ツァーリ ボンバ。 世界の巨大兵器について調べてみた

ツァーリ・ボンバとは

ツァーリ ボンバ

人類史上最大の水素爆弾で、単一兵器としての威力は人類史上最大。 重量27トン、全長8メートル、直径2メートル。 TNT換算で49500キロトン、これは広島型原子爆弾「リトルボーイ」の3300倍 リトルボーイは15キロトン。 第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の10倍の威力を持つ。 核爆発は1,000キロメートル離れた場所からも確認され、その衝撃波は地球を3周した。 5g 80J ロングボウ 100J 野球160km投球 140J(参考) クロスボウ 200J 拳銃. 22 5. 588mm 100J. 22LR 150J 7. 65mmフルメタルジャケット弾 210J 9mmパラベラム(最も普及) 500J弱. 45ACP 500J強. 50AE デザートイーグル 1720J 火縄銃やマスケット 1,000~3,000J ライフル 5. 56mm弾 2092. 0J TNT火薬1g 4,200J 12. 7x99mm弾 13,000~17,600J TNT火薬1キロ 4,200,000J 戦車砲 9,000,000J 対艦ミサイル 14,000,000J レールガン 64,000,000J ジャンボ機が時速500kmでぶつかった際の威力 3,860,000,000J TNT火薬1トン 4,200,000,000J 高さ1mの津波が時速40kmで幅30mの建物にぶつかった際の威力 9,240,000,000J 広島型原爆 55,000,000,000J マグニチュード8.

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ツァーリ・ボンバ (つぁーりぼんば)とは【ピクシブ百科事典】

ツァーリ ボンバ

ツァーリ・ボンバの原寸大模型。 「ツァーリ・ボンバ」の名称はが、に展示されている世界最大の鐘、榴弾砲史上最大の口径であり、ギネスブックにも記載されている になぞらえてつけたものであるが、現在はでも広く用いられている。 単一としての威力は人類史上最大であり、にで、唯一の大気圏内が行なわれて消費され、現存していない。 で約100(中に全世界で使われた総爆薬量の50倍)の威力を誇り、実験では50メガトンに制限されたものの、なお型「」の約3,300倍もの威力を有し、そのは2,000キロメートル離れた場所からも確認され、はを3周した。 実験指示 [ ] ソ連のは、第22回大会開催中の10月下旬にこの爆発実験を行うよう指示を出した。 その時点で実施日まで15週しかなかったが、実験に用いるAN602はすでに完成していた。 この当時、世界情勢は極めて緊迫した状態にあった。 1961年8月の建設開始、数ヶ月前に発表されたソ連による核実験の中止、後のに結びつくへの核配備計画実施などのためである。 そのような状況下での実験は世界中を震撼させた。 設計 [ ] ツァーリ・ボンバは本来、--核分裂という3段階の反応により100メガトンの威力を実現する(Staged Radiation Implosion Bomb)である。 しかし、100メガトン級の爆発ともなればソ連領内の人口密集地へ多量の(死の灰)が降ってくることが予想されたため、実験にあたっては第3段階目の238の核分裂を抑えるようにタンパーがに変更され、出力は50メガトンに抑制された。 この結果、放出される放射性物質の量はその出力の割にはかなり小規模なものとなった。 設計はソ連の核開発でのを中心とし、後に「ソ連水爆の父」とも呼ばれる、ヴィクトル・アダムスキー、ユーリ・ババエフ、ユーリ・スミルノフ、ユーリ・トゥルトネフなどのメンバーが参加した。 サハロフはツァーリ・ボンバの爆発実験の後、核兵器反対を唱えるようになったという。 実験 [ ] に展示されるTu-95ツァーリ・ボンバ投下機 ツァーリ・ボンバは特別な改修をうけた、Tu-95vによって運搬・投下された。 この時のパイロットはアンドレイ・ドゥルノフツェフ中佐()であった。 測定・撮影用にはが随行していた。 熱線による被害を最小限に抑えるため、この2機には特殊な白色が塗られ、Tu-95では重量27トン、全長8メートル、直径2メートルと巨大なツァーリ・ボンバを搭載するために爆弾倉の扉と翼燃料タンクが取り外され、それでも収まらなかったので半埋め込み式で搭載された。 Tu-95が当時のソ連の中では最大級であったことからも、ツァーリ・ボンバの巨大さをうかがい知ることができる。 ツァーリ・ボンバには投下機が爆心地から45キロメートル程にある安全圏へ退避する時間を与えるために重量800kgにも達する多段階の減速用が取り付けられた。 火球サイズの比較、中心から ツァーリ・ボンバ 午前11時32分、ツァーリ・ボンバはにあるソ連領()上空で投下された。 投下高度は10,500メートルで、内蔵された によって高度4,000メートル(海抜4,200メートル)に降下した時点で爆発した。 一次放射線の致死域(500rem)は半径6. 6キロメートル、爆風による人員殺傷範囲は23キロメートル、致命的な火傷を負う熱線の効果範囲は58キロメートルにも及んだと見られている。 爆発による火球の下部は地表まで届き、上部は投下高度と同程度まで到達した。 火球は1,000キロメートル離れた地点からも観測された。 生じたは高さ60キロメートル、幅30-40キロメートルであった。 上述の通り、核分裂による放射性汚染はわずかだった。 この爆発による衝撃波は地球を3周してもなお空振計に記録され、の測候所でも衝撃波到達が観測された。 当初、アメリカはツァーリ・ボンバの爆発力を57メガトンと推測していたが、に公開されたソ連の関連資料により実際は50メガトンであったことが判明した。 威力を半分に抑えた当爆弾ではあるが、その威力は単一の兵器として人類史上最大である。 ちなみに、アメリカが開発した最大の核爆弾の核出力は最大で25メガトンであるとされ、核爆発実験では1954年3月1日の(ブラボー実験)の15メガトンが最大である。 50メガトンの爆発では2. 爆発中の平均は5. 3YW)に相当し、のの約1. 4パーセントにあたる。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• Zaloga, The Kremlin's Nuclear Sword, Smithsonian Institution Press, Washingthon and London, 2002, p51-52• Sakharov, Andrei 1990. Memoirs. New York: Alfred A. Knopf. 215—225. 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 Tu-95搭載時の写真あり• 微気圧計の変位を示す画像を掲載• ロシア ツァーリ・シリーズ ツァーリ・ボンバ.

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ツァーリ・ボンバとは

ツァーリ ボンバ

今現在で史上最大の核兵器であるツァーリボンバを所有してる国はありますか? ツァーリボンバって広島の原爆リトルボーイの3300倍の威力があると聞きました、 もしもそれが日本の都市に落とされたとしたら具体的にどのぐらいの被害が予想されますか? 今後ツァーリボンバみたいな大量破壊兵器を使った戦争は起こるんでしょうか? 補足ツァーリボンバって100メガトンを50メガトンに制限して実験されたらしいけど、それで広島型原爆リトルボーイの3300倍の威力で1000キロメートル離れた場所からでも爆発が確認できて、その時の爆風が地球を3周もしただと!? 第二次世界大戦に使われた総爆薬量のおよそ10倍もあるらしい。 だから今は無い。 また大型核弾頭より、小型核弾頭を複数着弾させた方が破壊力が大きい。 1隻で192発 最大240発 ですから、ICBM 大陸間弾道弾 や「戦略爆撃機」やその他の膨大な核兵器を抜きにしても、オハイオ級原潜たった1隻で中国全土が壊滅。 その根拠として、ツァーリ・ボンバは特別な改修をうけたTu-95戦略 爆撃機によって運搬・投下され、測定・撮影用にTu-16Vが随行してい た。 熱線による被害を最小限に抑えるため、この2機には特殊な白色塗 料が塗られていた。 また、ツァーリ・ボンバは重量27トン、全長8メー トル、直径2メートルと巨大であり、Tu-95そのままでは搭載できなか ったため爆弾倉の扉と翼燃料タンクは実験に際して取り外され、それ でも全容を納めることはできず半埋め込み式に搭載された。 Tu-95は当 時のソ連製爆撃機の中では最大級であったことからも、ツァーリ・ボン バの巨大さをうかがい知ることができる。 午前11時32分、ツァーリ・ボンバは北極海にあるソ連領ノヴァヤゼム リャ 73. 投下高度は10,500メート ルで、内蔵された気圧計によって高度4,000メートル(海抜4,200メー トル)に降下した時点で爆発した。 一次放射線の致死域 500rem は半 径6. 6キロメートル、爆風による人員殺傷範囲は23キロメートル、致命 的な火傷を負う熱線の効果範囲は実に58キロメートルにも及んだと見 られている。 その様子は1,000キロメートル離 れた地点からも見えたという。 生じたキノコ雲は高さ60キロメートル、 幅30-40キロメートルであった。 水素爆弾の性質上、核分裂による放射性 汚染はわずかだった。 この爆発による衝撃波は地球を3周してもなお空振 計に記録され、日本の測候所でも衝撃波到達が観測された。 当初、アメリカはツァーリ・ボンバの爆発力を57メガトンと推測していた が、1991年に公開されたソ連の関連資料により、実際は50メガトンであ ったことが判明した。 その減少を含んでもなお、ツァーリ・ボンバの破壊 力はTNT換算50メガトンの爆発では2. と言う記述からみて、簡単に言えば4,000メートルの上空で爆発し、火球 は直径4,000メートルあるわけですから、それがどのくらいの威力だった か、あなた自身が想像してください。 火球は温度が1万度以上あり範囲内にいた人は瞬時に燃え尽きてしまうと いわれています。 参考として広島の原爆は当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万~ 16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したとされています。

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