アベフトシ。 世界の終わり…アベフトシに捧ぐ : 進め なまけもの ~たゆたう言葉を紡ぎながら

アベフトシ(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)の機材

アベフトシ

96年にデビューし、98年のフジロックフェスティバルで熱狂のあまり何度もライブを中断したり、03年のミュージックステーションでのt. uのドタキャンの埋め合わせで2曲演奏し、未だに「伝説の夜」と語られるなど、エピソードには事欠かないバンド、 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT のギタリスト、アベフトシ。 イギリスのパブ・ロックやパンクをはじめとするロックミュージックに影響され、中でもイギリスのパブロックバンド、 ジョニーキッド・&ザパイレーツのギタリスト、ミック・グリーンやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのメンバー全員が影響を受けた、 Dr. Feelgoodのギタリスト、ウィルコ・ジョンソンから強く影響を受けた、非常に激しくもしなやかなギタープレイと、代名詞とも言える16ビートのブラッシング(カッティング)に影響された人も少なくはないでしょう。 惜しくも2009年に他界されましたが、今もってそのギタープレイは輝きを放っています。 」にて筆者が撮影。 再現するなら アベフトシの機材は非常にシンプルで、ギターとアンプを直結したスタイル。 ほとんどの時期においてテレキャスターを使用し、アンプはハイゲインの物。 ギターは基本的にはseenという、原宿にある松下工房というギター工房が製作したブランドのものを使用していました。 初期は試行錯誤していたのか様々な仕様のテレキャスターが製作されていましたが、シングル「ゲットアップルーシー」の頃には 「テレキャスターカスタムタイプでメイプルネック、指板はローズでボディは重めのアッシュ(ヘヴィ・アッシュ)であり、ネックは共通して三角ネック( V シェイプ)、 6way ブリッジ」という仕様が確立され、以降も基本的にこの仕様のギターを使用していました。 Vシェイプはフェンダーのヴィンテージ・ストラトキャスターやそのリイシュー、またはエリック・クラプトンモデルに採用されているネック・タイプで、その名の通りV型に成形されており、握りこみやすくコード・カッティングが非常にしやすいことで有名。 他にはグレッチやバーンズといったギターも所有していたようですが、ライブでは全てテレキャスターを使用。 ピックアップは基本的にリアのみ使用。 ダニー・ゴーという楽曲ではスイッチング奏法も使用していました。 そして、彼のテレキャスターはノイズ対策に全てピックガード裏のボディのザグリにアルミを貼っていたそうです。 (ライトが当たったときに反射してギラつくというヴィジュアル面での狙いもあったそうです。 現在はTOKAIのオーダーモデルとして似た仕様のギターが販売されていますが、 こちらはボディがアルダーなので注意。 まとめると、ギターはアッシュボディ、メイプルネック、ローズ指板のテレキャスター、アンプはフェンダーのハイゲインアンプ、またはマーシャルのJCMならスタジオにも置いてある率が高く、再現しやすいでしょう。 サブギターとして用意されたもの。 ボディの色、ピックガードは1号機と同じ。 スペックが後に代わり、当初はアルダーボディにハカランダ指板であったが、アッシュボディにローズ指板へと変更された。 「赤毛のケリー」のPV等で使用。 ピックアップは フロント、リア共にFender Vintage Noiseless Telecaster。 ブリッジ、ペグは同じだが、ピックアップ・セレクターはトーン・ポット側へトグルスイッチとなって移設されている。 ここでテレキャスター・タイプからテレキャスター・カスタムタイプとなり、以後カスタムタイプが主流となる。 彼のテレキャスター・カスタムがFenderの物と決定的に違うのは、トグル・スイッチが本来は「肩」の位置ではなく、トーンのところに移設されている点である。 彼は手の振りが大きく、普通のスイッチの位置では手に当たってしまうため、移設したものと思われる。 色はナチュラル。 「ゲット・アップ・ルーシー」、「カルチャー」のPV、ライブでも4号機が製作されるまでメインで使用。 フェンダーのテレキャスター・カスタムはネックとボディが3点止めされているが、彼は全て4点止めでオーダーしていた。 SPEC ネック=メイプル 指板=ローズ ボディ=ヘヴィアッシュ ペグ=シャーラー ピックアップ=フロント Fender widerange Humbucker リア Fender original vintage telecaster set 98年の登場からTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの幕張メッセでのラストライブ、そして生涯最後のライブとなった吉川晃司@代々木第二体育館まで使われ続けた、彼の代名詞ともいえる黒ボディに赤鼈甲ピックガードのテレキャスター・カスタムタイプ。 PVでは「スモーキン・ビリー」、「G. D」、「GT400」等で使用。 テレキャスター・カスタムタイプのボディに赤鼈甲ピックガードというスペックは彼の敬愛するザ・パイレーツのギリタリストであるミック・グリーン(テレキャスター・カスタムを使用。 色はナチュラル)とドクター・フィールグッドのギタリスト、ウィルコ・ジョンソン(黒ボディのテレキャスターに赤いピックガード)の両者のモデルを掛け合わせたような物になっている。 経年変化により、2009年時点ではボディの肘があたる部分の塗装が剥がれて来ていた。 トーンポッドのノブをビリオンダラーズのドクロノブに変更。 新たに買ったわけでは無く、部屋の掃除中にたまたま見つかった、とか。 2001年から登場した、黒ボディに白パールピックガードのモデル。 四号機同様、トーンノブがドクロノブに変更。 2001年のツアー、「WORLD RODEO TANDEM BEAT SPECTER TOUR」ではメインで使用された。 その後は再び四号機がメインに返り咲いたため、サブギターとしてセッティングされていた。 SPECは3号機、4号機と同様。 アベ氏曰く、「長いツアーだから同じ仕様のものがあったほうがいいな、と思って」 画像は 2013 年に開催された「 TMGE SHIBUYA RIOT! 」にて筆者が撮影。 テレキャスター・カスタムモデルを松下工房にオーダーした際、アベから「ボディの角を丸めないでほしい」というリクエストがあったそうだが、確かにフェンダーのテレキャスターカスタムと比べるとややボディが鋭角。 seen Telecaster Custom Type 六号機 seen Telecaster Custom Type 七号機 黒ボディにガンメタリック・ピックガードの六号機、七号機。 五号機と同時期に製作された。 六号機はフロント、リアピックアップがシングルコイルとテレキャスタースペック(ピックガードはテレキャスター・カスタムタイプ)。 七号機はフロント、リア共にハムバッカーと、テレキャスター・デラックスタイプ。 それまでのテレキャスターカスタムとは異なり、ノーマルなテレキャスターとテレキャスターデラックスがベース。 新たなミッシェルの音の方向性を模索していたようだが、アベ氏はあまり気に入っていなかったらしく、PV,ライブで使用されることはなかった。 GRETSCH Silver Jet アベ氏がイギリスに行った際に「見た目で買った」というギター。 60年代製のビンテージギターで、ミッシェルのシングル「ゲットアップルーシー」のレコーディングで、メンバーが敬愛する「THEE HEADCOATS」も使用したイギリスのトー・ラグ・スタジオで、オーナーのリアム・ワトソンから購入したそう。 後にガレージロック・リバイバルのバンドであるTHE WHITE STRIPESが「Seven Nation Army」が収録され大ヒットした3rdアルバム「ELEPHANT」のレコーディングでこのスタジオを使用し、世界的に有名に。 BURNSとはイギリスのギターブランドであり、有名なロックバンドだとOasisのメンバーも使用している。 ピックアップ・セレクターが特殊なもので、チャンネルを回すようにピックアップの出力を設定する。 「バードメン」のPVで使用。 ライブではピックアップのパワーが足りず、基本的には使用されなかった。 レコーディングでは使用。 別モデルではあるが現在もバーンズのギターは安価で手に入るため、試してみるのも可。 UNKNOWN Telecaster Type アベ氏が所有していた黒ボディに暗めの赤鼈甲ピックガードのテレキャスター・タイプ。 seen製ではなく、別の工房で作ったものだという。 ボディはアルダー、ネックはメイプル、指板はローズ。 ヘッドの裏にはウィルコ・ジョンソンのサインが入っている。 2013年に渋谷のタワーレコードで開催されたイベント「TMGE SHIBUYA RIOT! 」にて展示されていた。 他にも、レコーディングではストラトキャスター、初めて買ったギターはザ・クラッシュのミック・ジョーンズからの影響でヤマハ・レスポールカスタムモデル。 ストロベリージーン時代にはモズライト等を使用していた。 ほかにも、インディーズ時代やPV(デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ)ではFender Japanのテレキャスター・カスタムなどを使用。 意外にも、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT加入前には黒のGibson Les Paul Customを購入したこともあったとか。 AMP アベ氏は基本的にアンプ直結スタイルであり、ハイゲインアンプを使用していた。 Fender The Twin 赤ノブと黒ノブの2台所有。 デビュー前から00年頃まで使用。 その後は後述のSUNNがメインになるが、マーシャル導入までは使い分けていたそう。 ゲインチャンネルとクリーンチャンネルをミックスして使用していた。 既に廃盤だが、かなり出回ったモデルなので中古でも手に入りやすい。 コンボアンプで、100W。 重量は30キロもある。 余談だが、ミッシェル解散後にロックバンド・シーナアンドザ・ロケッツのライブにゲスト出演した際、「The Twin、なければTwin Reverbよりはdevilleがいい」とアンプをリクエストしていたとのこと。 タワーレコード渋谷店にて展示してあったセッティングは、ゲイン6、トレブル0、ミドル、ベース10、プレゼンス-5、ヴォリュームは4、リバーブは0. しかし、ギターマガジンでの特集でのセッティングでは ベース・ミドル10、トレブル4、ゲイン7. 5〜8、ボリューム5、プレゼンス、リバーブ0、となっていた。 SUNN MODEL T & MODEL 410 「カサノバ・スネイク」のレコーディングから導入。 「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」では全曲で使用。 RISING SUN ROCK FESTIVALなどの大きい会場でセッティングされていた。 小さいライブハウスでも使用を試みたようだが、パワーがありすぎるため使用されず。 the twinと併用していた。 非常に切れ味の鋭い音ながらも、ヘヴィアッシュのテレキャスターと相まって粘り強さもあるサウンドになっている。 「赤毛のケリー」や「暴かれた世界」のギターサウンドが顕著。 中古でもなかなか見かけることの無いモデル。 極稀にスタジオに置いてあることもある。 アベ自身が導入した際はまだ日本に数台しか入ってきていなかったそう。 余談だが筆者はハードオフでMODEL Tのジャンクを5万で見かけた。 オークション、デジマートでもほとんど見ることがなく、相場は不明である。 セッティングは ベース7、トレブル5、ミドル10、ボリューム4~5、ゲイン4~5、プレゼンス0~3。 2016年にはこの「MODEL T」を再現したペダルが、オーストラリアのハンドメイドエフェクターブランドから「Midnight Amplification Devices Sonic Giant Sound」として販売されている。 Marshall JCM900 後期のライブで使用。 大きな影響を受けたジョニーキッド• アンド・ザ・パイレーツのギタリスト・ミック・グリーンが使用していた事から気にはなっていたそうだが、 もともとマーシャルに対して「扱いにくいのかな」という印象だったそうで、事実使いこなせなかった模様。 00年のミック・グリーンとの競演を期にもう一度使って見たところ自分に合う事に気付いたとのこと。 導入の決定打になったのは、2001年9月の沖縄でのライブの際、台風が直撃し機材が到着せず、 ザ・ツインも用意できなかったため、マーシャルを使った事だったという。 01年~03年のツアー、ラストライブ、ミッシェル解散後も使用し、氏の最後のライブとなった吉川晃司のゲスト・ギターの出演の際も使用した。 スタジオには大体あるのではないか。 セッティングはトレブル0、ミドル、ベース、ゲインが10、プレゼンス、リヴァーブは0。 メンテナンス器具 六角レンチやドライバー、アルトベンリ(ペグ回し)などを小さな黒い筆箱に収納。 スーツ THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 時代のライブ衣装。 梅が丘にある「洋服の並木」で仕立てられたモッズスーツ。 ミッシェルメンバー全員がここでオーダーしている。 アベ氏のものは「長い」と注文書に書いてあったそうな。 裏地には虎の絵柄と「安部フトシ」と刺繍されている。 白シャツに黒ネクタイ、黒シャツに白ネクタイ、黒シャツ・黒ネクタイと言った組み合わせがあった。 シャツ、ネクタイはWORLD WIDE LOVE! 現在はシャツ・ネクタイ共に販売されていない。 靴はドクターマーチンの10ホール、ブラック。 何足も持っていたそう。 沖縄など、暑い会場では靴紐までびしょびしょになることもあったとか。 2020年6月 月 火 水 木 金 土 日 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30• 検索:• 人気記事• カテゴリー• 最近の投稿• アーカイブ• Count per Day• 154561総閲覧数:• 119今日の閲覧数:• 249昨日の閲覧数:• 3現在オンライン中の人数:• 2018-08-19カウント開始日:.

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アベフトシ展に行ってきました。 亡くなって10年になるというのに、まるでアベさんが生きているみたいだと思って、涙が止まらなくなってしまった。 場所は銀座にある「Basement GINZA」。 彼の軌跡をたどるアーティストブック「アベフトシ/thee michelle gun elephant」の復刊に当たって開催された、8月1日から4日までという短期間なイベント。 アベさんは2003年に解散したロックバンド、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)のギタリストです。 最近は音楽ファンの間で「鬼」というとTOSHI-LOWが浮かびますが、当時はアベさんのギターを表現する言葉としてよく登場する言葉でした。 彼がギターを頭上にかざす姿は「鬼神社」と崇められていましたし。 アベフトシ展の場内は、壁に巨大なアベさんのパネル写真、中央のテーブルには写真のネガやアベさんの手の実寸大シルエットなど、奥には衣装やアンプ、ギターが展示されていました。 そして奥の壁のスクリーンではライブDVDが流れていて、訪れたファンの人たちはそれを壁にもたれて聴いていました。 インディーズバンドのライブハウスみたいな雰囲気で、昔のミッシェルはこんな感じだったんだろうかと思いながら見つめました。 ライブ時のネガを見たとき、瞬間を切り取っているはずなのに、つなげてみると動いているように見えて、「アベさんが生きているみたいだ…」と思って、涙が止まりませんでした。 私は当時学生だったので、ミッシェルのライブに一度も行けなかったんです。 解散ライブも、あの手この手で行こうとしたのですが、家族に「行くなら勘当するぞ」と言われて泣く泣く断念しました。 その日、事務所のご厚意だったと思うのですが、リアルタイムでライブ写真が公式サイトにアップされていって、それを泣きながら見ることしかできなかったんです。 たぶんそのときの記憶と重なったのかもしれません。 でも、ミッシェル関連のイベントに来たのは今回が初めてでして、やっと、自分の目で、ミッシェルに会えたような気がしました。 本当に嬉しかったです。 アベさんは私の永遠のロックギタリストです。 ありがとう。

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THEE MICHELLE GUN ELEPHANT アベフトシの使用ギター・エフェクター|ギタリストの使用機材を考える

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アベフトシの死因は急性硬膜外血腫?どんな病気なの? 日本のギタリストであるアベフトシさんが2009年にこの世を去られました。 若くして亡くなられたのですがその死因として言われたのが急性硬膜外血腫でした。 急性硬膜外血腫と聞くとどんな病名か分からない方もおおいのではないでしょうか。 アベフトシさんの死因である急性硬膜外血腫はどんな病気なのか詳しくみていきましょう。 アベフトシが死去したのは2009年、43歳の時だった ギタリストであるアベフトシさんが亡くなられたのは今から10年前の2009年の7月22日に43歳という若さで亡くなられました。 アベフトシの死因は急性硬膜外血腫 43歳という若さで亡くなられたアベフトシさんですが死因は急性硬膜外血腫と言われるものでした。 急性硬膜外血腫は硬膜と頭蓋骨の間で血腫ができてしまうことです。 脳内で動脈に出血が起きてしまうようで一時的に回復したとしても、再び意識障害を起こしてしまう程の重度の病気に分類される怖い病気なのです。 急性硬膜外血腫とは?頭をぶつけたような状態? 死因となった急性硬膜外血腫は、動脈から出血する病気で脳梗塞と同じような病気とおもわれがちなのですが急性硬膜外血腫の場合なにか外部からの衝撃などでおきてしまうのです。 例えばどこからか転げて頭を打ったり誰かが後ろから硬い物で殴ったりすることで起きてしまう脳の病気なのです。 アベフトシの死因は酒絡み? 急性硬膜外血腫でなくなってしまったアベフトシさんですが急性硬膜外血腫になった要因は酒がらみなのではと一説には言われています。 アベフトシさんは生前お酒にまつわる武勇伝があったそうなので、死因である急性硬膜外血腫になったのも酒で酔ったせいで頭を打ちなくなったと言われています。 アベフトシは事故に巻き込まれた説も 急性硬膜外血腫になったということでお酒絡みの説もあるのですがそれ以外にも何かしら事件に巻き込まれていたのかもしれないと言われています。 もしかすると酒に酔ってしまい何かの事件に巻き込まれたという可能性もありますが事件ならある程度ニュースになるのでこの可能性は低そうです。 アベフトシは自転車で転んだ? ネットの2chでは自転車で転んで頭を打ってしまい急性硬膜外血腫を引き起こしたのではないかと書かれていたようです。 急性硬膜外血腫の場合頭を強く打ち付けて引き起こされてしまう病気なので可能性的には十分考えられるでしょう。 アベフトシは駅で倒れたという説も浮上していた アベフトシさんは駅で倒れたという噂も浮上していたようです。 駅や電車の中で倒れたと言われているのです。 ちょうど東京でコンサートが行われる予定だったそうでそのリハーサルに向かっていた途中で倒れたという情報もあるのです。 色んな死因の説がありますが事務所も状況を公表していない為どの説が正しいのかは未だ定かではないのです。 アベフトシの葬儀の様子やファンの反応は?お墓はどこ? 急性硬膜外血腫という重い病気で39歳という若さで亡くなられたギタリストのアベフトシさんですが亡くなられた原因は未だにわかっていないようでした。 そんなアベフトシさんですが亡くなられた時の葬儀はどこでどのように行われたのでしょうか。 また多くのファンがおられるので葬儀の時にファンの方の様子はどうだったのでしょうか。 またアベフトシさんのお墓はどこにあるかなどを詳しく見ていきましょう。 アベフトシの葬儀は親族・友人だけで行われた アベフトシさんの葬儀には友人や親族などの身近な人だけで行われたようです。 アベフトシさんが所属していた事務所が葬儀の前に親族の意向でそのようにしますと告知したのです。 親族の意向で御香典、御供花などもご辞退させていただくとのことでファンの人達は葬儀には参列できなかったそうです。 ミッシェルガンエレファントのメンバーが棺を持った? そしてアベフトシさんが亡くなられた時はミッシェルガンエレファントのメンバーが棺を持ったそうです。 ミッシェルガンエレファントは2003年以降ずっと活動を休止していました。 ですからこんなところで再結成しないでくれとファンは落胆してしまったのです。 忌野清志郎もアベフトシと同年に死去 独特の歌唱力で有名だった忌野清志郎さんもアベフトシさんが亡くなった同じ年に亡くなられています。 アベフトシさんが亡くなる二カ月前に亡くなったのです。 忌野清志郎さんの場合癌で亡くなられており突発的に亡くなられていたわけではありませんが同じ年に音楽界の名優が二人も亡くなられているのです。 広島のどこにあるのか知りたい方もあられるでしょう。 広島の江波という場所にあるようです。 ファンの方は度々訪れる方が多いようで、江波に行けばどこにあるのか地元のお店の方たちが教えてくれるようです。 アベフトシの晩年が衝撃?広島で塗装工をしてた? 2003年にアベフトシさんが所属していたグループであるミッシェルガンエレファントが活動を休止を発表してからその後アベフトシさんの晩年が衝撃的だったと言われています。 なんとミッシェルガンエレファントでギタリストをしていたあのアベフトシさんが広島で塗装工をしていたと言う情報があるのです。 この衝撃的事実は本当なのでしょうか。 真相に迫っていきましょう。 アベフトシの晩年の様子が吉川晃司の「愚 日本一心」に書かれていた! アベフトシさんと同じ広島出身で歌手の吉川晃司さんが出版した本である「愚 日本一心」にアベフトシさんの晩年の様子を書かれていたそうです。 二人には接点があったようでアベフトシさんと吉川晃司さんとのどのようなエピソードがあったのか、更にアベフトシさんの晩年の様子はどう書かれていたのか見ていきましょう。 アベフトシは2008年に広島で塗装工をしていた? 吉川晃司さんのかかれた「愚 日本一心」ではやはりアベフトシさんは広島で塗装工をしていたと書かれていたようです。 塗装工を広島で始めたのは2008年の秋からだったそうです。 ミッシェルガンエレファントが活動を休止し他のメンバーはそれぞれやりたいことをみつけ他の音楽活動を開始する中でアベフトシさんは自分の居場所を見つけられずにいたそうです。 ギタリストとしての居場所を見つけられなかったアベフトシさんはバンドの休止した5年後に今までと全く違う職種である塗装工に就いたようです。 アベフトシは2008年末、吉川晃司のライブに参加 広島で塗装工をしていたアベフトシさんですがそんな中、2008年の末に吉川晃司さんのライブにギタリストとして参加していたと言う事実があったそうです。 二人に接点があったようで、自分の居場所を探しながら塗装工をしていたアベフトシさんを吉川晃司さんがライブの参加に誘ったようです。 アベフトシは吉川晃司との初の対談で殴り合いをしていた? 2008年に吉川晃司さんのライブに参加したアベフトシさんですが二人の初の対談は衝撃的でお互いが殴り合いをしたと言うのです。 吉川晃司 「ギタリストがギター弾かないでどうすんだよ。 ギタリストがペンキを塗るのは本分じゃないだろう」 これに対してアベの言葉、「吉川晃司ってのはアイドルだろ。 なんで俺がアイドルの後ろでギター弾かなきゃいけなんだよ」 (引用:LIFE GOES ON) 初対談ではお酒を飲みながら行われたようですが吉川晃司さんはアベフトシさんを奮い立たせようと思って発言した言葉が勘に触ったようでアベフトシさんが吉川晃司さんを蹴ったようです。 それに激怒した吉川晃司さんもやり返しアベフトシさんの顔面を殴ったようなのです。 二人は初対面で殴り合いをしてしまったのです。 アベフトシはライブ後には吉川晃司と意気投合 初対面では殴り合いをしてしまい険悪な仲になってしまったのかと思いきや二人は何故か意気投合したようなのです。 喧嘩の翌日アベフトシさんから吉川晃司さんに詫びの連絡を入れたそうでそのことに対して吉川晃司さんはお互いやりあったのでおあいこだという事で許したそうです。 またアベフトシさんはギターをやりたいことを告げ吉川晃司さんが一緒にやろうと誘ったのです。 アベフトシは2009年8月、吉川晃司のライブに参加することが決まっていた? 2008年の末に吉川晃司さんのライブにギタリストとして参加していたアベフトシさんですが実は2009年の8月にもライブに参加することが決まっていたそうなのです。 しかしその一か月前にアベフトシさんは亡くなられてしまい実現できませんでした。 アベフトシはどんなギタリストだった? 生前はミッシェルガンエレファントでギタリストとして活躍していたアベフトシさんですが一体どんなギタリストだったのでしょうか。 どんな活動をされていたのか詳しく見ていきましょう。 アベフトシのギターはカッティングがかっこよかった! 世の中にはたくさんのギタリストが存在する中でアベフトシさんはギターのカッティングがずば抜けてかっこいいと言われていました。 カッティングが凄いというのは切れ味のある音を出せるようで相当凄い腕を持っていないと難しいようです。 そのくらいギタリスト腕のある才能を持ち合わせていた方だったのです。 「ミッシェルの曲は、曲が始まってから終わるまで俺のギターソロ」 アベフトシさんはミッシェルガンエレファントで活躍していた時、取材でミッシェルガンエレファントの曲は始まりから終わりまで自分のギターソロだと発言していたそうです。 大口をたたいているとも思われがちですがそれくらいギタリストとして自信を持っておられそれくらい実力もあった証拠でしょう。 アベフトシはライブでエフェクターを使わなかった? アベフトシさんはライブでは一切エフェクターを使わないことで有名だったそうです。 エフェクターとは機材で音響に効果を与えるものなのです。 自分がひくギターの音そのものを観客に伝えたいという気持ちがあったようです。 それだけ音楽に対してこだわりがあったのです。 ミッシェルガンエレファント解散後のアベフトシは居場所がなかった ギタリストとして音楽にこだわりを持って活動していたアベフトシさんですがミッシェルガンエレファント解散後はどこにも居場所がなかったようです。 性格的にも一人で何かやるような人でもなかったようで、しかし陰でひっそりやるのも違う性格で時代の流れが早い音楽業界でプロのバンドの行き先は難しいのかもしれません。 アベフトシはKOOLOGIやCARRIEに参加するも広島へ帰郷 ミッシェルガンエレファントが解散してから一年後はソロプロジェクトKOOLOGIに参加していました。 これは元SNAIL RAMPであるAKIOのソロプロジェクトだったのです。 更に三年後はCARRIEという新しいバンドを結成したのですがそれもうまくいかず、すぐに解散したのです。 そこから居場所を見つけられなかったアベフトシさんは故郷広島に帰郷します。 そして広島に帰ってからは塗装工という職に就き生計を立てているようです。 アベフトシが所属したミッシェルガンエレファントの活動は? 生前は腕がありギタリストとしての才能を発揮していたアベフトシさんですがアベフトシさんですが所属していたミッシェルガンエレファントというバンドはどんなバンドだったのでしょうか。 残念ながら2003年には解散してしまったようですがミッシェルガンエレファントが現役だった時はどのような活動をしていたのでしょうか。 ミッシェルガンエレファントはどんなバンド? ミッシェルガンエレファントは1991年に結成されたバンドでメンバーはチバユウスケ、アベフトシ、ウエノコウジ、クハラカズユキの4人組ロックバンドでした。

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