板橋 区 清水 町 郵便 番号。 板橋 (板橋区)

東京都板橋区の郵便番号一覧、住所・地名の読み方

板橋 区 清水 町 郵便 番号

899倍の人口になる。 通勤者で見ると区内から区外への通勤者は141,961人、区外から区内への通勤者は94,337人と労働人口の通勤では区内から区外へ出る通勤者のほうが多い。 東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行138 - 139ページ 国勢調査では不詳のものが東京都だけで16万人いる。 上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる) 地理 [ ]• の北端と東京低地の境目にあたり、概ね北部は低地、南部は台地となっている。 北で、北西でによってと接する。 荒川に近い北部では、が西から東に流れる。 南部ではが西から東に横切る。 区内はの市街地で、・のほか、北部には工場が多い。 位置・面積 [ ]• 板橋区は、東京23区のうち北西部に位置し、東経139度37分から同44分、北緯35度43分から同48分の間にあり、面積は32. 17で、23区中9番目である。 地形・地質 [ ] 地形 [ ]• 東西は北部で約7. 1km、南部で約4. 5km、南北は東部で約6. 7km、西部で約3. 4kmあり、南東から北西に長い地形。 北は埼玉県に接しており、が隔絶に厚くなっている。 [ ]• 武蔵野台地と荒川低地の境をなす崖線が、小豆沢 - 志村 - 中台 - 西台 - 赤塚にかけて区の中央部をほぼ東西に貫き、付近は高低差に富み、坂道が多く作られている。 前野町・中台・西台地区では、若木通りを尾根筋とする形で、すりばち状の谷戸(やと)地形が見られ、かつては、各所でが湧き出ており、薬師の泉(小豆沢3丁目)、出井の泉跡(泉町)などにその名残が見られる。 また、見次公園(前野町4丁目)の池は、自然の湧水によって形成されたものである。 地質 [ ]• 現在の板橋区に相当する地域は、およそ12万年前のには海面上昇により、海の底にあったと考えられている。 武蔵野(成増)礫層の下の、東京層と言われる地層から貝化石が発掘されているが、これはおよそ15万年前のもので、この地域が当時海底であったことを物語っている。 およそ10万年前から気候の寒冷化により海面が後退、陸地化が起こり、武蔵野台地(成増台)の原型が形成された。 その当時の武蔵野台地は、古や古、後に古などが流れる 氾濫原 ( はんらんげん )であったと考えられている。 武蔵野(成増)礫層の砂利は、当時の川が積み残した川砂利である。 その後さらに寒冷化・海面後退が進行したことにより、川の流れが氾濫原を掘り下げ、およそ10万年前から最盛のおよそ2万年前までの間に、連続した崖地が形成された。 およそ1万年前に氷期が終わると海面がやや上昇し、崖地の下部では川から運ばれてきた堆積物が今日の荒川・新河岸川沿いの低地を形成。 一方、崖地の上部にはなどから飛来した灰()が堆積し、今日の武蔵野台地辺縁の高台地域を形成するに至ったと考えられている。 主な河川:、、、、(暗渠化)、(暗渠化)、(暗渠化)、(暗渠化)• 主な湖沼:• は強固で、が起きた場合で最も安全と言われている。 気候 [ ] 基本的には東京都心と同じ、温暖湿潤気候に該当し、国内における気候区分は太平洋側気候に属する(詳細はを参照)。 因みに最低気温は、東京との中間の場合が多い。 歴史 [ ]• 地名の由来や以前についてはを参照。 (7年)以前については、、、を参照。 板橋区設立当時は、現在の練馬区も含む広大な地域であり、田畑地が多く、「東京の満州」とも呼ばれていた。 、にかけられていたが当時としては珍しかったため、そのまま地名になったという説が有力である。 以降はが下板橋を通るようになったためにそちらを指すようになった。 はのうちのひとつであり、中山道のを発ってから最初の。 下屋敷があった。 年表 [ ]• 1932年(昭和7年):板橋町、上板橋村、志村、赤塚村、、、、、の9町村がに編入、左記9町村の区域をもって 板橋区となる。 (昭和10年):田園区画の整理に伴い、板橋三丁目(旧・板橋町大字中丸字中原、現・南町)と長崎東町三丁目(旧・大字長崎字高松、現・二・三丁目)の間で境界変更。 (昭和14年):田園区画の整理が完了し、板橋三丁目(旧・板橋町大字中丸字中原、現・南町)と豊島区高松町二丁目(旧・長崎町大字長崎字前高松、現・高松二丁目)の間で境界変更。 (昭和18年):施行により東京府と東京市が合併しが誕生、東京都板橋区となる。 (昭和22年):施行、板橋区は22のひとつとなる。 ウィキソースに の内務省告示文があります。 1947年(昭和22年):旧・練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村のほぼ全域及び(旧・上板橋村大字上板橋字小竹)、(旧・上板橋村大字上板橋字江古田、現・)をとして分区。 (昭和25年):戸田町(現・)大字上戸田の一部約0. 2平方キロメートルが移譲され、舟渡三丁目(現・四丁目の一部)となる。 (昭和26年)8月:第一回が開催される。 (20年)10月30日:観光キャラクター(ゆるキャラ)として、区花の二輪草をモチーフにした「」を採用。 (平成24年)7月26日:「板橋区オフィシャルロゴ」および「区制施行80周年ロゴマーク」を制定。 デザインしたのは区内に事務所「ドーンデザイン研究所」を置く、工業デザイナー・(の各車両のデザイン等で知られる)。 町名 [ ] 板橋区では、全域でに基づくが実施されている。 以下は住居表示実施後の町名と、当該住居表示実施直前の旧町名の一覧である。 旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。 町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考 いたばし 1965. 1 板橋町1(全)、板橋町2・5・6・8 いたばし 1965. 1 板橋町1(全)、板橋町2・5・6・8 いたばし 1965. 1 板橋町1(全)、板橋町2・5・6・8 いたばし 1965. 1 板橋町1(全)、板橋町2・5・6・8 いなりだい 1970. 1 稲荷台(全) 町名成立は1957年、直前は板橋町7・10、志村清水町 かが 1965. 1 板橋町6〜8 かが 1965. 1 板橋町6〜8 ほんちょう 1970. 1 本町(全) 町名成立は1956年、直前は板橋町10、志村清水町 なかじゅく 1970. 1 仲宿(全) 町名成立は1957年、直前は板橋町5・6・8・10 町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考 なかちょう 1971. 1 仲町(全) 町名成立は1959年、直前は板橋町9、上板橋町1 おおやぐち 1971. 1 大谷口1・2(全) 町名成立は1959年、直前は大谷口町、向原町 おおやぐち 1971. 1 大谷口1・2(全) 町名成立は1959年、直前は大谷口町、向原町 おおやぐちかみちょう 1971. 1 大谷口上町(全) 町名成立は1959年、直前は上板橋町1、板橋町4、大谷口町 おおやぐちきたちょう 1971. 1 大谷口北町(全) 町名成立は1959年、直前は大谷口町、上板橋町1 おおやまかないちょう 1971. 1 板橋町4・9 町名成立は1958年、直前は板橋町4・9 おおやまちょう 1971. 1 大山町(全) 町名成立は1958年、直前は板橋町4・9 おおやまにしちょう 1971. 1 大山西町(全) 町名成立は1958年、直前は板橋町4、大谷口町 おおやまひがしちょう 1971. 1 大山東町(全) 町名成立は1960年、直前は板橋町2・4・5 くまのちょう 1971. 1 熊野町(全) 町名成立は1958年、直前は板橋町2〜4 こもね 1965. 1 小山町(全)、茂呂町(全)、根ノ上町、向原町 こもね 1965. 1 小山町(全)、茂呂町(全)、根ノ上町、向原町 こもね 1965. 1 小山町(全)、茂呂町(全)、根ノ上町、向原町 こもね 1965. 1 小山町(全)、茂呂町(全)、根ノ上町、向原町 こもね 1965. 1 小山町(全)、茂呂町(全)、根ノ上町、向原町 さいわいちょう 1971. 1 幸町(全) 町名成立は1957年、直前は板橋町2・4、大谷口町 さかえちょう 1970. 1 栄町(全) 町名成立は1957年、直前は板橋町8・9 なかいたばし 1970. 1 中板橋(全) 町名成立は1957年、直前は板橋町9、上板橋町1 なかまるちょう 1971. 1 中丸町(全) 町名成立は1958年、直前は板橋町2・3 みなみちょう 1971. 1 南町(全) 町名成立は1957年、直前は板橋町2〜4 むかいはら 1965. 1 向原町、根ノ上町 むかいはら 1965. 1 向原町、根ノ上町 むかいはら 1965. 1 向原町、根ノ上町 やよいちょう 1971. 1 弥生町(全) 町名成立は1959年、直前は板橋町10、上板橋町1、大谷口町 ひかわちょう 1970. 1 氷川町(全) 町名成立は1956年、直前は板橋町8 町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考 ときわだい 1970. 1 常盤台1・2、板橋町10、上板橋町2 ときわだい 1970. 1 常盤台1・2、板橋町10、上板橋町2 ときわだい 1970. 1 常盤台1・2、板橋町10、上板橋町2 ときわだい 1970. 1 常盤台1・2、板橋町10、上板橋町2 みなみときわだい 1971. 1 南常盤台1・2(全) 町名成立は1960年、直前は上板橋町2〜4 みなみときわだい 1971. 1 南常盤台1・2(全) 町名成立は1960年、直前は上板橋町2〜4 さくらがわ 1965. 1 上板橋町6・7 さくらがわ 1965. 1 上板橋町6・7 さくらがわ 1965. 1 上板橋町6・7 ひがしやまちょう 1971. 1 東山町(全) 町名成立は1960年、直前は上板橋町3・5 かみいたばし 1965. 1 上板橋町6・7 かみいたばし 1965. 1 上板橋町6・7 かみいたばし 1965. 1 上板橋町6・7 とうしんちょう 1971. 1 東新町1・2(全) 町名は1960年成立、直前は上板橋町5・6 とうしんちょう 1971. 1 東新町1・2(全) 町名は1960年成立、直前は上板橋町5・6 ふじみちょう 1970. 1 富士見町、双葉町 町名成立は1956年、直前は板橋町10、志村清水町、常盤台1 ふたばちょう 1970. 1 双葉町、富士見町 町名成立は1956年、直前は板橋町10、上板橋町2 やまとちょう 1970. 1 大和町(全) 町名成立は1956年、直前は板橋町8・10、志村清水町 町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考 しむら 1966. 1 志村1〜4、小豆沢1 しむら 1966. 1 志村1〜4、小豆沢1 しむら 1966. 1 志村1〜4、小豆沢1 あずさわ 1966. 1 小豆沢1〜4、志村町1〜3 あずさわ 1966. 1 小豆沢1〜4、志村町1〜3 あずさわ 1966. 1 小豆沢1〜4、志村町1〜3 あずさわ 1966. 1 小豆沢1〜4、志村町1〜3 まえのちょう 1972. 1 前野町1〜6(全) 町名成立は1962年、直前は志村前野町1〜6、志村清水町、志村中台町、小豆沢1 まえのちょう 1972. 1 前野町1〜6(全) 町名成立は1962年、直前は志村前野町1〜6、志村清水町、志村中台町、小豆沢1 まえのちょう 1972. 1 前野町1〜6(全) 町名成立は1962年、直前は志村前野町1〜6、志村清水町、志村中台町、小豆沢1 まえのちょう 1972. 1 前野町1〜6(全) 町名成立は1962年、直前は志村前野町1〜6、志村清水町、志村中台町、小豆沢1 まえのちょう 1972. 1 前野町1〜6(全) 町名成立は1962年、直前は志村前野町1〜6、志村清水町、志村中台町、小豆沢1 まえのちょう 1972. 1 前野町1〜6(全) 町名成立は1962年、直前は志村前野町1〜6、志村清水町、志村中台町、小豆沢1 いずみちょう 1972. 1 泉町(全) 町名成立は1961年、直前は志村清水町、志村小豆沢町 おおはらちょう 1972. 1 大原町(全) 町名成立は1961年、直前は志村清水町、志村本蓮沼町、志村小豆沢町、志村前野町 みやもとちょう 1972. 1 宮本町(全) 町名成立は1961年、直前は志村清水町 しみずちょう 1972. 1 清水町(全) 町名成立は1961年、直前は志村清水町、志村本蓮沼町 なかだい 1963. 1 志村中台町 なかだい 1963. 1 志村中台町 なかだい 1963. 1 志村中台町 わかぎ 1963. 1 志村中台町、志村西台町、上板橋町7 わかぎ 1963. 1 志村中台町、志村西台町、上板橋町7 わかぎ 1963. 1 志村中台町、志村西台町、上板橋町7 はすぬまちょう 1972. 1 蓮沼町(全) 町名成立は1961年、直前は志村清水町、志村本蓮沼町、志村小豆沢町、小豆沢1 にしだい 1963. 1 志村西台町、志村中台町、徳丸町、徳丸本町 にしだい 1968. 1 志村西台町、志村中台町、徳丸町、徳丸本町 にしだい 1968. 1 志村西台町、志村中台町、徳丸町、徳丸本町 にしだい 1968. 1 志村西台町、志村中台町、徳丸町、徳丸本町 町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考 はすね 1966. 1 蓮根1〜3、志村西台町、志村蓮根町 三丁目28番は1969年3月1日住居表示実施 はすね 1966. 1 蓮根1〜3、志村西台町、志村蓮根町 三丁目28番は1969年3月1日住居表示実施 はすね 1966. 1 蓮根1〜3、志村西台町、志村蓮根町 三丁目28番は1969年3月1日住居表示実施 さかした 1966. 1 長後1・2、志村町3・4、蓮根1〜3 さかした 1966. 1 長後1・2、志村町3・4、蓮根1〜3 さかした 1966. 1 長後1・2、志村町3・4、蓮根1〜3 あいおいちょう 1963. 1 志村中台町 ふなど 1966. 1 舟渡1〜3、志村西台町 ふなど 1966. 1 舟渡1〜3、志村西台町 ひがしさかした 1966. 1 長後1・2、志村町3、小豆沢4 ひがしさかした 1966. 1 長後1・2、志村町3、小豆沢4 町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考 あかつか 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町、徳丸本町、成増町 あかつか 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町、徳丸本町、成増町 あかつか 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町、徳丸本町、成増町 あかつか 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町、徳丸本町、成増町 あかつか 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町、徳丸本町、成増町 あかつか 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町、徳丸本町、成増町 あかつか 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町、徳丸本町、成増町 あかつか 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町、徳丸本町、成増町 あかつかしんまち 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町 あかつかしんまち 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町 あかつかしんまち 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、四葉町、徳丸町 なります 1969. 1 成増町、上赤塚町、下赤塚町 なります 1969. 1 成増町、上赤塚町、下赤塚町 なります 1969. 1 成増町、上赤塚町、下赤塚町 なります 1969. 1 成増町、上赤塚町、下赤塚町 なります 1969. 1 成増町、上赤塚町、下赤塚町 だいもん 1972. 1 下赤塚町 よつば 1972. 1 四葉町、徳丸町、徳丸本町、下赤塚町 よつば 1972. 1 四葉町、徳丸町、徳丸本町、下赤塚町 とくまる 1968. 1 徳丸町、徳丸本町、志村西台町、四葉町、下赤塚町 とくまる 1968. 1 徳丸町、徳丸本町、志村西台町、四葉町、下赤塚町 とくまる 1968. 1 徳丸町、徳丸本町、志村西台町、四葉町、下赤塚町 とくまる 1968. 1 徳丸町、徳丸本町、志村西台町、四葉町、下赤塚町 とくまる 1972. 1 徳丸町、徳丸本町、志村西台町、四葉町、下赤塚町 とくまる 1972. 1 徳丸町、徳丸本町、志村西台町、四葉町、下赤塚町 とくまる 1972. 1 徳丸町、徳丸本町、志村西台町、四葉町、下赤塚町 とくまる 1972. 1 徳丸町、徳丸本町、志村西台町、四葉町、下赤塚町 町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考 たかしまだいら 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、三園町2・3、四葉町、徳丸町、徳丸本町、志村西台町 たかしまだいら 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、三園町2・3、四葉町、徳丸町、徳丸本町、志村西台町 たかしまだいら 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、三園町2・3、四葉町、徳丸町、徳丸本町、志村西台町 たかしまだいら 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、三園町2・3、四葉町、徳丸町、徳丸本町、志村西台町 たかしまだいら 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、三園町2・3、四葉町、徳丸町、徳丸本町、志村西台町 たかしまだいら 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、三園町2・3、四葉町、徳丸町、徳丸本町、志村西台町 たかしまだいら 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、三園町2・3、四葉町、徳丸町、徳丸本町、志村西台町 たかしまだいら 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、三園町2・3、四葉町、徳丸町、徳丸本町、志村西台町 たかしまだいら 1969. 1 下赤塚町、上赤塚町、三園町2・3、四葉町、徳丸町、徳丸本町、志村西台町 しんがし 1966. 1 新河岸町、志村西台町、徳丸町、上赤塚町、下赤塚町、四葉町、成増町 しんがし 1966. 1 新河岸町、志村西台町、徳丸町、上赤塚町、下赤塚町、四葉町、成増町 しんがし 1966. 1 新河岸町、志村西台町、徳丸町、上赤塚町、下赤塚町、四葉町、成増町 みその 1969. 1 三園町1(全)、三園町2・3、上赤塚町、成増町 みその 1969. 1 三園町1(全)、三園町2・3、上赤塚町、成増町 みその 1969. 1 三園町1(全)、三園町2・3、上赤塚町、成増町 みその 1969. 1 三園町1(全)、三園町2・3、上赤塚町、成増町 (2-8丁目) 上記の通り、おおむね旧、旧、旧、旧の4地域に分かれるが、他に南部(板橋)と北部(志村)の2地域分類、板橋・志村・赤塚の3地域分類、板橋・上板橋(常盤台)・志村・赤塚・高島平の5地域分類もよく使われる。 板橋区において地域の分類は便宜的なものでしかなく、受け持つ行政機関によって異なるのが現状である。 例えば、通常の地域(旧板橋町地域)と地域(旧上板橋村地域)とあわせて広義の地域(板橋区南部地域)とすることも多い(、、、、、、など)。 また、上板橋地域を常盤台地域と呼ぶ場合もある(都市計画など)。 また、通常の地域(旧志村地域)と地域(旧赤塚村地域)とあわせて広義の志村地域(板橋区北部地域)とすることもある(消防、土木、公園、水道など)。 これは歴史的に、志村地域に設置されたが赤塚地域も含めて担当することが多かったためである。 かつてのに相当する、、を高島平地域として独立させる場合もある(都市計画など)。 これらの地域の大半は旧赤塚村のため、通常は赤塚地域に含むが、志村地域に含む場合もある(福祉など)。 逆に、、などの西台地域を赤塚地域に含むこともしばしばある(福祉など)。 さらに、志村地域の内、、、、などの地域を蓮根地域あるいは坂下地域と呼ぶこともあり、西台地域を除く志村地域と合わせたり(福祉など)、高島平地域に含める場合もある。 赤塚地域は南部とともにの風景を残している。 区ではに支所を設け利便を図っている。 しかし区が南北に分かれてしまい、行事も板橋区民祭り・板橋農業祭りと二本立てになっている。 これ以外にも区民や地域センターによる分類、また大山地域や大谷口地域、地域などといった細かい分類方法もある。 ナンバープレート [ ] 板橋区は、板橋ナンバー()を割り当てられている。 ケーブルテレビ [ ]• 区政 [ ] 区長 [ ]• 区長: (4期目)• 任期:2007年(平成19年)4月27日 - 2023年(令和5年)4月26日 歴代区長• 東京市板橋区時代:• 初代:上田 房吉(1932年(昭和7年)10月 - 1933年(昭和8年)11月)• 第2代:中野 浩(1933年(昭和8年)11月 - 1934年(昭和9年)6月)• 第3代:児玉 益治(1934年(昭和9年)6月 - 1936年(昭和11年)10月)• 第4代:福島 正守(1936年(昭和11年)10月 - 1937年(昭和12年)12月)• 第5代:渡辺 徳三郎(1937年(昭和12年)12月 - 1939年(昭和14年)6月)• 第6代:藤原 誠(1939年(昭和14年)6月 - 1943年(昭和18年)6月)• 第7代:河原田 覚次郎(1943年(昭和18年)7月 - 1944年(昭和19年)6月)• 第8代:丸山 貞二(1944年(昭和19年)6月 - 1944年(昭和19年)10月)• 第9代:竹内 虎雄(1944年(昭和19年)10月 - 1945年(昭和20年)9月)• 第10代:鈴木 嘉寿一(1945年(昭和20年)9月 - 1946年(昭和21年)3月)• 第11代:牛田 正憲(1946年(昭和21年)3月 - 1947年(昭和22年)3月)• 特別区成立以降:• 初代:牛田 正憲(公選:1947年(昭和22年)4月5日 - 1951年(昭和26年)4月22日)• 第2代:渋谷 常三郎(公選:1951年(昭和26年)4月23日 - 1955年(昭和30年)8月12日)• 第3代:村田 哲雄(区議会選任:1955年(昭和30年)8月13日 - 1959年(昭和34年)8月12日)• 第4代:村田 哲雄(区議会選任:1959年(昭和34年)8月13日 - 1963年(昭和38年)8月12日)• 第5代:村田 哲雄(区議会選任:1963年(昭和38年)8月13日 - 1963年(昭和38年)12月31日)• 第6代:加部 明三郎(区議会選任:1964年(昭和39年)1月22日 - 1968年(昭和43年)1月28日)• 第7代:加部 明三郎(区議会選任:1968年(昭和43年)1月29日 - 1972年(昭和47年)2月18日)• 第8代:加部 明三郎(区議会選任:1972年(昭和50年)2月19日 - 1975年(昭和50年)4月26日)• 第9代:加部 明三郎(公選:1975年(昭和50年)4月27日 - 1979年(昭和54年)4月26日)• 第10代:栗原 敬三(公選:1979年(昭和54年)4月27日 - 1983年(昭和58年)4月26日)• 第11代:栗原 敬三(公選:1983年(昭和58年)4月27日 - 1987年(昭和62年)4月26日)• 第12代:栗原 敬三(公選:1987年(昭和62年)4月27日 - 1991年(平成3年)4月26日)• 第13代:石塚 輝雄(公選:1991年(平成3年)4月27日 - 1995年(平成7年)4月26日)• 第14代:石塚 輝雄(公選:1995年(平成7年)4月27日 - 1999年(平成11年)4月26日)• 第15代:石塚 輝雄(公選:1999年(平成11年)4月27日 - 2003年(平成15年)4月26日)• 第16代:石塚 輝雄(公選:2003年(平成15年)4月27日 - 2007年(平成19年)4月26日)• 第17代:坂本 健(公選:2007年(平成19年)4月27日 - 2011年(平成23年)4月26日)• 第18代:坂本 健(公選:2011年(平成23年)4月27日 - 2015年(平成27年)4月26日) 区民事務所・地域センター [ ] 区民事務所 [ ] 「区」の行政機構の一部を分担し、「地域の区役所」的な機能を果たす。 住民異動届の受付や証明書の発行、福祉サービス等の受付、各種公金の収納などの窓口サービスを行う。 仲町区民事務所:仲町20-5• 常盤台区民事務所:常盤台3-27-1• 志村坂上区民事務所:小豆沢2-19-15• 蓮根区民事務所:坂下2-18-1• 下赤塚区民事務所:赤塚6-38-1• 高島平区民事務所:3-12-28 地域センター [ ] 地域活動にかかわる幅広い業務を行う。 板橋・熊野・仲宿・仲町・富士見・大谷口・常盤台・清水・志村坂上・中台・蓮根・舟渡・前野・桜川・下赤塚・成増・徳丸・高島平の18箇所に設置。 姉妹都市・提携都市・交流協定 [ ]• 旧(現・)• 6月7日 「みどりと文化の交流協定」• 6月9日 「災害時における相互援助に関する協定」• ( )• 5月 姉妹都市提携• 9月 「友好提携に関する共同声明」調印• 10月 文化・教育交流協定を締結• 10月 友好都市提携• ( )• 7月 友好都市提携• 7月9日 「友好交流都市協定」• 他に、同等とも姉妹都市になっている。 定数:46名• 任期:2019年(令和元年)5月1日 - 2024年(令和5年)4月30日• 議長:元山芳行(板橋区議会議員団)• 副議長:大田ひろし(板橋区議会) 会派名 議席数 議員名 板橋区議会議員団 16 佐々木としたか、川口雅敏、茂野善之、杉田ひろし、大野治彦、元山芳行、田中やすのり、坂本あずまお、安井一郎、田中しゅんすけ、山田貴之、中村とらあき、間中りんぺい、しのだつよし、小野田みか、内田けんいちろう 板橋区議会 10 大田ひろし、なんば英一、かいべとも子、田中いさお、しば佳代子、鈴木こうすけ、成島ゆかり、いしだ圭一郎、さかまき常行、寺田ひろし 板橋区議会議員団 9 かなざき文子、小林おとみ、竹内愛、いわい桐子、荒川なお、吉田豊明、山内えり、山田ひでき、石川すみえ 民主クラブ 4 中妻じょうた、高沢一基、おばた健太郎、渡辺よしてる 市民クラブ 3 長瀬達也、五十嵐やす子、南雲由子 無所属の会 2 井上温子、しいなひろみ 2 こんどう秀人 高山しんご 計 46 東京都議会 [ ] 詳細は「」を参照• 選挙区:板橋区選挙区• 定数:5人• 任期:2017年7月23日 - 2021年7月22日• 投票日:2017年7月2日• 当日有権者数:457,587人• 投票率:51. 60% 候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数 木下富美子 当 50 新 39,230票 橘正剛 当 64 現 38,351票 平慶翔 当 29 都民ファーストの会 新 36,732票 徳留道信 当 65 現 31,396票 宮瀬英治 当 40 現 28,003票 松田康将 落 40 自由民主党 現 27,521票 河野雄紀 落 47 自由民主党 現 23,383票 熊木美奈子 落 55 無所属 元 6,283票 安原宏史 落 27 新 983票 佐上彰浩 落 46 無所属 新 823票 衆議院 [ ]• 任期:2017年(平成29年)10月22日 - 2021年(令和3年)10月21日(「」参照) 選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考 (板橋区、を除く) 8 選挙区 (、の一部、の一部、板橋区新河岸1・2丁目、舟渡1-4丁目) 8 選挙区 2017年の区割変更に伴い、新河岸1・2丁目、舟渡1-4丁目は11区から12区に移行した。 消防 [ ]• 板橋(板橋2-60-15)・1• 常盤台出張所(南常盤台2-5-12)救急隊1• 小茂根出張所(小茂根2-14-10)・救急隊1• 志村消防署(相生町17-1)特別消火中隊・救急隊1• 蓮根出張所(坂下2-32-88)救急隊1• 成増出張所(成増1-30-12)救急隊無• 赤塚出張所(赤塚3-1-10)救急隊1• 志村坂上出張所(志村1-10-5)・救急隊1• 高島平出張所(高島平3-12-10)救急隊1 警察 [ ]• (板橋2-60-13)• (小豆沢1-11-6)• (高島平3-12-32) 医療 [ ]• 区内に板橋区が設置されている 郵便 [ ] 集配郵便局• - 〒173-xxxxの集配を担当• - 〒174-xxxxの集配を担当• - 〒175-xxxxの集配を担当、板橋店を併設 無集配郵便局 :板橋区内の区間は東上鉄道により1914年(大正3年)5月1日開通。 ・・・・・・• その他(駅所在地について)• 下板橋駅は豊島区、東武練馬駅は板橋区が駅所在地である。 浮間舟渡駅のホームは北区との区境にあるが、正式所在地は駅事務室のある北区とされている。 小竹向原駅、地下鉄赤塚駅も練馬区とまたがっているが、正式所在地は練馬区とされている。 板橋駅は滝野川口が北区、ホームの大半が豊島区にあるが、正式所在地は板橋区板橋一丁目とされている。 区内に駅は設置されていないが、もとの間で一部通過している(前述の埼京線と並走)。 かつて営業していた路線 [ ]• かつて営業していた駅 [ ]• :東武東上線 下板橋 - 大山間。 かつて計画された路線 [ ]• :西新井(現・足立区) - 上板橋間。 東武鉄道により、1922年(大正11年)に計画。 用地買収困難により1932年(昭和7年)起業廃止。 :大和町(やまとちょう。 現・板橋本町駅) - 上板橋間。 都市交通審議会答申6号(1962年)による。 1964年(昭和39年)、次項の東武東上支線に計画変更。 :大和町(やまとまち。 現・) - 笹目橋(現・西高島平駅) - 志村(現・高島平駅)間。 1964年の東武鉄道・東京都交通局・東急電鉄「6号線建設および相互直通運転に関する覚書」による。 1965年(昭和40年)に計画撤回。 笹目橋 - 志村間は、東京都交通局が東武鉄道から免許を譲受した上で建設された。 バス [ ] 路線バス [ ]• - 区内にが設けられている。 コミュニティバス [ ]• が運行受託• 板橋市場 - - 区立美術館入口 - - おいせ坂上 - 赤塚高速下 - 新高島平駅 - 板橋市場(循環運転) 道路 [ ]• (中央環状王子線、都道首都高速板橋足立線)• (山手通り)• (環七通り)• (環八通り)• (大谷口中央通り、)• (、)• (前野中央通り、福寿通り)• (、松月院通り)• (高島通り)• 旧(都道としては廃止され欠番)• 旧 水上バス [ ]• :(管内 赤02、赤83、赤84系統「小豆沢公園前」停留所より徒歩1分、赤羽口より徒歩15分、A3-4出口より徒歩15分) 教育 [ ] 大学 [ ]• 板橋キャンパス• 東京キャンパス• 板橋キャンパス• 板橋校舎• 総合スポーツセンター• 医学部キャンパス 専修学校 [ ] 都立• 東京都立板橋看護専門学校 私立• 板橋中央看護専門学校• 成増高等看護学校• 上板橋看護専門学校• 彰栄リハビリテーション専門学校• 愛歯技工専門学校• 高校 [ ] 都立• 私立(中高一貫校を含む)• 東京LETSキャンパス• 東京キャンパス 中学校 [ ] 区立• 板橋区立高島第六小学校• 板橋区立常盤台小学校• 板橋区立徳丸小学校• 板橋区立中台小学校• 板橋区立成増小学校• 板橋区立成増ケ丘小学校• 板橋区立蓮根小学校• 板橋区立蓮根第二小学校• 板橋区立前野小学校• 板橋区立緑小学校• 板橋区立三園小学校• 板橋区立向原小学校• 板橋区立弥生小学校• 板橋区立若木小学校 私立• 幼稚園 [ ] 区立• 高島幼稚園• 新河岸幼稚園 私立• 帝京幼稚園• 明星幼稚園• 大東文化大学附属青桐幼稚園• まるやま幼稚園• 松月院幼稚園• 淑徳幼稚園 特別支援学校 [ ] 国立• 東京都立志村学園(跡地に2013年設立)• 東京都立板橋特別支援学校• 東京都立高島特別支援学校 区立• (所在地は千葉県鴨川市) 各種学校 [ ]• 淑徳日本語学校 文化施設 [ ]• () 志村3丁目。 3階4階。 1階2階に「」併設。 - 舟渡2丁目。 北区にもまたがる。 - 桜川1丁目および小茂根5丁目。 練馬区にもまたがる。 - 前野町4丁目。 湧水池。 - 板橋3丁目。 「」併設。 - 高島平3丁目。 野球場併設。 バーベキューパーティを行える場所として有名。 - 坂下2丁目。 ナイター設備のある併設。 常盤台4丁目。 プラネタリウム併設。 常盤台4丁目。 宿舎跡地。 高島平4丁目。 「ホタル飼育施設」を改称。 赤塚5丁目。 赤塚5丁目。 赤塚5丁目。 高島平8丁目。 前野町4丁目。 蓮根2丁目。 大山東町。 成増3丁目。 大原町5丁目。 成増1丁目。 、、 本町。 廃校した旧板橋区立板橋第三小学校校舎を転用。 小豆沢3丁目。 、テニスコート併設。 赤塚5丁目。 温水プール併設。 加賀1丁目。 温水プール併設。 高島平8丁目。 新河岸3丁目。 舟渡3丁目。 その他の公共施設 [ ]• 高島平6丁目。 (高島平乗務管理所及び交通局志村寮を併設) 高島平9丁目。 三園2丁目。 新河岸3丁目。 施設の上部がとなっている。 高島平9丁目。 北部支社 北区滝野川5丁目。 かつて円筒形のガスタンク(有水式ガスホルダー)2基が設置されていて、都電志村線の車窓や池袋の百貨店屋上からの展望でひときわ目立つ建造物であった。 所在地は北区であるが、板橋区との境を走る国鉄赤羽線脇の立地であり、「板橋のガスタンク」と呼びならわされていた。 1986年(昭和61年)廃止・解体。 名所・旧跡 [ ]• :に架かる、名前の由来になったとされる橋。 桜の名所。 :旧石器が都内で初めて確認された、東京都指定史跡。 小茂根5丁目。 志村一里塚:中山道の3番目の一里塚。 二基一対の江戸時代当時の状態を残存する貴重な遺構として、国のに指定。 縁切榎:本町の旧中山道沿いにある神木。 かつて槻木(つきのき)と共に、板橋宿入口の大六天神社に生えていたことにより「縁が尽きる」という伝承が生まれた。 1861年(文久元年)に、(静寛院宮)が将軍との婚儀に赴くため、板橋宿に宿泊した際には、現在の清水町付近から富士見町バス停、日曜寺、愛染通りを経て上宿に至る迂回路が普請されたと伝えられている。 現在は人間関係・疾病などの悪縁断ち切り・良縁祈願の願掛けが行われている。 「木を菰で覆い隠した」という伝承もあるが、少なくとも和宮親子内親王宿泊の際にはこの措置は行われていない。 縁結びの欅:縁切榎の伝説にちなみ、板橋駅前にある欅(板橋区の木)を「むすびの欅」としたもの。 址 志村2丁目。 跡地に建立された熊野神社境内に空堀跡が遺されている。 前野原、中台、西台はこの城から見て手前にある野原、中央および西側の台地という意味の地名である。 址 赤塚5丁目。 主な宗教施設 [ ]• 東京会館 常盤台1-14-1。 届け出上はこの会館が顕正会の本部である(実質的な本部はさいたま市にある)。 調査対象の団体である。 板橋区登録有形文化財、飯田静の碑がある。 赤塚5丁目。 1973年(昭和48年)に、首都高速道路5号線建設・国道17号線拡幅工事により、仲宿より移転。 1977年に建立。 赤塚8丁目。 中世主の墓、江戸時代末期に活躍した西洋砲術家の記念碑がある。 板橋3丁目。 加賀藩下屋敷から移設された赤門がある。 大和町。 藍染業者の信仰が厚い。 (徳丸天神) 徳丸6丁目。 旧徳丸地区(徳丸、高島平、新河岸)氏神。 田遊び神事は国のに指定。 蓮沼町。 の名所。 板橋区登録有形民俗文化財の庚申地蔵がある。 氷川町。 板橋宿の鎮守として信仰されてきた。 双葉町。 から出土したといわれる稲荷像を安置している。 蓮根2丁目。 上蓮沼村と根葉村が合併した際に蓮根村の鎮守となった。 南常盤台2丁目。 文人蜀山人(大田南畝)が訪れた、旧上板橋村の。 志村2丁目。 志村城址に建立されている。 西台にあり、近代建築とモザイク画で知られる。 板橋十景 [ ] 区制施行70周年を記念して、板橋ならではの自然景観、都市景観、名所・旧跡、イベントを板橋十景候補として募集し、2003年2月に識者などで構成した「板橋十景選定委員会」で、以下の10件が「板橋十景」として選定された。 (区名由来の橋)• の桜並木• (徳丸・赤塚)• とけやき並木• のしだれ桜 観光商業スポット [ ]• (2013年6月まで、ワーナー・マイカル・シネマズ板橋)徳丸2丁目。 小豆沢3丁目。 スタジアム板橋店 相生町。 (2011年閉館)• 宮本町。 前野町3丁目。 光が丘店 赤塚新町3丁目。 住宅団地 [ ] 都内有数の、があることで有名。 また、板橋区内にはやが多く点在している。 都営宮本町アパート(宮本町 58-1、1968年)• 都営幸町アパート(幸町 45-11、1962 - 1990 年)• UR ・(旧日本住宅公団)、1971年• 都営高島平三丁目アパート(高島平 3-12、1997年)• 都営坂下住宅• 都営坂下一丁目アパート(坂下 1-11、1968 - 1982 年)• 都営坂下一丁目第2アパート(坂下 1-15、1972年)• 都営坂下一丁目第3アパート(坂下 1-14、1973年)• 都営坂下一丁目第4アパート(坂下 1-36、1973 - 1975 年)• 都営坂下一丁目第5アパート(坂下 1-16、1983年)• 都営坂下三丁目アパート(坂下 3-16、1972 - 1974 年)• 都営坂下三丁目第2アパート(坂下 3-17、1974年)• 都営坂下三丁目第3アパート(坂下 3-24、1976年)• 都営坂下二丁目アパート(坂下 2-8、1967年)• 都営坂下二丁目第2アパート(坂下 2-10、1995年)• 都営志村三丁目アパート(志村 3-9、1969 - 1977 年)• 都営志村三丁目第2アパート(志村 3-19、1971年)• 都営志村第2アパート(小豆沢 3-10、1960年)• 都営若木一丁目アパート(若木 1-12、1979 - 1980 年)• 都営若木二丁目アパート(若木 2-31、1966年)• 都営舟渡一丁目アパート(舟渡 1-14、1983 - 1985 年)• 都営舟渡三丁目アパート(舟渡 3-5、1991年)• 都営舟渡三丁目第2アパート(舟渡 3-22、1991年)• 都営舟渡二丁目アパート(舟渡 2-13、1965年)• UR 小豆沢一丁目団地(志村 市街地住宅 賃貸65 1964年 現存、現志村一丁目。 譲渡返還)• 小豆沢団地(小豆沢、賃貸 1956年)• 都営小豆沢一丁目アパート(小豆沢 1-19、1971年)• 都営小豆沢一丁目第2アパート(小豆沢 1-20、1971年)• 都営小豆沢三丁目アパート(小豆沢 3-7、1996年)• 都営小豆沢二丁目アパート(小豆沢 2-11、1971年)• 都営小茂根一丁目アパート(小茂根 1-6、1978 - 1986 年)• UR 常盤台第一団地(南常盤台 市街地住宅 賃貸40 1960年 現存 譲渡返還)• UR 常盤台第二団地(常盤台 市街地住宅 賃貸33 1961年 現存 譲渡返還)• 都営常盤台一丁目アパート(常盤台 1-59、1971年)• 都営常盤台四丁目アパート(常盤台 4-7、1977年)• 都営新河岸一丁目アパート(新河岸 1-3、1975年)• 都営新河岸二丁目アパート(新河岸 2-10、1968 - 1974 年)• 都営成増団地 - 昭和43年 : 東京都市計画事業(一団地の住宅施設)• 都営成増アパート(成増 5-19、1962 - 1967 年)• 都営成増一丁目アパート(成増 1-3、1977年)• 都営成増三丁目アパート(成増 3-33、1992年)• 都営成増五丁目アパート(成増 5-3、1995 - 1996 年)• 都営住宅西台アパートおよび東京都住宅供給公社西台住宅()• 都営西台アパート(高島平 9-1、1970年)• 都営西台一丁目アパート(西台 1-21、1997 - 2005 年)• 都営西台四丁目アパート(西台 4-4、1993年)• 都営西台二丁目アパート(西台 2-14、2001年)• 都営赤塚六丁目アパート(赤塚 6-20、1988年)• 都営赤塚六丁目第2アパート(赤塚 6-8、1991年)• 都営前野町一丁目アパート(前野町 1-41、1970 - 1971 年)• 都営前野町一丁目第2アパート(前野町 1-7、1994年)• 都営前野町二丁目アパート(前野町 2-26、1976年)• 都営前野町三丁目アパート(前野町 3-19、1969 - 1971 年)• 都営前野町第2アパート(前野町 4-15、1954年)• 都営前野町四丁目アパート(前野町 4-25、1969 - 1970 年)• 都営前野町四丁目第2アパート(前野町 4-36、1973年)• 都営前野町四丁目第3アパート(前野町 4-9、1992年)• 都営前野町四丁目第4アパート(前野町 4-40、1995年)• 都営前野町四丁目第5アパート(前野町 4-15、2007年)• 都営前野町五丁目アパート(前野町 5-25、1973年)• 都営前野町五丁目第2アパート(前野町 5-13、1979年)• 都営前野町五丁目第3アパート(前野町 5-18、1981年)• 都営前野町五丁目第4アパート(前野町 5-36、1985 - 1987 年)• 都営前野町五丁目第5アパート(前野町 5-50、1961年)• 都営前野町六丁目アパート(前野町 6-31、1973 - 1975 年)• 都営前野町六丁目第2アパート(前野町 6-51、1978年)• 都営前野町六丁目第3アパート(前野町 6-53、1983年)• 都営前野町六丁目第4アパート(前野町 6-13、1992年)• 都営双葉町アパート(双葉町 31-2、1963 - 1964 年)• 都営双葉町第2アパート(双葉町 18-2、1988 - 1992 年)• 都営相生町アパート(相生町 24-1、1973年)• 都営相生町第2アパート(相生町 8-15、1985年)• 都営大山西町アパート(大山西町 21-1、1959 - 1961 年)• 都営大山西町第2アパート(大山西町 18-5、1989年)• 都営大谷口二丁目アパート(大谷口 2-38、1987 - 1989 年)• 都営大谷口北町アパート(大谷口北町 60-1、1989年)• 都営大谷口北町第2アパート(大谷口北町 30-9、1992年)• 都営第2舟渡二丁目アパート(舟渡 2-17、1967 - 1969 年)• 都営第2長後町アパート(坂下 2-17、1960 - 1961 年)• 都営第2板橋富士見町アパート(富士見町 27-3、1963 - 1967 年)• 都営第3板橋富士見町アパート(富士見町 26-1、1964 - 1966 年)• 都営第4板橋富士見町アパート(富士見町 24-17、1976年)• 都営中台アパート(相生町 23-7、1961 - 1962 年)• 都営仲宿アパート(仲宿 24-4、1990年)• 都営長後町アパート(坂下 1-37、1959年)• 都営東坂下二丁目アパート(東坂下 2-9、1974年)• 都営徳丸二丁目アパート(徳丸 2-23、1975年)• 都営南常盤台二丁目第2アパート(南常盤台 2-9、1988年)• 都営板橋栄町アパート(栄町 12-2、1969年)• 都営板橋栄町第2アパート(栄町 16-7、1994年)• 都営板橋清水町アパート(清水町 91-1、2004年)• UR 板橋一丁目団地(板橋 市街地住宅 賃貸42 1959年)• 都営板橋二丁目第2アパート(板橋 2-3、1994年)• 都営板橋富士見町アパート(富士見町 20-1、1960 - 1962 年)• 都営板橋本町アパート(本町 8-1、1971 - 1978 年)• 都営氷川町アパート(氷川町 23-1、1967 - 1968 年)• 日本住宅公団 (蓮根 2-28〜2-30、1957年)• 八王子市の都市再生機構(UR)都市住宅技術研究所内に、2DK55型住居として復元されている。 都営蓮根三丁目アパート(蓮根 3-15、1975年)• 都営蓮根三丁目第2アパート(蓮根 3-6、1976 - 1978 年)• 都営蓮根三丁目第3アパート(蓮根 3-16、1995年)• UR 新蓮根団地(蓮根 2-28〜2-30、1991 - 1993 年)• 蓮根団地老朽化による建て替え。 東京都住宅供給公社向原住宅 : 向原団地(公社向原団地 - 昭和34年:東京都板橋区・東京都市計画事業(一団地の住宅施設)、向原第2団地 - 昭和43年:東京都板橋区・東京都市計画事業(一団地の住宅施設)• 都営板橋向原一丁目アパート(向原 1-6、1992年) 企業 [ ] が多く町が多い。 販売小売業も日用雑貨品を扱う事業が多くの街である。 スパイスセンター(本社事務所、宮本町。 登記上の本社は)• (東京本部、前野町)• (本社、前野町)-2016年1月に大田区に移転• (東京製造所、舟渡)• (蓮根事業所。 臨床開発、信頼性保証部門)• (本社、常盤台)• (本社、成増)• (本社、坂下)• (本社、蓮沼町)• (本社、前野町)• (工場、志村)• (東京工場、登記上の本店。 本社は東京都中央区)• (本社、志村)• (本社、上板橋。 その他各店舗)• (本社、志村)• (本社、小豆沢)• (本社、本町)• (本社、清水町)• (本社、中板橋)• (十条センター、加賀)• (志村事業所及びアンチドーピングラボラトリー、志村; 治験センター、清水町; 食品検査動物検査センター、小豆沢)• (本社、舟渡)• (本社、大山東町。 その他各店舗)• (本社、熊野町)• (本社、大原町)• (本社、志村)• (本社、大原町)• (本社、弥生町) スポーツチーム [ ]• ゆかりの人物 [ ]• 櫻田慧(創始者:1号店は板橋区成増)• (区内で学習塾を経営:後、区内を選挙地盤としている)• (妻、とともに劇団樹間舎を区内で旗揚げ)• (作曲家:在住歴あり)• (区内在住の縁からでコミュニティ番組を担当) 著名な出身者 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2013年7月)• 政治家• :大原町• 実業家• 現代美術家• ワークショップクリエイター• 漫画家• :小豆沢• :高島平(出身は)• :赤塚• :大原町• アニメーター• 映画監督• キャスター• アナウンサー• (フリーアナウンサー)• (フリーアナウンサー)• 弁護士• :赤塚• アイドル• (元)• (元):高島平• (元、現ソロ)• (元、、現ソロ):蓮根• (AKB48)• :志村高校• :板橋第三中学校• :北園高校• :北園高校• :蓮根、志村第五中学校• タレント• :高島平• ():常盤台• :大山• スポーツ選手• (元)• (元プロ野球選手)• (元プロ野球選手)• (JリーグDF):西台• (JリーグMF):板橋• (バレーボール選手):高島平• - プロ(・所属):• (プロレスラー)• (プロ野球選手)• (プロボクサー)• (プロボクサー)• 音楽 歌手• :成増(出生地)• (兼声優)• (ラッパー、DJ)• 喜矢武豊() 作曲家• プロデューサー• 狂言師• :東新町• モデル• () 所縁のある作品 [ ]• 乳房榎は赤塚の松月院にあった。 : ・に連載されていた(連載時・ - )原作のちょっと変ったで「あかつか探偵事務所」の事務所がにある。 に化され、東武東上本線の下赤塚駅周辺でロケが行われた。 : 漫画。 主人公の志村ケン太が通う小学校が「板橋区志村小学校」• : 連続ドラマ。 仲宿商店街、志村などでほぼ毎回ロケが行われた。 : 漫画、アニメ。 物語は東武東上本線の成増駅周辺が舞台になっている。 : 漫画、アニメ。 物語は東武東上本線の成増駅周辺が舞台になっている。 : 漫画、アニメ。 物語は東武東上本線の成増駅周辺が舞台になっている。 板橋の歌 [ ]• 板橋音頭• 板橋区町会連合会の唄• 板橋区町会連合会音頭• 板橋音頭行進曲• 愛するふるさと• みどりの一里塚• 板橋二輪草音頭• 舞い上がれITABASHI 脚注 [ ] [].

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住居表示実施証明書|板橋区公式ホームページ

板橋 区 清水 町 郵便 番号

汎称地名としての板橋 [ ] 「板橋」は、旧中山道宿場などの歴史的地名・橋梁名・駅名・東京都の自治体名でもあるため、様々な意味合いで用いられる汎称地名である。 時代により指し示す地域が異なる。 中山道の整備・宿駅伝馬制度確立(江戸時代初期)以前についてはを参照。 中山道の宿場時代(江戸時代)についてはを参照。 旧中山道の橋梁についてはを参照。 鉄道の駅についてはを参照。 東京都の自治体としての板橋についてはを参照。 の板橋区発足時点で、旧板橋町大字下板橋地域を再編して命名された行政地名の(旧)板橋町一丁目〜十丁目は、現在の板橋一丁目〜四丁目とは異なる地域を指している。 (旧)板橋町一丁目は現在の板橋一丁目〜二丁目、(旧)板橋町二丁目は現在の、など、(旧)板橋町三丁目は現在の熊野町、中丸町、南町など、(旧)板橋町四丁目は現在の幸町、大山西町などに相当する。 板橋は自治体名であるため、現代においてはこの地域を代表する地名としての使われ方もされている。 企業の支店名などで、志村、上板橋、赤塚地域に立地している場合でも「板橋」を名乗る事例が見られる。 地理 [ ] 板橋区南東部に位置する。 北でおよび、東で、南島で、南で豊島区、西で、およびと隣接する。 東辺をもって板橋区 - 北区境、南辺をもって板橋区 - 豊島区境を形成する。 町域中央部を()、東辺を(通称)、西辺を(山手通り)が通じ、板橋四丁目北東部をが流れている。 町域はをはじめ多くの官公署が立地しているほか、民間企業事務所、住宅地として利用されている。 河川 [ ]• 谷端川(暗渠)• 歴史 [ ] 実施前は、瀧野川村、および金井窪村の各一部地域。 中山道板橋宿のうち、江戸市中に最も近い地域であり、が分岐する「平尾の追分」が置かれていた。 沿革 [ ]• (初期):観明寺が創建されたと伝えられる。 (7年):の命によりが整備され、伝馬制度により板橋宿が中山道の江戸日本橋側より最初の宿場として設置される。 1602年(慶長7年):加賀藩・前田利光(後の)の江戸入府に伴い、当地での出迎えを受ける。 (慶長9年):中山道に、起点二里地点を示す平尾が造られる。 (12年):参勤交代制が実施され、加賀藩などおよそ30の藩が中山道を用いて江戸入府を行うようになる。 (寛永16年):川越城主の命により、川越街道が中山道として整備され、当地に平尾追分が置かれる。 (7年):加賀藩主・主前田綱紀が、幕府より現在の加賀一丁目・二丁目および板橋三丁目・四丁目一部地域の土地を拝領し、およそ6万坪に及ぶ下屋敷とする。 最盛期にはおよそ21万坪に達した。 (9年):が開削される。 (4年):で局長が流山で捕えられ、官軍総督府が置かれていた板橋宿に身柄を送られる。 平尾宿脇本陣(豊田家)におよそ20日間拘留されたのち、現在ので斬首される。 (4年):からに編入。 (明治5年):伝馬・宿駅制度廃止。 板橋郵便取扱所(現・)開設。 (明治7年):第九大区四、五小巡査屯所開設。 、に改称。 (明治11年):によりが設置され、東京府北豊島郡下板橋宿、瀧野川村、金井窪村となる。 北豊島郡役場が当地に開設される。 (明治17年):旧板橋宿大火により、現在の本町・仲宿地域の建屋がほぼ全焼したことを受けて、旧平尾宿の当地域に商店・遊郭などの移転が行われる。 (明治18年):により--間路線が開通する。 に国有化、にとなる。 (明治21年):王子新道が東京府初の府道として開通する。 (明治22年):施行により下板橋宿は滝野川村・金井窪村・中丸村を併合し、板橋町が発足する。 当地は東京府北豊島郡板橋町大字下板橋・大字滝野川・大字金井窪となる。 1909年(明治42年)12月:国有鉄道(当時は鉄道院管轄)山手線電化、電車の運行が始まる。 この時、山手線の運転系統が烏森(現・)-品川-新宿---間および池袋-赤羽間に改められ、板橋駅は区間運転部分に編入される。 (3年):-(たのもざわ。 現在の)間開通、板橋町大字滝野川に開業。 東上鉄道は当初、下板橋-大塚辻町(現在の四丁目、付近)の路線を計画していたが、東京市の意向により実現に至らなかった。 現在でも東武東上線の起点標(0キロポスト)は当時の駅の位置にある。 (大正7年):板橋乗合自動車(後に東都乗合自動車を経て、戦後はに統合)が巣鴨駅-板橋駅間の路線を開設、現在の板橋区内での最初の路線バスの運行を開始する。 には、板橋駅から志村兵器庫前(現在の北区、付近)まで路線を延長する。 (大正12年):王子(王志とも)乗合自動車商会(後に中山道乗合自動車を経て、戦後は国際興業バスに統合)が、王子駅-板橋役場-志村戸田橋間の路線バス事業を開始する。 1924年〜(大正14年):山手線池袋-赤羽間の複線化工事が行われる。 (大正15年):北豊島郡役場廃止。 (2年)~:中山道の新道()敷設工事実施。 (昭和3年):東京府立第九中学校(現・)開校。 1928年(昭和3年):現在の町域地区の千川上水が暗渠化される。 (昭和4年)5月:により、巣鴨車庫-下板橋間の路面電車(市電板橋線)開通。 板橋郵便局前(後の板橋駅前)および下板橋停留場開設。 下板橋--水道橋-大手町-日比谷間の旧24系統が運行を開始する。 (昭和4年):電化。 (昭和7年):東京府内市郡併合による発足に伴い、東京府板橋区(旧)板橋町一・二・五・六・八丁目となる(、東京都制施行)。 、板橋消防署開設。 (昭和10年):複線化に伴い、下板橋駅が現在の四丁目に移転する。 (昭和15年):現在の(山手通り)開通。 (昭和18年):遊郭新藤楼が廃業し、板橋遊郭が消滅する。 (昭和19年):都電系統改正に伴い、18系統・下板橋--春日町(当時は、現・)-神田橋の運転に改められる。 (昭和19年):都電板橋線を延伸する形で、が志村(後の志村坂上)まで開通する。 下板橋停留場廃止、板橋町五丁目および板橋区役所前停留場開設。 18系統は志村--春日町-神田橋の運転となり、の志村橋延伸時に41系統・巣鴨車庫-志村坂上-志村橋が追加された。 (昭和20年):によるを受ける。 (昭和37年):が河川廃止され、暗渠化される。 (昭和40年):実施により、(旧)板橋町一・二・五・六・八丁目が(新)板橋一丁目〜四丁目に再編される。 (昭和41年):都電志村線廃止(最終運行日)。 翌日から1968年12月31日までの間、代替志村車庫-巣鴨駅、志村車庫-板橋駅通り(都電板橋駅前停留場の位置)が運転される。 (昭和43年):開通、および開業。 (昭和47年):国鉄が赤羽線を正式線路名称とする。 (昭和52年): - 間開通。 (昭和53年):・共同運行の東55系統・都営志村車庫 - 板橋駅通り - 巣鴨駅 - 東大赤門前 - 北口が廃止され、中山道の板橋区役所 - 西巣鴨間を運行する路線バスが消滅する。 (昭和61年):東武東上線の貨物営業廃止。 (11年):板橋駅の貨物取扱廃止。 (平成14年):王子線開通、開設。 地名の由来 [ ] 区内を流れるにかかる橋、「」が地名の由来。 記録によれば、約800年前のから地名として使われている。 経済 [ ] 産業 [ ] 商工業者• 手島豊太郎(米穀商) 地主 [ ] 板橋のは「松村孫兵衛、松村万三郎、手島金次郎 、手島源太郎 、手島五郎 、手島助太郎 、手島八郎 」などがいた。 世帯数と人口 [ ] (平成29年)現在の世帯数と人口は以下の通りである。 板橋一丁目 4,623世帯 7,317人 板橋二丁目 3,664世帯 5,615人 板橋三丁目 3,137世帯 5,453人 板橋四丁目 3,053世帯 4,888人 計 14,477世帯 23,273人 小・中学校の学区 [ ] 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 丁目 番地 小学校 中学校 板橋一丁目 全域 板橋二丁目 39~42番 その他 板橋三丁目 44~65番 その他 板橋区立板橋第四小学校 板橋区立板橋第五中学校 板橋四丁目 全域 交通 [ ] 鉄道 [ ]• (JR東日本)• (): 全列車が停車する。 下り:・・方面 まで直通運転。 上り:・・方面 経由でまで直通運転。 板橋駅の所在地は駅事務室のある板橋一丁目とされているが、構内は・・北区滝野川にまたがって設置されている。 :・ 全列車が停車する。 南行:・・方面 経由でまで直通運転。 北行:・方面• :(現在は豊島区池袋本町四丁目に所在) 各駅停車のみ。 上り:方面• 下り:・・方面 バス [ ]• 板橋駅・板橋一丁目・板橋四丁目:王22 帝京大学病院経由 行き・板橋駅行き• 板橋区役所・大山東町(旧称:板橋電話局前):池20 高島平操車場行き・西口行き。 池21:舟渡町経由行き・池袋駅西口行き• (参考・運行休止路線)• 板橋NTT前:夜行高速バス 南口・太閤通口・八条口経由なんばOCAT行き。 2004年4月に運行を開始したが、2005年9月1日に休止された。 道路 [ ]• (山手通り) 施設 [ ]• 板橋年金事務所• 板橋区立板橋第二小学校• 板橋区立板橋第四小学校• 板橋区立板橋第五中学校• 南板橋公園• 谷端川児童遊園:に暗渠化された旧流路上に整備された遊歩道公園。 「一の橋」と記された石造り欄干が遺されている。 池袋方面からの「下り谷」を流れてくる支流と、この橋の付近で合流していた。 日本福音ルーテル板橋教会• 子易神社• 東光院• 観明寺 史跡 [ ] この節のが望まれています。 出身・ゆかりのある人物 [ ]• (地主、東京市会議員)• (地主、質商、板橋町長)• (地主、板橋区会議員、松村機械製作所社長) 脚注 [ ] []• 板橋区 2017年12月1日. 2017年12月11日閲覧。 2017年12月11日閲覧。 総務省. 2017年12月11日閲覧。 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、、1991年再版、P795• 『いたばしの地名』、1995年、P189-190• www. city. itabashi. tokyo. 2018年4月3日閲覧。 たとえば、旧志村前野町に立地する「イオンスタイル板橋前野町店」、志村一丁目に立地する「凸版印刷板橋工場」、舟渡四丁目に立地する「日本金属板橋工場」など。 斬首場所は「板橋刑場」と言われているが、近藤の処刑以外に当地が刑場として使用されたことを示す資料は遺されていない。 鈴ヶ森・小塚原などの幕府公認の常設刑場ではなかった可能性もある。 板橋区ホームページ• 東武東上線下板橋駅とは位置が異なる。 「日本鉄道旅行地図帳 5号 東京」(新潮社・2008年)41頁• 「日本鉄道旅行地図帳 5号 東京」(新潮社・2008年)41頁• 現場ではそれ以前より通称として用いられていた。 に開業した「」も、路線案内用の通称である。 2019年4月8日閲覧。 板橋区 2017年7月31日. 2017年12月11日閲覧。 NHK総合テレビ「ブラタモリ 池袋・巣鴨」2011年1月27日放送。 他に、豊島区西池袋一丁目の「」を池袋の由来とする説がある。 イ112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。 2019年2月17日閲覧。 マ112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。 2019年2月17日閲覧。 参考文献 [ ]• 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。 関連項目 [ ]• - -• 外部リンク [ ]•

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東京都板橋区の地名と郵便番号一覧

板橋 区 清水 町 郵便 番号

汎称地名としての板橋 [ ] 「板橋」は、旧中山道宿場などの歴史的地名・橋梁名・駅名・東京都の自治体名でもあるため、様々な意味合いで用いられる汎称地名である。 時代により指し示す地域が異なる。 中山道の整備・宿駅伝馬制度確立(江戸時代初期)以前についてはを参照。 中山道の宿場時代(江戸時代)についてはを参照。 旧中山道の橋梁についてはを参照。 鉄道の駅についてはを参照。 東京都の自治体としての板橋についてはを参照。 の板橋区発足時点で、旧板橋町大字下板橋地域を再編して命名された行政地名の(旧)板橋町一丁目〜十丁目は、現在の板橋一丁目〜四丁目とは異なる地域を指している。 (旧)板橋町一丁目は現在の板橋一丁目〜二丁目、(旧)板橋町二丁目は現在の、など、(旧)板橋町三丁目は現在の熊野町、中丸町、南町など、(旧)板橋町四丁目は現在の幸町、大山西町などに相当する。 板橋は自治体名であるため、現代においてはこの地域を代表する地名としての使われ方もされている。 企業の支店名などで、志村、上板橋、赤塚地域に立地している場合でも「板橋」を名乗る事例が見られる。 地理 [ ] 板橋区南東部に位置する。 北でおよび、東で、南島で、南で豊島区、西で、およびと隣接する。 東辺をもって板橋区 - 北区境、南辺をもって板橋区 - 豊島区境を形成する。 町域中央部を()、東辺を(通称)、西辺を(山手通り)が通じ、板橋四丁目北東部をが流れている。 町域はをはじめ多くの官公署が立地しているほか、民間企業事務所、住宅地として利用されている。 河川 [ ]• 谷端川(暗渠)• 歴史 [ ] 実施前は、瀧野川村、および金井窪村の各一部地域。 中山道板橋宿のうち、江戸市中に最も近い地域であり、が分岐する「平尾の追分」が置かれていた。 沿革 [ ]• (初期):観明寺が創建されたと伝えられる。 (7年):の命によりが整備され、伝馬制度により板橋宿が中山道の江戸日本橋側より最初の宿場として設置される。 1602年(慶長7年):加賀藩・前田利光(後の)の江戸入府に伴い、当地での出迎えを受ける。 (慶長9年):中山道に、起点二里地点を示す平尾が造られる。 (12年):参勤交代制が実施され、加賀藩などおよそ30の藩が中山道を用いて江戸入府を行うようになる。 (寛永16年):川越城主の命により、川越街道が中山道として整備され、当地に平尾追分が置かれる。 (7年):加賀藩主・主前田綱紀が、幕府より現在の加賀一丁目・二丁目および板橋三丁目・四丁目一部地域の土地を拝領し、およそ6万坪に及ぶ下屋敷とする。 最盛期にはおよそ21万坪に達した。 (9年):が開削される。 (4年):で局長が流山で捕えられ、官軍総督府が置かれていた板橋宿に身柄を送られる。 平尾宿脇本陣(豊田家)におよそ20日間拘留されたのち、現在ので斬首される。 (4年):からに編入。 (明治5年):伝馬・宿駅制度廃止。 板橋郵便取扱所(現・)開設。 (明治7年):第九大区四、五小巡査屯所開設。 、に改称。 (明治11年):によりが設置され、東京府北豊島郡下板橋宿、瀧野川村、金井窪村となる。 北豊島郡役場が当地に開設される。 (明治17年):旧板橋宿大火により、現在の本町・仲宿地域の建屋がほぼ全焼したことを受けて、旧平尾宿の当地域に商店・遊郭などの移転が行われる。 (明治18年):により--間路線が開通する。 に国有化、にとなる。 (明治21年):王子新道が東京府初の府道として開通する。 (明治22年):施行により下板橋宿は滝野川村・金井窪村・中丸村を併合し、板橋町が発足する。 当地は東京府北豊島郡板橋町大字下板橋・大字滝野川・大字金井窪となる。 1909年(明治42年)12月:国有鉄道(当時は鉄道院管轄)山手線電化、電車の運行が始まる。 この時、山手線の運転系統が烏森(現・)-品川-新宿---間および池袋-赤羽間に改められ、板橋駅は区間運転部分に編入される。 (3年):-(たのもざわ。 現在の)間開通、板橋町大字滝野川に開業。 東上鉄道は当初、下板橋-大塚辻町(現在の四丁目、付近)の路線を計画していたが、東京市の意向により実現に至らなかった。 現在でも東武東上線の起点標(0キロポスト)は当時の駅の位置にある。 (大正7年):板橋乗合自動車(後に東都乗合自動車を経て、戦後はに統合)が巣鴨駅-板橋駅間の路線を開設、現在の板橋区内での最初の路線バスの運行を開始する。 には、板橋駅から志村兵器庫前(現在の北区、付近)まで路線を延長する。 (大正12年):王子(王志とも)乗合自動車商会(後に中山道乗合自動車を経て、戦後は国際興業バスに統合)が、王子駅-板橋役場-志村戸田橋間の路線バス事業を開始する。 1924年〜(大正14年):山手線池袋-赤羽間の複線化工事が行われる。 (大正15年):北豊島郡役場廃止。 (2年)~:中山道の新道()敷設工事実施。 (昭和3年):東京府立第九中学校(現・)開校。 1928年(昭和3年):現在の町域地区の千川上水が暗渠化される。 (昭和4年)5月:により、巣鴨車庫-下板橋間の路面電車(市電板橋線)開通。 板橋郵便局前(後の板橋駅前)および下板橋停留場開設。 下板橋--水道橋-大手町-日比谷間の旧24系統が運行を開始する。 (昭和4年):電化。 (昭和7年):東京府内市郡併合による発足に伴い、東京府板橋区(旧)板橋町一・二・五・六・八丁目となる(、東京都制施行)。 、板橋消防署開設。 (昭和10年):複線化に伴い、下板橋駅が現在の四丁目に移転する。 (昭和15年):現在の(山手通り)開通。 (昭和18年):遊郭新藤楼が廃業し、板橋遊郭が消滅する。 (昭和19年):都電系統改正に伴い、18系統・下板橋--春日町(当時は、現・)-神田橋の運転に改められる。 (昭和19年):都電板橋線を延伸する形で、が志村(後の志村坂上)まで開通する。 下板橋停留場廃止、板橋町五丁目および板橋区役所前停留場開設。 18系統は志村--春日町-神田橋の運転となり、の志村橋延伸時に41系統・巣鴨車庫-志村坂上-志村橋が追加された。 (昭和20年):によるを受ける。 (昭和37年):が河川廃止され、暗渠化される。 (昭和40年):実施により、(旧)板橋町一・二・五・六・八丁目が(新)板橋一丁目〜四丁目に再編される。 (昭和41年):都電志村線廃止(最終運行日)。 翌日から1968年12月31日までの間、代替志村車庫-巣鴨駅、志村車庫-板橋駅通り(都電板橋駅前停留場の位置)が運転される。 (昭和43年):開通、および開業。 (昭和47年):国鉄が赤羽線を正式線路名称とする。 (昭和52年): - 間開通。 (昭和53年):・共同運行の東55系統・都営志村車庫 - 板橋駅通り - 巣鴨駅 - 東大赤門前 - 北口が廃止され、中山道の板橋区役所 - 西巣鴨間を運行する路線バスが消滅する。 (昭和61年):東武東上線の貨物営業廃止。 (11年):板橋駅の貨物取扱廃止。 (平成14年):王子線開通、開設。 地名の由来 [ ] 区内を流れるにかかる橋、「」が地名の由来。 記録によれば、約800年前のから地名として使われている。 経済 [ ] 産業 [ ] 商工業者• 手島豊太郎(米穀商) 地主 [ ] 板橋のは「松村孫兵衛、松村万三郎、手島金次郎 、手島源太郎 、手島五郎 、手島助太郎 、手島八郎 」などがいた。 世帯数と人口 [ ] (平成29年)現在の世帯数と人口は以下の通りである。 板橋一丁目 4,623世帯 7,317人 板橋二丁目 3,664世帯 5,615人 板橋三丁目 3,137世帯 5,453人 板橋四丁目 3,053世帯 4,888人 計 14,477世帯 23,273人 小・中学校の学区 [ ] 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 丁目 番地 小学校 中学校 板橋一丁目 全域 板橋二丁目 39~42番 その他 板橋三丁目 44~65番 その他 板橋区立板橋第四小学校 板橋区立板橋第五中学校 板橋四丁目 全域 交通 [ ] 鉄道 [ ]• (JR東日本)• (): 全列車が停車する。 下り:・・方面 まで直通運転。 上り:・・方面 経由でまで直通運転。 板橋駅の所在地は駅事務室のある板橋一丁目とされているが、構内は・・北区滝野川にまたがって設置されている。 :・ 全列車が停車する。 南行:・・方面 経由でまで直通運転。 北行:・方面• :(現在は豊島区池袋本町四丁目に所在) 各駅停車のみ。 上り:方面• 下り:・・方面 バス [ ]• 板橋駅・板橋一丁目・板橋四丁目:王22 帝京大学病院経由 行き・板橋駅行き• 板橋区役所・大山東町(旧称:板橋電話局前):池20 高島平操車場行き・西口行き。 池21:舟渡町経由行き・池袋駅西口行き• (参考・運行休止路線)• 板橋NTT前:夜行高速バス 南口・太閤通口・八条口経由なんばOCAT行き。 2004年4月に運行を開始したが、2005年9月1日に休止された。 道路 [ ]• (山手通り) 施設 [ ]• 板橋年金事務所• 板橋区立板橋第二小学校• 板橋区立板橋第四小学校• 板橋区立板橋第五中学校• 南板橋公園• 谷端川児童遊園:に暗渠化された旧流路上に整備された遊歩道公園。 「一の橋」と記された石造り欄干が遺されている。 池袋方面からの「下り谷」を流れてくる支流と、この橋の付近で合流していた。 日本福音ルーテル板橋教会• 子易神社• 東光院• 観明寺 史跡 [ ] この節のが望まれています。 出身・ゆかりのある人物 [ ]• (地主、東京市会議員)• (地主、質商、板橋町長)• (地主、板橋区会議員、松村機械製作所社長) 脚注 [ ] []• 板橋区 2017年12月1日. 2017年12月11日閲覧。 2017年12月11日閲覧。 総務省. 2017年12月11日閲覧。 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、、1991年再版、P795• 『いたばしの地名』、1995年、P189-190• www. city. itabashi. tokyo. 2018年4月3日閲覧。 たとえば、旧志村前野町に立地する「イオンスタイル板橋前野町店」、志村一丁目に立地する「凸版印刷板橋工場」、舟渡四丁目に立地する「日本金属板橋工場」など。 斬首場所は「板橋刑場」と言われているが、近藤の処刑以外に当地が刑場として使用されたことを示す資料は遺されていない。 鈴ヶ森・小塚原などの幕府公認の常設刑場ではなかった可能性もある。 板橋区ホームページ• 東武東上線下板橋駅とは位置が異なる。 「日本鉄道旅行地図帳 5号 東京」(新潮社・2008年)41頁• 「日本鉄道旅行地図帳 5号 東京」(新潮社・2008年)41頁• 現場ではそれ以前より通称として用いられていた。 に開業した「」も、路線案内用の通称である。 2019年4月8日閲覧。 板橋区 2017年7月31日. 2017年12月11日閲覧。 NHK総合テレビ「ブラタモリ 池袋・巣鴨」2011年1月27日放送。 他に、豊島区西池袋一丁目の「」を池袋の由来とする説がある。 イ112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。 2019年2月17日閲覧。 マ112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。 2019年2月17日閲覧。 参考文献 [ ]• 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。 関連項目 [ ]• - -• 外部リンク [ ]•

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