小野 照 崎 神社 御朱印。 小野照崎神社(東京)のアクセス方法やご利益情報

下谷坂本富士

小野 照 崎 神社 御朱印

おみくじも可愛らしく 繭に「ふくろう」の絵柄が描かれていて、 中におみくじが仕込んであります。 それにしても、 何で絵馬の絵柄が文鳥なんだろう? と疑問に思い、神主にお話を伺いました。 「文鳥の「文(ふみ)」が学問を表すという意味で、学芸絵馬が文鳥の絵柄なのです。 」 なるほど、納得! せっかくなので、御朱印も頂きました。 小野照崎神社• 住所:東京都台東区下谷2丁目13-14• 電話番号:03-6802-8572• ご祈祷:9時~16時30分(ご参拝は24時間可能)• 定休日:年中無休• アクセス:東京メトロ日比谷線 入谷駅 4番出口より徒歩3分・JR鶯谷駅 南口より徒歩7分• 公式サイト:• Googleマップ:.

次の

下谷坂本富士

小野 照 崎 神社 御朱印

小野照崎神社は、東京の下町入谷にあります。 平安初期の歌人である小野篁公や学問の神様、菅原道真公を祀っています。 芸能お守りを売っている神社でもあり、芸能人も頻繁に参拝に訪れます。 また、名俳優の渥美清さんと深い関わりがあるパワースポットです。 渥美清さんが若いころ、仕事がなくて売れていない時代がありました。 その当時、ある友人に「おれは才能があるのになぜ売れないんだろう?」と言ったそうです。 すると、その友人が人生では何か欲しいと思ったら何かを削って我慢しないとダメだということを話したんだそうです。 そこで、渥美清さんは、自分に取って何を我慢するのが辛いことなのかを考えてそうです。 当時、渥美さんは、凄いヘビースモーカーで一日に何箱もタバコを吸っていたので、それを我慢することが自分にとって辛いことだと解りました。 それで渥美さんは、この小野照崎神社に参拝して「今後一生タバコを吸わないので仕事を下さい!」という願掛けをされたんだそうです。 その願掛けの後に家に帰ったら、「寅さんと言う役をやらないか?」と言うオファーの電話があたんだそうです。 こうして渥美さんは「男はつらいよ」の主人公をライフワークとして演じ続けて、歴史に残る名優となったと言う話です。 その願掛け通り、渥美さんはその後、亡くなるまで一回もタバコを吸わなかったそうです。 この話の内容をもし実行しようとしたら、自分の大事なのもを知る一つのキッカケになるでしょう。 また毎年5月には一年に一度の大きなお祭りが行われ、大きな掛け声と共に入谷の町を神輿が激しく練り歩きます。 この神社は縁結び、仕事運、勝負運、厄除け、商売繁盛、金運等の幅広いご利益があります。

次の

神のやしろを想う 東京の神社御朱印帳

小野 照 崎 神社 御朱印

御由緒 江戸やその近郊には数多くの富士塚が残る。 富士塚とは、富士山を信仰する富士講の隆盛に伴い、誰でも簡単に富士登拝ができるようにということから、富士山を模して造った人工の塚である。 富士山のお山開きが行われる7月1日には、富士講の人々が富士塚に登拝した。 かつては五十余の富士塚があったというが、失われたり、原形を留めていないものが多い。 境内の下谷坂本富士は、入谷東講(富士講の一つ)の先達であった山本善光が講元の大坂屋甚助と図り、賛助を募って富士塚を築いた。 高さ約5メートル、直径約16メートルで、富士山から運ばれた溶岩で覆われている。 原形をよく留めていることから、昭和54年(1979)国の重要有形民俗文化財に指定された。 現在、普段は立ち入ることはできないが、お山開きの行われる6月30日・7月1日には開放され、一般の人も登拝することができる。 補足 現存する富士塚のうち、国の重要有形民俗文化財に指定されているのは、下谷坂本富士のほか、豊島長崎富士(高松富士、豊島区長崎の富士浅間神社)、江古田富士(練馬区小竹町の)、木曽呂の富士塚(埼玉県川口市東内野)である。 御朱印 普段の様子 メモ お山開きの期間のみ、「下谷坂本富士お山開き」の御朱印が授与される。 浅間神社の御朱印という位置づけではないのかも知れないが、富士塚自体が末社・浅間神社なので、タイトルは浅間神社に。 御朱印は書き置きでの対応のようである。 ところが、7月1日の昼過ぎに参拝したのだが、すでに全部出てしまっていた。 来年と言われても、来ることができるか否かわからないので、何とかならないかとお願いしたところ、夕方、忙しさが一段落した頃に再度来てもらえば対応してもらえることに。 それで、午後6時過ぎに再訪し、無事に御朱印帳に拝受できたのだが、その時間でも次々参拝者が来ていた。 今は周囲の建物の方が高くなっているため、それほど感動はないのだが、それでも小野照崎神社の本殿より高いぐらいなので、昔はかなり見晴らしがよかったのではないだろうか。 それにしても、これだけの築山を覆う溶岩を、わざわざ富士山から運んでくるというのも容易なことではなかったはず。 そんなことも考えながら登ってみれば、昔の人の気持ちに近づけるような気がする。

次の