら、と「たら」「れば」を繰り返すこと自体が、無駄なのは自分も一番理解しています。 【4】1番サビ グッバイ 君の運命のヒトは僕じゃない 辛いけど否めない でも離れ難いのさ その髪に触れただけで 痛いや いやでも 甘いな いやいや グッバイ それじゃ僕にとって君は何? 答えは分からない 分かりたくもないのさ たったひとつ確かなことがあるとするのならば 「君は綺麗だ」 どんなに工夫したところで、 僕も君との関係が続かないことは分かっているのでしょう。 だから、自分から君に「グッバイ」を告げます。 運命の人かもしれないと思い、必死にそうなろうとして、でもなれなかったから、この判断は「辛いけど否めない」ものでしょう。 ただ、 思い入れもあるからこそ、分かっていてもきっぱり離れることもできない。 髪に触れると、君の感覚がよみがえり、「痛い」と「甘い」の相反する思いが胸を締め付けます。 これだけの苦しい思いを抱えるなんて、僕にとって君はどのような存在なのか。 答えは自分の中にもないし、(もっとじっくり考えれば出るかもしれないけれど)「分かりたくも」ありません。 この「ロマンス」が成立しなくても、目の前の君が「綺麗」であるということだけが事実なのが、なんとも悲しいです。 【5】2番Bメロ 誰かが偉そうに 語る恋愛の論理 何ひとつとしてピンとこなくて 飛行機の窓から見下ろした 知らない街の夜景みたいだ さて、そんな風に悩み苦しむ僕にとって、「誰かが偉そうに語る愛の論理」は、遠くにうすぼんやりと見える程度で、何も具体的にイメージできないような、「知らない街の夜景」程度のものにしか思えません。 【6】2番Cメロ もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える 選べたらよかった いたって純な心で 叶った恋を抱きしめて 「好きだ」とか無責任に言えたらいいな そう願っても虚しいのさ 改めて、二人の「」を選ぶことができたらどんなに良かったでしょう。 ただ、自分の気持ちに任せて、「好きだ」と後先考えず「無責任に」言えたら良いけれど、そう願っても叶わないとわかっているから、虚しい気持ちが募るばかりです。 【7】2番サビ グッバイ 繋いだ手の向こうに 引き伸ばすたびに 疼きだす未来には 君はいない その事実に Cry… そりゃ苦しいよな 今手を繋いでいても、この「ロマンス」に終わりは見えている。 取り繕って引き延ばしても、この先の未来には君はいないことが分かっていて、その事実を想像すると苦しくて、思わず泣けてしまうのでしょう。 【8】ラスサビ グッバイ 君の運命のヒトは僕じゃない 辛いけど否めない でも離れ難いのさ その髪に触れただけで 痛いや いやでも 甘いな いやいや グッバイ それじゃ僕にとって君は何? 答えは分からない 分かりたくもないのさ たったひとつ確かなことがあるとするのならば 「君は綺麗だ」 それもこれもロマンスの定めなら 悪くないよな 永遠も約束もないけれど 「とても綺麗だ」 最終サビは1番サビの繰り返しとなり、最後のフレーズに入ります。 恋が始まり終わるまでの一連が「ロマンス」というものであれば、なんだかんだ「悪くない」 と思える。 永遠や約束というような、聞き心地のいい結末は待っていないけれど、この「ロマンス」がどうなったとしても君が「とても綺麗だ」ということだけは、やはり確かなこととして残っているのでしょう。 ピアノを入れるとより曲全体がルで、自然な印象になると思うのですが、 今回「Pretender」はピアノに加えて、電気的なの音を多めに取り入れています。 その中でも 最も印象的なのは、間奏部分かもしれません。 通常ギターソロが入るようなポイントですが、今回はがその役割を担っています。 これって 髭男ではあまり聴かない、新しい音ですよね。 リリースするたびに、髭男の良さはブラさないながらも、必ず何か新しさを加えてくるのは本当にさすがだと思います。 人によって、どんな音なのかの印象が違いそうなのも面白いですね。 たとえば、サビの中にある 「それじゃ僕にとって君は何?」というフレーズ。 「君にとって僕は何?」であれば理解しやすいですが、"僕"目線の曲の中でこのフレーズを考えると少し不思議な気もしてきます。 「僕にとっての君」は、最初は「想いを寄せる人」であり、やがて「彼女」になり、これから先別れてしまったら「何でもないただの他人」になる。 それが普通の解釈ですが、ひょっとしたらもうずいぶん前に関係性が壊れている以上、すでにずっと前から 「僕にとっての君」はただの「彼女のような人/彼女のように思いたい人」だったのかもしれません。 僕も薄ぼんやりとそう気づいていて、よくよく考えると否が応でもその結末に辿り着いてしまう。 だから「分かりたくもない」と思ってしまうのだとしたら、曲の内容により深みが出るなーなんて思ったりしてます(笑) そういえば、タイトルの「Pretender」も、「ノーダウト」の時ほどは直接的に曲中で言及がありませんね。 pretendは英語で、「~のふりをする」なので、 pretenderは「ふりをする人」。 もしかすると、当然 君も、僕でさえも、お互いの「運命のヒト」の「ふりをしていた人」なのかもしれません。 最後に さて、いかがでしたでしょうか。 私はさすが髭男だなぁと、あっという間に大好きな一曲になってしまいました。 4月30日発売の『ROCKIN'ON JAPAN』6月号にて、「『Pretender』ができるまで」というインタビューが掲載されるそうです!こちらも合わせて読んでみると、より楽曲を楽しめるかもしれません。 GWを控え、も増えてきますね!気候もいいので、是非皆さん楽しい音楽ライフを過ごしてくださいね!^^ それでは。 trasheep.

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PROFILE

グッバイ 君 の 運命 の 人 は 僕 じゃ ない 題名 読み方

こんばんは。 私もこの作品をはじめて読んだ時は、分からなくてむしゃくしゃしたものです。 今も、胸にあるのは自分なりの答えでしかありませんが、参考までに。 エーリクに対して、オスカーが 「ユーリははためにはとてもよくやってる」 「その実なかがからっぽなんて、見ぬいたのきみぐらいなもんさね」 と語るシーンがあります。 では、トーマはどうだったのでしょう? 同じことを、やはり見抜いていたのではないでしょうか。 その理由は知らないまでも……。 ユーリは「みずから神を裏切った(捨てた)」がために、 自分は、人を愛するに値しない、愛する資格を持たない人間だと 思い込んでいたように思えます。 そしてユーリにとっては、「天使の羽を持つ人間」イコール 「人を愛する資格を持つ人間」だったのでしょうね。 そして「愛してたなんて信じない」と断言してしまうのは、 それに応えることが、自分にはできないと思っていたから。 応えられないから、信じることができない=信じてはいけない、のです。 ユーリにとって、「愛」や「許し」は、受けたら返さなくてはならないものだったから。 トーマは、ユーリの身に起こったことは知らなくても、 ただ、人を愛さないというユーリに愛をとり戻してもらいたかったのでしょう。 (少なくともトーマの世界においては)生きていくうえで、愛も許しも、誰にも必要なものだから。 そしてその表現が、自分自身の死によって、翼そのものになること (=まぶたの上に生き続けること)だったのかな、と私は思っています。 見返りを必要としない、無償のものだから、自分自身が人間としてユーリの隣に残る必要もないわけで。 ユーリに翼がないことが問題なのなら、ぼくの翼をあげる、とエーリクも発言してますね。 それによって、ユーリは初めてトーマの真意に近づいたわけです。 エーリクの発言と、トーマの死の意味は、かなり近いところにあると思っています。 私自身はまったく信心深くはなので、 信仰の問題は、想像することしかできませんし、 原罪意識とか、そういうのにかかわりがあるのかなぁ? と思っていた時期もありましたが、 そのあたりについて調べ出すと、これはこれで、また混乱してしまいそうです。 ^^; なんだか曖昧な書き方になってしまいました。 参考になれば、幸いです。 解釈は個人によって違うものでしょうが、とりあえず私の受け止め方を描かせていただきます。 物語の最後に、全てを昇華したユーリが電車の中で本を読みます。 そこに書かれた、一枚の紙切には以下のように書かれていたと思います。 「僕は、ほぼ半年の間、ずっと考え続けていた。 僕の生と死と、それから一人の友人について。 これは、単純なカケなぞじゃない。 それから僕が彼を愛した事が問題なのじゃない。 彼が僕を愛さねばならないのだ。 どうしても。 人は二度死ぬと言う。 まず自己の死。 そして友人に忘れ去られる事の死。 それなら永遠に、僕には二度目の死はないのだ。 そうして、僕はずっと生きている。 彼の目の上に」 私はこの文章で、トーマは抜け殻となった最愛の人を救うため、自らの命を落としだと感じました。 自分の死によって相手を救う思いやりと、 死によって相手の中に自分が一生残る独占欲が 愛に実物以上の神聖化がなされているなと思いつつ、 神聖化された愛に憧れてしまいそうになります。 単純に、愛ゆえの行動なのではないでしょうか?長々と失礼しました。 Q 萩尾望都の最新作、残酷な神が支配するを全巻読み終えたのですが、疑問点が一つあります。 <以下ネタバレ> ジェルミはサンドラの日記を読んで、サンドラは自分とグレッグの関係を知っていながら助けてくれなかったと言っていますが、これはつまりサンドラはグレッグがジェルミに対して性的虐待をしていた事実を知っていたという事が前提ですよね。 ということは彼女はジェルミが虐待されているところを実際に見たわけでもないのに、ビビからの手紙だけで「息子が虐待されている」と考えたのでしょうか?それとも、作者が敢えて明確に描かなかっただけであり、本当は虐待を目撃したのでしょうか(まぁそれはないと思いますが…)。 私が読んだ限りでは、サンドラが知っていたのは「ジェルミが虐待されていた」ということではなく、「ジェルミが自分の夫とセックスしていた」ということのように感じられました。 もし後者なのであれば、ジェルミの言う「助けてくれなかった」とは、どのように解釈すればよいのでしょう…。 長くなりましたが、よろしくお願い致します。 A ベストアンサー 私は、サンドラは、ジェルミとグレッグの関係について疑惑を抱いていたし、二人に性的な関係があることも気づいていたものの、ジェルミが性的虐待を受けている所を、実際に見聞きした訳ではないと思います。 そんな所を目撃したら、サンドラの性格からして、平然と生活できるとは思えないからです。 ただ、二人の関係がどこまで深いものなのかや、ジェルミがあんなに惨い目にあわされているとまでは、サンドラは知らなかった。 二人の関係を確かめるのをためらっている節や、認めたくないような節もあります。 そして、疑惑を確かめようとした所で事故に遭ったのではないかと思っています。 しかし、ジェルミにとっては、母が感づいていたのに確かめようともせず放置していたことは、母が傍観していたに等しい。 普通の親なら、「虐待」か「同意」かに関係なく、夫がわが子とセックスしていたら、やめさせようとするのが当然とるべき反応じゃないでしょうか。 なのに、サンドラは気づいていながら、グレッグを失うことばかりに気をとられ、確かめることを躊躇している間に、ジェルミを追い詰めてしまった。 手元に『残酷な…』がないので、日時的な裏づけがとれませんが、少なくとも、サンドラが日記に不安な思いを記した頃に、すぐ何らかの行動(=「助け」)を起こしていれば、ジェルミはその後エスカレートする一方のグレッグの虐待を受けることだけは免れたし、殺意を抱くまでには到らず、結果的にサンドラも巻き添えになって死ななくて済んだのではないでしょうか。 私は、サンドラが気づいた時に何もしなかった弱さが、この漫画における人々の運命を決めたと思います。 例としてですが、年中電車で見かけるチカンのおじさんがいて、もう目がイッちゃってて、騒ぐと刺されそうな感じなんです。 で、怖くて逃げたくても隅に追い詰められてて逃げられない時、隣にいる母親がそれに気づいていながら、助けてくれるどころか、危ないオヤジだから巻き添えになりたくないわと見て見ぬふりをしたとしたら、赤の他人にされるよりよっぽどショックですよね。 (注・うちの母がそんなことをしたわけではないですよ。 あくまでも例としての話ですが) 嫌な話ですが、経済的理由や配偶者の暴力を恐れて、我が子への虐待(性的虐待を含む)を傍観している親は、皆無ではないのです。 ジェルミにしてみれば、実母がそ知らぬふりをしていたに等しいわけで、ショックだし、それまで自分が精神的に脆い母を身を呈して守ってきたという思いがあるだけに、深い葛藤が生じたと思います。 ジェルミの 「助けてくれなかった」 というセリフは、性的虐待を指すだけでなく、どんどん追い詰められ、精神の均衡を失って転がり落ちていく自分を、ただ一人、自分を救う鍵を握っていた人間(この時点ではお気楽なイアンは三人の関係に気づいていないので)が 「助けてくれなかった」 という思いから出たのではないかと思います。 私は、サンドラは、ジェルミとグレッグの関係について疑惑を抱いていたし、二人に性的な関係があることも気づいていたものの、ジェルミが性的虐待を受けている所を、実際に見聞きした訳ではないと思います。 そんな所を目撃したら、サンドラの性格からして、平然と生活できるとは思えないからです。 ただ、二人の関係がどこまで深いものなのかや、ジェルミがあんなに惨い目にあわされているとまでは、サンドラは知らなかった。 二人の関係を確かめるのをためらっている節や、認めたくないような節もあります。 Q 萩尾望都「トーマの心臓」のテーマは「神の愛」(アガペー)と「赦し」だと自分は思っているのですが、キリスト教に関して全くの無知なために、登場人物の感情(赦しや愛についての解釈)が私には難解で理解できませんでした…。 本当は漫画のカテゴリーが正しいかと思ったのですが、どちからというと宗教的な質問だと思ったのでこちらで失礼します 1.何故、トーマの死がユーリを救うことになるのでしょうか? (キリスト教思想で「罪のある人間はイエスの死(犠牲)によって開放される」というのがあったと思いますが、この思想がまず私には謎です。 普通、自分のため犠牲になったらその重さで更に苦しみそうですが…。 ) 2.最後の方でユーリは「彼はいっさいを赦していたのだと 彼が僕の罪を知っていたかいないかが問題ではなく ただいっさいをなにがあろうと許していたのだと~」と言ってますが、何故トーマに許されることがユーリの救いに繋がるのでしょうか? 3.「トーマを愛することでしかユーリは救われない」という言葉を聞いたのですが、それは何故ですか? 4.エーリクの役割ってなんでしょうか?ユーリをトーマの真実へ導くためですか? 5.校長が倒れた時、オスカーの元へユーリが会いに行き「許ていた?」と聞いてますが、この「許し」って何でしょうか?エーリクがユーリに対して許していた?何を許したのか? 似たような質問が多くて恐縮ですがよろしくお願いいたします 萩尾望都「トーマの心臓」のテーマは「神の愛」(アガペー)と「赦し」だと自分は思っているのですが、キリスト教に関して全くの無知なために、登場人物の感情(赦しや愛についての解釈)が私には難解で理解できませんでした…。 本当は漫画のカテゴリーが正しいかと思ったのですが、どちからというと宗教的な質問だと思ったのでこちらで失礼します 1.何故、トーマの死がユーリを救うことになるのでしょうか? (キリスト教思想で「罪のある人間はイエスの死(犠牲)によって開放される」というのがあったと... A ベストアンサー はじめまして。 「トーマの心臓」は中学時代初めて読んで以来、ベスト1の座を譲ることのない大好きな作品です。 今でも青春時代の啓示的な作品で手放すことができません。 当時同級生と同作品の様々な「何故?」について討論したこともありました。 おっしゃる通り、同作品のテーマは「愛」「赦し」だと思います。 また、キリスト教にありがちな「罪と罰」もテーマとなっています。 ただこの「愛」は神の愛に限らず、人間同士の崇高な愛とも通じるところがあると思います。 現にトーマのような崇高な人間も存在します。 真の愛とはこういうもの、つまり「赦し」だと教えている作品です。 ちなみに、No. 1の回答は作品を読まれてない方の回答だと思われます。 読まれた上での回答だとしたら、読解力・考察力に???の疑問がさらに生じます。 ご質問1: <何故、トーマの死がユーリを救うことになるのでしょうか?> No. 1の回答の大きなミスは、トーマを神とみていることです。 トーマは神として描かれているのではありません。 むしろ、神の使者です。 作品中でも「(極上の)羽をもった(極上の)天使」として描かれています。 このご質問の答えは、「ユーリの代わりにトーマが死んでくれたから」です。 作品中にも出てくる「スケープゴート(生贄)」と呼ぶには、彼の死は崇高過ぎます。 彼の死は、ユーリの負を背負うために自らの生(正のオーラ)を投げ出したのです。 当時、ユーリの精神、心は死んでいました。 上級生サイフリートらによって意志を屈辱的に曲げられたことへの敗北感、力の前にたやすく精神を捻じ曲げてしまったことへの罪悪感、このトラウマは頭のいい少年にとっては、一生消えない心の傷となって、かつての彼(明るくて光に満ちた彼)を自分で「殺して」しまったのです。 一方頭のいいもう1人の少年トーマは、彼を愛しているがために、彼の「精神の死」にいち早く気づきました。 トーマは両親に愛を注がれて育ち、愛に溢れている少年でしたから、愛を分け与えることに何の躊躇もしません。 「死んでいる」ユーリを「再び生かす」ためには、「何があったか知らないけど、僕は君を愛してるから、どんなことがあっても赦してるから、君を不幸にするものなんか気にするなよ、忘れてしまえ」なんて、陳腐な言葉では何の効力もないことも(却って逆効果になることも)、感受性豊かなトーマは知っていました。 何故なら、ユーリの傷は「肉体的な死」に相当するくらい致命的なものであることを感づいていたからです。 勿論傷の具体的な背景はトーマは知りませんでしたが、傷の深さはわかっていたのです。 彼の傷を癒すには、同じ傷・苦しみを背負ってあげることしかない、生きることの意味を再認識させるしかない、と悟った彼は、自分の命を投げ出すことで、ユーリに「生きることの喜び」「生の意味」を再発見させようとしたのです。 ご質問1-(2): <普通、自分のため犠牲になったらその重さで更に苦しみそうですが> と同時に、何故その人が私のために死んで、私は生きているのか、その意味を自問すると思います。 例えば、自分を助けようとしてある人が犠牲になった場合、自分が生きている意味を見つめ、将来の生き方に積極的な指標を与えるはずです。 ご質問2: <最後の方でユーリは「彼はいっさいを赦していたのだと 彼が僕の罪を知っていたかいないかが問題ではなく ただいっさいをなにがあろうと許していたのだと~」と言ってますが、何故トーマに許されることがユーリの救いに繋がるのでしょうか?> これは、人間の愛の根本的なテーマだと思います。 この部分を「神の愛」ととると、No. 1の回答のようなとんちんかんな回答になってしまいます。 この世でも崇高な愛とされる「母の愛」、母親はわが子がどんな罪人であろうと赦しています。 わが子が世界中の皆に嫌われても、自分だけは子を愛しています。 それは、母に限らず、夫婦でも、恋人同士でも、友情でも、そんな「崇高な愛」は存在します。 この作品のトーマの愛は「同性愛」といった陳腐なテーマに偏ったものではなく、崇高な「人間愛」がテーマになっているのです。 「神の愛」ではないと回答の最初に述べたのも、そういった背景からです。 愛とは、相手の全人格を受け入れることです。 相手の欠点も全て「赦す」ことです。 「赦し」とは「しょうがないわね」といった母の優しいつぶやきに似ています。 トーマは、ユーリの全てを赦し=受け入れ=彼を認めていたのです。 トラウマをかかえ、完全に自信を失った者にとって、「現在の自分をありのままに受け入れ認めてもらう」ということは、かけがえのない救いとなるのです。 ご質問3: <「トーマを愛することでしかユーリは救われない」という言葉を聞いたのですが、それは何故ですか?> 誰の言葉ですか?オスカーかバッカスでしたっけ?この部分は正確には「トーマを愛することでしか(今の)ユーリは救われない」ということでしょう。 トーマの死に背を向けている間は、ユーリは自分の生の意味を見出すことはできないからです。 トーマの死を真摯に見つめること、それは、ユーリ自身の負の部分を真摯に見つめることにもなります。 トーマを愛することとは、自分の傷を愛し、心の傷を負った自分をあるがままに受け入れ、ひいては自分を愛することになるのです。 それは、結局罪悪感を消すことになるのです。 ご質問4: <エーリクの役割ってなんでしょうか?ユーリをトーマの真実へ導くためですか?> おっしゃる通りです。 「トーマの真実」ひいては「自分の生の真実」を悟るための案内役として選ばれたのです。 (恋は成就せず気の毒なエーリクちゃんですが、、、) 彼は両親を亡くし、家を失うという不幸に見舞われながらも、彼の背中には黄金の天使の羽がついています。 彼の中にみなぎる生への活力、生きる意志は、それを全く失くしたユーリを、そちらの明るい世界へ引きずり込む引力を持っています。 おそらくトーマに代わって神が使わした、ユーリを守る第2の天使だったのかもしれません。 エーリクのクライマックスの言葉「僕の翼、君にあげる」はトーマの死の意味を悟らせる、重要な鍵となっています。 ご質問5: <校長が倒れた時、オスカーの元へユーリが会いに行き「許ていた?」と聞いてますが、この「許し」って何でしょうか?エーリクがユーリに対して許していた?何を許したのか?> これは、「オスカーがユーリの罪を許していた」ということだと思います。 この言葉の直前に、オスカーが「僕が(校長・ユーリを)愛してることに気づいてくれることを望んでいた」といった内容の言葉を発しています。 その後、 ユーリ:「許していた?」 オスカー:「うんユーリ。 ぼくは待っていた、それだけ」 と続きます。 オスカーが待っていたのは、彼がユーリを許し愛していたことに気づいてくれることを言っています。 それは、ちょうど、彼が実父である校長を許し愛していたことに気づいてくれることを待っていたのと同じように、と言いたいのです。 ちなみに、彼のユーリへの愛は深い友愛です。 以上です。 なかなか奥の深い作品なので、論じ始めるときりがありません。 ご参考までに。 はじめまして。 「トーマの心臓」は中学時代初めて読んで以来、ベスト1の座を譲ることのない大好きな作品です。 今でも青春時代の啓示的な作品で手放すことができません。 当時同級生と同作品の様々な「何故?」について討論したこともありました。 おっしゃる通り、同作品のテーマは「愛」「赦し」だと思います。 また、キリスト教にありがちな「罪と罰」もテーマとなっています。 ただこの「愛」は神の愛に限らず、人間同士の崇高な愛とも通じるところがあると思います。 現にトーマのような崇高な人間も存在...

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