アルキメデスの大戦 考察。 アルキメデスの大戦の最新話179話のネタバレと感想、考察まとめ!週刊ヤングマガジン35号

【ネタバレ考察】アルキメデスの大戦|映画は原作をどう改変しラストまで完結させたのか

アルキメデスの大戦 考察

2020年3月16日発売の週刊ヤングマガジン2020年16号で、『アルキメデスの大戦』第209話が掲載されました。 『アルキメデスの大戦』第209 話は、日米和平協議の仮調印報告会議が開幕します。 近衛邸内にある荻外荘で行われた報告会議は、櫂の予想通り、いきなり紛糾から始まります。 実質的に日本を動かしているといっていい人物たちを前に、全権大使として米国と話をまとめてきたことをアピールしたい牟田口。 開口一番、鼻息荒く自分がルーズベルトと一対一で話をつけてきたと発言。 しかし、集まった面々はこれに無反応。 牟田口がどんな人物であるかをよく知っていたからです。 東條はもし大統領との直接交渉が事実だとしたら、その交渉をしたのは櫂に違いないと読みます。 牟田口は米国との合意内容、日本軍の中国からの撤退をどうだと言わんばかりに発表。 アルキメデスの大戦209話のあらすじネタバレ 1939年(昭和14年)11月3日 近衛邸内 荻外荘にて日米和平協議の仮調印報告会議が政府・陸軍・海軍より総勢11名が集まり開幕。 この時代の憲法下では、内閣総理大臣は元老の推薦によって決められており、軍部がこれに反対した場合は選出が困難となっていました。 当然そうなると軍部の意向に沿った首相選出にならざるをえず、軍の発言力は否応なく拡大していったのです。 よって本報告会議でも実質、軍関係者の方が政府側の人間よりも権限を握っていました。 報告の前に早速、陸軍大臣・畑が合意文書の原文を見せろと櫂たちに噛みつきます。 これに対し、外務省の丹原が米国と非公開の約定によりそれは出来ない旨を説明。 それでは合意内容が正当か判断できないと声を荒げ持って来いと怒鳴る畑。 丹原は冷静に合意条件に基づくことゆえ察して欲しいと頭を下げる大人の対応。 やがて助け舟を出す形で海軍大臣・吉田が間に入り、口頭での説明を信用しようではないかと発言し、畑は海軍がそういうならと渋々ながら納得します。 会議早々、自らの主張を曲げることを良しとしない陸軍気質とでもいうべき悪しきものが垣間見える報告会議の幕開けとなりました。 全権大使代表として牟田口が合意に至る経緯をまず説明します。 それは多分に自慢が含まれたものでした。 米国との協議は難航を極め、最終日になっても妥結せず、最終的に自分がルーズベルト大統領と二人で直接協議し決着させたと話します。 総理大臣・阿部がそれはすごいと驚きますが、牟田口は大統領など取るにたりませんよと余裕顔。 陸軍席に座っていた東條はそれが嘘であると見抜いていました。 牟田口の性格をよく知っていたからです。 小心で短慮であると…。 もし大統領と二人で協議を行ったとすればそれは海軍全権大使の櫂に違いないと東條は読みます。 そして牟田口が得意げに合意内容のひとつ目を発表。 合意内容その一、日本軍の中国からの撤退。 一瞬その場が凍りつき、次の瞬間、東條の怒号が室内に響き渡ります。 牟田口を指差し、ふざけるなバカ者と一喝。 その迫力にのけぞり、ビビる牟田口。 続けて東條は牟田口に対し、さらに語気を強め、貴様は何を勝手に合意してきたのだと、「撤退」など断じて認めんと言い放つのでした。 先ほどまでの態度はどこへやら、牟田口はしどろもどろに撤退とは言ってませんと釈明。 この発言に櫂は驚き慌てます。 合意内容は「撤退」ですと牟田口に強く進言。 牟田口は貴様は黙れと櫂に言い、東條に撤退は誤りでほんの少々兵を後退させるだけですからとペコペコ、モゴモゴ。 櫂はそれでは絶対に駄目であり、合意内容は「撤退」なのだと念押ししますが、下からの意見には一切聞く耳を牟田口は持ちません。 この場を上手くやり過ごすことだけしか頭に無いのです。 櫂と牟田口の言い争いを見て、畑も東條も全権同士で見解が分かれているのでは合意は信用できない、即刻取り下げろと怒鳴り散らします。 合意した通りの文言を使わないことは協議違反。 牟田口はその重大性が分かってはいません。 あくまで顔色を窺い、文言を変えてでも場を納めようとする牟田口についに櫂が言い放ちます。 もう貴方は黙っていてくださいと。 強引に牟田口から報告権限を奪い、自ら説明に乗り出した櫂はあくまで合意内容は「撤退」であると断言します。 東條もこれに対し、陸軍は中国からの撤退は絶対に認められないときっぱり断言。 櫂は東條を見据え、撤退とはあくまで中国から兵を退くことであって、満州からではありませんと説明します。 むしろこれは満州を守るための「撤退」なのだと。 アルキメデスの大戦209話の感想と考察 想像通り、そして期待通りに小者ぶりをいかんなく発揮してくれた牟田口が素晴らしかったですね。 米国で協議妥結後に牟田口が手柄は全部自分に頂戴ね、わかってるよねと櫂に念押ししていたフリが効いていたので最高のオチとなりました。 勧善懲悪ってわけじゃありませんけれど、この手のスカッとする構成はベタですが気持ちいいものです。 牟田口に感謝です。 さて、案の定 中国からの「撤退」に陸軍の東條が噛みついてきました。 これは櫂も想定していたことでしょう。 陸軍としては、散っていった兵士に報いるためにも結果を残せず撤退することなどは、とても容認などできません。 しかしこのまま戦争を続けても戦況は悪くなり、泥沼化する一方なのは目に見えています。 それは東條もわかっているはず。 櫂は満州を守るための「撤退」であるという理由を餌に頭の固い陸軍、東條を納得させることが出来るのでしょうか。 得意のデータ、数字を並べ立てても感情型の軍人にそれが通用するとは思えません。 ましてや東條は中国進出を推し進めていた人物であり、櫂とは過去に銃を向けたほどの関係。 ただ、本当か嘘かわかりませんけれど、東條は数字に明るく、強かったという話もあろますので、意外に櫂のデータ論法に納得したりして?.

次の

アルキメデスの大戦の最新話179話のネタバレと感想、考察まとめ!週刊ヤングマガジン35号

アルキメデスの大戦 考察

のにあるアルキメデスの像。 ゲルハルト・ゲルダ作、1972年公開 アルキメデスの人生の記録は、彼が没してから長い時間が過ぎた後にの歴史家たちによって記録されたため、全容を掴めていない。 アルキメデスの友人のも伝記を書き残したといわれるが、失われてしまい細部は伝わっていない。 しかし、没年については例外的に、正確にわかっている。 これは、彼がローマ軍のシラクサ攻囲戦の中で死んだことが、彼の死に関する故事の記述からわかっているからである。 彼の生年は、死んだときの年齢から逆算して求められたものである。 シラクサ攻囲を記したの『 Universal History 』 には70年前のアルキメデスの死が記されており、これはプルタルコスやが出典に利用している。 この書ではアルキメデス個人にも若干触れ、また街を防衛するために彼が武器を製作したことも言及している。 アルキメデスは紀元前287年、の自治であるので生まれた。 この生年は、ビサンチン時代のギリシアの歴史家ツェツェースが主張した、アルキメデスは満75歳で没したという意見から導かれている。 『』の中でアルキメデスは、父親を無名の天文学者 「ペイディアス Phidias 」と告げている。 は著書『』にて、シラクサを統治していたの縁者だったと記している。 アルキメデスは、やがいたので学問を修めた可能性がある。 アルキメデスはサモスのコノンを友人と呼び、『幾何学理論』(アルキメデスの無限小)や『』にはエラトステネスに宛てた序文がある。 死去 [ ] と、外接するとの体積および表面積の比は、いずれも2対3。 アルキメデスの墓標はこの球と円柱の形で作られた。 アルキメデスは紀元前212年、でローマの将軍がシラクサを占領した時に死んだ。 の説によると、アルキメデスの評判を知っていたマルケッルスは、彼には危害を加えないように命令を出した。 アルキメデスの家にローマ兵が入ってきた時、アルキメデスは砂に描いた 図形の上にかがみこんで、何か考えこんでいた。 アルキメデスの家とは知らないローマ兵が名前を聞いたが、没頭していたアルキメデスが無視したので、兵士は腹を立てて彼を殺した という。 アルキメデス最期の言葉は「図をこわすな!」だったともいう。 マルケッルス将軍は命令にも関わらず、アルキメデスが殺害されたことに怒った。 アルキメデスのは彼自身が好んだ数学的証明を題材に選ばれ、同じ径と高さを持つ球と円筒のデザインがなされたと伝わっていた。 彼が亡くなってから137年後の紀元前75年、ローマの雄弁家がとしてに勤めていた頃、アルキメデスの墓について聞いた。 場所は伝わっていなかったが、彼は探した末にシラクサのAgrigentine門の近く、低木が繁る省みられない場所に墓を見つけ出した。 キケロが墓を清掃させたところ、彫刻がはっきり分かるようになり、詩を含む碑文も見出せるようになった。 発見と発明 [ ] アルキメデスはの原理を用いて黄金の王冠が純金よりもが低いか否か判断したと言われる。 黄金の王冠 [ ] 最も広く知られたアルキメデスのは、「」を思いついた経緯である。 はに塊を渡して、神殿に奉納するための誓いの王冠を作らせることにした。 しかし王冠が納品された後、ヒエロン王は金細工師が金を盗み、その重量分の銀 を混ぜてごまかしたのではないかと疑いだした。 もし金細工師が金を盗み、金より軽い銀で混ぜ物をしていれば、王冠の重さは同じでも、体積はもとの金地金より大きい。 しかし体積を再確認するには王冠をいったん溶かし、体積を計算できる単純な立方体にしなくてはならなかった。 困った王はアルキメデスを呼んで、王冠を壊さずに体積を測る方法を訊いた。 アルキメデスもすぐには答えられず、いったん家に帰って考えることにした。 何日か悩んでいたアルキメデスはある日、風呂に入ることにした。 浴槽に入ると水面が高くなり、水が縁からあふれ出した。 これを見たアルキメデスは 、王冠を水槽に沈めれば、同じ体積分だけ水面が上昇することに気がついた。 王冠の体積と等しい、増えた水の体積を測れば、つまり王冠の体積を測ることができる。 、ヘウレーカ! わかった! わかったぞ!)」と叫びながら、裸のままで通りをかけだした。 確認作業の結果、王冠に銀が混ざっていることが確かめられ 、不正がばれた金細工師は、死刑にされてしまった。 この黄金の冠の話は、伝わっているアルキメデスの著作には見られず、アルキメデスが没してから約200年後、が著した文献『』に記述されているエピソードである。 さらに、比重が大きい金の体積をこの方法で調べようとしても、水位変動が小さいため測定誤差を無視できないという疑問も提示されている。 実際には、アルキメデスは自身が論述『浮体の原理』で主張した、今日と呼ばれる上の原理を用いて解決したのではと考えられる。 この原理は、物質を流体に浸した際、それはのと等しいを得ることを主張する。 この事実を利用し、の一端に吊るした冠と釣り合う質量の金をもう一端に吊し、冠と金を水中に浸ける。 もし冠に混ぜ物があって比重が低いと体積は大きくなり、押し退ける水の量が多くなるため冠は金よりも浮力が大きくなるので、空中で釣り合いのとれていた天秤は冠側を上に傾くことになる。 もアルキメデスはこの浮力を用いる方法を考え付いていたと推測している。 アルキメディアン・スクリュー [ ] は効率的な揚水に威力を発揮する。 工学分野におけるアルキメデスの業績には、彼の生誕地であるシラクサに関連する。 ギリシア人著述家のが残した記録によると、ヒエロン2世はアルキメデスに観光、運輸、そして海戦用の巨大な船「シュラコシア号」 の設計を依頼したという。 シュラコシア号は古代ギリシア・ローマ時代を通じて建造された最大の船で 、アテナイオスによれば搭乗員数600、船内にや、さらにはの神殿まで備えていた。 この規模の船になると浸水も無視できなくなるため、アルキメデスはと名づけられた装置を考案し、溜まった水を掻き出す工夫を施した。 これは、円筒の内部にらせん状の板を設けた構造で、これを回転させると低い位置にある水を汲み上げ、上に持ち上げることができる。 は、この機構はをするためにも使われたと伝える。 現代では、このスクリューは液体だけでなくの粒など固体を搬送する手段にも応用されている。 は、ねじ構造を初めて機械に使用した例として知られている。 ねじ構造はアルキメデスのような天才にしか思いつかないという人もおり、実際に中国でねじ構造を独自に機械として使用することはできなかった。 「ねじは中国で独自に生み出されなかった、唯一の重要な機械装置である」とも言われる。 アルキメデスの鉤爪 [ ] アルキメデスの鉤爪とは、シラクサ防衛のために設計された兵器の一種である。 「シップ・シェイカー」 the ship shaker とも呼ばれるこの装置は、状の腕部の先に吊るされた金属製の鉤爪を持つ構造で、この鉤爪を近づいた敵船に引っ掛けて腕部を持ち上げることで船を傾けて転覆させるものである。 2005年、ドキュメント番組「Superweapons of the Ancient World」でこれが製作され、実際に役に立つか検証してみたところ、クレーンは見事に機能した。 アルキメデスは海岸に複数のを並べて放物面反射器として太陽光線を集め、シラクサを攻撃する洋上の船に火災を起こしたという説がある。 「アルキメデスの熱光線」は嘘か真実か [ ] 2世紀の著述家は、紀元前214年-紀元前212年のの際にアルキメデスが敵船に火災を起こして撃退したという説話を記している。 数世紀後、はアルキメデスの兵器とは太陽熱取りレンズだったと叙述した。 これは太陽光線をレンズで集め、を敵艦に合わせて火災を起こしていたもので「アルキメデスの熱光線」と呼ばれたという。 このようなアルキメデスの兵器についての言及は、その事実関係が以降に議論された。 は否定的立場を取ったが、当時の科学者たちはアルキメデスの時代に実現可能な手法で検証を試みた。 その結果、念入りに磨かれたやの盾を鏡の代用とすると太陽光線を標的の船に集めることができた。 これは、と同様に放物面反射器の原理を利用したものと考えられた。 1973年にギリシアの科学者イオアニス・サッカスが郊外のスカラガマス海軍基地で実験を行った。 縦5フィート(約1. 5m)横3フィート(約1メートル)の銅で皮膜された鏡70枚を用意し、約160フィート(約50m)先のローマ軍艦に見立てた製の実物大模型に太陽光を集めたところ、数秒で船は炎上した。 ただし、模型にはが塗られていたため、実際よりも燃えやすかった可能性は否定できない。 2005年10月、 MIT の学生グループは一辺1フィート(約30cm)の四角い鏡127枚を用意し、木製の模型船に100フィート(約30m)先から太陽光を集中させる実験を行った。 やがて斑点状の発火が見られたが、空が曇り出したために10分間の照射を続けたが船は燃えなかった。 しかし、この結果から気候条件が揃えばこの手段は兵器として成り立つと結論づけられた。 MITは同様な実験をテレビ番組「」と協同しで木製の漁船を標的に行われ、少々の黒こげとわずかな炎を発生させた。 しかし、シラクサは東岸で海に面しているため、効果的に太陽光を反射させる時間は朝方に限られてしまう点、同じ火災を起こす目的ならば実験を行った程度の距離では火矢やカタパルトで射出する太矢の方が効果的という点も指摘された。 その他 [ ] について記述した古い例は、の流れを汲むやに見られる が、アルキメデスは『平面の釣合について』において、てこの原理を説明している。 4世紀のエジプトの数学者は、アルキメデスの言葉「私に支点を与えよ。 そうすれば地球を動かしてみせよう。 は、船員が非常に重い荷物を運べるようにするためにアルキメデスがブロックと機構をどのように設計したかを述べた。 また、アルキメデスはの際にの出力や精度を高める工夫や、(距離計)も発明した。 オドメーターは歯車機構を持つ荷車で、決まった距離を走る毎に球を箱に落として知らせる構造を持っていた。 マルクス・トゥッリウス・キケロはの著作『国家論』 にて紀元前129年にあった逸話を採録している。 紀元前212年にシラクサを占領した将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルスは、2台の機器をローマに持ち帰った。 これは、太陽と月そして5惑星の運行を模倣する用機器であり、キケロはやが設計した同様の機器にも触れている。 問答では、マルケッルスは独自のルートを経由しシラクサから持ち帰って1台を手元に留め、もう1台はローマの美徳の神殿 (ヴィルトゥースの神殿、Temple of Virtue) に寄贈した。 キケロは、マルケッルスの機器についてガイウス・スルピキウス・ガルスがルキウス・フリウス・フイルスに説明する下りを残している。 Hanc sphaeram Gallus cum moveret, fiebat ut soli luna totidem conversionibus in aere illo quot diebus in ipso caelo succederet, ex quo et in caelo sphaera solis fieret eadem illa defectio, et incideret luna tum in eam metam quae esset umbra terrae, cum sol e regione. 訳:ガルスが球を動かすと、天空に見立てた青銅製の装置上で何度も回転が起り、月が太陽を追った。 そして月と太陽が一直線に並ぶところでは月の影が地球に落ち、日食が再現された。 これはまさに かの説明である。 アレクサンドリアのは、現代では失われたアルキメデスの原稿『』でこれら機器の設計について触れていると述べた。 近年、やギリシア・ローマの古典時代に同じ目的で製作された機械類の研究が行われている。 これらは、以前は視されていたが、1902年に発見されたアンティキティラ島の機械を通じて、古代ギリシア時代には機構の重要部分に当たるの技術は充分に実用可能な域に達していたと確認された。 数学 [ ] アルキメデスはまたの分野にも大きな貢献を残した。 をの、計アルキの定義 、回転面のの求め方や、大数の記数法も考案している。 彼が物理学にもたらした革新はの基礎となり、の考察はの本質を説明した。 アルキメデスはを駆使してを求めた。 アルキメデスは、現代で言うと同じ手法でを利用していた。 を用いる彼の証明では、解が存在するある範囲を限定することで任意の精度で解を得ることができた。 これはの名で知られ、の近似値を求める際に用いられた。 アルキメデスは、ひとつの円に対しすると、円にする多角形を想定した。 この2つの多角形は辺の数を増やせば増やす程、円そのものに近似してゆく。 1408)の間にあるという結果を得た。 また彼は、円のはでつくるに円周率を乗じた値に等しいことを証明した。 『球と円柱について』では、任意の2つのについて、一方の実数を何度か足し合わせる(ある自然数を掛ける)と、必ずもうひとつの実数を上回ることを示し、これは実数におけると呼ばれる。 7320512)の間と導いた。 実際の3の平方根は約1. 7320508であり、これは非常に正確な見積もりだったが、アルキメデスはこの結果を導く方法を記していない。 は、アルキメデスは結論だけを示し、後世に対して方法をそこから引き出させようとしたのではと考察している。 球の体積は無限小・を用いることで公式を発見した。 また球の表面積は無限小・積分・を用いることで公式を同じ高さの円柱の側面の表面積と等しいことを示した。 これは、無限と公比を用いる。 『』では、アルキメデスはをですべて充填するとした時、果たして何粒が必要かという試算に挑んだ。 また、ゼロの対極にあるの概念に、到達していたらしいという新しい資料が発見されている。 発明家としての評価 [ ] 彼は革新的なにも秀で、攻城兵器や彼の名を冠したなどでも知られる。 また、数々のを考案したことでも知られ、において、てこを利用した投石機を用いて敵の海軍を打ち破った。 ギリシア的学問は純粋に論理を展開することに美しさを見出して重視し、実利的・営利的な技術などの知識はむしろ軽蔑された。 は『対比列伝』(「英雄伝」)にて、「彼(アルキメデス)は純粋なる思索にすべての愛情と大望を注ぎ、俗な実用的応用を論及したことは皆無だと言い切れる」 と記した と書いた。 ただしのように実利性があれば必要だとしても実利性ない学問は意味がないとする哲学者もいた。 この2つの側面を併せ持つアルキメデスは、数学に限らずこの時代の学者としては異例な存在だった。 しかし、この矛盾する2つの側面をアルキメデスは共存させながら、ピタゴラス的な数の概念とは大きく異なる「」を『砂の計算』で想定したり、現代のに繋がる方法で面積を求めつつの方法で証明しなおしたりと、自己内に相克を見せた。 だが、このような論理と技術の鬩ぎ合いは特に近代ヨーロッパ以降で表面化した数学の現象であり、それが数学を進歩させた原動力となった。 アルキメデスが生きた時代にはこのような矛盾を孕んだ発展は望むべくも無く、彼以後のギリシア数学は形骸化した権威に沈んだ。 その他 [ ] の北緯25. はアルキメデスの横顔をとし、その周囲にはラテン語で彼の言葉「: Transire suum pectus mundoque potiri」(Rise above oneself and grasp the world)が刻銘に使われている。 そして裏面には、彼がその関係を発見した球と円柱が描かれている。 アルキメデスの肖像はにも用いられ、(1963年)、(1971年)、(1973年)、(1982年)、ギリシア(1983年)、(1983年)と多くの国で使われた。 著作 [ ] アルキメデスの数学に関する記述は古代においてほとんど知られていなかった。 アルキメデスの著述は古代シラクサで使われたの方言ドーリス地方語であった。 ただし彼の著作はのもの同様に原典は伝わっておらず、7つの論文は他者の参照などから判明しているに止まる。 アルキメデスは存命中の数学者たちと交流を持っていた事も手伝い、この地ではアルキメデスの論説を引用した例があり、はの考察を通じてアルキメデスの失われた著作『On Sphere-Making』や他の思索に触れ、はに関する言及の中でやはり失われた『Catoptrica』(反射光学)を参考にしている。 の建築家(530年頃)はアルキメデスの著作を蒐集し、6世紀にアスカロンのエウトキオスが注釈を加えて世に知らしめた。 その後、アルキメデスの仕事は(836年 — 901年)がへ、(1114年 — 1187年)がへ翻訳した。 ルネサンス期には1544年にヨハン・ヘルヴァーゲンが、ギリシア語とラテン語でアルキメデスの仕事を含む「最初の校訂版 Editio Princeps 」をで発刊した。 多くの科学者にインスピレーションを提供する役目を持ち 1586年頃は、アルキメデスの仕事にヒントを得て空気と水で金属の重量を計測する天秤を開発した。 アルキメデスは「私に支点を与えよ。 そうすれば地球を動かしてみせよう」 と豪語し、てこの原理を端的に言い表したという。 この研究でアルキメデスはの原理であるについて説明し、「大きさは、質量と相互的に比例した距離に均衡する」と述べた。 また、三角形、、など多くの幾何学図形の面積とを求める法則を用いた。 これは、地球が丸いというなど当時のギリシア天文学者らの説明を理論化する目的があった可能性がある。 ただし彼はあらゆる物質が球体を成す落下点を想定しており、物質自らの重力によって集まるような状況は想定していない。 第2巻では、彼は放物線の切片が均衡する状態を計算しており、そのうちいくつかはのように下部は水中にありながら上部が水上に出ているものを扱っており、これは船体を想定したものとみなされる。 そして、についてのが考察され、以下のように述べられている。 Any body wholly or partially immersed in a fluid experiences an upthrust equal to, but opposite in sense to, the weight of the fluid displaced. 訳:どのような物体であっても全体、または一部が液体に浸かっているとき、その物体が置き換えた体積と同じだけの液体が持つ質量と同じだけの力が、方向を逆にして、物体を押し上げる。 本書にてアルキメデスは、正方形に組み立てられる14個のピースの形状を示した。 これを研究していた博士のリヴィエル・ネッツは2003年に、アルキメデスはこの14個のピースを用いて正方形を組み立てる際に、果たして何通りの組み合わせがあるかを問題にしていたと発表し、それは17,152通りあると見込んだ。 ただし、回転や反射など対称となるものを除くとそれは536通りとなる。 このパズルは、の初歩的な例に当たる。 「ストマッキオン」は別名にて「Loculus of Archimedes or Archimedes' Box」(アルキメデスの小筥)とも呼ばれる。 『』 Archimedes' cattle problem この原稿は1773年にのウルフェンビュッテルにあるヘルツォーク・アウグスト図書館で、が発見した、との数学者に宛てた44行のの形式 で纏められている。 アルキメデスはが持つの群れが果たして何頭なのか、の整数解を求める問題として提示した。 この設問は1880年にA. Amthorが初めて解き 、その数は7. この著作でアルキメデスは宇宙空間を埋め尽くすのに、何個の砂粒が必要かという計算に挑んでいる。 当時のギリシャ人は、宇宙は地球を中心にした有限の球()であると考えていたので、「宇宙の大きさ」は太陽や月までの距離の計算と同じく、仮想ではない現実的な設問であった。 当時のギリシャ数字ではミリアド(万)より大きい数字表記がなく、1億(1万の1万倍)までしか数えられなかったので、アルキメデスは自分で大きな数を表記する方法を考案し、必要な砂粒の個数は10 51 を超えないと計算した。 本著の序文でアルキメデスは天文学者である父「フィディアス Phidias 」について触れている。 ここでは無限小を用いて、どのように面を無数の小片に分けて面積や量を求めるかという方法を示した。 ただし、彼自身はこの方法が厳密さに欠けた箇所があると考えた模様で、結論を得るために取り尽くし法を考案したと思われる。 本書は『牛の問題』同様、アレクサンドリアのエラトステネスに宛てたものとして書かれている。 アルキメデス・パリンプセスト [ ] ストマッキオンは、『アルキメデス・パリンプセスト』の中で見つかった切断パズルである。 最も近年発見されたアルキメデスの著作は『アルキメデス・パリンプセスト』である。 1906年、人の教授ヨハン・ルーズヴィー・ハイベアがで1229年 に完成した174ページの山羊皮紙の祈りの書を調査した際、それが(一度書かれた文字のインクを削るなどの方法で消し、別な文字を上書きされたもの)であることを発見した。 調査の結果、山羊皮紙にかつて書かれていた文章は、それまで知られていなかったアルキメデスの提議を10世紀に写したものと判明した。 数百年コンスタンティノープルの修道院図書館に所蔵されていたこのパリンプセストは1920年代に民間へ売りに出され、1998年10月29日にはので競売に掛けられ、匿名の落札者が200万ドルで入手した。 その後落札者は写本の情報をデータ化するため素粒子物理学者など多様な解読の協力者を集め解読プロジェクトを始めた。 彼らは画像を撮るため、本の背の糊を取り除き解体し、礼拝時にろうそくを使用したため付着したろうも取り除き、断片を元の場所にあてがった。 そしてさまざまに波長を変えた光を紙にあて画像を合成し、金箔でおおわれている部分についてはを行いインクに含まれる鉄成分の分布を調べた。 このパリンプセストは、唯一のオリジナルであるギリシア語で書かれた『浮体の原理』を含む7つの論文が写されていた。 ここには、既に失われてしまったを参照した『方法』についての唯一の情報があり、『ストマッキオン』も以前には発見されていなかった切断パズルがより完成度が高い解説つきで見つかった。 他の4つは『平面の釣合について』『螺旋について』『円周の測定』『球と円柱について』である。 合わせての演説やの文章の注釈書も発見された。 このパリンプセストは現在のウォルターズ・ミュージアムに保管され、隠された文字の全貌を明かそうと、や照射など先端技術を用いた研究が行われている。 未確認の著作 [ ] 円の性質について15の提議が書かれたアルキメデスの『補助定理集』 またはLiber Assumptorum は、で書かれた写しが知られている。 学者のT. ヒースとマーシャル・クラーゲットは、現在確認できるこれらの書がアルキメデスの著作をそのまま伝えているとは考えにくいと主張し、他の人物が引用しながら変更されたものだと述べた。 そして、この元になった考察はアルキメデスの初期の著述であり、これは失われていると述べた。 また、三角形の面積を求めるもアルキメデスの発案に源泉があるとも唱えられた。 しかし、この公式について信頼に足る証拠は1世紀にが提唱したものしか無い。 日本語訳 [ ]• アルキメデスは『螺旋について』にてペルシウムのドシセオスに宛てた序文を載せているが、そこで彼は「コノンが亡くなってから何年もが過ぎた」と書いている、サモスのコノンは紀元前280年から紀元前220年を生き、この言葉はアルキメデスが著作を書いた時は晩年だった可能性を示す• 原文:He placed his whole affection and ambition in those purer speculations where there can be no reference to the vulgar needs of life. アルキメデスの失われた著作については、他にZeuxippusに宛て『砂の計算』で用いた数の単位を説明した『Principles』、『On Balances and Levers』『On the Calendar』がある。 ヒースは、後世に伝わるアルキメデスの業績は『平面の釣合について I』『放物線の求積』『平面の釣合について II』『球と円柱について I, II』『螺旋について』『円錐と球体について』『浮体の原理 I, II』『円周の測定』『砂の計算』だと主張した。 カール・ベンジャミン・ボイヤーの『数学の歴史』 A History of Mathematics、1991年 では「一般にヘロンの公式と呼ばれる三辺の長さから三角形の面積を求める公式は、ヘロンよりも数世紀前の人物であるアルキメデスの仕事だとアラブの学者は伝える。 彼らはまた、broken-chord定理もアルキメデスの作だと考える。 アラブ人は、いくつもの定理をアルキメデスが証明したと報告している」と述べられている。 出典 [ ]• Rorres, Chris. クーラン数理科学研究所. 2007年7月23日閲覧。 ヒース, Works of Archimedes, 1897年• 種村研究室. 2010年7月2日閲覧。 2010年7月3日閲覧。 2007年7月23日閲覧。 プルタルコスは、別の話も示唆している。 アルキメデスが製図器械を運んでいたところ、これを何か価値のあるものと見た兵士が奪おうとしたが、抵抗して殺されたとも伝わる• クーラン数理科学研究所. 2007年1月2日閲覧。 (円を踏むな)。 しかし、この俗説はプルタルコスの記述の中に見出せない• Rorres, Chris. クーラン数理科学研究所. 2007年1月2日閲覧。 鉛を混ぜたとする資料もある。 2007年8月30日閲覧。 2008年2月27日閲覧。 ジョージア州立大学. 2007年7月23日閲覧。 Rorres, Chris. 2009年3月24日閲覧。 Carroll, Bradley W. ウェーバー州立大学. 2007年7月23日閲覧。 Rorres, Chris. ドレクセル大学. 2009年3月24日閲覧。 斉藤憲. 人間社会学部. 2010年7月10日閲覧。 Casson, Lionel 1971年. Ships and Seamanship in the Ancient World. Princeton University Press. Dalley, Stephanie. Oleson, John Peter. Technology and Culture Volume 44, Number 1, January 2003 PDF. 2007年7月23日閲覧。 Rorres, Chris. Courant Institute of Mathematical Sciences. 2007年7月23日閲覧。 の歴史• Rorres, Chris. クーラン数理科学研究所. 2007年7月23日閲覧。 Carroll, Bradley W. Weber State University. 2007年8月12日閲覧。 Hippias, 2 cf. , On temperaments 3. 2, who mentions pyreia, "torches" ; , On miraculous engines 153 [Westerman]. Online text at Wesley Center for Applied Theology. 2007年9月14日閲覧。 1973年11月26日. 2007年8月12日閲覧。 Discovery Channel Japan. 2010年7月3日閲覧。 2007年7月23日閲覧。 Rorres, Chris. クーラン数理科学研究所. 2010年3月20日閲覧。 Clagett, Marshall. Greek Science in Antiquity. Dover Publications. 『Synagoge』, Book VIII、引用部分• Dougherty, F. ; Macari, J. ; Okamoto, C.. 女性科学者の会. 2007年7月23日閲覧。 テッサロニキ科学博物館 Technology Museum of Thessaloniki. 2007年9月14日閲覧。 駒場博物館. 2010年7月3日閲覧。 thelatinlibrary. com. 2007年7月23日閲覧。 マルクス・トゥッリウス・キケロ. プロジェクト・グーテンベルク. 2007年9月18日閲覧。 Rorres, Chris. クーラン数理科学研究所. 2007年7月23日閲覧。 News 2006年11月29日. 2007年7月23日閲覧。 2010年7月2日閲覧。 小山哲也. 工学部. 2010年7月3日閲覧。 井上淳. 大学院理工学研究科 数学専攻. 2010年7月3日閲覧。 Kaye. web. mat. bham. 2009年11月7日閲覧。 Quoted in T. Heath, Works of Archimedes, Dover Publications,. 新居俊作. 大学院数理学研究院. 2010年7月2日閲覧。 大学院教育研究科. 2010年7月3日閲覧。 2007年7月23日閲覧。 野崎昭弘; 何森仁; 伊藤潤一; 小沢健一 『微分・積分の意味がわかる』 ベレ出版〈数学の風景が見える〉、2000年。 fulltextarchive. com. 2009年8月10日閲覧。 Friedlander, Jay and Williams, Dave. 2007年9月13日閲覧。 NASA. 2007年9月13日閲覧。 2007年7月23日閲覧。 Rorres, Chris. Courant Institute of Mathematical Sciences. 2007年8月25日閲覧。 Wilson,NigelGuy 2006 , Encyclopedia of ancient Greece, Routledge, p. 77,• 図書館. 2007年7月23日閲覧。 Bursill-Hall, Piers. sciencelive with the University of Cambridge. 2007年8月7日閲覧。 Van Helden, Al. 2007年9月14日閲覧。 ライブラリーセンター. 2010年7月2日閲覧。 Heath,T. 2007年10月14日閲覧。 附属図書館. 2010年7月3日閲覧。 中村滋. 2010年7月3日閲覧。 大峰巌. 理論化学研究室. 2010年7月3日閲覧。 伊東俊太郎 『アルキメデス』 朝日出版社〈科学の名著〉、1981年。 Kolata, Gina 2003年12月14日. 2007年7月23日閲覧。 Ed Pegg Jr. 2003年11月17日. アメリカ数学協会. 2008年5月18日閲覧。 Rorres, Chris. Courant Institute of Mathematical Sciences. 2007年9月14日閲覧。 Gianni A. Sarcone and Marie J. Waeber. 2008年5月9日閲覧。 2010年7月3日閲覧。 Krumbiegel, A. Calkins, Keith G. Andrews University. 2007年9月14日閲覧。 附属図書館. 2010年7月3日閲覧。 ウォルターズ・ミュージアム. 2007年10月14日閲覧。 Miller, Mary K. 2007年3月. スミソニアン・マガジン. 2008年1月24日閲覧。 1998年10月29日. 2008年1月15日閲覧。 BBC News 2006年8月2日. 2007年7月23日閲覧。 2007年8月7日閲覧。 O'Connor, J. and Robertson, E. 1999年4月. 2010年2月17日閲覧。 読書案内 [ ] に に関するのテキストがあります。 ウィキクォートに に関する引用句集があります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 『解読! アルキメデス写本』、2008年。 ・『天秤の魔術師 アルキメデスの数学』、2009年、• 1991年. A History of Mathematics. New York: Wiley. 1987年. Archimedes. Princeton University Press, Princeton. Republished translation of the 1938 study of Archimedes and his works by an historian of science. Gow, Mary 2005年. Archimedes: Mathematical Genius of the Ancient World. Enslow Publishers, Inc. Hasan, Heather 2005年. Archimedes: The Father of Mathematics. Rosen Central. Netz, Reviel and Noel, William 2007年. The Archimedes Codex. Orion Publishing Group. 2008年. Archimedes to Hawking: Laws of Science and the Great Minds Behind Them. Simms, Dennis L. 1995年. Archimedes the Engineer. Continuum International Publishing Group Ltd. Stein, Sherman 1999年. Archimedes: What Did He Do Besides Cry Eureka? Mathematical Association of America. 関連項目 [ ]• (アルキメデスの立体)• アルキメデスの円• アルキメデスの楕円コンパス• アルキメデスの無限小• ディオクレス• 塩入れ(円と半円の問題)• 蒸気砲• - の。 アルキメデスのフランス語読みに基づく命名で、日本語では「アルキメデス号」と呼ばれることもある。 外部リンク [ ].

次の

映画『アルキメデスの大戦』評価は?ネタバレ感想考察/平山案の真相と勝者は?ドンデン返しの連続

アルキメデスの大戦 考察

CONTENTS• 映画『アルキメデスの大戦』の作品情報 C 2019「アルキメデスの大戦」製作委員会 【公開】 2019年(日本映画) 【原作】 三田紀房 【監督】 山崎貴 【キャスト】 菅田将暉、柄本佑、浜辺美波、笑福亭鶴瓶、小林克也、小日向文世、國村隼、橋爪功、田中泯、舘ひろし 【作品概要】 『ドラゴン桜』などのヒットで知られる三田紀房原作のマンガは、日本海軍の造船や航空機の技術戦略とそれに関わる人々の駆け引きを描いていて、2019年8月現在も連載中です。 その人気マンガ『アルキメデスの大戦』を、日本屈指のVFXディレクターでもある山崎貴監督がCGを駆使しつつ、スリリングな展開の人間ドラマとして、原作のエキスを凝縮して実写化しました。 主演は今ノリに乗っている俳優、菅田将暉。 その部下に柄本佑。 そして山本五十六役に、残された本人の(若い頃の)写真とそっくりだと評判の舘ひろし。 さらに國村隼や橋爪功など安定感のあるベテラン役者を配し、作品に重厚感を与えています。 巧みな物語の構成力 C 2019「アルキメデスの大戦」製作委員会 この映画の 最大の魅力は、構成の妙と言っていいでしょう。 まず冒頭に、圧倒的な迫力のVFXで、戦艦大和の壮絶な最期を見せる。 これには老若男女問わず度肝を抜かれたことでしょう。 戦艦大和の沈没は歴史的な事実ですから、沈むことは観る側もわかっている。 その前提があるので、あえて最初にそのシーンを持ってきたのです。 これはかなりの衝撃でした。 綿密な調査に基づいた沈没までの大和の動き、それを時間を割いてしっかり見せる。 おそらく膨大なCG作業だったのでしょう。 その労力が結実した大迫力のこのシークエンスによって、その後の物語がグッと活きてくるのです。 また、大和の機銃隊がようやく撃墜した米軍機からパラシュートでパイロットが脱出し、見事な連携で味方が救出にやってくるシーンがあります。 特攻作戦という片道切符で戦わざるを得ない大和の乗組員たちの目の前で、一つの「命」もあきらめない米軍の姿を見せつけられるのです。 彼らは、その絶望的な差になすすべもありません。 セリフもないその短いシーンがその後、観る側の心にジワジワ効いてくるのです。 原作を大胆に改変した監督 C 2019「アルキメデスの大戦」製作委員会 山崎監督は原作を大胆に切り取り、 キャラクターに独自の解釈を与え、2時間の劇場用エンターテイメントとして成立させました。 原作では海軍内部での争いの他に、陸軍の過激な武闘派や諸外国のスパイなど様々な障壁が次々と現れます。 戦艦大和を作りたい嶋田や平山VS航空機を主力に据えた空母を作りたい山本五十六と藤岡。 山本は菅田将暉演じる櫂を仲間に引き入れますが、それは山本が櫂の本質を見抜いていたからであり、この二人の関係には後半になってさらに興味深い展開が用意されています。 山本の部下となった櫂は、敵対勢力を出し抜くべく、驚異の数学的能力を発揮して事を進めていきます。 そして新型戦艦建造計画会議の場面で、映画は大きな盛り上がりを迎えます。 二転三転する状況に、観る側はワクワクが止まりません。 菅田将暉に寄せた主人公像 C 2019「アルキメデスの大戦」製作委員会 ここで主人公の櫂直に触れておきましょう。 原作マンガの彼は青年マンガ誌の主人公らしく、女性の扱いのうまい、色気のあるガッシリとしたエリートという感じです。 もちろん数学の天才でもありますが、映画の櫂よりも策士といった印象です。 菅田将暉演じる櫂は、変人と言われるほどの天才です。 何でも測らなくては気が済まない、といった エキセントリックな部分をあえてクローズアップし、そこに菅田将暉がうまくはまった、というより、櫂のキャラクターを菅田将暉に寄せていった感があります。 菅田の過去の出演作、『帝一の國』の赤場帝一でもそうでしたが、かなり 個性が強調された役が彼にはピッタリです。 撮影中に湧き起こった拍手 C 2019「アルキメデスの大戦」製作委員会 そして菅田将暉は、監督のその期待に応えるような熱演を見せてくれています。 会議の中盤、黒板に数式を書きながら長セリフをしゃべるシーンがありますが、実際に正しい数式をスラスラと書きながら、難解な説明セリフを言い切っています。 カットがかかった瞬間、脇を固める名優たちから拍手がおこったというのもうなずけます。 またヒロインや、ヒロインとの関係性も、菅田将暉に合わせて改変されています。 原作では、ハニートラップ的な展開で家庭教師をやめさせられた櫂ですが、映画のヒロイン鏡子はもっとピュアで、櫂との関係もプラトニックな両思いという間柄です。 浜辺美波の可憐なお嬢様と男臭くない菅田将暉とのシーンによって、 恋愛要素は淡く美しいものとなり、緊迫した展開の中での爽やかなエッセンスとなっています。 まず、山本五十六の真意が明らかになる場面。 舘ひろしの醸し出す温和な雰囲気のせいでしょうか。 やられた、と感じましたね。 ですが、何と言っても 一番の存在感は、田中泯演じる平山造船中将でしょう。 あの会議の途中まで、観る側は平山を敵役として認識しています。 しかし、櫂の指摘によって自らのミスを認めて提案を取り下げる姿はかっこよく、技術者としての誇り、男としての潔さを感じずにはいられませんでした。 会議から一ヶ月後、平山に呼び出された櫂が研究所を訪れると、そこには20分の1の戦艦大和の模型が置いてあります。 このシーンでの平山の言葉が、この作品の肝であり、すべてが彼のセリフに詰まっています。 国民に負けを認めさせ、それ以上の犠牲を出さないための人身御供、それが戦艦大和。 ここで観る者の頭の中には、冒頭の、壮絶な大和の最期が蘇ってきます。 そうさせるための構成、見事です。 そして、 まだ続いている原作の内容を、違和感なくここで決着させるために、平山というキャラクターには誰よりも説得力のある人物を充てる必要がありました。 海軍の軍人で、優秀な技術者で、そして日本国のことを憂い、未来を見据えて考えられる、そういう人でなければならなかったのです。 田中泯の整った顔立ち、研ぎ澄まされた表情、厳格な雰囲気。 最初は得体の知れない嫌な感じの男と思わせていましたが、実はこういうことを考えながら設計していたのか、と わかったときの腑に落ちた感は、この映画で得られた最高のギフトでした。 その平山に、理系としての本能をくすぐられ、そして戦争を止めるにはこの方法しかないと説かれる櫂に、抗う選択肢はなかったでしょう。 まとめ C 2019「アルキメデスの大戦」製作委員会 ラストシーンにて。 意気揚々と甲板を歩く山本五十六に、複雑な表情をしながらも敬礼する櫂直。 9年経ち、完成した戦艦大和の上で、すっかり軍人となった櫂は、しっかり敬礼こそしますが、恐れていた真珠湾攻撃によって最悪の方向へと舵を切った山本を苦々しく見つめるのです。 それは、勝てるわけないと言っていたアメリカとの戦争に突き進んでいく山本に対する櫂の思いの表れです。 観賞後、気になって原作マンガを読んでみると、真珠湾攻撃の発案者は櫂自身でした。 もちろん櫂は、戦争をしたかったからではなく、自らの提案を軍部に通させるためのハッタリとして考えた作戦だったのですが、それが一人歩きし、やがて現実のものとなってしまったのです。 最後、 菅田将暉が流す涙に、悔しさと悲しさが込められています。 8月は、戦争について考える機会が増える時期。 少しでも多くの人、特に若い人に見てもらい、平和について考えてほしい、そんな作品です。 映画『アルキメデスの大戦』は2019年7月26日(金)より全国劇場にてロードショーです。

次の