ヨーク マツザカヤ。 Wikizero

ヨークマツザカヤ

ヨーク マツザカヤ

歴史・概要 [ ] 札幌市の歓楽街であるの市街地再開発ビルに、工事を請け負ったの誘致を受けて、同社とが折半出資で(47年)に 株式会社札幌松坂屋を設立。 に 札幌松坂屋'として百貨店を開業したのが始まりである。 歓楽街であるススキノ地区の入り口に当たる立地などが災いして業績が低迷したため 、1978年(昭和53年)9月にと提携して再建を図ることになり 、1979年(昭和54年)2月1日に閉店して札幌松坂屋としての営業を終了した。 この提携に伴って社名を「ヨーク松坂屋」とするとともに1979年(昭和54年)4月28日に ヨークマツザカヤと店名を変更して新装開店し 、松坂屋の名称と百貨店向け商品の調達ルートを残しながらイトーヨーカ堂が実質的な経営権を取得してコストダウンなどに取組み営業を存続させた。 (平成6年)3月からは 札幌店となって、松坂屋グループを離脱してイトーヨーカ堂グループの傘下に完全に移行し 、1995年(平成7年)3月1日付でロビンソン・ジャパンに営業権が譲渡された。 その後、などで業績が再び低迷したため 、の札幌駅進出前年 の(平成14年)4月には地上3階以上の6フロアの売場を閉鎖して地下2階から地上2階までの4フロアに売場を縮小し 、他のフロアを6月に専門店街 ラフィラとする 大規模な改装に踏み切ったが 、業績が好転しなかったため、(平成21年)1月18日に百貨店としての営業を終了し、35年の歴史に終止符を打った。 閉店後の店舗跡は(平成21年)3月26日に上層階と一体的に専門店街 として開業し、イトーヨーカ堂が地下1-2階部分に出店していた。 老朽化のため2020年5月17日の営業を最後に閉店。 取り壊し後2023年新ビル竣工予定。 幻の春日部店 [ ] 1983年(昭和58年)11月にはイトーヨーカ堂グループがグループが開発を進めていた埼玉県春日部市のショッピングセンターの核店舗となる百貨店の出店を引き受けることになった際には当初は当社が出店するとされたが 、アメリカの西海岸を本拠地としていたと提携して株式会社ロビンソン・ジャパンが設立したため 、1985年(昭和60年)11月にロビンソン百貨店春日部店として開業した。 その後2013年(平成24年)3月1日に西武春日部店に名称変更 したが、2016年(平成28年)2月29日をもって閉店している。

次の

北海道は札幌の最強心霊スポット★超危険な10の場所

ヨーク マツザカヤ

歴史・概要 [ ] 札幌市の歓楽街であるの市街地再開発ビルに、工事を請け負ったの誘致を受けて、同社とが折半出資で(47年)に 株式会社札幌松坂屋を設立。 に 札幌松坂屋'として百貨店を開業したのが始まりである。 歓楽街であるススキノ地区の入り口に当たる立地などが災いして業績が低迷したため 、1978年(昭和53年)9月にと提携して再建を図ることになり 、1979年(昭和54年)2月1日に閉店して札幌松坂屋としての営業を終了した。 この提携に伴って社名を「ヨーク松坂屋」とするとともに1979年(昭和54年)4月28日に ヨークマツザカヤと店名を変更して新装開店し 、松坂屋の名称と百貨店向け商品の調達ルートを残しながらイトーヨーカ堂が実質的な経営権を取得してコストダウンなどに取組み営業を存続させた。 (平成6年)3月からは 札幌店となって、松坂屋グループを離脱してイトーヨーカ堂グループの傘下に完全に移行し 、1995年(平成7年)3月1日付でロビンソン・ジャパンに営業権が譲渡された。 その後、などで業績が再び低迷したため 、の札幌駅進出前年 の(平成14年)4月には地上3階以上の6フロアの売場を閉鎖して地下2階から地上2階までの4フロアに売場を縮小し 、他のフロアを6月に専門店街 ラフィラとする 大規模な改装に踏み切ったが 、業績が好転しなかったため、(平成21年)1月18日に百貨店としての営業を終了し、35年の歴史に終止符を打った。 閉店後の店舗跡は(平成21年)3月26日に上層階と一体的に専門店街 として開業し、イトーヨーカ堂が地下1-2階部分に出店していた。 老朽化のため2020年5月17日の営業を最後に閉店。 取り壊し後2023年新ビル竣工予定。 幻の春日部店 [ ] 1983年(昭和58年)11月にはイトーヨーカ堂グループがグループが開発を進めていた埼玉県春日部市のショッピングセンターの核店舗となる百貨店の出店を引き受けることになった際には当初は当社が出店するとされたが 、アメリカの西海岸を本拠地としていたと提携して株式会社ロビンソン・ジャパンが設立したため 、1985年(昭和60年)11月にロビンソン百貨店春日部店として開業した。 その後2013年(平成24年)3月1日に西武春日部店に名称変更 したが、2016年(平成28年)2月29日をもって閉店している。 毎日新聞社. 2009年1月19日• 北海道新聞社. 2008年9月6日• ロビンソン百貨店. 2008-5-2. 90-91• 日本食糧新聞社. 1995年5月22日• 北海道新聞社. 2009年1月17日• 北海道新聞社. 2009年3月27日• 『イトーヨーカ堂、百貨店事業強化-ヨークマツザカヤを通じ春日部にも60年にも出店』日本経済新聞(日本経済新聞社. 1983年11月20日)• 朝日新聞社 関連項目 [ ]• :開業時の母体企業• :開業時の母体企業• :営業を引継いで一旦立て直した•

次の

【閉店】はまのだいどころ

ヨーク マツザカヤ

札幌に住んでいる人であれば、「ヨークマツザカヤ」や「ロビンソン百貨店」の前で待ち合わせをした経験のある方も多いのではないでしょうか。 その後継となった札幌の商業施設、「ススキノラフィラ」が今月17日、閉店しました。 ススキノ唯一のデパートとして開業し、46年。 テナントとして開業まもなくの時期から、人生を一緒に歩んできたメガネ店の店主がいます。 営業最後の日を追いました。 ススキノラフィラが閉店 今月17日、札幌市の繁華街、ススキノの商業施設「ススキノラフィラ」が、最後の営業日を迎えました。 名残惜しんで、大勢の地元客が詰めかけました。 「30年近くお世話になった」「ずっとあったので、いざなくなると寂しい」。 訪れた人たちからは、閉店を残念がる声が次々に上がっていました。 閉店の午後8時すぎ。 「長い間、まことにありがとうございました」という従業員のあいさつと同時に、店舗のシャッターが閉められ、歴史に幕を下ろしました。 メガネ店で店舗と人生歩む この店舗は昭和49年、大手デパート「松坂屋」の出資を受けて、「札幌松坂屋」として開店しました。 開店から2年後、この店舗のメガネ店に入社した深掘仁さん(63)は、当時の様子をこう振り返ります。 「ホステスの方だったり、お寿司屋さんだったり、ファッション性にこだわったお客様が多かった気がします」 しかし、札幌松坂屋の業績は振るわず、開業からわずか5年で、大手スーパーのイトーヨーカ堂と提携し、「ヨークマツザカヤ」へと姿を変えました。 折しもデパートに代わってスーパーが勢いを増した時期でした。 テナントも店舗全体の状況に左右されるため、深堀さんの店も変化への対応を迫られました。 (メガネ店店主 深掘仁さん) 「札幌松坂屋」の時代には富裕層が多かったんですけれども、イトーヨーカ堂にシフトして、大衆向け、一般向けのお客さんのニーズに応えられる品揃えになった。 陳列方法も、それまでは宝石店や時計店のように、ケースの中に入れたものをお客様の元に取り出す方法で販売していましたが、「ヨークマツザカヤ」になってからはオープン陳列に切り替わった。 それが非常に印象に残っています。 その後、外資系と提携し、再び「ロビンソン百貨店」と名前を変えましたが、不振は続き、11年前、地元が支える今の「ススキノラフィラ」になりました。 新型コロナウイルスの影響も いくたびも形を変えながら営業を続けてきましたが、建物の老朽化は避けられず、ついに閉店が決まりました。 運営会社では、ことし1月から閉店セールを企画し、最後の売り上げアップを狙いました。 ところが、そこに新型コロナウイルスの感染拡大で、セール期間中も一時、休業を余儀なくされました。 さらに閉店当日に予定していたセレモニーまで中止する事態に。 (メガネ店店主 深掘仁さん) お客さんも来たかったというが、感染拡大という状況なので、ススキノまで来るのを子どもさんに止められたという話も多かった。 こちらも心が痛いし、しょうがないかなと思います。 長年の歴史に幕 「お客様に感謝」 そして迎えた最後の日の朝。 深掘さんは仕事を始める前、「感謝をこめて最後頑張っていきたい」と自分に言い聞かせるように話してくれました。 午前中から次々と閉店を惜しむ常連客が顔を見せ、深堀さんにねぎらいの言葉を贈りました。 そのうちの1人は、「ヨークマツザカヤの時代以来、30年以上お世話になっています。 親しみやすいし、親身になってくれる」と惜しんでいました。 また、最後に深堀さんの顔を見たかったと訪れた女性もいました。 午後8時前。 運営会社の社長による「さよなら札幌、ありがとう札幌、長い間、誠にありがとうございました」という館内放送が流され、シャッターが閉まりました。 深堀さんも、最後の店の片付けを急ぎました。 シャッターが降ろされ、明かりも消えた店舗。 作業を終えて外に出た深堀さんはその様子を見て、「終わったなと寂しいなという気持ちが一番です。 44年間、勤めさせていただいてありがたいなと。 またお客様には助けていただきながら経営もできたということが非常に印象に残っています。 誠意が伝わったということがここまで長くできたかな。 間違えていなかったかな」と静かに話したあと、店舗を後にしました。 消費者やマチの変化という時代に翻弄されながら、ススキノという華やかな地域を見つめ続けた店舗は、地元の人たちに深く愛された店舗でもありました。 取り壊された後、3年後をメドに、新しい複合ビルに生まれ変わるということです。 同じように地域に親しまれる施設であって欲しい、46年の最後を見届けて、そう思いました。 (札幌放送局・小林紀博記者 2020年5月18日放送).

次の