おうか わか こ。 おう

縦横家(じゅうおうか)とは

おうか わか こ

[動ワ五(ハ四)]• 1 背中や肩にのせる。 背負う。 2 身に受ける。 また、自分で引き受ける。 かぶる。 3 傷を受ける。 4 お陰をこうむる。 5 後ろに位置させる。 背景とする。 6 借金する。 7 名としてもつ。 名前に適合する。 8 ふさわしいさまである。 適応する。 ㋐先に進むものに行き着こうとして急ぐ。 あとをついて行く。 追いかける。 ㋑目標となるものに至り着こうとする。 また、あるものを得ようとする。 追い求める。 ㋐順序に従って進む。 ㋑時間が経過するのに従って変化する。 3 無理にその場所・地位などを去らせる。 追い払う。 追い立てる。 4 (「…に追われる」の形で)せきたてられて余裕のない状態である。 5 せきたてて先に進ませる。 6 目的の場所を目ざして進む。 7 貴人の行列の先払いをする。 先追う。

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(著者詳細情報)和歌山 静子(わかやましずこ)

おうか わか こ

中国,戦国時代()のの一つ。 他の諸派のような一定の主義・主張を持つものではなく,弁舌と野望をもって戦国時代の各国の的駆け引きに奔走した策士たちの総称であるから,思想史上にみるべき貢献をしたものではない。 最も有名なのは蘇秦〔?-前317〕と張儀〔?-前310か前309〕である。 戦国末に七国(戦国の七雄)が台頭した時期にあたり,蘇秦は秦以外の東方の六国にむけて,秦に対抗して縦(南北)に同盟する(これを合従 がっしょう という)ことを提案した。 一方,張儀は西の秦と東方の六国を横(東西)に個々に連ね(これを連衡という),やがて秦に吸収する策を論じた。 この策にちなんで家の呼び名が生じた。 この2人の名声によって,その流儀に従う策士が輩出し,間を往来して,あるいは君主に仕えてを尽くしたが,六国はこうした外交的駆け引きのなかで衰退にむかって秦のによる統一(前221年)にいたり,策士たちも互いに排斥しあうなどして活躍の舞台を失っていった。 〈しょうおうか〉ともいう。 〈縦横〉とは,戦国期の蘇秦の合従(がつしよう)策 約従(やくしよう),従親(しようしん)とも と張儀の連衡(れんこう)策で知られた〈従(たて) 南北系 〉と〈衡(よこ) 東西系 〉の国際同盟を唱える外交策のこと。 《韓非子》五蠹(ごと)にその内容を伝える。 国際,国内の情勢変化を洞察して国君を遊説し,巧妙な弁説で権勢を動かしたこの外交上の策謀は,〈従横長短〉〈従横捭闔(はいこう)〉と呼ばれ,連合,離間,和戦の交渉を通じて戦国諸侯の政権や国益を左右した。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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(著者詳細情報)和歌山 静子(わかやましずこ)

おうか わか こ

中国,戦国時代()のの一つ。 他の諸派のような一定の主義・主張を持つものではなく,弁舌と野望をもって戦国時代の各国の的駆け引きに奔走した策士たちの総称であるから,思想史上にみるべき貢献をしたものではない。 最も有名なのは蘇秦〔?-前317〕と張儀〔?-前310か前309〕である。 戦国末に七国(戦国の七雄)が台頭した時期にあたり,蘇秦は秦以外の東方の六国にむけて,秦に対抗して縦(南北)に同盟する(これを合従 がっしょう という)ことを提案した。 一方,張儀は西の秦と東方の六国を横(東西)に個々に連ね(これを連衡という),やがて秦に吸収する策を論じた。 この策にちなんで家の呼び名が生じた。 この2人の名声によって,その流儀に従う策士が輩出し,間を往来して,あるいは君主に仕えてを尽くしたが,六国はこうした外交的駆け引きのなかで衰退にむかって秦のによる統一(前221年)にいたり,策士たちも互いに排斥しあうなどして活躍の舞台を失っていった。 〈しょうおうか〉ともいう。 〈縦横〉とは,戦国期の蘇秦の合従(がつしよう)策 約従(やくしよう),従親(しようしん)とも と張儀の連衡(れんこう)策で知られた〈従(たて) 南北系 〉と〈衡(よこ) 東西系 〉の国際同盟を唱える外交策のこと。 《韓非子》五蠹(ごと)にその内容を伝える。 国際,国内の情勢変化を洞察して国君を遊説し,巧妙な弁説で権勢を動かしたこの外交上の策謀は,〈従横長短〉〈従横捭闔(はいこう)〉と呼ばれ,連合,離間,和戦の交渉を通じて戦国諸侯の政権や国益を左右した。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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